1871年3月26日
・仏、
パリコミューン評議会選挙。
485,566中225,000投票(485,569中229,167という数値もある)、86評議員中労働者26、国民衛兵中央委員会は候補者推薦せず。ブランキ派9、インター派17、インター派に近い社会主義者11。穏健共和派15、急進共和派6。
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ブルジョア地区でも、民衆地区より熱意に劣るが、多くの投票が行なわれる。
選挙は、ともかく「合法的」権力の代表者である区長の同意を得ており正規のものとされる。
ブルジョア地区ではパリ市議会を選出する為に投票し、民衆地区では、保守的国民議会・裏切者政府に対抗する共和国新政府を合法的なものにする為に投票する。
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「人民の叫び」(27日付)が伝える26日午後11時のパリの表情。
「選挙各区の一般的表情(午後11時)
第一区:投票に対する熱意が少ない。現在の市当局者の名前のみが壁に張り出されている。・・・
第二区:サン=ドニ地区。選挙人が大勢集まっている。
第三区:棄権は少ない。ビラが多い。・・・
第四区:棄権は少ない。
第五区:投票者が多い。
第六区:投票者が多い。
第七区:熱意が少ない。
第八区:熱意が少ない。
第九区:ドルオー区役所に大勢の選挙人が集まっている。
第一〇区:投票に熱心である。・・・
第一一区:ダングレーム街に人出が多い。
第一二区:熱意が少ない。
第一三区:棄権は少ない。
第一四区:区役所に大勢集まる。
第一五区:区役所に大勢集まる。
第一六区:現在の市当局者に反対の候補者がいない。熱意が少ない。
第一七区:すべての小地区に選挙人が大勢集まっている。・・・
第一八区:プランキ。
第一九区:ウーデ。
第二〇区:プランキ、ベルジュレ、フルーランス、ランヴィエ。すべて平穏である。」
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ブルジョワがこの選挙実施の中心的な存在。
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候補者擁立分類
(1)ブルジョワ団体(妥協派と呼ばれ、ヴェルサイユにもコミューン側にも関係を持つ。分権主義をかざしコミューンの政治的プログラムにも十分対応する理由を持つ)。
①「パリの諸権利の共和合同同盟」:コミュ-ンの活動が続く期間ずっと指導的役割を果たす。
②「共和同盟」:唯一・分割不可能な共和国を目指す。
③「和解」:選挙候補者クレマンソー、ヴィクトル・コンシデラン、ジュール・クラルティ、ロシュフォールを送る。
④「ヨーロッパ均衡」。
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(2)クラブ。
①「医学校クラブ」:候補者レヴィ、ロジュアール、ヴァルランなどを立てる。
②「パリ二十区委員会」:有名なマニフェストを出す。起源としてはプルードン主義に立脚するが、実際にはブランキスト、ジャコバン派、インターナショナル、中央委員会メンバーも擁す。ピエール・ドニ、デュパ、ルフランセ、エドゥアール・ルイリエ、ジュール・ヴァレスの他に88名の候補を全区に立て、殆どを当選させる。
③「インターナショナル・パリ地区連合委員会」。
④「労働者組合連合局」。
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(3)戦闘的な新聞。
①ユージェーヌ・ヴェルメシュの「ペール・デュシェーヌ」:そのリストは全区のトップにプランキを挙げる。
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派別分類
①保守派:
現職区長・助役、ロシャール、ティアール、ルフェーヴル、ルロワ、マルモンタなど約15名(議会開始後殆ど辞職)。
②プランキストとジャコバン主義者を含む超革命派:
モルティエ、プロト、ウード、フェレ、プランキストのトリドン、デュヴァルなど約20名。
③ジャコバン派:
ブリュネル、ドゥレクリューズ、フォルテュネ、C・デュポン、デカン、ガンボン、グルーセら約40名(ドゥレクリュース、フェリックス・ピアが指導的位置)。
