代官町通り千鳥ヶ淵堤上 2014-12-15
*昭和18年(1943)
6月11日
・連合軍、パンテレリア島、ランペデュサ島を占領(空爆のため事実上無血占領)(~12日)
*
6月11日
・デュッセルドルフ大空襲、「ルールの戦い」のピーク
*
6月11日
・ソ連軍、クルスク西方の飛行場を空襲
*
6月12日
・アメリカ第12空軍、シシリー島弱体化のための集中爆撃開始
*
6月12日
・ランペドゥーサ降伏
*
6月14日
・第1水雷戦隊司令官木村昌福、幌延海峡に着。同海峡に在泊する第5艦隊旗艦重巡「那智」艦上でキスカ撤収作戦協議。
8日、第1水雷戦隊司令官発令、10日上野駅発、11日午前、大湊で旗艦「阿武隈」に着任。すぐに幌延海峡に向かう。
キスカ東にはアムチトカ島、西にはアッツ島の敵航空基地があり、敵艦隊配備も厳重で、作戦成功には北方特有の海霧を利用し、隠密に突入して守備隊を乗艦させ、隠密に離脱するしか方法はない。
*
6月14日
・東條首相、チャンドラ・ボースの執拗な要望によりこの日初めて会う。
東條は、ボースに関心を持ち翌日も面談。ボースは、日本軍のインド進軍を要請。
*
6月14日
・「米の対日憎悪 低劣極む輿論調査
【ブエノスアイレス十一日発同盟】ニューヨーク来電によれば、米ギャラップ輿論調査所は最近「戦後米国は日独両国民との親交を回復し得るか」との質問のもとに輿論調査を行なったが、十一日発表された結果によれば、「ドイツ国民との親交を回復し得る」との回答を与えたもの六十七パーセントに対し、「日本国民との親交を回復し得る」としたものはわずか八パーセントにすぎず、米国民の対日憎悪感のいかに強いかを如実に物語った。ギヤラップ調査所は、報告を寄せた米国人が日本人を誹謗した形容詞の中で発表出来るものだけとの断り書きで、その一部を公表したが、「野蛮、野獣の如き卑劣なる狂信的、未開の、汚い、信頼し得ざる」等々の低劣なる言葉のみで、米国民自身こそ文明国民の資格なき野獣の如き思想をもった民族であることを物語っている。」(清沢『暗黒日記』)
*
6月15日
・第82帝国議会。
*
6月15日
・アメリカ軍日系人第442連隊と第100大隊合流、引き続きイタリア戦線に投入
*
6月15日
・ドイツ軍アラドAr234ジェット爆撃機初飛行
*
6月16日
・工業就業時間制限令、廃止。女子・16歳未満男子の残業制限が緩和。
*
6月16日
・赤尾敏、帝国議会で東条英機を攻撃。懲罰委員会にかけられる
*
6月16日
・鉱夫労役扶助規則に特例として、女子年少者の労働条件を改正
*
6月16日
・ルンガ沖航空戦
ラバウルの海軍航空隊、ガダルカナル島付近の敵艦船撃滅戦を実施。大損害を受ける
*
6月16日
・「昨夜、太田永福君と成沢君〔金兵衛、朝日新聞社員〕訪問、半年の内に二人の男子を胸の病気で失いし由。気の毒なり。
太田君の話し -
友人のところに千五百人の職工見習い来たる。けだしその戦需産業が認められたからだ。ところが、これを訓練するのには六ケ月かかり、かえって熟練職工の能率を削ぐ。その上に寄宿舎なく、また布団もなく、食料もない。そこで警視庁に行って、切符を得たが、布団綿は東京で得られず、京阪名古屋辺を廻って、ようやく五百人分を得て、一枚ずつ与えているという。
議会開会。企業整備と労務者の再配置 - 労務対策は貸銀釘付け停止の小出し変更。
形式主義は総てに表現す。外交に、統制に、政治に。」(清沢『暗黒日記』)
*
6月17日
・「昨日議会の施政演説で東条首相は、全然、米英の立場を理論的に攻撃せず。惜むべし。何故、かかる機会において敵の政策を破砕せんとせざるや。思想戦争に処してこれでは駄目だ。
東条首相が言ったのは戦争のことと、フィリッピンの独立およびタイへの協力についてだけである。
昨夜ペン倶楽部あり。
谷川徹三君の話し -
支那大学生の内、五、六割は排日、一割は親日、他は日より見であると南京でいった。北京に行ってそれについて聞いたら、大体そうだが、日より見が多かろうといった。
北京あたりでは毎日二、三百名ずつ餓死者がある。支那(北方)を三つに仕切る。日本占領区、共産区、重慶側区と。しかしてこの内、日本占領区に食糧問題その他で爆発する機会が多い。
支那ではダンス・ホールは全部閉めている。そのためマカオが非常な賑いだという。
日本内地の神がかり的な言辞は外地では少しも分らず、それは馬鹿にされるのみである。この点は現地の参謀などが一致して認めるところである。しかるに帰朝してみると依然然りである。
柳沢健君の話し -
支那とタイと同じような状態にある。日本の国策映画は入場者六、七人。仕方がないから、その後をドイツ映画をやった。ところがエノ健などをやるとワッサワッサ人間が来る。「どうぞ、国辱ものを輸出して下さい」と僕は情報局に話した。
