2014年12月20日土曜日

明治38年(1905)1月29日~31日 週刊『平民新聞』廃刊(第64号) 全紙を紅血色に印刷(マルクス『新ライン新聞』発禁措置後の終刊号に倣う)。巻頭「終刊の辞」 「吾人は涙を揮ふて、茲に平民新聞の廃刊を宣言す。」   

カンツバキ 2014-12-19 北の丸公園
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明治38年(1905)
1月29日
・週刊『平民新聞』廃刊(第64号)
全紙を紅血色に印刷(1849年5月1日マルクス『新ライン新聞』発禁措置後の終刊号に倣う)。巻頭「終刊の辞」。1年2ヶ月。別に同志が発行する『直言』がこれに代り、平民社機関紙となる(2月5日発刊、9月10日廃刊)。第2面に「露国革命の火」。

■終刊の辞
「吾人は涙を揮(ふる)ふて、茲(ここ)に平民新聞の廃刊を宣言す。
夫れ平民新聞が、天下同志の公有の機関たるは、久しく既に誓盟せし所也、而して其命脉の幾度か絶えんとして絶えず、能く今日に至れる者、亦天下同志が一致協同の力に依れるは、吾人の深く銘肝する所也、而も今や突如として敢て廃刊の事を言ふ、吾人が天下同志に負くの罪、甚だ軽からざるを覚ゆ」

「……微力なる平民新聞は既に刀折れ矢尽きて其守りを失へり、又天下同志の活動の堡砦たる能はざるなり。事鼓に至る。瓦全せんよりは寧ろ玉砕すべきのみ」

「回顧すれば本紙創刊以来一年と二個月、吾人の性迂にして計拙なる、所期の万一を達する能はざりしと雖も、然も尚吾人は吾人の言ひ得る所を言へり。吾人の為し得る所を為せり。即ち全力をこれがために注ぎて一毫も自ら欺く所なく所志を点検してはなはだやましき所なきは吾人これを公言するに躊躇せず、而して此間に於て自然の気運、世界の大勢は急転直下して、社会主義運動は、実に偉大の発展を為し、一年の前を想ふに殆ど隔世の感あるは、吾人の窃かに愉快とする所也。
但だ平民新聞の刊行は廃すと雖も、社会主義の運動は是より益々活発ならしめざる可らず、壮烈ならしめざる可らず、鞏固ならしめざる可らず、有力ならしめざる可らず、平民新聞は一粒の麦種となって死す、多くの麦は青々として此より萌出でざる可らず」 

「鳴呼、我平民新聞、短くして且つ多事なりし生涯よ、誰か創刊の当時に於て爾(か)く多事にし爾く短き生涯なるを思はんや、独座燭をまえ剪(きつ)て終刊の辞を艸すれば天寒く夜長くして風気蕭索(しようさく)たり」

■英文欄「平民新聞の告別」
「吾人は今や、裁判はなお大審院において継続中であるが、政府によって禁止されんよりはむしろ自発的に、本号を以て吾人の新聞の発行を中止するに決した。」

続いて、「廃刊の辞」では抽象的に言及された新しい機関紙について具体的に言明。
「幸ひにして吾人のある同志は、『直言』と称する週刊新聞を発行してゐるが、今後はこれが日本社会主義者の中央機関と見傲されやう。今や吾人はしばらく吾人の筆を擱くが、しかし更に数語を宣言せんと欲する。曰く、日本は正義と人道のために野蛮国ロシアと戦つてゐる高度の文明国である、されどこの国には言論の自由がない。」

■英文欄「捕虜の間の宣伝」
「吾人は数月前、スイスとアメリカのロシア人同志から数百部の社会主義小冊子を受取った。彼等はわが国における戦時捕虜の間に分配する目的に出で、そして吾人は種々の理由による延引の後、最近に至って目的を達するを得た。吾人は捕虜が他日、社会主義思想を体得して帰国しロシア全土に普及している革命的精神を、大いに促進せんことを望む」

■英文欄「利得か損失か」
「現状に関する限り、日露戦争はロシア国民全体にとって有利である。但しツァーリ(皇帝)と彼の政府とにとっては、致命的であるかも知れない。ロイテル電報が吾人に語るように、ロシア人は首都でも地方でも戦争の進展を阻止すべき彼等の決意とひとしく、現在の戦争に対する彼等の不満を声明すべき機会を捉えている。これらの声明は人民に死者約二千、負傷者約四千を出さしめたが、しかも一般大衆の利益はますます得られつつある。日本は如何、軍国主義と資本主義の増大、出版と言論の抑圧、ただかくの如きのみ。吾人はロシア人か日本人か、果していずれの国民が、日露戦争を通じて社会の真実にして理想的な目標に進んでいるかを知らない」

