2014年6月30日月曜日

「その(憲法の)解釈を曲げ、戦争ができる時代に巻き戻そうとする人たちがいます。 劇作家の井上ひさしさんは「日本人は既成事実に弱い。政治家はそれを知り抜いている」とおっしゃった。 ・・・、決めてしまえばこっちのものと、異見も反論もねじふせる姿が浮かびます。」(永井愛(『朝日』集団的自衛権を問う)

その(憲法の)解釈を曲げ、戦争ができる時代に巻き戻そうとする人たちがいます。
劇作家の井上ひさしさんは「日本人は既成事実に弱い。政治家はそれを知り抜いている」とおっしゃった。
・・・、決めてしまえばこっちのものと、異見も反論もねじふせる姿が浮かびます。
永井愛(『朝日新聞』集団的自衛権を問う2014-06-29)

リムパック始まる 中国海軍の4隻初参加 8月1日まで (MSN産経ニュース) : 「 リムパックは24回目、参加は過去最 多の23カ国。東、南シナ海で周辺国と対立関係 が続く中国が初めて加わり、注目を集める 」






中外の軍艦がハワイに集結 中日の戦艦を間近でとらえた写真

多国間合同演習「環太平洋合同演習-2014(リムパック)」が26日に始まる。初参加の中国は米国、日本、フィリピン、オーストラリアなど22カ国と合同で火砲射撃などの7項目を演習する。専門家は、中国の演習参加は、中米の軍事関係の「氷を砕く」意味があると見ている。

ハワイ時間24日午前9時、現地の水先人の誘導のもとで、中国海軍のミサイル駆逐艦「海口」、ミサイル護衛艦「岳陽」、総合補給艦「千島湖」、医療船「平和の方舟」はハワイの内港に向かってゆっくり航行した。中国海軍の「環太平洋合同演習-2014(リムパック)」に参加する艦艇編隊と米国、シンガポール、ブルネイの艦艇は12日間に及ぶ渡航を終え、ハワイの真珠湾にある基地に到着した。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2014年6月26日

仁左衛門「船乗り込み」で橋下氏に物申す (日刊スポーツ) : 「この日文書で祝辞を寄せた橋下徹大阪市長に対し「ちょっと腹が立つことがあるので言わせてもらいます」と物申す場面もあった。」

日刊スポーツ
仁左衛門「船乗り込み」で橋下氏に物申す

 大阪の夏の風物詩となっている「船乗り込み」が29日、大阪市内で行われた。

 「七月大歌舞伎」(7月3日から27日・大阪松竹座)に出演する歌舞伎役者の坂田藤十郎(82)片岡仁左衛門(70)尾上菊之助(36)らが、大阪城近くの八軒家浜から松竹座近くの戎橋まで舟で移動。東西の人気役者が顔をそろえ、なにわの初夏を彩った。

 舟に乗り込む前後には、出演者を紹介する口上や大阪府市の関係者、役者があいさつ。大阪府生まれの仁左衛門は、地元の文化振興に思うところがあるようで、この日文書で祝辞を寄せた橋下徹大阪市長に対し「ちょっと腹が立つことがあるので言わせてもらいます」と物申す場面もあった。「口だけでなく本当に文化を愛するなら、もう少し文楽の方にもお力をお貸し下さい。大阪の文化のためにもお願いしたいと思います。皆様のご理解もいります」と呼びかけ、集まった歌舞伎ファンから拍手喝采を浴びていた。

 橋下氏は補助金見直しを推し進め、今年1月に国立文楽劇場の目標入場者数が達成できなかったことから、補助金が減額されていた。

 松竹座近くには、約2000人の観客が、豪華な顔ぶれの役者陣を見ようと集まった。昨年11月に長男和史(かずふみ)くんが誕生し、5月末に結婚披露宴を行った菊之助には「おめでとう!」と声がかけられた。笑顔で「ありがとうございます」と応じた菊之助は「仁左衛門のお兄さんの大阪復帰の舞台にご一緒できてうれしい限り」。右肩腱板(けんばん)断裂の手術から今月の歌舞伎座公演で復帰した仁左衛門を気遣った。

 [2014年6月29日18時44分]

「お友達」に取り囲まれて妄想の虜になっている首相は、現場の声に耳を傾けるべき。「派兵以前は好感を持たれていたドイツのNGOが今では攻撃のターゲットになっている」【集団的自衛権:NGO、駆け付け警護に危機感】 — 平野啓一郎


消費者金融の規制緩和=「認可業者」に上限金利29.2%―自民党が貸金業法改正案 (時事通信) : 「上限金利を貸付金額に応じて15~20%に制限している利息制限法の適用から外し、2010年まで有効だった29.2%に戻す」

YAHOOニュース
消費者金融の規制緩和=「認可業者」に上限金利29.2%―自民党が貸金業法改正案
時事通信 6月29日(日)2時40分配信

 消費者金融など貸金業者の規制緩和に向け、自民党が検討している貸金業法の再改正案の概要が28日明らかになった。一定の条件を満たす貸金業者を「認可貸金業者」と認定。認可業者に限って、上限金利を貸付金額に応じて15~20%に制限している利息制限法の適用から外し、2010年まで有効だった29.2%に戻すのが柱。認可業者は、個人の総借入額を年収の3分の1以内に制限する「総量規制」からも除外する。

 自民党は貸金業法の見直しを、財務金融部会の下に設けた「小口金融市場に関する小委員会」(小委員長・平将明衆院議員)で検討。今秋の臨時国会に議員立法として同法改正案提出を目指す。

 ただ、06年に成立し10年に完全実施された改正貸金業法による上限金利の20%への引き下げと総量規制の導入は、多重債務問題などを背景に行われた経緯がある。このため今回の規制緩和の動きには反対論も根強く、金融庁も再改正には慎重な立場だ。

 自民党が貸金業法の再改正を検討するのは、銀行融資を受けにくい中小零細企業や個人事業主が一時的な資金を消費者金融から借りにくくなっているとの判断がある。06年の改正による規制強化などで貸金業者が減り、貸出残高も大きく減少している。

 自民党の改正案概要によると、認可業者の要件は(1)貸金業務取扱主任者が営業所・事務所ごとに一定割合以上いる(2)研修体制の整備(3)過去3年間に業務停止命令を受けていない(4)過去5年間に認可を取り消されていない(5)純資産額が一定以上(6)返済能力調査やカウンセリングなどの体制整備―などと定める。

 認可は2年ごとの更新制で、29.2%を超える金利で契約した業者には刑事罰を科す。業界団体である日本貸金業協会が自主規制を強化し、認可業者を監督・指導する仕組みも整える。 






旧日本軍跡地のパネル撤去 (NHK) : 奈良県天理市 教育委員会は撤去した理由について「県の内外の市民およそ20人から根拠が不確かだなどと指摘された。さまざまな意見があるので外した」と話しています。

NHK
旧日本軍跡地のパネル撤去
06月26日 08時04分

太平洋戦争中に朝鮮人労働者が、現在の奈良県天理市にあった旧日本軍の航空基地の建設工事で働かされたなどと記した説明用のパネルを、天理市が基地の跡地から撤去したことがわかり、地元の市民団体が理由の説明を求めています。

