2013年3月7日木曜日

安倍首相、4月28日を『主権回復の日』に。 「沖縄は政治的な質草」(大田元知事) 「大いなる違和感」(仲井真知事) 「同胞切捨て万歳」(嘉数昇明) 「主権喪失の日」(喜屋武馨)

【3月17日追加(下段↓)】



主権回復式典:4月28日、政府主催で実施検討 首相表明







毎日JP
沖縄:「屈辱の日」と反発 4.28に政府記念式典検討
毎日新聞 2013年03月08日 11時29分(最終更新 03月08日 12時42分)

 1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し日本が独立を回復したことを記念し、安倍晋三首相は今年4月28日に政府主催の式典開催を検討していることを表明した。だが、講和条約発効で日本から切り離された沖縄では、この日は「屈辱の日」とも呼ばれる。2月に沖縄県を訪問した安倍首相は沖縄との信頼関係再構築を強調したが、沖縄では不信感が募る一方だ。

 「サンフランシスコ講和条約が発効して7年にわたる長い占領期間を終え、わが国は主権を完全に回復した。つまり、独立を手に入れたわけだ」

 安倍首相は7日の衆院予算委員会で、野田毅氏(自民)にこう答弁。「若い方々には、長い占領期間があったことを知らない人も増えている。60年前に独立したことをしっかりと認識する。わが国の未来を切り開く決意を確固たるものにするため、本年4月28日に政府主催の記念式典を実施する方向で検討している」と表明した。自民党は昨年の衆院選政策集に「4月28日を『主権回復の日』として祝う式典」を政府主催で開くと盛り込んでいた。

 だが、講和条約発効で沖縄と奄美は本土から切り離され、米国統治が合法化された。奄美が日本に復帰したのは53年12月25日、沖縄は72年5月15日だった。

 「4・28」を巡る沖縄県民の心情を、比屋根照夫・琉球大名誉教授(政治思想史)は「沖縄戦で多大な犠牲を強いられた上に、沖縄はこの日に切り捨てられた。沖縄の戦後の苦難の歴史の原点とも言える日。祝う気持ちになれるはずがない」と説明。その上で「もし式典を開くのならば『屈辱の日』と呼ばれる沖縄の歴史も同時に伝えるべきだ。祝うだけの式典では、沖縄との信頼関係は根底から崩れる」と話した。

 米空軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)の騒音被害を訴える嘉手納爆音訴訟3次訴訟団は、あえて2年前の4月28日に提訴した。平良真知事務局長(62)は「その日に沖縄の米軍基地の固定化が決まり、被害が今も続く。沖縄での『4・28』の位置付けは本土の意識の対極にある」と憤りを隠さなかった。

 米軍の弾圧に抵抗し、戦後沖縄革新勢力のシンボルだった元那覇市長、瀬長亀次郎(故人)の次女、内村千尋さん(68)は「オスプレイの押し付けなどで本土から今も置き去りにされたままと思っている沖縄からすれば『4.28』を祝うという発想自体が理解できない」と困惑した。


 サイパンの捕虜収容所で生まれ、家族とともに戦後沖縄に戻った社民党の照屋寛徳衆院議員(沖縄2区)は条約発効の日、6歳だった。式典を巡る動きに「びっくりした。『屈辱の日』に記念式典を開くなんてあまりにもふざけているし、絶対許せない」と憤った。

 その上で「安倍首相は衆院選で『日本を取り戻す』と言っていたが、その取り戻す日本の中に沖縄は含まれていないことが明らかになった。まさに沖縄への構造的差別の表れだ」と話した。【井本義親、佐藤敬一】


沖縄タイムス
「沖縄の痛み忘れてる」 式典に広がる反発
2013年3月9日 09時44分(6時間7分前に更新)

 「主権回復の日」として4月28日を祝う式典を開く安倍晋三首相の方針に、県内で反発が広がっている。沖縄無視、植民地扱い-。県民は戦後も続く苦難の歴史をひもとき、安倍政権の方針に強く非難の矛先を向けている。

