2024年7月27日土曜日

大杉栄とその時代年表(204) 1896(明治29)年8月1日~31日 一葉、医師より最早全く望みは無いと宣告される 『読売新聞』が「一葉女史病に臥す」を報じる 宮沢賢治生まれる 第2次伊藤内閣総辞職 陸羽地震(マグニチュード7.2、死者209、負傷779)    

 

秋田県仙北郡美郷町「千屋断層」(天然記念物)

大杉栄とその時代年表(203) 1896(明治29)年7月22日~27日 7月22日の一葉日記(2)一葉日記の最後の日 緑雨来訪 「めざまし草」同人に勧誘されても断るよう説得 子規、「松蘿玉液」で図を描いてベースボールを説明 より続く

1896(明治29)年

8月1日

梁啓超(主筆)・黄遵憲ら、「時事報」発刊(68号)。梁啓超の寄稿文「変法通議」などを通じて、前近代的な科挙を改めて学校制度を起こすことを説くが、やがて発行禁止となる。

8月

伊藤内閣と自由党の提携、断絶。伊藤が板垣のライバル大隈重信(進歩党)を入閣させようとしたため。

伊藤はあくまで「挙国一致」内閣構想を追及し、自由党との提携に満足せず、第10議会を乗り切る為、薩派及び進歩党(この年3月改進党を中心に5会派が合同、議員100名)の支持を得るべく、陸奥外相・渡辺国武蔵相辞任を機会として、夫々の後任に大隈・松方起用を考え、閣議に諮る。板垣は、進歩党の与党化が自由党の内閣に対する影響力を低下させることを怖れ、大隈入閣に反対。他方、薩派と進歩党は相互に連携し、あくまで松方・大隈の同時入閣を主張。自由党との提携を放棄しない限り、松方・大隈入閣の実現が不可能となり、伊藤は辞任を決意

8月

佐々城信子に逃げられた国木田独歩、アメリカ行きを決意し、この月、京都の内田鑑三に面会。理想とは異なる内田に接し、「恋女房の逃亡、貧窮、ヨシヨシ何事にも耐えん」「断乎文学界に突入せんと欲す」と日記に書く。月末、東京に戻り民友社復帰を希望するが、社主徳富蘇峰は許さず。9月初、独歩は山路愛山の近く、渋谷村の借家に弟収二と共に住む。

8月初め

一葉は容易に診察を受けようとしなかったが、日記も書けない容態になって、8月初め、山龍堂病院(神田区小川町40)で診察を受ける。

孤蝶によると、妹邦子が夏にもかかわらず一葉に「袷(あわせ)と袷羽織を着せ、抱へるやうにして」病院に連れて行き、病院長樫村清徳の診察を受ける。一葉を控室に戻して病状を聞くと、「最早全く望みは無いと宣告された。邦子君は落胆の余り少時身動きも出来なかった。手巾を目にあてゝ帰ると、一葉君は『何うしたのか』怪み問うた。邦子君は『今彼方で何か燻されたので、烟が眼に入って、痛いのだ』と答えた」という(『一葉全集の末に』)。

この頃、一葉、「智徳会雑誌」に寄稿を依頼され、執筆できず、和歌8首を寄せる。

8月1日

日本郵船、北米航路を開設。

8月1日

子規、『早稲田文学』の子規選「名所雑詠」で漱石の句を一句選ぶ。


尼寺や芥子ほろほろと普門品


8月1日

桃水は、一葉宅に来客が多いと聞き、飯田町の自家の二階に移って静養することを勧める手紙を一葉に出す。一葉の返事は不明。

8月2日

一葉、樋口勘次郎と友人としての交際復活。かつて依頼していた巌谷小波の昔話を教科書体にする作業を再度請われる。

8月3日

清、山東巡撫、東湍事件に関して上奏。根本的理由は教民(キリスト教徒)による農民の圧迫にある、とする。

8月3日

一葉に長井行より「大倭心」への寄稿催促。5日にも。

8月5日

子規の新体詩「父の墓」、時評「文学」(7回、『日本人』~11月20日)。

「父の墓」(竹の里人)は、須磨の保養院を出て、ひと夏松山で静養した際に父隼太常尚の墓に詣でたときの感慨


父の御墓に詣でんと

末広町に来て見れば

鉄軌寺内をよこぎりて

墓場に近く滊車走る。

石塔倒れ花萎む

露の小道の奥深く

小笹まじりの草の中に

荒れて御墓ぞ立ちたまふ。


学問はまだ成らざるに

病魔はげしく我を攻む。

書(ふみ)を抛(なげう)ち門を閉ぢ

一年半ばは褥(じよく)に臥す。

何事も過去に成らざりき。

未来も成ることなかるべし。(・・・・・)

