1896(明治29)年
6月
「新華族と宮内大臣以下当該官の責任」(「二十六世紀」)、官吏侮辱罪に問われ発行停止。
明治27年2月、高橋健三を主宰者として随時300部程度を発行している「朝日新聞」の傍系雑誌。この論文で、日清戦争後の論功行賞で、伊藤首相が大量生産した「新華族」を槍玉に挙げる。官吏侮辱罪で、発行停止、編輯署名人野村治一良は重禁錮1ヶ月15日、罰金10円。
6月
毎年6月、熊本の山崎練兵場で招魂祭が行われており、五高では授業を休み、背嚢を背負い鉄砲をかつぎ、先生に引率されて参拝するのが例となっていた。漱石は赴任間もなくこれを聞き、
「我々の学校は主務省の直轄だから、授業を一日棒に振るに忍びない、無論参拝はせねばならぬが、それなら自由参拝としたがよからう」
と主張し、その主張が通る。学生・教授でこの主張に反感を抱くものはなかったという。
6月
鉄幹(23)「孝女阿米」(防長婦人相愛会)刊行。
6月
一葉、6月以後、『新小説』『雪月花』『白百合』『女学草子なでしこ』『大倭心』『智徳会雑誌』などから執筆の依頼が相次ぐ。三木竹二から「めさまし草の原稿依頼(7月には幸田露伴を伴って来訪)。
6月になって知らない人から便りが来ることが多い。博文館気付のものもあれば、直接自宅宛のものもある。静岡師範学校の寄宿生の二人、加藤雪膓、開飄雨、その他、神奈川の小原与三郎、千乗の原良造、群馬の田嶋せいなどという人々でした。小説を書いたので直してほしいというもの、文通の交際をしたいというもの、色々と多かった。女子で小説を書きたいという人へは、絶対にそんな事はしてはいけないと、私の苦労も書き添えて送る。
6月上旬
一葉に2人が入門。一人は野々宮菊子の紹介で三浦るや子という学校の教師(この頃、野々宮は番町小学校に転勤していた。同じ学校と思われる)。もう一人は、榊原家の侍女伊東せい子で、長瀬いさ子から手紙で依頼があり、習字を習いたいとのことなので、手本を書いてやる。
6月1日
一葉の許に、平田禿木が「めさまし草」を持参し、正太夫の評を見よと貸してくれる。正太夫がここに来たことを知らずに語っているのを、「いとをかし」と記す。
健康状態はかなりよくなく、
「いとかしらの痛き日成しかば、ねぶたげに物いひ居る、いかが憂(う)からざらん。」
と書く。
この頃、病状かなり重く、客に対面する以外は寝ていたという。
「六月一日 平田禿木、『めざまし草』持参。「わが評見よ」とてかし与へらる。正太夫の我がもとを訪ひ寄し事など、さも思ひよらぬ事なれば、知らず顔に語り居る、いとをかし。
評は、
此人の作としていといたく劣りたるもの也。「たけくらべ」に及ばず、「にごり江」に及ばず、「わかれ道」にも「十三夜」にもしかぬ作なり。「此作者の作やうやくみだれんとする傾きあり」と正太夫のいひしは「別れ道」の時成しが、その詞をして誠たらしむるは、いかにも作者の為かなしむべき事よ。
とかけり。をかしきは、「ひゐき」と名のりて弁護の労をとる人付添へる事なり。「女人(によにん)なればと今まではひかへつれど、用字用語、今少し心づけちれよ」と一論客のいへるに対し、「こは聞ずてならぬ事也。わが一葉は女なれども、身銭を遣(つか)はで高(かう)まんの詞をならぶる男どもが首位(くびぐらゐ)は引ぬきすつる力あるものなり。悪き事あらはいかにもいひ給へ。御遠慮御無用。女あしらひは嬉しからず也」とたけり立つ人あり。六頁(ページ)にわたりて、その論何方ともつかずに終りぬ。
いとかしらの痛き日成しかは、ねぶたげに物いひ居る、いかゞ憂からざらん。平田は此本さしおきたるまゝかへる。」
(六月一日。平田禿木が「めざまし草」を持参し、私の作品の批評を見よといって貸してくれる。緑雨が私を訪ねて来るなどとは禿木には思いもよらない事なので、知らずに話しかけてくるのが可笑しい。(「われから」についての)批評は次の通り。
「比の人の作品としては全く劣ったものである。『たけくらべ』に及ばず、『にごりえ』に及ばず、『わかれ道』にも『十三夜』にも及ばない作品だ。この作者の作品は次第に乱れて行く傾向があると緑雨が言ったのは『わかれ道』の時であったが、その言葉が本当になったのは作者のために悲しむべき事である」
と書いている。面白いのは、贔屓と名乗る弁護人がいることである。作者は女性だからと思って今までは遠慮していたが、用字用語について今少し気をつけてほしいと或る論者が言ったのに対して、
「これは聞き捨てならない事だ。わが一葉は女ではあるが、人に責任を負わせて高慢なことを言う男たちの首ぐらいは引き抜いて捨てるぐらいの力ある作家だ。悪い点があるならどんどん言ってほしい。遠慮は無用、女扱いは嬉しくないことだ」
と勇み立つ人がいる。六頁にわたるその論争は勝ち負けなしに終わっている。
ひどく頭が痛い日だったので睡むそうに話したが、相手も不愉快に思ったことだろう。平田はこの本を置いたままで帰る。)
6月2日