撤去されたのは、太平洋戦争中に現在の天理市に建設された旧日本軍、「大和海軍航空隊大和基地」の、跡地に設置されていた説明用のパネルです。

市教育委員会によりますと、パネルは市と教育委員会が19年前、地域の歴史を後世に伝えようと市民団体の調査をもとに設置しましたが、ことし4月に撤去したということです。

パネルには基地の建設工事で、「朝鮮人労働者が動員や強制連行によってつれてこられ、きびしい労働状況の中で働かされた」と記されています。

また「『慰安所』が設置され、朝鮮人女性が強制連行された」と書かれていて、パネルは現在、市役所で保管されているということです。

教育委員会は撤去した理由について「県の内外の市民およそ20人から根拠が不確かだなどと指摘された。さまざまな意見があるので外した」と話しています。

一方、パネルの設置に関わった地元の市民団体は「市は『歴史や人権学習』のためにパネルを設置したと説明していた。撤去したのであれば市民に対し理由を説明すべきだ」と話していて市に対し詳しい説明を求めて申し入れを行うことにしています。



ローソンの『からあげクン』が、タイでは『くんからあげ』になっている(画像)— ハフィントンポスト日本版

「私の第3の矢は悪魔を倒す」 安倍首相が英紙に寄稿 (産経新聞) : 「欧米諸国では、安倍首相が打ち出した「アベノミクス第3の矢」の成長戦略に対し、懐疑的な見方も出てきており、議論を呼ぶことになりそうだ。」 ← 産経でさえこう言う。 「悪魔を倒す」はヘン(精神状態)!  

YAHOOニュース
「私の第3の矢は悪魔を倒す」 安倍首相が英紙に寄稿
産経新聞 6月30日(月)9時0分配信

 【ロンドン=内藤泰朗】安倍晋三首相は30日付の英紙フィナンシャル・タイムズに、「私の『第3の矢』は日本経済の悪魔を倒す」と題した論文を寄稿し、経済再建なしに財政の健全化はあり得ないと述べて、日本経済の構造改革を断行する考えを表明した。

 首相はまず、改革の例として今年、法人税率を2・4%引き下げたほか、数年で20%台に減らすことを明らかにし、「それは成長を助け、外資を呼び込むことになる」と強調。規制の撤廃のほか、エネルギーや農業、医療分野を外資に開放することを言明した。

 さらに、今年4月の消費税増税でも、「影響は限定的だ」として、少子高齢化社会で経済成長を続けられるか否かについては「すべての国民の協力」と、「女性の社会進出」が重要だとして、「働く母親のために家事を担う外国人労働者の雇用を可能にする」と約束した。

 欧米諸国では、安倍首相が打ち出した「アベノミクス第3の矢」の成長戦略に対し、懐疑的な見方も出てきており、議論を呼ぶことになりそうだ。




【ニュース動画】新宿の焼身自殺ニュースが海外メディアで続々と報道される (NAVERまとめ) / 小野寺まさる北海道議会議員の集団的自衛権に反対して焼身自殺を図った人に関するツイート (togetter)  

NAVERまとめ
【ニュース動画】新宿の焼身自殺ニュースが海外メディアで続々と報道される
報道の内容も日本のものより踏み込んだものとなっています。
更新日: 2014年06月30日



わが「美しい国」日本ではコレ ↓
togetter
小野寺まさる北海道議会議員の集団的自衛権に反対して焼身自殺を図った人に関するツイート










6月30日 夏越の祓(なごしのはらえ)と水無月 神田明神 近江神宮 鶴岡八幡宮 上賀茂神社 諏訪大社 貴船神社 久能山東照宮 (ツイッター写真)  












防衛大の退校・早期退職 イラク派遣前後 急増 (東京新聞)

東京新聞
防衛大の退校・早期退職 イラク派遣前後 急増    
2014年6月30日 朝刊 

 イラク特別措置法に基づき自衛隊がイラクへ派遣された前後の二〇〇三~〇九年に、幹部を養成する防衛大学校(防大)の退校者や、任官後の早期退職者が急増したことが分かった。ピークの〇五年は四割が退校するか、早期退職した。安倍晋三政権が集団的自衛権の行使に踏み切れば、自衛隊から再び人材が流出する恐れがある。

 防大卒業者は任官後、半年の専門教育を受けて幹部の三尉(少尉)となり、以後、急速に昇進する。一般大出身の幹部もいるが、防大卒業者は一期生が一九九〇年に陸海空トップの幕僚長に就任して以降、各幕僚長職を独占。自衛隊のエリート養成校といえる。

 防大の入校者は年によって四百五十~五百五十人程度。一方、(1)卒業までに辞める退校者(2)卒業時の任官拒否者(3)任官後、八月までに辞める早期退職者-の合計は毎年百人前後。入校者の約二割が防大や自衛隊から消える。

 退校者や早期退職者は、米国がアフガニスタンを攻撃しインド洋への自衛隊派遣が始まった二〇〇一年に、三割近くに増加。米国がイラク戦争に踏み切り、自衛隊の派遣が決まった〇三年以降は、毎年の増加が顕著になった。

 政府は〇四年一月~〇六年七月、陸上自衛隊をイラク南部のサマワに派遣。航空自衛隊は〇四年一月~〇八年十二月にクウェートに派遣された。退校者や早期退職者が急増した時期は、これらの時期と重なる。

 陸自の宿営地には十三回、計二十二発のロケット弾が撃ち込まれた。空自は米兵を首都バグダッドへ空輸する際、地上から携帯ミサイルで狙われた。

 帰国後、今年三月末までに陸自で二十人、空自で八人が自殺している。過酷な環境下での活動が影響した可能性は否定できない。 (編集委員・半田滋)

◆派遣明らかに影響
 軍事ジャーナリスト前田哲男さんの話 明らかにイラク派遣が影響していると思う。この時期に防大に入った若者は、阪神大震災やカンボジアの国連平和維持活動(PKO)を見て人助けや国づくりに貢献しようと考えたのではないか。命の危険があるとは思っていなかったかもしれない。まして戦闘を命じる幹部の立場なので、より重い責任を感じたのだろう。一般隊員が同じような考えを持っても不思議ではなく、隊員不足となれば、徴兵制が浮上するかもしれない。





【西船橋】今日もハーケンクロイツが翻っていたヘイトデモ (2014/06/29)






togetter
【西船橋】今日もハーケンクロイツが翻っていたヘイトデモ(2014・6・29)


集団的自衛権の行使はなぜいけないのか。~村上誠一郎衆議院議員が外国人記者クラブで会見~ (亀井亜希子) ← 簡潔明瞭、よくわかる。

BLOGOS
亀井亜紀子2014年06月29日 05:00
集団的自衛権の行使はなぜいけないのか。 
~村上誠一郎衆議院議員が外国人記者クラブで会見~ 

 久々に政治家らしい信念と迫力のこもった話を聞きました。内閣改造を前に安倍政権に対して物が言えない自民党議員の中で、ただ1人公然と集団的自衛権の解釈変更に異論を唱える村上議員は自民党の良心だと思います。カメラはたくさんありましたが、海外メディアはともかくとして、日本のマスコミはなぜ村上議員が解釈変更に反対するのか、何が問題の本質なのか、会見の中身をまともに伝えないでしょう。日本のメディアの罪は、誰が造反するだとか表面的なことだけセンセーショナルに騒いで内容についてはほとんど書かないので、いつまでも問題の本質が国民に伝わらないことだと思います。その結果、世論調査で「よくわからない。」、「どちらとも言えない。」という回答が増え、国民が理解しないうちに政府がするすると大事なことを決めてしまうケースが常態化しています。