 1955年に沖縄タイムスに入社し東京で記者をしていたフリージャーナリストの由井晶子さん(79)は、「沖縄が切り離された後、本土の人は沖縄を忘れ去っていた」と振り返る。

 沖縄が意識されるのは50年代後半の「島ぐるみ土地闘争」を全国紙が報じてから。だがその後も“基地の島”への同情的な視線を向けるだけだった。「沖縄戦でひどい目に遭わせ、思い出したら同情だけ。半世紀以上たった今、切り捨てられた沖縄の痛みを、すっかり忘れている。4・28を祝うのはその象徴だ」と指摘した。

 「沖縄無視の始まり」。県民の反対にもかかわらずオスプレイを強行配備し、普天間飛行場の県内移設を進める政府の変化を指摘。「50年代に忘れていたのはまだ許せるが、これだけ沖縄の要望を知りながら無視するのはがまんならない」と憤り、沖縄が反対を訴え続ける必要性を強調した。

 普天間飛行場の大山ゲート前で抗議行動を続ける沖縄市の照屋秀伝さん(75)は「日本の主権は回復し、沖縄の多くの権利が奪われた」と皮肉を込める。米軍施政下の27年間、政治、経済、教育まで米国の圧力に虐げられてきたと振り返る。

 オスプレイ強行配備など、復帰した今も状況は変わらないと感じる。「主権回復の日を認めれば、苦しんで亡くなった沖縄の先人が亡霊となって出てくる」と語った。

 むぬかちゃー(ライター)の知念ウシさん(46)は「安倍首相をはじめ日本政府は、沖縄の歴史を十分知った上で式典を開催するつもりだろう。知らないはずはない」と考える。

 「琉球国を武力併合した上に戦場にし、敗北すれば敵国に引き渡す。日本は、沖縄を植民地にしたから、自らの都合のいいように使う。そのようにして、現在も基地を押しつけている」と指摘。その上で「普天間基地の県内移設やオスプレイ配備に『オール沖縄』で反対する中、このような式典の企画、実施とは、沖縄を今後とも植民地にするという宣言だ」と話した。


琉球新報
社説
「主権回復の日」 「屈辱」続いて独立国か
2013年3月9日    
     
 これも“安倍カラー”ということか。サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日を「主権回復の日」とし、今年から政府主催の式典を開くという。

 「主権を失っていた7年間の占領期間があったことを知らない若い人が増えている。日本の独立を認識する節目の日だ」

 安倍晋三首相は式典開催の意図をこう説明した。国を憂える政治家として面目躍如たる思いだっただろうか。

 しかし脳裏のどこにも、沖縄にとってその日が「屈辱の日」であることは浮かばなかったようだ。
 日本が「主権」を回復したその後も、米軍占領下に置かれて「屈辱の日々」を送り、72年の「日本復帰」後も過重な基地負担を強いられ「沖縄に主権は及ばないのか」と訴えてきた県民は、首相の言う「美しい国」の国民ではないということなのだろうか。

 しかしその、沖縄を切り離して回復したはずの日本の「主権」は今どうなっているのか。

 米海兵隊の新型輸送機オスプレイは「美しい国」の上空も飛行し始めた。いまや「日本の沖縄化」の指摘も聞こえてくる。外国軍機が飛び交う現実を前に、これが主権ある独立国家の姿だと、誇りを持って言えるのか。

 2004年の米軍ヘリ沖国大墜落事故の際には、県警が米軍に締め出されて現場に近寄れないという主客転倒の事態まで起きた。

 米軍普天間飛行場移設問題やオスプレイの配備強行に象徴されるように、日本政府の対米追従姿勢はあまりにふがいない。「4・28」後の日本の実態は「従属の日々」なのではないかとさえ思える。

