2024年11月28日木曜日

【兵庫県斎藤知事公選法違反問題】 PR会社「広報全般担当」は「事実でない」 斎藤知事の代理人弁護士(朝日) → 弁護士の知識(情報)不足が露呈して、「事実でない」に対する反証もイッパイでてきた / 斎藤兵庫県知事、代理人に丸投げ…代理人は困惑&返答に詰まる場面も “公選法違反疑惑”の解明に至らず(スポニチ) / 【終わらない兵庫県知事選】斎藤元彦知事&代理人弁護士「時間差会見」のあざとい狙い…二人揃ってPR会社美人社長をバッサリ切り捨て(日刊ゲンダイ)     

 

「NHK党は反社会的カルト集団」名誉毀損に当たらず 投稿のインターネット記者に賠償責任なし 東京地裁判決(東京) / N国党の「名誉毀損」の訴えが“棄却”… 原告が事実関係を「争わず」2回で“スピード結審” / N国市議に勝訴したライター「スラップ訴訟は民主主義をぶっ壊す」(弁護士ドットコム) / 「N国は反社会的カルト集団」の投稿、違法と認めず 東京地裁判決(朝日);「判決は、過去に立花党首が…『法律を守らない政党であるということを売りにしたい』…『アホみたいに子どもを産む民族はとりあえず虐殺しよう』と発言したーーことなどが真実だと指摘」 / 判決はN国党について、「違法と評価される行為を平然かつ盲目的に行う集団又は団体である」と認定しました /     

【兵庫県斎藤知事公選法違反問題】 ある週刊誌記者から聞いたけど、東京から来た週刊誌の記者たちが、一様に言ってたのが、「兵庫県民って異様。気持ちが悪いですね」だと言う。記者たちの世界は狭く、ほとんど皆さん顔見知りらしい。 その記者いわく、「これはあくまで斎藤支持者を指していた感想」とのことだけど、先日、県内の日刊紙記者からも「取材に行っていて、怒鳴ったり暴力的な人もいて、本当に気持ちが悪かったです」と言われました。(楚人冠)

【兵庫県斎藤知事公選法違反問題】 斎藤知事1期目の公約達成率は27.7% 出直し選、SNSで「達成率98%」の誤情報広がる(神戸新聞) / 記者会見(11/27)で、公約達成率98%はデマとバレる / 「朝日新聞が担当部署に取材したところ、実際の達成率は27.7%だった」 / 「記者 3年間の公約達成率98%は事実か  斎藤氏 公約達成着手率が98#余」 ← ハァ?  

大杉栄とその時代年表(328) 1901(明治34)年4月1日~2日 「一年半、諸君は短促なりと曰はん、余は極て悠久なりと曰ふ。若し短と曰はんと欲せば、十年も短なり、五十年も短なり、百年も短なり。夫れ生時限り有りて死後限り無し。限り有るを以て限り無きに比す、短には非ざる也。始より無き也。若し為す有りて且つ楽むに於ては、一年半是れ優に利用するに足らずや。」(中江兆民『一年有半』)

 

中江兆民

1901(明治34)年

4月

「「文壇照魔鏡」読みて 江湖の諸子に訴ふ」(新声)。鉄幹弁護

4月

同日付け『労働世界』第75号英文欄に高野房太郎が北京に滞在中との短信

4月

大阪市、日本初の市史編纂事業を開始。編纂主任は幸田成友。

4月

谷崎潤一郎(15)、府立第一中学校入学(現 日比谷高校)

4月

山県有朋、伊藤博文首相に「東洋同盟論」を送り、日英独3国同盟推進を建言。

4月

中江兆民、この月、紀州和歌の浦に数日遊んだが、ノドの狭窄がびどくなり呼吸困難を覚え、痛みも治まらなかった。兆民はガンではないかとの疑いを抱き、直ちに大阪へ帰り、耳鼻咽喉専門の堀内医師の診断を請うたところ、堀内医師は詳細に検視して、切開が必要と告げた。兆民はガンと察知し、一旦は切開手術を承諾した。しかしその報を聞いた妻弥が直ちに大阪に来て、ガン切開の危険を説き、維持策を取るよう説得し、切開手術は思い止まった。

兆民、堀内医師に死期の告知を請う。


「余一日堀内を問ひ、予め諱むこと無く明言し呉れんことを請ひ、因て是より愈々臨終に至る迄猶は幾何日月有る可きを問ふ、即ち此間に為す可き事と又楽む可き事と有るが故に、一日たりとも多く利用せんと欲するが故に、斯く問ふて今後の心得を為さんと思へり、堀内医は極めて無害の長者なり、沈思二三分にして極めて言ひ悪くそふに曰く、一年半、善く養生すれば二年を保す可しと、余曰く余は高々五六ケ月ならんと思ひしに、一年とは余の為めには寿命の豊年なりと、」


