2016年4月2日土曜日

應永19(1412)年 ジャンヌ・ダルク誕生(ロレーヌ地方ドンレミ村) ヤン・フス、「贖罪状」販売を弾劾 ヤン・フスと教皇派との公開討論会 チェコ語で「神聖商売に関する書」、「説教集」著作 フランス、オーセールの和解(内乱休止) 

横浜市内 2016-03-31
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應永19(1412)年
この年
・大嘗会段銭。若狭太良荘には幕府から免除状が下る。
免除状は出るが、一色氏指定の納入期限に間に合わず守護使が入部、2貫文を徴収しながら請取状額面は1貫700文とし残りは「装束」(付加税)とする。そのうえ守護使接待に1貫文を要し、百姓は東寺の請求する京都での一献料3貫文を2貫文に減じるよう訴える。
守護使入部には必要以上の出費を伴うので、東寺も百姓も免除が京済を願うが、守護勢力にとっては、段銭は幕府に納めるものでも、徴収過程で一定の収益を得ることができる。また、段銭徴収を重ねる中で、大田文を管理する国衙機構と小守護代以下の在国守護支配機構を合わせた徴税体制が形成され、守護段銭成立の条件を整備することになる。

段銭は、朝廷の重要行事や大寺社造営や幕府の必要に応じて、全国又は特定の国に対し公田(大田文登録田地)を対象に賦課される臨時税。徴収権は本来朝廷にあるが、南北朝期に幕府に移行して以後、守護が実際の徴収にあたる。役夫工米は伊勢神宮の造営費に充てるもので段銭の一種。太良荘は殆どの場合、免除か京済(京都で直接幕府に支払う方式)が認められるが、その為には一献料(役人への礼銭)を必要とし、それは百姓に転嫁される。
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・アラゴン・シチリア王フェルディナンド1世、即位(フェルナンド、フェランテ。マルティーノ1世姉エレオノーラ息子。位1412~1416)。1377年フェデリコ3世没以来35年間のシチリア内紛終了。
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・カスペでアラゴン王位継承者選定会議の開催。トラスタマラ朝開始。
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・ウェールズ、オーウェン・グリン・ダウの反乱(1400~1412)、完全に鎮圧。
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・スコットランド初のセント・アンドルーズ大学、設立。摂政オルバニー公ロバートの政治。
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1月6日
・ジャンヌ・ダルク、ロレーヌ地方ドンレミ村に誕生。
ドンレミ村は、城塞を構えた隣町ヴォークールールと同じくヴァロア王家への忠誠を保つ地域。
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1月24日
・仏、アルマニャック派諸侯(オルレアン公党派)、ブールージュで会談。英(ヘンリ4世)側と協定。
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1月26日
・仏、シャルル6世、パリ市民に1383年以前の特権を回復(シャルル6世の背後にジャン無畏公)。自治的市政返還、商人会頭職復活。
パリ市長職は選挙制に復帰。パリ市長ピエール・デ・セザール(ブルゴーニュ人、ジャン無畏公の宣伝大臣)。
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2月29日
・地震。占文に云う、疫病飢饉の兆し。
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3月3日
・ヤン・フス、ベツレヘム聖堂で教皇ヨハネス23世(後に廃位)による「贖罪状」販売を弾劾する演説。ヨハネス23世は、チェコでは「アンチ・キリスト」といわれ評判は最悪。
目的はナポリ王との戦争の為の資金稼ぎで、フスはこれに反対したが、国王がローマ教皇を支持した為、ウィクリフ派の中からも、国王の怒りを恐れて離脱する者が現われる。
かつてのウィクリフ派指導者ズノイモのスタニスラフとシュチェパーン・パーレチは公会議に呼び出され投獄後、ウィクリフ派から離れ、この年の事件を契機にとフスを批判するようになる。
市民達も両派に分かれて争い、その混乱の中で、若者3人が教会に押し入り贖罪状販売を実力で妨害した為、旧市街当局に捕われ処刑される。
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3月5日
・ヴェネツィア、フランチェスコ・バルドゥイン、ヴェネツィア貴族と陰謀を企んだかどで処刑
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4月6日
・仏、イギリス・アルマニャック(オルレアン)派協定書、パリのシャルル6世の前で読上げられる。
反撥したブルゴーニュ公、ブールージュに進撃。
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4月8日
・ヴェネツィア、同盟締結のため、オーストリア公フリードリッヒの下に大使トンマーゾ・ミキエーリ派遣
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4月19日
・畠山義清、没。
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5月
・シャルル6世を立ててブールジュ攻囲
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・アルマニャック派、イングランド側とブールジュで協定
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・パッサウ大司教座主席司祭ウェンツェル・ティエム、「贖罪状」販売のためプラハに来る。国王及び大司教アルビクはこれを許可。
ティエムによる「贖罪状」発売が開始。カトリック正統の立場からも厳しい反対意見が起こる。(ルドルフ・サガンによる批判)
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5月16日
・ミラノ公ジョヴァンニ・ヴィスコンティ(ジョヴァンニ・マリーア)、暗殺(位1402~1412)。
弟フィリッポ・マリア後継(位1412~1447、単独支配者)。
傭兵隊長フランチェスコ・ブッソーネ・ダ・カルマニョーラ(22)が補佐。1427年マクロディオの戦い、ヴェネツィア軍総司令官(傭兵隊長)としてミラノに勝利。1432年ヴェネツィア10人委員会により処刑。
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5月28日
・ヴェネツィア、河川の堤防は公共物と宣言
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6月7日
・プラハ市内、民衆とウィリクフティーンによる集会。「贖罪状」販売に関する教皇の命令が無効と宣言。
