ペーパー・ホワイト(スイセン) 2014-12-02 新宿御苑
*明治38年(1905)
1月26日
・沈且堡の苦闘。
午前11時20分、沈且堡がロシア軍の砲撃を受ける。
正午、北東の北台子をロシア軍が攻撃。守備隊1個小隊は沈且堡に退却。この頃、南西の牛居にミシチェンコ騎兵団が接近。
午後1時、沈且堡総攻撃下命。
午後1時20分、西南の小部落の西800mにロシア軍出現。
午後1時30分、ミシチェンコ騎兵団が牛居に迫り、守備隊は佟二堡へ退却始める(危険をさけるため三家子方面へ迂回)。しかし、三家子守備隊は既に退却しており、布陣したロシア軍より攻撃を受ける。
午後4時、ミシチェンコ騎兵団、牛居を突破し佟二堡に迫る。この頃、老橋付近に釘付けになっている第8師団後備第8旅団(立見尚文中将)は後備第31連隊長小原文平中佐戦死・後備第5連隊長尾上貞固中佐負傷など死傷521となる状況。
午後4時30分、佟二堡に退却していた牛居守備隊の伊東隊・島田隊、浪洞溝めざし撤退。
午後7時、沈且堡増援隊が到着し「固守」態勢をとる。
午後8時30分、満州軍総司令官大山元帥、軍総予備の第4軍第5師団に浪洞溝への前進下命。
午後10時、更に、第2軍第3師団の大東山堡北方集結、第4軍第9旅団の東烟台への急行、第1軍8個大隊の大藍旗付近集結を下命。
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1月26日
・「平民新聞」第52号(「小学教師に告ぐ」)事件の大審院上告棄却。
3月5日、幸徳・西川、下獄。(「寒村自伝」による。異説あり)
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1月26日
・(露暦1月13日)ロシア、リガ、スト参加者と軍隊衝突。死者34人。
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1月26日
・ジュネーブ、ロシアの虐殺抗議集会。参加3千人。
ボリシェヴィキ・ルナチャルスキー、メンシェヴィキ・トロツキー、演説。
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1月27日
・黒溝台前面「出城」の攻防。
午前5時、日本軍第8旅団・ロシア軍シベリア第1軍団、前進。
午前9時、右翼の後備第8旅団(岡見正美少将)、レーシ支隊に遭遇、進撃を阻止される。その頃、ミシチェンコ騎兵団が三尖泡東に進出、第8師団の背後が危うくなり、第5師団(上田有澤中将)第21旅団(村山邦彦少将)が柳条口に向う。
午後、第8師団の状況悪化。右翼の後備第8旅団の一部が退却を始め、増援隊を派遣。中央隊は釘付け状態。ロシア軍の砲撃は蘇麻堡北西の第5連隊第2大隊(塚本芳郎少佐)と第31連隊第2大隊(蔵田安奈少佐)に集中、両隊は蘇麻堡に退却。蘇麻堡火災。消化するが、第5連隊長津川謙光大佐負傷。
午後3時、第5師団がロシア軍と遭遇。第5師団に背後を脅かされる形のレーシ隊は韮菜河に退却。南方ではミシチェンコ騎兵団のミシチェンコ中将負傷。
午後11時、蘇麻堡の北・西・南よりロシア軍が攻撃。西・南の日本軍は退却、北部は包囲される。
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1月27日
・大石真子(西村伊作の弟)、高畠素之ら、京都市社会主義談話会第1回会合開催。京都の社会主義者・『直言』読者の組織化を企図。
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1月28日
・朝、蘇麻堡攻撃のロシア軍の指揮に乱れが生じ、同士討ち・日本軍の反撃などにより被害甚大となる(指示を待たずに突入した集成軍団第6連隊は、将校23・下士卒1500の兵力が将校17・下士卒651の死傷のほか、将校4・下士卒499の失踪を数え、将校2・下士卒350が残る全滅に等しい有様)。
午前8時前、第32連隊第2大隊(三村少佐)第6・8中隊が北西部のロシア軍を撃退。ロシア軍の大半は蘇麻堡から退却。
黒溝台合戦4日目のこの日、日本側が攻勢に転じる。
午前9時30分、村山支隊が佟二塁占領し西方の哈爾堡に向う。
午前10時30分、第5師団が柳条口攻略。
午後3時、第5師団、柳条口西方の桃坨子攻略。
午後3時20分、第32連隊第2大隊第6中隊(中村好大尉)が蘇麻堡の残敵を処理。
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1月28日
・女性誌「ビー・ウールーズ」、女性のための文学賞「フェミナ賞」創設。
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1月29日
・黒溝台占領。ロシア軍退却、終結。
日本側戦死1,848、負傷7,249,捕虜227(全損害の56%が第8師団で、第8師団の4個連隊(5・31・17・32)は損傷率50%前後)。
ロシア側戦死641、負傷8,989、失踪1,113。
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