9月30日、曇のち晴れ
鎌倉、鶴岡八幡宮の彼岸花。
神社東側(向かって右側)側面と源氏池の石碑前。
(石碑前のものは今年初めて気付いた)
ゴメンナサイね、既に英勝寺で圧倒的な彼岸花を堪能しているので、感動薄め。
鎌倉駅では「試運転」と書かれた列車が停車していた。
ググったところ、このところ横須賀線で試運転が繰り返されている215系という車輛とのこと。既に他で運転されていた車輛で、横須賀線では初めてということでの試運転らしい。
今月の総平均歩数10,259歩/日。1月~9月の累計総平均10,459歩/日。
取敢えず目標は達成。
2019年9月30日月曜日
【増補改訂Ⅲ】大正12年(1923)9月3日(その2)「このようにして、毎日、東京で在日朝鮮人ばかりでなく、朝鮮人にまちがえられた日本人、朝鮮人を助けようとしだ日本人までが殺されるという数々の悲劇がつくりだされたのである。現に、私がのちに下宿した蛇窪の農家の主人は、自警団員として、日本人をまちがえて殺してしまった。このことで数か月の刑を受けたのである。彼はその後の生活が自暴自棄となり、家族たちまでがながく不幸を背おわされることになった。」
【増補改訂Ⅲ】大正12年(1923)9月3日(その1)「朝鮮人の来襲の話はデマだということが分かったが、横浜方面から避難してきた朝鮮人は容赦なく自警団の手で殺された。この事変で重傷を負い、あるいは無残にも殺された朝鮮人が続々と品川警察署へ担架で引き取られ、あるいは引張られて行くのを見て、私は悲壮の感に打たれた。.....途中で人が黒山になって騒いでいるのに出あった。何かと見ると、朝鮮人が2人電柱に縛りつけられているのであった。」
から続く
大正12年(1923)9月3日
〈1100の証言;渋谷区〉
田島ひで〔政治家、婦人運動家〕
〔1日夜、代々木初台で〕そのうち「朝鮮人の襲撃がある」「鮮人が放火をしている」「井戸に毒を入れた」などということが伝えられた。男という男は一人残らず、なんでも手もとにある武器を持って家の外に立つようにとのこと、女、子供は家の中で待機すること、というふれである。家の中にはいれば余震におびやかされる、家の外に出れば朝鮮人の襲撃がある、というので人々は戦々兢々として身のおき場のない思いだった。
〔略〕私が留守居を頼まれた家の主人は近衛師団の若い将校だったので、2、3日すると、兵隊が2人、家の番をかねて食糧をもってやってきた。その日のことである。朝鮮人を捕えた群衆が、兵隊がいるというので私たちの家に連れてきた。見ると、1人の男を武器を持った群衆がとりまいている。人々の言うには、その男の身なりが朝鮮人そっくりだというのである。彼は白い立縞の洋服をきて、水筒をかけ、一見、朝鮮人というより中国人を思わせるものがあった。彼は自分が日本人であることを一生懸命弁解しているが、群衆はきこうともしない。双方が興奮している。「交番につれていったがお巡りではよう殺さんので、兵隊がいるこの家に連れてきた、水筒には毒がはいっている」というのである。東京のまん中の出来事として、まことにうそのような事実である。
捕えられた男は、これから田舎にゆくところで、自分は日本人であること、水筒に毒などはいっていない、といって、私たちの目の前で水筒の水をのんでみせた。しかし、彼の言葉はデマゴキーにたけりたった群衆の耳にはいりそうもない。いろいろな武器を手にした自警団員という群衆は、殺気だっている。私は、ともかく兵隊と話し、まずなによりこの人の言う、家族に知らせねばならないということになった。さいわい、この騒ぎをききつけて家族の人がとび込んできた。
〔略〕このようにして、毎日、東京で在日朝鮮人ばかりでなく、朝鮮人にまちがえられた日本人、朝鮮人を助けようとしだ日本人までが殺されるという数々の悲劇がつくりだされたのである。現に、私がのちに下宿した蛇窪の農家の主人は、自警団員として、日本人をまちがえて殺してしまった。このことで数か月の刑を受けたのである。彼はその後の生活が自暴自棄となり、家族たちまでがながく不幸を背おわされることになった。このときの朝鮮人の犠牲者は3千人とも6千人ともいわれた。夕方、代々木の原を1人の男が死にもの狂いで逃げてゆく、その後から、わぁ-つ!と叫んで武器を手に追いかけてゆく群衆、それを見ている人々が、朝鮮人だ、朝鮮人だと、憎しみをこめて騒ぎたてているのを、私はこの目で見た。
〔略〕このころは新宿あたりでも井戸水を使用している家が多かった。友人の家を訪ねると、その家の井戸に白ぼくでしるしがつけられており、人々が集まって「このしるしの井戸には朝鮮人が毒を入れた」といって騒いでいた。
(田島ひで『ひとすじの道 - 婦人解放のたたかい五十年』ほるぷ総連合、1980年)
田山花袋〔作家〕
そこには自動車が行く、荷馬車が行く、鈴生の電車が行く、大きな包みを持った避難者が行く、巡査が行く、兵士が行く、キラキラと日に光る銃剣が行く、かと思うと、余程抵抗したと想像される同志の男が、血にまみれたまま3人も4人も数珠つなぎになって引張られて行く - 四谷見付のところにほんのわずか立っていた間にすら私は眼も眩めくような動揺を総身に感じた。
〔略。3日、代々木に帰宅すると妻が〕「どうしたも、こうしたもありやしませんよ。物騒で、物騒で、何をやるかわかりやしないんですもの。外だッて滅多に通れないッていうじゃありませんか?〔略〕何でもいろいろな噂がありますよ。そういうものが100人も堀の内にいて、それが此方にやって来るっていう話ですよ。」
〔略〕1日の夜よりも2日の夜が騒がしく、2日の夜よりも更に3日の夜の騒がしかったことを私は思起した。3日の夜は、いかにのんきな私でも、家の中に入って寝てしまうことが出来なかった。私達は得体のわからぬ人達からいろいろの警告を受けた。ある人は裏から入って来て、「今、大きな揺り返しが来ますから、皆な外へ出ていて下さい」と言った。またあるものは、「私は町の自警団ですが、市ヶ谷の監獄を開いて罪人を釈放したそうですから、皆さんてんでにお気をつけ下さい」 こう表口から怒鳴って行った。いろんなことが刻々に私達を圧迫して来た。益々私達は不安になって行った。
〔略〕もう日がくれかけて、人の顔もはっきりとは見えない頃であったが、俄かに裏の方でけたたましい声がして、「・・・人?叩き殺せ?」とか何とか言って、バラバラ大勢が迫かけて行くような気勢を耳にした。慌てて私も出て行って見たが、丁度その時向うの角でその・:・・人を捉えたとかで、顔から頭から血のだらだら滴っている真蒼な顔をした若い1人の男を皆なして興奮してつれて行くのにぴったり出会した。私はいやな気がした。いずれあの若い男は殺されるだろうと思った。気の毒だとも思った。
(田山花袋『東京震災記』博文館、1924年)
平野忠雄〔日本橋小舟町3丁目で被災〕
3日朝、飯田橋より九段、三番町、三宅坂、赤坂見附、飯倉、一ノ橋、天現寺橋と歩いて広尾にさしかかっだとき、大通り前方から数千の人がこちらへ向かって歩いてくる。聞けば、朝鮮人2千人くらいが日本人を殺しながら押し寄せて来、途中、井戸に毒を投入しているという。私たち親子は先頭となって逃げ、久邇宮邸へなだれ込んだ。
