2020年8月31日月曜日

日比谷花壇大船フラワーセンター コスモス、キキョウ、薔薇、サルスベリ、蓮、睡蓮 2020-08-31

8月31日、晴れのち曇り(夜、雨の筈だがまだ降っていない)
今までのような炎天下、という程ではなかったものの気温は最高35℃いったらしい。
8月最後の日。
今日は久しぶりに大船フラワーセンターに行った。
入口での検温、いつもは聞かないんだけど、どれだけでしたか?とこちらから質問。
35.9℃だったとのこと。
やっぱりね。おデコ、相当汗かいてたので。

今日は特に園内ガラガラだった。
夏のこの時期、目新しいお花、無いものね。
園のツイッターで記憶にある最新の情報がジニアだった。
(ジニアを目当てに来る人、いないと思う)

それでも、コスモス、キキョウ、薔薇(ちょっとだけど)、サルスベリ、蓮、睡蓮などなど、ワタクシ的には悪くなかった。

午後2時過ぎ頃から、西か西北方面の空に黒い雲が立ちこめ、遠くで雷も聞こえてきたので、予定していた温室を止めて早々に退出した。

結局のところ、その後、何度も雷が聞えるものの雨はまだ降っていない。







 

“無敵”の菅官房長官は、なぜ沖縄の選挙だけ読みを外すのか オフレコメモに見る政権「必敗」の理由(石戸諭2018-11-13);<「県民には『魂の飢餓感』がある」翁長は大切な人を奪われ差別によって尊厳と誇りを傷つけられてきた沖縄の歴史を表現。しかし、いくら歴史を語っても菅は応じなかった。「私は戦後生まれなものですから歴史を持ち出されたら困りますよ」> / 翁長氏と菅は共に法政出身だが、翁長氏は復帰前の沖縄からパスポートを持ち上京し、ドルで仕送りをうけていた。後年、沖縄の負担を説く翁長氏に、菅は「戦後生まれのでわからない」と答え、翁長氏に「お互い別々の戦後の時を生きてきたようだ」といわれている(花瑛塾広報局)   



 

(考 最長政権:2)失速アベノミクス、口にせず幕(朝日新聞);〈辞任表明会見で、首相は一度もアベノミクスという言葉を口にしなかった。経済政策の失速が色濃くなる中、こだわり続けたのは雇用の指標だ。会見で実績を問われて触れたのも雇用だったが、この間、非正規社員は正社員の倍近く増え、実質賃金の伸びもマイナスの年が多かった〉

 

株価重視、生活上向かず 実質賃金低下、年収200万円以下増<安倍政権 緊急検証連載><一強の果てに 安倍政権の7年8カ月(2)>(東京新聞);「金持ちにはもうけさせたのに…」 消費税率引き上げで支出増 株高演出でも「買うお金なんてない」 / 「普通の家庭」が貧しくなった 最長政権下の7年8カ月(朝日) 

 



 

安倍総理辞任の衝撃の中、「官邸の天敵」南新聞労連委員長が朝日新聞政治部の現場に復帰(立岩陽一郎) ; 新聞労連委員長として総理会見の在り方や総理と記者が会食する慣行を厳しく批判してきた南彰氏が9月1日から朝日新聞政治部記者として取材の現場に復帰する。

 

2020年8月30日日曜日

安倍首相辞任会見...「痛恨の極み」「断腸の思い」と語ったのは ①拉致問題 ②北方領土 ③憲法改正 の3つ。...沖縄や福島への「寄り添い」も、女性活躍も、デフレ脱却も、地方創生も、コロナ対策も大した心残りではなかったということかな(津田大介) / 金平茂紀氏「あと、沖縄。沖縄については歴代政権の中で、最も沖縄に対して冷淡だったのが安倍政権ではないかと、地元の人がみな言ってます」 / 沖縄国際大学・野添文彬准教授「これほど基地問題につい手厳しい政権は歴代の政権にはなかったと思います。多くの沖縄県の人々にとって悪夢のような政権として記憶されるのではないかと思う」        



 

【1】安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である 私たちの再出発は、公正と正義の理念の復活なくしてあり得ない 【2】無惨なる安倍政権を支えたマスメディア 民衆が自らの力を自覚してしまうことを、権力は恐れてきた 【3】一部の官僚に途方もない権力を与えた「政治主導」 7年余りの間に、この政権は専制政治に確実に近づいてしまった  - 白井聡|論座

(略)

