2014年5月31日土曜日

今年もわが猫額庭に清楚な八重のドクダミが咲いた 2014-05-31



今年もまたわが猫額庭に八重のドクダミが咲いた。
今はまだまだ咲き初めだ。
満開の時に、多分またレポート。
2014-05-31




5月31日 栃木県那須町の殺生石前にて御神火祭 (ツイッター写真)










明治37年(1904)8月1日~10日 杉村楚人冠訳・トルストイの非戦論第1章掲載(『東京朝日』 幸徳秋水「トルストイ翁の日露戦争論」(週刊『平民新聞』39号) 黄海海戦(ロシア太平洋第1艦隊壊滅的打撃うける)          

江戸城(皇居)東御苑 2014-05-28
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明治37年(1904)
8月
・平出修は上京後、麹町区富士見町1丁目2番地(現在のインド大使館付近)に住んでいたが、約3年後同じ麹町区の上六番町(現在の東郷公園内)に住み、この年8月、麹町区中六番町七(現在の千代田学園構内)に転居。
弁護士を本業に評論を書き短歌をつくる文人弁護士の生活で、新詩社小集も自宅で行ったりした。
翌年4月、神田区北神保町2番地に転居、ここに法律事務所も開き、やがて「スバル」の事務所にもなった。
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・御法川直三郎、20条繰糸機発明。
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・トロツキー「われわれの政治課題」。レーニン糾弾始める。
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・フランス、国際坑夫連盟、8時間労働制と最低賃金制の導入要求。
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・ポーランド、ボリスワフで操業中断中の石油産業、労働時間短縮要求通ったため操業再開。
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・クレタ島、オスマン帝国領からギリシャへの復帰要求デモ。列強の支持得られず。
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・マックス・ウェーバー、フライブルク大学時代の旧友、哲学者フーゴ・ミュンスタベルク(ハーバード大学)の招待を受け、セントルイスの国際学術会議に参加するため渡米。「ドイツ農業問題の過去と現在」について講演した後、アメリカ国内を旅行(年末帰国)。

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8月1日
・内村鑑三(43)、横須賀で「基督信徒処生の方針」を講演。
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8月2日
・「東京朝日」、杉村楚人冠訳・トルストイの非戦論第1章掲載(~20日連載、「大阪朝日」は1回に要約)。東西「朝日」唯一の反戦論。
前日1日、杉村は平民社を訪問しトルストイの非戦論を知る。杉村はその日のうちに第1章を仕上げ翌日掲載。杉村は日露戦争に備え採用された記者(もう一人は二葉亭四迷)。
7日「平民新聞」はトルストイ非戦論を第1~12章全章を掲載(幸徳・堺の訳)。

「戦争は又もや始まれり。何人も要せず何人も求めざる困厄此に再びし、詐欺此に再びし、広く人類の愚化獣化又此に再びせんとす」と説き起し、一水夫が抱いた「我等の指揮官が殺人を我等に強要するは果して神意に合するや」の疑いこそ、キリストが地上に燃やした一点の火花だと、戦争中止を訴える。
主戦論の旗振り役「朝日」が、「タイムズ」(英国紙)に載った反戦論を掲載し続け、政府もこれに干渉せず。
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8月3日
・英のヤングハズバンド部隊、チベットのラサ占領。9月7日にラサ条約締結。
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8月4日
・小村外相、駐韓林公使に「対韓経営計画実施方」訓令。
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8月6日
・駐韓林権助公使、李夏栄外部大臣に①日本推薦財務監督、②外交顧問雇聘、③条約締結の日本との事前協議、承諾させる。
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8月7日
・朝、旅順口北方土城子西南より海軍陸戦隊重砲隊が旅順口に対して山越えで砲撃。
8日、旅順のロシア軍司令官・艦長会議で司令長官代理ウィトゲフト少将は総督命令に従い、艦隊の旅順脱出を決断。
9日には日本の砲弾が戦艦「レトウィザン」に命中。
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8月7日
・週刊『平民新聞』39号発行。創刊号と同じく8千部販売。

幸徳秋水「トルストイ翁の日露戦争論」(6月27日「ロンドン・タイムス」掲載記事の訳載)。

(荒畑寒村による要旨概略:荒畑『平民社時代』より)

第1章 戦争はまたもや起った。一方は殺生禁断の仏教徒、一方は四海同胞と敵をも愛せよと説くキリスト教徒が、陸に海に互いに殺戮を逞しくしている。19世紀中に死せる者は実に1千400万人、奴隷解放の南北戦争に出した金は彼等を賠償して自由となし得る額よりも多かった。昨日は戦争の惨害、無益を説いた同一人が、今日は人間労働の結果を暴殄(てん)し、平和、無害、勤勉な人民の間に憎悪、敵愾心の鼓吹挑発につとめている。

第2章 露国の科学者や法律家は、ロシア政府が平和の維持に全力を傾注した後、ついに戦争に訴うるのやむを得なかった所以を強調して、ヤソ教徒が黄色人を殺戮するのを是認すれば、日本の科学者や法律家も同じ論法を以て、仏教徒が白人を屠殺するのを肯定する。

軍人はいうに及ばず、昨日までは外国人に対して好意を示した学者、社会改良家、貴族、実業家も開戦と同時に、平生は無頓着だったロシア皇帝の忠勇なる臣民に急変する。1億3千万の人民に君臨するこの不幸な昏迷した少年は、絶えず側近のために欺かれて彼の軍隊が殺人の罪悪を犯すのを感謝し祝福する。教会の牧師は自らキリスト教徒と称しながら、敵を愛することを教える神に向って人類相殺す悪魔の所業に、祝福と神祐とを祈願して恥じない。もしこれに与しないで、多数の迷妄を啓発しようとする者があれば、彼等は逆賊、売国奴と罵られ残酷な暴徒によって生命の危険に遭うであろう。

第3章 今の時世は人類同胞、神の愛と人の和を教えたヤソその人など、かつて存しなかった如くである。だが真のキリスト信者ならどうして銃をとり、一人でも多くその同胞を殺さんがために狙い得ようか。信者以外の懐疑家であっても、無意識のうちにキリスト教の理想に感化された者も同じである。今の哲学者、芸術家、道徳家の中にはこの同胞相愛の理想を鼓吹した者も、決して少なくなかったではないか。

キリスト教の精神からは、全身に戦争の無意義と残忍とを痛感し、戦争がわれわれの正かつ善と信ずるところと全然反対なることを自覚せざるを得ないであろう。戦争に対して犯罪の意識なき能わず、虐殺者の感なき能わず、そして敵を殺し始めるや心底において己が行為の有罪を自覚するがゆえに、強いて良心を麻痺昏迷させて兇行をとげようと努めるに至る。

第4章 試みに兵士、伍長、下士官に向って彼等が今までに見たこともない人間を、何故に殺すのかと問うたなら、彼等はただ上官の命令だからと答えるだけだろう。将校は我々は軍人である、戦争は祖国防衛のために必要だというに過ぎない。外交官は各国間の平和が理想や空論で達成されるものでなく、外交的手腕と軍備に俟(ま)たねばならぬと答えるのみである。新聞記者に対して何故に煽動記事で、他人を戦場に赴かせるのかと問えば、彼等もまた兵士、将校、外交官と同じく国家の利害、祖国の防衛というが如き一般問題に逃避する。

実に独り隣人を殺すことを禁ずるのみでなく、さらに爾曹(なんじら)の敵を愛せよと教ゆるキリスト教を信ずるといいながら、自ら兇暴、掠奪、殺戮の戦争に参加するは何故ぞと問うたならば、主戦論者の答えるところはみな同じ。即ち祖国の名もしくは信仰、忠誠の宣誓、名誉、文明のような漠然たる抽象的なある物を藉(か)り来るのみで、また一個の個性、活きた人間としての良心、独自の信念の如きは措(お)いて問おうとしない。

第5章 現代のキリスト教界および人々は、あたかも正しい道をふみ違えて行けば行くほど、その道の誤っているのを疑う人に似ている。彼等は疑いの増せば増すほど足を速めて死物狂いに急ぎながら、こうすれば何処かに到着するだろうと自ら慰めているが、しかしその道が断崖に達するの外ないことを眼前に見得る時はついに到来した。

我々が永く現在の生活を続けるならは、人類は次第に堕落して滅亡に帰すべきは明白である。国際会議によって国際間の紛争を解決しようとしても、幾百万の軍隊を有する当事国に対して誰が国際会議の裁決に服従すべきことを強制し得ようか。現在の日露戦争は右の事実を証明している。おのおの完全に武装し、いつでも直ちに戦争を始めようとしている現在の国家の相互関係は、このいわゆる文明社会の人類がついに何等かの破滅に到達すべきことを、明白に示している。

第6章 2千年前、ヤソは世人に教えた。「爾曽(なんじら)もし悔改めずば皆同じく亡ぼさるべし」(ルカ伝13章5節)、ヤソが予言した破滅は今すでに眼前にある。

帝王にもあれ、軍人にもあれ、大臣、新聞記者にもあれ、姑(しば)らくその位地や肩書きを忘れて己れは何者ぞや、自己の目的は何ぞやとまじめに一考したならば、必ずや自己の行為の正当を疑うに至るであろう。そして己れがこの世に生まれた所以の大目的とは、キリスト教の法則に従って神意に服し、隣人を愛して己れの欲する所を他に施すにあることを知るであろう。人を統治し強制、処罰、およびもっとも恐るべき戦争を命令することでは断じてない。

されば人間のみずから招いた災害、なかんずく最悪なる戦争から免れようとする有効策は、決して外的方法にあるのではなく、ただ各個人の良心に訴うるにある。即ちヤソが教えたように万人悔改め、そして我は何者なるか、何故に生存しているか、何をなし何をなしてはならぬか、自問するにある。

第7章 現代人が苦難の原因は一に宗教を有しないことにあるが、その宗教とは一時の安心や慰めを与えるに過ぎぬ教条の信仰、儀式を専らとするものではない。実に人類と全能者、人類と神との関係を確立し、すべて人間の活動を一層向上させる宗教である。これ無くしては人は禽獣と異なる所なく、或は禽獣以下に堕落する。

