2013年4月27日土曜日

靖国参拝の意味 『戦死やあわれ』 「死地に赴くことを強いた指導者たちと一緒に「尊崇」され、“竹内たち”(戦死者)の心は安らぐことができるのか。」

北海道新聞
戦死やあわれ

彼は漫画の好きな少年だった。読むだけではない。三重県の宇治山田中学(旧制)3年の時には、描きためた作品を「まんがのよろずや」という個人誌にまとめた
▼それは友だちの間で回し読みされ、面白いと評判になったそうだ。感受性も想像力も豊かだった。上京後、1浪して日大専門部(現芸術学部)に入った。映画や文学を愛し、生涯にわたって多彩な色の花を咲かせたはずだ。戦争に引っ張り出され、つぼみのうちに命をむしり取られなければ―
▼彼とは、竹内浩三(1921~45年)。<戦死やあわれ/兵隊の死ぬるやあわれ/とおい他国で ひょん(、、、)と死ぬるや/だまって だれもいないところで/ひょん(、、、)と死ぬるや(後略)>の詩(「骨のうたう」)で知られる
▼おとといの参院予算委で、安倍晋三首相は閣僚の靖国神社参拝について「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ」と述べた。参拝した麻生太郎副総理は「祖国のために命を投げ出した(・・・・・・・)人に政府が敬することを禁じている国はない」と語った
▼「長生きをしたい。花のような孫夫婦にいたわられ宇治橋の渡り初めをしたい」と書き残した竹内は、<命を投げ出す>ことなど望んでいなかったろう。<とおい他国>で殺し、殺されたくなかったろう
▼死地に赴くことを強いた指導者たちと一緒に「尊崇」され、“竹内たち”の心は安らぐことができるのか。2013・4・26



竹内浩三『骨のうたう』(1942年)

戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰ってはきましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった

ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまう
その心や




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