「一年半、諸君は短促(短期間)なりと曰(い)はん、余は極て悠久なりと曰ふ。若し短と曰はんと欲せば、十年も短なり、五十年も短なり、百年も短なり。夫れ生時(せいじ)限り有りて死後限り無し。限り有るを以て限り無きに比す、短には非ざる也。始より無き也。若し為す有りて且つ楽むに於ては、一年半是れ優に利用するに足らずや。」(中江兆民『一年有半』)


ここから、随筆集『一年有半』執筆に繋がってくる。

兆民は、執筆の楽しみを『一年有半』の中で、


「余の目下の楽(たのしみ)は、新聞を読む事と、一年有半を記する事と、喫食する事との三なり。」


と言う。

4月

荒畑寒村(13)、市立吉田小学校高等科卒業し、山下町の貿易商チャールズ・セールス商会オフィス・ボーイに就職。月給5円。夜間、横浜英語学校に通う。後、リチャード・ホーシェー経営の個人商会に移る。

4月

永井荷風(22)、 「日出国(やまと)新聞」主筆に転じた福地桜痴とともに入社、雑報記者となる。

4月

鈴木庫三(8)、田水山尋常小学校入学。成績良好。この前あたりから養家の経済状況悪化。後、更に貧しくなる。養家の農業を手伝いながら、実家から月謝・書籍代の援助を受けて、高等小学校に通う。1907年、14歳、経済状態から、幼年学校進学を諦める。この年設立された帝国模範中学会の通信会員となり勉強。

4月

米、ガソリンで走る最初の量産車、オールズモービル登場。生産量は当初週に10台強。

4月

ベルギー、普通選挙権を求めるゼネスト。

4月

エドゥアルト・トール、タイミル半島突端チェリュスキン岬に上陸。41日間調査。9月11日(露暦)ベンネト島を見つけるが、氷のために接岸できず、カチョルヌ島で2度目の越冬。

4月1日

私立女子美術学校、東京本郷に開校。女子美術大学の前身。

4月1日

京都博覧協会主催の第1回全国製作品博覧会開催(京都御苑)。

4月1日

ナイジェリア、奴隷廃止。

4月1日

フィリピン、アメリカに忠誠を誓う。

4月1日

4月1日 ロンドンの漱石


「四月一日(月)、 April Fools' Day (四月馬鹿の日 All Fools' Day 万愚節)。朝食に行くと、長尾半平(在パリ)から為替来る。八十ポンドのうち、七十ポンドをパリに送れというので正金銀行へ行き手続きする。結局十ポンド(二百シリング)借りたことになる。 Henry Fardel (ヘンリー・ファーデル)、正岡子規、直矩から手紙来る。ドイツ人の散髪屋で日本のこと話し合う。」(荒正人、前掲書)

*(Fardel は五高の教師)


4月1日

文部省、第三高等学校の法学部・工学部を廃止。鹿児島に第七高等学校造士館を設立。

9月11日、授業開始。

4月2日

4月2日~4日 ロンドンの漱石


「四月二日(火)、 Dr. Craig の許に赴く。帰途、 Charing Cross (チャリング・クロス)の古本屋で二、三冊買う。馬車の上で日本に行ったことがあるというイギリス人から話しかけられる。入浴する。鏡(推定)から小包届く。 Miss Milde, 山田某に手紙を出す。

四月三日(水)、 Glasgow University (グラスゴー大学)から examiner に任命すると公式通知来る。

四月四日(木)、 Easter Holiday のため下宿の主人夫妻は田舎の妻の実家に行く。 Miss Sparrow (スパロー嬢)一人残る。彼女は娯楽を好まず、働くことに満足しているようで、その理由を尋ねると、神を信じるからだと答える。田中孝太郎に妻からの手紙来る。田中孝太郎の旧師(横浜商業学校(推定))が留守宅に訪ねて、父親と対談中、御子息は、何年位外国にいるかと聞くので、二、三年位と答えると、旧師は、せっかく行ったのだから、五、六年は滞在していたほうがよいと云う。妻はそれを陰で聞いて、大層悲しく思ったとのこと。これを聞いて、女性の情と昔風の先生の様子は、小説のようだと思う。」(荒正人、前掲書)