宗教なき人間には決して鉄道、蒸気、電気、その他の発明や技術を用いる権利がない。なぜなら、彼等はこれらの発明や技術を単にその肉欲、快楽、放蕩のために、甚だしきは即ち相互の堕落のために使用しているからである。もし人間が宗教的自覚によって指導されるのでなかったら、これら一切の発明や技術、いわゆる文明の徳沢も人間を現在の野獣的境地から救うことはできぬ。

第8章 何人も我は何者であるか、何のために生くるかと、自問自答しないことは不可能である。そして現代人がこれに答えようとすれば、人生の法則が他人を愛し他人のために尽すにあることを認識せずには居られぬ。

真の宗教とは人類同胞の主義と己れの欲せざるところこれを他に施すなかれの規則であって、これこそ決して外部の事情に左右されず、他の思想を超越し、神人間の不易なる関係から生ずる大主義なのである。キリスト教において重要とされるところは洗礼でも聖餐礼でも信仰告白でもない、ただ神と隣人を愛し己れの欲するところを他に施すの神命を実行するにある。

第9章 わが生活の事業は旅順口に対する清国人、日本人、もしくはロシア人の権利の承認とは何の関係もない。実に我をこの世に送った神の意を行ない、わが隣人を愛してそのために尽すことである。

ゆえに戦争すでに開始された今日、何をなすべきかという問に対しても、よく天命を知れる者の答えはただ一つ。即ち開戦と否とを問わず、数千の日本人もしくはロシア人が殺されたと否とに関せず、啻(ただ)に旅順のみでなくサンクト・ペテルプルグおよびモスクワすらも陥落すると否とに拘わりなく、我は神の命ずるところ以外を行なうことは出来ぬ。わが身はいかに成り行くとも、神意を行なうために生ずる運命は、自他にとって必ず善なりと信ずることである。

かりにロシアが日本の要求に屈従する外なしとするも、戦争の停止は荒廃と殺戮を免れる明白な利益があるのみでなく、人類を破滅から救う唯一の手段である。これに反して戦争の継続は結果の如何に関せず、救世の唯一の手段と背馳する。ゆえに敬虔なる者は同志の多少を問わず何事が起るかを省みず、ただ神の命ずるところを実行するのみ。生死は一に神の手中に存す、我はただ神命に従うべきのみ。

第10章 敵を愛するとは、キリスト教の名の下に人間の原罪、贖罪、復活などの迷信を彼等に教ゆることではなく、正義、無私、同情、哀憐をわが善良なる生活を以て彼等に教ゆるにある。その目的を生活の外部的変化におかず、ただ我をこの世に遣わした神意を切実に果たそうとして、全力を以てその実現に努めるような極めて単純な人人の増加によってのみ、人間の解放は成就されるのである。

第11章 予はニコライ二世とクロバトキンが、日本人を満洲から駆逐するには5万人以上の人命を失えば足りると、言ったか否かを知らぬ。しかし彼等のなしている事は正にそれで、今や不幸なロシアの農民は幾千また幾千と絶えず極東に送られ、ついに一新聞をして「ロシアの成功すべき機会は、殺してもかまわぬ人間を無限に有するの一事にある」といわせるに至った。

彼等は宮殿に安座する不道徳な野心家が、支那朝鮮で犯した悪業、醜行、掠奪を擁護するために殺されている。ロシアには何の権利もなく、そして実はロシア人に何の必要もない他人のために、また投機師が大儲けをしょうとする朝鮮の森林のために、ロシア人全体の労働の結果なる幾百億の富が濫費されている。

蝗(いなご)の群が川を渡る時、上層の少数な群は水に溺れている下層の大群を橋に替えて、無事に対岸に達するといわれるが、これは正にロシアの現状である。(『ロンドン・タイムズ』一九〇四年五月二日号)

第12章 昏迷せる日本人は勝利を得た結果、殺人に対して一層熱狂している。日本皇帝もまたその軍隊を賞賜し、多くの将官はさかんにその武勇を誇負し、長官や投機師は競って私利を営んでいる。日本の宗教家も宗教的欺瞞、および褻瀆(せつとく)の術にかけて欧洲人に劣らず、仏陀が禁じた殺生をゆるし、これを是認して悍らない。

あゝ、いずれの時かこの事やむべき。欺かれた人民がついに我れに返り、そしていずれの時かよく左の言を発するであろう?

「汝、心なきロシア皇帝、日本皇帝、大臣、牧師、僧侶、将軍、新聞記者、投機師、その他よ、汝等みずから砲弾の前に立て。我等はもはや行かぬであろう。行け汝等、この戦争を起した人々よ。汝等よろしく自ら行きて、日本の砲弾および地雷火に立ち向うべし。我等はこの戦争を欲せず、またこの戦争がいかにして誰のために必要なるかを解せざるが故に、我等は決して行かぬであろう。」
*         *
人民は一時、催眠術によって惑わされ、政府はなおも人民を惑わそうとしているが、その一方、「指揮官が我々に殺人を迫るのは果して神の意に合するや否や」という疑いは、ますます広く強く伝播してこれを消すことは思いも寄らぬ。

「指揮官が我々に殺人を迫るのは果して神の意に合するや否や」との疑いこそ、即ちヤソが二千年前地上に点じた霊火の火花であって、今まさに燃え広がり始めたのである。
一九〇四年五月二十一日
    ヤスナヤ・ポリアナに於て           リョフ・トルストイ

英文欄「朝鮮の搾取」
「いかに多くの犯罪が正義の名において行なわれたことぞ! 日本は朝鮮と支那の独立を確保するためにロシアと開戦したと宣言され、且つその目的のために既に数千の人命が犠牲に供された。だが、我々は哀れな朝鮮のために落涙を禁じ得ない。なぜなら彼女は、制覇のために戦っている二匹の狼の意のままなる、羊の如きものだからである。日本が勝とうとロシアが勝とうと朝鮮にとっては選ぶ所がなく、彼女の隷属は不可避と思われる。(中略)

概言すれば、戦争は盗奪である。名目上では正義なる戦争があるかも知れぬが、しかし結果はつねに盗奪である。我々はもし日本国民が、朝鮮ばかりでなく満洲の獲得のために戦っていると言ったら、もっと正直で無邪気だったろうと考える。愛国心は何処にありや、正義は何処にありや、この朝鮮の搾取は他の何ものよりも、もっと明瞭にこの戦争の本性を暴露する。」

中里介山の反戦詩「乱調激韵」(四連三十八行)
「トルストイの感化からのものであることは否定できない。介山はトルストイアンだった。」(荒畑)
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8月10日
・黄海海戦
午前5時~8時15分、ロシア太平洋第1艦隊33隻、ウラジオへ向けて旅順口出発。
午前7時55分、東郷司令長官、全艦隊に迎撃下命。
午後0時20分「三笠」が戦艦「ツェザレウィッチ」を砲撃。砲撃戦始まる。午後2時37分、相互の距離が遠ざかり砲撃停止。
午後4時42分、殿艦「ポルタワ」が「三笠」を砲撃。砲撃戦。
午後5時35分「三笠」前艦橋に砲弾、艦長伊地知彦太郎大佐・参謀植田謙吉少佐・小倉寛一郎少佐負傷。
午後5時42分「ツェザレウィッチ」前艦橋・羅針艦橋に着弾。艦隊司令官代理ウィトゲフト少将以下司令部要員、戦死。
午後5時45分司令塔に命中。艦長イワノフ大佐以下戦死。
午後7時7分、戦闘終る
。日本側死傷225。ロシア側死傷453。旅順帰着は9隻のみ。「ツェザレウィッチ」らはドイツ租借地膠州湾に逃亡、抑留。「ノーヴィク」はサハリンに逃れ、日本艦により破壊。「アスコリド」は上海に入港、抑留。「ディアナ」はサイゴンで抑留。
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「想定内」だから改めて騒ぎ立てるべきでないという賢げな文化人の消極的論理が、「想定外」だから責任はとれないという投げやりな為政者の態度と組み合わされば、どうなるか。文化人の冷笑主義が「無責任の体系」を結果として援護射撃する。そうにしかなるまい。退くも地獄、進むも地獄。ならば私は「バカか偽善者」の方がいい。(片山杜秀)

文芸時評 片山杜秀
『朝日新聞』夕刊2014-05-28

浅田彰×東浩紀 「特別対談『フクシマ』は思想的課題になりうるか」(新潮6月号)
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ところで浅田彰は「新潮」の東浩紀との対談で、「3・11」を哲学者や文学者が主題化することに水を差す。浅田は言う。「とくに、原発事故について、フクシマで衝撃を受けたという人はどうかしているんじゃないか」

 危険性は十分に指摘されていた。「予告された通りの事故」が起きたにすぎない。勝ち目のない対米戦争を誰も止めなかったのと同じ図式の反復。分かっちゃいるけどやめられない。丸山眞男が「無責任の体系」と名付けた日本的意思決定機構の問題が繰り返された。思想的には新しくない。新しくないことに衝撃を受けたと騒ぐのは「よほどのバカか偽善者」。浅田は述べる。

 筋は通っている。だが「想定内」だから改めて騒ぎ立てるべきでないという賢げな文化人の消極的論理が、「想定外」だから責任はとれないという投げやりな為政者の態度と組み合わされば、どうなるか。文化人の冷笑主義が「無責任の体系」を結果として援護射撃する。そうにしかなるまい。退くも地獄、進むも地獄。ならば私は「バカか偽善者」の方がいい。


【ラーメン好き必見!】有名ラーメン店のカロリーを比較してみた画像/二郎は天下一品の約2倍 (BUZZ NEWS)

これがその「東出門(とんでもん)の近くにとんでもんないものが出来た」と一部で話題のアレです。 : 新国立競技場の設計者、ザハ・ハディド氏が韓国に造った建物もすごい(ハフィントンポスト)— nakajimamiyuki

安倍の「妄想」が破滅をまねく :  高村薫氏 「…世界のどこに世界一の軍事大国・米国を攻撃する国があるのか。その米国を日本が守る?そんな事態が本当に起こると思っているのか。すべて安倍さんたちの妄想としか思えません」

5月31日(土) 解釈改憲で9条こわすな!デモ 17時出発@新宿柏木公園。安倍首相は会見で「お母さんや子どもを守る」といった。でも集団的自衛権行使の本質は、自衛隊が米軍と一緒に戦場へ行けるようにすること。若者に海外の戦場で血を流せ、と迫るもの。反対の声あげよう!