 私はこの欄で「安倍政権の大暴走」と題して憲法の解釈変更に対する反論を書きました。村上議員の説明は30年にわたる国政経験に裏打ちされたベテランらしい見識に溢れていて、私の説明より遥かに説得力があるので、ここでは村上議員の会見を忠実に再現したいと思います。以下の通りまとめてみました。

1.憲法の解釈変更はなぜいけないのか。
 日本の国の形である三権分立(司法・行政・立法)を覆す行為である。安倍総理は自分は行政の長だから憲法解釈は自分が責任を持って変えればよいと言っているが、これは間違い。憲法解釈の最終判断は司法(最高裁判所)が行い、行政は最高裁に違憲と言われないように内閣法制局のアドバイスを得ながら法律をつくるのが仕事。その際、内閣法制局には一貫した解釈が求められる。なぜなら政権はコロコロと変わるものなので、内閣が変わるごとに憲法解釈が変わり法律が変わるようでは法治国家でなくなってしまう。歴代の法制局長官は皆、安倍政権の手法に異議を唱えている。

 安倍政権は閣議決定で憲法解釈を変え、それに基づいて法律を作ろうとしているが、これは下位の法律によって上位の憲法を変える禁じ手であり、権力者が暴走しないように憲法によって権力を拘束するという立憲主義に反している。つまり安倍政権の手法は憲法違反である。

 似たような例として1930年代、ヒトラーが全権委任法を可決させ、ワイマール憲法が効力を失ったことが挙げられる。憲法が有名無実化した時、立憲主義は終わる。私は主権在民、基本的人権の尊重、平和主義の三原則はどんなことをしてでも守らなければならないと思っている。

2.集団的自衛権の行使になぜ反対するのか。
 集団的自衛権とは同盟国や関係の深い国が攻撃を受けた時は戦争をするという意味であり、限定的容認などというものはない。安倍政権は重箱の隅をつつくような、あり得ない事例を挙げて、それに対応できないから集団的自衛権を行使するのだと言っている。例えば子供を抱えた母親が第三国から逃げ遅れ、米軍の艦船に乗って帰国するという事例は、外務省が機能せず第三国で避難情報も出せず、母子が逃げ遅れてアメリカの船に乗るということだが、そんなことはまずあり得ない。

 集団的自衛権の行使は国の根本的なあり方を変える行為だから、もし本当に安倍総理が日本の為に集団的自衛権が必要だと考えるのなら、正面から国民に説明して覚悟を問い、憲法改正をしなければならない。日本が攻撃された場合に反撃する専守防衛が憲法9条で読めるギリギリのラインであり、日本が攻撃されていないのに武力行使をする、つまり他国と戦争を始めることは憲法9条ではどうやっても読めない。故に集団的自衛権は行使できない。

 集団的自衛権を行使する場合、国民に対して次のような覚悟を問わなければならない。まず徴兵制も視野に入れなければならなくなる。地元の自衛隊に事情を聞いたところ、今でさえ自衛隊員の確保に苦労しているとのことだった。集団的自衛権を行使すれば、日本を守る為ではなく外国を守る為に地球の裏側まで命を捨てる覚悟で出向くことになる。その覚悟が自衛隊員にあるだろうか。自衛隊員が集まらなければ、必然的に徴兵制の話につながっていく。

 集団的自衛権を行使するかどうかの判断はどうやって行うのか。日本版NSCは作ったが、日本にはCIAもMI6もない。あのパウエル長官でさえCIAに騙されてイラク戦争に踏み切った。だが大量破壊兵器はなかった。アメリカはイラク戦争で80兆円使って4,489人の兵士が亡くなった。イギリスは4兆3,000億円使って179人の兵士が亡くなった。そして何より15万人のイラク国民が亡くなった。この責任は誰がとるのか。日本には戦争する金もなければ判断する体制もない。

3.「アメリカに見捨てられる。」、「国際情勢が変化している。」から集団的自衛権を認めざるを得ないという声への反論
 アメリカに対する思いやり予算ははじめ60億円だったが2,000億円にまで膨らんだ。つまり日本はアメリカに基地を提供し費用を負担することで日米安保条約における義務を果たしている。これをもしアメリカが一から作り上げるとしたらどれだけ大変なことか。日本国内に米軍基地が点在していることは、つまり米軍の防衛ラインがどこであるかということを明確に示している。安倍総理の祖父である岸信介元総理は、日米安保条約は片務条約ではあるが、基地提供によって双務条約に等しいと言った。安倍総理はそのことを理解していない。

 また近隣諸国との緊張は日本が悪化させたものだ。2つの要素があった。1つ目は石原慎太郎元都知事が14億円を集め、本来は国が尖閣諸島を買うべきだと迫ったこと。野田佳彦元総理は着地点も展望もないまま尖閣諸島を買ってしまった。2つ目はバイデン米副大統領に中国とうまくやってくれ、事を荒立てないでくれと頼まれていたにも関わらず安倍総理が靖国参拝を行ったこと。安倍外交は中国、韓国、北朝鮮、台湾、そのどちらを向いてもうまくいっていない。

 私は安全保障(Security)と防衛(Defense)は違うと思っている。安全保障とは日本の敵を(外交努力によって)減らすこと、防衛とは武装して国を守ることである。ヨーロッパでは現在、ロシアより西では戦争は起きないとの予測からNATO全体で2,600億円の防衛予算しか持っていない。対して日本は一国で600億円を持っている。

 日本は憲法9条の平和主義の下で経済発展を優先させた。軍備に金を使わずに済んだ。財政の専門家としてもはっきり言える。日本に集団的自衛権を行使し戦争をする金はない。

 日本は外交によって仮想敵国を減らす努力をすべきであり、特にはじめから敵であると決めつけることはよくない。武士道の究極の目的は平和であるという教えを私は信じているし、その精神を日本が発信すべく外交努力を重ねるべきである。

 以上の通りであり、ものすごく説得力がありました。私が村上議員の話で再確認できたことは、やはりヒトラーと同じだという感じ方をしているのだなということ。そして去年麻生太郎副総理が「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。あの手口学んだらどうかね。」と発言したことを思い出しました。安倍総理は本当にヒトラーから学んでしまったのではないでしょうか。安倍総理と麻生副総理は確信犯ではないか、よく理解した上で戦後積み上げてきた民主主義、憲法に制約された統治体制を壊そうとしているのではないかと思います。それが第一次安倍政権の時から公言している究極の目的「戦後レジームからの脱却」なのでしょう。アベノミクスは順序からすれば二の次、経済の話は国民受けがいいから選挙の時に前面に出しただけなのです。

 もう一つ、徴兵制を覚悟しなければならないという指摘は、「集団的自衛権を積極的に行使するようになれば、必然的に徴兵制にいかざるを得ないと思う。」という民主党枝野幸男議員の指摘と重なります。これもその通りだと納得できました。

