もくじ
第1章 真鍋の桜(茨城県)
1 校庭の桜の木
2 ソメイヨシノ
3 戦争と桜と日本人
第2章 根尾谷淡墨桜(岐阜県)
1 齢一千年を越えてなお
2 継体天皇ゆかりの桜
3 薄墨・菊花石・天皇
第3章 醍醐桜(岡山県)
1 ”赤ケット”の記憶
2 後醍醐天皇お手植えの木
3 水神・守護霊・春の木
第4阜 山高神代桜(山梨県)
1 樹齢二千年!
2 老樹に会う
3 ”咲く”は老いの証
第5章 石部桜(福島県)
1 会津五桜
2 幸の里の血潮
3 白虎隊の少年たちを想う
第6章 荘川桜(岐阜県)
1 御母衣ダムの建設
2 二本の老樹の移転計画
3 荘川桜友の会
第7章 常照皇寺の九重桜(京都府)
1 京の都に「雅」を求めて
2 今は力なく色褪せて
3 「梅」か「桜」か
第8章 伊佐沢の久保桜(山形県)
1 大地の「角」
2 田村麻呂と三本の桜
3 「ミヤコ」対「ヒメ」
第9章 高麗(こま)神社のしだれ桜(埼玉県)
1 遠く「高句麗」にさかのぼる
2 奥武蔵の風景
3 桑畑に働き、桜に心を癒す
第10章 桜株(東京都)
1 オオシマザクラへの船旅
2 火山の島の生命力を映す
3 「役行者」と「桜株」
第11章 三春滝桜(福島県)
1 桜久保のはなやぎ
2 日本人の心と「シダレ」
3 ねがはくは花のしたにて……
第12章 狩宿の下馬桜(静岡県)
1 最古最大のヤマザクラ
2 霊峰富士とサクラ
3 宣長が感じた光の中へ
あとがき
著者紹介
付録 牧野和春・選 サクラの主要老古木一覧
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いま旬の桜、
第5章 石部桜と第11章 三春滝桜は、先に紹介した。
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第1章 真鍋の桜(まなべのさくら 茨城県土浦市)
1 校庭の桜の木
茨城県土浦市立真鍋小学校の「お花見集会」
・・・「さくら」の調べがマイクロホンを通して流れ始めると、正面玄関前をスタートした六年生児童が、全員ひとりずつ、幼い児等をおんぶして一組となり、桜を中心に輪になっている児等の、その外側をかけ足で一周する。
児童等はいっせいに拍手。
先生たちも笑顔でこれを迎え、一緒に拍手……。
わあーツと歓声に包まれる校庭。
それが鉄筋三階藩の白亜の校舎に反響する。
おんぶしているのは最上級の新六年生。
おんぶされているのは新しく入学した〝新一年生″たちである。
・・・茨城県土浦市立真鍋小学校(土浦市真鍋町四-三-一)である。
新学期を迎え、入学式に続いて真鍋小学校が毎年続けている新入生を迎えての「お花見集会」なのである。
ここの桜は「ソメイヨシノ」である。・・・
胸高の周囲約五・一メートル、樹高十一メートルもあり、ソメイヨシノでは第一級の老樹であり、また巨木でもある。その意味で昭和三二年、茨城県天然記念物に指定され、真鍋小学校がその管理者となっている。
学校そのものは明治十年(一八七七)六月三日(これを創立記念日とする)の創設である。
このとき、「真鍋学校」の名称で、当時、西真鍋、長松院に開校したのであった。
つまり、当時どこでもみられたように、取りあえず寺院を校舎に当てての発足である。
・・・明治十五年四月、真鍋小学校と改称、そして明治四〇年、現在地に新校舎が落成して同小学校の新しい歴史が始まった。・・・
実は、校庭にあるソメイヨシノの巨木は、その校舎新築を祝って、その年の春、卒業した六年生たちが醵金(きょきん)して学校に贈ったものだという。・・・
「真鍋のサクラ」が有名になり始めるのは昭和五七年からで、この年四月、NHKテレビが全国に放映した。
その後、民放も含めてしばしばこの桜と児童等との交歓風景はテレビ放映され、小学校校庭のなかの桜の巨木として広く知られるようになった。
2 ソメイヨシノ
「ソメイヨシノ」については、殊にその起源をめぐってかねていろいろにいわれてきた。
一般には、ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの自然雑種で、江戸末期に、江戸、染井村に住む植木屋が保護育成して売り出し、ソメイヨシノの名称で急速に全国に普及した、ということで通っている。