(品川区環境開発部防災課『大地震に生きる - 関東大震災体験記録集』品川区、1978年)"
堀直輔「日銀職員関東大震災日記」
〔2日、幡ヶ谷で〕夕方、浜を外界の状況を見聞きさせるため外出させると、鮮人が石油缶を持って数名各所に放火して回っている、警官が抜剣して数名幡ヶ谷の通りを代田橋の方向へ駈け過ぎた、などということを聞いてきた。後ろの広場に避難の用意をする。15歳以上の男は集れというので集合。鮮人防御警備をするという。それから部隊を作って徹夜任務につく。何もなさそうなので大抵は家に戻る。
〔略。3日〕今晩は軍隊と消防隊とにまかせ、吾等の夜警は一時見合わす。ただし銘々で気をつけ、もし事あるときはお互いに叩き起こすこととした。と、12時になって桶だか何だかを叩き起きろ起きろと、どなり散らしているので皆驚き起きた。銘々手に手に武器をもって警戒することにした。時々ワイワイと走り騒いでいたが、それもしばらくするとおさまって、隣の工藤氏と相談、寝ることにした。ところが又も起こされ、笹塚の方から自動車に人が一杯乗ってあたかも何かを追跡しているような風で、何が何だか一向様子がわからぬ。馬鹿馬鹿しくなって僕も寝た。
(青木正美『古本屋控え帳(303)・大震災と書斎書庫(3)」『日本古書通信』2011年9月号、日本古書通信社)
和辻哲郎〔哲学者、千駄ヶ谷で被災〕
〔2日〕不安な日の夕ぐれ近く、鮮人放火の流言が伝わって来た。我々はその真偽を確かめようとするよりも、いきなりそれに対する抵抗の衝動を感じた。これまでは抵抗し難い天災のカに慄え戦いていたのであったが、この時に突如としてその心の態度が消極的から積極的へ移ったのである。自分は洋服に着換え靴をはいて身を堅めた。米と芋と子供のための菓子とを持ち出して、火事の時にはこれだけを持って明治神宮へ逃げろといいつけた。日がくれると急製の天幕のなかへ女子供を入れて、その外に木刀を持って張番をした。
〔略〕夜中何者かを追いかける叫声が所々方々で聞えた。思うにそれは天災で萎縮していた心が反発し抵抗する叫び声であった。
〔略。3日〕自分の胸を最も激しく、また執拗に煮え遅らせたのは同胞の不幸を目ざす放火者の噂であった。
自分は放火の流言に対してそれがあり得ないこととは思わなかった。ただ破壊だけを目ざす頽廃的な過激主義者が、木造の都市に対してその種の陰謀を企てるということは、極めて想像し易いからである。が今にして思うと、この流言の勢力は震災前の心理と全然反対の心理に基いていた。震災前には、大地震と大火の可能を知りながら、ただ可能であるだけでは信じさせるカがなかった。震災後にはそれがいかに突飛なことでも、ただ可能でありさえすれば人を信じさせた。〔略〕そのように放火の流言も、人々はその真相を突きとめないで、ただ可能であるが故に、またそれによって残存せる東京を焼き払うことが可能である故に、信じたのである。(自分は放火爆弾や石油揮発油等の所持者が捕えられた話をいくつかきいた。そうして最初はそれを信じた。しかしそれについてまだ責任ある証言を聞かない。放火の例については例えば松坂屋の爆弾放火が伝えられているが、しかし他方からはまた松坂屋の重役の話としてあの出火が酸素の爆発であったという噂もきいている。自分は今度の事件を明かにするために、責任ある立場から現行犯の事実を公表してほしいと思う。)
いずれにしても我々は、大震、大火に引きつづいて放火の流言を信じた。
(「地異印象記」『思想』1923年10月号、岩波書店)
つづく
から続く
大正12年(1923)9月3日
〈1100の証言;渋谷区〉
田島ひで〔政治家、婦人運動家〕
〔1日夜、代々木初台で〕そのうち「朝鮮人の襲撃がある」「鮮人が放火をしている」「井戸に毒を入れた」などということが伝えられた。男という男は一人残らず、なんでも手もとにある武器を持って家の外に立つようにとのこと、女、子供は家の中で待機すること、というふれである。家の中にはいれば余震におびやかされる、家の外に出れば朝鮮人の襲撃がある、というので人々は戦々兢々として身のおき場のない思いだった。
〔略〕私が留守居を頼まれた家の主人は近衛師団の若い将校だったので、2、3日すると、兵隊が2人、家の番をかねて食糧をもってやってきた。その日のことである。朝鮮人を捕えた群衆が、兵隊がいるというので私たちの家に連れてきた。見ると、1人の男を武器を持った群衆がとりまいている。人々の言うには、その男の身なりが朝鮮人そっくりだというのである。彼は白い立縞の洋服をきて、水筒をかけ、一見、朝鮮人というより中国人を思わせるものがあった。彼は自分が日本人であることを一生懸命弁解しているが、群衆はきこうともしない。双方が興奮している。「交番につれていったがお巡りではよう殺さんので、兵隊がいるこの家に連れてきた、水筒には毒がはいっている」というのである。東京のまん中の出来事として、まことにうそのような事実である。
捕えられた男は、これから田舎にゆくところで、自分は日本人であること、水筒に毒などはいっていない、といって、私たちの目の前で水筒の水をのんでみせた。しかし、彼の言葉はデマゴキーにたけりたった群衆の耳にはいりそうもない。いろいろな武器を手にした自警団員という群衆は、殺気だっている。私は、ともかく兵隊と話し、まずなによりこの人の言う、家族に知らせねばならないということになった。さいわい、この騒ぎをききつけて家族の人がとび込んできた。
〔略〕このようにして、毎日、東京で在日朝鮮人ばかりでなく、朝鮮人にまちがえられた日本人、朝鮮人を助けようとしだ日本人までが殺されるという数々の悲劇がつくりだされたのである。現に、私がのちに下宿した蛇窪の農家の主人は、自警団員として、日本人をまちがえて殺してしまった。このことで数か月の刑を受けたのである。彼はその後の生活が自暴自棄となり、家族たちまでがながく不幸を背おわされることになった。このときの朝鮮人の犠牲者は3千人とも6千人ともいわれた。夕方、代々木の原を1人の男が死にもの狂いで逃げてゆく、その後から、わぁ-つ!と叫んで武器を手に追いかけてゆく群衆、それを見ている人々が、朝鮮人だ、朝鮮人だと、憎しみをこめて騒ぎたてているのを、私はこの目で見た。
〔略〕このころは新宿あたりでも井戸水を使用している家が多かった。友人の家を訪ねると、その家の井戸に白ぼくでしるしがつけられており、人々が集まって「このしるしの井戸には朝鮮人が毒を入れた」といって騒いでいた。
(田島ひで『ひとすじの道 - 婦人解放のたたかい五十年』ほるぷ総連合、1980年)
田山花袋〔作家〕
そこには自動車が行く、荷馬車が行く、鈴生の電車が行く、大きな包みを持った避難者が行く、巡査が行く、兵士が行く、キラキラと日に光る銃剣が行く、かと思うと、余程抵抗したと想像される同志の男が、血にまみれたまま3人も4人も数珠つなぎになって引張られて行く - 四谷見付のところにほんのわずか立っていた間にすら私は眼も眩めくような動揺を総身に感じた。
