2013年1月24日木曜日

忌野清志郎『瀕死の双六問屋』を読む(その3) 「五十年以上も戦争の無かった国に生きている」

江戸城(皇居)東御苑 2013-01-24
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忌野清志郎『瀕死の双六問屋』を読む(その3)

今回は、キヨシローのチカラの入った、そして非常に面白い部分。

第十八話 五十年以上も戦争の無かった国に生きている

 人々はかくも過去の史実に翻弄されるものなのであろうか。
しかも百年以上も法制化されていなかった旗や歌をなぜ今法制化(*注1)しようとしてるのかもわからん。
五十年以上もの間、戦争の無かった国は世界でも珍しいのだ。
その点だけでも日本はすばらしい国ではないか。
百年でも二百年でも戦争なんかするべきではない。
そろそろ戦争で儲けたい奴が出てきているのか? 
なにしろ不景気だからな。
軍需産業はそうとう儲かるらしいからな。
なぜ今法制化したいのだ? 
俺が歌ってやろうか?

 巷にある歌を俺がどんなアレンジでどんな歌い方をしようが自由だろ。
まさかそのくらいの自由はゆるされているんだろうな。
俺はロックン・ロールとリズム&ブルースしかやったことがないんでね。
はっきり言っておこう。
俺はこの日本に生まれて、ずっとこの国で育ってきた。
日本国籍を持っていて国民年金も払ってる。
脱税もしてない。
話すのも考えるのも日本語だ。
日本文化に敬意をもってる。
俺の好きなロックやブルースを歌ってもいいんだろうな?

 俺が「君が代」を歌ってRCサクセションの「COVERS」の二の舞になったらお笑い草だぜ。
これはますます歌いたくなってきたな。

 各地で「君が代」の公聴会とやらが催されているらしいがヤラセみてえだな。
それで民主主義のつもりなのか。
ひとつの歌がシングルとして、どのくらいのパワーがあるのか、いつも俺達は考える。
レコード会社もプロダクションもバンド・メンバーも作家も音楽と歌について議論をするんだ。
それが当たり前のことだろう。
だが、公聴会とやらには音楽家の顔ぶれが見られない。
ひとつの歌を国歌にするのかどうかという議論に音楽家が参加していないのは、これまた不可思議なものではござらんか? 
旗や歌に関してはデザイナーやミュージシャンの意見を聞くべきではないのか。
”かたはらいたい”とはこのことじゃ。
では今回はこれにて失礼いたす。

いつも歯切れのいいキヨシローである。
さて、そのRCサクセションの「COVERS」、
キヨシロー自身の解説はこう(↓)である。

RCサクセション COVERS キティ/発売中
もう怒ってましたねえ。
情けなくて頭来ちゃいましたね。
音楽業界が独立してない感じがして、”何で!?”っていう。
もともとはこの前の「マーヴィー」に核のことを扱った曲がありまして。
それをヒントにプロテスト・ソングをやってみたくなって。
ちょうどその時期オープン・チューニングにハマってて、昔の曲をいっぱい思い出して練習してたんですよ。
それで、”もう一枚作ろう”ってなったんですけど、そしたらあんなことに・・・(*注2)ねえ?

黙翁記事にも ↓ ある。
清志郎の反原発ソング 「素晴しすぎて発売出来ません」(1988年6月22日)

(*注1)(*注2)は、これらの経緯に関する分りやすい解説。

(*注1)法制化
1999年2月、広島県の県立高校校長が、卒業式で「君が代斉唱」を「完全実施(=強制)」するか否かについて各方面からの異なる主張の板挟みに悩んだあげく自殺した。
この事件をきっかけに、長年のくすぶりが一気に炎上。
「君が代」を「国歌」として、「日章旗(日の丸)」を「国旗」として明確に法制化せよ、という動きが活発化した。
けんけんがくがくの議論となるも、結果として衆院、参院ともに可決。
同年8月13日に「国旗および国歌に関する法律」が公布、即日施行された。
「法制化」されようがされまいが、「歌」は「歌」なんだろう? というキヨシローのアプローチには、右も左もけっとばす、シンプルにしてラディカルな凄味がある。



(*注2)あんなことに・・・
1988年6月22日、東芝EMIはRCサクセションの新アルバム「COVERS」と、先行するシングル「ラブ・ミー・テンダー/サマータイム・ブルース」の発売中止を新聞に告知した。
発売予定日はアルバムが8月6日(1945年に広島で原子爆弾の人体実験が実施された日)、シングルにいたっては6月25日という「ドタキャン」である。
その理由いわく「上記は素晴らしすぎて発売できません」。
この前代未聞の「告知」に、世は騒然。
RCサクセションおよび「COVERS」は、いきなり「社会面」を賑わすこととなる。

 発売中止決定の理由は、いまもって公式には明らかにされていない(ということになっている)が、「原子力発電」に対する痛烈な批判と疑問、さらには(これこそがキヨシローのメッセージだったと思われるのだが)より本質的な「反核」のメッセージが東芝EMIの「親会社」(もしくは、そのもっと上)の逆鱗に触れたのでないか、ということは、想像に難くない。
当時は、86年の「チェルノブイリ原発事故」以降、国内でも「反原発」のムーブメントが一気に盛り上がっていた。

 紆余曲折の未、アルバム「COVERS」およびシングル「ラブミー・テンダー/サマータイム・ブルース」は同年8月15日(敗戦記念日)キティ・レコードから発売。
「COVERS」は爆発的に売れ、オリコン・チャート1位となった。

 ちなみに、同年12月に東芝EMIから発売された「コブラの悩み」は、そのほとんどが8月14日(つまり「COVERS」発売前日)の日比谷野外音楽堂におけるライブテイクだが、1曲目の「アイ・シャル・ビー・リリースト」でキヨシローは、そうとうに怒っている。
「東の島(ひがしのしま=日本列島のこと)」という歌詞を「ひがしのしば(=東芝)」と、うたってしまうくらい。

素晴らしい!!

第十九話 オレンジをさがしに・・・

第二十話 宇宙飛行士の友達


    絵画開眼二


第二十一話 ラフィータフィーついにステージ・デビュー


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(その4)に続く  ← コチラ



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