江戸城(皇居)東御苑 2013-01-24
*ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(56)
「第4章 徹底的な浄化 - 効果を上げる国家テロ - 」(その5)
誰が、なぜ殺されたのか
治安当局の手入れによって逮捕された人々の大多数は軍事政権が主張する「テロリスト」ではなく、政府が推進する経済プログラムにとって重大な障害になるとみなされた人々だった。
なかには実際の反対論者もいたが、多くは軍事政権とは対極にある価値観を体現するとみなされた人たちにすぎなかった。
計画的な浄化作戦:「至るところに存在し、追い払うべき悪魔」の「一掃」
ブラジル
この浄化作戦が計画的であることは、人権団体や真実委員会の報告書に記録された失踪の日時を照らし合わせれば明確に裏づけることができる。
ブラジルでは、軍事政権が大規模な弾圧を開始したのは六〇年代末になってからだが、例外がひとつだけあった。
〔一九六四年の〕クーデター直後から、工場や大規模農園での組合活動のリーダーが次々に検挙されたのだ。
真実委員会の報告書『ブラジル ー 二度とくり返すな(ヌンカマイス)』によれば、彼らは拘置所に連行され、「政府当局と対立する政治思想の影響を受けているというだけの理由で」拷問を受けた者も少なくなかったという。
軍裁判所の記録に基づいて作成されたこの報告書は、労働組合の連合組織である全労働者集団(CGT)が、裁判記録のなかでは「至るところに存在し、追い払うべき悪魔」として扱われていると述べている。
さらに報告書は「一九六四年に成立した軍政府当局が、この部分をとりわけ入念に「一掃」しようとした」理由について、「賃金の削減と経済の脱国営化を軸とする経済プログラムに対する労働組合からの抵抗が(中略)拡大することを恐れていた」ためだと単刀直入に結論している。
チリ
チリでもアルゼンチンでも、軍事政権はクーデター当初の混乱に乗じて労働組合運動に対する卑劣な攻撃を開始した。
クーデター当日から組織立った手入れが始まったことから見て、これらの作戦がかなり前から計画されたものであることは明らかだ。
チリでは占拠された大統領宮邸に人々の注目が集まるなか、他の部隊が「「工業ベルト」と呼ばれていた地帯」に派遣されて「次々に工場の手入れを行ない、人々を逮捕した」。
続く数日間、さらに数ヵ所の工場が手入れを受けた結果、「おびただしい数の人々が逮捕され、なかには殺害されたり行方不明になったりした者もいた」と、チリの真実和解委員会の報告書は書く。
一九七六年にチリで政治犯として収監されていた者の八割は労働者と農民だった。
アルゼンチン
アルゼンチンの真実委員会のレポート『二度とくり返すな(ヌンカマス)』も、これと同様の労働組合に標的を定めた攻撃があったとして、次のように記している。
「クーデター当日あるいは直後に(労働者を標的にした)大規模な作戦が実施されたことをわれわれは確認した」。
工場への手入れについての多くの記録のなかに、非暴力的な活動家を逮捕するための偽装工作として「テロ」が使われたことを暴く証言がある。
「ラ・ベルラ」強制収容所に政治犯として拘束されていたグラシエラ・ヘウナは、彼女を見張っていた軍人たちが発電所のストライキが近づいていることにひどく動揺していたと語っている。
ストライキは「軍事独裁に対する抵抗の重大な一例」とみなされ、軍事政権はそれを許すわけにはいかない。
したがって「部隊の軍人たちはストライキを非合法化する、あるいは彼らの言葉によれば「モントネーロス化」することを決めた」(ゲリラ組織モントネーロスは、すでに軍によって解体されていた)。
ストライキはモントネーロスとなんの関係もなかったが、そんなことはどうでもよかった。
「ラ・ベルラの軍人たちは自らストライキを呼びかけるビラを作成し、「モントネーロス」とサインして印刷した」。
軍はこの偽のビラを「証拠」として、組合の指導者たちを連行し、殺害した。
*
*
0 件のコメント:
コメントを投稿