10月31日(月)、晴れ
今日は、横浜市庁舎の向かい、ザ・タワー横浜北仲というビルの46階にあるイタリアンのお店THE YOKOHAMA BAYでランチ。
46階からの眺めは抜群で、遠く富士山も望める。が、なんと! レストランのある46階には、レストランを利用しなくても360度が見渡せる環境になっていた。この辺りは散歩でもよく行くところなので、これからはチェックポイントにしよう。
写真は全てスマホ撮り。
10月31日(月)、晴れ
今日は、横浜市庁舎の向かい、ザ・タワー横浜北仲というビルの46階にあるイタリアンのお店THE YOKOHAMA BAYでランチ。
46階からの眺めは抜群で、遠く富士山も望める。が、なんと! レストランのある46階には、レストランを利用しなくても360度が見渡せる環境になっていた。この辺りは散歩でもよく行くところなので、これからはチェックポイントにしよう。
写真は全てスマホ撮り。
「外資とはいえ Twitter Japan は日本法が適用される日本の株式会社なのですから、そこで正社員として雇用されているみなさんには、法的にこれを争う権利があります。会社が提示する退職合意書には絶対に署名せず、ぜひ弁護士に相談してください」https://t.co/MYJ2zMBLbA
— 岸政彦 (@sociologbook) November 5, 2022
マスク氏の大規模解雇でツイッター混乱 社員提訴 広告主も撤退 https://t.co/OJ1l6nxTIk
— 毎日新聞ニュース (@mainichijpnews) November 5, 2022
Twitter Japanの人たちも大量解雇されたそうだし、米本社の人権チームも全員解雇されたとのことで、マジ倫理観ゼロの最悪なオーナーが誕生し、今後より現実社会に最悪なことばかり起こすクソプラットフォームになっていくのだろうな……。https://t.co/3sb8NnUy7e
— 津田大介 (@tsuda) November 5, 2022
Twitter社員「時代のおしまい」 解雇開始、日本でもhttps://t.co/V1UvRAD3Tp
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) November 5, 2022
米ツイッターで、同社を買収した実業家イーロン・マスク氏の主導による大量解雇が始まりました。米英メディアによれば、対象は従業員のほぼ半数に当たる約3700人で、投稿管理を担うスタッフも含まれます。https://t.co/O4Ybbe5Gsb
— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) November 5, 2022
ツイッター買収のマスク氏 全従業員の半数を解雇 対象社員にメールで通知
— テレ朝news (@tv_asahi_news) November 5, 2022
マスク氏「半数解雇」認める SNSに従業員の悲鳴や戸惑い
— 東京新聞編集局 (@tokyonewsroom) November 5, 2022
東京新聞 TOKYO Web https://t.co/Tzl9Q0yxm0
イーロン・マスクがTwitter従業員のおよそ半数3700人を金曜日に解雇する意向との報道。 https://t.co/r6zMOqeGTl
— deepthroat (@gloomynews) November 3, 2022
マスクはTwitter買収直後にCEO, CFO, 法務部門責任者(買収を撤回しようとしたマスクを追い込んだ弁護士)を解雇したため、Twitterはエグゼクティブリーダーのほぼ全員を失ったことになります。
— アメリカ政治 (@America_seiji) November 2, 2022
TwitterはFacebookよりずっと大企業の広告に収入を頼っており、大企業はブランドイメージを保つためにマスクの次の行動を注視しています。自社の広告が陰謀論や人種差別投稿とともに表示されるのは避けたいのです。
— アメリカ政治 (@America_seiji) November 2, 2022
ツイッター幹部が相次ぎ退社、広告やマーケティングの責任者ら https://t.co/IElxU9yaml
— ロイター (@ReutersJapan) November 2, 2022
========================Twitter、マスク氏がCEO就任 取締役9人全員を解任https://t.co/RUAQn3BYMh
— 日本経済新聞 電子版(日経電子版) (@nikkei) October 31, 2022
Twitterの今後の展開、不安しかない
— 望月衣塑子 (@ISOKO_MOCHIZUKI) October 31, 2022
「陰謀論」早くもTwitterで拡散 買収劇のイーロン・マスク氏、数時間後に削除
イーロン・マスク氏が30日、ペロシ下院議長宅で夫が男に襲撃された事件に関する根拠のない「陰謀論」(CNNテレビ)をツイッターで拡散し、数時間後に削除 https://t.co/yzKkvNOTcz
=====================
トランプ氏「ツイッターは私なしでは成功しない」 https://t.co/OVxMTB3kqT
— テレ朝news (@tv_asahi_news) October 29, 2022
トランプ前米大統領が、イーロン・マスク氏による米ツイッター買収を歓迎しました。マスク氏は、アカウントが凍結されたトランプ氏のツイッター復帰を容認する考えを示しており、実現すれば、2024年の米大統領選などに影響を及ぼす可能性がありそうです。https://t.co/ujM842GkLZ
— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) October 29, 2022
マスク氏解任のツイッター幹部3人、解職手当は総額1.22億ドル=調査会社 https://t.co/Bjuh2llIRj
— ロイター (@ReutersJapan) October 28, 2022
イーロン・マスクがツイッター買収後に、N-Word(黒人差別用語)を含むツイートが500%近く増加した原因として、ツイッターの違反のリミットをテストするために、匿名掲示板「4chan」の複数の投稿者がわざとヘイト・ツイートを投稿するよう煽ったのが一因と。https://t.co/3xqaukNV77
— Corona Rules Everything Around Me (@channel__3) October 29, 2022