■本紙廃刊に就ての注意
『平民新聞』に代って社会主義の中央機関となった『直言』は、内容、体裁、紙幅および発行回数を『平民新聞』と同一に改め、2月5日を第2巻第1号とする。
編集には旧『平民新聞』同人が当り、その執筆者は従来の『平民新聞』寄稿家である。
『直言』の発行所は府下新井村の「直行社」で、平民社は売捌所に過ぎないけれども、それは形式上のことで実際には『平民新聞』が『直言』と改称したということ。
『平民新聞』は消滅したが「平民社」は依然として存在し、堺、西川、石川、神崎、松岡(文子)等が常住して隔週の社会主義研究会、月1回の婦人講演会は従来の通り楼上に開かれる。
『平民新聞』の前金購読者に対しては、その払込みずみ購読料を読者の同意を得て『直言』に振替える。
最後に旧平民社の維持のために募集した寄附金は893円33銭、旧社会主義協会から交附された73円31銭の合計963円46銭を有している。このなかから、罰金および没収印刷器械賠償のために支払わねはならぬうえ、新局面を迎えた運動は多々益々資金を必要とする。よって今後は「運動基金募集」に改め、その受附、保管、および支出は平民社の堺がその責任に当り、今後『直言』紙上において報告する。
「運動基金募集」に関しては、平民社相談役の小島竜太郎、加藤時次郎、佐治実然、木下尚江(安部磯雄がぬけている)のほか、幸徳、堺、西川、石川、斎藤(兼次郎)が署名して責任を明らかにした。

■木下尚江「平民新聞を弔ふ」
「アゝ我児(こ)『平民新聞』明日よりは、汝、全く歴史の物なり、- 去れど汝は死せるに非ず、否な、死することを得るものに非ず、汝は紙に非ず、墨に非ず、文字に非ずして、生命なれば也、太初より太終に向て時と共に発展する活動なれば也。・・・汝は既に人の心の奥に在り、血管の中に在り、汝の目より之を見れば、爰(ここ)に汝を葬むるもの、却て汝が活動の一端なるやも知るべからず」

■運動の記事は下記3点。、
①小田、山口の伝道行商が1月21日、風雨をついて周防の椿峠を越えて富海に到着した第16回の日記、各地の団体の集会報告、
②石川・斎藤2人が「言論自由に関する請願」書を花井卓蔵、粕谷義三、立川雲平3議員を介して衆議院に提出したこと、
③今井歌子・川村春子・松岡文子等が治安警察法を改正して婦人の政談演説を聞き、政社に加入する自由を得るための請願書に500余の調印を得て島田三郎・江原素六の紹介で衆議院に提出したこと。

■「露国革命の火」
「露国革命の火の手は終(つい)に炎々として燃え上れり、吾人は諸種の電報を綜合して左の記事を作る」として、1月19日(新暦)以降の諸事件の経過推移を記述。

「露国の同盟罷工 一月十九日、サンクト・べテルプルグの鉄工場(*最大の機械工場プチロフ工場)の職工五万人は同盟罷工し、翌二十日、綿繰工場の職工八千人またこれに加はる。鉄道会社の従業員もまたこれに加はらんとし、彼等は合同して言論・集会・信教の自由、戦争の中止、国事犯の大赦等を要求せり。

二十一日 露帝の冬官に榴散弾を発射したる者あり、露帝わづかに免がる。
△露都に於て発表せられたる公報によれば、ネワ河畔における例年の祭典挙行の後、例の如く祝砲発射中、ある砲艦の一砲門は実弾の榴散弾を発射し、為に冬官の窓四個を破壊せり。此時露帝其宮殿を距つること僅かなる処に居たりと、而して此出来事は軍人中に陰謀ありたるが為めなりと信ぜらる。

