2012年1月9日月曜日

承和6年(839) 良二千石の出現 円仁、唐での不法残留を決意

京都 法然院(2011-12-30)
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承和6年(839)

この年
・検非違使庁が、京内外に対する警察権をほぼ完全に掌握。
この年の勅により、従来の弾正台(だんじようだい)の追捕のことは、全て検非違使に一任されることになる。
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良二千石(善政をしく地方官)の出現
仁明朝における唐への使節派遣に際し准判官として一行に加わったこともある長峯高名(ながみねのたかな)は、この年、伊勢権介として行政的力量を発揮する。
『日本文徳天皇実録』は、「行なうところの政事、頗る民望に合す」と書く。
この頃、地方民(とくに土豪・有力農民)の台頭が著しく、国司に対し様々な要望が出され始め、「良二千石」の出現も、この下からの力に対応したものでもある。
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1月13日
・長安入京を許された真言宗の円行は、勅許を得て、この日、青龍寺に入る。
閏正月2日に灌頂を受けて伝法阿闍梨になる。
しかし、経典に関しては、20日間、20人の書手を雇って注釈を少し写せただけであった。
また、戒明は入京すら許されなかったという(『巡礼行記』開成4年2月20日条)。
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2月15日
・彗星出現。東西両寺に般若心経を読経させる。
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2月19日
・(開成4年2月19日)長安行きも揚州での長期滞在も許されなかった円仁、揚州開元寺を出て帰国の船に乗る。

円仁が揚州広陵館で空しく過ごしている間、同じく請益僧で長安入りを許されなかった常暁は、天台山に執着する円仁と違い、揚州近郊の栖霊寺の文璙和尚のもとで修行して太元帥の秘法を学び取る。
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4月
陸奥国奥郡の騒乱
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・この月、右近衛将監(うこのえのじようげん)坂上当宗(さかのうえのまさむね、田村麻呂の孫)と近衛舎人・俘夷(夷俘)が伊賀国に派遣され、名張郡山中で私鋳銭(通貨偽造)を行っていた群盗17人を逮捕し、鋳銭の道具と銭を進上(『続日本後紀』)。
移配蝦夷が群盗・海賊の追捕に利用されるようになる
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・地震の発生。
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4月5日
円仁、唐での不法残留を決意し、海州で帰国船を下船。
円仁たちは長安から帰ってきた大使以下と楚州で落ち合い、この時ようやく天台山巡礼を許された円載と別れる。
往路に船が破損した遣唐使第1、4船の一行は、新羅訳語(おさ、新羅語の通訳)金正南の手配した新羅船9隻に分乗して淮河を下り海辺に出る。
4月1日、円仁は円戴から預かった手紙などを帰国する一行に託す。
4月5日、円仁は唐で入手した経典、金剛界・胎蔵界両部の曼陀羅等を帰国の一行に託し、従僧の惟正(ゆいしよう)・惟暁(ゆいぎよう)と、水手で従者となった丁雄満(よぼろのおまろ)とともに海州で下船。

しかし、円仁一行は新羅僧の振りをしていたが、遣唐使一行から別れた日本僧だと見破られ、海州の武官には、病気のための滞在と言い訳をしたものの、出発が遅れてまだ海州にいた遣唐使第2船に乗船させられる。

船は山東半島の乳山湾で逆風に進路を遮られる。
4月20日、円仁はここで、新羅で張宝高がクーデターを起こして神武王を即位させたことを知る。
しかし、円仁は大宰府の役人が書いてくれた張宝高宛の紹介状を無くしてしまっていた。
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6月6日
・東西市人、朱雀大路で雨乞い
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6月7日
・円仁らの遣唐使船第2船、文登県清寧郷赤山村に着く。
円仁は、この後、円仁たちを庇護してくれる赤山法華院(せきざんほつけいん)に上る。

船は何度も出航に失敗、その間には乗り組みの人々から死者も出るが、ようやく文登県清寧郷赤山村に至る。
ここには張宝高の建立した赤山法華院があり、周りには在唐の新羅人集落がある。
翌日、円仁と従者とは赤山院に登り、僧侶たちと会い、お茶のご馳走になりそのまま宿泊する。
円仁たちと赤山法華院との最初の出会いである。

円仁一行はそのまま赤山院に滞在し、新羅訳語の僧道玄と唐土滞留の方策について相談を繰り返す。
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6月15日
・東寺講堂諸仏、開眼供養。
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7月14日
・円仁らを文登県に残し、遣唐使船第2船が出港。
円仁らは、翌年2月まで文登県の赤山法華院に滞在。

7月14日、円仁は同行してきた戒明らと別れの言葉を交わす。
16日早朝、円仁が港を見下ろすと、遣唐使船は既に出航していて見えなかった。

文登県新羅人集落の現地の管理者は張詠と言い、『巡礼行記』では、「新羅通事押衙(つうじおうか)」「勾当新羅所押衙」「登州諸軍事押衙」などの肩書きで記されている。
円仁らは、この張詠の知遇を得て、新羅人居留地の公認の外国人居住者として一冬を赤山院で過ごす

更に、張詠の紹介状と巡礼を希望する趣旨の嘆願書を何度も提出した結果、翌開成5年(840)2月24日、文登県からその管轄者である登州都督府までの通行証を得ることができる。
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7月21日
・畿内諸国に蕎麦を栽培させる。
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8月
・遣唐大使ら帰朝。
9日、遣唐使、大唐勅書を奏上。
16日、節刀返還
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8月5日
・故伊予親王に一品を、母・藤原吉子に従二位を追贈。
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