イーロン・マスク氏がツイッターの買収を完了し、CEOらを解雇したとのこと。今後、ツイッターの方向性が大きく変わることになると思います。Elon Musk completed his takeover of Twitter Inc. Thursday and fired CEO&CFO https://t.co/CkIJyVrhUU
— Toshi Ogata (尾形 聡彦) (@ToshihikoOgata) October 28, 2022
マスク氏、ツイッターを「参加自由の地獄絵図」にはできない https://t.co/E34YdQlIQF
— ブルームバーグニュース (@BloombergJapan) October 27, 2022
寿永3/元暦元(1184)年
1月20日(②)
〈延慶本『平家物語』(「宇治川先陣」)に見る宇治川合戦(史実ではない)〉
前年(寿永2年)11月20日辰刻(午前8時前後)、関東軍は軍兵6万余を二手にわけ、範頼を大将とする3万5千余騎が瀬田へ、義経を大将とする2万5千余騎が宇治に向かった(軍勢の数は誇張されている)。なお、延慶本・覚一本共に、義経・範頼は鎌倉から進軍して、義仲が平等院に立てこもったという噂を聞き、義経は範頼と分かれて伊賀方面から宇治に向かったことになっている。しかし、実際は、義経は伊勢に滞在していて、伊賀を経て宇治に向かった。
一方の義仲の軍勢は分散していた。樋口兼光は行家を攻めるために500余騎で河内に向かっており、今井兼平は500余騎で瀬田に、志太義広は300余騎で宇治に向かった。京都に残る義仲の軍勢は100騎に過ぎず、火急の場合は、後白河を具して西国に向かう準備をしていた。
兼平と義広は、それぞれ瀬田川・宇治川の両方に掛かる橋の橋桁を引き、向こう岸には、乱杭を打ち、大綱を張り、逆茂木(さかもぎ)を繋いで流し掛け、関東軍を待った。橋桁を引くとは、橋桁に渡されている板を外して、橋を通行不能にすることで、外された板は楯としても利用された。乱杭は、川底に不規則に杭を打つことで、さらに杭には綱を張り巡らす。それが大綱であり、小網もある。逆茂木は棘のある樹木を束ねたもので、それを杭に繋いで水面に漂わせる。
これらは、大河を隔てた対戦では当時ふつうに行われていた防衛処置で、いずれも敵の軍勢、特に騎兵の進行を阻止するためのものであった。騎兵主体であったこの頃の戦闘は、敵の騎兵の進行を阻止することが防衛のためには重要であった。
陸上戦では、楯を何枚も並べ連ねた掻楯(かいだて)や逆茂木・堀(空堀)・土塁・柵などが設置された。こうした敵の騎兵の進行を阻止するための施設や設備に、敵に矢を射掛けるための櫓(やぐら)などを設置した臨時の防衛施設のことを当時は城郭といった。したがって、治承・寿永期の城郭は近世城郭のような堅固なものではない。騎兵主体の戦闘では堅固な常設の城郭は必要ない。そして、こうした臨時の防衛施設を設置するために、また攻撃側はそうした施設を破壊するために、非戦闘員である工作員などが必要となってくる。
当時の騎兵は弓箭(ゆみや)を佩帯(はいたい)し、それを主要兵器とする騎兵である。
義経軍は宇治川に臨んだ。しかし、宇治川は防衛施設が施されていただけでなく、おりしも水かさが増していた。また川端は狭く、2万5千余騎の軍勢のすべてが川に臨めなかった。そこで、義経は、「雑色(ぞうしき)」や「歩行走(かちばしり)ノ者」達を集め、軍勢すべてが川に臨めるように、川端にならぶ300余の民家を、家財を取り出させたうえで焼き払うことを命じた。これにより、老人・女性・子供・病人などの逃げ遅れたり、動けない者が焼け死んだという。
様々な目的で戦場周辺の民家を焼き払うという行為は珍しいことではなかったらしい。治承4年12月、南都攻めの重衡は、夜中の明かりを求めて周辺の民家を焼き払わせた。その火が折からの強風に煽られて興福寺や東大寺に引火し、南都焼き討ちという結果となる。また、覚一本(巻9)によれば、義経は、一ノ谷合戦の前哨戦の三草山合戦では、平氏軍を夜襲する際に、重衡と同じく明かりを求めて進軍路に沿った民家を焼き払っており、「三草山の大松明」として有名。屋島合戦でも、屋島の対岸の牟礼・高松の民家を焼き払ったことは延慶本・覚一本(巻11)にも『吾妻鏡』文治元年(1185)2月19日条にもみえる。
民家を焼き払い、川端が広くなったところで、義経は高い櫓を作らせ、そこに登って軍勢に指示を与えた。まず軍勢のなかの「水練(すいれん)」・「河立(かはだち)」・「潜(かづき)」の上手に、「セブミ(瀬踏)」をして、川の状態を知らせる(河の浅瀬や水流の穏やかな箇所を探る)ことを促した。更に、瀬踏をする者は裸で無防備なので、敵の攻撃を逸らしてかれらを守り、自由な瀬踏を行わせるために、橋桁を外した橋を渡る者を募った。
まず、平山季重(すえしげ)が馬を下り、橋桁を渡った。続いて佐々木定綱・渋谷重助(しげすけ)・熊谷直実・直家親子の4人がこれに続いた。
敵はかれらに対して「入江ノ葦刈ガアシヲタバネテツクガゴトシ」(延慶本)と矢を射掛けてくる。季重等5人は橋を渡るのに精一杯で反撃はできない。しかし、かれらは甲胃で身を守り、ほどなく対岸に辿り着き、反撃を開始した。義仲の郎等藤太左衛門兼助(とうたざえもんかねすけ)が射落とされたのを皮切りに次々と射られていく。
こうして敵が橋を渡った者達を相手にしている間に、義経側の水練のうち「天下一ノ潜ノ上手」という佐々木の都等鹿嶋与一が水中に潜り、敵の乱杭や逆茂木を取り除き、大綱・小網を切断した。
これで、渡河の準備は整ったが、積極的に渡河しようとする者がいない。そこに畠山重忠が進み出ると、次々と進み出る者が現れた。そうしたなかで飛び出しのは梶原景季と佐々木高綱であった。両人は鎌倉を発つ前に頼朝からそれぞれ薄墨、生飡(いけずき)という名馬を賜っていた。景季も生飡を所望したが適わず、高綱に与えられた。その生飡で川を渡り、先陣を取ったのは高綱であった(宇治川先陣争い)。
かれらに続いて全軍が川に入った。このように騎兵が集団で渡河することを「馬筏」というが、延慶本では、馬筏で渡河する際に敵から射掛けられる矢に対する防御の方法とか、渡河中の馬の扱いなどについての心得を、先陣を行く高綱が全軍に下知する。
こうして義経軍は馬筏で宇治川を渡った。義仲軍もさかんに矢を射掛けてくるが、多勢に無勢、義仲軍は崩れて京都の方へ落ちていく。それを追い、義経軍も入京する。
つづく
10月29日(土)
土曜日、好天、七五三お祝い、、、と条件が重なった今日の鎌倉。覚悟して出かけたものの、スゴイ人出だった。何よりも、往復の横須賀線、座れないのにゲンナリ。歳のせいかな!