 基地の過重負担の中で、県民の「反基地」感情は根強いが、決して「反米」ではない。戦後米国に留学し、米国流の民主主義を学んだ人も多い。コザ(現沖縄市)に代表される戦後文化も、沖縄の豊かな歴史文化の一部として、県民は建設的に受け止めている。

 その上で「4・28」を「屈辱の日」と捉え、基地の過重負担の解消を求めているのだと、あらためて指摘したい。

 「4・28」が風化しているのであれば、首相はその功罪について国民にきちんと説明すべきだ。
 沖縄の「屈辱」に触れずに「主権回復」を祝おうというのなら、県民にとってそれは、過重負担を強いる「構造的差別」の深化を再認識する日でしかない。



沖縄タイムス
社説[「4・28」政府式典]2度目の「屈辱の日」
2013年3月9日 09時47分(34時間39分前に更新)

 安倍晋三首相は、7日の衆院予算委員会で、サンフランシスコ平和条約(対日講和条約)が発効した4月28日を「主権回復の日」と位置づけ、政府主催の式典を開く考えを明らかにした。

 講和条約は1951年9月8日に調印され、翌52年4月28日に発効した。敗戦に打ちひしがれた本土の国民の多くが主権の回復を歓迎し、お祭りムードに浸ったのは歴史的事実である。

 だが、講和条約には別の側面があることを忘れてはならない。第3条によって北緯29度以南の奄美、沖縄、小笠原が日本から分離され、日本の独立と引き換えに米国の施政権の下に置かれたのである。

 奄美の人々は郡民大会や断食祈願、復帰陳情などを繰り返し、条約が発効した4月28日には弔旗を掲げて抗議した。沖縄の人々はこの日を「屈辱の日」と呼んだ。

 民間の式典であればとやかく言うつもりはないが、県民が「屈辱の日」と位置づけてきた4月28日を政府主催で祝うとなると、話は別だ。

 政府が講和条約を祝うことは、27年に及ぶ米軍統治によって県民が受けた有形無形のさまざまな犠牲や被害を無視することを意味する。

 米軍普天間飛行場の辺野古移設やオスプレイの強行配備をめぐって本土と沖縄の間に深刻な溝が生じているこの時期に政府が「4・28」式典を強行すれば、政府との関係改善はさらに遠のき、不信感だけが広がることになるだろう。安倍首相には強く再考を求めたい。

    ■    ■

 琉球警察は米兵に対する逮捕権も捜査権ももっていなかった。現行犯に限って民警察による逮捕が認められたが、身柄は米軍に引き渡され、軍法会議で無罪となるケースも少なくなかった。

 上山中学校の国場秀夫君(当時13歳)は63年2月、青信号の横断歩道を横断中、信号を無視して突っ込んできた米軍トラックにはねられ、即死した。今年は事故発生から50年に当たる。加害者の米兵が軍法会議で無罪になったことが、無念の思いと共に、今も県民の記憶から消えない。

 戦後68年の間に発生した米軍の事件・事故は、数え上げたらきりがない。

 戦後沖縄の軍事要塞(ようさい)化は米軍による排他的統治によって可能になったものだ。

 「4・28」が主権回復の日であるというのは、沖縄を除いたときに言えることであって、沖縄にとっては、主権が事実上失われ、行使できなくなった日なのである。

    ■    ■

 沖縄の半主権的状態は今も続いている。沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したときの、地元警察、地元消防を排除した米軍の現場検証と機体押収がその典型例だ。

 米軍は、基地運用について政府の介入を許さない排他的管理権を持っている。国内法の適用が大幅に制限され、その結果、住民の権利が脅かされている現実は、半主権状態というほかない。

 この際、「4・28」を沖縄の戦後史と基地負担を考える日と位置づけてはどうだろうか。首相に提案したい。



「沖縄は政治的な質草」 大田元知事に聞く
2013年3月9日 09時54分(34時間31分前に更新)

