北海道新聞 社説
TPP交渉参加表明 「国益」損なう拙速な判断(3月16日)
安倍晋三首相は環太平洋連携協定(TPP)への交渉参加をきのう、正式に表明した。
首相は記者会見で、世界経済の3分の1の経済圏に拡大しつつあるアジア太平洋地域の成長を取り込む意義を強調した。
交渉参加について自ら「国家百年の計」と位置付け、「重要なプレーヤー」としてルール作りに関わる意欲もにじませた。
農業をはじめ影響の大きい交渉にもかかわらず、あまりに拙速な判断ではないか。自民党のTPP対策委員会が発足し、議論を始めてからたったの1週間余りである。
首相は交渉参加の利益と不利益の説明を尽くす責務がある。国民不在の独断は容認できない。
*公表遅い政府の試算
現在11カ国が交渉に参加するTPPの対象は21分野と幅広い。それだけに中身や問題点はどうしても分かりにくい。
とりわけ国内産業に与える影響にはさまざまな意見があり、国民的にも大きな関心事だった。
しかしながら政府が統一試算を公表したのは首相の参加表明と同時だった。事前に公表しなかった対応は極めて問題だ。
国民にとって議論の材料となるデータである。これでははじめに「参加ありき」と言わざるを得ない。
先の衆院選で掲げた公約との整合性も疑問が拭えないままだ。
自民党は「聖域なき関税撤廃を前提にする限り、交渉参加に反対する」と訴え、交渉に前向きな政党との違いを打ち出していたのではなかったか。農業関係者らが反発を強めるのは当然である。
交渉参加の「断固阻止」で支持を呼びかけた道内選出議員の説明責任も厳しく問われなければならない。
自民党は関税撤廃の例外とする農産品としてコメ、麦、乳製品、牛肉・豚肉、甘味資源作物(ビートなど)の5種類を挙げた。
関税品目として見ると約580品目に上り、全関税品目の6%超を占めることになる。TPPでは仮に例外が認められたとしても1%程度との見方が有力で、大幅に削られる公算は大きい。
農家にとってまさに死活問題であり、なかでも道内への影響は甚大だ。道の試算では関税撤廃の例外が実現しなかった場合、道内農家の7割が営農を続けられなくなるという。
地域の存続にも関わりかねない。食料の安定供給を維持していくうえでも政府の判断は大いに疑問だ。
*暮らしにも不安抱く
農業以外の分野でも問題点は少なくない。
政府は国民皆保険制度を守ると断言してきた。しかし公的保険による診療と保険外診療を併用する混合診療の全面解禁を要求される可能性は否定できない。
混合診療が解禁されれば高額な保険外診療が大幅に拡大し、患者の負担が増す恐れがある。経済格差が医療格差につながる事態は避けなければならない。
海外と比べて厳しい日本の食品安全規制の引き下げが求められるとの指摘もある。遺伝子組み換え食品などの輸入拡大も予想される。
国民の暮らしや命にかかわる制度改正や規制緩和は問題だ。
投資ルールでは、投資家が進出先で不利益を受けた場合に相手国を訴えることが可能な「ISD条項」の導入も警戒する必要がある。特に米国は訴訟大国だけに乱用を不安視する声は多い。
*足りない国民的議論
自由貿易の推進そのものは経済成長のためには不可欠である。
政府はアジア太平洋地域の成長を取り込むとしているものの、中国や韓国、インドネシアの参加も見通せないのが現状だ。肝心の米国の関税も自動車は2・5%にすぎず、日本のメーカーの現地生産が進んでいるため関税ゼロの恩恵は乏しい。
政府試算は国内総生産(GDP)を実質3兆2千億円押し上げる効果があるとしているが、GDPの0・66%だ。農林水産業が被る影響に見合うほどかどうか首をかしげざるを得ない。
首相が参加表明を急いだのは、参加国がTPPの年内妥結に向けて会合を重ねるほど、日本の主張が通らなくなるとの危機感があるからだ。
だが後発の参加国には極めて不利な条件が課されていることが明らかになっている。先行9カ国が合意した条文はすべて受け入れるほか、交渉を打ち切る権利も9カ国にあるとされる。首相が強調する「強い交渉力」で「守るべきものは守る」にも限界があろう。
自民党は国益にかなわなければ交渉途中で脱退も辞さないことを首相に申し入れたが、これを厳守すべきだ。米国との関係を優先するような対応であってはならない。
国益とは何かという国民的議論が圧倒的に不足している。国民が抱くTPPへの不安と懸念を置き去りにしたまま前のめりになる首相の姿勢は到底許されるものではない。
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