2013年3月8日金曜日

明治36年(1903)9月17日~10月7日 池辺三山、京都・無鄰菴の山縣有朋を訪問。「はや老いたり」。 日露交渉(小村=ローゼン会談)開始。

北の丸公園 2013-03-08 カワヅザクラ
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明治36年(1903)
9月17日
・オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ、オーストリア・ハンガリー統一軍維持宣言。
「フロピー勅令」。ガリツィアのフロピー司令部部隊に対し軍隊統合命令。オーストリア=ハンガリー軍統合強調。軍内での母国語使用などを求めるマジャール人の声を無視。ハンガリーで激しい抗議行動。
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9月18日
・英、ジョゼフ・チェンバレン、植民相辞任。
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9月20日
・島田三郎(50)、横浜・羽衣座での正義同志派県会議員応援政談演説会で演説。
21日平沼座、22日千代崎亭でも演説会。
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9月21日
・米、初の西部劇映画『キット・カーソン』公開。
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9月22日
・ローゼン露公使、日露交渉に関しアレクセエフ極東総督(大将)と会談するため旅順に出発。
この頃、旅順口湾での艦隊演習のためにウラジオストクから巡洋艦「アスコリド」以下軍艦13隻が出動、日本の国内世論を一層刺戟する。
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9月22日
・桂内閣一部改造(兼任大臣を専任大臣に代える)。文相に貴族院議員久保田譲、法相に司法総務長官波多野敬直、逓相に警視総監大浦兼武が親任される。
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9月22日
・永井荷風(23)、横浜港から日本郵船「信濃丸」(6,388トン)で出航、実業のためのアメリカ留学。巌谷小波や木曜会の仲間が見送る。
タコマ、カラマズ、ニューヨーク、ワシントンD.C.などでフランス語を修める傍ら、日本大使館・正金銀行に勤める。ヨーロッパ滞在を経て、明治41年7月に帰国。

10月5日カナダのヴィクトリア港に着いて、タコマ市に居住。 
10月24日シアトルに遊び、平原での牧畜の風景に感じ入る。
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9月29日
・ロシア、旅順口の海軍要塞、軍艦3隻で砲戦演習。
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9月29日
・小村外相、駐韓公使林権助に日韓密約に関する意見聴取文書送る。
韓国側は日露間の紛争に関して局外中立を希望するが、戦争の陸上作戦は朝鮮半島南部に上陸、北上して北部での戦闘が想定され、韓国との協定は必須と判断。
林公使は、密約は非常に困難であるが、乙未事変の亡命者処分、借款、有力者への運動費提供などを条件として交渉する道はあると回答。
林の想定は、排日的な高宗を支える中立主義者李容翊(イヨンイク)の存在。
小村外相は李容翊と密接な関係にあり韓国政府顧問に招かれた関西財界のボス大三輪長兵衛を通じて抱込みを図る。
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9月30日
・祇園の芸妓加藤雪、アメリカ人の富豪モルガンに落籍される。
翌年1月結婚、のち渡米。
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9月30日
・参謀次長田村怡与造(いよぞう)少将、危篤。
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9月30日
・池辺三山、京都南禅寺別荘無鄰菴の山県有朋を訪れ、山県に「開戦も覚悟」と認めさせる。

三山は外務省の日露交渉担当坂田重次郎参事官の「元老が軟弱で日露交渉が進まないので山県を動かしてほしい」という頼みをきく。
「今後二、三カ月の間にロシアは制海権をも持ち万全の体制を作る、日を経るほど日本の好機は少なくなる」、「一歩の退譲は万仞の墜落である」と説く。