5月31日今朝の京丹後経ヶ岬米軍Xバンドレーダー基地建設現場より写真が届きました!4日目の工事を終えて土地提供されなかった所有者用地は三方向全てフェンスで取り囲まれました。背景に穴文殊参道の大黒松が見えます。 (ツイッター写真)

5月31日 築地デモ 守ろう築地市場パレード 築地でええじゃないか (ツイッター写真)






問われているのは日本のプリンシプル 民主主義のプロセス軽視の行使容認に反対 ――ジャーナリスト 江口晋太朗 (ダイヤモンドオンライン シリーズ・日本のアジェンダ「集団的自衛権行使」容認の是非)

ダイヤモンドオンライン
シリーズ・日本のアジェンダ「集団的自衛権行使」容認の是非 【第5回】 2014年5月30日 
江口晋太朗 [編集者・ジャーナリスト、元自衛官]

問われているのは日本のプリンシプル 
民主主義のプロセス軽視の行使容認に反対
――ジャーナリスト 江口晋太朗

結論から言えば、「集団的自衛権」の行使容認には反対する。それは国のあり方を規定する問題であるにもかかわらず、政府のやり方は民主主義の根幹を揺るがすものであるからだ。もし、解釈改憲を強行した場合には、自衛隊員の士気の低下や国民の離反を招くだろう。いま求められているのは、集団的自衛権などの防衛問題のみならず、国としてのあり方を改めて考えることだ。以下その理由を述べてみたい。

民主主義における参加のプロセスを
重んじなければいけない

 たとえ憲法改正ではなく解釈改憲とはいえ、国のあり方を規定する憲法に対する認識を問うものに対して、主権者である国民の共感なしに行うのは、そもそも国民主権の原理に反する行為である。

 私的有識者懇談会を通じて集団的自衛権の行使を容認し、国会で十分な議論することなく、閣議決定を通じて政府方針としようとするというプロセスは、民主主義の根幹を揺るがす。

 透明性や情報公開という世界的な流れに逆向した動きは、世界の潮流からも外れている。国民全体に関わるような問題や、世論として反対の多い意見に対しては、真剣な対話を通して納得のいく答えを漸進的に進めていくことが民主主義である。それをなくした政治のあり方は、あってはならない。

 過去の政権が積み重ねてきた解釈を否定し、解釈によっていかようにも運用が可能であるならば、なんのための憲法か。過去60年間の内閣の行為を否定しようとするには、あまりに時間をかけなすぎる。

 もちろん、議論を通じ、投票などによる国民の理解も得られた上で、運用ルールに対してもより明確に定めることができれば、集団的自衛権の行使は可能かもしれない。しかし、現在のこの解釈改憲に対するプロセスは、行使容認の内容がロジックにおいて理解できる部分が仮にあったとしても、納得のいく答えではない。なぜなら、これはロジックの話ではなく民主主義におけるプロセスの話だからだ。政治がこれを無視して、強行的に突き進んでしまっては、なんのための政治か、なんのための民主主義なのか。

 (以下略)




アベノミクスの「第3の矢」とやらは、法人税減税、特区、残業代ゼロといった古臭い内容の「成長」戦略で失敗したものばかりで飛ばない。グローバル化や技術革新をといっては大学にも金をばらまくが、研究はねつ造が横行。ひたすら異常な財政金融政策に頼る姿はローマ帝国の滅亡を見るようです。 — 金子勝


5月31日、6月1日 第9回粕壁エイサー @アクシス春日部 (ツイッター写真 随時追加)



5月31日、6月1日 第11回犬山踊芸祭 (ツイッター写真 随時追加)






















5月31日~6月2日 第33回横浜開港祭 開港155周年記念らしい 2日の夜は花火 (ツイッター写真 随時追加)












本日、奥只見銀山湖で68、5cmの大岩魚が釣れたそうです!!  (ツイッター写真)

この25年、女性の正規雇用は増えていない【データで見る女性と仕事】(ハフィントンポスト) / 就職試験上位は女子学生ばかり 男子に下駄履かせ内定与える(ポストセブン) / 合わせて読むとすさまじい不均衡と非対称を突きつけられる

「今は「広島と福島」をテーマに本を書いている。安倍政権下で憲法改正に向けた動きが加速しているけれど、平和憲法を守るため、命のある限り抵抗し続ける決心です。」 報道写真家・福島菊次郎(93) 『朝日新聞』夕刊2014-05-30

今は「広島と福島」をテーマに本を書いている。
安倍政権下で憲法改正に向けた動きが加速しているけれど、平和憲法を守るため、命のある限り抵抗し続ける決心です。
報道写真家・福島菊次郎(93)
『朝日新聞』夕刊2014-05-30


「集団的自衛権 そんなに急いでどこへ行く」(『朝日新聞』2014-05-25) : 「あご外れるほど」驚きの代物(長谷部恭男・早稲田大教授) 手品のようにすり替えている(杉田敦・法政大教授)

集団的自衛権 そんなに急いでどこへ行く
『朝日新聞』2014-05-25

「あご外れるほど」驚きの代物 長谷部
手品のようにすり替えている 杉田

杉田敦・法政大教授 
 さて、ついに一歩が踏み出されました。「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が報告書を出し、安倍晋三首相は集団的自衛権の行使を検討すると表明しました。

長谷部恭男・早稲田大教授
 英語で言うと、「ジョー・ドロッパー」ですね。

杉田
 「あごが外れるほど驚きの代物」ですか。

長谷部
 報告書も安倍さんの記者会見も、ジョー・ドロッパーの連続です。憲法前文や13条、「砂川判決」など自分たちに都合のいいところだけをつまみ食いし、これまで政府が「真っ黒」と言い続けてきたことを、条件をつければ「白」になると結論付けている。わけがわかりません。国民があごをはずしている隙に解釈変更してしまおうという作戦でしょうか。

杉田
 確かに、まるで手品のように、集団的自衛権、集団安全保障、グレーゾーン事態、駆けつけ警護と、色々なカードを次々に見せている。あえて国民を混乱させている感じは否めません。彼らの主張は、とにかく急いで対策しなければならない。しかし憲法改正には時間がかかる。だから政府解釈の変更でやる。こういうことですね。しかし、なぜこれほど急がねばならないのか。

長谷部
 そもそも早急に対処すべき安全保障上の問題が生じているというのは、第1次安倍内閣の時に出てきた話です。その後、数次の内閣では言われなくなり、それが今回また出てきた。安倍内閣ができると突如として安全保障上の緊急性が高まるんですね。

杉田
 本当に集団的自衛権の行使が必要なら、憲法改正を提起し、国民的な大議論をすればいい。ところが安保法制懇座長代理の北岡伸一国際大学学長は「明治維新だってみんなでやったわけじゃない」と否定的です。一部のわかっている人間が決めればいいんだと。国民を説得しようとは、はなから考えていないかのようです。

長谷部
 説得できるという自信もないのでは。

杉田
 説得力のなさを、時間がないという話にすり替えている。昨年、安倍さんらが憲法96条の改正を提起した時は、主権者である国民の意思をより憲法に反映させるために、改正の発議要件を「衆参各院の総議員の3分の2以上の賛成」から「過半数」に緩めると説明していました。しかしそれが難しいとなったら一転、今度は国民の意見を聞く必要はない、閣議決定でこと足りるという。

 集団的自衛権の問題は、一昨年の総選挙でも主な争点ではなかったし、参院選では争点化していなかった。それなのに選挙で勝った自分たちの考えが民意だと、強引にことを進めようとしている。小泉政権の郵政民営化より悪質です。

長谷部
 集団的自衛権の行使は、自衛隊員を含む国民の生命に重大な不利益をもたらす可能性がある。国民的合意を得ずに進めていいはずがありません。

限定容認 意図的混同か 長谷部
中身問わぬ「決める政治」 杉田

杉田
 集団的自衛権の行使容認派がよりどころの一つにしているのが、憲法9条をめぐっては過去にも解釈を変更しているではないかという点です。憲法制定時には個別的自衛権を持っているとは想定していなかったが、自衛隊創設にあたって「放棄していない」と解釈を変えたという。

長谷部
 吉田茂元首相の答弁が引き合いに出されますが、彼が当初言っていたのは日清・日露戦争のように、自衛と称して戦争をするのは許されないということです。「急迫不正の侵害」に対して実力を行使するという意味で自衛権を否定するのとは、全くレベルの違う話です。

杉田
 安倍首相が唱える、いわゆる「限定容認論」はどう考えますか。

長谷部
 被害国からの援助要請や、必要最小限の実力を行使するというのは、国際司法裁判所が明示している集団的自衛権行使の要件そのものです。これを超えると国際法違反です。

杉田
 つまり、一般的な要件を再確認しているだけで、限定にも何にもならないということですね。

長谷部
 日本が行使できないとされてきた集団的自衛権とは、国際社会の平和と安全という公益のために、自国の防衛と切り離して、他国に対する攻撃に対処する権利です。今回、それを行使できるようにする、ただし「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき」に限るという。これでは、その時々で政府が「可能性がある」と判断すればそれまで。限定することにはならない。逆に、我が国の安全が本当に危険にさらされているなら、個別的自衛権で対処可能のはずです。違う話を意図的に混同しているのか、自分でも分からなくなっているのか。

杉田
 まるで集団的自衛権という「シンボル」を勝ち取るために、これまでの憲法解釈を変更しようとしているかのようです。

長谷部
 とにかく「集団的自衛権」と言いたいと。

杉田
 安倍さんを含めて、「決められる政治」を追求していくと、中身はともかく決めればいいということになりがちです。そのために、憲法など権力へのブレーキは全部外せということになる。特定秘密保護法もその一環でしょう。

 ちなみに北岡さんたちは、1990年代の政治改革論議の頃に、与党は一種の期限付き独裁を許されるべきだとしていました。次の選挙で審判を受けるのが唯一の「歯止め」だと。そういう民主政治観が今回の報告書や政権の態度にもつながっていると思います。