④インターナショナル派:
アシー、アヴリアル、ベスレー、シャレン、クレマンス、クレマン、ドゥリュール、デュヴァル(ブランキスト)、フランケル、ジェラルダン、ランジュヴァン、ルフランセ、マロン、パンディ、ティズ、ヴァイアン、ヴァルランで約15名。
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[選挙区別]
第1区(ルーヴル)アダム、ロシャール、メリーヌ、バレ。
第2区(プルス)プレレ、ティアール、シェロン、ロワゾー。
第3区(タンブル)ドゥメ、アルノー、パンディ、ミュラ、デュポン。
第4区(市庁舎)ルフランセ、アルテュール・アルノー、クレマンス、アムールー、ジェラルダン。
第5区(パンテオン)ジュールド、レジェール、トリドン、プランシェ、ルドロワ。
第6区(リュクサンプール)ルロワ、グーピル、ロピネ、ペスレー、ヴァルラン。
第7区(パレ・プールボン)パリゼル、ルフェーヴル、ウルベン、プリュネル。
第8区(エリゼ)ラウル・リゴー、ヴァイアン、アルテュール・アルヌー、アリックス。
第9区(オペラ)ランク、U・パラン、デマレ、E・フェリー、ナスト。
第10区(アンクロ・サン・ローラン)フェリックス・ピア、アンリ・フォルテュネ、ガンボン、シャンピー、バピック、ラストゥール。
第11区(ポバンクール)アシー、アヴリアル、ドゥレクリューズ、モルティエ、ウード、プロト、ヴェルデュール。
第12区(ルイイ)ヴァルラン、フリュノー、ジュレーム、ティズ。
第13区(ゴグラン)レオ・メイエ、デュヴァル、シャルドン、フランケル。
第14区(オヴセルヴァトワール)ピリオレ、マルトゥレ、デカン。
第15区(ヴォージラール)クレマン、J・ヴァレス、ランジュヴァン。
第16区(パシー)マルモンタン、ド・プーティエ。
第17区(バティニョル・モンソー)ヴァルラン、クレマン、ジェテルダン、シャレン、マロン。
第18区(ビュット・モンマルトル)プランキ、ニース、ドゥリュール、クレマン、フェレ、ヴェルモレル、P・グルーセ。
第19区(ビュット・ショーモン)ウーデ、ビュジェ、ドゥレクリューズ、オスタン、J・ミオ。
第20区(メニルモンタン)ランヴィエ、ベルジュレ、フルーランス、プランキ。
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ブルジョア的各区で選ばれた20人以上の大中ブルジョアジーは、革命家や社会主義者が優勢の議会への参加を拒否しコミューンを離れる(3月末と4月初)。4月16日補欠選挙で、新議員16人が選ばれる(うち6人が労働者)。大中ブルジョアジーが辞任した後、コミューンは、プロレタリア革命家と小ブルジョア民主主義者のブロックになる。
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中央委員会は大部分の地区で多数の候補者を立てるが議員12名を得たのみ。ベルジュレ、ランヴィエ、ビリオレー、フォルチュネ、バピック、ウード、ジュールド、プランシェ、プリュネル、デュポン、モルチエ、ジョルジュ・アルノー。
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労働者階級の定義を職人・小工業にまで拡大すれば、コミューン議員25名が労働者階級と関係がある。
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有名な知識人代表:
画家ギュスターヴ・クールベ、作家ジュール・ヴァレス、革命詩人ウジェーヌ・ポティエ、ジャン・パティスト・クレマン、医者・技師エドワール・ヴァイヤン、歴史家・評論家オーギュスト・ヴェルモレルとギュスターヴ・トリドン、人類学者ギュスターヴ・フルーランスなど。
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コミューン内革命的諸党派間の不一致。
政治の優位を主張するジャコバン派およびプランキ派の潮流と、経済の優位を主張するブルードン的自由連合派の潮流が対立。前者は多数派を形成し、後者は少数派となる。
