2014年12月2日火曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(111) 「第16章 イラク抹消 - 中東の”モデル国家”建設を目論んで - 」(その3終) : 「グアンタナモ収容所の”愛の部屋”に入れられた拘束者と同じく、イラクの全国民がポテトチップスとポップカルチャーで買収されようとしていた。少なくともそれが、ブッシュ政権の描いていたイラク戦後計画だった。」

新宿御苑 新宿門辺り 2014-12-02
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恐怖の誘導
尋問テクニックとしての「器具の提示」あるいは「恐怖の誘導(ファイヤー・アップ)」
 イラク侵攻の日が近づくと、国防総省はアメリカのニュース・メディアを巻き込んで、イラクに「恐怖を誘導する」戦術に出た。

 開戦一ヵ月前、CBSニュースのレポートは次のように始まった。
「その日は”Aデー”と呼ばれています。Aは空爆(エアーストライク)を意味しており、イラク軍の兵士たちが戦意を失うほどの徹底攻撃が加えられる予定です」。
 次に『衝撃と恐怖』の執筆者の一人ハーラン・ウルマンが登場し、「その一斉攻撃には言うなれば広島の原爆のような効果があり、何日とか何週間単位ではなく数分で片をつけることができる」と説明した。
 キャスターのダン・ラザーは最後にこう締めくくった。
「今回のレポートには、イラク軍を利すると国防総省がみなしている情報はいっさい含まれていないことを、はっきり申し上げておきます」。・・・この時期の他の多くの報道番組と同様、このレポートも国防総省の戦略 - 恐怖の誘導 - と不可分の関係にあった。

 開戦一週間前、・・・国防総省がワシントンの軍事担当記者を特別にフロリダのエグリン空軍基地へ招き、MOAB(公式には「巨大燃料気化爆弾」の略称だが、米軍内部では誰もが「すべての爆弾の母(マザー・オブ・オール・ボムズ)」と呼ぶ)の投下実験を見学させたのだ。重量約九・五トン。この巨大爆弾は非核爆弾としては未曽有の威力を持つもので、実験を見学したCNNのジェイミー・マッキンタイヤー記者は、「高さ三〇〇〇メートルのキノコ雲はまるで核兵器を思わせます」とレポートした。
マッキンタイヤーはさらに、この爆弾が実際に投下されなくても、それが存在するというだけで「心理的な効果を及ぼすと思われる」と続けた。彼自身が心理的効果をもたらす役目を果たしていることを暗黙のうちに認めた形だ。・・・同じ番組にはラムズフェルドも登場し、「連合軍の戦闘能力を明々白々に示すことで、イラク軍の戦意を著しく喪失させることが目標だ」と説明している。

戦争開始、大規模な感覚遮断、最初は聴覚の遮断
 米軍部隊がバグダッドに接近していた二〇〇三年三月二八日の夜、通信省が爆撃され炎上した。それとともに、市内四ヵ所の電話局が地中貫通型のバンカーバスター爆弾の集中攻撃にあい、市内全域の電話が不通になった。その後四月二日までに計一二ヵ所の電話局が爆撃され、バグダッドの通信機能はほぼ壊滅状態なる。同じ爆撃でテレビとラジオの送受信粍能も破壊され、家の中で身を寄せ合っていた市民は外で何が起きているのか、いっさい情報を得ることができなくなった。

 空爆で心理的にいちばんこたえたのは電話が通じなくなったことだ、とふり返るイラク人は少なくない。・・・バグダッド駐在の外国人ジャーナリストのもとには、ほんの短時間でいいから衛星電話を使わせてほしいとか、電話番号を書いた紙を押しつけながらロンドンやボルティモアにいる兄弟や伯父に伝言してくれ、などと懇願する地元イラク人が殺到した。・・・その頃にはバグダッドのほとんどの薬局では睡眠薬や抗うつ剤が売り切れ、精神安定剤のバリウムは完全に町から消えていた。

次に視覚の遮断
 四月四日付の『ガーディアン』紙は停電の瞬間を次のように報じた。
「この夕方の攻撃では爆音はいっさい聞こえず、なんの異変も感じられなかったが、五〇〇万人のバグダッド市民は一瞬のうちに真っ暗闇の恐怖のなかに放り込まれた。(中略)暗闇に差す明かりと言えば、通り過ぎる車のヘッドライトだけだった」。市民は家から一歩も出られず、互いに話しかけることも、相手の声を聞くこともできず、家の外の様子を見ることもできなくなった。さながらCIAの秘密収容所に連行される拘束者のように、バグダッドの全市民が手かせ足かせをはめられ、すっぽり頭巾で覆われた。