世論につけ込みこわもて 杉田
日本、「怪物」にならぬよう 長谷部

長谷部
 私は安倍政権の特徴は「急ぐ政治」だと思います。急いで決める政治。秘密法の基本構想を作ったのは民主党政権です。民主党政権は成立を急がなかった。安倍さんは急いだ。秘密法に関して世論が硬化した要因は、そこにあるのではないでしょうか。

杉田
 いまの世論を考えると、北朝鮮による拉致問題と、中国との尖閣諸島の領有権問題が大きく影響している。これは、そもそも集団的自衛権の問題と関係ありませんが、心理的には結びついている。日本が「なめられている」からそういう問題が起きるので、集団的自衛権などでこわもてになれば、近隣諸国もおとなしくなるのではないかという素朴な感覚が底流にある。外務省筋や政権がそ
こにつけ込んでいます。

 抑止力を持つべきだとの考え方を全否定はできませんが、「安全保障のジレンマ」と言われるように、強硬策がかえって緊張を高め、偶発的な危機につながりかねないことは歴史が証明しています。

長谷部
 日本が自衛隊を出せば、中国は中国軍を出してくるだけの話です。哲学者のニーチェは「怪物と
闘う者はそのために自身が怪物にならぬよう気をつけろ」と言っています。隣の「こわい国」と闘わなきゃと、立憲主義をかなぐり捨てて憲法解釈を変えれば、日本自身がおかしな国になってしまうでしょう。



2014年5月30日金曜日

東京 江戸城(皇居)二の丸庭園の花菖蒲 まだほんの咲き始め 2014-05-29






江戸城(皇居)二の丸庭園の花菖蒲
まだほんの咲き始め
5月29日時点


【画像】維新、みんな両党の有志議員が改憲目的の「自主憲法研究会」を立ち上げた。同会設立総会には、あの百田NHK経営委員も出席し、記者も締め出しての非公開で「記念講演」。記念撮影に応じる百田氏(中央)や維新の山田宏議員(右)ら(X) — 赤旗政治記者

広東省の生活用品会社が7,000人の社員を連れてアメリカに社員旅行 この会社らしい 旅行期間中に日本円で85億円を消費 ロサンゼルスの街中で社員7,000人で中国国歌歌ったりするらしい — 中国住み

残業代ゼロ法案は、やはり「サービス残業奨励法案」だった(BLOGOS 榊 裕葵) / ①「名ばかり管理職」の合法化 ②「残業は月30時間まで」といったような企業内のローカルルールを、実質的に合法化する。   

BLOGOS 2014年05月30日 05:00
残業代ゼロ法案は、やはり「サービス残業奨励法案」だった。
- 榊 裕葵

残業代ゼロ法案の議論が白熱している。5/28の産業競争力会議では、残業代ゼロ法案の対象者について、厚生労働省案と財界案が平行線のまま閉会となった。

厚生労働省は、為替ディーラーなど、金融や情報技術(IT)の高度な専門性を持つ人材に限定すべきと考えているが、これに対して、財界は「一定の専門性や経験を有する者」や「将来の幹部候補」などへも対象をさらに広げるよう対案を提出したのだ。

私は、厚生労働省案を妥当と考え、財界案には到底賛成できないという見解である。

(略)

私の推測も混じるが、財界が残業代ゼロ法案で狙っていることの真意を、以下2点に分けて述べたい。

■名ばかり管理職が合法化される
第1は、「名ばかり管理職」の合法化である。

(略)

■責任感の強い若手社員は無償でハードワーク
第2は、「残業は月30時間まで」といったような企業内のローカルルールを、実質的に合法化することである。

(略)



2011年の東日本大震災と同規模の被害をもたらした可能性 ⇒ 四国沖で過去7000年に16回の巨大地震 ― 高知大が報告 — ウォール・ストリート・ジャーナル日本版

憲法解釈変更「非常に危険」 真宗大谷派宗務総長 (京都新聞)

YAHOOニュース
憲法解釈変更「非常に危険」 真宗大谷派宗務総長
京都新聞 5月30日(金)9時9分配信

 真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)の里雄康意(さとおこうい)宗務総長(65)は29日、安倍晋三首相が集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更を進めようとしていることについて「非常に危険な考え方」との見解を表明した。

 同日開かれた同派の僧侶議会「宗議会」で述べた。

 里雄総長は、憲法解釈の変更は「二度とあの悲惨な戦争を繰り返さないでほしいという全戦没者の願いを踏みにじることになる」と反対の意思を示し、「(戦争は)人知の闇による人間喪失という重大な過ちだ」と危機感を募らせた。

 また、4月30日に現門首の大谷暢顕(ちょうけん)氏(84)のいとこ、大谷暢裕氏(62)が門首後継者に選定されたことについて「あらためて(象徴)門首制の意味を確認する機会にしてほしい」と話した。

最終更新:5月30日(金)9時9分京都新聞

野党の質問をニヤニヤして馬鹿にしたり、反対に相手のエキサイトした態度や野次を過剰に気にする安倍氏のような首相は僕は初めてだし、議論で勝負しようとせず、相手の揚げ足を取るばっかりの答弁は本当に低次元だ。・・・ — 住友陽文

首相とメディアの癒着! 「秘密保護法」強行の後に、中国料理店で会食。 「靖国参拝」の夜に、日本料理店で会食。 「消費税増税」強行の夜に、居酒屋で会食。 「集団的自衛権」表明の夜に、すし店で会食。 これで“権力監視”の使命が果たせるか— 志位和夫


ア カ ン RT @asahi_kantei:総理番・藤原慎一)…「内閣人事局」の看板…稲田朋美・国家公務員制度相の直筆。一緒に看板を掲げた安倍晋三首相は「稲田大臣にみずみずしい筆遣いをしていただいた」と — 橋本麻里 ← ホンマや! こらアカン!           

清沢洌「大本営には連絡会議があるが、決定機関がない。政略と作戦には知識が這入って行く機会がなく、若い参謀と、東条などの「かん」で決定されている」誰に似ているとは申しませんけどね - 「70年前の警句」斎藤美奈子: 東京新聞5月28日

東京 清澄庭園の黄菖蒲 (ツイッター写真)

「週刊新潮」今週号に電事連の原発広告。 今度は舞の海。 原発を無くすと日本の成長が止まるらしいです。

特集ワイド : 「忘災」の原発列島 再稼働は許されるのか 「世界一の規制基準」新たな安全神話に (毎日新聞)

毎日新聞 2014年05月28日 東京夕刊

 ◇「多重防護に欠陥」専門家ら疑問の声

 安全神話が重大事故を招く−−これが東京電力福島第1原発事故の教訓だろう。安倍晋三政権は「世界で最も厳しい水準」をクリアした原発から「再稼働させる」と明言している。だが今、その「世界一」こそが新たな安全神話では、と疑う声が上がっている。【浦松丈二】

 「客観的に世界最高水準なんかではない」。脱原発派・菅直人元首相はそう言いながら手元のタブレット端末をたたいた。フィンランドのオルキルオト原子力発電所3号機の写真が画面に広がる。小泉純一郎元首相が視察して有名になった核廃棄物最終処分場オンカロの近くに建設中の巨大原発だ。菅元首相は3月にここを視察した。

 「フランスのアレバ社の原発だが、飛行機の衝突にも耐えられるよう格納容器が二重になっており、メルトダウンに備え、溶けた核燃料を受け止めるコアキャッチャーも入れた。ただし、建設費は大幅に増えて1兆円近くになりそうだと言っていた」

 しかし日本の原発はここまでの改良はなされない。「格納容器を二重にし、コアキャッチャーをいれる費用は、原発を新設するより高い。全国の原発48基全てを改良するのは無理なので、言葉でごまかそうとしているのではないか。要するに世界一はインチキなんだよ」と喝破する。

 「世界一」の源流は昨年6月、原子力規制委員会の田中俊一委員長が「世界一厳しい基準を目指した」と語ったことだ。その意味は、過酷事故対策のほか、火山や竜巻への対応も新たに盛り込んだこと。安倍首相は今年1月の施政方針演説で「規制委員会が定めた世界で最も厳しい水準の安全規制を満たさない限り、原発の再稼働はありません」と「世界一」を強調。4月に政府が策定したエネルギー基本計画も「世界で最も厳しい水準」という言葉を使っている。

 世界一の根拠を菅元首相が質問主意書でただしたところ、安倍政権は閣議決定した答弁書で「国際原子力機関(IAEA)や諸外国の規制基準を参考にしながら世界最高水準となるよう策定した」と説明。菅氏は「世界最高水準になるように策定したから世界最高水準だと同義反復しているだけだ」と批判する。

 安倍首相は今月1日夜(日本時間2日朝)、訪問先ロンドンの金融街シティーで「世界のどこにも劣らないレベルの厳しい安全基準を満たした所から、原子力発電所を慎重な手順を踏んで稼働させていくことにした」と講演した。これは「世界一」を世界に宣言したに等しい。だがそれは本当なのか。

 「世界にも類をみない欠陥基準だ」と厳しく批判するのは、経済産業省、資源エネルギー庁で官僚として働いた経験がある泉田裕彦・新潟県知事だ。

 泉田知事は「IAEAが求める多重防護の第5層(住民避難など原発施設外の緊急時対応)が日本ではそっくり抜けている。世界では、メルトダウン事故が起きることを前提に被害を最小限にとどめる対策を定めているが、規制委員会はそこは自分の担当ではないと逃げている」と指摘する。

 IAEAの多重防護には五つの階層がある=表。それぞれの階層が、前階層の防護が破られても独立して機能するよう対策を求められている。日本では過酷事故は起きないとの「安全神話」から事実上、第4層(過酷事故の拡大防止)、第5層(放射性物質の放出の影響緩和)の取り組みはされてこなかった。新基準でも、第5層に含まれる住民避難計画は、災害対策基本法で自治体にまかされており、規制委の審査対象外だ。

 東電柏崎刈羽原発を抱える新潟県には教訓がある。07年の中越沖地震。原発敷地内で火災が発生したが、東電の消防隊は消火に失敗し、避難した。新潟県庁への連絡用ホットラインは機能しなかった。地震で施設のドアがゆがみ、東電社員らが中に入れなかったのだ。