 とにかくこれだけ国の形を大きく変えるような話なのですから、到底憲法解釈の変更で変えられるような問題ではないのです。私のような考え方を共産党みたいだと非難する人もいるでしょうが、私は共産主義者でも社会主義者でもありません。戦後、自民党が作り上げて来た民主主義は村上誠一郎議員が示している路線です。私から見れば村上氏が保守本流、安倍総理は保守傍流です。安倍総理は保守というより石原慎太郎衆議院議員が掲げる新保守と同じだと思います。

 集団的自衛権の行使には憲法改正が必要であり、私達はその覚悟があるのか自問しなければなりません。これは国民が決めることです。自分自身は絶対に戦場に行かない長老議員や学者たちが安全なところから「集団的自衛権を行使すべきだ。」と決めることではありません。これからまだ生きていく世代が、日本以外の国を守る為に自分や家族の命を捧げる覚悟があるか、そのために税金を負担する覚悟があるかということです。

 それにしても平和を捨てた公明党はどこにいくのでしょうか。「修正で一定の歯止めがかかった。」などと言うのは自分達にしか通用しない慰めです。まるで政権にしがみついて壊れていった国民新党を見ているようです。

6月29日 金沢・湯涌温泉の氷室開き (ツイッター写真)




6月30日 5時 自民党大阪府連前 集団的自衛権行使容認 閣議決定絶対許さん (ツイッター写真)





6月30日 官邸前 解釈改憲反対・集団的自衛権行使反対 緊急行動 (ツイッター写真 随時追加) 「憲法壊すな」 「戦争やめろ」 「安倍はやめろ」





































続編はコチラ ↓
6月30日(夜)官邸前抗議デモ(翌日まとめ情報、増補版)


7月1日はコチラ ↓
7月1日夜 官邸前抗議 集団的自衛権行使容認反対 閣議決定撤回せよ! (ツイッター写真 随時追加) 安倍を倒せ! 憲法守れ!





2014年6月29日日曜日

今日もソトごはん。 コンセプトは、焼肉食べて夏を乗り切ろう。2014-06-28

昨日(6月28日)、焼肉食べて夏を乗り切ろうという話がまとまった。
ニク(29)の日の一日前だけど。

焼肉を食べれるお店、わが街には、全国有名チェーンのこのお店しかない。
少し前まで、あと一軒あり、こちらには何度か行ったことがあったが、
残念ながら閉店。跡地にはコンビニができた。

さて、この有名チェーン、2時間制は、予想通りだけれど、
連絡なく予約時間に5分以上遅れた場合はキャンセル扱いとするとのこと。
まあ、お店にしたら理想の規則だろうけど、なかなか鼻息あらいお商売ではある。

お味は、〆の麺類まで、なかなか美味しい。

ワタクシ、ビール5杯。スーパードライだった。
息子さんたちも同じくらいじゃないかな。

お腹いっぱいまで食べたはずだけど、
今日などは、ワタクシも家族も、いつもどおりの体重だった。
ホッ。

お店の他のお客さんには、意外と小さなお子さん連れが多い。
遠目にはカキ氷に見えてしまう、あの大盛りご飯!






書評『日本は戦争をするのか 集団的自衛権と自衛隊』半田滋(岩波新書) : 「首相によるクーデター」と警告 (保阪正康)

『朝日新聞』2014-06-22



なぜ日本にはジョブズのような人が出てこないのかという問いに対してアメリカにも一人しかいねえよってのはなかなか面白かった。

6月29日 【原発いらない 安倍もいらない 6.29 NoNukesSoundDemo in KYOTO】 NO NUKES DAY 京都 (ツイッター写真)

















以前ザッケローニ監督が日本のいいところは?と聞かれ、電車に乗ると周囲の人が一瞬「あ!」って顔になるけど、その後話しかけるでもなく付いて回るでもなく、ジロジロ見るのも失礼だからと視線も外して、でも気になるからかチラチラ見るところと答えてて、マニアックだけどいい褒め方だなーと思った。



これ↓ いいよ
解散式を終えて会場を去るザッケローニ格好良すぎる。トラさんかよ。  ← 同意!


6月29日 アベ自民いやね!激おこぷんぷんマーチ! 新宿柏木公園 (ツイッター写真)














国旗・国歌法が成立したとき、政府は、強制しないと明言した。ところが、その後学校では日の丸、君が代の強制が断然、強化された。集団的自衛権も同様に、ひとたび容認されるや「最小限度」の縛りはたちまちなし崩しにされる。その時、政府は言うだろう。「想定外の事態が起きた!」— 上丸洋一

国民不在 解く封印 集団的自衛権閣議決定へ「公明切ってもやる」首相 解散武器に形勢逆転 琉球新報 2014.6.28

福島第1 「氷の壁」凍結せず 同じ技術 凍土壁に影響も (産経新聞)

福島第1 「氷の壁」凍結せず 同じ技術 凍土壁に影響も
産経新聞 6月29日(日)7時55分配信

 東京電力福島第1原発の汚染水問題で、2号機タービン建屋から海側のトレンチ(地下道)へ流れ込む汚染水をせき止める「氷の壁」が2カ月近くたっても十分に凍結していないことが28日、分かった。事態を重く見た原子力規制委員会は、来月にも開かれる検討会で対応を議論する方針を決定。特に氷の壁は、2日に着工した「凍土遮水壁」と同じ凍結技術を使っており、凍土壁の信頼性にも疑問の声が出ている。

 2号機海側の地下には、配管やケーブルを敷設するためのトレンチがあり、高濃度の汚染水が1万トン以上たまっている。トレンチは海側の取水口付近とつながっており、海洋流出の危険があることから、早急に汚染水を取り除く必要があった。

 東電はタービン建屋とトレンチの接合部にセメント袋を並べ、そこに凍結管を通し周囲の水を凍らせて「氷の壁」を設ける工事に着手。壁でタービン建屋からの汚染水流入をせき止め、その後、トレンチ内の汚染水を抜き取る計画で、4月には凍結管に冷媒を流し始めた。

 しかし東電が今月中旬、内部の温度を測ったところ、十分に凍結していないことが判明。トレンチ内には障害物があり、均等に汚染水が凍らなかったことが原因とみられる。

 東電は、新たに凍結管を増やしたり、トンネルにセメントを少しずつ流し込んで壁を造ったりする代替案を検討中という。

 凍結管の中に冷媒を通して水分を凍らせる技術は、約1500本の凍結管で1~4号機の周囲の土中の水分を凍らせる「凍土遮水壁」と同じ。凍土壁は、政府が汚染水問題解決の「切り札」と期待して、約320億円の国費を投じ、来年3月の完成を目指している。

 原子力規制庁幹部は「海側に滞留している汚染水は濃度が高く、最もリスクが高い。なぜうまくいかないのか原因分析とともに、凍土壁の有効性も議論していく」と話し、次回会合で議題に上げることを明らかにした。(原子力取材班)

解釈改憲を主導 記者排除も始めたヤラセ公明党の裏切り (日刊ゲンダイ) : 「いくら文言を修正したところで、判断が時の政権に任される以上、恣意的解釈がなされる危険性は高い。歯止めなんてないし、そもそも山口は解釈改憲について「断じて認められない」「憲法の精神にもとる」と言っていた。政治家に歯止めや自制を求められないことを、自らの発言で証明している。」