  その象徴と目すべき事件が、伊藤詩織氏に対する山口敬之のレイプとそのもみ消しである。失政を重ね、それを糊塗しなければならないからこそ、山口のごとき提灯持ちの三下が安倍晋三にとっては大変貴重な人材となった。この事件は、犯行そのもの、逮捕の撤回、明るみに出た際の安倍支持者による被害者への誹謗中傷、もみ消し当事者の中村格警視庁刑事部長(=当時)のその後の出世(現在、警察庁次長、すなわち次期警察庁長官の最有力候補である)という経緯のすべてが腐りきっている。このような事件を起こした政権を合法的に継続させているという一事だけでも、現在の日本国民の悲惨な道徳的水準を十分に物語っている。  こうして腐敗は底なしになった。森友学園事件、加計学園事件、桜を見る会の問題などはその典型であるが、安倍政権は己の腐りきった本質をさらけ出した。不正をはたらき、それを隠すために嘘をつき、その嘘を誤魔化すためにさらなる嘘をつくという悪循環。それはついに、一人の真面目な公務員(財務省近畿財務局の赤木俊夫氏)を死に追い込んだ。高い倫理観を持つ者が罰せられ、阿諛追従して嘘に加担する者が立身出世を果たす。もはやこの国は法治国家ではない。 

 (略)  

 かくして、モラルは崩壊し、政治の場、国家機構そのものが、政官財学で跋扈する背広を着た強盗どもによる公金のぶん取り合戦の空間と化してきた。新型コロナ対応のための補助金支給業務において、この腐敗は鮮やかに現れた。私物化の原則は権力の頂点から発し、恥を知る者を除く万人を私物化競争へと誘い出して行ったのである。 

 (略)  

 私たちの再出発は、公正と正義の理念の復活なくしてあり得ず、その復活のためには、総理自身の違法・脱法行為の究明が絶対的に必須である。少なくとも、山口敬之レイプ事件、森友学園事件、加計学園事件、桜を観る会、河井夫妻の事件の計5件の事件については、徹底的な究明がなされなければならない。そして当然、究明に引き続いて、安倍のみならず関与した他の者の訴追と処罰もなされなければならない。

 (略)  

 それにしても、安倍政権におけるこうしたスキャンダルを列挙すると、それぞれの件の矮小性にあらためて驚かされる。かつて戦後日本政治を揺るがしたスキャンダル、すなわちロッキード事件やリクルート事件は、それぞれ時代を画するものであった。ロッキード事件については、国際的な謀略の存在がささやかれ続けているし、戦後保守政界の裏舞台で重大な役割を果たした児玉誉士夫など、超大物が関係していた。あるいは、リクルート事件は、製造業から情報産業へという資本主義経済における中心産業の転換を背景として発生したものであり、その意味で時代を象徴するものだった。  これに対して、安倍晋三がらみの事件の実質は、山口敬之レイプ事件=性犯罪とそのもみ消し、森友学園事件=昭恵夫人の暴走・国有地の叩き売り、加計学園事件=単なる身びいき・公金の横流し、桜を見る会=有権者の買収、河井夫妻の事件=私憤と子分への肩入れの行き過ぎ、であるにすぎない。どの事件にも、その背後で進行する社会構造の大変化などを感じさせるものは何もなく、ただひたすら凡庸でケチ臭い。それは、安倍晋三という人間のパーソナリティの身の丈にまさに合致しているとも言えるのだが。 

 (略)









 

「あなたが残した分断と政策行き詰まりに苦しむのは私たちです」 安倍首相への手紙(毎日新聞);.....「森友・加計学園問題や「桜を見る会」の問題で名前が取り沙汰されるのは、例外なくあなたの「お友達」や支持者、政権に近い人物ばかりです。あなたの味方になれば「良い思い」をして敵になれば攻撃される。国家指導者が国民各層を「敵」「味方」に分断する社会が住みよい社会であるはずがありません」 / 安倍政権の「権力の私物化」ではなかったのか 重用と左遷、官僚は忖度 - 毎日新聞   

 



 

首相、コロナ危機で無力さ露呈 ライバル遠ざけ人材不足(朝日); 奈良岡聰智・京都大学大学院教授「安倍首相はよく民主党政権のことを「悪夢のような」と形容し、自身は危機管理に強いことを標榜してきました。しかしいざ現実に新型コロナウイルスという危機が起きると、自身も無力であることが露呈してしまいました…政権を途中で投げ出した近衛首相にその姿が重なります」 / 安倍総理はコロナに敗れた世界初のリーダーと記録されるかもしれない(田中良紹)   

 

社説 「安倍政治」の弊害 民主主義ゆがめた深い罪(毎日新聞);「異論や批判に耳を傾けず相手を激しく攻撃して対立をあおる。こんな「分断手法」が続いてきたのは安倍政治の大きな弊害と言っていい。この姿勢が、憲法で「国権の最高機関」と位置づけている国会の著しい軽視につながった。国会を内閣の下請けのようにしてしまった罪は深い」

 



 

