血を分けたものを亡くした想いと言うのは、そうでないものには理解できないのだと思う。たとえ僧侶だとしても。それが助かる可能性が少しでもあったのなら、その可能性を無にした方々は、もう少し配慮をしてほしい。ただの悪口ではない。多くの同僚を亡くして、命あることを喜べる神経に驚いている。
— hatupiさん (@hatupi) 2013年3月11日
2年たった今が、今までで一番悲しく、一番腹立たしい思いを抑えきれないのかもしれない。それも経験しなければ解らなかったこと。2年たったから冷静になれるというものでは無い。ますます悲しみは深く強くなるばかり。冷静な自分と、悲しみや怒りを抑えられない自分が両方存在することは事実。
— hatupiさん (@hatupi) 2013年3月11日
解らない方々に解ってもらおうとは思わない。私もそちらの立場ならば解らなかったのだろうから。
— hatupiさん (@hatupi) 2013年3月11日
花を手向けるところが無くなり、柱に花が刺してありました。遺族の気持ちと言うのはこういうもの twitter.com/hatupi/status/…
— hatupiさん (@hatupi) 2013年3月11日
市民会館玄関後。柱が4本。 twitter.com/hatupi/status/…
— hatupiさん (@hatupi) 2013年3月11日
震災被害者の遺族は、毎月この日が来ると、静かに心を整理する気持ちになどなれないのです。仕事でなければ逃げる事の出来た若い命です。悲しみ、悔しさ、後悔。色々な気持ちにさいなまれる。でも、あの子たちの無残な最期を想えばと耐えている。助かった大事な命です。どうぞ大事にして頂きたい。
— hatupiさん (@hatupi) 2013年3月11日
じっと耳を傾ける。
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