日刊ゲンダイ
解釈改憲を主導 記者排除も始めたヤラセ公明党の裏切り  
2014年6月29日

 やはり裏切りの政党である。平和と福祉なんてウソの看板は今すぐ下ろした方がいい。公明党を支援してきた創価学会の信者は、だれが信用に足る議員なのか、ちゃんと見極めるべきだろう。

 公明党の山口代表はNHKの番組で「二重三重の歯止めが利いている。拡大解釈の恐れはない」と、集団的自衛権をめぐる閣議決定案を受け入れる方針を明らかにした。1日には閣議決定される見通しである。

 だが、いくら文言を修正したところで、判断が時の政権に任される以上、恣意的解釈がなされる危険性は高い。歯止めなんてないし、そもそも山口は解釈改憲について「断じて認められない」「憲法の精神にもとる」と言っていた。政治家に歯止めや自制を求められないことを、自らの発言で証明している。

 しかも、表現が問題となった自衛権行使の新3要件の原案は、そもそも公明党の北側副代表が内閣法制局に作らせたものだったという。解釈改憲を主導したのは、自民党ではなく公明党だったのだ。西日本新聞がスッパ抜いている。新3要件で公明党が自民党に修正を求めたなんて、完全なヤラセだったのだ。

■警備員がつまみ出し

 自分たちに都合の悪いことが次々に暴露されているからだろう。ついに公明党は記者の排除まで始めた。ジャーナリストの横田一氏が言う。

「19日と20日は会議後のブリーフィングも取材できましたが、23日になるとブリーフィング参加を拒否されるようになり、27日には、とうとうぶら下がりの取材中に警備員につまみ出されたのです。28日に公明党本部で開かれる地方議員の会合も、取材できるのは記者クラブの加盟社だけ。公明党の姿勢を批判した記者は事実上、出入り禁止にされています」

 公明党は、まだほかにも都合が悪いことを隠しているということか。





6月29日 第15回「よさこい津軽」 (ツイッター写真) バケツをひっくり返したような酷い豪雨の中でも皆様懸命に踊っています







6月29日 集団的自衛権反対!安倍やめろデモ@大阪 (ツイッター写真) 安倍はヤメろ! ファシズム許すな! 憲法壊すな! 









「戦場って、人間の尊厳をすべて奪う場所ですよ。 ・・・、当時の政治をミスリードした、靖国神社にまつられているA級戦犯はやっぱり犯罪者だよ。 軍国主義は最悪だと思ってる。」(内田裕也(『朝日』集団的自衛権を問う)

戦場って、人間の尊厳をすべて奪う場所ですよ。
アニキがかわいそうだ。
理想もあって一生懸命勉強してたのに。
だからね、当時の政治をミスリードした、靖国神社にまつられているA級戦犯はやっぱり犯罪者だよ。
軍国主義は最悪だと思ってる。
内田裕也(『朝日新聞』集団的自衛権を問う 2014-06-28)

2014年6月28日土曜日

東京 江戸城(皇居)二の丸庭園 名残の花菖蒲 2014-06-25

江戸城(皇居)二の丸庭園
あれだけ元気一杯、華やかに、また鮮やかに咲いていた花菖蒲だったけれど
6月25日
もうほんの名残の花菖蒲になっていた

「あひみむことは いのちなりけり」






6月28日 戦争をさせない北海道大集会 & デモパレード (ツイッター写真 随時追加)












6月28日 【6.28 NO NUKES DAY 川内原発を再稼働させるな! さようなら原発★首都大行進】 (ツイッター写真 随時追加)





















【きょうの『和菓子の玉手箱』】 『葛まんじゅう・於多福』— 京都五感処-京都Loversフォーラム-


「俳優という職業は右も左もお客様。だからノンポリでなくてはならない、長くそう思って戦争体験の話を公にする機会は少なかった。しかしこの年になって、もうそんなことは言っていられないと」(宝田明)    




公明党本部前 地方の幹部に「集団的自衛権の理解を求める会合」が12時半から始まる。警察官が党本部前につながる道路で検問を敷く。・・・・・解釈改憲に抗議の市民近づくことができません!  



「このまま行けば、間違いなく戦死者が出る」。「集団的自衛権 私の意見 現場隊員の声聞け=元防衛庁長官・玉澤徳一郎さん」『毎日新聞』2014年6月27日付

「自衛隊を活かす会」をつくった元防衛官僚 柳沢協二 : 安倍晋三首相は憲法解釈の変更で集団的自衛権行使を認めようとしている。「裏口入学以下」「血を流すのは自衛隊員だ」と憂える。                                  

『朝日新聞』2014-06-27

行使容認に待った!?総務会の1人が反対表明 (テレビ朝日系(ANN)) :  自民党・村上元行革担当大臣:「最後まで総務会でこの問題の本質についてきちんと答えがもらえるのかどうか。答えがもらえないならその時は考えざるを得ない」「得心いかないのに、なぜ賛成しなきゃいけないの」

YAHOOニュース
行使容認に待った!?総務会の1人が反対表明
テレビ朝日系(ANN) 6月28日(土)0時5分配信

集団的自衛権の行使容認の閣議決定に向けて、公明党は28日、全国の地方代表を集めて大詰めの調整を行います。こうしたなか、自民党の村上元行革担当大臣が総務会で反対する意向を示しました。

自民党・村上元行革担当大臣:「最後まで総務会でこの問題の本質についてきちんと答えがもらえるのかどうか。答えがもらえないならその時は考えざるを得ない」「得心いかないのに、なぜ賛成しなきゃいけないの」

外国特派員協会で記者会見した村上氏は安倍政権の姿勢を批判し、全会一致が原則の総務会で反対する意向を示しました。政府は来月1日に、与党内の合意や自民党総務会などの手続きを経たうえで、閣議決定する方針です。一方、民主党も、集団的自衛権について「行使を容認する解釈に変更することは許されない」などとした見解をまとめました。政府が示した事例のうち、アメリカ本土に向かう弾道ミサイルの迎撃について「日本に迎撃能力がないうえ、切迫性は低い」として、検討課題とするなど是非についての判断は先送りした形です。

最終更新:6月28日(土)8時19分テレ朝 news


IWJ
2014/06/27 集団的自衛権、「最終的には、徴兵制も視野に」 自民党・村上誠一郎議員が解釈改憲を真っ向批判




自民党では野田・村上の二つの名前を覚えておけばいいんだ。
次の選挙まで。





法定協委員を入れ替え=大阪都構想、維新過半数に (時事)

時事ドットコム
法定協委員を入れ替え=大阪都構想、維新過半数に

 大阪府議会の議会運営委員会は27日、大阪府と大阪市を再編する「大阪都」構想の制度設計を協議する法定協議会(法定協)の委員の入れ替えを賛成多数で決定した。府議会最大会派で、議運の過半数を占め、入れ替えの提案者でもある大阪維新の会・みんなの党都構想推進府議団が賛成し、他会派は反対に回った。

 決定により、自民党、民主系の2府議がそれぞれ維新府議に入れ替わり、定数20人の法定協で、採決には加わらない会長を除いて維新が11人と、過半数を占めることになる。 

 維新は委員入れ替え後、1月から休止している法定協を7月初めにも再開させ、協議を加速させる意向だ。決定に先立ち、府議会と大阪市議会の自民など野党4会派は同日、委員入れ替えを両議長に要請した浅田均法定協会長(維新府議)の辞任要求を行った。(2014/06/27-20:32)



