1896(明治29)年
5月16日
日銀、いわゆる預合勘定を開き、在外正貨を正貨準備に繰入れる
5月17日
禿木より「うらわか草」への原稿依頼
5月18日
米、最高裁,「分離すれども平等」の理由で南部諸州の人種差別法を合憲判断。人種により車両などを区別するジェム・クロー車両法是認.
5月19日
不忍池中の島弁天堂で、藤野古白の一周忌。子規は雨で欠席。
5月20日
子規の虚子宛ての手紙。虚子の不勉強ぶりを痛烈に非難。
先日、鴎外を訪ねたら漁史(鴎外)が言った。
「青雲や舟流しやる時鳥、これは『虚子七郎集』では素堂となっているが、素龍のまちがいではあるまいか。虚子は素堂と思い込んでいるようだが」
「小生、考えてここに至る毎に冷汗を流し候。この句もちろん素龍也。兄の見違いあ活字の誤りか知らねど、何にしても麁漏(そろう)の罪はまぬがれがたし。素堂の句集など見たる人ならばおそらくはこの誤りあらじ(鴎外は見たり)」
子規は弟子虚子の不勉強を恥じた。さらに「近来紅緑はしきりに小生の俳家全集を謄写しおれり。その丹精この人には不似合のように覚えて感心致し候」と、紅緑の勉強ぶりを誉める。おまけに、子規と紅緑とのやり取りをも虚子に書いて寄こす。
「碧梧桐はまだ写していなかったのですか」「そうです。碧梧桐も虚子もまだ写さないのです」。子規はそう答えて「その後小生ひそかにこの事を思うて覚えず涙をこぼし申し候」。
紅緑は、高等学校へは行かないが、根気よく俳句の勉強を続けている。先人の句を写す事によって、言葉の持つ力、ニュアンス、言葉同士の相性を体に沁み付ける。それはかつて子規が俳句分類でやったことだ。そうした努力が虚子・碧梧桐には足りない、子規はこれをかなしんだ。
夕風や白薔薇の花皆動く
手紙に添えられた句に、虚子、碧梧桐、紅緑がいっせいに学び、伸びてゆくことを願う子規がうかがえる。
5月20日
独、クララ・シューマン(76)没
5月21日
大山巌長女信子(20)、没。
5月23日
巖本善治より翌月20日発行の「太陽」家庭欄への寄稿依頼
5月24日
山県有朋特派全権大使、露外相ロバノフと交渉開始。26日ニコライ2世戴冠式。
5月24日
斎藤緑雨が樋口一葉宅をはじめて訪れる。
一葉の世評が高まるにつれて、緑雨も関心を持たずにはいられなかったのであろうが、後年、半井桃水が「故斎藤緑雨氏の如きも始め私の話を聞いて『夫は貴君の処だけで殊勝げに見せ掛けるのだ。僕一番近寄って化の皮をむいてくれる』と大層力んで居りましたが、女史と親しく交つた後『全く貴君の言った通り僕の観察は誤った』と話されたことがあります」(「一葉女史」明治40年6月「中央公論」)と記しているように、緑雨の一葉に対する考えは大きく変わってゆく。
この日、傭いの人力車を何時間も表で待たせたまま話しこむ。一葉は、この稀代の拗ね者、緑雨に心を許した。
その日の一葉の日記
「五月廿四日、正太夫はじめて我家を訪ふ。ものがたること多かり。」。
28日も来訪、先客がいて退去。
29日も来訪。子の時の先客は横山源之助。源之助との面会終わるまで待つ。緑雨は批評壇・新学士・江戸趣味を罵倒。
5月25日
家庭向き教養書『日用百科全書』第12編として一葉『通俗書簡文』(博文館)を発行。その執筆の過労により春より進行していた結核が悪化。来訪する『文学界』同人達も一葉の異状に気付くようになった。
『通俗書簡文』=手紙の書き方の実用書
この月、巌本善治から『太陽』家庭欄の原稿、前田曙山から春陽堂の第2期『新小説』の原稿を依頼される。
この日、桃水を訪ねるが留守のため、逢わずに帰る。
「廿五日 田中みの子を飯田町にとひ、帰路、半井君を尋ぬ。原稿製造中なるよしにて、三崎町のかたにをられつれば、逢はずして帰る。」
5月26日
「うらわか草」第一巻に「あきあはせ」を発表。読売新聞に既発表の随筆2編を改題。
5月26日
子規、虚子へ親展を送り、虚子の前便への返事に失望した、と書く。京都の三高も仙台の二高にもなじめず退学した虚子を、子規は漱石に紹介し五高に入学予定であった。しかし、虚子は一年延したいという。
「小生の顔はなんと御たてくだされ候や」
「試験をうけぬうちに教授も受けぬうちに、むつかしいかむつかしくないかわかりもせぬに、なぜむつかしいといわるるか。要するに貴兄はいたずらに大学を恐れらるるものにこれあるべく候」。延期などするくらいなら断念しろ、と子規はせまった。大学を恐れるのは実態を知らないからである。「こころみに文学士がどういう人間であるがを見たまえ。もしご存じなくは小生知人の文学士をご紹介申すべく候。こんな人が大学を卒業した人かとお驚きなさるべきと存じ候。また大学の先生がどんを人なるかを見たまえ。実にこれが先生かと思うような人ばかりに御座候」