わが去る後は、草むらの

人より高く生ひ茂り

御墓隠さん。さりながら

そを刈る人もなかるべし。(・・・・・)

父上許したまひてよ。

われは不孝の子なりけり。

8月5日

日本郵船「三池丸」、米国へ向けて初出航

8月6日

フランスがマダガスカルの植民地化を宣言

8月8日

禿木が手紙で新作の代わりに「うつせみ」を文学界に再掲することを依頼。24日、再掲見合わせとなる。

8月10日

独、リリエンタール(48)、没。

8月12日

石阪昌孝、群馬県知事となる。

8月17日

文部省、満6歳未満の就学を厳禁する訓令

8月17日

カナダ・クロンダイクで金脈が発見される。クロンダイク・ゴールドラッシュの幕開け。

8月18日

一葉に、泉谷氏一より「智徳会雑誌」第31号に和歌を寄せたことの礼と、一部献上される

8月19日

御史の宗伯魯、黄河治水実態暴露の上奏文。決壊の惨状・その原因を述べる。

①公金「侵蝕」(使い込み)。②「河工委員(河川工事監督委員)」、「夫頭(人夫総括現場責任者)」、「料販(工事資材を売る商人)」の結託。③減水期のやっつけ工事。決壊個所の虚偽報告。④巡回防備の手抜き。

8月19日

『読売新聞』が「一葉女史病に臥す」を報じる。

8月19日

フィリピン、秘密結社カティプーナンの存在が発覚。

8月23日

伊藤博文首相、辞表提出。

30日、榎本武揚農商務相を除く全閣僚、辞表提出。

31日、枢密院議長黒田清隆に首相臨時兼任を命じ、伊藤博文首相・板垣退助内相・渡辺国武蔵相を除く閣僚辞表を却下。

8月24日

(露暦8/12)ロシア、ナジェジュタ・クルプスカヤ、ストライキのかどで逮捕。シベリアでレーニンと合流。

8月26日

朝鮮、スイス系ロシア人J・ブリンナー、韓国国境全域(鴨緑江河口~豆満江)の森林伐採権獲得。但し、有効期限5年で、1901年9月までに「朝鮮木商会社」を設立して事業を始めなければ権利消滅との条件。資金集めに失敗し1897年5月、この権利を売りに出す。

8月27日

宮沢賢治、誕生。岩手県稗貫郡花巻町(現花巻市)。父政次郎(22)と母イチ(19)の長男。家業は祖父喜助開店の質・古着商。

8月27日

イギリス・ザンジバル戦争

8月30日

フィリピン革命。ボニファシオの率いる秘密結社カティプーナン部隊、武装蜂起。サン・ファン・デル・モンテ弾薬庫襲撃。ルソン8州に戒厳令公布。内部の主導権争い激化。

31日、アギナルドをはじめカビテ州カティプーナン派地主勢力、蜂起。

9月上旬までに州内の植民地権力を打倒。

8月31日

第2次伊藤内閣総辞職

8月31日

陸羽地震。マグニチュード7.2。に、秋田・岩手県境にある真昼山地の直下で発生した逆断層型の内陸直下型地震(大陸プレート内地震)。

震源は10kmより浅く、震源地付近で震度6、一部では震度7の揺れと推定。被害は、横手盆地の内部と東側の山地に集中し、仙北郡の千屋・長信田・畑屋・飯詰・六郷などの集落では、全戸数の7割以上が全半壊した。全体では、死者209人、負傷者779人、家屋全壊5,792戸、半壊3,045戸、山崩れ9,899箇所。

約2か月半前の6月15日に発生した明治三陸地震の影響を受け、その震源域および余震域から離れた地域で発生した誘発地震と考えられている。


つづく


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