宣伝ラジオが、今のような面白くないものでは駄目だと堀〔公一〕情報官に話した。それをそのまま - 少し誇張して情報局に話してくれというので、高等官連に話した。そうしたら、「内務省の検閲課に話してくれ」といわれた。ここでも話すつもりだ。
タイ国民はいう。大束亜戦争で日本は得るところがあるが、タイ国は何を得るかと。
松岡〔洋右〕外相のタイと仏印との争議仲裁は、タイ国に深甚な不満を与えている。日本には一方交通で、対手の事情が分らなかったのだと。
東条首相の演説に対する感想を満州国、タイ、比島その他から集めて、新聞紙とラジオで大々的に取扱っている。こうした子供らしい自己満足が、世界をして日本を侮辱させることになるのだ。」(清沢『暗黒日記』)
*
6月17日
・「晴。午後落葉を焚き藪蚊を追ひつゝ茂りし椎の木蔭に椅子を持出で読書の後ふと興の動くがまゝ手帳に小説の筋書をしるす。此日蒸暑甚しく机に向ひ難し。椎の木蔭は日を遮り涼風絶えず崖の竹林に鳥の声しづかなり」(永井荷風『断腸亭日乗』)
*
6月18日
・朝鮮郵便年金令公布
*
6月18日
・平塚清一大尉、「八連特」砲術参謀としてニュージョージア島ムンダ着任。
*
6月18日
・「昨日、三宅晴輝君の話し。
同君の友人の一人は、我国に革命必至なるを信じ、浅川近くに田畑、山林を買って移ることにした旨を語った。友人とは大内兵衛君にあらざるか。
鴫中雄作君の話し。
近くの奥さんが交番に呼ばれ、「女中を使うなどは贅沢だ。空地があったら、産業選手〔戦士〕に貸してやれ、掃除などしなくてもすむだろう」といったという。
右のような話しから見ても、社会の根底に赤化的流れが動いていることを知り得る。予はかねてから空襲下に略奪不可避を言って来た。また食料難から革命的騒擾の出現をも予想して来た。ただ、これを避ける方法を講じ得ないのは何という不幸であろう。
戦争の深化 - 食料難 - 騒動 - 内閣更迭 - 動揺の継続 - 和平論の抬頭 - 革命的変化 - そのような順序をとるのではあるまいか。
議会はただ自己欺瞞のみ。不思議なる国民である。かかる自己満足で満足しうるとは。信ぜんと欲することは信じ得る国民だ。
加藤武雄君〔作家〕が朝鮮から帰っての話し
朝鮮人の間に日本に対する不満がある。在鮮日本人は、これを見て、しかも知らぬふりをしている。自分はこの事を警告して来たと。
予は、米国の戦後要求の中には、朝鮮独立という如きことはあるまいが(それは合法的に行われたものだから)しかし、国民投票によって帰去を決するというようなことはあろうと話した。
嶋中雄作君の話し
中央公論社だけは陸軍省へ出入りを差止められたと。何でも谷崎の「細雪」を早く、とり止めなかったというようなことであったらしい。
議会で重光外相が初答弁した。出来栄(できばえ)は不明だ。その要旨は米英は破壊政策で、我国はアジアの解放を以て精神とするというのである。これも米英の欠点を指摘する点が少ない。
世間、心中はなくなった。男女道徳観の変化だ。すなわちそうする社会的必要がなくなったのだ。
近頃、最も増した犯罪は強姦だそうだ。」(清沢『暗黒日記』)
*
6月18日
・ウェーベル・インド総督就任。
*
6月19日
・大本営政府連合会議、北樺太石油石炭利権を松岡書簡にそいソ連に有償移譲と決定。
*
6月19日
・「笠原清明、銀星〔レストラン〕をやめて南方に行きたいといっている。正直者で、闇の問題には、いよいよこりたと見える。
現在、世の中に幅をきかしている者は馬鹿か便乗主義者である。
野口米次郎、徳富蘇峰、久米正雄その他がある。鶴見祐輔、永井柳太郎の如きもその一人であろう。出世主義者の世の中だ。
室伏高信の話しに、大東亜戦争前に、情報局の間接後援で、高田保馬・本位田祥男その他の学者が集まった。開戦を促行させるためである。その内、戦争に反対したのは室伏のみ。中に天羽〔英二〕がいたが、これは反対のような口ふんだった由。役人あてにならず。」(清沢『暗黒日記』)
*
6月19日
・ソ連、リトビノフ駐米・マイスキー駐英大使召還。
*
6月20日
・フィリピン政府内務長官ラウレル博士、独立準備委員長就任。
*
6月20日
・アメリカ、デトロイトで人種紛争(~22日)。死者34人。
*
6月20日
・イギリス『ベリコーズ(喧嘩好き)』作戦(イギリスとアルジェリアの空軍基地を使った往復爆撃作戦)
*
6月21日
・戦艦武蔵艦長有馬馨少将、兵学校教頭となる
*
6月21日
・アメリカ軍ニュージョージア島上陸
*
6月21日
・フランス、「全国抵抗(レジスタンス)評議会」議長ジャン・ムーラン、逮捕。
*
*
*
0 件のコメント:
コメントを投稿