北の丸公園 2017-02-13
*大正4年(1915)6月
・蔡元培ら、勤工倹学会を組織。
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・上海商業儲蓄銀行設立。
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・原田皐月、小説「獄中の女より男に」(「青鞜」第5巻第6号)。3度目の発禁。
貧困故に堕胎した女性を主人公とする創作。伊藤野枝は、「青鞜」同号で、安田に対し「いのち」を育んだものを堕胎することに疑問を呈する(「私信」)。
堕胎論争始まる。
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・伊藤野枚「私信-野上弥生様へ」(「青鞜」)。
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・近松秋江「閨怨」(「新小説」)。のち、「うつり香」と改題。
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・与謝野鉄幹(42)、自選歌集「灰の音」(植竹書院)。
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・吉野作造「対支外交の厳正批判」(「中央公論」)。21ヶ条要求中の希望条項7項目を撤回させた中国政府は「自前の小成功の為に永遠の損害の種を蒔いた」と、これを批判。
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・吉野作造「日支交渉論」。この年初めの21ヶ条要求の交渉緩過を論述。
「今回の要求は最小限度の要求」で、時機もよく「極めて機宜に適した処置」であると評す(「支那に対する帝国の実際的態度」)。
日本の対中国政策の理想は、「支那を強大ならしめ、何処迄も支那を助けて自主独立の国たらしめんこと」であるとするが、現実において欧米列強が中国に勢力範囲を設定し、かつこれを拡大しつつある以上、「指を咬えて傍観して居る事の出来ないのは当然」と、日本の帝国主義的侵略政策を是認。
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・三共、サルバルサンの試製に成功。
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・東京モスリン吾嬬工場に幼児保育所を設立。
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・インドからの亡命者ラス・ビハリ・ボース、来日、神戸に上陸。
ポースは4カーストのうち第2の階級(武士階級)に属するサッチリの出身、父親はインド政庁に勤める官吏。少年時代から祖国愛に目覚め、1906年以降、急進派の国民運動に参加、1912年にはインド総督ハーディング襲撃の有力容疑者として、彼の首の1万2ルビーの賞金がかけられる。ポースはインド各地を潜行、同志達と連絡を保ち、独立の為の宣伝を怠らず。世界大戦開戦後、好機到来とばかり、インド人部隊と謀り、武器弾薬を集め、本地をパンジャブ州ラホールに置き、イギリスに対して宣戦する声明を発表。初め、1915年2月21日を期して北部インド全域で一斉蜂起の計画であったが、決行前にイギリス官憲に探知され、急速2月19日に変更。しかし、またも機密が洩れ、19日早朝、戒厳令が布かれる。動具されたイギリス人部隊は、北部インド一帯を制圧、ラホールの革命党本部も急襲され、ポースら首脳部は再び潜行、時とともに加重される捜査の眼を逃れ国外脱出。
たまたま詩聖タゴールの来朝が噂される時で、変名を用いタゴールの親戚をよそおって日本郵船讃岐九に乗船、神戸へ上陸。間もなく上京、しばらく東京に身を隠す。その間、ポースは、同情者たちと面会し、武器の振供、経済的支援を訴える。
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・海軍造兵廠、1.5メートルの測距儀を製作。
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・ヨーロッパの戦況。膠着状態。
ヨーロッパ戦場は、「同盟国」軍約574万人、「連合国」軍約786万人が対峙しほぼ膠着状態。但し、戦線は「同盟国」側に有利な形を示す。
ドイツは、東西は英仏海峡岸~ロシア国境、北南はバルト海~黒海の前線を確保し、その中にはポーランド、ルーマニア、ベルギー、フランスの一部が含まれる。オーストリア・ハンガリーも、イタリア~ギリシアのバルカン地方を掌握、トルコはバグダッド~エルサレムに「君臨」。
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・モンテネグロとセルビア、北・中部アルバニアに進駐(アルバニア中立宣言強いてるにも拘らず)。
連合国は現在中立のギリシア・イタリアを敵にまわさない工作の一環として両国のアルバニア領進駐を許可。アルバニア領北部エピルスは大戦勃発直前にギリシア語・アルバニア語を公用語とする自治機関がギリシア政府の援助によって創設されており、ギリシア系・アルバニア系の殺しあいが頻発している。
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・ギリシャ総選挙。ヴェニゼロス派勝利。首相に復帰。
ギリシアの大戦をめぐる態度:
首相ヴェニゼロスは連合国(英仏露)に加担、国王コンスタンディノスは妃がドイツ皇帝妹でもあり同盟国(独・墺)に同情的。当初は連合国も戦域を限定しようとしてギリシア参戦を嫌う。
国王コンスタンディノスは、ドイツがオスマン帝国と友好関係を結び、そのオスマン帝国がギリシアと対立関係にあるため、中立に留まる腹を決める。
ヴェニセロスは連合国側に立つ参戦主張変えず、ギリシア1国でブルガリア(未参戦)・オスマン帝国との戦いは辛いので、英仏混成軍のギリシャ領テッサロニキ上陸(ギリシア軍支援)、ブルガリアの攻撃を受けた場合、ルーマニアが背後からブルガリアを攻撃すること、との要求を持ち出す。それならば、オスマン帝国本土攻撃にギリシア軍1個兵団を提供してもよいと約束。
この要求に連合国は硬化。イギリス軍はテッサロニキにまでの派兵余裕なく、ロシア(オスマン領に野心)はギリシア軍のコンスタンティノープル占領の可能性を嫌い、ルーマニアはこの時点では中立を保つ。また、ギリシア軍内部にもヴェニゼロスの計画に反対する意見が多く、参謀総長メタクサスは国王コンスタンディノスを説得。
