江戸城(皇居)二の丸庭園 2013-04-18
*昭和17年(1942)
12月18日
・中央医院開校、張家口。
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・軽巡「天龍」、マダン港外、潜水艦雷撃を受け沈没
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・日本軍、ウエワク、マダン(ニューギニア)占領
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12月19日
・午前9時30分、真田穣一郎作戦課長一行、ラバウル着。第8方面軍司令官・各参謀よりガ島戦に関する意見聴取。
23日発。
(加藤道雄参謀)
誰レモ自分ノ面目トカ悪者ニナラヌ様ニシテ国家ヲ危クセヌ事。一切ノ私ヲ去り、大局ヲ見テ善処アリ度。ガ島ニ於テハ悲痛ナルモノアリ。今ノ海軍ノ状態、実力カラスレバ、今奪回ハ至難ナリ。・・・此際ガ島ノ急速ナル奪回ハ断念スベキナリ。
(草鹿11航艦司令長官)
海軍トシテハ何ントカガ島ニ喰ハサネバナラヌ。然ルニ飛行機ハ殆ドツプレ、駆逐艦ハ一八隻ノミトナツタ。コレ以上潰レタナラバ国防ハ担任出来ナイカモ知レヌ。ソコニ実ニ苦シイ点アリ。・・・補給路ノ設定コレガナカナカ大変ナリ。
(井本参謀)
個人ノ気持トシテハ (ガ島奪回は)相当六ツカシイ。中央トシテハ大決心ノ必要アルへシ。・・・確算ナキコトヲ実行シテソノ結果ヲ思へパ、更ニガ島ノ頭数ヲ増加シテ失敗トイフコトトナリハセヌカ。
(今村第8方面軍司令官)
海軍ハ陸軍ノ航空ニ頼リタイトイフ気持ニアリ。実ニ意外。ガ島ハ何レニシテモ至難。ヨリテ死中ニ活ヲ求ムルノ策ナキヤヲ研究中。転換ハコチラ丈ケデ言へルモノニ非ズ。中央ハ海軍トノ関係ヲモ考へ大局約ニ策ヲ定メルへキモノ。唯如何ナル場合ニ於テモ、ガ島ノモノハ捨テテシマウノダトイフ考ヲ持タレズニ、或ル時機ニ於テ出来ル丈ケノ人々ヲ救出出来ル様ニ考へテ貰ヒ度。之レガ漏レタナラハガ島ノ人々ハ一度ニ腹ヲ切ルテアラウ
(加藤方面軍参謀長)
空元気丈ケデモ行カヌ。一歩誤レハ国ノ大事ナレハヨク考へテヤツテクレ。海軍ノ空軍卜潜水艦ト駆逐艦ノ実勢カガコンナ実カニ低下シテヰルトイフ事ハ初メテ知リ、実ニ意外デアツタ。
(神第8艦隊参謀)
海軍ノ航空ハ士官以下素質ノ低下実ニ著シ。飛行機ハ出来テ逐次補給セラレルガ、人員ノ方ハ下手クソバカリデ夜間飛ベルモノ極メテ僅少、戦技モ著シク下手、随ツテ、ミスミス潰シテシマフ。敵ニハ少シモ痛イ目ニ遭ハスコトハ出来ナイ。駆逐艦ノ方モ士気沮喪シアリ艦長以下士官、要点ノ下士官マデ配置ヲ換へナケレバ使ヒモノニナラヌモノ相当アリ。・・・ ガ島モ一時引クトイフコトモ考案ノ一ツ。・・・ガ島ノ引方ハ駆逐艦(一八隻)ヲ以テシ、最初一六隻デ引キ、第二回一四隻デ引キ、第三回ハ補助舟艇デルツセル島東西ノ線ニ退キテ、之カラ艦艇二拾ツテ釆ル。此方法ナラバ算アリ。(「真田日記」)
この頃の杉田一次参謀の見解。
「・・・第一線将兵が毎日消えて行きつつある現況に、・・・徒らに大命の蔭にかくれて、真相に対する処置を為さないのは、不真面目、安住回避である。大楠公の精神を其儘受売りして、第一線を犠牲にし、事態の急迫を顧みざる態度は最も不可なり。」。
杉田参謀は今村軍司令官の部屋まで行って、「新しく二コ師団も出して、ガ島奪回作戦をやっても、決していい結果を生みません」と言うが、奪回の大命を受けて赴任して来ている今村軍司令官は、杉田参謀の意見具申を却下。
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・対上官犯根絶対策通牒
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・石綿配給統制規則公布
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12月20日
・汪兆銘南京国民政府主席来日(−27)。
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・日本文学報国会、「愛国百人一首」選定。
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・ドゴール、ダスチエ・ド・ラ・ヴィジュリー将軍をアルジェに派遣、アイゼンハワーと会見、ジロー将軍、ダルラン提督とも会見
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・スペイン・ポルトガル、イベリア・ブロック結成協定調印(リスボン)。
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・「オーボエ」航行援助レーダーを使用した初の作戦
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12月21日
・第9回御前会議、「大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針」決定、汪政権の参戦・対中国和平工作廃止など決定