2020年8月29日土曜日

「最後まで安倍政権の印象操作にメディアが加担」 元NHK記者の立岩氏、記者会見のあり方を批判(京都新聞); 「権力とメディアの関係が現状のままでは、政権が代わっても問題は続くだろう。」



 

【安倍首相辞意表明】「これ以上ひどい首相いない」 市民に広がる衝撃、嘆息、苦言(神奈川新聞) / 「ついに辞めるのか」 安倍首相の辞意に沖縄県民は驚きと批判 次の首相は「沖縄の心情を理解できる人に」(沖縄タイムス) / 安倍首相辞任、アベノミクスの2つの大罪(ニューズウィーク日本版) / 「公権力への絶望が広がった」 辞意表明の安倍首相に識者らから厳しい評価も(東京新聞) / 安倍総理、辞任。日本の政治を「空洞化」させた政権の7年半   

 

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「余力残した辞任が一番」と首相 自民・稲田氏が番組で明かす(共同通信); 「体調悪化が進む前に退任し、党総裁選や次の首相への影響力を残そうという首相の狙いもうかがえる。」 / 辞任会見でも「次なる政権に対する影響力」と言っている。但し、官邸の文字起しでは「次なる政権に対する協力」と変換されている。 


関連記事

 【安倍晋三辞任記者会見;「次なる政権に対する影響力」が「次なる政権に対する協力」に変換】「次なる政権にですね、に対しても、影響力」と口を滑らせて「当然のことなんですが」とごまかし、またしても「一議員として影響力」と言ってしまい、「支えていきたい」と言い直している(0:32:02) → (官邸の文字起しでは)「次なる政権に対しても、協力、当然のことなのですが、一議員として協力していきたい、支えていきたいと思います」



全国で880人感染、大阪では過去最多9人の死亡確認(朝日新聞8/28); 大阪府は、70~90代の9人の死亡を確認したと発表した。1日あたりでは今月18日の6人を上回って最多。8月に入ってからの死者は計57人で、最多だった5月の計42人を上回る

アベノミクス とは何だったか(3) 毎月勤労統計調査によれば、2012年の実質賃金指数は104.5。これが2019年には99.9となった。7年間で4.4%の下落。GDPは低率とはいえ成長したが、実質賃金はマイナス成長 / (8)2012年の国際経営開発研究所( IMD )の世界競争力ランキングで、日本は27位だった。2020年版では、日本は過去最低の34位となった。 — 野口悠紀雄    

 

2020年8月28日金曜日

汐留で昼呑み 築地~墨田川畔を散歩して、夕方には二次会に突入 2020-08-27

 8月27日(木)、はれ

昨日、高校からの友人Kさんと2人で昼呑み。北大路 新橋茶寮 汐留店というお店。時節柄、気の毒なくらいにガラガラ。きれいで静かでゆったりとリラックスできるいいお店だった。コスパもグゥでしたよ。11:30~14:00くらい。焼酎ボトル二本目を少し飲んでここを退出。

その後、汐留から築地を抜けて墨田川畔を散歩。東京人(根っこは同じく京都人だけれど)のKさんにいろいろ案内して貰った。

で、夕刻(5時過ぎ)、東京駅エキナカで二次会に突入。下↓の2枚目の写真下段のおでんはこの時のもの。夜は更けて、酔いがまわって、、、、、お開き。

さてさて、次回はどういう趣向にしようかな。





西日本新聞。政権の私物化という批判をどう受け止めるか。→ 安倍首相「政権の私物化はですね、あってはならないことでありますしし、私は政権を私物化した、というつもりはまったくありませんし、私物化もしておりません。まさに国家・国民のために全力を尽くしてきたつもりでございます。」

大坂なおみ選手に日本のネットから贈られたエール。「#大坂なおみさんを支持します」で後押し / 大坂なおみさん、「スポーツに政治を持ち込むな」ツイートに痛快な反論 『これは人権の問題です』 / 【論破付き】大坂なおみさんのプロテストに対するクソコメントまとめ    

 

「会見なのに質問と答えが書かれたメモ、違和感はなかった?」安倍晋三首相はどう答えた?【辞意表明会見】 質疑応答では「安倍政権とメディア」の関係性にも記者から質問が及んだ。 ハフポスト日本版編集部    

 

モーリシャス沖重油回収、日本は後手 「民間事故」で消極姿勢 仏が全面支援で存在感 ; モーリシャス沖の貨物船座礁事故で重油回収を主導するフランスと対応の鈍い日本政府。日本は高い技術を持ちながら民間事故として距離を置く姿勢。国際的に批判の声が出ています。— 日本経済新聞 電子版

 

冷戦下の代理戦争から東京の生活戦争へ。シャン民族料理店「ノングインレイ」スティップさんの人生(伏見和子 ニッポン複雑紀行編集部/難民支援協会); 祖国ラオスの内戦でCIAの通訳を務め、内戦終結と同時にアメリカに裏切られ、命からがら故郷を逃れて最終的に日本にたどり着き、ゼロから身を立ててきた人