〔略。3日、代々木に帰宅すると妻が〕「どうしたも、こうしたもありやしませんよ。物騒で、物騒で、何をやるかわかりやしないんですもの。外だッて滅多に通れないッていうじゃありませんか?〔略〕何でもいろいろな噂がありますよ。そういうものが100人も堀の内にいて、それが此方にやって来るっていう話ですよ。」
〔略〕1日の夜よりも2日の夜が騒がしく、2日の夜よりも更に3日の夜の騒がしかったことを私は思起した。3日の夜は、いかにのんきな私でも、家の中に入って寝てしまうことが出来なかった。私達は得体のわからぬ人達からいろいろの警告を受けた。ある人は裏から入って来て、「今、大きな揺り返しが来ますから、皆な外へ出ていて下さい」と言った。またあるものは、「私は町の自警団ですが、市ヶ谷の監獄を開いて罪人を釈放したそうですから、皆さんてんでにお気をつけ下さい」 こう表口から怒鳴って行った。いろんなことが刻々に私達を圧迫して来た。益々私達は不安になって行った。
〔略〕もう日がくれかけて、人の顔もはっきりとは見えない頃であったが、俄かに裏の方でけたたましい声がして、「・・・人?叩き殺せ?」とか何とか言って、バラバラ大勢が迫かけて行くような気勢を耳にした。慌てて私も出て行って見たが、丁度その時向うの角でその・:・・人を捉えたとかで、顔から頭から血のだらだら滴っている真蒼な顔をした若い1人の男を皆なして興奮してつれて行くのにぴったり出会した。私はいやな気がした。いずれあの若い男は殺されるだろうと思った。気の毒だとも思った。
(田山花袋『東京震災記』博文館、1924年)
平野忠雄〔日本橋小舟町3丁目で被災〕
3日朝、飯田橋より九段、三番町、三宅坂、赤坂見附、飯倉、一ノ橋、天現寺橋と歩いて広尾にさしかかっだとき、大通り前方から数千の人がこちらへ向かって歩いてくる。聞けば、朝鮮人2千人くらいが日本人を殺しながら押し寄せて来、途中、井戸に毒を投入しているという。私たち親子は先頭となって逃げ、久邇宮邸へなだれ込んだ。
(品川区環境開発部防災課『大地震に生きる - 関東大震災体験記録集』品川区、1978年)"
堀直輔「日銀職員関東大震災日記」
〔2日、幡ヶ谷で〕夕方、浜を外界の状況を見聞きさせるため外出させると、鮮人が石油缶を持って数名各所に放火して回っている、警官が抜剣して数名幡ヶ谷の通りを代田橋の方向へ駈け過ぎた、などということを聞いてきた。後ろの広場に避難の用意をする。15歳以上の男は集れというので集合。鮮人防御警備をするという。それから部隊を作って徹夜任務につく。何もなさそうなので大抵は家に戻る。
〔略。3日〕今晩は軍隊と消防隊とにまかせ、吾等の夜警は一時見合わす。ただし銘々で気をつけ、もし事あるときはお互いに叩き起こすこととした。と、12時になって桶だか何だかを叩き起きろ起きろと、どなり散らしているので皆驚き起きた。銘々手に手に武器をもって警戒することにした。時々ワイワイと走り騒いでいたが、それもしばらくするとおさまって、隣の工藤氏と相談、寝ることにした。ところが又も起こされ、笹塚の方から自動車に人が一杯乗ってあたかも何かを追跡しているような風で、何が何だか一向様子がわからぬ。馬鹿馬鹿しくなって僕も寝た。
(青木正美『古本屋控え帳(303)・大震災と書斎書庫(3)」『日本古書通信』2011年9月号、日本古書通信社)
和辻哲郎〔哲学者、千駄ヶ谷で被災〕
〔2日〕不安な日の夕ぐれ近く、鮮人放火の流言が伝わって来た。我々はその真偽を確かめようとするよりも、いきなりそれに対する抵抗の衝動を感じた。これまでは抵抗し難い天災のカに慄え戦いていたのであったが、この時に突如としてその心の態度が消極的から積極的へ移ったのである。自分は洋服に着換え靴をはいて身を堅めた。米と芋と子供のための菓子とを持ち出して、火事の時にはこれだけを持って明治神宮へ逃げろといいつけた。日がくれると急製の天幕のなかへ女子供を入れて、その外に木刀を持って張番をした。
〔略〕夜中何者かを追いかける叫声が所々方々で聞えた。思うにそれは天災で萎縮していた心が反発し抵抗する叫び声であった。
〔略。3日〕自分の胸を最も激しく、また執拗に煮え遅らせたのは同胞の不幸を目ざす放火者の噂であった。
自分は放火の流言に対してそれがあり得ないこととは思わなかった。ただ破壊だけを目ざす頽廃的な過激主義者が、木造の都市に対してその種の陰謀を企てるということは、極めて想像し易いからである。が今にして思うと、この流言の勢力は震災前の心理と全然反対の心理に基いていた。震災前には、大地震と大火の可能を知りながら、ただ可能であるだけでは信じさせるカがなかった。震災後にはそれがいかに突飛なことでも、ただ可能でありさえすれば人を信じさせた。〔略〕そのように放火の流言も、人々はその真相を突きとめないで、ただ可能であるが故に、またそれによって残存せる東京を焼き払うことが可能である故に、信じたのである。(自分は放火爆弾や石油揮発油等の所持者が捕えられた話をいくつかきいた。そうして最初はそれを信じた。しかしそれについてまだ責任ある証言を聞かない。放火の例については例えば松坂屋の爆弾放火が伝えられているが、しかし他方からはまた松坂屋の重役の話としてあの出火が酸素の爆発であったという噂もきいている。自分は今度の事件を明かにするために、責任ある立場から現行犯の事実を公表してほしいと思う。)
いずれにしても我々は、大震、大火に引きつづいて放火の流言を信じた。
(「地異印象記」『思想』1923年10月号、岩波書店)
つづく
63回もの改正を重ねてきたドイツ基本法 ですが、その中には絶対に改正できない条項があります。第1条「人間の尊厳、基本権による国家権力の拘束」、そして第20条「国家秩序の基礎、抵抗権」は改正できないと永久条項(第79条第3項)に定めらています。— ドイツ大使館 / ドイツは60回も憲法改正してるから日本も…が詭弁である理由 (憲法道程)
63回もの改正を重ねてきた #ドイツ基本法 ですが、その中には絶対に改正できない条項があります。第1条「人間の尊厳、基本権による国家権力の拘束」、そして第20条「国家秩序の基礎、抵抗権」は改正できないと#永久条項 (第79条第3項)に定めらています。#基本法トリビア #70JahreGrundgesetz pic.twitter.com/IefmhTsGTo— ドイツ大使館 (@GermanyinJapan) May 21, 2019
基本法第1条と第20条に抵触する改正はできない→これは具体的には、基本的人権の尊重、民主的な社会的連邦国家であること(共和制、連邦制、民主主義)、国民主権、法の支配、権力の分立などです。#基本法トリビア #70JahreGG— ドイツ大使館 (@GermanyinJapan) May 21, 2019
そもそもなぜ憲法ではなく #基本法 という名前なのか。これは1949年の制定時、連合国占領下で東西分断中の西ドイツの憲法を制定すると東西の分断を深めかねないと危惧したため。来るべき再統一を見据え、あくまでも暫定的な憲法である、という意図が「基本法」という名に込められています。— ドイツ大使館 (@GermanyinJapan) May 22, 2019