気持のいいお天気だったですよ。
▼二の鳥居前、ホテルメトロポリタンまえのイチョウ
10月15日に開催しました「戦前日本の映画検閲―内務省切除フィルムからみる―」で上映した切除フィルム(サイレント作品)を、下記の当館HPからご覧いただけます。イベント後に判明した作品も含む最新版資料や、加藤厚子氏の講演採録もございます。ぜひご覧ください。https://t.co/N5xvwzWSmb pic.twitter.com/HaIqtoLHwM
— 国立映画アーカイブ (@NFAJ_PR) October 28, 2022
『サイレント・カット場面集 邦画』(戦前の映画検閲で切除されたと思われる箇所の断片集) https://t.co/QCYh3cFrgl @YouTubeより
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) October 28, 2022
『サイレント・カット場面集 洋画』(戦前の映画検閲で切除されたと思われる箇所の断片集) https://t.co/3xvA5fVPHH @YouTubeより
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) October 28, 2022
『落花の舞』[前・中・後篇]検閲切除場面(『サイレント・カット場面集 邦画』より推定) https://t.co/GaNVvV4dHC @YouTubeより
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) October 28, 2022
自民の要求首相丸のみ 官邸「拒めば政権が沈みかねない」 経済対策、一夜で4兆円積み増し(西日本新聞)#Yahooニュースhttps://t.co/6zoNkGc6kW
— 中沢けい (@kei_nakazawa) October 29, 2022
一食3万のステーキを食いながら、一世帯4.5万円などのショボい支援の検討をしたわけですね🙄 それで信用回復とか言われてもね。血税で食う肉は美味いか?
— えたの〜る星人 (@NotForSale2021) October 29, 2022
岸田首相に萩生田政調会長が高級ステーキ店で直談判「経済対策は党主導で」目論む“旧統一教会問題”からの信用回復https://t.co/ckpgjmulll
「禁じ手には禁じ手で返した」経済対策決定の裏側 自民・萩生田氏:朝日新聞デジタル https://t.co/jADH0iXNok #自民 #岸田政権
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) October 29, 2022
〈次世代に借金を押しつける無責任さに愕然とする。東日本大震災後でも補正は10兆円台。感染拡大を防ぐため「例外中の例外」だった昨年度の規模を維持しては理屈が立たない。政策の優先順位や将来負担を脇に置き、膨らませれば支持が得られるとの発想なら次元の低さに呆れる〉https://t.co/jZ1U1U5j0Y
— 冨永 格(たぬちん) (@tanutinn) October 28, 2022
寿永3/元暦元(1184)年
1月15日
・源義仲、征夷大将軍に任命される。この間、義仲軍より行家が離れ、源氏では信太義広のみとなる。
1月16日
・義仲が近江に派遣した郎従の報告では、「敵勢数万に及ぶ、あへて敵対に及ぶべからず」と(「玉葉」)。都は大騒動となる。13日には「九郎の勢僅か千余騎」という報告であった。新手の範頼軍や「武田の党」の一条忠頼(武田信義の子)などが加わっている。義経軍も、伊勢の平信兼、伊賀平氏の支援、安田義定などの軍事貴族が参加し強化されていた。
「去る夜より京中鼓動す。義仲近江の国に遣わす所の郎従等、併せて以て帰洛す。敵勢数万に及び、敢えて敵対に及ぶべからざるの故と。今日法皇を具し奉り、義仲勢多に向かうべきの由風聞す。その儀忽ち変改す。ただ郎従等を遣わし、元の如く院中を警固し祇候すべし。また軍兵を行家の許に分け遣わし追伐すべしと。凡そ去る夜より今日未の刻に至るまで、議定変々数十度に及び、掌を反すが如し。京中の周章喩えに取るに物無し。然れども晩に及び頗る落居す。関東の武士少々勢多に付くと。」(「玉葉」同日条)。
1月16日
・源行家、和泉で反義仲の挙兵。河内石川城へ拠る。義仲、樋口兼光600余を河内に派遣。19日、石川城攻め落とされ、行家は敗走(高野に逃亡)。
兼光は、京都に戻る途中で義仲が上洛軍に討たれたことを聞き、義経に降参。兼光の降参は、配下にいた武蔵国の豪族庄四郎高家が義経の軍勢に属した兄弟と話し合って実現した(『平家物語』)。兼光の軍勢に属した信濃国の千野光弘は降参に応ぜず、武門の名誉を重んじた死の前進を選び、義仲滅亡後の京都に向かって軍勢を進める。
1月17日
・廣常弟の天羽庄司上総直胤・千葉常清、復権(「吾妻鏡」)。
1月19日
・義仲軍は、樋口次郎兼光が行家攻撃のため河内出陣とはいえ、入洛時5万の兵は僅か1千程となる。義仲は、近江勢多(今井四郎兼平7~800)・宇治(根井小弥太行親・楯親忠・進親直・志太義広・楯親忠500)・淀(信太義教300)に派兵。法皇御所(五条内裏)警備は那波弘澄100。
平信兼や伊勢の在地武士の援軍を得た義経軍は、1月半ばに京に向けて進軍開始。
総大将範頼(大手軍3万5千余又は8千、武田信義・千葉常胤)、美濃から琵琶湖沿いに近江・瀬田川から京を攻める。
搦手義経・中原親能(搦手軍2万5千余又は1千、安田義定・佐々木高綱・梶原景時)、伊勢国鈴鹿郡から加太(かぶと)越えで伊賀国柘植・倉部に進み、そこから大和街道本道に入り、伊賀上野を通り、南山城から北上する計画(まず、後白河と後鳥羽の身柄の確保を目的とする)。(『源平盛衰記』巻第35「義経範頼京入」)