 

【衝撃 アメリカで広がる差別と分断 日本人にも“暴言”】 日本人親子に「国に帰れ」 増えるアジア系への誹謗中傷 新型コロナで広がる”差別” (日テレNEWS)

孤独死の部屋の隣でまた孤独死 山谷にみる東京の未来:朝日新聞デジタル

2020年8月26日水曜日

今日の湘南散歩 七里ガ浜、片瀬西浜、片瀬東浜 暑さはまだ続いているが、雲が真夏の雲ではなくなってきた。 2020-08-26

 8月26日、はれ

今日は七里ガ浜、片瀬西浜~片瀬東浜を散歩。

当初は七里ガ浜から少しは(鎌高前、或いは腰越まで)歩こうと思ってたが、暑さでどうもヤバそうなので、全て江ノ電に頼ってしまった。

今日の総歩数は1万2千歩。

浜辺や木陰は比較的心地よいが、アスファルト歩道は暑くて堪らなかった。

ただし、雲が真夏の雲ではなくなってきた。

▼七里ガ浜

全体に波は静かだったがサーフィンのポイントはいい波が来るようで、サーファーさんたち、気持ちよさそうだった。浜辺は、ヒト少な目。





▼片瀬西浜
家族連れののどかな水遊びが主流のようだった。
今日は、景色がいまいちの様に見えて、浜まで下りずにいた。

▼片瀬東浜

【戦後75年 知らされなかった終戦】1945年の今日、終戦から10日後の満州。 ソ連軍と戦い続けていた軍隊がありました。 仲間が倒れても、「自分が殺されても、日本は神の国だから、負ける事はない」と考えたそうです。 — NHKアーカイブス / 8月26日になってもソ連軍と壮絶な戦いを交わした第107師団

 

9年半たっても「総額わからない」 膨らむ福島第1廃炉費 すでに当初試算の27倍(毎日新聞)

 

【麻生太郎、報ステで菅官房長官に20分以上インタビューしたテレ朝にガキなみのイヤミ(ヒガミ)。ますます麻生↓やん】 麻生太郎「テレビ朝日? おたく。ああそう。(病院から安部首相が)帰ってこられて顔色見たってどう考えたって、あの画像の写りの粗いテレビ朝日でも顔色良く写ってたもんね、あれ。だろ?」



 

【早く国会を開いて救済策を策定して下さい!】 「学費減額を」コロナ禍で学生切実 家計圧迫、奨学金の欠陥…「国も支援を」(東京新聞) / 新型コロナウイルスの影響 「家賃が払えない」相談が急増(NHK) / 貧困拡大の第二波と制度から排除される人々(稲葉剛 論座)   



 

内田樹さんの「安倍政権の総括;安倍政権の「功罪」」(28日に使われるかもしれない安倍総理辞任の予定稿); ①「権力者はどんな無法非道をしても処罰されない」という歪んだモラルを深く内面化した人たちが「リアリスト」を自称するようになって、あちこちで偉そうにしている ②事大主義の蔓延。「勝った者は正しかったから勝ったのだ。多数派を制した者は真理を語ったから多数の票を得たのだ」という頭の悪い推論を政治家もジャーナリストも平気でするようになりました。.....

 

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これを読めば分かる! 安倍首相と河井克行・案里夫妻の「蜜月」(東京新聞Web);「.....克行前法相を外交の特使として起用したり、案里議員の擁立を主導したりするなど、肩入れぶりは際立っていた。買収を否定しているとされる夫妻の捜査はこれからだが、安倍政権はなぜ、これほど重用してきたのか」 / IR疑獄の秋元司衆院議員 3回目逮捕で二階派からも辞職勧告(週刊朝日)    

2020年8月25日火曜日

今日の鎌倉散歩 東慶寺~亀ヶ谷坂経由~海蔵寺~寿福寺 どこも人影は疎らで夏の名残の蝉しぐれが聞えるばかりだった 2020-08-25

 8月25日、はれ

今日は北鎌倉駅~東慶寺~亀ヶ谷坂経由~海蔵寺~寿福寺~鎌倉駅を散歩。

総歩数は1万3千歩。

今日はどこも人影疎らだった。

円覚寺には拝観しなかったが、山門前で珍しく人が写り込まないで写真が撮れた。

海蔵寺も小一時間は独り占め状態だった。昨年も夏に一度、独り占め状態を楽しんだことがあった。その時はウグイスが盛んに啼いていたが、今日はそれはなく、夏の名残の蝉しぐれが聞えるだけであった。

