鎌倉 長谷寺 2017-02-15
*正長2/永享元(1429)年
7月10日
・土御門内裏黒戸御所の造営は幕府の「沙汰」とされる(「建内記」同日条)。
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7月10日
・仏、王太子軍、トロワの町に入城(トロワは、9年前に王太子の王位継承権を否定した協定が結ばれた町)。トロワは、イギリス・ブルゴーニュ派の強力な守備隊を擁するが、王太子の「破棄令」(特赦)を条件に降伏。
12日トロワ発。14日シャロン前面に到着、降伏。
この日、ジャンヌ・ダルク、トロアの壕に柴の束を投入れさせる。
10日~15日、ブルゴーニュ公フィリップ善良公、パリ滞在。
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7月11日
・大和の争乱に関して、幕府は最初、大和武士の私戦という観測から、この争乱を放任する考えであった。南都伝奏万里小路時房は、護持僧三宝院満済と相談し、興福寺門跡へ宛てて、両当事者に対し兵乱に訴えず穏便に訴訟するよう教諭すべしという奉書を出した。
しかし管領畠山満家(兼河内守護)は、大和を自己の勢力下に置く好機と考え、断固たる武力介入を主張。豊田中坊の側には布留郷(現、天理市布留)の土一揆が加担しており、事件は拡大の一途を辿るかに見えた。
記録が8月より欠けているので、この時の騒動の結果は明らかでないが、挑発する者さえいれば、火がつき大火に及ぶ素地は充分にあった。
大和盆地には、勢力拡大の機を窺う群小土豪がひしめいていた。守護不設置という特殊な条件がそうさせた。
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7月15日
・フス派討伐名目で集めた募金で徴収したイギリス軍騎兵・弓兵3500、カレー上陸、パリに向う。
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7月16日
・王太子軍、ランスの町に入城。既に町に至る途上で、ランスの代表者が王大使に服従の意思表明。
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7月17日(日曜日)
・ランス大聖堂、王太子シャルル、「聖別・戴冠の儀式」挙行。
王太子シャルル、ランス大司教ルニョーから国王塗油の秘蹟を受け正統のフランス国王シャルル7世であることを天下に宣明。ジャンヌはこれに立合う。
聖別式後、国王シャルルは、ジャンヌの望みにより故里ドンレミとグルーの両村の免税の特典を与える(住民はフランス革命までこの恩典を享受)。ジャンヌはここで父母と会う。
ブルゴーニュ使節団(ダヴィド・ド・ブリムー)、ランスでシャルル7世の顧問官団と協議(ランス大司教ルニョーはブルゴーニュとの交渉派)。15日間の休戦を締結、交換にパリ明渡しを約束。実際は、この休戦期間はイギリス軍体制固めの時間稼ぎ。
ジャンヌはパリ進撃を主張。
国王シャルル7世は寵臣ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユ、ランス大司教ルニョー・ド・シャルトルの影響下から脱せず。この頃からジャンヌの主張に耳を傾けなくなる。
しかし、近隣諸都市(ソワッソン、ラン、シャトー・ティエリ、やや後にクレピー・アン・ヴァロア、ボーヴェー)が国王に服従。
国王シャルル7世の3つの欠陥:
「疑い深さ、移り気、そして嫉妬心」(年代記作者ジョルジュ・シャトラン)。
ジャンヌの栄光が自らを損なうのを恐れ、ブルゴーニュ公との和解という旧来の政策に固執。国王のパリ入城まで、この後8年を要する。
後、ジャンヌ復権裁判で、処刑裁判に参加した聖職者の多くが、シャルルの戴冠を助けた娘が異端者であることを糾弾して、シャルルの王位継承を否定するように仕組まれたと証言。
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7月20日
・シャルル7世の一行、ランスをたって、北フランスを廻る
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8月
・幕府、奉行人伺事規式4ヶ条を制定。
①結審の次第を守り出仕すべきこと、
②審議事項は3ヶ以内、
③伺の時剋、
④諸人訴訟については賦の日限を守り、次第奉行人が伺うべきこと、など。
また同月、「奉行人直請取訴状披露事」を定め、訴訟の受理機関である賦奉行に、直ちに訴状を請取り将軍家へ直接に披露することにする。管領の下部機関である賦奉行が将軍直属となる。管領の権限は大きく後退。
管領制の変質と地位低下は、法曹官僚としての奉行人体制の刷新整備と表裏の関係にあり、これらはいずれも将軍親裁=御前沙汰実施のための機構の改変である。
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8月7日
・イギリス軍(ベドフォード)、サンリスの町方面に進撃、モンテピロワの村近くに布陣。
15日、サンリス近くで両軍対峙。戦闘は行われず、国王はクレピーの町に入り、ベッドフォード公はサンリスに戻る。
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8月16日
・ランス大司教ルニョウ・ド・シャルトル、国王の使者と共にブルゴーニュ公フィリップ善良公と会見。フィリップの中立要請とフィリップの全ての要求に妥協。
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8月17日
・国王軍、コンビエーヌ入城
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8月18日
・ブルゴーニュ使節団、コンピエーニュでシャルル7世と協定文作成。北フランスに関して休戦成立
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8月24日
・武衛斯波義淳、将軍足利義教より管領(第2次)に任じられる。
義教は将軍就任以降、奉行人組織を整備し親裁体制を確立、直轄軍たる奉公衆組織を強化して将軍への権力集中を進める。
義教が幕政・領国支配から孤立している義淳を管領に就けたのは、管領制弱体化を図るため。
守護代甲斐将久は、自分の主人の義淳を評し、管領の「器に非ず」と述べている(「満済准后日記」同年8月24日条)。この人事は義教の権力を強化させるものとなる。
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8月25日
・仏、コンピエーニュ休戦協定成立。~1429年クリスマスまで。
