2013年10月29日火曜日

藤本義一さん一周忌:「9条変えたらあかん」妻が語る遺志(毎日JP) : 「藤本が生きてたら、『アホちゃうか。何考えてんねん』とでも言ってますかね」

毎日JP
藤本義一さん一周忌:「9条変えたらあかん」妻が語る遺志
毎日新聞 2013年10月29日 15時38分

 テレビ番組などでの辛口コメントでお茶の間に親しまれた直木賞作家の藤本義一さんが79歳で亡くなって、30日で1年になる。藤本さんは生前、「九条の会・おおさか」の呼びかけ人にも名を連ね、憲法について積極的に発言していた。妻統紀子(ときこ)さん(78)は「藤本は空襲で友人を目の前で失った。その体験が『憲法9条は変えたらあかん』という思いの根底にあった」と話す。【遠藤孝康】

 「僕が今、一番考えるのは、9条を日本人はどう考えていったらいいかということです」。2008年3月、大阪市中央公会堂で、作家の故・井上ひさしさんと対談した藤本さんは、約1500人の聴衆の笑いを誘いながら護憲を訴えた。「この会場に10人しか来なくて、僕ら2人がしゃべってたら、これはアホです。こういう時に集まって、熱気ではないけど、結集というものがもっと高まってもいいと思うな」

 藤本さんは12歳で終戦を迎えた。1945年3月の大阪大空襲で、経営する質店を焼かれた父は、その後精神を病んだ。自宅のあった堺市の空襲では、遊郭で働いていた女性約10人が互いにつながれたまま、戦火を逃れられず川で亡くなっていた。終戦前日には、友人が大和川の陸橋上で米軍戦闘機の機銃掃射に遭い、亡くなるのを目の当たりにした。

 統紀子さんによると、こうした空襲の体験を、食卓などで子どもたちに話していたという。米国にも批判的で、「原爆を落とす神経が分からん。あんだけの人を殺した責任は絶対に消えへん」と憤っていた。

 05年4月に結成された「九条の会・おおさか」。各界から集まった14人の呼びかけ人の一人になった。統紀子さんは「批判を恐れずに、きちっと自分の意思表示をするのは当然やと考えていた。藤本の使命感だと思う」と話す。

 藤本さんの死後、親交のあった知人は「炎のような人だった」と評したという。だが、統紀子さんは「家では、ぽよーんとしてて、おちゃめな人やったのにね」と笑う。亡くなって1年。自民党が政権に戻り、憲法改正が現実味を帯びる。統紀子さんは言う。「藤本が生きてたら、『アホちゃうか。何考えてんねん』とでも言ってますかね」

    ◇

 一周忌となる30日、親交のあった落語家の桂文枝さんや放送作家の新野新さんらが大阪市内のホテルに集い、藤本さんの好きだった「蟻(あり)一匹炎天下」という言葉にちなみ「蟻君(ありんこ)忌」と称して藤本さんの思い出を語り合う。



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