このルートは、伊賀国北部に展開する小松家家人の平田家継(平貞能の兄)の勢力圏を通っており、家継が義経軍に参加したかどうかは定かではないものの、義経の進軍を支援したことは確実である。
1月20日
・宇治川合戦。義仲軍、宇治川を要害にして、橋板を外し、川綱を張るが破られる。
『平家物語』による(史実ではない)。
義経に従う大将軍は安田義定・大内惟義、侍大将は畠山重忠、長野重清、三浦義連、梶原景時・景季、熊谷直実・直家、佐々木高綱、渋谷重助(重資)、糟谷(糟屋)有季ら。義仲軍は宇治川の橋を引いて岸に乱杭をうち大網を張って逆向木を繋いで迎撃。義経は、川岸が狭いため川端の在家を焼払う。ついで、矢倉を作りそれに乗り、先陣きった者は鎌倉殿に注進すると告げる。佐々木高綱と梶原景季の先陣争い。
雪解けで急流の宇治川。畠山重忠が先陣を受けるが、梶原景季・佐々木高綱が先陣争い。畠山隊が義仲軍の川岸の太網を切り渡河を助ける。畠山重忠、途中自分同様、馬を射られた烏帽子子の大串重親を岸に投げ上げ救う。
義経(26)、入京。
義経軍は、宇治川を突破し、梶原景時の部隊が一番手となり大和大路から京中に進入、六条河原に向う。木曽四天王根井行親、六条河原で討死。
義仲は、瀬田・宇治川に、また行家に対応するため河内に兵を派遣しているので都の軍勢は僅か。義仲は、院御所(六条殿)に向うが、義経軍(範頼、義経、河越重頼・重房、佐々木高綱、畠山重忠、渋谷重国、梶原景季ら)が来襲。御所を警固する。
読み本系の『平家物語』は、義仲最期の日の松殿姫君との別離を伝えている。義仲は、権門の女性を正室に求めていたところ、松殿姫君(基房の娘)を見染めて強引に聟になったと伝えられる。
義仲は、越後中大家光(ちゆうだいいえみつ)が宇治が破られて義経の軍勢がせまっていると進言しても、松殿姫君の側を離れようとしなかった。このままでは敵中に取り込められると家光が自害して諌めたことでようやく、今井兼平と合流すべく瀬田をめざして進む決意をした。義仲が向かう先には、兼平を追撃する範頼の率いる上洛軍本隊がいた。
義仲は、院御所となっていた六条西洞院の平業忠邸(六条殿)に赴いて後白河院を連行しようとするが、ここにも鎌倉の軍勢は進軍しており、義仲に攻めかかる。義仲は、六条河原と三条河原の間で、攻撃をかわしながら鴨川を渡り、栗田口を抜け、松坂を越え、四の宮河原に落ち延びる。この時、義仲主従は12騎。
一方、瀬多で範頼軍に大敗した今井四郎兼平50騎は、琵琶湖畔打出ヶ浜に辿り着く。義仲もまた打出ヶ浜に辿り着き、ここで兼平と再会。兼平が軍旗を掲げると、そのうち木曾の兵300が集結し、義仲は一条忠頼(甲斐源氏)6千・土肥実平軍2千に最後の戦いを挑む。乱戦の中、木曾の兵は次々と討たれ、手塚光盛も討死、7騎で近江に入った所で、義仲は最後まで随従した巴御前を、本国に最後の状況を伝える使者とするため、戦場から落ちさせる(読み本系『平家物語』は松殿姫君との別れの場面が詳しく、語り物系『平家物語』は巴との別れが詳しい)。
つづく
「大統領選が終わったら」「トランプが去ったら」「Qが書き込みをやめたら」。変化があるたびに、Q現象はしぼむのではないか、という観測があった。どれも間違っていた。
— Gakushi Fujiwara / 藤原学思 (@fujiwara_g1) October 28, 2022
日本もまったく例外ではない。本で書いたファクトが、少しでも多くの人に届けばと願う。https://t.co/hqZakD5zGy
「Q」の起源については、こちらで全文を読むことができます。何度でもくり返しますが、Qがうまれた掲示板4chanは日本にルーツがあります。
— Gakushi Fujiwara / 藤原学思 (@fujiwara_g1) October 28, 2022
4ちゃんはまた、17年10月当時も現在も、日本人がオーナー兼管理人です。それは何度でも、これからも強調したいと思います。https://t.co/12EFhmshvK
"25日夜。立憲の泉代表や維新の馬場代表ら両党幹部が都内のすき焼き店で会食した"
— 朝日新聞官邸クラブ (@asahi_kantei) October 27, 2022
数ヶ月前には考えられなかった「共闘」ですが、今国会では一定の成果も出ています
立憲と維新の幹部が連携強化で一致 すき焼き店で語った「共闘」の夜 [立憲] [維新]:朝日新聞デジタル https://t.co/5pO2tQfd7K
「コテコテの改憲勢力」ですよ。過去の憲法審査会を遡って10回もみればわかります、
— Dr.ナイフ (@knife900) October 28, 2022
・立憲・泉代表「維新はガチガチの改憲勢力とは思えない」 https://t.co/tVIor5JPs0
立憲民主党は日本に絶対必要ない!馬場伸幸(日本維新の会幹事長) https://t.co/81NpqzuiVb @YouTubeより
— 馬場 伸幸(ばばのぶゆき 日本維新の会) (@baba_ishin) June 4, 2021
立憲民主党の泉氏や小川氏が、この期に及んでもまだ「維新といい関係を保ちたい」などと思っているなら、もう救いがたい鈍さだとしか言えない。「与党でも野党でもない第三極」という欺瞞的なポジションをとる維新は、自民党政権を倒すつもりなどない。与党補完野党から連立政権側に入ることがゴール。 pic.twitter.com/3pMQxt5WFt
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) January 29, 2022
