2012年6月17日日曜日

昭和17年(1942)6月27日 「築地電車通の人家を見るに二階窓の欄干格子など鐡製のものは大方木材に取りかへられたり。」(永井荷風「断腸亭日乗」)

東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-06-14
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昭和17年(1942)
6月12日
・六月十二日。晴れて蒸暑し。夕飯後淺草より玉の井散歩。
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6月13日
六月十三日。晴。南風烈し。夜金兵衛に至りで飯す。支那青嶋より持歸りし羊羹を貰ひたりとておかみさん薄茶を立てゝ馳走せり。過る日には或處にて台湾の羊羹を馳走せし人あり。あはれ不思議なる世とはなれり。
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6月14日
六月十四日 日曜日 雨。午後に霽る。谷中氏の外妾來りて身の上の相談をなす。新橋の金兵術に至り夕飯を共にして別る。風吹出で溽暑甚し。枕上其角七部集をよむ。
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6月15日
・六月十五日。晴。溽暑甚し。晡下士州橋淺草散歩。築地佃茂の店より砂糖をもらふ。
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6月16日
六月十六日。晴。石榴夾竹桃既に花あり。忍冬の花また馥郁たり。夜金兵衛に夕飯を喫す。燈下其角七部集をよむ。花つみの巻中
     妻もあり子もある家の暑かな
とありたれば獨身のわれは暑さも知らず
     湯あがりや風邪引きやすき夕涼
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6月17日
六月十七日。晴れて暑し。正午大野氏來議。
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6月18日
・六月十八日。陰又雨。晩間淺草漫歩。
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6月19日
六月十九日。陰。晩間淺草漫歩。公園興行町金龍館南側ハトヤ喫茶店の邊一帯に焼跡となれり。火事はいつ頃なりしにや。
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6月20日
六月二十日。晴。午後町會の役員來りわが家防火設備をなさゞる事につき両三日中警察官同行にて重ねて來り、その時の様子にて罰すべしと言ひて去りぬ。この頃町會の役員中古きもの追々去りて新しき者多くなりし由。その為この後は偏奇館獨居の生活むづかしくなるべき様子なり。いよいよ麻布を去るべき時節到来せしなるぺし。アパート空室の有無を電話にて菅原氏に問合せ、夜になるを待ちて銀座ふじあいす店にて會談す。菅原君居住のアパートには日下空室なけれど一二個月中には何とかなるぺしとの事なり。この夜永井智子同伴なり。銀座通の喫茶店いづれも九時に閉店。早きは八時頃に客を断るところもあり。百貨店松屋三越の黄銅の手すり皆取りはづされたり。
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6月21日
・六月廿一日 日曜日 晴。晡下五叟子愛児同伴にて來話。晩食の後深川散歩。半月暗し。
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6月22日
六月廿二日。くもりて暗き日なり。土州橋鍛治橋用事。
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6月23日
六月廿三日。晴。幸橋税務署より本年もまた文筆収入高六千圓との通知あり。政府の不義痛歎すべし。夜金兵衛に至り夕飯を喫す。鄰席に一酔漢あり喧嘩を賣る。避けて二階に上り女中に問ふにキネマ旬報とやらの記者田中某といふ者なりと云。二階の床の間に高橋箒庵の描ける茄子の絵に自賛の葉唄をかきたる一軸あり。
初なすび、身のなるはてはちぎらるゝ、ためしを白井権八が、まよひそめたる小紫、よう似た色じゃないかいな。
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6月24日
・六月廿四日。高木文氏某編者茶聖利休居士記録を贈らる。雨霽れて月よし。
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6月25日
六月廿五日。杵屋五叟佃節の流しに前びきの唄をつけたしと言ひしことたびたびなれば次の如き詞章をつくりで郵送す。五叟は琴曲の六段などに前唄あるを思出してこれにならはむ心なるべし。
上汐に風も迫手の船の内。首尾の松ヶ枝雲遠く金龍山の塔の影。見わたす景色は盃をかはすたびたびかはり行く、しらべも早き佃ぶし 合ノ手 いつか乗り込む山谷堀。うかぶ梢の水かゞみ。色なす岸につきにけり。
此日むし暑く折々雨來る。
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6月26日
六月廿六日。雨やまず。人よりたのまれし扇子に句をかきで郵送す。夜深川散歩。空はれ月まどかなり。
   さみたれや雀も馴れて軒の下
   そり返る壁の色紙やつゆの入
   鉢に植ゑて花をもめでし茄子哉
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6月27日
六月廿七日。晴。晡下土州橋に至る。その途上歌舞伎座の前を過るに建物の装飾に用ゐたる銅鐡類取はづしの最中なり。表入口の廡に取りつけし鳳凰絵看板の銅瓦も亦除かるゝが如し。新政府は劇場の建築を以て現代の美術とはなさゞるものの如し。築地電車通の人家を見るに二階窓の欄干格子など鐡製のものは大方木材に取りかへられたり。
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6月28日
・六月廿八日 日曜日 午後雷雨の後空霽る。晩間寺嶋町より千住を歩み淺草公園オペラ館に至る。館内の金具黄銅の手すり皆取除かる。道路に敷きたる溝の上の鐡板も土管に似たる焼物に取替へられたり。観音堂のあたりは暗ければ見ず。
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6月29日
六月廿九日。日暮驟雨。腹痛下痢。
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6月30日
六月三十日。燈刻雨沛然。金兵衛に夕飯を食す。歸宅後ジイドの贋金つくりをよむ。盖し二度目なり。
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