 「非常時に連絡が取れないと困ると言って、新潟県が東電に作らせたのが免震重要棟。当時の規制基準にはなかった。その後、新潟だけにあるのはおかしいと福島第1原発に作られた。完成は東日本大震災の8カ月前だった。あの要求がなかったら今、東京に人が住めていたかどうか疑わしい」

 泉田知事はおもむろに規制委設置法の抜粋を差し出した。規制委の仕事として「原子力利用における安全の確保」とある。新潟県は同法に基づき、規制委に第5層の住民防護策などについての質問を出したが、きちんとした回答は返ってきていない。「規制委の田中委員長は法律を知らないのではないか。認識を確認するために面会を申し込んでいるが拒否されている」と泉田知事。田中委員長は知事からの批判に対し「私がコメントすることではない」。「世界一」の基準は、地元を納得させることすらできていない。

 福島原発事故の前から地震と原発事故の複合災害「原発震災」を警告していた石橋克彦・神戸大名誉教授(地震学)は「欠陥だらけの新基準では第二の原発震災が起こりかねない」と憂慮する。

 「新基準が世界一厳しいというのはうそで、IAEAの多重防護を実現していない。耐震性に注目した場合、地震による損傷を予防する第1層が致命的に甘い。まるで、過酷事故が起きてもよい、そのときは新設の過酷事故対策(第4層)で破局を食い止める、と考えているみたいだ。しかし、第4層の応急策も施設の充実よりも作業員頼みで大地震時に機能するかどうかわからず、非常に危険だ」

 石橋氏が指摘するのは、耐震設計のための地震の揺れ「基準地震動」の設定が低すぎること。「3・11後、原子力安全・保安院の人たちは『基準地震動を抜本的に引き上げなければ』と反省していたのに、規制委が発足して忘れてしまったかのようだ」

 再稼働の優先審査が進む九州電力・川内原発は、基準地震動を審査申請時(昨年7月)の540ガルから620ガルに引き上げ、新基準で大筋妥当と認められた。しかし石橋氏は「活断層がなくてもマグニチュード7前後の地震が発生し、揺れが1000ガルを超えることはありうる。現在の『科学的予測』は過小評価のおそれがあるから、少なくとも過去に全国で観測された最大の揺れを、全原発で一律に考慮すべきだ」と訴える。

 事故の教訓から生まれたはずの「世界一」の規制基準。新たな安全神話が列島に忍び寄っている。=「『忘災』の原発列島」は随時掲載します。

解釈改憲「将来に禍根残す」=山崎拓元自民党副総裁インタビュー (時事通信) :  「集団的自衛権を認めた政権として後世に名を残したいという情念的なものを感じる」

昨日ブラジリアで起きたデモの様子。警官隊と衝突したインディオたちが弓矢で応戦。2014年とは思えない光景。けど、これがW杯を15日後に控えたブラジルの現実。

NHKは「官邸の出先機関」か――「密告制度」進める籾井会長の「狂気」 (新潮社Foresight) / 「また菅ちゃんからだよ」とモミちゃんが・・・。

新潮社Foresight
NHKは「官邸の出先機関」か――「密告制度」進める籾井会長の「狂気」
執筆者:内木場重人2014年5月29日

(略)



米の最低賃金水準である年240万円の所得層が最も多いことの意味 図:2万3000~2万5000ドルの層が最も多い — ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 / 「年23,660ドル(240万円)という基準がある。これは雇用主が残業手当を支払う義務を回避できる所得の最低ラインだ。」    



 ほとんどの職種について、米国の最低時給は7.25ドル(約737円)だ。これとは別に、あまり知られていないが、年23,660ドル(240万円)という基準がある。これは雇用主が残業手当を支払う義務を回避できる所得の最低ラインだ。

 おそらく偶然ではないが、2013年に708万人の米国人の所得が2万3000〜2万5000ドルのレンジだった。無党派の税調査機関「タックス・ポリシー・センター」のデータに基づく棒グラフでは赤で示されており、2000ドルごとに区切ったレンジの人数の棒では一番高い水準になっている。

 (略)




5月30日 104回目の【再稼働反対!首相官邸前抗議】 今日は日曜の大抗議の準備の為、官邸前抗議エリアのみ (ツイッター写真) 「原子力マネーをもらってる人が規制なんてできるわけねーでしょ」     











2014年5月29日木曜日

東京 江戸城(皇居)東御苑 ランチタイムコンサート ヤマボウシ サツキツツジ ナデシコ モミジ たわわな梅の実 2014-05-29

5月29日、熱い。
どんどん夏に近づいてゆく。

昼、江戸城(皇居)東御苑へ。
木陰はうんと涼しい。

昨日は花菖蒲中心だったので、今日はそれ以外で。

▼警察音楽隊によるランチタイムコンサート
会場は、いつもは本丸広場の芝生の上だったのに、
今日は天主台の横で。
観客席には椅子まで用意されていた。

▼ヤマボウシが長持ちしている


▼二の丸池の概観

▼諏訪の茶屋

▼ナデシコ
アレッ! 秋の七草じゃ?

▼もみじ

▼梅林坂には梅の実がたわわに

1781年(安永10/天明元)5月 モーツアルト、大司教との決別=故郷ザルツブルクからの脱出=父からの自立、を決す (その2) 「ぼくはもうザルツブルクの宮仕えの不幸者じゃなくなりました。」 【モーツアルト25歳】

ヤマボウシ 江戸城(皇居)東御苑 2014-05-29
*
1781年(安永10/天明元)
5月
・北米、大陸会議の発行する大陸札の受け取り拒否運動。
*
5月2日
・寺町大雲寺で、織田信長・信忠200年忌法要。
*
5月2日
・モーツアルト、ドイッチェ・ハウスよりウェーバー家に移る。再度出発命令が下る。
5月9日、出発日のことがきっかけとなり、コロレド大司教と口論、決裂。ウィーン定住を決意。
5月10日、侍従アルコ伯爵に辞職願いを提出、父親が同意しなければ認められないとして受理されず。夜、体調を崩す。

モーツァルトと大司教の関係が決定的な局面を迎えたことを伝える5月9日付けモーツアルトの父レオポルト宛て手紙。

「親愛なるお父さん! ぼくはまだほんとに腹が立ってなりません! それにぼくの最良で最愛の父上であるあなただって、きっとぼくと同じでしょう。- ぼくの忍耐力はほんとに長いあいだ試されてきました。- でもとうとうそれはだめだったのです。ぼくはもうザルツブルクの宮仕えの不幸者じゃなくなりました。 - 今日はぼくにとって幸福な日でした。まあ、お聞き下さい。

 もう二度もあいつ - 彼をなんて呼んだらいいのかまったく分からないのです ー は、この上なく無作法で厚顔無恥なことをぼくに面と向かって言ったのでしたが、こんなことはあなたが心配で手紙でお知らせしようとは思いませんでした。それにいつでもあなたが、最良のお父さん、あなたが目の前にちらついて、すぐその場で仕返しはしませんでした。 - 彼はぼくを小僧だとか、自堕落な奴だとか呼び、 - 出てゆけと言うのです。で、ぼくはなにもかも我慢していましたが - ぼくの名誉ばかりかあなたの名誉もそれで傷つけられていると感じていました。 - でも - あなたがそうお望みだったので、ぼくは黙っていました。 - でもお聞き下さい。 - 一週間前、思いがけずに従僕がやってきて、その場で出発しなけりゃいかんというのです。ほかの人たちはみんな日が決めてありましたが、ぼくだけは違うのです。 - そこでぼくは急いで荷物を全部トランクにまとめましたが、- ヴェーバーの奥さんがたいへん親切に彼女の家を提供してくれました。 - この家に綺麗な部屋をもらいました。世話好きな人たちに取りまかれていますが、この人たちは、しょっちゅう急に必要ができるもの (それに一人でいると持てないようなもの)を、ぼくのために万事取り揃えてくれるのです。

 水曜日(つまり今日九日)に普通の便で出発することにしていましたが、ぼくが貰うはずのお金が、そうしている間にもまだ集められないので、それでぼくは旅行を土曜日まで延ばしました。 - 今日あそこに出頭すると、近侍たちが大司教がぼくに小荷物を持っていってもらいたいと望んでおられると言いました。 - それは急用のものかとぼくは聞きました。そうだ、たいへん重要なものだ、と彼らは言いました。 - それだったら、残念ですがお役には立ちかねます。というのは、ぼくは(先に述べた理由で)土曜日以前には出立できないからです。 - ぼくはお邸を引き払っているし、自分の費用で暮さにゃなりません。 - だからぼくがそれよりも前に出発できないのはまったく当然のことです。 - だって誰もぼくが損をするのを望まれはしないでしょうから。 - クラインマイヤー、モル、べーニケ、それに二人の近侍は至極もっともだと言ってくれました。- ぼくが彼〔大司教〕のところに入っていくと - ご注意申し上げますが、あらかじめあなたに言っておかなければならないのは、シュラウカ〔近侍の一人〕がぼくに普通便の駅馬車はもう満員だと言い訳をすべきだ、その方が彼にはいっそう強い理由になるからとすすめてくれたのです。 - さて、彼のところに入っていくと、第一発がこうでした。大司教 - それで、お前はいったいいつ発つんだ、若僧? - ぼく - 今晩発ちたいと存じておりましたが、あいにく座席がもうふさがっておりまして。すると一息でまくしたてるのです。ぼくは見たこともないような不品行者で、ぼくのように奉公の仕方の悪い奴はほかに誰もおらん。 - 自分はお前に今日発つように忠告する、さもないと、国許に手紙を書いて、給料を差し止めてやる。 - 口を差しはさむことなど誰にもできはしませんでした。まるでカンカンになって続けるのですから。ぼくは万事落ち着きはらって傾聴していました。彼はぼくに面と向かって五百フロリーンも給料を払ってると嘘をつくのです。ぼくをごろつき、横着者、低能呼ばわりしました。ああ、あなたに全部はとても書きたくはありません。 - とうとう血が烈しくたぎりたったあまり、ぼくはこう言いました。 - それじゃ猊下はわたしにご不満なのですね? - なんだと、わしをおどかすつもりか、馬鹿野郎、ああ、馬鹿野郎奴が! - そこに扉があるのが見えるだろう、こんなあさましい奴にはわしはもう用はない。 - とうとうぼくは言いました。 - わたしの方だって、もうあなたに用はございません。 - そんなら出てゆけ、 - そしてぼく ー 出て行きがてらに、 - もちろんそうしましょう。明日、書面でお出ししましょぅ。 - こういう次第で、最良のお父さん、こう言うのが早すぎたというよりもむしろ遅すぎたのではないでしょうか? - まあ、聞いて下さい。 - ぼくにとって自分の名誉がすべてにまさるものですし、それはあなたにとってもご同様だと分かっています。