1990年にドイツが再統一した際には新たに憲法は作られませんでした。これは煩雑な統一プロセスを早めるためでもあり、東ドイツが西ドイツに吸収される形でドイツが統一したため、適切に調整された西ドイツの基本法がそのまま適用されることとなり、現在でも事実上の憲法は「基本法」と呼ばれています。— ドイツ大使館 (@GermanyinJapan) May 22, 2019
基本法制定から今日で70年。1949年制定時に男女平等を盛り込むことができたのは、制定評議会のメンバーだった4名の女性の努力の賜物です(男性61名)。この時の「男性と女性は同権である」という一文は当時の現実を映し出したものではなく、政治的に目指すべきものとして、第3条2項に定められました。 pic.twitter.com/CiktSzeMEn— ドイツ大使館 (@GermanyinJapan) May 23, 2019
1994年の改正時、ここに「国は女性と男性の同権が現実に達成されることを促進し、現存する不利益の除去を目指す。」という一文が加えられ、これが国による女性の地位向上政策の法的な根拠となりました。#基本法トリビア #70JahreGG— ドイツ大使館 (@GermanyinJapan) May 23, 2019
動物保護に力を入れていることでも知られるドイツ。実は #基本法(憲法)にも「動物保護」の規定があるんです。長い議論の末、2002年に「国家は、将来の世代に対する責任において(中略)自然的な生活基盤『と動物を』を保護する」と保護対象に動物が加わりました 🐱🐭🐼🐶🐰🐻🦁🐵🐷🐔🐹🦍🦌🦒🐴🦎🐏 pic.twitter.com/XWTQwJLCAY— ドイツ大使館 (@GermanyinJapan) May 24, 2019
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ドイツは60回も憲法改正してるから日本も…が詭弁である理由 (憲法道程)https://t.co/xlUGNRgr6R— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) September 30, 2019
2019年9月29日日曜日
こんな夜更けにミスドかよ 2019-09-28
9月28日(昨日)
昔の会社の同期会があった。
以前ならば宴会後も元気元気、二次会行こうなんてなってたはずなんだけど、昨日はなんとミスドへ。
古稀4人、こんな夜更けにミスドかよ。
会場は戸塚だったので、東戸塚の自宅から歩いた。
7千歩弱と少なく、意外だった。
ちなみに今年はワタクシが同期会幹事を務めた。
9月29日
確か、予報は曇り/雨のはずだったんだけど、朝のうちはなるほど曇りがちだったけど、昼前から午後にかけてはすっかり晴れてきた。
午後、予定外に自宅周辺を散歩した。
秋の空の変化は見ていて飽きない。
今月も1万歩/日は達成できそうだ。
昔の会社の同期会があった。
以前ならば宴会後も元気元気、二次会行こうなんてなってたはずなんだけど、昨日はなんとミスドへ。
古稀4人、こんな夜更けにミスドかよ。
会場は戸塚だったので、東戸塚の自宅から歩いた。
7千歩弱と少なく、意外だった。
ちなみに今年はワタクシが同期会幹事を務めた。
9月29日
確か、予報は曇り/雨のはずだったんだけど、朝のうちはなるほど曇りがちだったけど、昼前から午後にかけてはすっかり晴れてきた。
午後、予定外に自宅周辺を散歩した。
秋の空の変化は見ていて飽きない。
今月も1万歩/日は達成できそうだ。
「優秀なインド人が日本から流出している」江戸川区議に初当選したよぎさんが語る在日インド人のリアル ;「いま、日本人から人気を集めている、インド系スクールに通う子どもたちは卒業後どこを目指すと思いますか?彼らは非常に優秀ですが、みんなインドや欧米の大学に進学しています。せっかく日本に来たのに。こうして、もうすでに日本から優秀な頭脳の逆流出が発生しています」
— ガイチ (@gaitifuji) September 26, 2019
一方、よぎさんは「優秀なインド人の日本離れが進んでいます」と危機感を抱いているといいます。
「インド人が、『日本で働いて仕送りを送り、老後は母国に帰る』という時代ではなくなってきました。
うちの息子は日本の学校に通わせたのですが、中学の時に先生からいじめを受けました。私は彼をイギリスの学校に転入させて、彼は今もイギリスに住んでいます。
また、いま、日本人から人気を集めている、インド系スクールに通う子どもたちは卒業後どこを目指すと思いますか?彼らは非常に優秀ですが、みんなインドや欧米の大学に進学しています。せっかく日本に来たのに。こうして、もうすでに日本から優秀な頭脳の逆流出が発生しています」。
海外勢の日本株投資、アベノミクスを「売り越し」: 日本経済新聞 ; 「日銀が主に相場下落時に買い入れる日本株の上場投資信託(ETF)の累計購入額は26兆円規模に膨らんだ。ピーク時の外国人買い24兆円が丸ごと置き換わった構図だ」
海外勢の日本株投資、アベノミクスを「売り越し」: 日本経済新聞 https://t.co/pnq0QghIGt— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) September 28, 2019
(略)
注目するのは海外投資家による日本株の累積の売買代金だ。日本株の「買い」と「売り」を相殺したネットの「買い越し」「売り越し」の動向を見てみると、アベノミクス相場下で一貫して買い越しだった海外勢の投資スタンスが最近売り越しに転じたことがわかる。
(略)
アベノミクス相場の起点を12年11月第3週とし、週間データを積み上げると海外勢の日本株の買越額は15年5月に24兆円超まで膨らんだ。それが19年8月第2週に初めて「売り超」となり、8月末では約800億円の売り越しだった。
(略)
海外勢のアベノミクスへの評価が剥落する一方、代わってメーンプレーヤーとしての存在感が増しているのが日銀だ。
日銀が主に相場下落時に買い入れる日本株の上場投資信託(ETF)の累計購入額は26兆円規模に膨らんだ。ピーク時の外国人買い24兆円が丸ごと置き換わった構図だ。
いつか日銀が「売り越し」に転じる時、誰が代わって日本株の買い手となるか――。アベノミクスの帰結はまだみえない。
「ヤベェ本を買ったぞ…」地元にひっそり置かれていた本を紹介、バズる→出版社の電話が鳴り止まない!重版決定!→著者がお礼のためにTwitter始めました - Togetter / 八條忠基『有職故実大全』(平凡社)
「ヤベェ本を買ったぞ…」地元にひっそり置かれていた本を紹介、バズる→出版社の電話が鳴り止まない!重版決定!→著者がお礼のためにTwitter始めました - Togetter https://t.co/iKs3E6F5dj @togetter_jpより— Noriko Osumi (@sendaitribune) September 28, 2019