明治中期以降普及したがルーツは不詳
三好学はその著『桜』(昭和十三年、冨山房刊、一四六頁)の中で「染井吉野」を取り上げている・・・。
『江戸名所図会』・『東都歳事記』・『江戸花暦』などは勿論、広重の浮世絵に現れた上野向島などの桜の景色は殆ど皆山桜である。
又、清親の花見の絵などにもよく山桜が画かれている。
私は江戸に生れ維新の時国へ行つたが其頃の江戸の桜は幼少で覚えがない。
明治十五年から東京に住んで、在学の余暇花見に行った。
此時代にはまだ山桜が多く、染井吉野は少かつたやうである。
(中略)
染井吉野は生長が盛んで早く花が見られ、又挿木で容易に繁殖するから、随つて苗木の供給が豊富で、価も亦安い。
山桜のやうに優美な特徴はないが、花の時には葉が出ないから満樹皆花で、単調ではあるがもてはやされる。
(中略)
染井吉野は兎に角明治の中頃までは珍しかつたから、…(以下略) (以上、旧かな)
明治期におけるソメイヨシノの存在が右の一文でうかがわれる。
また三好は「染井吉野は朝鮮系統の桜と認められるが、併し東京へ移植された経路は明かでない。
唯明治の初頃染井の植木屋で培養されたやうに言はれてゐる。此桜を俗に吉野と呼ぶが、大和の吉野山の桜は山桜で、これとは別種であることは述べるまでもない」(旧かな)とも記している。
では、最新の学説はどうか。
川崎哲也解説『日本の桜』(山と渓谷社、一九九三年刊)の「ソメイヨシノの起源」(一六三頁)の記述を要約してみる。
①伊豆大島原産説があったが誤りと判明。
②小泉源一が済州島説を提唱。つまり、済州島より、船乗りがサクラを吉野権現に献上、のち染井村の植木屋が吉野詣での帰りに持帰り売り出したというもの。これも、吉野山にソメイヨシノが発見されず否定。
③一九一六年、米国植物学者アーネスト・ウィルソンが、オオシマザクラとエドヒガン雑種説を提唱。国立遺伝学研究所竹中要が、交配実験によりウィルソン説を確認、一九六五年、結果を発表、伊豆半島発生説を妥当とする見解に立つ。
④岩崎文雄は、染井村の植木屋伊藤伊兵衛政武こそ、ソメイヨシノの作出者と唱え、伊豆半島発生説を否定。
⑤荻沼一男はサクラの染色体研究の立場より、エドヒガンとオオシマザクラのF2ではなく、F1の自家交配またはオオシマザクラとの戻し交雑の結果と考える。
⑥北アメリカの学者より、ソメイヨシノは雑種起源ではなく、独立した種との新説出さる。
以上のうち、特に後半の二説は最近のものであり、ソメイヨシノの起源について、学問的な詰めにまでは至っていない。
ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの、それぞれの長所を遺伝的に受け継いでいる
・・・ソメイヨシノは葉に先立ってまず花が咲き、しかもその花びらは大きく、いかにも見栄えがする。
更に生長もはやく、根付きもよいからまたたく間に全国に普及した。
「ソメイヨシノ」という名前は『日本園芸雑誌』(明治三三年発行)に藤野寄命が発表した「上野公園桜花の種類」と題する論文ではじめてつけられ、その翌年、松村任三により、学名としても命名された。
従って、江戸、染井村(現在の東京都豊島区駒込あたり)の植木屋が発売した「吉野桜」の名前は、本場の吉野よりクレームがついたものの以後、「染井吉野」の名称で流通することになった。
しかし、木の寿命は比較的短命で、六〇年とも八〇年ともいわれる。
かくて学説上、ソメイヨシノのルーツはかたまっていないわけであるが、ソメイヨシノの、葉に先がけて花が咲くのは、エドヒガンの特徴であり、また花びらが大きいのはオオシマザクラの特徴であろう、と一般にいわれている。
いってみればソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの、それぞれの長所を遺伝的に受け継いでいる、とも解釈されている。
ソメイヨシノが驚くべき短期間に日本列島全域に広がっていった理由もこんなところにあったのであろう。
3 戦争と桜と日本人
(略)
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桜伝奇―日本人の心と桜の老巨木めぐり
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