対象地域はセーヌ川右岸の全都市・地域(パリは対象外)。ブルゴーニュ家使節団とヴァロワ王家代表団が、談合文書に交換署名。6年後の「アラスの和約」の予備条約。「モントローの謀殺」全面謝罪。
国王軍は、この間、パリ北方のヴァロワ地方に滞留。
休戦期間中のイギリス側の動き:
①イギリス国王摂政ベッドフォードとブルゴーニュ公との連携を密にする。
②ブルターニュ公、リッシュモン元帥の中立確保。
③スコットランドとフランスの同盟関係切離し。
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8月26日
・ジャンヌとアランソン公の先発隊、パリ郊外サン・ドニに布陣。セーヌ左岸を攻撃すべく川に船橋を構築。
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9月
・足利義教、富士遊覧。
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9月5日
・「永享」に改元
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9月7日
・シャルル7世、サン・ドニに到着。アランソン公は、サン・ドニに赴き、国王にパリ攻撃を説得するが、同意は得られず。
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9月8日
・ジャンヌ・ダルクの軍、アランソン侯とパリ奪還のためにパリのサン・トレノ門への攻撃開始(現在のパリ中心部パレ・ロワイヤル広場)。
ジャンヌ、腿に矢傷を受け、従者レーモンは戦死。
国王命令で発砲中止、撤退しロワールに帰る。
国王シャルル7世はセーヌ川の船橋を破壊させる。
攻撃側は「伴ってきた女の形をした生き物の言葉に踊らされていた。これが何物かは神様が知っていよう」(「パリー市民の日記」国王反対派のパリ大学聖職者の日記)。
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9月21日
・シャルル7世、ジアンで北征軍を解散、マン・シュール・イエーヴルの城に向う。
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9月22日
・将軍義教、春日社参詣のため南都下向(「看聞御記」9月21日条)。
29日、将軍帰洛にあたり、興福寺や一条院・大乗院などの子院、国人・土豪らが約2千貫を献上(「大乗院日記目録」)。
将軍の南都巡礼は政治的意味のみならず、大和守護=興福寺との経済的取引。
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9月24日
・楠木光正、捕縛。六条河原で処刑。
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10月
・土岐持頼・仁木持長・一色義貫軍2万、北畠教具(7)追討のため伊勢に再度侵攻するが、土岐持頼は雲出川の手前で攻撃続行を拒否。
北畠教具と後見人の叔父・大河内(北畠)顕雅は三宝院満済・赤松満祐を介して降伏。
幕府は和議を了承、旧領の一志郡・飯高郡の安堵・小倉宮良泰親王の京都迎奉を条件とする。
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・この頃、越智・十市ら大和南軍、蜂起。
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・秋の頃、シャルル7世、南フランスの統制強化。
ブルゴーニュ候領との境界地域に、王権をしっかり植え付ける。ヌヴェールの北方ラ・シャリテ(ロワール川沿いの町)を攻める。
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10月13日
・ブルゴーニュ公、ベッドフォードよりフランスにおけるイギリス国王代理の称号を受ける。
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下旬
・シャルル・ダルブレ、ブーサック元帥の部隊、ジャンヌと共にサン・ピエール・ル・ムーティエの町を包囲、占領。
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11月6日
・英ヘンリ6世(7)、ウエストミンスターで英王として戴冠。グロスタ公ハンフリーの「護国卿」職廃止。
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12月
・ブルゴーニュ使節団、ロンドンでイングランド政府と対フランス作戦を協議。コンピエーニュ攻略の計画成る
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・フランス国王軍、ルーアン近くのセーヌ川下流ルーヴィエの町とシャトー・ガイヤールを攻撃・占領。
この時期、アランソン公はノルマンディー遠征を提案するが叶わず。
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・シャルル・ダルブレとジャンヌ、ペリネ・グレサール守備のラ・シャリテ・シュル・ロワールを攻撃、失敗。
後、ペリネ・グレサールはイギリス側よりノルマンディーに所領を与えられる。
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・プロコプ指揮フス派遠征軍帰還、プラハで全フス派の会議開催、全フス派大遠征が計画。騎士3千5百、歩兵4万、戦車2千5百両。指揮は再びプロコプ。
遠征軍はドレスデン市・マイセン市を包囲、大砲が足りず落とすには至らず。
後、幾つかの部隊に分かれて進撃、ブランデンブルク辺境伯軍を追撃しながらその先々の都市を破壊、強掠。
ライプチヒで更に5部隊に分かれて進撃。アルテンブルク、ゲラ、ブラウエン、フランケン等を攻撃。
バンベルグ市の選帝候フリードリヒ・フォン・バンベルグは、市に対する遠征軍の攻撃を避ける為に「和平を金で買う」ことを申し出る。続いて、ジギスムントのドイツにおける本拠地の一つニュルンベルク市は、遠征軍の攻撃を避ける為に和平交渉を呼びかけ、遠征軍は応じる。
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12月24日
・ジャンヌ、シャルル7世により貴族の称号を授与される。ジャンヌ一家も貴族に列し、公的記録では兄達は「ド・リュス」の称号をつけられる。
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12月27日
・後花園天皇、即位。
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