2013年4月24日水曜日

川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(49) 「二十八 私娼というひかげの花」(その3)

江戸城(皇居)東御苑 2013-04-23
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川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(49)
「二十八 私娼というひかげの花」(その3)

昭和10年8月16日。
「(烏森の待合芳中にて)談笑する中おかみさん入り来り、この頃出入する私娼の中に一人年三十ばかりの小づくりにて男好きのする女あり。生活に困ってゐるわけではなく道楽にて私娼になりたるものの由。目の縁黒ずみ着物の着こなししだらなく見るからにすきさうな女なりと云ふに、忽ち淫動き其女を呼んで貰ひぬ。築地の明石町アパートに住める由にて待つこと半時間ばかり、おかみさんの連れ来るを見ればどこやらにて一度見たことのあるやうな女なり。女の方でも何やら不思儀(ママ)さうな面持するも無理ならず、暫くして心づけば昭和四年十月の頃中洲病院よりの帰り道、中の橋より水天宮の四辻に至る往来にて歩みながらふと何心なく言葉を交へ、其儘自働車にのせて神楽阪の待合に連れ行きしことありし其女なり断腸亭日誌九冊目十月十四日の記にしるす指を屈すれば七年前のことなり。其時には後難をおそれて番地姓名も言はずまた女の住所も問はずして別れたるなり。此夜の再会はまことに小説よりも奇なる心地したり」

のち昭和14年には、短期間だが私娼上がりの女を囲い者にしたこともある。
昭和14年4月1日
「夜九時(平井呈一君と)別れてひとり人形町の里美に至り、その主婦と相談し道子とよぶ私娼上りの女を外妾とすべきことを約す。十一時過其女来りたれば伴ひて家にかへる」
関係は1週間ほどで終るが、当時荷風は59歳。口でいうほどには枯れていない。

その3年前、昭和11年2月24日
先日知り会ったある女との交情に触れ、「恐らくはわが生涯にて閨中の快楽を恣にせし最終の女なるべし。色慾消磨し尽せば人の最後は遠からざるなり」として、遺書まで書き記した人間とは思えない元気の良さである。
私娼たちとのひそやかな、そして、自由な交流が荷風の放蕩息子の血をよみがえらせているといえようか。

荷風がとくになじんだ女、「日乗」に「春」「W女」として登場する「渡邊美代」。女性リスト16番目。
「本名不明、渋谷宮下町に住み夫婦二人づれにて待合に来り秘戯を見せる、昭和九年暮より十年秋まで毎月五拾圓をやり折折出会ひたる女なり、年二十四」とある。

この女性に心を許していたことは、
「美代子を伴うて銀座を歩み竹葉亭に飯す」(昭和10年3月22日)、
「夜美代子と銀座に飯す」(同年3月29日)、
「哺時美代子来る。根岸の吉野に往きて飲む」(同年4月26日)
などの記述からうかがえる。
自由人の荷風は私娼を連れて平気で銀座を歩き、一緒に食事をしている。
世間への遠慮はない。
50代なかばの荷風にとって若い「美代子」は新鮮だった。

一緒に「向嶋の連込宿」に出かけたこともある。
昭和10年1月5日
「哺下渡邊春子来る。車にて雷門に至り鳥屋金田にて夕餉をなす。向嶋の連込宿夢香荘といふ家スチームを引きありて暖なりといふ事、兼ねて聞きたれば、車を倩うて行く。言問橋をわたり土手を越れば一筋の廣き道あり。三階建の連込宿こゝかしこに電燈を輝したるさま大森海岸の色町に似たり。十一時頃帰る」

この日の記述によれば、この「渡邊春子」(美代子)は、17、8の頃、映画俳優岡田時彦の「情婦」となり、一時、一緒に暮していたことがあるという。
「さてまたこの春子の時折逢ふことを楽しみとする男には、前田男爵あり、画工××あり」ともある。

さらに驚くのは、彼女があるとき「情夫」を荷風に紹介したことである。
昭和10年4月5日
「美代子と逢ふべき日なればその刻限に烏森の満佐子屋に往きて待つほどもなく美津子は其の同棲せる情夫を伴ひて来れり。会社員とも見ゆる小男なり。美津子この男と余とを左右に寐かし五体綿の如くなるまで婬樂に耽らんといふなり。七時頃より九時過まで遊び千疋屋に茶を喫して別れたり。」

こういうこともある。
昭和10年8月3日
「哺下美代子及び其情人渡邁生と烏森の芳中に会す。奇事百出。記すること能はざるを憾しむ」

昭和12年2月3日
「夜八時W生其情婦を携来る。奇事百出。筆にすること能はざるを惜しむ」

荷風はこの奇妙な夫婦と親しく付き合っている。すでに自らを世捨人としている荷風には、学者や文壇作家との交際よりも、彼らのような世をはばかる人間たちとの付き合いのほうがはるかに楽しかったのだろう。

「濹東綺譚」が「東京朝日新聞」に連載された昭和12年にはこの「情夫」とよく玉の井にも出かけている。
4月2日
「燈刻銀座にてW生に逢ひ共に濹東を歩みてかへる」

4月12日
「W生と銀座に飯し濹東を歩む。三更前帰宅」

そして単行本「濹東綺譚」が上梓されるとそれを「W生」に送っている。
10月18日
「晩間渡遠生より電話あり。濹東綺譚を贈る」

まるで「W生」は、亡友井上唖々のようだ。
私娼とその情人と交誼を結ぶことで、荷風は時代にさらに背を向け、失なわれた過去へと戻ろうとしている。
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