17日、プラハのカロリルムの大講堂で教皇派と公開討論会を実施。
ヤン・フス及びヒエロニムスの演説は会場を圧倒。
討論会後、人々はプラハ市内で示威行進。(大学生の間では神学科と学芸科の分裂。フスは学芸科)
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6月11日
・ヴェネツィア、リド島のサン・ニコロにハンガリー人、夜間に急襲
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6月21日
・南蛮船、小浜に来航。
室町初期約30年の間、暹羅・爪哇(ジャワ島)などより華僑頭目らの手により日本・朝鮮へ来航した船のあることが知られる。しかしそれ以降、16世紀中頃に日本の商船による南海往来が興る迄の1世紀余は、日本本土と南方諸地域との直接交渉は倭冦の影響などを受け殆ど見られず。
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6月24日
・シジスモンドに対抗する軍隊を提供するためにパンドルフォ・マラテスタ、ヴェネツィアに滞在
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6月28日
・アラゴン貴族同盟、カスティリャ摂政フェルナンドを国王に選出。フェルナンド1世として即位
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7月8日
・ヴェネツィア、10人委員会、アンジェロ・コッレルがヴェネツィアに来ることを禁止
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7月10日
・英ヘンリ2世第2王子クラレンス公トーマス(24)、ノルマンディー、サン・ヴァスト・ラ・ヴーグ岬上陸。ブールージュの密約のためアルマニャック派(オルレアン公は)は、高額賠償金支払い、人質をとられる。
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8月12日
・アルマニャック派の要請によりイングランド軍、ノルマンディー上陸
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8月15日
・ラディスラオ王、ナポリの宮殿を共和国に与える
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8月22日
・仏、オーセールの和解(内乱休止)
アルマニャック諸侯とブルゴーニュ公ジャン無畏公、英との同盟破棄を誓い和解。1409年シャルトル和平条約の状態に戻す和解案を承認。
シャルル6世、王妃イザボー、王太子ルイら、パリに帰還。アルマニャック派が引き入れたクラレンス公配下イングランド軍、帰国。
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8月24日
・ヴェネツィア軍司令官カルロ・マラテスタ、モッタでのハンガリー軍への勝利を占めた会戦で負傷
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8月29日
・後小松天皇、譲位、息子の称光天皇践祚。
4代将軍足利義持の指示。南北朝合一条件の両統迭立は実現せず。旧南朝側の不満、増大。
9月、伊勢国司北畠満雅(親房の曾孫)挙兵。
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9月4日
・プラハ、ヤン・フスの住む地に教皇使節によって「インターディクト」が宣言、彼の説教も全面的に禁止。一部カトリック信徒ドイツ人がベツレヘム聖堂を襲撃、市民はこれを守り抜く。
フスは、その後もシンパに守られて説教を継続。参加者には王宮関係者も多く、会堂はいつも満員。
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10月
・関東管領上杉憲定(38)、没。上杉氏憲が後継。
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10月18日
・プラハの教会会議、フスに対して破門を強化、従わない場合はフスの滞在地に聖務停止を命じると発表。
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10月19日
・ヴェネツィア、10人委員会の長、国家機密の暴露者を審問
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10月27日
・ヴェネツィア、元老院の同意なくして教会財産を売却してはならない
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10月28日
・デンマーク摂政マルグレーテ(59)、フレンスブルク湾内の自船上でペストのため没。
デンマーク・スウェーデン・ノルウェー(カルマル同盟)王エーリック13世親政開始。
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10月31日
・ヴェネツィア、ビザンツ皇帝パレオロガスとの条約更新
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11月
・内膳司、三国湊の田地は内膳司が所管する毎日の供御料所であるが、近年当国住人堀江らが興福寺代官と称し守護被官人の権威をかり押妨するので、院宣を下されて彼らの下地違乱を停止し毎日の供御を勤仕したいと述べる。
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12月
・小浜着岸の鉄船に課す公事を直納せよとの内裏からの命を受けた幕府、これを守護一色義貫に伝え、翌20年3月、小浜湊に通達。
鉄船(鉄を積載した船)は、出雲宇竜浦(島根県大社町)辺りより出帆と考えられる。小浜・出雲間の交易を物語る。この時、小浜は禁裏料所であると推測できる。
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・フス、ローマに派遣した弁護人が投獄された事の不正を非難、教皇至上主義の害を強く説く。1412年末プラハを去る。

1414年迄、南ボヘミアのコジー・フラーデクで領主の保護を受け、コジー・フラーデクやクラコヴェッツで田舎の人々に説教活動。領地農民たちの容赦ない搾取に反対し、キリスト教義に反する行いの領主や教会に従う義務はないと公に述べる。
この間、チェコ語で「神聖商売に関する書」、「説教集」著作。チェコ語正字法の広範な簡素化に重要な意味を持つ。また、フスは民衆の歌の育成にも心を砕く。
フスを支持する上級貴族達は、フスが教皇庁への出頭を求められていることに対して、国外の裁判所への召喚は違法と抗議。
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12月16日
・ヴェネツィア、パラッツォ・ドゥカーレの守衛8人を雇う
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