二十二日 同盟罷工者は大示威運動をなし請願書を露帝に捧呈せんとす、軍隊これに発砲し死傷甚だ多し。
△全市宛然戦陣の観 二十二日、一万五千の同盟罷工者は異常なる群衆を為して婦女小児をも伴ひ、露帝に請願書を捧呈せんが為め、各方面より冬官に向つて行進せり、青年僧侶にしてガポンと称する長老(*ガボンは当時監獄の教誨師で、警察了解の下に愛国的労働運動を行なっていた。「長老」は誤り)これを指導せり。軍隊は要害の地点に於て彼等の進路を扼(やく)し、午前十一時頃より争闘を開始したり。罷工者は軍隊に向ひ『同胞を射撃する勿れ』と訴へたるに、歩兵は其銃を抛(なげう)ちたるも其他の兵はなは攻撃をなせり。殊にコサック兵は乱射を始め、男子は固(もと)より婦人小児の殺傷せらるゝもの甚だ多く、ガポン長老は或は負傷したりと云ひ、或は捕へられたりと云ひ、或は死したりと云ふ(*ガボンは社会革命党員ゴールデンバーグに救われて国外に亡命)。罷工者は電線を破壊し、障碍物を作り、鉄条網を設け、刀剣を以て自ら武装し、無政府、無政府と絶叫し、全市宛然戦陣の観を呈し、皇宮前の広場に於て多数の死傷あり。

△死傷数 公報によれば、死者七十六、傷者二百三十三と称すれども、そは殊更に事態を少にしたるものにして実際は死者二千、傷者五千に上るペしと信ぜらる。
△夜景 日没に至り争闘やゝ鎮静に帰したれども、そはただサンクト・べテルプルグの中央部のみにして、外壕地方には戦闘なほ継続せり。罷工者等はバージル島(*ネワ河中)に二個の鹿砦(バリケード)を作り、一斉射撃を被むりてなほ退却せず、市の中心に於ては夜に入りて住民みな家を捨てて逃亡し、ただ軍隊の雪中に舎営せるあるのみ。
△雑件 新聞社の職工もまた同盟罷工に加はり、新聞は一も刊行するを得ず△電燈会社に於て職工の罷工せるため処々の電燈は消滅せり、市中は暗黒となれる部分あり、市民は之を予想して蝋燭を買ひたる者多し△兵器廠の雇人中、軍人ならざる者は皆罷工に加はりたり△幾多の将校は負傷して罷工者の手に落ち、帯剣エポレットは引裂かれたり△皇帝の肖像は見当り次第、破壊凌辱せられたり。

請願書の内容については、古来専制君主に捧呈せられたる請願書中、最も直言的のものなりと称せらる。其要に曰く、
『露国人は総て何等の権利も許容せられず、職工は無法の権力に圧抑せられ、政府官僚は盗賊を以て成れり。彼等官僚は我国をして全然混乱に陥らしめ、恥辱の戦争を招かしめたり。人民は其需求要望を表明し又は国政に参与するの道、総て杜絶せらる、これ実に人権および神意に反する者なり。吾人は斯(かか)る状態に生存し居らんよりは寧ろ死を択ぶ者なり。帝よ頃はくば帝の人民を救へ、帝と彼等の間を離隔せる城壁を破壊し、以て彼等をして帝と共に施政の道を講ずるを得せしめよ。もし吾人の請願にして容れられんか、露国は幸福なるべし、然らざれば吾人は皇宮の前なる広場に於て死せん、自由か墳墓か、吾人の前途は其一を選ぶの外なし。』

然るに火の手はサンクト・べテルブルグのみに止まらず、漸くロシアの全国に燃え広がらんとするものの如し、左の諸報を見よ。
△海軍工場職工の武装 四万の罷業者武装してコルビノ(露都よりモスクワに至る鉄道線路上第一の停車場所在地にして海軍用汽罐、甲鉄等の製造所あり)よりサンクト・べテルプルグに行進し居れり。
△海軍工場の炎上 セバストーポリの海軍工場焼失せり、而してそほ黒海艦隊の水兵八千名が革命的暴動を起したる結果にして、召集せられたる軍隊は発砲することを拒絶せり。
△モスクワの同情罷工 モスクワの大鉄工場雇人等はサンクト・ペテルブルグの労働者に同情を表して同盟罷工をなし、列を作りて市中を行進し、総ての工場の労働者を呼び集めつつあり。労働者の殆んど大部分は直ちに之に応ぜり、警官は同市の銃砲店に至り銃器を没収し去れり。
△露国全土の危険 サンクト・べテルプルグに於ては形勢一時平穏なり、然れども全般にわたる同盟罷工はコヴノおよびヴィルナ二州に起れり、斯(かく)の如く各州に同盟罷工の拡がるは甚だ危険なる兆候なりと信ぜらる△コヴノに於て一万人の暴動あり、諸製造所は休業せり△露都付近の鉄道七ヴェルスタ、昨夜破壊せられたり。