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・全国12私鉄を国鉄に統合
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・演説不敬罪裁判で尾崎行雄に懲役8ケ月執行猶予2年の1審判決、控訴
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12月22日
・元京大教授狩野亨吉、みとる人もなく没。
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・ドイツ第6軍救出作戦失敗(スターリングラード)。
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12月23日
・大日本言論報国会結成。
内閣情報局の指導監督を受け結成。
偏狭な愛国主義を鼓吹し、自由主義者への圧迫的態度をもって、言論を封殺していく。
設立準備者は野村重臣、斎藤忠、井沢弘、津久井竜雄、市川房枝、穂積七郎、山崎靖純、大熊信行らで、「大東亜新秩序の原理と構想」を国の内外に広めることを目的とし、皇道主義以外の思想を排除。
会長徳富猪一郎、専務理事鹿子木員信、理事秋山謙蔵・富塚清・匝瑳胤次、中野登美雄・橋爪明男等直接には文筆を業としない人々が幅をきかす。
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・東京、ガス割当て量超過の家庭に閉塞班出動
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・B17、ウェーキ島空襲
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12月24日
・サイパン、真田穣一郎作戦課長一行、出張の最後の纏め。ガダルカナル撤収で意見一致。
瀬島参謀は「南東方面爾後の作戦指導要領案」を起案。要点は、在ガ島部隊の撤収、ソロモン方面の確保すべき第1線はニューブリテンーニューアイルランドの線とする、東北部ニューギニアの要城を強化して将来のモレスピー攻略作戦を準備すること。
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・この日の在ガ島日本軍の電信。
糧秣事情の急迫を告げる。12月中にガ島に揚陸の糧秣は1/10定量で、これも17日には絶える。
第17軍参謀長宮崎少将から、参謀次長、連合艦隊、第8艦隊、第11航空艦隊への電報。
「今ヤガ島ノ運命ヲ決スルモノハ糧秣トナリ而モ其ノ機ハ刻々ニ迫リツツアリ」
「打続ク糧秣ノ不足殊ニ二十日以後僅カニ木ノ芽、椰子実、川草等ノミニ依ル生存ハ 第一線ノ大部ヲシテ戦闘ヲ不能ニ陥ラシメ 歩行サへ困難ナルモノ多ク 一斥候ノ派遣モ至難トナレリ」
25日現在の第38師団の給養兵額は、約6千、うち戦闘に耐えるものは2500以下(歩けない者も引鉄を引ける物はカウント)。歩ける者の3割は、12月下旬揚陸予定の糧秣前送のため配置。
第2師団の歩兵団長・連隊長は全員戦死。
砲撃による死傷は毎日十数名、多いときは20~30名。
12月中旬頃の第2師団の戦闘員は、歩兵第4連隊約450名、歩兵第16連隊約600名で、その約2/3は戦病または後方勤務、実際に第1線で戦闘に従事出来るのは100~200名。給養状態は悪化する一方。
師団全体として、各人1日1/4乃至1/6定量で、月明の為に駆逐艦輸送が出来なくなると、各部隊殆ど絶食状態となる。薬品・衛生材料も補給がなく、給養の極度の不足と重なり、12月中旬以降は師団合計で1日40名の死者がでる。
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・米麦検査令公布
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・フランス領北アフリカ総督ダルラン海軍大将、暗殺。
ヴィシー派海外総督で構成する海外領土評議会はジロー将軍を後継任命、北アフリカ民軍総司令官就任(アメリカの全面的支援、現地北西アフリカ・フランス系植民者から「非軍事及び軍の総司令官」なる称号を贈られる)。
ド・ゴールの立場;
ド・ゴールは「トーチ」作戦について完全に蚊帳の外に置かれる(アメリカに抗議するも無視)。
本国のレジスタンスや外国で活動中のフランス人の中にもド・ゴールに反感を抱く者は少なくない。
ジローは、ドイツに勝つためにはド・ゴール派を含め全ての人々が協力すべきで、本国解放以前の政府樹立は誤りと主張。アメリカも合意。
ド・ゴールが英米を向こうに回して自由フランスを主権国家として認知させるため努力し、その代表として振る舞っているが、「主権国家フランス」政府・首班はあくまで解放後の選挙によるべきとの考え。
ロンドンには諸国の亡命政府が存在するが、多くは正統政府の首相・大統領が亡命したもの、ド・ゴールは国防次官・准将でしかない。
アメリカは、ここでド・ゴールが北西アフリカ(フランス系移民150中100万以上がこの地に居住)手に入れると、ド・ゴール独裁国家出現との危惧を持つ。
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