「死は近づきぬ。文学はようやく佳境に人らんとす」
子規は、健康なのに勉強の方針が立たず、いたずらに時間を空費する虚子が歯がゆかった。
とにかく今年の試験を受けろとすすめた。添えられた句。
いちご熟す去年の此頃病みたりし
子規には前年、日清戦争で病んだ自分をかいがいしく看病してくれた虚子や碧梧桐の姿が浮かんだ。その時は初夏、二人は病む子規に食べさせたいと神戸の山の畑まで苺を摘みにいったものであった。
虚子には虚子の都合と事情もあっただろう。煩悶する虚子は麹町区上六番町二十五番地増田方にいたが、根芹に足を向けず、子規を避けた。
5月26日
チャールズ・ダウがダウ平均株価を初めて発表
5月27日
夕方、禿木と秋骨、一葉を訪問。多く語る。
5月28日
この日の一葉日記
「二十八日午前(ひるまへ)のうち、田辺たつ子ぬしを番町にとふ。例によって例の如き物がたりあり。十二時過るころ帰宅。けふは木ようなれば、野々官君来る。安井、木村の両君は、地久節の会ありて得も参られず。安井君宅より昇給いはひの赤の飯おくられき。
「新文だん」の鳥海嵩香(とりうみすうかう)、遊びに来たりしにはあらざめれど、長くかたる。戸川の残花、われに嫁入の取もちす、とて来る。「先きは何がしの博士なり」といひくる。
正太夫、門まで来たりて、人気のあるに、「又こそ」とて帰る。」
つづく
〈一葉『通俗書簡文』目次〉
新年の部
年始の文◎同じ返事 / としの始友におくる◎同かへし / 新年会断りの文◎同返事 / 歌留多会のあした遺失物をかへしやる文◎同返事 / 田舎の祖母に寒中見舞の文◎祖母に代わりて従妹より返事
春の部
余寒見舞の文◎同じ返事 / 初午に人を招く文◎同じ返事 / 梅見に誘ふ文◎同じ返事 / 初雛祝ひの文◎同じ返事/三月ばかり初奉公の友に◎同じ返事 / 小学校の卒業を祝ふ文◎同じ返事 / 春雨ふる日友に◎同じ返事 / 花見誘ひの文◎同じ返事/汐干狩に誘ふ文◎同じ返事 / 花の頃都にある娘に◎同じ返事娘より
夏の部
花菖蒲見に誘ふ文◎同じ返事 / 蚕豆を人におくる◎同じ返事 / 新茶を人におくる文◎同じ返事 / 人の新盆に◎同じ返事 / 暑中見舞いの文◎同じ返事 / 朝顔見に誘ふ文◎同じ返事 / 雷鳴はげしかりし後友におくる◎同じ返事 / 避暑に行つる人へ◎同じ返事
秋の部
残暑見舞いの文◎同じ返事 / 草花に添へて人のもとに◎同じ返事 / 野分見舞の文◎同じ返事 / 月見に人をまねく文◎同じ返事 / 人の家に菊植たりけるを聞きて◎同じ返事 / 紅葉見に誘ふ文◎同じ返事
冬の部
かりたる傘を時雨のゝちかへす文◎同じ返事 / 冬のはじめ仕立物の手伝ひをたのむ文◎同じ返事 /初霜ふりたる日老人のもとに◎同じ返事 /天長節に人を招く文◎同じ返事 / 徴兵に出でたる日との親に◎同じ返事 / 雪の日人のもとに◎同じ返事/ 歳暮の文◎同じ返事
雑の部
祝いの文
婚礼祝ひの文◎同返事 / 出産祝ひの文◎同じ返事 / 開業祝ひの文◎同じ返事 / 新築落成をいはふ文◎同じ返事
依頼の文
媒酌たのみの文◎同じ返事 / 家を買はんとて人にたのむ文◎同じ返事 / 奉公人の代わりを求むる文◎同じ返事/ 猫の子をもらひにやる文◎同じ返事/ 娘の躾を人にたのむ文◎同じ返事 / 書物の借用たのみの文◎同じ返事 / 留守中たのみの文◎同じ返事/ 我が家を移せしを人につぐる文◎同じ返事
忠告の文
雇人の逃亡を人に告ぐる文◎同じ返事 / 愛犬の行衛なく成しを友につぐる文◎同じ返事 /家を売らんといふ人の老婢がもとに◎同じ返事 /友の驕奢をいさむる文 / 離縁を乞はんといふ人に◎同じ返事 /友の不養生をいさむる文◎同じ返事 / 事ありて仲絶えたる友のもとに◎同じ返事
あやまりの文
留守中来たりし人のもとに◎同じ返事 / 注文物の日限おくるゝを良人に代りて謝する文◎同じ返事 / 人の家の盆栽を子のそこなひつるに◎同じ返事
お礼の文
雇人の周旋を受けし人のもとに◎同じ返事 / 饗応にあづかりし後人のもとに◎同じ返事
招きの文
法事に人を招く文◎同じ返事
お見舞の文
試験に落第せし人のもとに◎同じ返事 / 不躾に成し人をなぐさむる文◎同じ返事 /愛子をうしなひし人のもとに◎同じ返事 / 火事見舞の文◎同じ返事 / 負傷見舞の文◎同じ返事 / 地震見舞の文◎同じ返事 /盗難見舞の文◎同じ返事 / 死去を弔ふ文◎同じ返事
唯いさゝか
通俗書簡文の構成 / 半井桃水への手紙 / 日暮らし養福寺への道 - あとがきにかえて / 参考文献
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