結果、国王と対立したヴェニゼロスは辞任。
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・ティラク(インド)、「ギーター・ラハスヤ」刊行。
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・トロツキー、「『コムニスト』編集部への公開状」を書いて、ボリシェヴィキ派の祖国敗北主義、セクト主義を批判。
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6月1日
・友愛会全国労働者大会、会長鈴木文治と吉松貞弥の米国派遣決定(米の排日運動緩和のため)。
19日、渡米。労働者代表全米労働者大会とカリフォルニア州労働者大会に出席。
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6月2日
・衆議院、朝鮮2個師団増設案を可決。
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6月3日
・関東都督府、関東州普通学堂規則を公布。従来の公学堂のほか普通学堂を中国人の初等教育機関として設置。
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6月3日
・夏目漱石(48)、「道草」(「朝日新聞」連載~9月14日)。
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6月3日
・衆議院、対華外交に関して内閣弾劾決議案を上程、99票差で予期された通り否決。
政友会・国民党・無所属の一部が提出。政友会総裁原敬と国民党総務犬養毅が提案理由説明。また、政友会の動きに合せて、「国民外交同盟会」が歌舞伎座で内閣弾劾全国有志大会」を開催。警視庁は警官3千を議会~歌舞伎座の地区に配置。
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6月3日
・パリ、第1回連合国会議を開催。戦争遂行のための経済的共同体制。
後、海運統制委員会(1916.1.27)と封鎖省(1916.2.23)の設立に繋がる。
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6月3日
・イギリス軍、エジプトのアマラを占領。
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6月3日
・インドのタゴール、英政府からナイトの爵位を受ける。
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6月3日
・サン・マリノ、オーストリアに宣戦布告。
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6月5日
・デンマーク、憲法修正。女性参政権確立。
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6月6日
・三越少年音楽隊、日比谷公園で管弦楽演奏会を実施。
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6月6日
・北アルプス焼岳噴火。泥流が川をせき止め、大正池を生成。
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6月7日
・外蒙古に関するロシア・モンゴル・中国3国協定成立。外蒙古の「自治」承認。キャフタ協定。
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6月7日
・大審院、婚姻その他身分変更を禁じる芸妓稼業契約は、公序良俗違反で無効とし、前借金契約も無効であると判決。
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6月7日
・衆議院、大浦兼武内相弾劾決議案を否決。
8日、選挙干渉による内閣不信任案を否決。
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6月8日
・中国で開封・徐州間の鉄道開通。
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6月8日
・5月25日に成立した日華条約に関する批准書を東京で交換。
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6月8日
・米国務長官ウィリアム・ブライアン、ウッドロー・ウィルソン大統領の対ドイツ強硬姿勢に抗議辞職。
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6月9日
・クーロン(庫倫)の活仏、独立取り消しを宣言。中国・ロシア・蒙古の3国協定(6.7)により自治となる。
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6月9日
・ロシア、ペトログラード、全ロシア商工業代表大会、戦時工業(産業)委員会設置決定。代表グチコフ。
「一九一五年の春、武器のない軍隊が全戦線にわたって退却したとき、政府部内で、私的工業に軍向けの仕事のイニシアチヴをとらせることが決められた。それには連合国側の圧力がなくはなかった。その目的で設置された特別協議会には官僚と並んでもっとも有力な工業主たちも含められた。開戦時に生まれたゼームストヴォ同盟や都市同盟、一九一五年の春に設置された軍需工業委員会は、勝利と権力をめざす闘いでブルジョアジーを支える拠点となった。国家ドゥーマはそれらの組織に依拠することで、より自信をもってブルジョアジーと君主制の仲介者として機能するはずであった。」(トロツキー「ロシア革命史」1)。
戦時工業委員会は、これ以前に設置された火器砲弾補給強化特別審議会と激しく対立する。
火器砲弾補給強化特別審議会;
国会議長ロジャンコとロシア=アジア銀行およびプチーロフ工場をにざるプチーロフの提案。
中心メンバーは、プチーロフのほか、一連の軍需工場をにざる国際銀行のヴイシネグラツキー、割引貸付鈍行のウーチン、ソルモヴォ=コロムナ・グループのメシチェルスキーら。
ロシアの重機械工業は、国家による鉄道建設と結びつき、国家の手厚い庇護を受けて機関車製造業として発展してきた。