小平奈緒さん、札幌五輪招致活動への参加要請を拒否。
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) October 28, 2022
「スポーツの純粋な楽しさをもう一度、考えたいと思っているので」「オリンピックがスポーツをする人にとって必要なものであってほしい。それを利用されたくない」https://t.co/Dx8BddEzEM
平昌五輪は、観ていて感動した最後の五輪だったかも。 pic.twitter.com/5UE50m4G4J
こういう非常識な議員
— showbin (@yYsAGj0ff5oAvUN) October 28, 2022
また維新かと思うのは私だけか。 pic.twitter.com/7OQhIz0gZt
#日本維新の会 所属議員による犯罪行為なのに、まるで維新が被害者かのようなテロップ💢
— Shoji Kaoru 💙💛 (@Shoji_Kaoru) October 27, 2022
最近の朝日、維新擦り寄りが目に余る😡#維新は最悪の選択肢 https://t.co/7CJWL2JaZ3
日本維新の会に所属する堀本和歌子市議
— 尾張おっぺけぺー (@toubennbenn) October 26, 2022
次の市議選でのライバル候補に成りすましビラを配布
>ビラには「旧統一教会の式典で日韓トンネルへの賛意と祝辞を述べた」と書かれ、動画が視聴できるようQRコードも掲載されていました
維新らしい手口の、維新らしい事件だことhttps://t.co/GJ6DLelRIH
寿永3/元暦元(1184)年
この年
・この年、藤原定家の最初の子定継(後の光家)、誕生。母は藤原季能の女。
・京中に群盗横行。
10月27日(木)、晴れのち曇り
大船フラワーセンター。
コスモスが依然元気。まだどんどん花の数を増やしている。残念なのが秋バラ。気のせいかな、枝ぶりが貧弱でさびしいように見える。
▼明日(10/28)から菊花大会 写真は準備中の菊
▼秋バラ 上が「春の舞」、下が「トーナメント・オブ・ローゼス」
「政府税制調査会」で、複数の委員から「消費税率をアップすべき」との意見が相次ぎました。庶民が生活苦に喘いでいることも知らないのでしょうか。本来、国民生活を守るために消費税は「増税」ではなく「減税」するのが当たり前なのでは?https://t.co/uhH0h1V1p8 #日刊ゲンダイDIGITAL #日刊ゲンダイ
— 日刊ゲンダイDIGITAL (@nikkan_gendai) October 27, 2022
森本毅郎さん「とうとう岸田さんが支持率回復のために電気料金やガス料金にバラ撒きを始めましたね。でも財源がないので国債発行。結局は国民に借金を背負わせてのバラ撒き。そして、その裏では消費税の増税を言い出しました」(TBS「スタンバイ!」)
— きっこ (@kikko_no_blog) October 27, 2022
寿永2(1183)年
12月19日
・藤原定家(22)、八条院の年給により正五位下に叙任。
12月22日
・西国出撃遠征拒絶論掃討(粛清①)
有力御家人(三大功人の一人)上総権介広常、大倉御所に出仕し、双六に事寄せ、朝の密命受けた梶原景時により誅殺。広常嫡男能常、自殺。広常旗下の周西助忠など上総伊南・伊北・庁南・庁北・周東・周西の武士達は御家人となる。翌年1月8日、上総一宮奉納の甲の願文で上総広常の忠誠心が明らかになる。
「その介の八郎を梶原景時してうたせたる事、景時がかうみやう云ばかりなり。双六うちて、さりげなしにて盤をこへて、やがて頸をかいきりてもちきたりける。まことしからぬ程の事也。」(「愚管抄」)。
「まことしからぬ程の事也。」; 本当にあった事とは思えないほどだ。
広常の言葉、「なんでう朝家の事をのみ身ぐるしく思ぞ、ただ坂東にかくてあらんに」(「愚管抄」)。王朝側との関係修復への転換をめざす頼朝の政治方針は、広常にとっては東国の実力占拠を放棄した中央への屈伏とみえる。この前後、寿永2年の宣旨・治承年号の放棄など、この時期、頼朝は簒奪による反乱政権の限界を感じ、王朝への歩み寄りを始める。
建久元年(1190)上洛した頼朝が後白河に語った事として『愚管抄』が記す。
「広常は東国きっての有力者で、頼朝にとって功績ある者だったが、何かというと、頼朝はどうして朝廷や王家のことばかりみっともなく気にするのだ、ただわれわれが坂東でこうしてやっていこうとするのを、いったい誰が「引はたらか(力を及ぼ)」すことができるというのか、などと放言するような「謀反心」を持つ者だったので、かようなものを郎従にしておれば、頼朝まで神仏の加護を失うことになると思って殺した」
12月24日
・この日、兼実のところに大外記(げき)清原頼業(よりなり)が来て、世事を語りあった。外記は太政官の事務部門の一局、議政官の書記役で、詔書の検討、奏文の作成、公事・儀式への奉仕などをつかさどり、大外記はその長である。
頼業は安徳天皇が京都に還ってきたら、現在の後鳥羽天皇はどうなるのでしょうか、ことによると六条天皇のような形になるのでしょうかと問う。六条は20年近く前の永万元(1165)年6月、父二条天皇の病による退位をうけて2歳で即位した天皇で、仁安3(1168)年2月には、位を後白河上皇の皇子憲仁親王(高倉天皇)に譲って上皇になった。滋子を母とする皇子を即位させるためであるが、後白河からいうと天皇(高倉)は子(8歳)で上皇(六条)は孫(5歳)という例のない変則な事態であった。頼業は、兄の安徳が復帰すれば、弟の後鳥羽は数カ月の在位で、元服の式もないまま放置され13歳で亡くなった六条同様、まったく実権のない上皇に追いやられるのでは、と観測した。