消去された文化
なすがままにされた文化施設財産の破壊・略奪
 敵対的な取り調べにおいて、拘束者を屈伏させるための第一段階は、着ていた衣服を剥ぎ取り、その人間の自己意識を呼び起こす品物 - 心の慰めになる品物 - を取り上げることだ。多くの場合、尋問者は相手にとって特別な価値のあるもの、たとえばコーランや家族の写真などをわざと手荒に扱ってみせ、そうすることで「お前は無力だ、こっちの思いどおりにさせてやる」というメッセージを送る。まさに人間性抹殺の手口そのものだ。

 イラクでは、国民全体にこの破壊的手法が施された。
人々の目の前で、国の最重要施設が略奪行為によって穢され、歴史的文化財がトラックで持ち去られた。爆撃はイラクに深い傷を負わせたが、人々が何よりも傷ついたのは占領軍が放置した略奪行為によって、国の魂とでも言うべき大切なものが消えてしまったことだった。

 『ロサンゼルス・タイムズ』紙はこう報じた。
「何百人もの略奪者が国立博物館に押し寄せ、古代の陶芸品を叩き壊し、陳列棚を破って金製や古美術品を奪っていった。まさに最古の文明の記録が略奪されたのだ。(中略)博物館が所蔵する一七万点の貴重な文化財の八割が持ち去られた」。これまでにイラクで出版されたすべての書籍と博士論文を所蔵していた国立図書館も灰燼に帰した。宗教省の建物は骨格だけを残して全焼
し、美しい装飾が施された一〇〇〇年前のコーランも焼失した。・・・

 シカゴ大学の考古学者マグアイア・ギブソンはこう話す。
「これは言ってみればロボトミー手術のようなものだ。何千年と続いてきた文化、その文化の深遠な記憶が取り除かれてしまったのだから」

・・・略奪を行なったのは外国の部隊ではなくイラク人だった。また、ラムズフェルドがイラクの略奪を企てたわけではないのも事実だ。だが彼はそれが起きないように手を打つこともしなかったし、略奪が始まっても止めようとはしなかった。・・・

・・・国防総省は考古学の専門家から、イラクへの攻撃を開始する前にバグダッドの博物館や図書館を守るための徹底した対策を立てるべきだとの勧告を受けていた。国防総省が連合軍司令部に送った三月二六日付の覚書には、「保護対象とすべきバグダッド市内の一六施設を重要性の順に並べた」リストがあり、博物館は二番目に挙がっていた。またラムズフェルドのもとには、治安維持のために軍と同時に国際警察部隊をイラクに派遣するよう求める勧告も寄せられていた。だがこれも無視された。

・・・バグダッド市内にいる米兵のうち何人かを重要文化施設の監視にあたらせること・・・そうした任務が下されることはなかった。・・・

なかには自発的に略奪を止めに入った部隊もあるが、その一方では米兵が略奪行為に加わった事例もある。彼らはバグダッド国際空港の机や椅子などを破壊し尽くしたあげく、駐機してあった民間機内に乗り込み、狼籍の限りを尽くした。『タイム』誌の報道によれば、「米兵たちは座り心地の良さそうな椅子や記念品になるものを持ち帰ろうと、座席や備品を引き剥がし、操縦室の機器を破壊したり、手当たり次第に風防ガラスを外したりした」。その結果、イラク国営航空は推定一億ドルの損害を被った。これは多々論争のあるイラク占領初期に行なわれた部分的民営化のなかでも、イラク国家財産が勝手に競売にかけられた最初のケースのひとつにあたる。

アメリカが略奪行為の阻止に消極的だったのはなぜなのか?
ピーター・マクファーソンの場合
 アメリカが略奪行為の阻止に消極的だったのはなぜなのか?イラク占領で重要な役割を担った二人の人物の発言にその理由が示唆されている。一人はポール・プレマー連合国暫定当局代表の経済上級顧問ピーター・マクファーソン、もう一人はイラク占領下で高等教育再建事業の責任者を務めたジョン・アグレストである。

 車やバスであれ、政府施設の備品であれ、イラク人が国家の財産を盗んでいくことはまったく気にならなかったとマクファーソンは言う。イラクにおける経済的ショック療法の責任者たる彼の任務は、国家を大幅に縮小し、その資産を民営化していくことだ。つまり略奪行為は、彼の任務を後押ししてくれるものにほかならない。「国家の所有物である車やトラックが次々と盗まれれば、自然発生的に民営化が進むことになるのだから、結構なことだと思った」と彼は言う。
レーガン政権下で国際開発庁長官などの要職を務めたベテラン官僚で、シカゴ学派経済学の強固な信奉者であるマクファーソンは、略奪行為を公共部門の「縮小」だと呼んではばからない。