形勢斯くの如し、人民は一般に激昂し、欧洲の人心また虐殺の惨を憤り、露の朝廷は殆んど風前の燈火に似たり。最後の報知によれば、露帝は労働者の代表者十二名をツァーリスエ・セロ宮(*首都郊外の離宮)に引見するに同意せりと云ふ。また別報によれば、かねて文弱にして多病なる露帝は痛心懊悩甚だしく、摂政を置くの必要あるべしと云ふ、而して彼の頑冥派の首領と目せらるゝポべドノスチェフは今や病気危篤なりと伝へらる、露国専制政治も終に壊滅の時至りたる乎。」

■「之を日本の事として想像せよ」(『萬朝報』1月25日号「言論」を抄録批判、おそら社長黒岩涙香の筆)
『萬朝報』の記事
「「△露都に於て兵民相殺す惨憺たる光景の一班は、昨今両日の我が紙上にあり。
△読者試みに之を我が国に引当てゝ仮想せよ、露都を東京とし、其の壮大なる冬官を二重橋内の宮城とし、各府県会適合して先づ代議政体創立の議を上(たてま)つり、次で京都市民熱心に改革を奏請し、改革の希望全国に瀰漫(びまん)し、延(ひ)いて内務大臣の辞職となり、人心漸く恟々(きようきよう)たらんとする時、東京市内の総ての労働者同盟罷工を做(な)し、小石川、赤羽の陸海軍造兵廠職工を始め、千住製絨所(せいじゆうしよ)、深川罐詰製造所も休業し、電燈も瓦斯も、電車も人力車も、甚だしきは新聞紙も皆休業したりとせよ。而して一万五千の労働者、増上寺の住職に率ひられて坂下門外より二重橋外に至る大広場に詰掛け、『我等に自由を与へよ、然らずんば墳墓を与へよ』と絶叫し、喧囂騒擾(けんごうそうじよう)を極めたりとせよ。而して近衛師団兵等、宮城を護衛するため、二重橋外に鉄条網を設け、竟(つい)に発砲して労働者と相闘ひ、増上寺の住職までも弾丸に中り、六七千人の死傷者を出したりとせよ。

△更らに竹橋内なる近衛連隊より、其の前々日に祝砲を放つと称して、一発の榴散弾を官城内に打込みたりとせよ。
△又更らに労働者の一群が越中島及び月島に拠り、有らゆる防禦物を備へて軍隊と対陣し、其の歩兵に対しては『同胞を殺す勿れ』と檄し歩兵幾(ほと)んど之に応じたりとせよ。
△又更らに労働者等の総代が、葉山の御別邸に在(おわ)す至尊に請願するため同所に向ふ時、川崎、鶴見若くは程ケ谷、大船等に警戒の軍隊あり、発砲して此総代等を逐(お)ひ返したりとせよ。
△露国の惨状を想ふに就けても、吾人は実に皇天に感謝するを禁ずる能はず。
△思ふに彼の戦争に反対するに極端なる論議を以てする、社会主義老中の常軌を逸すること遠き或るものと雖も、露都に於けふ彼の露人の如く、宮城前に押掛けて官兵と相闘ふが如きことを夢想だもせざるべし。
△吾人は今更ながら露国に就て、世界が大なる教訓を得たるを信ず。」

『平民新聞』の批判
「然り日本国は真に露国に就て大なる教訓を待ざる可らず、朝報記者の言ふが如く吾人社会主義者と雖も、豈に宮城前に於て官兵と相戦ふことを想像せんや。然れども若し日本の政治家にして露国の政治家の如く、日本の軍人にして露国の軍人の如く、日本宮廷の官僚にして露国宮廷の官僚の如く、而して日本人民の希望要求を容れざること露国の如く、日本人民の幸福安寧を計らざること露国の如く、要するに少数なる貴族富豪の階級が絶対の権力を握つて、多数なる人民を圧抑すること露国の如くなる事あらは、猛烈なる革命の燃へ上ること亦露国今回の事の如きもの無きを保せざる也。然れども吾人は朝報記者と同じく、万々さる不祥の事なきを信ぜんと欲す。」
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1月30日
・与謝野寛(31)、馬場孤蝶(35)、山崎紫紅(29)、小島烏水(31)、磯萍水(27)、横浜蓬莱町の美以教会で開かれた紫会講演会で講演。
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1月30日
・(露暦1/17)ロシア、ペテルブルク、操業再開工場も増えスト参加は4万3千となる。
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1月31日
・第一銀行、韓国政府と韓国国庫金取扱および貨幣整理事務取扱に関する契約を締結(第一銀行京城支店を韓国における中央銀行とし7月1日より開業)。
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1月31日
・副島種臣(76)、没。
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1月31日
・ロシア、ニコライ2世、血の日曜日事件に関し「彼らの罪を許す」と演説、人々怒る。
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