こういう話題が出るのは、平家の京都奪還が現実味を帯び始めた証拠。
のちに捕虜となった重衡は、尋問を受け平家は兼実が「天下を知る(治める)べきの由」を決めていたと述べている(『玉葉』元暦元年2月19日条)。平家が天下の権を奪回した時は、兼実を幼主安徳の摂政とする天皇親政、つまり後白河を治天の君から追放する政権構想を固めていたことを意味する。
12月25日
・藤原定家(22)、賀茂臨時祭舞人を勤仕。
山際前経済再生相は更迭されましたが、いまだ岸田内閣は安泰とは程遠い状況。統一教会との接点など問題がある政務三役がまだ33人もいるというのだから驚きです。なかでも“更迭候補”として急浮上しているのが大串正樹デジタル副大臣で…。 https://t.co/zXFo1Sjy0n #日刊ゲンダイDIGITAL #日刊ゲンダイ
— 日刊ゲンダイDIGITAL (@nikkan_gendai) October 27, 2022
https://t.co/73OIShlh6D「野党が真っ先にターゲットに挙げるのは、親族を通じた政治資金還流が取り沙汰される秋葉復興相だ…寺田総務相にも同様の脱税疑惑が浮上…「教団との関係の説明責任を果たしていない点では、細田衆院議長も萩生田政調会長も“同罪”です」」
— 本田由紀 (@hahaguma) October 26, 2022
「ホンマにやりたい放題や」…関係者も呆れる「大阪万博」の理解しがたい実態 @gendai_biz https://t.co/gkXKxOkqHj #現代ビジネス
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) October 27, 2022
大阪万博の「闇」第4回
【追及スクープ】「大阪万博」が汚れた東京五輪の二の舞に…シャワーヘッド「ミラブル」を売る新興企業の正体 @gendai_biz https://t.co/vKM2RQJktq #現代ビジネス
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) October 27, 2022
大阪万博の「闇」第3回
大阪万博の「闇」第2回【追及スクープ】「大阪万博・大阪パビリオン」プロデューサーの顧問先企業が”最高位”スポンサーに決定した「不可解」(森 功, 週刊現代) @gendai_biz https://t.co/wH7b5uSzSX #現代ビジネス
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) October 18, 2022
大阪万博の「闇」第1回【追及スクープ】「大阪ワクチン」失敗のお騒がせ男が、「大阪万博」総合プロデューサーになっていた! (森 功, 週刊現代)@gendai_biz https://t.co/7Xr6WAA9mx #現代ビジネス
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) October 18, 2022
— MKIUC41 (@mkiuchi41) October 19, 2022
杉田水脈《統一教会の信者の方にご支援、ご協力いただくのは何の問題もない》とTwitterに投稿していた。「支援を受けるのは、今でも問題ないと思っていらっしゃいますか」の質問に「見解の表明は差し控える」と返答。
— あらかわ (@kazu10233147) October 27, 2022
杉田政務官 総務省「資格も資質もない」と怒りの声 https://t.co/PoYCERwWrY
総務政務官が総務省の誹謗中傷対策を知らない。というか、誹謗中傷しまくっている人が総務政務官てどう考えてもおかしい https://t.co/LCsOXV2xqz
— 本田由紀 (@hahaguma) October 26, 2022
杉田水脈・総務政務官、総務省のSNS誹謗中傷対策「存じ上げない」 https://t.co/NXxndsGKta
— 毎日新聞ニュース (@mainichijpnews) October 26, 2022
「#NoHeartNoSNS ご存知ですか?」
— がもうのかけ小 (@AfYjpB3h5Hp0n6g) October 26, 2022
杉田水脈議員「存じ上げません」
「大丈夫ですか?それ総務省がやっている行動ですよ⁈」
杉田氏「質問通告をいただいておりませんので…」
杉田議員は『総務省政務官』
そりゃ誹謗中傷ツイートに『いいね』を
連発するわな!この程度か💢😩#報道ステーション pic.twitter.com/IT10WBno89
杉田水脈政務官、初答弁で「控えたい」繰り返す 過去の発言や判決に:朝日新聞デジタル https://t.co/BCtJTsWIdA この「控えたい」を許さないロジックを野党はぜひ
— 本田由紀 (@hahaguma) October 26, 2022
源馬議員「東京高裁は伊藤詩織氏への中傷投稿にいいねしたことを侮辱行為と判断。受け止めは?」#杉田水脈 政務官「係争中。詳細控える」
— 国会ウォッチャー (@kokkaiwatcher1) October 26, 2022
源「伊藤氏の気持ち想像しなかったのか?」
杉「答弁控える」
源「反省も、答弁もできない人が、政務官に適任か?」
杉「答弁控える」https://t.co/JsPf4gmZxU pic.twitter.com/XPq64KACCB
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杉田水脈氏、中傷ツイートに「いいね」で名誉毀損判決 総務政務官続投でも「いいね」なの?