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・ル・クルーゾ、「コミューン万歳!」のスローガンの下に、国民軍兵士の閲兵式。政府軍との衝突。コミューン宣言。~28日。
運動の先頭に立つのは、市長の労働者デュメ。23日、3千人の集会がヴェルサイユ政府不信任を表明し、「あらゆる誠実なフランス人が、コミューンの独立をめざしているパリを支持するように」呼び掛け。27日、赤旗を掲げて行進する労働者デモ隊が、市役所を占領した政府軍に追い払われる。
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・アルジュリア。国民軍兵士、知事に対し、自治体支配を国民軍に移譲せよと要求。知事は拒絶。知事退職と国民軍再編を要求する集会。フランス軍諸部隊、ボルジ・プ・アレリジ堡塁を封鎖。
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26日付けコミューン「官報」、
「市民諸君、アルジェリアの代表者たちは、彼らを選んだ人々の名において、パリ・コミューンに対する絶対的な同意を表明している。全アルジェリアがコミューンの自由を要求する。軍隊と行政機関という二重の中央集権によって四〇年にわたって圧迫されてきた植民地は、久しい以前から、コミューンの完全な確立が植民地の自由と繁栄を実現する唯一の方法であることを理解してきた・・・」との声明発表。
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・ベルリン(ラサール派の牙城)。全ドイツ労働者同盟べルリン組織の集会(1千人参加)は、パリその他の大都市の社会革命を、「健康な勤労人民の、退廃的ブルジョアジーにたいする」蜂起として歓迎し、「・・・この革命の勝利によって、ヨーロッパに自由、平等、友愛、平和の樹立を」期待すると声明。
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3月27日・仏、26~27日の夜半、国民軍中央委員会、1849年選拳法を遵守すると決定。これによると、選挙民の1/8の賛成投票があれば、コミューン議員選出に十分。コミューン選挙の票数の審査。
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・この日付け「人民の叫び」に発表された
全20区共和主義中央委員会の宣言、
コミューンの一般的理念を明らかにしようと努める。
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「全二〇区中央委員会の宣言 パリは、三月一八日の革命によって、国民衛兵の自発的で勇気ある努力によって、パリの自治、すなわちパリの警察力、治安および財政を組織する権利をとり戻した・・・。
われわれが平和的に達成しようと努めている革命とコミューンの思想の勝利を確かなものにするために、その一般的原理を定め、諸君の代理人が実現し擁護すべきプログラムを明文化することが重要である。
家族が社会の萌芽であるように、コミューンはすべての政体の基礎である。
コミューンは自立的(オートノーム)でなければならない。すなわち、それ独自の能力、伝統、欲求に従って自己を統治し自己を管理し、都市における個人のごとく、政治的、国民的、連合的な集団にあって自己の全面的な自由、個性、完全な主権を保持する法人として存在しなければならない。
最も広範な経済的発展、独立、国民的・地域的安全を確保するために、コミューンは国家を構成する他のコミューンの全部あるいはコミューンの連合体と結びつくこと、すなわち連合することができるし、またそうしなければならない。それを決めるものとして、コミューンは人種と言語の類似、地理的状況、主権と相互関係と利害の共通性をもっている。
コミューンの自立性は、市民に自由を、都市に秩序を保証し、全コミューンの連合は、それぞれのコミューンが全コミューンのカを利用することによって、相互に、それぞれのカ、富、販路、資源などを増大させる。
これこそ一二世紀いらい追求され、道徳、法健、科学によって確認され、ようやく一八七一年三月一八日に勝利をおさめたコミューンの思想である。
この思想は、政治力としては、自由および人民主権と両立しうる唯一のものである共和政を内包する。
話すこと、書くこと、集会を開くこと、団結することの完全な自由。