9月29日夜6時、新橋駅で神戸行き「急行列車」に乗車。
翌朝7時27分、京都・七条停車場で下車、三条の宿に旅装を解いて、すぐに南禅寺の山県の別荘無鄰菴に向かう。
日露協商路線はロシアに利用されるだけであり、日が経つにつれ、ロシアは極東に軍を集め、日本軍は不利になる。
そして、「此機を造るの力は、閣下最も多く之を養えり。願わくは今日において之を揮え。かく余が言いたる時、いかなるはずみなりけん、山(山県)は少々落涙の体にて、座前の几に倚りたるまゝ、頭を俯し、双手にて老眼を一寸抑えたり。余も少々涙を浮ぶ」(「三山日記」)という様子。
更に、三山は、ロシアと妥協すべきでなく「一歩退譲は万仞の墜落である」と力説、早期開戦を訴えた。
会見は3時間を越し、辞去したのは正午前。
別れ際山県は、今日の面会は内密に、という。
三山は「頼めるだけ頼める人にて、総てを頼むべき程の人にはあらず。かつ気の毒にも、はや老いたり。時局は遂に秋来開乃理に頼るの外なし。しかし、菊が開くか開かぬかは未だ分からず。開かぬ前に霜の降る事もあるべし」(同)と思った。

翌日(10月1日)、三山は大阪人りする。
日露開戦必至とみて、村山・上野両社主はじめ大阪朝日の幹部にはかり、戦時報道体制を築くためである。通信網の整備、戦時通信任務規定、戦時通信員給与規程、さらに戦時通信賞恤規程を作り上げ、特派記者の選定も進めた。
後に国内の専用電話設置の準備、外国紙との提携など、矢継ぎ早に手を打っている。
こうした準備は他社はまだまだだった。
賞恤規程は、戦地でいい仕事をした記者の功労の賞や、万一殉職した時の弔慰金などを定めたもの。
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9月末
・フランツ・ヨーゼフとニコライ2世、バルカン半島統治権で協定。
西部をオーストリア帝国、東部をロシア地区とする。ロシアは日露戦争に備えて西方の安全確保のため譲歩。
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10月
・朝鮮、日露緊張の中で韓国政府の戦時局外中立の対外工作開始。
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・清国、日米と通商航海条約を追補。
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・「東京朝日新聞」がこの月から特派員を佐世保軍港に送り込む。
開戦となったら一番に従軍させてもらおうと、軍部との交流を密にしながら、待機させた。特派員は「東京朝日」の上野靺鞨(まつかつ)と「大阪朝日」の吉村胆南。
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・漱石(36)、三女栄子誕生。この頃から水彩画をはじめ、書もよくやる。
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・国木田独歩「正直者」(新著文芸)
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・啄木(17)、秋以降~翌年、アメリカの詩集「Surf and Wave」の影響を受け、最初の詩稿ノート「EBB AND FLOW」を作成。作品352篇の中からアメリカの詩人の作品8、イギリス26、ドイツ3、イタリア1、アイルランド1、不明2、合計41篇を書き写す。この詩集の影響ののもと、詩作に志し新境地を開く。
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・北輝次郎(21歳、一輝)「佐渡新聞』に連載論文で「吾人は社会主義者なり」と述べる。
『平民新聞』が創刊されると数十部取り寄せて知人に配布する。
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・吉川英治(11)、家の没落で小学校高等科を退学、横浜関内住吉町の川村印房店に小僧に出される。
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・フィリピンのホロ島でハッサンの乱(~1904.11)。対米反乱。
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・マックス・ウェーバー、ハイデルベルク大学で講義義務のない名誉教授の地位を与えられる。
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10月1日
・浅草六区、初の映画常設館の電気館が開場
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10月1日
・粗製樟脳・樟脳油専売法施行。
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10月1日
・プロ野球大リーグ第1回ワールド・シリーズ開幕。ボストン球場。
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10月2日
・オーストリア・ドイツ両皇帝、ミュルツシュテークで会見。バルカンの現状維持を決定。マケドニア改革案作成。オスマン帝国に改革受入れを要求。
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10月3日
・日本が8月12日に出した日露商議条件、ロシアに拒絶。
旅順より帰着したロシア駐日公使ローゼン、小村寿太郎外相にロシア側の協定対案(満州領有宣言、韓国の南部2/3のみ日本の勢力下を認める)提出。6日交渉開始。
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10月5日
・対露同志会大会開催。
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10月6日
・日露交渉(小村=ローゼン第1回会談)開始。
30日、満韓交換の線で日露協商確定修正案纏まる(満州は日本の特殊権益外、韓国はロシアの特殊権益外、満韓境界50kmを中立地帯とする)も、12月11日.ロシア政府の反対、決裂。
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10月7日
・フィリピン、公有地法制定。
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