— 東京新聞編集局 (@tokyonewsroom) October 22, 2022
東京新聞 TOKYO Web https://t.co/cAuXgKpNdM
小川たまかさんの記事で経緯を改めて知る。決して「いいねを押しただけで……」という話ではない。そして、いまだに杉田議員が差別ツイートに「いいね」をしていることを知る。現在、総務政務官。なぜこの立場のままいられるのだろう。https://t.co/bVrpaujeRE
— 武田砂鉄 (@takedasatetsu) October 22, 2022
伊藤詩織さんに「女として落ち度」 杉田水脈氏の差別発言の数々 https://t.co/RvhAaq1KSp
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) October 20, 2022
心から尊敬する、佃克彦先生が獲得された判決。
— 弁護士神原元 (@kambara7) October 20, 2022
きちんと事実と証拠に基づいて具体的な判断をしているとのこと。
裁判所の努力にも敬意を表したい。 https://t.co/vYW7xTq7Pq
ジャーナリストの伊藤詩織さんが、ツイッター上で自身を中傷する多数の投稿に「いいね」を押され、名誉を傷つけられたとして、自民党の杉田水脈衆院議員に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は請求を棄却した一審判決を変更し、杉田氏に55万円の賠償を命じました。https://t.co/D3QOrOs2MS
— 時事ドットコム(時事通信ニュース) (@jijicom) October 20, 2022
先日、総務政務官に任命された方。
— 武田砂鉄 (@takedasatetsu) October 20, 2022
「杉田議員に55万円の賠償を命じた」
「『枕営業の失敗』などとする複数の匿名の投稿がされた。杉田議員は18年6~7月、こうした投稿25件に『いいね』を押した」
伊藤詩織さん逆転勝訴、杉田水脈氏に賠償命令https://t.co/Wa8ZHR1rvb
中傷ツイートに「いいね」 杉田水脈衆院議員に賠償命令 東京高裁 伊藤詩織さん側敗訴の地裁判決を変更:東京新聞 TOKYO Web https://t.co/5wNcALrvH5
— 東京新聞編集局 (@tokyonewsroom) October 20, 2022
判決は「中傷ツイートに『いいね』を押す行為は、伊藤さんを侮辱する内容の書き込みに好意的 肯定的な感情を示すために行われたと認められる…伊藤さんへの揶揄や批判を繰り返してきた杉田議員が、中傷ツイートに『いいね』を押して賛意を示すことは名誉感情を侵害する」と。https://t.co/l8yZmZqb57
— 冨永 格(たぬちん) (@tanutinn) October 20, 2022
〈杉田議員は、ツイッターで「枕営業の失敗」「ハニートラップ」「売名行為」などと伊藤氏を中傷した第三者の投稿25件に「いいね」を押した。伊藤氏側は、多数のフォロワーがいる衆院議員の影響力は大きく、多くの中傷に「いいね」を押したことは名誉感情の侵害だと主張した〉https://t.co/XzzhCA3NVx
— 冨永 格(たぬちん) (@tanutinn) October 20, 2022
10月26日(水)
七里ヶ浜からの富士山(午後1時頃)。
昨日は、かなり下の方まで雪が積もった富士山だったが、今日はだいぶ解けたようだ。
「立候補者の公認などは「各都道府県連が指針に基づいて判断することになる」(党幹部)見通しだ。事実上、地方組織に丸投げする形で、東海地方の自民党市議は「地方議員の中には現役の信者と思われる人物もいる。何かがあった時、党本部に責任が飛び火しないよう予防線を張ったのでは」と話す。」
— 本田由紀 (@hahaguma) October 26, 2022
年金“65歳まで納付”に?5年延長で負担100万円増 「信じられない」「諦めの境地」と不安の声…老後の暮らしどう守る(FNNプライムオンライン)#Yahooニュースhttps://t.co/jiimHevNwO
— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) October 26, 2022
厚労省が社会保障審議会の年金部会で、国民年金保険料の納付期間を、現行の20歳から59歳までの40年間から、64歳までの45年間に延長する議論をスタートさせました。 年間約20万円、5年間で約100万円も国民の負担が増えることになります。 https://t.co/QbrB5PX07Q #日刊ゲンダイDIGITAL #日刊ゲンダイ
— 日刊ゲンダイDIGITAL (@nikkan_gendai) October 26, 2022