▼円覚寺


▼東慶寺


▼海蔵寺





▼寿福寺


過労の方(安倍晋三)を揶揄するな、とおっしゃる方は、コレ見て → 【画像】過労死遺族が傍聴するなか、質問に対して笑う安倍晋三首相と加藤勝信厚労相=26日、参院厚労委

 

【横浜市、最低!】 横浜市のIR誘致、議事録作成せずに決定 市長と幹部の協議内容、検証できず - 毎日新聞

 

異変?潮目が変わった? NHKが「支持率が過去最低」を強調して安倍首相をブラジル大統領と並べて報道!(水島宏明)

新型コロナ第2波、70歳以上の致死率25.9%(TBS);「現在の新型コロナウイルスの流行の第2波について、高齢者の致死率が第1波の時とほぼ変わらないことがわかりました。」 ← 「弱毒化」はないですよね

 




 

2020年8月24日月曜日

「安倍政権のレガシーは政策よりも…」御厨貴さんの洞察(朝日);「この政権は次から次に(スキャンダルなどを)「流す」。この「流しの態度」というのは全部、長きが故の欠点ですよ。そうなると今度、それを見ている官僚もそれでいいんだと思い始めるわけです。何かあっても、そこをしのげればいいという話になる」 

新型コロナ、封印された「第2波」 日本はいつになったら「失敗の本質」から学べるのか(ニューズウィーク日本版); 人口100万人当たりの死者は西太平洋地域ではフィリピン、オーストラリアに次ぐワースト3になった 「検査能力を拡充する方法についてほとんど議論されていない」  

 

これが長期停滞の元凶…コロナ禍が暴いた日本IT化「絶望的な遅れ」 「e-Japan戦略」20年後の実態(野口悠紀雄); 紙ではコロナと戦えない 日本全体がIT化に対応できない 電子政府ランキングで、日本は14位に転落 世界競争力ランキングで過去最低の34位

 

安倍政権、支えたのは忖度官僚 財界もメディアも…(朝日); 西谷修「なぜ安倍政権は長期化したのか。この疑問を解くカギのひとつは、16世紀にラ・ボエシが唱えた「自発的隷従論」にあります。フランスの法務官僚だった彼の考えは、王制であれ、民主制であれ、国や時代を超えて支配秩序の特徴を見事にとらえています。」(桜井泉)

 

大阪の「イソジン教授」に古巣大学が「職務規定違反」を指摘(週刊ポスト2020年9月4日号); 「イソジンで新型コロナの陽性者が減っていく」と会見した吉村知事。 その傍らにいた松山晃文氏は7月末まで藤田医科大学の医学部教授だったが、藤田医科大学の広報部は「研究の報告は受けておらず、職務規程違反の可能性がある」と警告。 ← 「やってる感」演出の犠牲者じゃないのかな?

2020年8月23日日曜日

都知事の追悼文求めデモ 関東大震災朝鮮人式典巡り 都庁前に50人— 毎日新聞映像グループ / 昨夜8月22日に都庁前で開催された 【[PROTEST] 0822追悼文を送れ都庁前スタンディング】の最後、呼びかけ人の GAKU TANIGUCHI @trailights 氏が語った、現時点での東京都の対応部署の実態(ツイッター動画)

 

【イソジンの効果、出た!】 日本維新の会、支持率が激減!6月5.9%⇒8月1.5% イソジン発言などで支持激減か(情報速報);「時事通信の世論調査では、6月時点では立憲民主党と並んで5.9%の支持率を維持していた維新ですが、8月の世論調査では1.5%まで落ち込み、ピーク時の4分の1程度まで支持率が激減していました」


 

西村大臣、黒塗り速記録の理由説明 「公表望まない人がいる」(FNN)

 

新型コロナ 大阪でクラスター14件 高齢施設、対策に限界 認知症患者、指示伝わらず 設備整わぬのに「病院化」 - 毎日新聞

 

東京都内のオフィスで約50人規模の職場内感染を確認(テレ朝);「この職場では約100人が働いていて、22日までにその半数が感染したことになります」←夜の街、ライブハウスなどのケースは大騒ぎ、店名公開もあったのに、、、、、

大阪・ミナミ休業要請、20日終了決定 高齢者対策に軸足(日経);「公衆衛生に詳しい高鳥毛敏雄・関西大学教授の話 (ミナミの休業)要請期間はお盆の時期と重なっており、繁華街を訪れる若者がもともと少なかった可能性がある。要請の効果があったかは疑問だ」 「若い人が増えているから繁華街対策、重症者が増えているから高齢者の感染を防ぐというモグラたたき的なやり方ではその場しのぎでしかない。」 / 5歳以下に1人5万円 大阪市、コロナで10月にも給付(日経);「10月末となるタイミングでの未就学児への支給開始も、迅速な家計支援とは程遠く、時期などを巡る説明が求められそうだ」 

