江戸城(皇居)東御苑 2014-12-17
*寛治6年(1092)
この年
・この年より前、ロスケリヌス、スコラ哲学の大問題「普遍論争」を提起。
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・フランス、フィリップ1世(41、位1060~1108)、妻ベルタ(ベルト・ド・フリース、1071年結婚)を離婚、モントルイユ・シュール・メールの城に幽閉、アンジュー伯フルク・ルシャン妻ベルトラード・ド・モンフォールと再婚。
シャルトル司教イヴォー(シャルトルのイヴォー)、結婚式出席を拒否。
1095年クレルモン公会議、教皇ウルバヌス2世、フィリップ1世を再婚を理由に破門。
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・ハインリヒ4世、トスカナ伯マティルダを攻撃。
マティルダ、休戦交渉。
ハインリヒ4世、クレメンス3世承認が先決と主張。
マティルダ、カノッサ城に籠城・抗戦。
皇帝軍、カノッサ城を包囲中に消耗、1091年に奪った拠点を放棄、パヴィアまで後退。
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・ベルトルト2世・フォン・ツェーリンゲン、シュヴァーベン対立大公としてシュヴァーベンを要求。
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・イベリア半島、モロッコからアルモラヴィド軍が侵入。イスラム世界を再統一(ムラービト朝)。
その後アルモハッド帝国が後継。既存のイスラム太守はアルモラヴィドに抵抗を試みる。
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・アラゴン・ナバーラ王サンチョ・ラミーレス(アラゴン王1063~1094、ナバーラ王1076~1094)、バスターラス攻略。ウエスカ攻略の事前工作として周辺都市を攻略(1096年11月21日ウエスカ攻略)。
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アラゴン・ナバーラ王サンチョ・ラミーレス、1086年に引き続きトルトーサを攻撃、失敗。カスティーリャ・レオン王アルフォンソ6世とジェノヴァ、ピサの海軍と同盟(ジェノヴァ、ピサが初めてレコンキスタに登場)。
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・セルジュク・トルコ、マリク・シャー、没(位1072~1092)。後継者争いによって分裂したセルジューク朝弱体化。サルジューク朝の最盛期終了、各地のトルコ人将軍が自立。
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・ビザンティン帝国、アレクシオス1世の通貨改革。
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1月25日
・正三位左大弁参議勘解由長官式部大輔大江匡房に越前権守を兼任させる。
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1月26日
・藤原忠実、権中納言に任じられ慶賀を申す。前駈21人の1人に越前守源清実が加わる。また、清実を御随身所別当に任じる。29日、権中納言藤原忠実の職事の1人に越前守源清実の子の雅職を任じる(「為房卿記」)。
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2月6日
・藤原忠実、春日祭に春日祭使となって南都に赴く。同行の大夫30人の内に若狭守藤原行綱・越前守源清実あり(「為房卿記」)。源義綱、警衛に当たる。7日、春日祭で若狭守藤原行綱ら倭舞を舞う(「為房卿記」)。
京を震撼させた義家・義綱闘争事件から1年も経たないうちに、義綱は摂関家嫡男の晴れ舞台ともいうべき儀式で重要な役割を果たしている。彼は兄不在の間に摂関家と密接な関係を結び、師実をはじめとする一族の前駆を再三つとめていた。こうして摂関家の深い信頼を得ていたために、衝突未遂事件の影響も受けなかった。
春日祭上卿一行が南都から帰京する際、南山城の木津川の綺(かはた)河原において、笠懸を行うのが恒例であった。射手の大役をつとめるのは随行した武士の郎従で、この時は義綱の郎従進藤六兼貞がその任にあたった。彼は顔色一つ変えずに的中させ、その容姿の美しさとともに居並ぶ貴族たちを感動させたという。
また、この時に義綱が率いた20騎の武士のうち、10人が五位の位階をもつ軍事貴族であった。
河内源氏歴代は受領となった際にも側近として京と関係する軍事貴族を随行させていた。
こうした軍事貴族たちと京で主従関係を締結したこと、彼らが河内源氏の在京活動を支えていたことを物語る事例。
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3月6日
・京都に大火。
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3月6日
・興福寺僧徒、山城賀茂荘の民家を焼く。
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3月13日
・地震あり。
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4月12日
・陣定で議論すべき若狭新国司の解5通を頭弁が内大臣藤原師通に渡す(「後二条師通記」)。
23日、若狭守藤原行綱申請の条々につき陣定(「中右記」)。
26日、陣定で若狭の解を議論(「後二条師通記」)。
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5月2日
・新立荘園の停止など若狭に関する5ヶ条の宣旨。
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5月5日
・朝廷、源義家の荘園の立庄を停止させる。
「殿上に候ずるの間、宣旨を頭弁に下して云く、前陸奥守義家朝臣の構立せる諸国の荘園、停止せらるべし。且は子細を注し申すか」(「後二条師通記」5月12日条)。
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6月3日
・陸奥守藤原基家、藤原清衡挙兵の意図があることを報告。
「近日、陸奥国より国解を進む、これ清平(衡)、合戦を企つると云々」(『中右記』寛治6年6月3日条)とある。
どのような事情があったかは定かではないが、義家以後の奥州において、在地勢力再編を企てた清衡の動きも考えられる。
この清衡合戦に関しては、義綱の陸奥守補任で鎮静化したようである。
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6月8日
・地震あり。
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7月2日
・上皇、金峯山に行く。
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7月27日
・相撲節会の御前内取。越前の藤井時常と安芸の藤井頼助が取合う。
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8月3日
・大風。諸国に洪水・高潮の被害。伊勢神宮宝殿、四面廊など倒壊。4日も続く。
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9月28日
・延暦寺衆徒の訴えにより、藤原為房らが流される。
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10月
・バレンシア市民、裁判官イブン・ジャッハーフ指揮下、ムラービト軍に城門を開く。カーディル王は暗殺。
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10月14日
・暗殺教団の最初の暗殺。
セルジュク・トルコ名宰相ニザーム・アル・ムルクを暗殺教団が暗殺。30年間にわたりトルコ帝国を作りあげ、スンナ派権威の再興とシーア派に対する闘争の主役。暗殺後、帝国は解体同然となる。
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11月
・エル・シド、バレンシア包囲。
1094年6月15日、バレンシア入城。
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11月3日
・若狭守藤原行綱、任国に赴任する旨を内大臣藤原師通に伝える。
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11月4日
・越前守源清実、内大臣藤原師通に米50石を献じる。
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11月10日
・京で大地震。
越後に大津波が押し寄せ、角田浜飛山砂山古潟が海没。
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12月末
・源義綱、陸奥守に任じる。藤原清衡、挙兵を計画するも中止。
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