1905年革命後、これらの企業は、兼営銀行に成長した首都大銀行との金融資本的結合をとげ、外国資本とも結んで、軍需企業に転換してきた。首都の巨大工場プチーロフとロシア最大の銀行ロシア=アジア銀行、それを媒介とするフランスの軍需企業シュネイデル、パリのバンク・ド・リュニオン・パリジェンヌとの結びつきは、その典型的な事例であるが、その結びつきを人格的に体現するプチーロフは元大蔵次官で、ロシア=アジア銀行の頭取に天下りした人物である。
首都を中心とするこの業種の資本家たちは、政府発注の独占をのぞみ、現体制の存続に強い関心をもち、したがってツァリーズムにもっとも忠実であった。
一方、第9回全ロシア商工業代表大会は、リャブシンスキー提案を生かして、工業家自身がイニシャティヴをとり、労働者の代表もふくむ、広範な社会諸団体の代表を加えた工業動員の組織として、中央・地方の戦時工業委員会を設置することを定めた。
中央戦時工業委員会の初代会長には、南部石炭資本のアヴダーコフがなったが、9月の彼の死後、モスクワ・ブルジョワジーの古い代表者で、第3国会のオクチャブリスト指導者、現国家評議会議員グチコーフがかつがれた。実権は、副会長に収まったコノヴァーロフがにぎっていた。
かくて、戦時工業委員会はコノヴァーロフ=リャブシンスキー・グループの動かしうる全国的組織となり、火器砲弾補給強化特別審議会に集まる資本家たちと対立するものであった。
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6月12日
・杉本京太夫、邦文タイプライターの特許を得る
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6月12日
・立憲同志会、満蒙問題実地研究のため東亜研究会設立。
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6月15日
・松本悟郎「「青鞜」の発売禁止」(「第三帝国」)。
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6月15日
・京都帝大(京都大学)の総長に学内公選で荒木寅三郎を選出。この日発令。沢柳事件の結果、京都帝大は教授会の人事権・教授の定年制・総長公選などの内規を制定。
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6月15日
・蚕糸業救済措置として設置された帝国蚕糸株式会社解散。
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6月15日
・メキシコ、ビリャ軍、レオンで兵3万5千により反撃、敗北。
以後正面戦遂行能力喪失、チワワ州内ゲリラ戦に移行。カランサによる国内統一実現。
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6月16日
・袁世凱、日貨排斥運動の取り締まりを再度指示
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6月17日
・「元老の叛乱」、世間の耳目を集める。
17日、元老井上馨侯爵、病気療養先の興津の別荘から上京、麻布区の通称内田山の私邸入り。井上の「対支交渉」(中国の不振・疑惑一掃のはずが、排日気運を高め、日中親善に「永久の禍根」を残す)とその主務者加藤外相への怒りが発端。
19日、山縣が井上を訪問。
20日、大隈首相が井上を訪問。
23日、山縣・松方・大山が井上を訪問。
24日、山縣・井上会談。
25日、4元老・首相会談。元老は、首相に対し、加藤外相を駐ロシア大便本野一郎、日置公使を元駐清公使伊集院彦吉に代えよと主張。
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6月17日
・(露暦6月5日)コストロマーで警察が繊維労働者に一斉射撃。死者4・負傷9。
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6月18日
・閣議、日華国交親善に関し出先文武官憲に訓戒決定。
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6月19日
・フィンランド、金輸出禁止。
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6月21日
・大正3年臨時事件に関し公債2,400万円発行。
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6月21日
・陸軍2個師団増設などを含めた大正4年度追加予算公布。
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6月21日
・無尽講を制限する無尽業務法公布。
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6月21日
・無線電信法、染料医薬品製造奨励法、公布。
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6月22日
・中華民国、懲辨国賊条例により外国人の土地商租を防止。21ヶ条対策。
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6月23日
・全国商業会議所会頭協議会、海外貿易発展、工業発達および商工業施設などについて答申。
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6月24日
・アメリカ、連合国側に大借款を供与。
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6月27日
・岡本一平・北沢楽天ら新聞漫画記者10人、調布玉華園で第1回漫画祭を開催。この頃新聞漫画隆盛。
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6月27日
・白川友一・板倉中衆議院議員、師団増設案の通過に関する買収工作容疑で勾引。
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6月28日
・ドイツ・オーストリア・ハンガリーの経済同盟交渉。
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6月30日
・看護婦規則公布。
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