2024年7月19日金曜日

大杉栄とその時代年表(196) 1896(明治29)年6月19日~20日 一葉の許に緑雨来訪 一葉の許に桃水来訪 「(緑雨は)いと気味わろき男なれば、かまへて心ゆるし給ふな」と忠告 川上眉山が一葉に読売入社を勧めるが、一葉はこれを断る    

 

国木田独歩・収二兄弟と徳富蘇峰(日清戦争当時)

大杉栄とその時代年表(195) 1896(明治29)年6月11日~18日 一葉、合評会には参加しない旨を鴎外に伝える 神田三崎町に川上座完成 明治三陸地震津波 より続く

1896(明治29)年

6月19日

一葉の許に斎藤緑雨来訪。


「十九日に、正太夫、夜に入て来にけり。幸田ぬしなどの事につきて、ものがたりおはく、こぞ著(あらは)したる「てき面」の事などかたる。「無妻主義にて年月過したる我れの、今更妻もちたし、家ほしゝなどは、ふといひがたけれど、あるべきにさだまりたるものならば、有るも又をかしかるペし。人の世の事、何もみなことごとくなし終りて、さてのゝしるべきはのゝしり、嘲るべきは嘲らんいとよかるべきを、限りある身なれば、何も垣のぞきにて」などかたる。「『たけくらべ』の文体、はじめの方と終にいたりてと異なれるは御承知にてか」などとふ。「はじめよりかゝる文体にかゝばやといふ考へありてか」ととはれて、「いな、さもあらず。唯(ただ)書きよきがまゝに」といふ。「さらば、筆とりてはじめて文体のなるにこそ。誰れも同じ事」と笑ふ。」


「さて、今宵来つるは別しての用にもあらず。君は『国民の友』の夏期付ろく書き給はんの約成し由、そは誠か」ととふ。「いな、さること此一日二日前に国木田の収二君申参られたれど、断りいひやりてえ書き侯はず。いかで聞あやまり給ひけん」といへば、「そは誠かとよ。明らかなる答弁こそのぞましけれ」と勢ひこんで言はるゝに、「何かは偽りをかまへて、人を弄び候はんや。君こそいかなれば、さ計物うたがひはなし給ふ。いとあやしき事」とこたふるに、「さては民友社に偽りありけり。けさのほど、彼の社の何某(なにがし)我がもとに来たりて、『一葉君は相違なく承だくし給ひぬ。かくこそ』とて御名前しるしたる紙に墨引き置きぬ。まことは我れ、其はじめ彼の社に夏期付ろくの建議を呈しぬ。そはほかならず、『我れ、ことごとく匿名にて、四種の文体に小説つくり出て、世人をたはかりて驚かさん。その義なれば筆とるべし』といひやりき。元来(もとより)かの社にはいろいろの事故(わけ)ありて、たれもこゝろよく筆とるものあらず。我れも朧(おぼろ)げにては作り出づべきにはたあらわど、我れに此戯(このたはぶ)の舞台をかさんとならば、心のまゝに華とるべし、といひつる也。さる処、かの社はわれに答へていはく、『ことしの夏期付ろく、すでに何がし、くれがしに依頼して筆とり初し人さへあるなれば、此おほせのまゝには今更とりかへしがたきことなり』といひき。『さらは其筆とる人はたれたれか』といひしに、其名前更にいひこさず。まことは我れにもおもふ事ありしなり。かの社、さきに露伴、鴎外、逍遥のもとに人をはせて、『ことしの夏期ふろく是非に』といひしを、何かはかしこの為に筆とるべきとて、これもうけがふ物あらざりしかは、再度その余のたれかれに依赦しぬ。依頼されたる誰れもかれも、ことごとく謝絶のみにて、『我れかゝばや」といふ人のなきは、我れきかねどもよくしれり。此上は、田山花袋などを先きに、いはゆる新派の人々筆とることならずやと思はるゝに、我れは死すとも新派の奴等に席はならべじ。かくいはゞ君も世にいふ新派の一人にておはせば、御心ざありならんもしらねど、わがいふ新派は、さる義にていへるに非ず。何(いづ)れも、人しれず我がもとなどに原稿もて来て直しをこひながら、うわべ計は知らず顔をつくりて、同じ文だんに勝敗をあらそふなん、われに損ありてぬす人にかてを与ふるのことわざに同じ。かゝるおもしろからぬ事又あらん物か。されば、我れは同じ新派といへるものから、君もしうつて出で給ふとならは、我れもくつばみを揃へて立出づべし、といひつるなり。一人にてもよし、正しくかたきとねらふべき人あらは、心勇みて戦場には出らるぺけれ。自余の奴原と何かは取組まん。此義をもつて、我れは、『一葉君かき給はゞ』とこたへしなり。さる処、かれはまざまざと偽言(そらごと)つくりいで、『此人計はうたがひなく書き姶ふなり。もはやうけがはれて筆とり初られしなれば』と、我れをあざむきぬ。よし、おもしろし。明日の朝早々断りいひやりて、え書かざるべし。おもしろく成ぬるかな」とて、ほゝゑむ。その余も多くかたる事ありて、十一時ごろ帰られき。」