集団的自衛権の行使容認に関する政府の想定問答集では、集団的安全保障が「新3要件」を満たすなら「憲法上武力の行使は許容される」と、集団安全保障での武力行使の容認を明記。これは、米国と一緒に戦争をするということ。これは歴史的犯罪です。 — 金子勝

「日本は今、米国の下請けで戦争ができる国になろうとしています。 それが「集団的自衛権」という言葉でごまかされようとしている気がします。 集団的自衛権は、いわば「包装紙」、破ると「戦争」という中身が出てくるんです。」(アーサー・ビナード(『朝日』集団的自衛権を問う)  

日本は今、米国の下請けで戦争ができる国になろうとしています。
それが「集団的自衛権」という言葉でごまかされようとしている気がします。
集団的自衛権は、いわば「包装紙」、破ると「戦争」という中身が出てくるんです。
アーサー・ビナード(『朝日新聞』集団的自衛権を問う2014-06-27)

東京都議会セクハラ暴言 : 複数人 新たな音源から続々判明 (『朝日』 報ステ) 


塩村都議の質問とヤジ、音声分析の結果は
2014年6月27日23時29分

■音声分析で聞かれたヤジ声(録音された音源から)

塩村都議:東京は、都会であるがゆえに周囲との関係が希薄で、女性が妊娠、出産、育児にかかわる悩みを一人で抱えてしまうという弊害があります。(中略)妊婦さんを支える仕組みはとても重要であり、私も所属をする厚生委員会で、この件についての充実をお願いをしてきました

鈴木章浩都議の声:早く結婚した方がいいんじゃないか

男性の声:自分が産んでから

男性の声:がんばれよ

(議場で笑いが起きる)

塩村都議:今後、妊娠、出産に関して

男性の声:動揺しちゃったじゃねえか

塩村都議:悩みを抱える女性たちの問題に対し(中略)具体的な取り組みをお願いいたします。

男性の声:いやー、先生の努力次第

塩村都議:また、不妊の原因は女性だけではなく

男性の声:やる気があればできる

塩村都議:男性にも原因があります。男性の協力を得る難しさから、悩みが大きくなる女性たちのサポートも必要です




2014年6月27日金曜日

お口直しPARTⅡ イチゴとケーキと

お口直しPARTⅡ



イチゴは切らずに丸ごとどうぞ


お口直しPARTⅠ 伊藤久右衛門さんの、抹茶カレー

日本を戦争のできる国に変えようとする男たちの昨日・今日の表情 どうしてコイツラに日本の未来を託することになったのか?








週末の深夜に醜悪な画像、大変失礼しました。

以下、ほんのお口直しに・・・。

PARTⅠ

PARTⅡ






明治37年(1904)8月21日~24日 第1回旅順口総攻撃第3日目 第1次日韓協約調印 第11師団桜井忠温中尉の突撃

千鳥ヶ淵緑道 2014-06-26
*
明治37年(1904)
8月21日
・第1回旅順口総攻撃第3日目。
午前9時過ぎ、乃木大将に第9・11師団より形勢不利の報告(第9師団予備兵力は1個大隊のみ、第11師団が占領した東鶏冠山北堡塁・第2堡塁も奪回される)。
司令部は予備の後備歩兵第4旅団(竹内少将)を第9師団の盤龍山に派遣決定。
10時、同旅団後備第9連隊(高城義孝中佐)が呉家房北方高地、第8連隊がその後方凹地に集結。ロシア側は盤龍山東西堡塁の被害が甚大。
午後1時50分、第9師団第6旅団第35連隊(折下勝造中佐)が盤龍山東堡塁攻撃開始。死傷者続出。
午後3時、第3大隊長佐藤兼毅少佐負傷。この頃、第9師団大島中将は乃木大将より「督戦命令」受ける。
午後4時、第9師団大島中将は師団最後の予備兵力・第19連隊第3大隊(山本三郎少佐)を第35連隊方面派遣決定。第19連隊第3大隊は、第1目標の呉家房西方地隙に到達までに1/3を消耗、更に進撃し山本少佐ら負傷、前進停止。
午後11時、第11師団第10旅団第12連隊(左翼、新山良知大佐)、東鶏冠山南堡塁を攻撃するが、退却。
この頃、第22連隊(中央)が遅れて東鶏冠山砲台を攻撃。

22日
午前2時、第9師団の夜襲開始。第35連隊と第19連隊第3大隊が盤龍山東堡塁に、増派の後備歩兵第9連隊が独立堡塁に向うが、第35連隊と第19連隊第3大隊は兵力消耗して退却。
後備歩兵第9連隊は後備歩兵第4旅団長竹内少将の突撃命令に従い、連隊長高城中佐・第1大隊長上山正友少佐・第2大隊長加藤継高少佐ら戦死し、辛うじて現状維持の状況。
午前4時、第11師団第22連隊第2大隊が突撃、失敗、残兵僅か60余となる。
夜襲全て失敗に終る。

午前8時、龍眼北方堡塁は補強されていること、但し、盤龍山東堡塁からのロシア側の応射が弱いことが確認できる。
午前10時30分、工兵が盤龍山東堡塁の3箇所を爆破。直ちに第7連隊残兵80余が突進、第35連隊長折下中佐・第1大隊長中西少佐・第2大隊長木庭堅磐少佐が続き、更に第19連隊第3大隊も続く。白兵戦の後、午前11時、盤龍山東堡塁を占領。

この堡塁を巡る争奪戦が始まる。
後備歩兵第8連隊が支援に向うが、連隊長三上大佐は負傷、第2大隊長夏目少佐が指揮をとり漸進。午前11時30分、ロシア側が盤龍山東堡塁に到着、日本側が防戦。午後0時30分、第8連隊が来着し日本軍は約200となるが、未だ防戦一方。第35連隊長折下勝造中佐・第1大隊長中西俊豪少佐・第2大隊長木庭堅磐少佐が戦死。
午後1時過ぎ、第8連隊第2大隊副官国富御楯麿中尉が1個小隊を率い東堡塁に接近するが、ほぼ全滅。ここで、第2大隊長夏目少佐ら30がさみだれ式に到着。
午後2時26分、第5中隊朽木弘少尉ら15が到着。
白兵戦継続。
午後2時30分、日本側に機関銃2挺来着し優勢となる。
午後4時、ロシア側も奮戦するが退却。
盤龍山東堡塁は陥落。