2020年8月22日土曜日

横浜市民「なぜコロナ下で水道を値上げ?」 市の方針に疑問の声 - 毎日新聞 ;「背景には、水需要の減少がある。トイレなどの水回りの機器が改良されたことが要因。10年後には水道事業が赤字となる試算もあり、市の担当者は「このままでは水道設備の更新にかかる費用を賄えない」   

 

日本でCovid-19が再流行した理由 :BMJ(英医学誌) ・適切で必要な検査体制の不備  ・紙ベースの記録・報告システムによる非能率性  ・政府から国民へのコミュニケーションの不備  ・専門家会議は独立性に欠け、政府からの影響を受けた  ・政府の責任説明と透明性が欠けていた    

 

天を仰いだ吉村知事の“演出” うがい薬、大阪モデル…科学を都合よく利用?(毎日); うがい薬の研究に飛びついたが正確に理解していなかった、K値の教授に「自粛の効果なかった」と言われて天を仰いだのは仕込みだった、大阪モデルの赤信号が灯る頃には医療崩壊と懸念されている.....といった演出ばかりの吉村知事の手法を指摘した記事 — 松本創 / 「可能性レベルの研究を政治家が強い言葉で発したことで混乱が生じ、 結果的にその責任を誰も取っていない状況になっている」   

 


 

2020年8月21日金曜日

今日の横浜散歩 横浜駅東口~みなとみらい~赤レンガ倉庫~山下公園 2020-08-21

 8月20日、はれ

今日は横浜を散歩。相変わらず暑い日が続くが、基本、土日曜日は動かないので、今日は動かないといけない。

ルートは、殆ど定番、横浜駅東口~みなとみらい~赤レンガ倉庫~山下公園とした。総歩数は1万6千歩。

さすがに、今日は山下公園のコンビニでガリガリ君アイスを食べて、中華街入口のドトールで休憩した。それでも、、、、、。「危険な暑さ」というらしい。





▼万国橋越に横浜税関が見えるこの位置、結構好きなんだけど、写真にしたら「なんだかなー」である。県警本部ビルがなければ何とかなるかもね。これ、デカすぎる。

▼この景色、見れるのもそんなに長くはない。
この真ん中にロープウェイが走り、写真の真ん中辺り、新説ロープウェイの桜木町と反対側の終着点になる。

▼赤レンガ倉庫と飛鳥Ⅱ

▼大桟橋と飛鳥Ⅱ


▼氷川丸と飛鳥Ⅱのツーショット


慶応4年/明治元年記(28)慶応4年(1868)6月1日~3日 米沢藩、新潟接収・管理(以後、奥羽越列藩同盟諸藩が共同管理) 越後戦線、一進一退 輪王寺宮、会津に入る 榎本武揚、勝海舟に面会、東北諸藩と共に戦う考えを捨て、箱館行きを決意

 慶応4年/明治元年記(28)慶応4年(1868)5月23日~30日 徳川家達(徳川宗家)の駿河移封・70万石を発表 同盟軍、白河城奪還失敗 越後戦線の同盟軍、小栗山・見附の奪取失敗 輪王寺宮、江戸を脱出 沖田総司(25)病没

より続く

慶応4年(1868)6月

・箱館医学所を箱館府民生方病院と改める。

・岡本監輔、十数名の官吏と箱館で募集した農工民200余を率いクシュンコタンに上陸、公儀所を設置。

・オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ、ベーメンの首都プラハ訪問。冷ややかに迎えられる。

6月1日

・米沢藩、新潟接収・管理。

以後、会津・米沢・仙台・庄内・村上など諸藩、新潟に重臣を派遣、同港を奥羽越列藩同盟諸藩が共同管理。同盟会議所がおかれ、同盟側の重要な補給港となる。

3日、会津・仙台・米沢・庄内4藩重臣、新潟開港を協議、開港と同盟結成を諸外国に伝えることを決める。最初にプロイセンに連絡され、これを承認したプロイセンにより各国に伝えられる。列藩同盟は代表団を横浜に送る。

米沢軍は旧幕臣安田幹雄・馬場八郎・会津藩軍事顧問ヘンリー・スネル等の指導を受け、新潟の民衆を徴発し新潟防衛の為の砲台を設営。4~5基が6月上旬頃に完成し、米沢軍が安田やスネル達から指導を受けて調練を行なう。後、この砲台の砲撃が新政府軍軍艦「摂津」に命中弾を与える。米沢軍総督色部長門は光林寺に宿泊し、そこから同盟会議所に通い、会津藩家老梶原平馬・仙台家老芦名靭負・庄内藩家老石原倉右衛門らと、武器輸入・蚕種紙輸出の手配、諸外国への同盟の主張を伝える文章の作成等を行う(常駐は色部のみで、実質、色部が新潟を運営)。この色部等の努力により、新潟港は同盟軍後方補給地として稼動し、西洋化の遅れている同盟軍に多数の小銃・弾丸を供給。