個人の尊重と個人の思想の不可侵。
常に自己の管理者であり、たえず召集され、表明されることの可能な普通選挙の至上権。
すべての官吏と司法官に適用される選挙の原理。
代理人の貴任、およびその結果として、代理人を常に解任できること。
強制委任、すなわち代理人の権力と任務を明確に定め制限した上での委任。
バリに関しては、この委任は、以下のように規定されうる---
各地区の工業および商業の状況に応じた都市の区画のすみやかな再組織。
全有権者から成る国民衛兵の自立性、全指揮官および参謀本部の任命、三月一八日革命の勝利をもたらした中央委員会が代表する市民的・連合的組織の保持。
警視庁の廃止。コミューンの直接命令の下に置かれる国民衛兵が実施する都市の巡視。
パリについては、市民の自由にとって危険であり、社会経済にとって負担になる常備軍の廃止。
一般的な支出および公共事業の分担部分は別として、パリ市にその予算をすべて自由に処理することを許し、かつ納税者の負担額を法に従い公正に、受けとる便益に応じて割り当てる財政組織。
宗教、劇場、出版物を援助するあらゆる助成金の廃止。
包括的・職業的・非宗教的教育の普及。子供の信仰の自由、利害、諸権利と、家父の自由と諸権利との調整。
広範な調査を即時開始すること。それによって最近フランスを襲った災難において公人に課せられる責任を明らかにし、市の財政、商業、工業などの状態、市が自由にできる資本および諸力、市が使用できる資源を正確に知り、延滞金の支払と信用の再建に必要な、全体的で和解的な清算の資料を提供する。
失業や破産を含む、あらゆる社会的災亨に対するコミューンの保証制度の組織。
貸金制度や恐るべき貧困状態を永遠に解決するため、また流血を伴なう要求とその致命的な結果である内戦の再来を永遠に避けるために、資本、労働用具、販路、信用などを生産者に提供する最も適当な手段を絶えず、熱心に探求すること。
以上が、われわれがあたえる委託であり、また、市民諸君、諸君が選出する議員にあたえることを希望する委託の内容である・・・
全二〇区委員会代表、ピエール・ドニ、デュパ、ルフランセ、エドゥアール・ルーリ工、ジュール・ヴアレス」
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・マルセイユのコミューン。ガストン・クレミューが運動の中心。自然消滅。
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27日、群衆約1千の示威運動、県庁を包囲、知事・秘書オリヴィエ将軍を捕縛。ガストン・クレミューが、パリを守れ、パリ政府こそ唯一の正当な政府であると叫び、群衆の喝釆を博す。
クレミュー外5名をからなる委員会が組織され、市会および国民衛兵クラブから各3名の代表がこれに参加し、マルセイユの全権力を掌握。軍隊は撤退し、全市街が完全に民衆の手に帰すが、委員たちは、責任の重大さに恐怖し、それ以上の行動に出る勇気はなく、なかには姿を隠して出てこない者も。躊躇し動揺している間に、大衆の情熱は冷め、運動は自然消滅。
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・トゥールーズ、政府軍、市役所・県庁を占拠。国民軍兵士は撤退。コミューン崩壊。
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・ヴェルサイユ。国民議会はパリ・コミューン選挙を無効と宜言。
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・早朝、ヴェルサイユ軍第109連隊とガリフェ将軍指揮下騎馬大隊、パリ南方のプティ・ビセートル、シャティオン、ソーの周辺をパトロール。意外にも連盟兵はなく、僅かな騎兵で保塁に入る。しかし、連盟軍夜襲を恐れ、ティエールがヴェルサイユに戻るよう命令。
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・アルジェリア。蜂起アルジェリア人に、宗教団体「ラフマニイア会会員」(一種の秘密抵抗団体)も参加。フランスの植民者たちは、ボルジ・プ・アレリジ堡塁を撤退。フランス軍はこの都市周辺のアルジェリア人村落を焼払う。
to be continued