2024年7月15日月曜日

大杉栄とその時代年表(192) 1896(明治29)年6月2日 6月2日付け一葉日記(2) 夜、緑雨が来訪 緑雨とのやりとりを4千字近く書く 「我れ等の期する処は、君が大成の折をなり。みづからいだかるゝ宝珠をすてゝ、いたづらの世論に心を迷はし、はかなき理論沙汰などにかたぶき給はゞ、あたらしき人を種なしにもなすべきわざなれば、」(緑雨)  

 

塚本章子『樋口一葉と斎藤緑雨 共振するふたつの世界』

大杉栄とその時代年表(191) 1896(明治29)年6月1日~2日 一葉の許に、早朝前田曙山が来訪 午後三木竹二が来訪 夜緑雨が来訪 緑雨とのやりとりを4千字近く書く 一葉、病状かなり重く、客に対面する以外は寝ていたという 「いとかしらの痛き日成しかは、ねぶたげに物いひ居る、いかゞ憂からざらん」(一葉日記) より続く

1896(明治29)年

6月2日

この日付け一葉日記(2) 夜、緑雨が来訪 やりとりを4千字近く書く

「夜に入てより、正大夫来訪。「けふ三木や参りつる。そのうわささる所にて聞しかば、さして承(うけたまは)らんの用もなき折ながら、一応申度ことありで参りつる也」といふ。「君がもとを訪ひ参らせしといふこと、我れは誰れにも語らざりき。たゞ森に計(ばかり)もらしつれば、やがて篤次郎にかたりつるなめり。我れに『紹介状かきてくれ』といふたのみありけれど、我れとても、たれが紹介といふ事もなく出つるなれば、「それには及び候はじ」とて書かざりしが、今日は定めし参上しつるなるべしと察しぬ。名刺持ちてや参りつる、はなしはいかなる事成しか」と間ふ。「みな様がたの打寄り御評(おしなさだめ)遊ばさん折、我れにも出でゝ御はなし承れよ、といふ仰せ成し」といへば、「それは怪しき事にもあるかな。その相談(はなし)にてはなかりしものを」とかたぶく。「して、要領を得て帰り候ひしや、いかゞ」といふ。「いかゞありけん。私はたゞ有がたき由を申しぬ。そのほかには」とて打ゑむに、「さもありけん、さあるべし。あの男の使ひなれば」とて、ひやゝかに打ゑむ。「『我れわれが評するを聞きに来給へ』と申せしこそをかしけれ。罪なき申条(まうしでう)にもあるかな。我がうちうちの話しを聞しには、『君に、歌少し給はれかし、雑誌にのせたければ、と頼み参らするのなり」といひき。しかれば、『我は其事甚だ心得ず。われわれは、一葉君を歌人としていまだみしれるにあらず、唯(ただ)作家としての人をしれるなるに、殊更の歌か取出さん、いとあやしかるべし。同じことならば始より君が作を給はれ、小説是非といひたる方(かた)やさしかるべし。歌は三十一文字(みそひともじ)の責(せめ)いとかろく、出し給ふに世上よりの沙汰もくるしからねは、まづ此事はうなづき給ふペし。この軽(かろ)らかなるより取入りて、やがて作を処望せんといふこゝろ、そもそも人をはかるに似て、文士のいさぎよしとせざる処。たゞ打明んにはしかず』とて、我れは今宵かくふりはへて参れる也。かゝるをやがて人にくしみの種にはするなるべし。いととげ多き我れかな」と淋しく打ゑむ。

我れ等の期する処は、君が大成の折をなり。みづからいだかるゝ宝珠(ほうじゆ)をすてゝ、いたづらの世論に心を迷はし、はかなき理論沙汰などにかたぶき給はゞ、あたらしき人を種なしにもなすべきわざなれば、そのさかいを脱しさせ参らせたしといふこそ、我れわれの志しにてはあれ。されば、殊更に合評会への出席あらん、あらずにもかゝはらず、鴎外、露伴の御もとを訪ひよりてもしかるべきわざなり。何かはことごと敷(しく)招き参らするまでもなし」とて、いと冷かなるさまなり。」

(「夜になって緑雨氏来訪。

「今日三木がお訪ねしたという噂を聞いたので、お聞きしたいと思う用事もないのですが、私から一応話しておきたいこともあって参ったのです」

と言い、続けて、

「私があなたをお訪ねしたことは誰にも言っていません。ただ鴎外にだけは話したので、すぐ篤次郎に話したのだろう。私に紹介状を書いてくれと言ったが、私だって誰の紹介もなく訪ねたのだから、それには及ばないだろうと書かなかったが、たしかに訪ねたに違いないと思っているのです。名刺は持って来ましたか。何を話しましたか」