・越後戦線(赤坂・杉沢方面の攻防)。同盟軍、赤坂峠を抜けず敗走。死傷者多数。

1日、同盟軍は、①赤坂峠と左右間道を進む米沢軍5小隊(古海勘左衛門隊・山下太郎兵衛隊・桃井清七郎隊・小倉吉蔵隊・松木幾之進隊)・長岡軍1小隊(森一馬隊)と砲2門・会津軍朱雀隊寄合2番隊半隊(土屋総蔵)・村松藩2小隊(速水滝右衛門隊・青木剛八隊)による本道軍と、②赤坂峠西の山中を迂回して見附・杉沢間にある堀溝村を攻撃する米沢軍3小隊(徳間久三郎隊・高野広次隊・三矢清蔵30匁大筒隊)・長岡軍1小隊(稲垣林四郎隊)・会津軍青龍士中3番隊(本木慎吾)・村松藩兵若干による別働隊に分かれ進軍。同盟軍本道隊は、赤坂峠山頂に布陣の松代軍12番大砲隊を退却させ、山頂を占拠し、峠を下る。下りの斜面には松代軍6番狙撃隊(海野寛男)・4番小隊(山越新八郎)が布陣し、猛烈に抵抗。この間に、陣容を立て直した松代軍12番大砲隊(砲2門)と、杉沢村から長州軍奇兵隊4番隊(能見兵児)が援軍に駆けつけ反撃、同盟軍本道隊は赤坂峠から離脱し長沢村に敗走。別働隊は迂回に成功し、赤坂後方の見附との補給線の堀溝村を守る新政府軍守備隊を敗走させ、堀溝村に貯蔵された物資を焼くなどの戦果を挙げる。しかし、見附から薩摩軍城下士小銃10番隊半隊・松代軍8番狙撃隊(小幡助市)・3番小隊(吉村左織)が援軍に駆け、別働隊も長沢村に敗走。この日の戦いでは同盟軍は多数の死傷者を出し敗北。米沢軍小隊長山下太郎兵衛・村松藩軍監奥畑伝兵衛・同藩小隊長青木剛八始、戦死。

・政府軍錫懐丸(しゃっかい、加賀)、兵器弾薬を搭載し柏崎港に到着。5日、環瀛丸(かんえい、筑前)、弾薬80万発・大砲4門・砲弾1千数百発・後装銃弾3万発・その他器具・糧食を満載し柏崎着。

・米、第15代大統領ブカナン(77)、没

6月2日

・英、労働組合会議第1回大会開催。

・越後戦線(今町攻略戦)。同盟軍長岡山本帯刀隊(牽制隊)・長岡河井継之助隊(本隊)・米沢藩千坂隊(別働隊)、三条から出撃。山本隊の働きにより、河井率いる本隊は信濃川沿いを進み今町を攻略。一方的勝利。

1日、長岡藩家老河井継之助・米沢軍参謀甘粕継成(見附方面から戻る)・会津軍佐川官兵衛ら、三条で軍議。今町村を攻略し長岡城奪回の橋頭堡を築くとの決定。昼頃、出撃。同盟軍は、軍を三分し、①刈谷田川東岸に沿って進み今町の搦手の安田口を攻撃する河井率いる長岡軍2小隊(斎田轍隊・田中稔隊)と砲2門・会津軍朱雀隊士中4番隊(佐川官兵衛)による中央軍、②三条~今町の本道を進み坂井口を攻撃する山本帯刀率いる長岡軍3小隊(小島久馬右衛門隊・大川市左衛門隊・九里磯太夫隊)による左翼軍(後に米沢軍2小隊も参加)、③刈谷田川西岸に沿って今町の刈谷田川対岸の集落の在る中之島口を攻撃する古屋佐久左衛門率いる長岡軍2小隊(本富寛之丞隊・槍隊池田彦四郎隊)・衝鋒隊による右翼軍、が今町を目指し進軍。

対する新政府軍は、主力の長州軍・薩摩軍・松代軍が見附・杉沢・赤坂・与板方面に拘束され、今町方面守備は本道の坂井口に高田藩2小隊(設楽宰助隊・坂田藤江隊)・上田藩半小隊、搦手安田口に尾張藩1小隊(高橋民部隊)、見附口に上田藩1小隊、刈谷田川西岸の中之島口に高田藩1小隊(榊原若狭大隊内1小隊)と地元の志願農兵隊の方義隊2小隊の、少数弱兵の戦力が布陣。