午後4時10分、第19連隊第6中隊、盤龍山西堡塁の東北角に侵入。
午後7時、日本側砲撃が盤龍山西堡塁に集中し、ロシア兵は退却。日本軍が盤龍山西堡塁を占領。盤龍山西堡塁は後備歩兵第4旅団長竹内正策少将が担当し約500が守備。東堡塁は第9師団第6旅団長一戸少将が担当し約750が守備。
*
8月22日
・第1次日韓協約調印
日本推薦の財務・外交顧問任用(財政顧問に目賀田種太郎、外交顧問に米人スチヴンス)。
外国との条約締結・特権譲与につき日本政府と事前協議。
駐韓林公使・韓国駐剳軍参謀長藤力三郎中佐、皇帝謁見、条約締結事前協議も承認させる。
第三項、「韓国政府ハ外国トノ条約締結其他重要ナル外交案件ニ関シテハ予メ日本政府卜協議スヘシ」。
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8月22日
・鄧小平、誕生。四川省広安県協興郷。父は秘密結社「哥労会」協興郷大幹部。 *
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8月22日
・横浜正金銀行、清国の青泥窪(ダルニー、後、大連)に出張所設置。
*
8月23日
・旅順口。
午前5時頃、ロシア第14連隊第1大隊が同時に盤龍山東西堡塁を攻撃。
午前5時30分過ぎ、西堡塁ではロシア兵を撃退。
午前8時、東堡塁でもロシア兵を撃退。ロシア側死傷者637中417。
のち、東西堡塁には新手の援軍が到着。
午後11時、第11師団第44連隊が東堡塁から進撃。サーチライトに捕捉され十字砲火のもとで前進停止。

■第11師団桜井忠温(ただよし)中尉の突撃
桜井忠温:
明治12年松山生れ、小唐人町に育つ。15歳で高等小学校を卒業し松山中学に入学。
3年生のとき、夏目金之助(漱石)に英語を習い、その下宿へもときどき遊びに行った。
忠温は仲間で蛍雪会というのを作り、回覧雑誌を発行し、下級生の片上伸(かたがみのぶる)が新体詩を、忠温は小説と評論を書いた。彼は数学が出来なくて中学校で1年落第したが、文章は上手であった。
彼は兄・彦一郎のすすめで日本画の教師につき画家になるつもりでいたが、父・信之はそれを嫌い、中学校を卒業すると陸軍士官学校を受験させた。士官学校卒業時は500人中の20番という好成績であった。少尉に任官すると、松山の歩兵第22聯隊の聯隊旗手となり、この年(明治37年)5月21日、25歳で出征。

兄・桜井彦一郎は明治学院を卒業してアメリカに数年間留学し、帰朝後は明治女学校に教えていた。明治33年津田梅子が女子英学塾を創立すると、協力者としてその学校に移り、校務全般を世話した。彼は、鴎村という号で西洋の少年小説の翻訳や翻案をして何冊も出版した。
彼は、細かい字義よりは日本文として的確な訳をすることを生徒に学ばせた。津田梅子のきびしい正統的な語学授業と補い合って、桜井鴎村の文学的な授業は女子英学塾の名物であり、生徒たちに人気があった。

善通寺に師団司令部を持つ第11師団は、前に乃木希典が師団長をしていたため、乃木独特の精神教育が徹底していると言われた。
第11師団ははじめ奥保鞏(おくやすかた)の第2軍の予備隊として5月24日に遼東半島の塩太澳に上陸。
この頃、その半島の咽喉部に当る南山要塞を占領したばかりで、その戦争のあと、乃木希典を司令官として第3軍が組織され、この第11師団のほか第9師団と第1師団がそれに属して旅順港の攻撃に当ることになった。

第3軍は6月初めから、左翼に第11師団、中央に第9師団、右翼に第1師団をおいて、遼東半島尖端にある旅順に向って進んだ。
桜井忠温の属する第11師団は、歪頭山、剣山、太白山、干大山などを占領して、旅順港を半円形に取り巻く永久要塞地帯に近づいた。
8月7日、要塞地帯のすぐ手前で、左方の海岸に近い大孤山を占領。
この間、桜井の同僚や先輩の将校の多くが戦死し、また傷ついて後送されたが、聯隊旗手として聯隊長の側近にいる彼は比較的安全な立場にあった。
8月初旬、彼は中尉に昇進し、その聯隊の第12中隊に属する小隊長に転じた。

そして8月19日、旅順の永久要塞の総攻撃がはじまった。
10年前、乃木の第1師団は清国兵の守るこの要塞を1日にして陥落させたが、ロシアはその後10年間この半島を租借し、周辺の丘陵地帯を極めて堅固な近代要塞に作りかえていた。その実情は日本側に分っていなかった。
総攻撃が始まると、ロシア軍の砲撃は猛烈で、19日には第11師団師団司令部に砲弾が命中し、師団長は無事であったが、その両側にいた参謀2人が即死した。

このときの総攻撃は、2日の砲撃戦の後に歩兵の突撃か行われた。11師団は正面にある東鶏冠山を目標にして、21日、22日と夜襲したが失敗。中央の第9師団が敵前方に突出している盤龍山の一堡塁を占領したのみで、その他の要塞群は抜くことができなかった。"

8月23日夜、桜井忠温の属する聯隊が攻撃に加わった。彼はこの戦闘で重傷を負った。彼の記述したこの戦闘の様子。

「愈々前進となった時には、成るべく軽装し、麺麭(パン)の如きも二三日の命を支持し得るだけに止めて、余は後に残して置くことにした。予の身支度とては腰に国旗をブラ下げ、首に手拭を巻き、足袋裸足で、携帯品とては軍刀と水筒と三枚の麺麭だけ、これが死出の檜舞台に現はるべき扮装であった。

「想へば今も肌に粟を生ずる此の地隙! 予等は累々たる死屍を踏み越え乗り越え、抜足差足、鼻口を蔽うて前進したが、戦友を脚下に踏み蹂ることは如何にも辛い。一人の負傷者が片隅に小さくなって唸(うめ)いてゐたから、予は彼れに傷所を尋ねた。すると脚部の骨折で、既に三日の聞、一粒の食一滴の水も口にすることが出来ず、それに担架は来ぬので、戦闘以来今迄此処に只だ斯うしてゐる許りで、死ぬるのを待って居ると云った。予は彼れを慰めて、之れを食つて待つてゐよ、今にも衛生隊が前進して来るからとて、彼の三枚の麺麭を与へたれば、彼れは予を仰ぎつゝ手を合し、涙ながらに予の姓名を聞かしてくれなどといった。此の惨状に予も一方ならず悲しみを催し、唯だ『早く元気になれよ!』と云ひ残して、更に前進して、いよいよ盤龍山の鉄条網へかヽつた。砲台は既に第九師団が、血を濺(そそ)ぎ肉を屠って占領し得たる処で、是れぞ我が突撃縦隊が拠つて以て、東鶏冠山北堡塁、並に望台に向つて大攻撃を実施すべき重要なる拠点であった。(略)」

9師団が占領していた盤龍山砲台を拠点として、桜井の属する聯隊は東鶏冠山堡塁へ進撃した。闇の中を地隙を縫って進んでゆくうち、中隊長が戦死し、彼は中隊の指揮をとることとなった。斜面の頂上に近いあたりで、同郷人の友人・吉田中尉が坐っているのに遇った。

「予は予の身辺に黒く集合せるものは、悉く、我が聯隊の生兵なりと許り思つてゐたのに何ぞ図らん、此の密集せるカーキ色の兵士は、実に中尉の部下にして、而も悉く死傷せるものであった。鳴呼、何等の惨ぞ! その死骸は二重三重と重なり、四重五重と積み、或者は手を敵の銃台に掛けて斃れ、或者は既に乗越えて、敵の砲架を握れるまゝに死したるあり、さも苦しさうな呻き声の深き地の底より起るが如く聞えるのは、畳み重なった下に在る負傷者が発したのである。勇壮なる此の突撃隊が、味方の死屍を乗り越え踏み越え、近く敵塁に肉迫して、魚鱗掛りに突き入ると、忽ち敵の機関銃で、攻め寄る者毎に一々撃殺された為、死屍は数層の傾(なだれ)を打つて、敵塁直下に斯くは悲惨なる死骸を積んだのである。」

