2012年1月7日土曜日

承和4年(837) 承和の遣唐使(この年も失敗) 疫病流行 水害 群盗の横行

京都 詩仙堂(2011-12-24)
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承和4年(837)

2月
・陸奥国司、弩師(どし)の設置を申請。
蝦夷が得意としたのは、弓馬を用いた戦いであり、陸奥国司が「弓馬の戦闘は、夷獠(いりよう、蝦夷)の生習にして、平民の十、その一に敵すること能わず」(『続日本後紀』承和4年2月辛丑条)と述べ、それに対抗するために、弩(おおゆみ、銃身に弓を水平に取り付け、鉄砲のように引き金を引いて矢を発射する武器)を扱う弩師(どし)を設置することを申請。
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3月15日
・遣唐大使藤原常嗣、節刀を与えられる。
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4月
・玉造塞温泉石神(鳴子火山)の噴火。
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6月21日
疫病流行
諸国の国分寺に、昼は金剛般若経を読ませ、夜は薬師悔過をさせる。
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7月
・この月、遣唐使船、再度渡海し再度失敗
修理された3隻が再び出発するが、第1、3船は壱岐島に流され、第2船も値嘉島(ちかのしま、現長崎県五島列島)に漂着。
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10月
・この月、京内の水害に際し、検非違使が、左・右の京職(左京・右京をおさめる官府)、左・右衛門府の官人とともに、飢病の人民の救恤に奔走。
検非違使の活動領域が広がってきている。
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10月7日
・右大臣清原夏野(56)、没。
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12月
群盗が京畿内に横行
この月2日、女盗2人が清涼殿に侵入して天皇を脅やかす。
また、別の盗賊の群れは、大蔵省から莫大な量の絁布(いとぬの)を奪う。
政府は検非違使だけではなく、六衛府の兵力を動かして捜査にあたらせていたが、群盗の難を根絶することはできない。
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12月11日
・大風の為、京中の民家の屋舎が多数倒壊。
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