2日正午頃ほぼ同時に同盟軍は三方から攻撃開始。新政府軍が陽動役左翼軍に注意を傾けている間に、河井率いる中央軍が安田口を猛攻、尾張藩1小隊は瞬く間に崩れる。同盟軍右翼軍の攻撃を受けた中之島口では、高田藩1小隊が早々と敗走、志願農兵部隊の方義隊は奮戦するもののこれもまた敗走。今町陥落の危機が見附に伝わり、見附方面指揮の薩摩藩淵辺群平・長州藩三好重臣・長府軍報国隊軍監熊野直介が、奇兵隊3番隊(堀潜太郎)半隊を率い駆けつけ。しかし、三条から米沢軍2小隊(柿崎家教隊・土肥伝右衛門隊)が坂井口に来援し、新政府軍は未だ劣勢。しかし、淵辺・三好等は少ない戦力を有効に活かして迎撃し、同盟軍を圧倒、長岡軍小隊長斎田轍戦死などの損害を与える。河井・古屋・佐川等は兵を叱咤し、再び同盟軍が攻勢を強め、夕方頃、新政府軍は、三好が負傷、堀が重傷(後に没)、熊野が戦死と指揮官が倒れ崩壊。唯一健在の指揮官淵辺が敗兵を上手く纏めて撤退し、辛うじて壊滅の危機から逃れ撤退。今町の新政府軍が撤退すると、坂井口の新政府軍も退路を絶たれるため撤退、見附口を守る上田藩兵も見附に敗走し、今町方面の新政府軍は完全に駆逐。しかし、同盟軍も新政府軍追撃の余力は無く、今町に火をかけ一旦三林に後退。

山県有朋は、今町から長岡を突かれるのを危惧し、見附・杉沢・赤坂・栃尾に布陣する軍勢を後退させ、今町~長岡の途中の八丁沖西岸の十二潟・筒場・福島・大黒、東岸の浦瀬等の集落に再布陣するよう命令。

同盟軍は、新政府軍が後退した事により、4日、見附方面に米沢軍斉藤篤信大隊(香坂勘解由隊・香坂与三郎隊・大津英助隊・潟上弥助隊・西堀源蔵隊・古海又左工門隊・石栗善左工門300匁大筒隊・桐生源作30匁大筒隊及び畠山修蔵大砲隊)と大井田修平大隊(増岡孫二郎・曾根敬一郎・戸狩左門・長右馬之助隊・山崎理左工門隊・三股九左工門隊)・衝鋒隊が進駐、赤坂峠を越え杉沢方面にも米沢軍8小隊(古海勘左衛門隊・桃井清三郎隊・岩井源蔵隊・小倉吉蔵隊・松本蔵之助隊・徳間久三郎隊・高野広次隊・山下太郎兵衛隊)・長岡軍・村松藩兵が進駐。

・輪王寺宮、会津に入る。

・京都府、上下京の年寄を出頭させ、各町に議事者3名づつ(年寄1、惣代2を入札で選ぶ)を定めるよう命じる。上意下達だけでなく、立法布告にあたっての諮問、各町間の協議など行う。京都府御用掛広沢真臣の施策。8月には京都町組を改正。五人組を隣保団結を主眼とするものに改正、「戸籍編成仕法」実現(後の各府県の戸籍編成法のモデルとなる)。

・梅村速水、新設高山県知事に任命。

天保13(1842)水戸藩士の次男として誕生。文久3年藩主慶篤の上京に同行、諸国の志士と交わる。元治元年(1864)天狗党筑波山挙兵に参加、敗れて水戸藩脱藩。美濃の揖斐の勤皇志士棚橋衡平に庇護をうける。棚橋は上京し、岩倉らと関係を深める(明治3年民部権大輔)。梅村は明治元年4月18日、徴士内国事務局判事として笠松(美濃)裁判所在勤。明治2年3月14日知事免職。

6月3日

・九条総督と肥前・小倉藩兵率いる前山精一郎、仙台藩より盛岡藩入り。藩論統一みない盛岡藩は軍資金1万両献金、一行は滞在20日余りで同月24日秋田へ進発。

・米沢藩主上杉斉憲、米沢城出陣。現在のJR米坂線沿いに約70kmを踏破、6日、越後下関に着陣。

・榎本武揚、勝海舟に仙台・米沢藩支援意志を告げる。勝は、会津藩を信じてはいけない、東北諸藩の勝利の見込み薄なこと、「朝敵行為」は徳川家のためにならない、と忠告。榎本は東北諸藩と共に戦う考えを捨て、箱館行きを決意。7月、仙台・米沢藩士が榎本に協力を要請するが、21日徳川家が主従が静岡に落ち着くのを見届けた上で、動かない旨告げる。そして、徳川家の移住が完了する8月20日頃、諸船を引率して仙台へ行くと約束。


つづく