(さて今夜来たのは別の事ではない。あなたは『国民之友』の夏季附録に執筆の約束が出来ていると聞くが、本当ですか」

と問う。

「いや、それは二、三日前に国木田収二氏が言って来られたが、お断りしており、書きません。どうして聞きあやまりなきったのですか」

と言うと、

「それは本当ですか。はっきりとおっしゃるべきです」

と大変な勢い。

「わざわざ嘘を言って、人を騙すようなことはしません。あなたこそ何故そんなに疑われるのですか。変ですね」

「さては民友社が騙したのだ。今朝、民友社のある男が来て、一葉さんは間違いなく承諾された、この通りですと、あなたのお名前の書かれている紙に印がつけてあるのです。本当を言えば、最初私が民友社に夏季附録を出すようにと言ったのです。それは他でもない、私が四種類の文体の小説をすべて匿名で書き、読者を騙して驚かそう、それならば書こうと言ってやった。元来あの社には色々と問題があり、誰も気持ちよく筆をとる者はなく、私だって普通では執筆しないのですが、私にこの面白い舞台を貸そうというのならは、思う存分に書いてみょうと言ったのです。すると、先方が答えるには、今年の夏季附録はすでに誰々に頼んであり、書き始めている人もあるので、おっしゃるようには今更変更出来ないと言うのです。では執筆者は誰々かと聞いてもその名前を全く言わない。本当は私にも考えがあったのです。実はあの社は、こうなる前に露伴、鴎外、逍遥に使いを出し、今年の夏季附録に是非と頼んだが、あそこのためには絶対書かないといって断ったので、もう一度別の人たちに頼んだ。頼まれた人もみな断るばかりで、進んで書こうという人がなかったのは、直接は聞かないがよく知っています。こうなると田山花袋などを先頭にして新派の人々が書くことになるだろうと思われるが、私は死んでも新派の人たちとは同席したくない。こう言えば、あなたも世にいう新派の一人なのでお気にさわるでしょうが、私のいう新派は違うのです。この連中は私の所へこっそり原稿を持って来て直させておきながら、表では知らぬ顔で同じ文壇で勝敗を争うというのは、盗人に物を与えるという諺と同じで、こんな面白くないことがまたとあろうか。だから私は、同じ新派といっても、あなたがもし出られるのなら私も一緒に出てもよいと言ったのです。一人でもよい、正しく敵とするにふさわしい人があるなら、心勇んで戦場には出られるのですが、その他の奴らと何で取り組んだりしようか。こういう訳で、私は一葉さんが書かれるならと答えたのです。しかしその男は明らかに嘘をついて、この人だけは間違いなくお書きになる、既に承知されて書き始められたといって私を騙した。よし、面白い、明朝早々に断りを言ってやって、絶対に書くものか。面白くなってきたぞ」