 沖縄では「屈辱の日」と呼ばれる4月28日に、「主権回復の日」を記念した式典が開かれることをどう捉えるのか。沖縄の近現代史に詳しい元知事で、那覇市内で沖縄国際平和研究所を構える大田昌秀氏(87)に聞いた。(聞き手=政経部・新垣綾子)

 -4月28日を「主権回復の日」として式典が開かれることが決まった。

 「戦後生まれの政治家ばかりで、先の大戦や沖縄について学んでいないことの表れだ。ある時は国益を左右する重要な問題を抱える県と見なしながら、47都道府県の一つとして扱う。日本にとって沖縄とは一体何かという問いに行き着く」

 「沖縄の基地化は廃藩置県の際、明治政府が熊本の分遣隊を首里城に送り込んだことにさかのぼる。清国の軍事介入などに備え、琉球に軍隊を常駐させる前線基地を置くのが目的で、そこが他都道府県の廃藩置県と根本的に違っていた。『屈辱の日』として沖縄が日本から切り離されたのは、日本が先の大戦に負け無条件降伏したからだと思われがちだが、根はもっと深い。沖縄はそのもっと前から絶えず多数派の目的達成の手段、政治的質草として使われてきた。米国は沖縄を『太平洋の要石』と言う。人間扱いさえされず石、つまりモノであり続けている」

 -安倍政権や現在の社会状況をどう見る。

 「誰が見ても右傾化している。沖縄から上京し、オスプレイ反対や普天間飛行場の県外移設を訴えた41市町村の関係者に『売国奴』『日本から出て行け』などと沿道から罵声が浴びせられる現実もある。普天間問題で政府は、名護市辺野古の埋め立て承認のため、法律を変えてでも知事から権限を奪うことをしかねない。私は今年が沖縄の今後を決定付ける最悪の年になりかねないと心配している。基地と切り離せない改憲の動きや教育の問題もしかりだ。文部科学省の政務官がわざわざ八重山まで行って、教科書を変えるように口出しするのだから」

 -沖縄側が取り得る対応は。

 「国という大きな壁を突き破るのは非常に難しい。しかし壁の向こう側に、沖縄を思う応援団をたくさんつくることは重要だ。私は本土で講演した際などに、『他人の痛みが分かる国会議員を選んで』とよく言う。そうすれば差別にくみする法案が通ることもなくなる。さらに沖縄の差別的状況を国際的に発信することも鍵をにぎる。大学生が国連に訴えたのも新たな試みだろう。私自身が個人研究所を衣替えし、NPO法人『沖縄国際平和研究所』を設立するのもそうした狙いがある。個々の動きを結束させ、危険な流れを断ち切りたい意味で、大学教授や市民団体など多くの賛同者を集めた『平和をつくる100人委員会』のような組織づくりを考えている」















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沖縄タイムス
主権回復の式典 知事賛否示さず
2013年3月14日 10時40分(15時間58分前に更新)

 政府が4月28日に開催を決めた「主権回復の日」式典について、仲井真弘多知事は13日、「大いなる違和感」(知事周辺)を表明する談話を発表した。

 知事は式典について「平和条約の発効によってわが国の戦後の被占領状態に終止符が打たれ、国際社会に復帰した記念の日であるとの考え方と理解する」と賛否は示さない一方、条約によって沖縄が米軍施政権下に27年間置かれたことで「わが国の経済成長から取り残され、米軍政下における土地の強制収用と人権抑圧などにより、この日が現在の過重な基地負担につながる苦難の第一歩であったことを沖縄は忘れておらず、県民の中にも複雑な感情がある」と強調した。

 その上で「自民党政権としては、佐藤栄作総理が『沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後は終わっていない』と発言し、日本外交の最大の懸案として沖縄の復帰に取り組み、本土復帰が実現されたことも事実」と指摘。「県としては4月28日を県民が様々(さまざま)な困難を乗り越えて来たことを忘れることなく、未来に向け希望に満ちた歴史を作っていくための決意を新たにする日として捉えてまいりたい」と締めた。




























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