 ぼくのことはまったくご心配なさらないで下さい。 - いささかの理由がなくてもぼくは罷めただろうほど、当地での自分の本分を確信しているのです。 - 今ではその理由があり、しかも三度目なのです。 - もうそんなことはいさぎよしとしません。それどころか、ああ、ぼくは二度も卑劣な振舞いをしたのでした。 - 三度目はもう決してそんなことはできません。

 大司教が当地にとどまっているかぎり、ぼくは音楽会はやらないでしょう。ぼくが貴族たちや皇帝ご自身に信用されないのではないかとお考えの点は根本的に間違っています。 - 大司教は当地では嫌われており、とりわけ皇帝から嫌われています。 - 皇帝が彼をラクセンブルク〔ヴィーン南方にある別荘〕に招待しなかったのに彼は腹を立てているのです。 - 次の郵便馬車で、なにがしかのお金をあなた宛に送りましょう。そうすれば、ぼくが当地で困っていないとあなたは納得なさることでしょう。

 加えてどうかお元気でいらっしゃって下さい。 - なぜなら、今こそぼくの幸福が始まったわけですし、ぼくの幸福はまたあなたのものであってほしいと思っています。 - あなたもこれにご満足だとそっとぼくにお書き下さい。実際そうであっていいのです。 - しかしおもてでは、そのことでぼくと大いに喧嘩をしているんだとして下さい。そうすれば誰もあなたのせいにはしないでしょうから。 - でも大司教がそれにもかかわらずちょっとでも無礼なことをしたら、さっそくお姉さんと一緒にヴィーンにやってきて下さい。 - ぼくたちは三人で暮せます。これは名誉にかけて断言いたします。 - でももう一年辛抱して下されば、ぼくにはいっそう望ましいことです。 - もうドイッチェス・ハウス宛には手紙を出さないで下さい。小荷物もです。 - ぼくはもうザルツブルクのことは知りたくありません - ぼくは大司教が気が狂わんばかりに憎いのです。さようなら - あなたの御手に千回キスをし、大好きなお姉さんを心から抱擁します。永遠にあなたの忠実な息子。

 宛名はベーター広場アウグ・ゴッテス三階です。

 あなたがご満足だとはやくお認め下さるように、それだけが今のぼくの幸福には欠けているからです。さようなら。」
*
5月2日
・米、独立戦争。イギリスのコーンウォリス将軍、ピーターズバーグに進出。ヴァージニアでラファイエットを追撃。
*
5月12日
・モーツアルトの父への手紙。遂に独立宣言。
アルコ伯爵に退職願を大司教に渡すよう頼むが受け取ってもらえず、父レオポルトの同意が必要であると言われたこと、そして独立を宣言。
9日以来の体調不良のせいか、精神的に興奮し逆上している様子も見える。

「僕の不動の決心を打ち明けます。これは世界中の人に聞こえてもいいのです。ザルツブルクの大司教のもとで2000フロリンの俸給が得られ、他の地では1000フロリンしか得られないとしても、僕は他の地へ行きます。」

父レオポルトの手紙は全て失われているが、モーツアルトの父宛書簡を見る限り、レオボルトは執拗にモーツァルトに翻意を求めているように見える。

レオボルトはモーツァルトがこうした決心をかためたのには、ウェーバー家が絡んでいると推測し、それを責めたようだ。

モーツァルトは、5月16日付の手紙でレオボルトがこの家庭について述べたことはまったく当たっていないと反駁し、かつてアロイジアに夢中になった自分のことについては反省していると語る。

5月19日付けモーツアルトの父宛の手紙。
「まずなにをお書きしたらよいのかも分かりません。最愛のお父さん、ぼくはびっくりしてしまって自分が取り戻せないからですし、またあなたがこれからもそんなふうにお考えになり、そんなふうにお書きになるのでしたら、今後もだめでしよう。白状しますと、あなたのお手紙のどの行からも、自分のお父さんが認められないのです! - 確かに父親はいるでしょう。でも、自分の名誉と自分の息子の名誉とを案じている最良の、この上なく愛情の深い父親 - 要するにぼくのお父さんは認められないのです。」

5月26日付けモーツアルトの父宛の手紙。
「あなたのおっしゃることはまったくもってごもっともです。ぼくの言うこともまったく正しいように。最愛のお父さん!」
彼は父親を説得するのを放棄した。そして父親の気持とは無関係にヴィーンでの自分の計画を積極的に語る。
「ぼくは事態を自分が望むようにじっくりと考えてみたいのです。そうすれば、ぼくがヴィーンに残るのが、ぼくにとっても、あなたがた、最上のお父さんにも、また愛するお姉さんにも万事一番よい手助けになると思うのです。当地で幸福がぼくを迎えてくれるつもりのように思われます。 - ぼくは当地に留まらなければならないみたいです。」

この手紙で彼は具体的な活動の計画について積極的に語っていく。
弟子はあまり数を多くしないで、報酬を多くすること。予約出版(ヴァイオリン・ソナタ6曲の刊行)もうまく進んでいること。オペラ創作のこと。
*
5月18日
・ペルー先住民の反乱の指導者トゥパック・アマルー、処刑。
*
閏5月
・一橋治済(はるずみ)の長男豊千代、将軍家治の世子となる(のちの11代将軍家斉)。
田沼意次は、前年の家基の急死後、自分のの弟意誠(おきのぶ)が一橋家の家老であった関係で、治済と緊密に連絡しつつことを運んだ。
*
*
尚、モーツアルトの手紙は
海老沢敏『モーツアルトの生涯』
(白水社Uブックス)よりの引用


集団的自衛権・予算委員会傍聴席から:「自民の先人泣いている」(保阪正康)/「情緒に訴えるのは卑劣」(赤坂真理):「何の論理も根拠も必然性も説明できない。あまりにもあやふやな議論で驚きました」

『朝日新聞』2014-05-29



放射能汚染 : 福島第一から長野県長野市まで直線距離で約260㎞。この長野市の山菜・コシアブラから340ベクレル/kg が検出され、県は出荷、摂取しないように注意を呼びかけている。

衆院予算委員会質問の動画です。一つひとつ論を詰め、質問の最後に、「アメリカ戦争のために日本の若者の血を流すーこれが集団的自衛権の正体ではないか」と質しましたが、首相はまともな答弁が出来ませんでした。首相との論戦をぜひご覧ください。 — 志位和夫

昨日から岩手県で白鵬関とロケしてます。三陸鉄道再開の特番です。— BAKATONO(バカ殿)  ← 白鵬さん、機嫌直ったのかな? 溜めないで言っちゃえばいいのに。

オプラ・ウィンフリーが師と仰ぐ黒人女性作家マヤ・アンジェロウが死去 (Masako Iwasaki) / Hate, it has caused a lot of problems in the world, but has not solved one yet. (憎しみ、それは世界中で数々の問題を引き起こしてきたが、問題を解決したことは一度としてない)

YAHOOニュース
オプラ・ウィンフリーが師と仰ぐ黒人女性作家マヤ・アンジェロウが死去
GQ JAPAN 5月29日(木)1時4分配信

1969年上梓の自伝『歌え、翔べない鳥たちよ』で知られる黒人女性作家・詩人のマヤ・アンジェロウが死去した。享年86歳。

大統領就任式での朗読のビデオはこちらから

アンジェロウは1928年にミズーリ州で生まれた。出生時の名前はマルグリット・アン・ジョンソン。当時、黒人差別の根強い南部では、黒人が公共施設を利用することを禁じるジム・クロウ法を制定する州が多く、ミズーリもそんな州の一つだった。隔離された黒人だけの社会で育ったマルグリットは、母親の恋人による性的虐待など、苛酷な少女時代を過ごす。若くして未婚の母となり、コックやダンサーとして働きながら子供を育て、30代にさしかかったときにマヤ・アンジェロウ名義で文筆活動を始める。そして黒人の地位向上を目指す運動に身を投じ、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)らとともに公民権運動の担い手として精力的に活動した。

アンジェロウはその生涯において『歌え、翔べない鳥たちよ』をはじめとした7冊の自叙伝と、3冊のエッセイ、詩集をいくつか出版した。簡潔でわかりやすく、それでいてとても力強い彼女の言葉は、時代を超えて受け継がれている。

1993年にはクリントン大統領(当時)の就任式に出席し、自作の詩「On the Pulse of Morning」を朗読した。文筆家としても人権活動家としても素晴らしい功績を残したアンジェロウは、米国で最も有名な黒人女性作家として知られていた。そして米国で最も有名な司会者であるオプラ・ウィンフリーは、アンジェロウを師と仰いでいたという。

晩年も講演活動を積極的に行い、ウェイク・フォレスト大学でアメリカ史を教えるなどしていたが、86歳という高齢からか入退院を繰り返していた。そして米国時間5月28日、アンジェロウのFacebookページに家族による訃報が書き込まれた。

「マヤ・アンジェロウは朝8時前に、自宅で静かに息を引き取りました。彼女は教師、活動家、アーティスト、そして人間として生きました。彼女は平等と平和のために戦った戦士でした。彼女の家族は、ともに過ごすことができたことを心から感謝しています。そして彼女は、愛に満ちたまなざしで我々を見守っていてくれているでしょう」。

最後に、アンジェロウの言葉を引用したい。

Hate, it has caused a lot of problems in the world, but has not solved one yet. (憎しみ、それは世界中で数々の問題を引き起こしてきたが、問題を解決したことは一度としてない)

ウクライナ紛争、シリア内戦、日韓・日中問題……今、この時にも憎しみをぶつけ合う世界情勢を思うに、この言葉は心に響く。

Masako Iwasaki


NHK
米作家マヤ・アンジェロウさん死去
5月29日 6時00分

アメリカの公民権運動に取り組み、波乱万丈の少女時代をつづった「歌え、翔べない鳥たちよ」がベストセラーとなったことでも知られる黒人の女性作家のマヤ・アンジェロウさんが28日、アメリカの自宅で亡くなりました。
86歳でした。