つづく


ネタニヤフにICC逮捕状 世界は「西側の指導者」を拘束できるか?(クーリエ・ジャポン);「イスラエル紙「ハアレツ」は逮捕状の発行を受けて、「イスラエルにとって前例のない道徳的な汚点だ」とする社説を掲載し、ネタニヤフとガラントのほか、彼らがガザでおこなう「民族浄化」を止めようとしない国民も非難した。 「イスラエル、そしてイスラエル国民全員にとっての問題は、...ICCに指摘された、政府と軍による恐ろしい行動が問題なのだが、イスラエル国民のほとんどはそのことに無関心のままだ」 「ハマスがイスラエル人に対しておぞましい戦争犯罪を犯し、降伏も人質解放も拒んでいるからといって、イスラエル軍によるガザでの大量殺戮や破壊が正当化されるわけではない」」

2024年11月27日水曜日

「ショートでかわいらしい雰囲気の女性」“被害総額10数億”三菱UFJ貸金庫から客の資産を盗んだ元行員の“正体”「女優でいえば…」(文春オンライン) / 三菱UFJ行員が貸金庫から窃盗 Yahoo!知恵袋で3年前に酷似事案告白、「なぜスルー」の声も(J-CASTニュース) / 三菱UFJ銀行員が十数億円を窃取 顧客約60人の資産、貸金庫から(朝日); 三菱UFJ銀行は22日、東京都内の貸金庫から顧客の資産を盗んでいたとして、貸金庫の責任者だった行員を14日付で懲戒解雇したと発表した。被害者は約60人に上り、時価で十数億円の被害を確認したという。

大杉栄とその時代年表(327) 1901(明治34)年3月22日~31日 「おそらく漱石が立花を見舞ったときの発言らしいが、「戦争で日本負けよと夏目云ひ」と、立花はドイツ留学仲間の芳賀に一句を残したというのである。芳賀からそれを聞いた藤代は、ロンドン近辺にうろつく「片々たる日本の軽薄才子の言動に嘔吐を催ほして居た」漱石の言と解している。」(十川信介『夏目漱石』(岩波新書))

 

藤代禎輔

大杉栄とその時代年表(326) 1901(明治34)年3月15日~21日 「総ての楽、総ての自由は尽く余の身より奪ひ去られて僅かに残る一つの楽と一つの自由、即ち飲食の楽と執筆の自由なり。しかも今や局部の疼痛劇しくして執筆の自由は殆ど奪はれ、腸胃漸く衰弱して飲食の楽またその過半を奪はれぬ。アア何を楽に残る月日を送るべきか。」(子規「墨汁一滴」) より続く

1901(明治34)年

3月22日

中江兆民、商用で大阪へ赴こうとして仕度を整えた際、突然ノド部分から多量の出血があったが、しばらくして止まったので予定どおり出発。

実は、前年秋頃から兆民の健康に異変を生じていた。11月頃より声がかすれるようになったが、痛みは感じなかったので放置していた。その後左首筋に硬いしこりがあり、押えると痛みを感じるので、咽喉専門医の診察を受けたところ、喉頭カタルと診断された。この年3月の長野遊説時には首筋のしこりは大きくなり痛みも感じるようになっていた。

3月23日

「明星」第11号、1ヶ月遅れで発行。巻頭に鳳晶子の「おち椿」79首、山川登美子は「紅鶯」15首を寄せる。「明星」第12号は5月25日発行。この月、鉄幹第3詩集「鉄幹子」、翌4月、第4詩集「紫」発刊。

3月23日

フィリピン、米支配に反乱を起こしたエミリオ・アギナルド、逮捕。

4月2日、米への忠誠を誓う。

3月23日

3月23日~26日 ロンドンの漱石


「三月二十三日(土)、夜、 Metropole Theatre (メトロポール劇場)で Robert Marshall (ロバート・マーシャル)の ""The Royal Family"" (『王室家族』)を観る。翌朝のためワイシャツ・靴下を替える準備をする。

三月二十四日(日)、井原斗南を Balham (バラム)に訪ねる。不在。渡辺雷を Clapham Common (クラッパム共有地)に訪ねる。不在。田中孝太郎と同行である。

三月二十六日(火)、 Dr. Craig の許に赴く。夜、井原斗南訪ねて来て、三月二十八日(木)の夕食に招待される。長尾半平(在パリ)から手紙来る。」(荒正人、前掲書)


3月24日

東京地裁・区裁の判検事ら、司法官増俸予算削減に抗議し、辞表提出。各地の地裁にも波及。

3月24日

第15議会閉会。

3月24日

英外相、林董駐英公使に英独協商は満州にも適用と回答。

3月24日

ランズダウン英外相、揚子江協定(1900.10.16)を満州に適用することを回答。

3月25日

珍田捨己駐露公使、満州に関する露清約定等について露に抗議。

3月26日


「 ある日左千夫鯉(こい)三尾を携へ来りこれを盥(たらい)に入れてわが病牀の傍(かたわら)に置く。いふ、君は病に籠(こも)りて世の春を知らず、故に今鯉を水に放ちて春水(しゅんすい)四沢に満つる様を見せしむるなりと。いと興ある言ひざまや。さらば吾も一句ものせんとて考ふれど思ふやうに成らず。とやかくと作り直し思ひ更(か)へてやうやう十句に至りぬ。さはれ数は十句にして十句にあらず、一意を十様に言ひこころみたるのみ。

 (後略)

(三月二十六日)」(子規「墨汁一滴」)"


3月27日

佐藤栄作、誕生。

3月27日

ロンドンの漱石


「三月二十七日(水)、 Albert Dock (アルバート埠頭)に停泊している常陸丸の立花銑三郎より手紙あり、病気帰国の途中なので直ちに見舞う。容態悪い。立花銑三郎と同船の医学士望月淳一と渡辺雷を British Museum (大英博物館)と National Gallery (ナショナル・ギャラリー)に案内する。夜、渡辺雷来る。(立花銑三郎のことをさらに話したものと思われる)領事館の諸井六郎(推定)が examiner (試験委員)の件で来訪する。」(荒正人、前掲書)


3月27日 漱石、ドイツへ留学していた旧友立花銑三郎をアルバート・ドッグに入港中の常陸丸に見舞う。日記には「気の毒限ナシ」とある。


「・・・・・立花銑三郎は肺を病み、帰国中の常陸丸からその旨を知らせてきた。漱石はすぐにアルバート・ドッグに入港中の常陸丸に彼を見舞った。どう見ても重病で、立花はその後、香港を出てすぐに船中で死亡した。ドイツで立花と親しかった藤代素人(禎輔)の回想「夏目君の片鱗」に、立花の句として真偽不明の話が残っている。おそらく漱石が立花を見舞ったときの発言らしいが、「戦争で日本負けよと夏目云ひ」と、立花はドイツ留学仲間の芳賀に一句を残したというのである。芳賀からそれを聞いた藤代は、ロンドン近辺にうろつく「片々たる日本の軽薄才子の言動に嘔吐を催ほして居た」漱石の言と解している。(十川信介『夏目漱石』(岩波新書))


「立花銑三郎は、常陸丸で Albert Dock (アルバート埠頭)に停泊中に芳賀矢一に手紙を出す。そのなかに、「戦争で日本負けよと夏目云ひ」という句を書き添えている。日本とロシヤの戦争が近いことを知り、ロンドンに来ている日本人の生活を皮肉ったものと思われる。(藤代禎輔(素人)「夏目君の片鱗」『漱石全集』月報第五号 昭和三年七月 岩波書店)


3月28日

北海道会法公布。

3月28日

3月28日~3月31 ロンドンの漱石


「三月二十八日(木)、朝、長尾半平(在パリ)から手紙来る。入浴のため外出する。夜、長尾半平に手紙を書き、借金を申し込む。その前か後に、 Miss Robert (ロバート嬢)とピンポンをする。多忙のため井原斗商の夕食招待は断る。

三月二十九日(金)、 Glasrow University (グラスゴー大学)の examiner に任命するとの総領事館(84 Bishopsgate Street Within, E.C.)からの通知を受ける。井原斗南から、夕食に応じられなかったことは残念だと葉書来る。

三月三十日(土)、「白シャツ襟ヲ易フ、近頃ハ毎日風ナリ、」(「日記」)昼、 Hippodrome (ヒッポドローム)を見に行く。安い席なく、五シリング払う。「帰リニ bus ニ乗ツタラ『アバタ』ノアル人ガ三人乗ツテ居タ、」(「日記」)夜、 Glasgow University (グラスゴー大学)の書記官 Clapperton に examiner 承諾したと書き送り、 Addison (アディスン)に試験問題を送る。

三月三十一日(日)、田中孝太郎と Brockwell Park (ブロックウェル公園)に行く。男女二人連れの一人は、金之助たちを日本人と云い、他の一人は中国人と云う。」(荒正人、前掲書)


長尾半平: "

「慶応一年(一八六五)七月二十八日生れ。昭和十一年(一九三六)六月三十日、京城にて死去する。明治二十四年(一八九一)七月、帝国大学工科大学土木科を卒業する。明治二十年(一八八七)、帝国大学に入学してまもなく麹町教会で受洗する。明治十五年(一八八二)、新潟中学校を卒業した年に禁酒を誓い、後に禁酒運動に尽力する。明治三十三年(一九〇〇)四月、台北市区計画委員の時に、ヨーロッパに出張し、八月、臨時台湾基隆築港技師になる。台湾総督官後藤新平の命令で、金銭や時間の制限なく出張していた。初めはホテル、次に漱石と同じ下宿、続いて近くに知り合いがあったので、そこに下宿した。漱石と同じ下宿にいた期間は、一月十九日(土)以後三月二十八日(木)以前と推定する。長尾半平は、四月中に、パリからロンドンに戻ったと想像される。その時、漱石の下宿にいたとも、近くの下宿に移っていたとも二通りの想像ができる。長尾半平の「ロンドン時代の夏目さん」(『漱石全集』二十巻 月報第五号 昭和三年七月 岩波書店)には、次のように述べられている。

「或る時、夏目さんが金を貸してくれといふので、いくら位だいと問ねたところ、『まア二十ポンドぽかり』といふので、その時夏目さんがいかにも呑気なので、私はぷしつけに『一體その金は返してくれるんだか、それとも君にやるんだか』と問ねたところ、夏目さんはいかにも悠長に『いやア、返すんだよ』といつて、結局その時、二十ポンド程、夏目さんに貸したやうなわけである。」長尾半平は、日本に帰ってから、この金を返して貰ったと語っている。」(荒正人、前掲書)


3月29日

羽仁五郎、誕生。

3月29日

鉄幹、晶子に手紙。「粟田のかりね しのばれ候、あひたく候、四月の末とは遠き遠き候ことに候かな」。

3月29日

クラーク・ゲーブル、誕生。

3月30日

閣議、渡辺国武蔵相、突如、公債支弁国家事業の中止を提案。第4次伊藤内閣、渡辺と他閣僚の意見不一致となる。

5月2日伊藤は、閣内不統一で辞表提出。

3月30日

「荒城の月」「箱根八里」などを収めた「中学唱歌」、東京音楽学校から出版。

3月31日

アントニン・ドボルザークのオペラ『ルサルカ』初演(プラハ)。


つづく

【兵庫県斎藤知事公選法違反問題】 兵庫・斎藤知事の選挙カーでライブ配信 公選法違反疑惑を浮上させたPR会社・女性社長のSNS戦略の実態を目撃(AERA.dot); 〈広報全般を任せていただいていた〉 斎藤氏のアカウントすべてを〈管理・監修〉 選挙カーに同乗してライブ配信していた折田氏 「ガッツポーズなどの演出も折田さんの戦略」 「私の働きは400人分に見えていたんや!」 選挙運動への報酬は公選法違反の疑いが 斎藤氏の弁明と食い違う折田氏のブログ 「刑事告発も視野に入れている」   

 

【兵庫県斎藤知事公選法違反問題】 PR会社の(折田)社長が県の有識者会議に出席し、県から15万円の謝礼が支払われていた。公職選挙法では県と利益を伴う契約の当事者が選挙に関して寄付することを禁止しています 選挙管理委員会「PR会社の社長が行った行為が寄付なら法に抵触する可能性…」 /   “広報”女性社長は「一度もやったことない」のに兵庫県eスポーツ検討会委員に選ばれていた…彼女を選挙カーに上げた理由を聞かれた知事は仰天回答(集英社オンライン)  

【兵庫県斎藤知事公選法違反問題】 「立花さんのYouTubeでテレビのウソがわかった」「メディアは一切信用しない」兵庫県知事選、斎藤元彦氏の応援団に“1か月密着取材” 見えてきた勝利の背景(NEWSポストセブン)

【兵庫県斎藤知事公選法違反問題】 野村修也 テレビ(ミヤネ屋)で斎藤兵庫県知事を擁護 亀井弁護士の発言を遮ってまでの醜態だった模様 

2024年11月26日火曜日

庭の鉢植えのハイビスカスが開花した 2024-11-26

 11月26日(火)晴れのち曇りのち雨

2日ほど前からハイビスカスが花開く気配。

まさかと思ったけど、今朝、しっかり開花していた。

なんか嬉しい。

このハイビスカス、長男が海外駐在する際に譲り受けたもの。

譲り受けた時は、まだ「草」の様だったけど、今は(モチロン今も「草」だけど)「木」のようにしっかりした幹に育っている。