平凡社、この勢いに新聞広告まで出して下さいました。本日(2019/09/28)の朝日新聞です。 pic.twitter.com/WAXJ7Eo5iP— 八條忠基 (@EeoduLzbYVjTprk) September 27, 2019
韓国 ; (10/5) 韓国MBCニュースは今日「検察改革」を要求するソウル市にある大検察庁前でのロウソク集会の映像を撮ろうと50mクレーンを設置、300万人が参加と発表。四方へ、いくつもの駅にまたがる範囲に人が溢れた。昨日は大邱テグでも、きは釜山プサンでも大規模なロウソク集会があった。 / (9/28) 「検察改革」「チョ・グク守護」瑞草洞ろうそく集会…主催側「200万人参加」 ; 週末(28日)の文在寅支持集会。日本のテレビはこういうことは伝えないんだろうな。— 中沢けい / 日経、出ました → 韓国法相支持で大規模集会 検察改革を要求(日経新聞) / 韓国法相支持で大規模集会 検察改革要求、通り埋める(共同);「チョ氏に対し家族の疑惑を理由に辞任を求める保守派もデモを開いたが小規模にとどまった」
韓国MBCニュースは今日「検察改革」を要求するソウル市にある大検察庁前でのロウソク集会の映像を撮ろうと50mクレーンを設置、300万人が参加と発表。四方へ、いくつもの駅にまたがる範囲に人が溢れた。昨日は大邱テグでも、きは釜山プサンでも大規模なロウソク集会があった。 https://t.co/bYmKFgdVXD— ヤン ヨンヒ 양영희 (@yangyonghi) October 5, 2019
韓国MBCニュースが紹介した、今日10/5(土)の「検察改革!」要求ロウソク集会参加者による「波」。 https://t.co/A8d9krcCIo— ヤン ヨンヒ 양영희 (@yangyonghi) October 5, 2019
— ヤン ヨンヒ 양영희 (@yangyonghi) October 5, 2019
本日(2019年10月5日)、ソウルで開かれた「検察改革」デモの映像。— Mr.Japaneses Studies Ph.D.【2019 Goal=write a book】 (@cityknight2000) October 5, 2019
今まで色んな集会を見てきたけど、これほど多い人数を見るのは初めて。3日開かれた野党デモに即発されて人がもっと増えた様子。 pic.twitter.com/enpJ4clwaO
さっき行われてた瑞草での「曺国守護・検察改革」 の集会。集会が行われた十字路から伸びる4本の道路の中の1本。この方向は駅から駅への一区間分の大通りが人で埋め尽くされている。他の三方向もこの方向ほど長くはないけど似たような光景。 pic.twitter.com/s0I5LkPepD
— 猫bot (@bakenekodotcom) October 5, 2019
ロウソク集会解散後😵‼️も「検察改革!」「チョグク守ろう!」と声を上げながら帰路につく市民。 https://t.co/fy6ZjyqSSG— ヤン ヨンヒ 양영희 (@yangyonghi) October 5, 2019
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あら100万人だとおもっていたら、ハンギョレ新聞は200万人と書いていた。週末の文在寅支持集会。日本のテレビはこういうことは伝えないんだろうな。https://t.co/W16X4wnWno— 中沢けい (@kei_nakazawa) September 29, 2019
検察改革求める集会 主催側「150万人参加」=韓国 https://t.co/c6jaEYbphd— yonhapnews (@yonhapjp) September 29, 2019
韓国では文在寅が法相に指名した曺国(チョ・グク)に対し、大反発が起きているように報道するメディアが多かった。しかし、日経新聞ですら、曺国支持の大規模集会が発生していると報道している。検察に対する反感も韓国では強いのだ。日本の検察の国策捜査にデモは起きない。https://t.co/Fo851yRn0h— Holmes#世論の理性 (@Holms6) September 29, 2019
韓国法相支持で大規模集会 検察改革要求、通り埋める https://t.co/F1itVSzvID— hacchan (@hacchan13494634) September 29, 2019
これ何? みんなおそろいのプラカードを持って参加。官製デモに喜々として参加する国民、とても民主主義の国とは思えないが----
韓国って凄いと思うのが、こゆ集会があると必ず市民達が自腹で必要なモノを寄付する。医者はボランティアしたり、LEDロウソクを寄付したり、見知らぬ人にクッキーを千個近く焼いて配ったりして、自分達の出来る事をする。写真もある市民が座る時に使うスポンジ座布団を千個も寄付して配った。 https://t.co/cI2Q6R67iF— airi (@kannon___) September 28, 2019
一昨日9/28(土)、ソウル市内に用があったので、その前にソチョ駅から歩き検察庁前まで行ってみた。9/21(土)に3万人で始まった「検察改革」を求める市民のロウソク集会、先週9/28は10万人目標だとSNSで呼びかけていて果たしてどうかな?と思いつつ見に行った。集会開始の6時前で既にこんな感じ‼️😳😵 pic.twitter.com/6kVqdHK1Ir— ヤン ヨンヒ 양영희 (@yangyonghi) September 30, 2019
私の知人は、チョグク法相任命には批判的ながら、このデモには行きたかったとのこと(仕事で行けず)。彼女は40代後半で学生運動の経験者。チョグク氏の不正疑惑は解明されるべきだが、検察改革は諦められない…韓国の中高年の気持ちは揺れている気がします RT (徐台教) - https://t.co/fFxyOnnchx— 武田 肇 / Hajimu Takeda (@hajimaru2) September 30, 2019
韓国のどうでもいいスキャンダルは何日も延々と微に入り細に入り報道するくせに、日本に飛び火されたら困るとでも思っているのか、このソウルの「検察改革デモ」をどこのメディアも取り上げない。報道機関、報道陣の看板下げたら? https://t.co/AEW9x7ONRr— PassyKis (@passykis) October 1, 2019
2019年9月27日金曜日
横浜散歩 アメリカ山~港の見える丘公園~山下公園~日本大通り 2019-09-27
9月27日、はれ
久しぶりに横浜、港の見える丘公園へ。
アメリカ山~港の見える丘公園~山下公園~日本大通り
(フランス山は先の台風15号による倒木処理のため立ち入り禁止になっていた)
そろそろバラが.....と期待していたが、まだまだだった。
写真的にはコスモスが主流だったかな。
今日の歩数は1万3千歩。昨日も同じく1万3千歩だった。
久しぶりに横浜、港の見える丘公園へ。
アメリカ山~港の見える丘公園~山下公園~日本大通り