マヤ・アンジェロウさんは、1928年、中西部ミズーリ州に生まれ、ダンサーや女優を経て30代になってから本格的に文筆活動を開始しました。
7歳の時、母親の恋人から乱暴された過酷な幼少時代から17歳で未婚の母になるまでをつづった自伝、「歌え、翔べない鳥たちよ」は1969年に発表され、ベストセラーとなりました。
一方、キング牧師やマルコムXといった人権活動家との交流も深く、黒人に対する差別撤廃を求めたアメリカの公民権運動にも取り組みました。
アンジェロウさんが紡ぎ出す力強い詩は、その後もアメリカで多くの人に愛され、1993年のクリントン元大統領の就任式ではみずから詩を朗読しました。
今回の訃報をアメリカのメディアは大きく取り上げたほか、オバマ大統領も声明を発表し、みずからの妹の名前がアンジェロウさんにちなんで名付けられたことを紹介したうえで、「彼女の優しいことばや力強い抱擁は、わたしたちに世界のためにできることがあると教えてくれた」と述べ、死を悼みました。















福島みずほ議員の質問に対して安倍晋三は・・・。 明らかに質問の意味がわかってない。(笑) ついに答えられなくなって「安保法制懇に・・」裏から「与党です」と訂正される。 / マジで総理何言ってるかよくわかんなかった。


「民主主義の権利を狭める動きに一歩を譲れば、百歩を譲ことになる。一歩のうちに民主主義を守らなければならない。」 1956年のラジオ「マイクの広場」で、戦中に治安維持法違反で起訴された法政大総長・有沢広巳氏の言葉。(2014年5月25日付しんぶん赤旗10面)

日刊ゲンダイ◆田村厚労相は就任後も…「パソナ接待館」常連だった5閣僚 : 「安倍政権は規制を撤廃して派遣労働者を増やす方針。恩恵を受けるのは派遣業界だ。その業界を所管する厚労省のトップが、派遣会社パソナの“接待”を受けていたというのだ」

横浜大空襲 1945年5月29日午前9時20分ごろから約1時間、米軍のB29爆撃機517機が横浜市の中、南、西、神奈川区を中心に行った無差別爆撃。約43万9千発、約2570トン分の焼夷弾が投下され、現在の市中心部は壊滅的な被害を受けた。県のまとめでは死者3650人、負傷者は1万198人。ただ実態は不明で、死者は8千人以上とも言われている。

YAHOOニュース
横浜大空襲 神奈川区の被害空撮 B29搭乗員遺品から
カナロコ by 神奈川新聞 5月29日(木)7時3分配信

1945年5月29日の横浜大空襲で被害に遭う横浜市神奈川区の様子を撮影した航空写真が見つかった。横浜市内の菓子メーカー三陽物産の山本博士社長(44)が昨夏、米国のオークションサイトで入手した。横浜市史資料室主任調査研究員の羽田博昭さん(56)は「神奈川区の爆撃を空撮したものが発見されるのは初めて」と話している。
旧国鉄東神奈川駅上空の一帯が白煙に覆われている様子が捉えられ、海側には横浜港の瑞穂ふ頭も写っている。B29爆撃機の搭乗員だったキング・マーティン中尉の遺品として出品されていたという。
撮影日時は記されていないが、米軍の作戦計画書にある5カ所の攻撃目標には横浜市役所(中区)、平沼橋(西区)のほかに東神奈川駅が含まれていた。神奈川区は、同駅と東横線反町駅周辺を中心に死傷者約6800人という市内最大規模の人的被害に見舞われたことで知られる。
羽田さんは「市中心部の中区や西区の航空写真は複数あるが、神奈川区でも計画通りに焼夷(しょうい)弾が落とされていたことを証明する一つの証拠。空襲の全体像を知る上でも重要な資料だ」と話す。
写真は市に寄贈され、7月中旬まで市史資料室(同市西区)で展示されている。

◆横浜大空襲 1945年5月29日午前9時20分ごろから約1時間、米軍のB29爆撃機517機が横浜市の中、南、西、神奈川区を中心に行った無差別爆撃。約43万9千発、約2570トン分の焼夷弾が投下され、現在の市中心部は壊滅的な被害を受けた。県のまとめでは死者3650人、負傷者は1万198人。ただ実態は不明で、死者は8千人以上とも言われている。


横浜市
「写真でみる横浜大空襲」web版




東京新聞
9条とわたし<5>横浜大空襲を体験 福田 三郎さん(82) 戦争、勝者も敗者もない

神奈川新聞
横浜大空襲から68年:次世代に悲劇伝える/神奈川
2013.05.30 00:27:19









集団的自衛権のリスク、安倍首相は正面から答えず (TBS)

TBS
集団的自衛権のリスク、安倍首相は正面から答えず

 国会では、参議院の委員会で集団的自衛権をめぐる質疑が行われました。野党側は安倍総理に対し、日本が戦争に参加する可能性や死者が出る危険性などをどう考えるのかといった質問が相次ぎましたが、総理は正面からは答えませんでした。

 「集団的自衛権を行使するということは、武力行使で戦争に参加することは間違いないことを、国民の前で言ってください」(民主党 福山哲郎参院議員)

 民主党の福山議員が、集団的自衛権で海外で武力を行使することは戦争に参加することだと追及したのに対し、安倍総理は・・・

 「随分、エキサイトしておっしゃってますがね。武力行使を目的として戦闘に参加することはない」(安倍晋三総理大臣)

 武力行使を目的に戦闘に参加することはないと、従来の答弁を繰り返しました。その後も集団的自衛権のリスクに関する質問が続きましたが、安倍総理は正面からは答えませんでした。

 「国民にしっかりと率直に、ご自身のいろいろお考えになったことのマイナス面、こういう不安もあったんだという部分は、お話しいただく必要がある」(結いの党 小野次郎幹事長)

 「もしデメリットがあるとするならば、ないようにしていく努力を重ねていく」(安倍晋三総理大臣)

 「お答えいただけないことは極めて残念です」(結いの党 小野次郎幹事長)

 「(米国の)イコールパートナー(対等な相手)となるために集団的自衛権の行使を認める、日本の若者が血を流せ、死ねということを認めるということでよろしいですか」(社民党 福島みずほ前党首)

 「だいぶ論理の飛躍があると思いますが、国民の命や国民の平和な暮らしを守るために何をなすべきか、議論を行っているところです」(安倍晋三総理大臣)

 集団的自衛権のマイナス面について、国民には考える材料が提供されないままです。(29日16:38)




2014年5月28日水曜日

解放感あふれる握手会をご覧下さい....フフ


ポールは日本で“緊急手術”を受けていた!…病名は腸閉塞 (日刊ゲンダイ)

YAHOOニュース
ポールは日本で“緊急手術”を受けていた!…病名は腸閉塞
日刊ゲンダイ 5月27日(火)15時20分配信

 元ビートルズのポール・マッカートニー(71)が都内の病院で緊急手術を受けていたことが日刊ゲンダイの取材で明らかになった。

 ポールは今月15日に日の丸プリントのTシャツ姿で元気に来日。日本では国立競技場や日本武道館など4公演を行う予定だったが、16日のリハーサル後に体調を崩し、全公演の中止を発表。28日の韓国公演も中止になっていた。

 ポールは21日に宿泊先のホテルから病院へ。気になる病状だが、当初はコンサートの主催者側から「ウイルス性炎症」という情報が流れたため、食中毒やノロウイルス、インフルエンザなどの疑いも浮上。また、一部スポーツ紙が手術の可能性にも言及していたため、重病説も飛び交うなど情報が錯綜していた。

「吐き気や嘔吐(おうと)、腹痛などの症状からウイルス性炎症が疑われましたが、診断結果は腸閉塞です。薬で回復するケースもありますが、ポールの場合は手術が最善との判断で、先週末に腹腔鏡下で閉塞の解除手術が行われました。手術は無事に成功。容体が安定するのを見計らい、昨日、チャーター機で日本を離れました」(事情に詳しいレコード会社関係者)

 ロンドンを遠く離れて日本で手術――。これもまたビートルズ史に刻まれる出来事になりそうだ。とにもかくにも無事で何より。ファンは一安心だ。

最終更新:5月27日(火)15時20分日刊ゲンダイ




東京 江戸城(皇居)東御苑 花菖蒲が咲き始めた 2014-05-28

【最新↓6月10日
東京 江戸城(皇居)二の丸庭園 花菖蒲が見頃を迎えた 2014-06-10

東京 江戸城(皇居)東御苑 紫陽花はまだ少ない 花菖蒲は順調に開花中 2014-06-04

東京 江戸城(皇居)二の丸庭園の花菖蒲 2014-06-03 だんだんギャラリーも多くなってきた

今日(5月28日)は晴天、気温は26℃
外はやや涼しい感じ(湿度が低いせいか?)

事務所はエアコン(冷房)試運転

昼休み、江戸城(皇居)二の丸庭園へ
予想外だったけれど、菖蒲田に水が引かれていて、
菖蒲が咲き始めていた。

今日は午後一の準備などあり早めに切り上げたので、
多分、明日また行くつもり。

次の日(5月29日) ↓
東京 江戸城(皇居)二の丸庭園の花菖蒲 まだほんの咲き始め 2014-05-29




▼サツキツツジ(ピークは超えているけれど)



延久4年(1072)12月 後三条天皇(39)譲位。 白河天皇(20、後三条天皇第1皇子の貞仁親王)践祚。後三条の院政はあったのか?(なぜ39歳の若さで譲位したのか?)