ジョン・アグレストの場合
 彼の同僚であるジョン・アグレストも、テレビに映し出されるバグダッドの略奪の光景に希望の兆しを見出していた。アグレストはイラクの高等教育制度をゼロから作り直すことが自分の任務 - 「二度と経験できない冒険」 -と考えていた。その意味で、イラクの大学や教育省を解体することは「新たなスタートを切るための機会」であり、イラクの教育施設に「近代的設備を導入」するチャンスだという。「国家の創設」が使命であるとすれば(そう確信する者はきわめて多かった)、旧体制の遺物はすべて、その遂行の妨げになるとみなされた。西洋の古典を重視した教育方針で知られるセント・ジョンズ・カレッジ、サンタフェ校(ニューメキシコ州)の元学長という経歴を持つアグレストは、イラクについて何も知らなかったにもかかわらず、「極力先入観を持たずに」現地入りするために、事前にイラクに関する資料はいっさい読まないようにしたという。イラクの大学と同じく、アグレスト本人も”白紙状態”になったというわけである。

 もしアグレストが一冊か二冊でも本を読んでいたなら、すべてを壊して初めから作り直すという計画を考え直していたかもしれない。たとえば経済制裁が課せられる前のイラクが中東でも最高の教育システムを持ち、アラブ世界一の高い識字率(一九八五年のイラクの識字率は八九%にも達していた)を誇っていたということも知ったはずだ。これに対し、彼の出身地ニューメキシコ州では日常生活に必要な読み書き能力に欠ける人が人口の四六%、「売上金の合計を出すといった基本的な計算能力」のない者が二〇%にも及ぶ。
だが、アメリカの教育システムの優位性を信じて疑わなかった彼は、イラク国民が自分たちの文化を守りたいと願い、文化遺産の破壊に心が引き裂かれるほどの苦痛を感じるなどとは思い至らなかったようだ。

*イラクの大学制度を作り変えるという任務にあえなく失敗し、なんの成果もあげずにイラクを去ったアグレストは、略奪行為を歓迎していた当初の考えを一転し、自らを「イラクの現実に欺かれた新保守主義者」と称する。この辺りに関しては、CPAの実態を描いたラジブ・チャンドラセカラン著『グリーン・ゾーン』に詳しい(同著はマット・デイモン主演『グリーン・ゾーン』として映画化された。

イラクは「ビジネスの門戸を開いた」
 ブッシュによりCPA代表に任命されたポール・プレマーは、自分がバグダッド入りしたときにはまだ略奪が横行し、治安回復にはほど遠い状態だったと言う。
「空港から市街へ入ると、バグダッドは文字どおり炎に包まれていた。(中略)通りには一台の車も見かけず、町中が停電していた。石油生産もストップし、経済活動は麻痺していた。街角に立つ警官も一人としていなかった」。
ところがプレマーは、こうした危機への対応策としてただちに貿易を自由化し、関税も輸入品検査もいっさい課すことなく、輸入を無制限に許可する。そして彼は到着からわずか二週間後、イラクは「ビジネスの門戸を開いた」と宣言した。
国連決議による厳しい経済制裁措置でほとんどの貿易活動を封じられ、世界から孤立していたイラクは、一夜にして世界でもっとも開かれた市場に変身した。

 略奪品を積んだトラックがヨルダンやシリア、イランなどのバイヤーのもとへと向かう一方、反対車線を走るトラックの荷台には、中国製テレビ、ハリウッド映画のDVD、ヨルダン製の衛星アンテナなどが山のように積まれていた。これらの商品は、バグダッドの繁華街カラダ地区へと運ばれて行く。

 ひとつの文化が焼き尽くされ、ばらばらに解体されるのと入れ替えに、すでに包装された別の文化がなだれ込んできた。

 この資本主義未開拓地での実験を先導すべくチャンスをうかがっていたアメリカ企業のひとつが、かつてブッシュ政権で連邦緊急事態管理庁(FWMA)長官を務めたジョー・オールボーが設立した投資顧問会社、ニュー・ブリッジ・ストラテジーズだ。同社はトップレベルの政治的コネを使い、アメリカの多国籍企業がイラクでの儲け話にあずかるための手助けをすることを約束する。
「プロクター&ギャンブルの製品をイラクで流通させる権利が得られれば、金鉱を当てたようなものだ」と、同社の共同出資者の一人は興奮気味に語る。「商品豊富なセブン・イレブン一店舗で地元の三〇店はノックアウトできるし、ウォルマート一店舗あればイラク全土を制覇できる」

 グアンタナモ収容所の”愛の部屋”に入れられた拘束者と同じく、イラクの全国民がポテトチップスとポップカルチャーで買収されようとしていた。少なくともそれが、ブッシュ政権の描いていたイラク戦後計画だった。
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