寿永2(1183)年
12月
・大江広元、鎌倉へ下向。
大江広元:
文官貴族の家に生れる。中原親能(後白河院と頼朝の交渉使者)の弟。若い頃、外記局最高責任者・大外記清原頼業の補佐をする。
清原頼業:
清少納言の家系。藤原頼長に認められ、大外記・明経博士・高倉天皇侍読となる。後白河院・平家に批判的で九条兼実とは意気投合。
12月1日
・義仲、院御厩別当(いんのみうまやのべつとう)に就任。院御厩に集まる馬は宮廷儀礼や神事のために諸国から献上された儀礼用の馬であったが、義仲は軍馬の入手先として強引に要求。
12月2日
・義仲、摂関家領のうち85ヶ所を、5日には平家領全てを管領することを認めさせる。
「一所の御庄々八十五所、義仲これを申し給う。前の摂政御家領(高陽院・京極殿已下すでに多し)、元の長者に付けず。所々押し籠め御沙汰有りと。」(「吉記」同日条)。
「伝聞、義仲一所を賜い八十六個所を領すと。また新摂政政所始め去る二十八日と。」(「玉葉」同3日条)。
12月2日
・軍事的に劣勢となり、頼朝と平家に東西から挟撃され苦境に立った義仲は、翌年正月中旬まで、平家との間に和平の途を模索する。京都では平家入京近しの噂が頻々と流れた。いったんは義仲は後白河を平家に預け近江に下って頼朝軍を迎撃、平家は寿永3(1184)年正月13日に入京するという合意が成立したが、義仲が後白河を連れて本拠の北陸に下ると聞くに及んで、ご破算になる。
〈平氏の勢力恢復 前進基地一ノ谷陣地を構築〉
平氏側は、義仲の使者を播磨の室泊で迎えている。平氏は次第に勢力を恢復して、瀬戸内海沿岸を東に進み、諸処の要地を支配下に入れながら、寿永2年(1183)末頃には、播磨から摂津にまで、その勢力を及ぼして来ている。そして、京都を舞台に源氏同士の争いが展開されている間に、摂津の福原に前進基地の構築をすすめていた。いわゆる一ノ谷陣地である。
「伝聞、義仲使を差し平氏の許(播磨の国室泊に在りと)に送り和親を乞うと。また聞く、去る二十九日平氏と行家と合戦す。行家軍忽ち以て敗績し、家子多く以て伐ち取られをはんぬ。忽ち上洛を企つと。また聞く、多田蔵人大夫行綱城内に引き籠もる。義仲の命に従うべからずと。」(「玉葉」同日条)。
「平氏一定入洛すべしと。行家去る二十八日合戦の由、世ニ嗷々す。」(「吉記」同3日条)。
12月5日
・「伝聞、平氏猶室に有り。南海・山陽両道大略平氏に同じをはんぬと。また頼朝と平氏と同意すべしと。平氏竊に院に奏し可許有りと。また義仲使を差し同意すべきの由を平氏に示すと。平氏承引せずと。」(「玉葉」同日条)。
12月7日
・義仲は、近江・伊勢まで軍勢を進めた頼朝と戦うべく覚悟した時から、平氏と和平を結び、平氏の軍勢を京都に迎え入れて連合することを考えるようになった。九条兼実や吉田経房の掴んでいた情報から、平氏がこれを京都に帰るひとつの方法として、最大限に利用しようと交渉していたことがわかる。この日、平氏は義仲の提案を無下に却下せず、上洛を視野に入れた交渉に入ったと伝える情報が京都に流れている(『玉葉』)。
12月8日
・「亥の刻に及び、或る人告げて云く、明日延暦寺を攻むべしと。驚奇極まり無し。凡そ日来山門衆徒蜂起す。甚だ以て甘心せられず。世の時として、訴訟も遺恨も有るべき事なり。近日の事、ただ知らざるが如く見えざるが如くにて有るべきの処、大衆蜂起の條、還って後鑒の恥を為すべき所たるか。当時またこの蜂起に依って、寄せ攻めらるべしと。」(「玉葉」同日条)。
「山僧東西の坂に城を構えんと欲す。また近江の通路これを塞ぐ。」(「吉記」同9日条)。
「山門既に城郭を構う。仍って城中に籠もるの條、甚だ穏便ならず。しかのみならず、山門既に城郭を構う。仍って城中に籠もるの條、甚だ穏便ならず。しかのみならず、なり。而るに山門追討の儀、また忽ち然るべからずと。仍って義仲に触れらるるの処、案の如く許有り。・・・この夜臨時の除目を行わる。義仲左馬の頭を辞退す。また天台座主(俊尭僧正)を仰せ下さると。」(「玉葉」同10日条)。
「伝聞、山の大衆蜂起す。和平相半ばすと。」(「玉葉」同12日条)。"
12月10日
・義仲、法皇を強要し、院庁下文により頼朝追討使に任命される。
15日には、鎮守府将軍秀衡にも陸奥・出羽の兵を率い、義仲と共に頼朝を討つよう院庁下文が発給される。
「院の廰御下文到来す。鎮守府将軍(秀衡)に仰せらるる状に云く、早く左馬の頭源の義仲相共に陸奥・出羽両国の軍兵を率い、前の兵衛の佐頼朝を追討すべしと。」(「玉葉」同15日条)。
12月10日
・後白河、延暦寺の院家無動寺(むどうじ)に百ヵ日参籠すると称して登山し、義仲に身柄を拘束される前に京都を離れる。
12月10日
・藤原隆房(36)、参議兼右兵衛督となる。 この日の臨時除目は新任摂政師家(12歳)に代って父の(松殿)基房が執り行い「善政相交じはる」と評判が良かった(「吉記」)。
つづく