2023年3月28日火曜日

〈藤原定家の時代313〉建久9(1198)年2月1日~2月21日 定家(37)の体調不良続く 「心神忽チ違乱シ、俄ニ病悩。終夜辛苦す。」 後鳥羽の乱痴気騒ぎ 大雨になれば定家の「荒屋悉ク漏ル」   

 


〈藤原定家の時代312〉建久9(1198)年1月1日~1月30日 後鳥羽天皇(19)譲位、土御門天皇(4)受禅 源通親は天皇外祖父として後鳥羽院の院庁別当 左近衛権少将になって9年、従四位になって8年、定家(37)に昇進の兆しなし 定家、体調不良をおして『春記』書写 「太上皇密々女房車ニ乗リ、、、、近日、京中幷ニ辺地ヲ日夜御歴覧。」(『明月記』) より続く

建久9(1198)年

2月1日

・藤原定家(37)、新任の人に賀状を送ったり、祝賀の訪問。この日、俄かに病悩。以下、この月、風病や咳病等体調不良

2日、3日は心神違乱病悩し、春日祭の御祓には失礼する。後鳥羽院は、西郊の女院に御幸、人無き故、定家の参仕を求められたが、なお病術無き由を答える。宮女房の許に車を送る。密々御幸見物のためである。雑色等が帰って、供奉の殿上人の名を報告する。

5日もまだ風病が癒らないが沐浴。咳しきりに出て不快。

「心神忽チ違乱シ、俄ニ病悩。終夜辛苦す。」(2日条)

2月6日

「二月六日。天陰ル。辰後ニ晴ル。心神殊ニ悩ム。重病ヲ扶ケテ、今日旧記七巻ヲ書キ訖ンヌ。宿習ノ催シニ依り、病悩ヲ顧ミズ功ヲ終へ了ンヌ。世以テ之ヲ秘ス。外見スべカラズ。外見スベカラズ。」

『資房卿記』(官名〈春宮権大夫〉により『春記』)7巻を11日かかって写し終えた感懐が、〈外見スベカラズ〉の繰返しにあらわれている。

2月7日

「二月七日。天晴。先日給ハル所ノ記七巻(一帙ノ櫃一合)、女房ニ付ケ、返上シ了ンヌ。 - 又、時々彼ノ院ニ参ズル殿上人等、少々相催ス(雅行朝臣・有通・行房・範宗)。隆信朝臣両息参ゼシムべキ由、厳閣ニ申シ、相示ス。近日彼ノ院中、万事言フニ足ラザルカ。仍テ不肖ノ物、忽チ奉行スルノミ。弥々領状ノ人無キカ。咳病殊ニ術無シ。心神甚ダ悩ム。」

『資房卿記』七巻を返却。後鳥羽院の身辺は、〈万事言フニ足ラザルカ〉と批判。

藤原隆信は、定家の異父兄で、肖像画の名手。平重盛像、源頼朝像がある。その子の信実もまた絵をよくし、後鳥羽院像や、三十六歌仙の画像があり、その妹の今姫も絵の上手であり、後年定家は、家を新築した折、襖絵を依頼した。

2月9日

・定家(37)、9日、10日、11日と咳病に苦しむ。

2月12日

・定家(37)、咳病をおして歓喜光院修二月会奉行勤仕。この日、健御前も仏事を修し、定家の妻も参堂した。

2月13日

・定家(37)、亡母の忌日仏事、また持仏堂修二月会を修す

2月14日

・後鳥羽院、石清水参詣、久我の通親邸に3日逗留、17日夕方御所に戻る。検校成清はこの御幸に「海内の財力を尽く」して奉仕(「明月記」)。頼朝派とみられている成清はこの機会に通親に接近、女婿別当道清は通親の知遇を得る。

2月14日

・御鳥羽院の八幡御幸があり、定家は、〈是レ見物スベシト雖モ、本ヨリ好マザルナリ〉といいながらも、桟敷で見物した友人が告げて来た始終をひかえている。衣裳のことを微細に記し、里神楽があったこと、巫女三人が舞ったことを記す。近習の人々も皆浄衣を着て奉仕し、若宮では、巫女三十人あまり、老若とりまぜて参集、乱舞に堪能の輩は、白拍子を舞った。「これはもう乱痴気騒ぎである」(堀田善衛『定家明月記私抄』)この日、院は鳥羽の北殿に宿った。

2月15日

「二月十五日。朝天晴。午後俄ニ陰り。風雨猛烈。即チ晴ル。上皇昨日還御ナシ。久我ニ御逗留(通親卿宅)。種々ノ御遊等アリト云々。八幡検校成清、海内ノ財力ヲ尽スト云々。鳥羽ニ入リオハシマス。供奉ノ人、退出ス、其ノ後、近臣等供奉シ、久我ニ入リオハシマスト云々。」

院は、翌日久我から鳥羽殿へ、そしてまた久我に宿泊、源通親の第である。通親は、後鳥羽の乳母藤原範子を妻としていて、範子の先夫能円との間の在子を養女として、後鳥羽後宮に入れた。土御門天皇の母である。八幡検校成清が、その財力をつくして院をもてなした。

2月17日

・やっと定家の風邪が癒える。

2月19日

・夜、後鳥羽院は城南寺に御幸、御供の人皆悉く船を儲けた。そこへ逗留のことははっきりせず、近臣は周章。鳥羽殿で先ず競馬、ついで「近辺ノ鶏ヲ取り聚(アツ)メ」、老若二陣に分けて鶏合(トリアハセ)という遊行。老人組の敗けとあって通親の邸で宴遊、また鳥羽殿で鶏合、今度は若組の負けで、そちらへ押しかける。「職事奉行、惣ジテ暗夜カ。悲シムベキノ世ナリ」(「明月記」)と、定家は慨歎。

2月20日

・定家(37)、土御門天皇の大内遷幸に際し内侍所に供奉

2月21日

・夜大雷鳴、大雨。定家の「荒屋悉ク漏ル」(「明月記」)。咳病なお堪え難きさ中。


つづく

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