2017年2月2日木曜日

「娘もどきだとか、亭主もどきだとかいう種族も、だんだんふえてきそうで、心づよい。」(金子光晴) (鷲田清一『朝日新聞』折々のことば2017-01-29)

娘もどきだとか、亭主もどきだとかいう種族も、だんだんふえてきそうで、心づよい。
金子光晴

 詩人のつもりで世の中を渡ってきたが、「それでも一生涯、ゆき丈の合わないきものをきてきたようで、安心して詩人でいられた時はない」。
そう、自分は詩人もどきなのだと、詩人は言う。
でもそれは、既成の枠組みにはまりきらない自由人でもあるということ。
「娘」や「亭主」がしょせんは役割にすぎないのであれば、もっと別の演じ方があっていい。
「人よ、寛(ゆるや)かなれ」から。

(鷲田清一『朝日新聞』折々のことば2017-01-29)



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