(フランス山は先の台風15号による倒木処理のため立ち入り禁止になっていた)
そろそろバラが.....と期待していたが、まだまだだった。
写真的にはコスモスが主流だったかな。
今日の歩数は1万3千歩。昨日も同じく1万3千歩だった。
関電報告書の詳細判明 1億円超受領でも厳重注意のみ;受領額が最も多かったのは鈴木聡常務執行役員で約1・2億円。現金で約7800万円、3・5万米ドル、金500グラム、スーツ14着など。豊松秀己元副社長も約1・1億円を受け取り、内訳は現金約4100万円、商品券2300万円、7万米ドル、金杯1セットなど / 「一時保管していた」(←ケイサツいらない) / 関電、20人が3.2億円受領 岩根社長は辞任否定(日経) / 〈岩根社長は、今年6月に大手電力10社でつくる電気事業連合会の会長に就任したばかり。八木会長も、11年4月から16年6月まで電事連会長を務めた。八木会長は27日朝、自身の金品の受け取りについて報道陣に問われ、「個人的なことについては一切答えない」とだけ答えた〉 / 「お世話になっている」政治家にも億単位でカネが流れたと考えるのが自然
#NHK#関西電力 記者会見#原発マネー#報道特集 金平氏「今までの記者会見の内容を聞くと、高浜町に特異な森山という人物がいた、関西電力が被害者のように聞こえるのですが?— rima (@rima_risamama) October 2, 2019
関西電力の内部から岩根社長のところに声は届いてなかったのか?」
oO(告発文書https://t.co/n8UP3G8eko pic.twitter.com/3Z61cBavaV
#NHK#関西電力 岩根社長「全容については知りません。森山さんという名前を聞いたことがあるが…」#報道特集 金平「金沢国税局の税務調査以前に全く知らなかったということか?」— rima (@rima_risamama) October 2, 2019
岩根「就任のお祝いに森山さんには一度会っている。お菓子の下に金塊があって非常にびっくりした」⬅︎わざとらしいw pic.twitter.com/8AQONWxOYx
受領額が最も多かったのは鈴木聡常務執行役員で約1・2億円。現金で約7800万円、3・5万米ドル、金500グラム、スーツ14着など。豊松秀己元副社長も約1・1億円を受け取り、内訳は現金約4100万円、商品券2300万円、7万米ドル、金杯1セットなど。 https://t.co/dgevKLZnew— 朝日新聞官邸クラブ (@asahi_kantei) October 2, 2019
「金の延べ棒や小判…」リアル越後屋を令和の今見れるとは…。— 米山 隆一 (@RyuichiYoneyama) October 1, 2019
因みに関電は元々のお金の出し手でお殿様、助役は業者代表で越後屋なのですが、このお話には両者を橋渡しする「悪代官」がまだ出てきていません。ほぼ間違いなく悪代官がいたと思われますが…。https://t.co/KSOWPE6i9G
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https://t.co/RWqYy1Ul8V「うちが知らんふりを決め込むと、マスコミなどに告発文書が撒かれはじめた。一気に情報が広まってもうちはなんの対応もしない。さらに傷口が大きくなり、マスコミ報道が先行。緊急記者会見で詫びる大スキャンダルに発展してしまった」(前述の関西電力社員)— 本田由紀 (@hahaguma) September 29, 2019
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▼こういうこともあった
元関電副社長「歴代総理らに年間数億円を献金」 https://t.co/Ds9ooopPji— Kayou Ogino@投票してください (@kumatsuzura) September 29, 2019
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「死人に口なし」すべて元助役におっかぶせる気だわ。 https://t.co/bXfsIuDsAZ— こたつぬこ (@sangituyama) September 28, 2019
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#報道特集— 三権分立 果たせ! (@liberal16peace) September 28, 2019
金平氏
「関西電力の歴代トップが原発立地先から『3億2千万円の金品』を受け取っていた。『一時的に保管していた』と釈明したがそれで済むなら泥棒も皆『一時的に保管していた』と言うでしょう。
ふざけるな、と申し上げておきます」
これが通ったら警察要らない。pic.twitter.com/H6TMwKPqcf
— ブルドッグ (@Bulldog_noh8) September 28, 2019
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https://t.co/OjoDc2RIOP「森山氏に約3億円を提供した地元の建設会社は、原発関連工事の受注により、売上高を急増させ、2013年8月期から5年間に少なくとも約6倍伸ばしたことが28日、取材で分かった。」— 本田由紀 (@hahaguma) September 28, 2019
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「地元の有力者」「関係悪化を恐れ、お預かりして返せるときに返そうと判断した」。福井県高浜町の元助役から20人が2011~18年に計3.2億円相当の金品を受け取っていた関西電力。岩根茂樹社長らが会見しました。https://t.co/Aj89CjypEy— 日本経済新聞 電子版 (@nikkei) September 27, 2019
「せっかくなので受け取ったら高額だった」関電社長会見:朝日新聞デジタル https://t.co/fP4qAqs4Rt なめてんのか。— ぽぽんぷぐにゃん (@poponpgunyan) September 27, 2019
八木会長は「一時的に金品を預かったことがあるが返した」— 小池晃 (@koike_akira) September 27, 2019
岩根社長は「返却を申し出たが強く拒絶されたため、一時的に保管した」
ふざけた記者会見だ。関電はこんな言い訳が通用するとでも思っているのか。
原発ムラの徹底追及を。汚い金にまみれた原発はもういらない!https://t.co/sardIoavWn
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関電 岩根社長の見苦しい言い訳。— LOVE (@tabunsaitosan) September 27, 2019
「受け取った金品はいつか返すつもりで保管してる」
この話、誰が信用するの?