と問う。

「皆さんが集まって批評をなさる時、私にも出て来て話を聞きなさいということでした」

と言うと、

「それはけしからん事だ。そんな相談ではなかったのに」

と首を傾ける。

「で、納得して帰りましたか」

「どうでしょうか。私はただ有難いことだと申しました。その他には何も……」

と、笑っていると、

「そうだろう、そうだろう。あの男の使いのことだから」

と、あざ笑いする。

「我々が批評するのを聞きに来給へと言ったのはおかしい。つまらぬことを言うものだ。私が聞いたのでは、君に和歌を少し貰いたい、雑誌に載せたいのでと頼むのだと言っていた。そこで私は、それはどうも納得できない、我々は一葉君を歌人として知っているのではない、ただ小説家として知っているだけなのに、和歌を持ち出すのはおかしい、同じことなら最初から小説を是非下さいと言うのが素直だろう、和歌は三十一文字で簡単だし、世間の批評も当たり障りがないから、これは引き受けてもらえるだろう、この軽い方から入って次に小説を頼もうという心は、いかにも人を騙すようで、文士の清潔な行動ではない、ただありのままに話した方がよいと、そう言って今夜わざわざ出かけて来たのです。それなのに人々はこれを私を憎む桂にするのです。本当にとげの多い私ですよ」

と寂しそうに笑う。また、

「私たちの願いは、あなたの成功の日です。自分の大切な宝を捨ててつまらぬ世論に心を迷わし、役にも立たない文学評論に耳を傾けては、惜しい才能を枯らしてしまうことになるので、そういう世界からあなたを脱出させてあげたいというのが我々の志です。だから合評会にあながが出席するしないに拘らず、鴎外や露伴がお宅を訪ねてもよいのです。何も大げさにお招きするまでもない」

と言って、冷淡な態度である。)


「ものがたりはいつしか「めざまし草』の事をはなれつ、正太夫が身の上のこと、かにかくとかたる。「我れは今、やがてこの文学沙汰立はなれて、いとあやしき境界にならばやと思ふなり。かゝる馬鹿野郎どもが集合の場処に、ながながあらんは胸のわるければ」と声たかたかいひて、「あな本性の出けるよ」と侘しげに笑ふ。「御もとなどに参りて『馬鹿野郎』呼はりするにてはなかりしを、おさへ難う成て、つひ本性の顕(あら)はれぬ。驚きやし給ふ」とぬすむやうに打ながめて、いと声ひくにいふ。「何かは。承るは今はじめてなれど、君が『馬鹿野郎』の御うわさはやくより伝はりて、世上に君が名しるほどの人承らぬはなかるべし。御遠慮なくの給へかし、これを初音に」と笑へは、「さらば御合点よなとて、快く笑ふ。」

(話はいつのまにか「めざまし草」の事から離れた。線雨は自分の身の上のことをあれこれと話しつづける。

「私はそのうちにこの文学の仕事から離れて、下賤な身分の者になろうと思うのです。こんな馬鹿野郎どもの集まりの中に長くいるのは胸糞が悪いので」

と声高く言って、

「ああ、本性が出てしまった」

と寂しく笑う。

「お宅にまで来て馬鹿野郎呼ばわりをするつもりはなかったのですが、気持ちを抑えきれず、つい本性が出たのです。驚かれたでしょうね」

と私を盗み見しながら、声低く言う。

「どういたしまして。お聞きするのは初めてですが、あなたの馬鹿野郎の噂は早くから聞いておりますので、あなたの名前を知っているはどの人はみな知っていますよ。ご遠慮なくどうぞ。これを初音として・・・・・」

と笑うと、

「では、ご存知だったんですね」

と大きく笑う。)