と言って、微笑んでいる。その他にも話が多くて、十一時ごろ帰られた。

6月20日

「二十日の夜、ふけて半井君来訪。「いとめづらしき事よ」とおもふに、あわたゞしげの車にてさへ参られき。「唐突(だしぬけ)に此ほど斎藤正太夫、わがもとを訪ひ候ひき。御宅にまかり出たる由」といふ。「いかにも、此ほどよりおはしまし初ぬ。いと気味わろき御かたよ」と笑へば、「誠にさにこそ、いと気味わろき男なれば、かまへて心ゆるし給ふな。我がもとに来たりて、君が身の上さまざまに問ひき。『此ほど世の取沙汰はかくかくしかじかこそ候へ』など、いと多くつづけけれど、左のみは忘れておもひも出でられず。知らせ給ふ如く、我れはうき世の別物に成りて、ただみかん箱製造にのみ日を送れば、文界の事など更にしり候はず。君がさ計(ばかりリ)高名におはすなるをも、かれ緑雨より伝へ聞くまでは、夢にもしらで過し候ひき。御筆いたくあがり給へるのよしをかれはいひき。彼れは近々、君の事を論じたる一文、世に公にするのよし。『材料もあらば』ととはれたれど、我れは更にしらぬ由をこたへぬ。我れと君との上につきて、あやしき関係ありしやにいひしかば、『こは心得ぬこと、いかでさる事のあるべき。世人はとまれ、君などさへさる事をいふ、いかなる心ぞや』となぢりしに、『いな、君の事はすでに先口なり。こと旧聞に属す。今更あなぐるべきにも非ず』といひき。かくて何を書いて候らん」と、いとおぼつかなげにいふ。「『我れしばしば一葉君をとふ。悪口の種さがしにともやおぼし給ふらん。さりながらおもへば、種さがしの為成しかもしれず』とかれは言ひき。いと油断のなりがたき男よ」と、心づけらる。「『万朝報』にて、君の事近々書かばやと有りしかば、『同じくはとひきき参らせて、あやまりなき処をかけかし』と我れはいひおきぬ。かしこの社にては不似合のこと、君が事よく書くのなるよし」とて笑ふ。

かたらまほしげの事多げにみえしが、何もふくめたるやうにて、「又もこそ」と帰る。「いとめづらかなる人の、まれまれとひ寄りたる、事なからずやは」とかたぶかる。」

(二十日の夜更けに半井氏来訪。大そう珍しいことよと思うに、そればかりでなく、慌ただしく車でさえ見えた。

「この前、急に斎藤緑雨が来たのです。お宅にも行ったそうですね」

と言われる。

「お見えになりました。とても気味の悪いお方ですね」

と笑うと、

「本当にそうだ。全く気味の悪い男だから決して心を許さないようになさい。私の所へ来て君のことを色々と聞き、あなたの最近の評判はこれiこんなだと沢山話してくれたが、そうは覚えきれず忘れてしまいましたよ。ご承知のように、私は浮世はなれの生活で、ただ店の方の手伝いに明け暮れているので、文壇のことは全く知らないのです。あなたがそんなに有名になられたことも、緑雨から聞くまでは夢にも知りませんでした。全く上達なさったと彼も言っていました。彼は近く、あなたの事を論じた文を発表するとかで、何か材料をと聞かれたが、私は全く知らないと答えておいた。私とあなたとに特別な関係があったかのように言ったので、『それは承知出来ない、どうしてそんな事があろうか、世人はともかく、君まで言うとはどんな考えなのだ』と責めると、『それはもう昔のことで旧聞に属している。今さら詮索すべきことでもない』と言って、他に何を書こうかと不安そうにしながら、『私はしばしば一葉さんを訪ねて行く。悪口の種さがしに行くと、誰も思っているでしょう。しかし、考えてみれば、そうかもしれない』と言うのです。全く少しも油断の出来ない男だ」

と注意なさる。また、

「彼は万朝報にあなたのことを近々書きたいと言っていたので、同じ書くならよくお聞きして誤りのない

ところを書きなさいと言っておいた。万朝報であなたの事をよく書くのは不似合いのようだ」

と言って笑われる。

話したいことが沢山おありのように見えたが、心に納めたままの様子で、ではそのうちにまた、といって帰られた。珍しい人が珍しい折に訪ねてこられたと思うにつけ、何かあったのかしらと不審な気がする。)

6月20日以前

「此ほどの夜、川上ぬし来訪。高田早苗君の依頼をうけて、我れに『よみうり』入社の事申参られしなり。「おもふ事あれば」とて断りいひしに、「使ひがらか」と立腹のけしきにみえぬ。さりし日の写真、持参してかへさる。「中味はかはれるやしり候はず」といふは、焼き増しをさせたるなめり。「何にてもよし、一分(いちぶん)だにたゝば」とおもふ。此夜、いとおもしろからぬけしきにて帰られき。」

(このあいだの夜、川上氏来訪。高田早苗氏の依頼で私に読売新聞への入社の話を持って来られた。考えるところがあるのでとお断りすると、仲に立つ使いに問題があるのかと、立腹のように見えた。前に無理に持って行かれた写真を返して下さる。中味が変わっているかもしれないと言われるのは、焼き増しをさせたのでしょう。何でもよい、私の言分さえ通ればよいと思う。この夜はひどく不機嫌な様子で帰られた。)


つづく



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