「社長就任祝いは返却した」
いつ?
「どこかの段階で」
記録は?
「記録はあるけど答弁は控える」
こんなバカな話あるかいな。 pic.twitter.com/VbYFfFCyGE
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原発にたかった政治家と電力会社と地元の業者たちが莫大な税金を私物化していったこのプロセスの全容の解明がなされるまで、彼らから「金の話は脇において、原発についてのわれわれの専門家としての言明は正しいので、信じてください」と言われても、僕は信じません。 https://t.co/JgpzbIXWWo— 内田樹 (@levinassien) September 27, 2019
この国はどこまで腐り切っているのか?— 小野次郎 (@onojiro) September 27, 2019
3億2千万円もの裏資金は、到底、町の助役が個人的に用意できる額でない。
公金であれば業務上横領や背任の容疑。
原発誘致絡みなら致命的な不祥事。
関電は「預かった」と釈明するが経営陣まで大金を受け取ったことは言い訳出来ない。 https://t.co/1V0uIjBaHI
背任で全員逮捕ですが普通は。 https://t.co/xqu5Ea7Bbw— こたつぬこ (@sangituyama) September 27, 2019
関電「一時的に各個人の管理下で、(検察が言ってくるまでは)返却の機会をうかがいながら保管していた」— ワンコ171 (@1044jun) September 27, 2019
「H23~30年、物品等を預かったものは20名、総額3.2億円。儀礼の範囲内のものなど以外はすでに返却した」
賄賂超大国ー言い逃れ、画像マニュアル。 pic.twitter.com/9bj8OrF0Iz
〈岩根社長は、今年6月に大手電力10社でつくる電気事業連合会の会長に就任したばかり。八木会長も、11年4月から16年6月まで電事連会長を務めた。八木会長は27日朝、自身の金品の受け取りについて報道陣に問われ、「個人的なことについては一切答えない」とだけ答えた〉 https://t.co/f28VE1iGJz— 村山嘉昭 🍀 (@_murayama) September 27, 2019
この福井新聞の記事詳しい。もと助役は関電経営陣の「個人口座」あてに送金している。贈る方も贈られる方もこの金の性質を理解していたと思われる。— ogawabfp (@ogawabfp) September 26, 2019
関電会長らに高浜町元助役から資金 1億8千万円、役員ら6人に | 社会,原発 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE https://t.co/qgGhM8c8s6
原発マネーはケタ違い— 古賀茂明@フォーラム4 (@kogashigeaki) September 26, 2019
だから止められないわけだ
原発のある高浜町の元助役は「お世話になっているから」資金提供したという
「お世話になっている」政治家にも億単位でカネが流れたと考えるのが自然
元助役は3月に死亡
真相究明は困難?
今こそ国会の出番
徹底追及すべきだhttps://t.co/7wNCJLq37M
関電のこれは「収賄」でしょ?記事にある「資金を受け取っていた」って何ですか?「金品は一時的に各個人の管理下で、返却の機会をうかがいながら保管していた」んだそうです。八木会長は「個人的なことについては一切答えない」と答えておしまい。これで「お咎めなし」ならもう法治国家じゃないです。— 内田樹 (@levinassien) September 27, 2019
関電会長ら20人に3.2億円の資金が流れた件。辺野古と全く同じ構造だ。国策を利用した利権ビジネス。安定電源確保、安全保障なんてただのお題目に過ぎない。日本はいつから「正直者が馬鹿を見る」国になったのか。 pic.twitter.com/aVb8pSWH3T— やんばるぐらし (@yanbarugurashi) September 27, 2019
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毎日:関電会長ら6人に1億8000万円 福井・高浜町元助役から 原発マネー還流かhttps://t.co/2s3ODTQD3D“関西電力の八木誠会長ら6人が2017年までの7年間で、福井県高浜町の元助役、森山栄治氏(今年3月に90歳で死亡)から、計約1億8000万円の資金を受け取っていたことが、金沢国税局の税務調査で判明した” pic.twitter.com/VLfHqzmLst— rima (@rima_risamama) September 26, 2019
引用:— rima (@rima_risamama) September 26, 2019
関係者によると、会長のほかに岩根茂樹社長、豊松秀己元副社長が含まれる。金沢国税局は昨年1月、高浜原発や大飯原発の関連工事を請け負う高浜町の建設会社への税務調査を開始。同社を端緒に調べたところ、工事受注などの手数料として、森山氏が約3億円を受け取っていたことを確認した。
共同:関電会長ら6人に1億8千万円 元高浜町助役から、原発マネーか https://t.co/xpvdk1SZRt「元助役は資金提供について「お世話になっているから」と説明しており、工事費として立地地域に流れた「原発マネー」が経営陣個人に還流した可能性がある。」 pic.twitter.com/BkDmjHhgvW— rima (@rima_risamama) September 26, 2019
関連)#原発マネー #高浜原発 2015年の記事— rima (@rima_risamama) September 26, 2019
高浜町議の鉄工会社 原発関連80件受注https://t.co/RfUSUtu6TS
高浜原発工事、別の3町議も 計4億5000万円を受注https://t.co/8zVOgZaBLC
元凶は電源三法交付金という名の #原発マネー💢https://t.co/XHLC7Xj3yw pic.twitter.com/C60yG1Poca
NHK:関電会長らに1億8000万円の不透明資金 自治体元助役からhttps://t.co/COKiTn6uTA「税務当局から指摘を受けたのは八木誠会長や岩根茂樹社長ら経営幹部6人です。6人は、2017年までの7年間に…福井県高浜町の元助役から、合わせておよそ1億8000万円の資金を一時、受け取っていたということです。」 pic.twitter.com/aCRaoFv0IX— rima (@rima_risamama) September 27, 2019
“会社の説明では、経営幹部たちは、受け取った資金の返却の機会をうかがい、儀礼の範囲のもの以外は、すでに元助役側に返却を終えたということです。— rima (@rima_risamama) September 27, 2019
また税務当局からは、資金を返却しても一部、所得税の課税対象に該当するものがあるとの指摘を受けて、すでに修正申告を済ませているということです” pic.twitter.com/002Kes71Ez
引用:— rima (@rima_risamama) September 27, 2019
繰り返した。岩根社長は「中元とか歳暮はあった。通常の付き合い以上のものはいけないという認識でお返しした」と話した。