吉原に入りて、かし座敷の風呂番になりとも落つかばやと思ふなり。さらば此上の落処(おとしどころ)なきひくき処なれば、やるかたなき憤りももらすにかたく、誰れを相手に何をかいはん。こゝもうき世とあきはてなん時は、唯死といふ一物のこれるのみ。其ほかにゆく処しなければ、中々に心安かるべうや。うき世に人の階級(かいきふ)といふものありて、上の品の人も下の位にたゝずむ身も、同じくうくる普通(なみ)の苦あり。我れはこゝに図式をしめさんに、これをかりに縦の苦といふべし。このたての苦は、うき世といふ詞のよりて起る処にして、上はかしこき御一人より、下万民のたれも受けぬはあらざるべきたゞ一通りのものにてあり。次に、横の苦といふものあり。こは階級によりていと異なる物なるべく、うわべをつくろひて人にも尊とまれなどするさかいこそ、わきてくるしきものにはあるぺけれ。上の事はわがしらぬ事、いはでもありなん。生中(なまなか)、中の段(きだ)にたゞよひて、今日一升の米、一つかみの塩に事かく事はありとも、人にかたりて誠とされがたき、痛かゆきやうの境界を思へば、中々におもひやりある下流の住居(すまひ)ぞうらやまるゝ。一向(ひたすら)に落ぶれはてなば、心もおのづからひくきになれて、みだりにもだえの生ずべきにもあらじ。月六円の収入あれば、一人口安らかに送らるゝ場処もあるものを、用もなき長羽織きて、いとみぐるしきさかいにもたゞよふかな。いかにもしてこゝを放れんの願ひいと切(せつ)なり」といふ。「区役処のうけつけに成なんいとよけれど、『かれは昔し正直正太夫とて、筆もて口をぬらしゝ男也。浅ましき事して居るよな』と打ながめられん、これも癪(しやく)の種(たね)なるべく、郵便局に入りてすりがらすの中に事務とり居る、いと好都合とおもヘど、これも猶、同僚などいふけにくきものあり。我れはすべての前生(ぜんしよう)を打わすれて過(すぐ)さまほしきに、文字に縁なき博奕仲間か、かし座敷の下廻りなどこそはと思ひよる也けり。いづ方になきはそもそもよかるべき。此道なほとりもあへず、斯くはたゞよへるぞ」とて、打なげく。「『御活計(おくらし)に憂ひなく、君をはたゞ我君とさゝげて、撫牛(なでうし)のやうに御蒲団つみ重ねたるが上に据え参らせ、仰せられたしとならば、御心(みこころ)のまゝに馬鹿野郎の給ひつ、御一生安らかに過し参らせたし」といふ人あらば、何とかせさせ給ふ。さても猶、御心もだえ給ふや。かし座敷の下廻り、ばくち打など、猶御望(おのぞ)み遊ばさるべきや」といへば、「さる人もしあらば、いとよかるべきこと。新聞の広告にでも出し候はんか」とて芙ふ。「きりながら、さては我れ食客(ゐさふらふ)といふものになるなり。食客は嬉しからず」といふに、「さらば、これも御心にはかなはせ給はずや」と笑ふ。」

「吉原遊廓の風呂番にでも落ちつこうと思うのです。もうこれより下には落ちる所もない所なので、鬱憤を漏らすことも出来ず、言う相手もいないのです。そこも嫌だと飽いた時には、あとは死が残っているだけ。ほかには行く所が無いのだから、かえって気が楽ですよ。人生には人間の階級があって、上の者も下の者も同じように受ける普通の苦しみがある。今、図式で示せば、縦の苦と言えよう。この縦の苦は浮世という言葉の根源をなすもので、上は国王から下は一般の庶民まで、誰一人として受けない者はない一通りの苦です。次に横の苦というものがある。この苦は階級によって違うもので、表面を飾って人々から尊ばれようとするような人こそ特に苦しいもののようだ。上の階級の事は、私は知らないことなので、何も言えない。なまじっか中の階級にいて、人に話しても真心で受け取ってもらえないような事を思うと、たとえ一升の米一握りの塩に事欠いても、思いやりのある下級の生活が羨ましい。最低のところまで落ちぶれてしまうと、心も自然と低いものに馴れて、むやみに悩みが起こることもあるまい。月に六円の収入があれば、一人なら楽に暮らせる場所もあるのに、役にもたたない長羽織など着て、見苦しい境界にふらふらしているのなどはいかにも馬鹿らしい。どうにかしてこの境界から逃げ出そぅという願いが切実なのです」

と言う。さらに語をついで、

「区役所の受付になるのはよいのだが、あれは旨斎藤緑雨といって作家だったのに今は情けない事をしているよと、横目で見られるのも嫌だし、また郵便局の磨りガラスの奥で事務を執るのは好都合だが、これもまた同僚という憎らしい者がいる。私はこれまでの生活をすべて忘れて暮らしたいので、文字に縁のない博突打仲間か吉原の下働きなどがよいと思っているのです。どれにしたらよかろうかと、まだ決めかねて、まだこの文学の世界にうろうろしているのです」

と言って歎く。

「毎日の暮らしに何の心配もなく、あなたを撫で牛のように大切に思い、好きなだけ自由に馬鹿野郎呼ばわりもしていただきながら、あなたのご一生を安楽にお世話したいという人があったら、どうなさいますか。それでも胸糞が悪いとお思いですか。やはり吉原の下働きや博突打をお望みですか」

と言うと、

「そんな人がもしいたら大変よいことです。新聞に求人広告でも出しましょうか」

と言って笑いながら、

「しかも、そうなると私は食客ということになるが、食客は嬉しくない」

と言うので、

「では、やはりこれもお心にはかないませんか」

と言って笑う。


つづく

0 件のコメント: