(その2)より
「九条の会」と改憲潮流
小森 先ほどの「思考からの逃避」は1930年代のナチス・ドイツが台頭した時の宣伝の型の帰結だ。本当の悪者(自分たち)を隠すために、権力構造を語るのではなく、多くの人々にとって自分より少しだけ得をしていそうな人たちを、仮想敵として「こいつらが散だ」と名指しして、そこに攻撃の矛先を全部向けていくという手法だ。
ドイツは第一次世界大戦に負けて莫大な戦争賠償金を支払わねばならなかったため、中産階級が没落した。
その戦争賠償金の一部は確かにイギリスのロスチャイルド家が経営する銀行に納められた。
ロスチャイルド家はユダヤ人だが、それと隣のユダヤ人の雑貨屋さんとは全く関係ない。
けれども、多くの人はロスチャイルド家がユダヤ人だと知っているから、「ユダヤ人が諸悪の根源だ」と言われると、密告や告発が出てくる。
これがナチス的な「権威主義的人格」づくりだ。
上の者の言うことには従ってとことんマゾヒスティックに、自分より下の者に対してはとことんサディスティックになる。
ちょっとだけ自分より上の者、幸せそうな者を「こいつらが悪いのだ」と叩き落とし、いったん自分より弱い者に落ちた瞬間、その者たちへの攻撃をさらに激しくする。
石原慎太郎や橋下徹に投票する人たちの傾向を統計調査した結果(『世界』2012年7月号)によると、そういう人たちは政治不信ではなくて公務員不信であり、ダーゲットは公立学校の先生や公務員だった。
内橋 うっぷん晴らし政治だ。
小森 公立学校の先生や公務員の組合(日教組と自治労)が60年安保以来の「社会党・共産党・総評ブロック」の「総評」の中心だったから、公立学校の先生や公務員を攻撃のターゲットにするのは、改憲派としては間違っていない。
公務員的存在を攻撃すると有権者の気分がよくなるという典型的事例が2005年の郵政選挙だ。少し考えれば、郵便局のおじさんやおばさんたちのために自分の生活が悪くなったわけではないとわかるのに、「既得権益者は郵政」だと言われ、小泉純一郎政権にしてやられた。
その流れに乗せられないためには、民主主義的な討論を日常的に行うということしかない。
ところが私たちは、民主主義的な討論を行なう空間と時間を既に奪われている。大学の学内寮はなくなった、皆が溜まって話せるような喫茶店もない。
民主主義的な討論を行う装置そのものが何十年もかけて意識的に壊されてきた。
それを何とか復元しようとして、「九条の会」は活動してきた。
2004年にアピールを出した時、読売新聞の4月の憲法世論調査で「憲法を変えたほうがいい」という人が60数%、「変えないほうがいい」は20数%だった。
約3000の「九条の会」ができた時点で20005年の「郵政選挙」を迎えるが、世論は完壁にだまされ、自公が三分の二以上を獲得する。
自民党は「新憲法草案」を発表し、それが2006年に第一次安倍政権に渡される。
安倍は「任期中に憲法を変える」と宣言し、その手始めが教育基本法改悪だった。分裂していた教職員組合が全国で一緒になって改正反対を訴えたけれども強行採決されてしまった。
いよいよ憲法が危ないという危機感が高まる中で、2006年に48だった「九条の会」が2007年には6000になる。その年4月の読売新聞憲法世論調査では、3年連続で「憲法を変えないほうがいい」という人が増え、「変えたほうがいい」は減り、40数%で桔抗するようになったと報道された。
そういう中で、当時の民主党代表小沢一郎が、安倍政権の国民投票法には協力しないと、特別委員会の理事を下ろした。
「九条の会」の大きな討論の運動が草の根で起きている中で世論が変わった。
結果的に2007年の参議院選挙で民主党をはじめとする野党が勝って、「ねじれ国会」になり、2ヶ月後に安倍晋三が突然辞任、2008年には読売新聞の世論調査で15年ぶりに「憲法を変えないほうがいい」という人が多数派になった。
その後リーマンショックが起き、「九条の会」の運動は反貧困運動の流れと結びついて、「年越し派遣村」につなる。その際分裂していた労働組合が一緒にやろうということになって、2009年の政権交代につながった。
「社会党・共産党・総評ブロック」が崩された94年ぐらいから後は、下からの市民運動をやっていくしかないと腹をくくり、世論調査で逆転するまでになった運動の成果を、民主党という政党が結果としては持っていった。
政権交代後3年たってマニフェストを裏切った民主党への絶望が圧倒的となった結果、昨年12月の総選挙では戦後最低の投票率を記録、政党政治そのものを信用できないという気分に民意が持っていかれた。
歴代自民党政権が九条を変えるために狙ったもののできなかった小選挙区制は、細川政権の時に、政治改革の名の下に導入されたが、その選挙制度によって昨年12月の総選挙では選挙区2割4分と比例区1割5分で自民党が三分の二以上の議席をとってしまった。これが第二次安倍政権に至る帰結だ。
改憲という総仕上げ
内橋 いまおっしゃった歴史は、日本資本主義が変質していく過程とぴったりパラレルだ。
小森 そうだ。アメリカに従属した形での変質に連動している。
内橋 それはとりわけ、「雇用・労働の解体」と歩調を合わせて進んだ。
第二次安倍政権が真っ先に取り組んだのも、産業競争力会議で正社員の首切りを、解雇の四要件という縛りを無視して、金銭的解決で容易にすることだった。
製造業の派遣を許可したのは小泉政権だが、そうした流れの総仕上げが今回の第二次安倍政権による改憲で、恐らく相当なスピードで政官財一体となって押し進めるだろう。
経済界が異常なほど力を入れて改憲を迫っている。
日本の資本が置かれている世界的な位置づけからすると、労働の解体によって何とかサバイバルをはかってきたものの実際には非常に厳しく、アベノミクスという最後の切り札の中で、改憲もTPPも原発再稼働も、全部ひっくるめて一気に出してきている。
改憲に至る準備が着々と行われて、私たちはいまその総仕上げのときに立ち会っている。
人々の意識あるいは世代間の断絶、経験の継承の不足といった、私たちの主体的努力で解決できる問題ではなく、もっと法則的な「ネオリベ循環」から来るものではないか。
安倍政権は、参院選後の、あまり遠くない時期に、恐らく、深刻な経済的矛盾に遭遇するだろう。
いま円安・株高の陰で、交易損失がものすごくふくらんできた。
人びとの労働の成果である国富が外に流れ出ている。
ほとんどの日本の輸出産業は、原材料輸入依存度が非常に高いわけで、円安万歳と言っているうちに原材料価格はどんどん上がり、それを製品化して輸出するときの価格は下がる。
その結果、昨年度の交易損失は18兆円を越えてしまった。
恐らく、その後の円安からいけば、20兆円水準に達しているのではないか。
それだけ所得が海外に移転され、いくら働いても豊かにはなれない構造が出来上がっていく。
それがまさに日本のグローバルズ(日本型多国籍企業)が直面している危機で、ここを何とか乗り越えようと、ますます労働の解体を進める。
民主党政権は家計・生活から入って、それらを豊かにしていけば国も豊かになれるという筋道を少なくとも通そぅとしたのに対し、第二次安倍政権は、強い産業国家を回復したいという焦燥感・危機感で財界と一体だ。
武器輸出三原則の見直しも、深刻な危機感の裏返しだ。
外からと内からの挟み撃ちにさらされ、遠からず、国民経済の基盤そのものが破綻へと進む。
円安・株高をはやして昂揚感に包まれているうち、気がつくと、私たちの社会はグローバルマネーのお狩り場になっていた、と……。
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(敬語、丁寧語を略した)