江戸城(皇居)東御苑 2014-05-28
*
延久4年(1072)12月8日
・後三条天皇(39)譲位。
白河天皇(20、後三条天皇第1皇子の貞仁親王)践祚。
母は閑院権中納言公成の娘、春宮大夫能信の養女とし入内した茂子。
異母弟の実仁(さねひと)親王(2歳)を皇太弟と定めるが、応徳2年(1085)病没により、翌年11月皇子善仁親王(堀河天皇)を皇太子として即日譲位。自らは白河上皇となる。
譲位後も堀河・鳥羽・崇徳の各天皇が幼少で即位するため、以降43年に渡り政治の実権を握り続ける。
また、院の護衛として「北面の武士」を創設。その一方で仏教に傾倒し、永長元年(1096)出家して法皇となる。

後三条が次子の実仁親王を皇太弟としたことは、白河を中継ぎの傍系とし、実仁を皇統を継承すべき直系としたことを意味する。白河の生母茂子(もし)は公季流公成の娘で頼通の異母弟能信の養女で、実仁の生母は小一条院敦明親王の孫源基子(きし)。
白河の外戚である能長(能信の養子)・実季(公成の子)はともに摂関家の傍系で、白河の直系化は摂関家に取って代わる外戚家を生み出す危険性を孕んでいた。摂関家の交替など想定しない後三条は、そのような危険のない実仁を直系に指名した。

重要なのは、後三条が、今後の皇位継承は自分の意思で行うと表明したこと。
院政は、上皇=院が直系子孫である在位の天皇を後見する立場から最高権力を掌握する政治形態で、それを可能にする根拠は、退位して自由な立場にあることにではなく、皇位継承の主導権を握っているところにある。
後三条は、上皇が次の(そのまた次の)天皇を決めるという新しい皇位継承のあり方を作り出しり、摂関家から皇位継承の主導権を奪い取った。
しかし後三条の院政と彼の皇位継承構想は、延久5年(1073)5月の彼の死によって挫折する。

一方、白河は父後三条の死後も皇位にとどまり続け、実仁に譲位しなかった。
応徳2年(1085)、実仁が15歳で死去すると、翌年、中宮賢子所生の8歳になる長子善仁親王を立太子させ、即日譲位(堀河天皇)したが、堀河即位後も皇太子を定めなかった。それは故実仁親王の同母弟、輔仁親王の皇位継承資格を認めず、皇位継承権は将来生まれるはずの堀河の男子にあるということを、貴族たちにわからせるためであった。

こうして傍系として即位した白河は直系皇統の資格を獲得した。
また師実の養女賢子が生んだ堀河を即位させたたことは、白河と摂関家が協調関係にあったことを示す。

関白:藤原教通、左大臣:藤原師実、内大臣:藤原師通(左近衛大将)。
*
12月21日
・後三条上皇、院庁(いんのうちょう)を開き、その後3回に分けて院司(いんのつかさ)を任命。

■三条上皇と敦明の小一条院
花山天皇のあと、一条、三条、後一条、後朱雀、後冷泉天皇は、三条天皇を除いて、いずれも在位中に没するか、その直前の譲位なので上皇としての活動はない。
三条は冷泉の第二皇子で、母は藤原兼家の娘超子。つまり母は道長の姉(=道長は三条の外叔父)。道長と三条は前代の一条の場合と同じミウチ関係にあったが、最初から反りがあわず、軋轢を増すばかりで、長和5年(1016)、道長は天皇の眼病を理由に敦成親王(=後一条)への譲位をはかった。
後一条は、一条の皇子であったから、三条上皇はミウチから排除され、翌年、失意のうちに没する。
ただし、道長は三条の譲位を迫るにあたって、後一条のあとは再び三条の皇子に皇統を戻すことを約束し、東宮に三条の皇子敦明親王を充てた。
従って、三条上皇が譲位後1年余で没しなければ、敦明の即位もありえたが、父三条の早すぎた死によって、東宮敦明の立場はいっきに悪化し、父の死の3ヶ月後、敦明は東宮を辞退。新東宮には後一条と同じ道長の外孫敦良親王(のちの後朱雀)が立てられる。
東宮を辞退した敦明に対して、「小一粂院」という院号が与えられた(上皇に準ずる待遇)。また、道長の娘の寛子が小一粂院女御となったので、小一条院は道長の婿ということにもなる。
道長は絶妙なバランス感覚で、三条の子孫の政治的命脈を断った。

■尊仁親王(=後三条)の誕生(東宮敦良(=後朱雀)と禎子の間)
小一条院の腹違いの妹に禎子内親王がいた。母は道長の娘の妍子。道長は、三条の中宮とした妍子に男子が誕生することを期待したがその望みは叶わなかった。禎子の誕生は、「不悦の気色甚だ露(あら)は、女を産ましめ給ふによるか」(『小右記』)と道長にとって不本意なもの。
この禎子は、万寿4年(1027)、東宮敦良(のちの後朱雀)の妃となり、長元7年(1034)、尊仁親王(のちの後三条)を生む。
この時の摂関家は道長の嫡子・頼通が継いでいた。
道長はきわめて多産で、多くの娘をもち、それが摂関政治の全盛をもたらした。妍子が三条中宮、彰子が一条中宮、威子が後一条中宮、嬉子が後朱雀女御と、四代にわたる天皇の中宮・女御を輩出し、彰子は後一条と後朱雀を、嬉子は後冷泉を生んだ。
頼通は、父道長のように多産ではなかった。頼通の唯一の娘寛子(小一粂院女御とは別人物)は、後冷泉の皇后に立てられたが、子女を生むことはなかった。
後冷泉にはほかに、後一条の皇女章子内親王が中宮として、頼通の弟教通の娘歓子が女御として入っていた。夭折したとはいえ、永承4年(1049)には歓子が、先に皇子を生む。そのため、同母の兄弟である頼通と教通の間も微妙な関係になった。

■後三条の即位
後朱雀は、第一皇子・東宮親仁(後冷泉)の次には、第二皇子・尊仁を皇位につけるつもりであったらしい。だが、関白頼通は、尊仁の立太子・即位を阻止したかった。
寛徳2年(1045)、天皇は病にかかり、親仁に譲位することになった。このとき、後朱雀の皇后禎子内親王の皇后宮大夫を勤める藤原能信(よしのぶ、頼通の異母弟)が、天皇をせきたてて、尊仁の立太子を実現させた。
能信は、尊仁が東宮になるや東宮大夫となり、その職を20年間もつとめる。能信が治暦元年(1065)没すると、能信の養嗣子能長(兄頬宗の子)が後継の東宮大夫となる。
かつて、小一条院敦明親王が、父の三条上皇没後、孤立無援となり東宮を辞退したのと比較した場合、尊仁親王の場合は庇護者がいた。
まず母禎子内親王、そしてその側近でもあった摂関家傍流の能信。しかも、摂関家当主の頼通は、後冷泉の伯父として外戚ではあったが、外祖父となる足がかりを失っていた。場合によっては弟の教通に外祖父の地位を奪われる可能性もあった。
こうして治暦4年(1068)、兄後冷泉(44歳)のあとをうけて、宇多天皇以来170年ぶりに、藤原氏を外戚としない天皇として尊仁(=後三条天皇)が即位した。
宇多は光孝天皇の第七皇子で、母は桓武天皇の皇子仲野親王の娘班子女王であった。次の醍醐の母は内大臣藤原高藤の娘胤子で、それ以後の天皇の母はすべて藤原氏出身だった。

■後三条の院政はあったのか?(なぜ39歳の若さで譲位したのか?)

①『愚管抄』『神皇正統記』『読史余論』
政務は臣下の摂政・関白が行い、天皇は宮中深くあるかなきかのようにしているという摂関政治のあり方に批判的な後三条は、退位ののちも上皇として政治を行うのがよいと考えた。しかし、退位翌年の急死によってそれが果たせなかった、という見方。
明治以降、黒板勝美・三浦周行などの歴史家もこれを支持。
近代歴史学で重視されたのは、譲位後ただちに院庁が設置され、公卿5人を含む7人の別当、主典代、公文などの院司が任命され、院蔵人所などの組織ももうけられたことなどであった。

②和田英松
譲位の理由を、
①在位中災害異変があいついだ、
②後三条の病気、
③藤原氏の娘が後宮にある貞仁親王(白河天皇)の子孫に天皇を継がせたくなく、異母弟の実仁親王(母は源基子)を東宮の地位につけておくため、という三点に求めた。
院庁は、それ以前の円融上皇の院庁などと本質的違いがなく、上皇としての治政とは直接関係がないとした。

③平泉澄
後三条の譲位は病気を原因とするもので、院政開始の意志や目的などはないとする。
「院政」は天皇制本来のあり方からすると変則的で、後三条のような政治に意欲的な「聖帝」が、そのような誤った政治形態を望むはずはない(あってはならない)。
平泉に代表される皇国史観では、政治はあくまでも天皇中心になされなければならないわけで、その点で摂関政治も院政も堕落した政治形態ということになる。
その二つにはさまれた、束の間の後三条による治世=後三条親政こそまさに「新政」というにふさわしい理想的な政治の姿であった。後三条親政こそ、鎌倉幕府と室町幕府の政治の間にぽっかりと生まれた理想的な後醍醐親政=「建武中興」と共通する性格をもっていると考えられた。

④吉村茂樹
後三条在位中の災害異変が譲位の原因になるほど突出したものでなかったこと、病気も譲位以前にさしたる重病は確認されず、死を早めた糖尿病も没年3月半ば以降(譲位後)であったと主張。
その上で、後三条譲位の目的は、藤原氏出身の茂子を母にもつ皇太子貞仁(白河天皇)即位のあとに、藤原氏ではない源基子が生んだ実仁を東宮とし、白河のあとに即位させる。その計画を確実にするために、早々に譲位して、実仁を東宮にしたのだという。
つまり譲位は王権の拡大という後三条親政の目的の延長線上にあり、摂関政治への回帰を阻止する目的をもっているのであって、院政開始の意図はないとした。
この説は、和田説の三つ目の論点(実仁即位という皇位継承)が目的であるという考え方を一歩進め、院政開始の意図を否定したという面で、『愚管抄』以来の説を否定したととらえられるかもしれない。しかし、摂関政治否定という意図のもとに、白河天皇よりも実仁を選択するということでは、『愚管抄』の記述をもとに主張されている。
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国民安保法制懇の設立 : 立憲主義の破壊に反対するとして、伊藤真氏(法学館)、小林節氏(慶応大名誉教授)、阪田雅裕氏(元内閣法制局長官)、大森政輔氏(元内閣法制局長官)、孫崎享氏(元外交官)、伊勢崎賢治氏(東京外語大教授)が参加。