その地隙から這い出して、いよいよ突撃する時が来た。
「予は聯隊長に『それでは……。』と別れを告げて立ち上る途端に、グザと死骸の頭を踏み付けた。扨(さ)ても我等の目指す処は、東鶏冠山砲台であった。又た望台であった。先づ敵の第一散兵壕に於いて、爆薬戦が開かれた。我が兵の擲(な)げ込む爆薬は見事に爆発して散兵壕は忽ち火事場の如く、板が飛ぶ、土嚢が吹き出す、頭が飛ぶ、足が捩切(ちぎ)れる。火焔は黒煙と共に煽り上つて、赤き火光は予等の顔を輝らして物凄く、戦線は一時に騒がしくなつた。斯くする内、敵は叶はじとや思ひけん、此の地点を棄てゝ何処へか逃げ去つた。(略)
予は二宮少尉を呼んで、小隊は悉く纏まつているかと尋ねたれば、然りと答へた。予は又た伊藤曹長に連絡を絶つ勿れと命じ、予は散兵線の中央にあることを示した。されど暗夜の事とて、如何なる地形なるか、孰(いづ)れの方面より進むべきか、更に弁別出来ず、暗き空にヌッと聳えたるは、望台と北堡塁となり、天嶮は前に横たはり、身は釜中に在るに等し。かくても尚は一隊は袖を連ねて前進せんとしたり
『第十二中隊前へ!』 予は歩を右方に取って進んだ。丸で夢中、実に当時の情況は殆ど何事をも明かに記憶せずと云ふの外ない。」

彼の周辺に黒々と密集していた多数の兵は次第に減って、数人しかいなくなった。桜井忠温とその部下は、知らぬ間に東鶏冠山の堡塁の側面を通り過ぎ、旧清国時代の囲壁を越えて、その内側にある望台という最も高い丘の近くまで進んでいた。彼は突然、棍棒で殴られたように感じて、四つ這いになった。負傷したのである。右腕の手首のところが砕けて、ぶらりと垂れ下っていた。彼は用意の三角巾で巻き、日の丸の旗でその手首を頸から吊した。その頃敵の機関銃の響きは激しくなり、一度退いたロシア軍は黒い木柵のように堡塁の側面から肉薄して来た。日本兵は旧清国囲壁のところまで退き、そこで抵抗して混戦がはじまった。桜井は左手で軍刀を振りまわしていたが、軍刀は折れ、左手にも貫通銃創を受け、右脚も砕かれて、倒れた。

そのうちに夜が明けた。彼の周囲にいるのは倒れた日本の死傷兵ばかりであった。二三間前方の壕の中ではロシア兵が右往左往して、日本の負傷兵を射撃していた。その中の一人が桜井の生きているのに気づき、剣を持って近づき、突き殺そうとした。すると日本の負傷兵が五六名それに飛びかかって戦い、ともに敵に撃たれて死んだ。そのうち、死んだふりをして倒れていた日本の兵が、桜井に近づき、その折れた右脚に銃剣を副木とし、敵の射撃の隙を見ては、彼をかついで少しずつ後過しはじめた。日が暮れてから桜井は、瀕死の状態で辛うじて日本軍の陣地に担ぎ込まれた。

8月19日に始まった旅順要塞の堡塁群への総攻撃は失敗に終った。
地上の突撃によってこの近代要塞を落すことはできないと分ったので、乃木はロシア側の堡塁に向って塹壕を掘り進ませるとともに、南面に海を持つ旅順港を取り巻く要塞の内、比較的整備されていない中央部(北側)を攻撃場所として選んだ。この北側の丘陵群の中で最も高いのは、高さ203mの山であり、その頂上からは旅順港を見下すことができた。そしてその山は要塞工事が未完成であった。旅順が陥落しなくても、この山さえ占領して、そこに観測所を置けば港内のロシア軍艦を撃ち沈めることができる。
その203高地への攻撃が始まったのは9月20日であった。
*
8月23日
・原抱一庵(39)、没。
明治36年2月頃、リットンの「ユージン・アラム」を翻案した小説「聖人乎盗賊乎」を「東京朝日新聞」に連載し、10年近い不遇と貧窮と放恣の連続の生活の中に希望を見出した。
この作品は、多くの人々に愛読され、旧知の黒岩涙香、徳富蘇峰、矢野龍渓、森鴎外等、第一流の評論家や文壇の大家たちの序文に飾られて単行本となり、売れ行きもよかった。その上この作品は福井茂兵衛一派によって、本郷座で脚色上演された。「朝日新聞」は原を客員として迎え入れた。原は、長い間夢想していた流行作家らしい地位を得た。

この年(明治37年)夏、原は、本郷警察の筋向うの井戸に、昼間身投げした。すぐ人に気づかれて、警察へ担ぎ込まれた。「朝日新聞」に関係のある者だということが分り、「朝日」に引き渡された。「朝日」はすぐ原を解職したが、社費で原を巣鴨の病院に入れ、8月23日に没するまでその世話をした。
原の投身事件は新聞に出なかったので、旧知の内田魯庵も、原の友人の画家の安藤仲太郎も、原の没を知らずにいた。

内田魯庵はこの年37歳。明治31年3月、最初の小説「くれの廿八日」を「新著月刊」に発表して以来、評論と小説との両方にわたって仕事をしていた。明治24年9月、丸善に図書顧問として入社し、社の機関雑誌「学鐙」に毎月随筆や、書物についての感想を書いた。この年からそれまでの不知庵の外に魯庵という筆名を使い、主要な作品はこの筆名で書くようになった。しかしその外に、彼は「学鐙」に書く文章には、善六、善吉、柏木衛門、駿河呼然、砂邱子、無名庵、郊外生、その他様々の筆名を使った。丸善から定収を得る外に、小説や評論を書いて原稿料を得たので、その長い著作生活の中ではじめて安定した生活を営むことができるようになった。

原抱一庵が、本郷で井戸に投身自殺を企てた明治37年夏、彼は7月13円から9月5日まで、家族と女中を連れて沼津に避暑生活を送っていて、原の消息は全く知らなかった。
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8月24日
・旅順口。
午前2時、後続隊が到着し第44連隊1800は狭い鞍部に集ることになる。
午前2時40分、第3陣の第7連隊集成隊が盤龍山東堡塁を出撃、砲弾のもとに前進不能となる。
午前4時、後備歩兵第9連隊集成隊が盤龍山西堡塁から南進(盤龍山第1・2砲台、虎頭山が目標)。虎頭山頂は一旦ロシア兵を追払うが逆襲により全滅。盤龍山第1・2砲台に向う兵たちは身動きとれない状況に陥る。
結局、第44連隊・第7連隊集成隊は後退。望台攻撃作戦は頓挫。
午後1時25分、第11師団長山中少将は攻撃中止を決意、命令を出し、第3軍司令部・第9師団に連絡。

午後4時、乃木大将、攻撃中止を命令。
日本死傷15,860/50,765。ロシア死傷1,500/33,700。
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8月24日
・ロシア、バルチック艦隊の太平洋派遣決定。
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