春陽堂の使で前田曙山が来訪。午後、三木竹二来訪。夜、緑雨が来訪。一葉は緑雨とのこの日のやりとりを4千字近く書く。
「二日 早朝、前田(まへだ)曙山(しよざん)君来る。春陽堂の使ひになり。「著作のあら筋出来たらは、画様(えやう)の注文ありたし」とのたのみなり。「今しばしたゝぱ」といひてかへす。
先月のはじめ成し。春陽堂みせのものをもて、「我が作是非に」といひおこし、「引つゞき、わが店のものゝみ著作し給はるやうの契約給はらは、いとかたじけなかるべし。左(さ)あらずとも是非に」といひて、「金子などは前金にいか計も奉るべし。御用侯はゞ端書(はがき)一本つかはされたし。さすれば、たゞちに御仰せだけの金持参すべし」といひき。さもあらはあれ。こは一時の虚名を書肆(ほんや)の利として、おのれの欲をもたさん為のみ。すでに浪六の例もあり。多くの作家のいたづらに苦るしみて、心のまゝならぬものなど世に出すは、此一時(いつとき)の栄えにおごりつきて、債(さい)をこゝに負へはなるべし。我が身はかまへて其事なすまじとおもふに、「一編の作、趣向つはらに出来ざらんほどは、画様(ゑやう)のこと金子のこと、更にいひやらじ」となり。家は中々に貧迫り来てやる方のなければ、綿のいりたるもの、袷などはみながら伊せやがもとにやりて、からく一、二枚の夏物したて出るほどなれども、やがてのくるしみをうけまじとて、母も国子も心をひとつに過す、いとやるかたなし。」
前田曙山は、わが社に契約してくれるなら、前金はいくらでも持って来ましょうと話す。これは作家にとって怖い話で、多くの作家が苦しんで、心に染まぬものを世に出すようになるのは、この一時の騎りのために書肆に債(せめ)を負うからである。自分は決してこうしたことをなすまいと一葉は思った。しかし一家には貧が迫ってどうしようもない。綿のはいったもの、袷などはみな伊勢屋の倉の中で、辛うじて一、二枚の夏物があるだけだが、こうした苦しみを受けまいと、母も国子も心を一つにして我慢してくれている。実にやるせないことと一葉は心に苦しんでいた。
「午後(ひるすぎ)、三木竹二君来訪。「医学士森篤次郎」とある名刺もて来しかば、いかなる人かとおもひけり。君は森鴎外君が令弟(おととぎみ)にて、小金井きみ子ぬしが兄にておはす。いと口がるにものいひ続けて、重(おも)りかならぬ人にてもあるかな。来訪の趣意は、『めざまし草』社中の総代として、我れに連合せられん事をといふ迎ひの使ひに来たりしなり。「今まで、『三人冗語』といひて、鴎外、露伴、正太夫の三人にて新作の評なし居たりしなれど、更に君を加へて『四つ手あみ』といふ名を付しつ、各々名を署して評論さかんにせばやといふ願ひなり。切に入会給はれよ」といふ。
「君が『たけくらペ』には、一同たゞ驚歎して口開くもの候はず。露伴などは、『生れて、今日まで我にはいまだ斯計(かばかり)の作のなきを恨む』といひつ。されば、過る日の『三人冗語』にて詞を極めほはめたゝへしかば、『早稲田文学Lなどには冷評(ひやかし)を与へられぬ。露伴がいへるやう、『この作中の文字五、六字づゝ、今のよの評家、作家に技倆上達の霊符として呑ませたきものなり』と書きしに、かれはまぜかへして、『黒やきにしてふりかけては如何』などいひぬ。とまれかくまれ、心し給へ。こゝの学士、かしこの博士ども、君が事といへば髭おもてのしまりをうしなひて、『かゝる文書給ひしかば、かゝる人なめり』『いないな、此詞をもてみれば、人がらは斯くこそ有ぺけれ』など、一字一句に解(とき)をいれて、いひさわぎ候ぞ」などかたる。
「正太夫の参りしよしを聞き侯ひぬ。かれには仮初にも心ゆるし給ふな。われわれ兄弟、幸田露伴なども、うわべにはいとよき友のやうに交はり侯ヘビ、猶隔ておきつゝものをもまふすなれ。いかなること申(まうし)こんともいひがたきに、かまへてかまへてたばかられ給ふな」といふ。「合評会の日取りきまらは申上侯はん。かならず参らせ給へ」といひて、たゞ一人のみこみつゝかへる」
一葉は、男は口数少なく重(おも)りかの方がよいと考えており、三木の評価を貶しめている。鴎外が、当初は賛成していた一葉日記の出版に反対するようになったのは、この件を読んだためとも云われる。
来訪の趣意は、「めさまし草」に一葉を加えようとの誘い。「三人冗語」として、鴎外、露伴、正太夫が新作の評をしていたが、一葉を加え「四つ手あみ」の名を付して評論を盛んにしようとの提案。
三木は、「たけくらべ」にはすっかり驚嘆しました、「正太夫が来たことを聞きましたが、彼には決して心を許し給うな。我々兄弟、露伴なども、うわべはよい友のように交りますが、猶警戒しつつ口を利いて居ります。どんなことを申し込んできても、決して欺されてはいけません。合評会の日取が決ったらお報せします」と、一人でのみ込んで帰って行った。
つづく
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