元助役は1977~87年、助役を務めた。当時から関電と深い付き合いがあり、退職後も町の顔役として影響力を持っていたとされる。
引用:— rima (@rima_risamama) September 27, 2019
個人口座に送金したり、現金を入れた菓子袋を関電側に届けたりしていたことが判明。総額は7年間で約1億8千万円に上り、スーツの仕立券などもあった。元助役は「関電にはお世話になっているから」と説明…
工事経歴書によると、高浜町の建設会社は15~18年、原発関連工事を少なくとも25億円受注
引用:— rima (@rima_risamama) September 27, 2019
個人口座に送金したり、現金を入れた菓子袋を関電側に届けたりしていたことが判明。総額は7年間で約1億8千万円に上り、スーツの仕立券などもあった。元助役は「関電にはお世話になっているから」と説明…
工事経歴書によると、高浜町の建設会社は15~18年、原発関連工事を少なくとも25億円受注
“八木誠会長ら6人だけでなく、計20人が計約3億2000万円相当を受け取っていたと明らかにした上で「(…高浜町の元助役で故人の森山栄治氏と)関係悪化することを恐れて、一旦お預かりして、返せる時に返そうと思った」と釈明し、「原子力事業に影響が出るのではないか」と返却をためらったことも明かした“— rima (@rima_risamama) September 27, 2019
”岩根社長は20人が受け取った金品の内容は具体的に説明せず、「返せるタイミングで返せるものは返した」と…しかし、いつ返したかは明かさなかった— rima (@rima_risamama) September 27, 2019
…社長自身は何を受け取ったかも問われた。しかし、「記念品的なもの」と述べるだけで具体的には明かさず、返却した時期や方法についても語らなかった“
引用:— rima (@rima_risamama) September 27, 2019
関係悪化をおそれ、返せなかった」と述べるとともにこれらの金品は一時的に受け取ったものだったと釈明しました。⬅︎よく言うよ😡
こうした金品の受領は金沢国税局の税務調査で指摘され、すでに一部もしくは全部を返還し所得税の修正申告をしたということです。 pic.twitter.com/ApwGyr3jCZ
引用:— rima (@rima_risamama) September 27, 2019
福井県高浜町がある大飯郡を選挙区とする、福井県議会の田中宏典議員は森山栄治元助役について「原発を誘致するころから、いろいろな関わりがあった人だ」と述べました。 https://t.co/tcrBXaCVsQ pic.twitter.com/BmiC6Z07cF
藤井聡(元官房参与)「資産を形成するには…、月々の給料が上がる事が必要、にも関わらず、我々の給料は消費増税によって低減。…(中略) …戦後の総理大臣で12%も賃金を下げた総理はいない。ゆゆしき事態だと国民の皆さんに知っていただきたい。」
怒っています— LOVE (@tabunsaitosan) September 27, 2019
藤井聡
「資産を形成するには…、月々の給料が上がる事が必要、にも関わらず、我々の給料は消費増税によって低減。…(中略)
…戦後の総理大臣で12%も賃金を下げた総理はいない。ゆゆしき事態だと国民の皆さんに知っていただきたい。」 pic.twitter.com/ZArQCEy8SB
玉川氏:— GIMPresso (@GIMPresso) September 27, 2019
官房参与やってたんでしょ?
今回の問題って「不都合な真実はない事にする」って事💢
安倍ってこんな人なの?
藤井聡元内閣官房参与:
・・・
そうじゃないと僕は信じたいですけど…
そういうふうに見えてしまいますよね…
自殺に見せかけて消されちゃ困るからね・・・😱#玉川徹 #藤井聡 pic.twitter.com/inTWsmpea6
#モーニングショー— rima (@rima_risamama) September 27, 2019
世界が警告 老後の資金不足「懸念は日本」
貯蓄なしで生活しなければならない期間:日本の女性が最長❗️
藤井聡:消費増税によって12%も賃金が下がる。戦後の総理大臣で12%も賃金を下げた総理はいない💢これを強く言いたい!(激オコ)
これからが地獄
玉川:日本はもう先進国ではない pic.twitter.com/Zc4p7OJlkT
日本経済地獄ですよby藤井聡— ネコマルくん (@rxxXoJEnqzBGGOS) September 27, 2019
(2000万円報告書撤回)今回の件で、政府への信頼が無くなっただけでなく、将来への不安しかない。そこに消費税増税。日本経済地獄ですよ。
納得しかない。#モーニングショー pic.twitter.com/qFZCYiuWFj
玉川氏「国民を舐めてる、政府は。今までもいろんな問題があっても支持率高いじゃないかと、今回も無かった事にしても国民は怒らないよと麻生さんは思ってる」— にゃん吉 (@umetaro_uy) September 27, 2019
舐めすぎてんだよね、ほんとに。 pic.twitter.com/YDV4GcvLe4
年金2000万「スタンス異なる」報告書の受取拒否— ZORO (@DRAW95353002) September 27, 2019
藤井さん
スタンスが違うから受け取らないというのは言語道断..独裁と何も変わらない
吉永さん
不安を与えるような事は一切隠蔽という事になると結局かつての大本営発表と同じ事になってしまう
玉川さん
国民を舐めてんだと思いますよ pic.twitter.com/bLLSsqphHw
#モーニングショー— もみじまん (@Futokaikosaiban) September 27, 2019
老後2000万円お蔵入り。
藤井「科学的な数字を政府の都合で無視」「政府のスタンスと違うから受け取らないのは言語道断、あり得ない!」
羽鳥「災害被害を『不安を与えるから公表はやめよう』というのと同じ」
藤井「科学的事実は政府のスタンスの上」「無視するのは独裁と同じ」 pic.twitter.com/mAoiIyxbkq
この国の人間なら 必ず 読むこと。— 大木晴子・「明日も晴れ」 (@kuronekoroku) September 28, 2019
テレビを観ない方々も 知っている方がいい。ここまで 来ているのよ❗️私たちが住んでいる国は。
安倍政権の元内閣参与が玉川徹と意気投合し「老後2000万円報告書」隠ぺいと「消費税増税」を猛批判!「独裁者と変わらない」 https://t.co/TKrVvp05nH @litera_webより
玉川徹さん— ZORO (@DRAW95353002) September 28, 2019
「日本はもう先進国じゃない殆どの日本人は日本は先進国だと思ってんだけど先進国たるデータがない」
私の周りにも日本は先進国だと思ってる者が少なからずいる。立ち並ぶ高層ビルを見てそう思うのか?「日本凄いっ」ってくだらないTV番組を見て思うのか?
若者の死因1位が自殺の日本で pic.twitter.com/hcupvpB0b3
老後2000万円足りない。
— にゃん吉 (@umetaro_uy) September 28, 2019
玉川氏「多くの人は60、65歳になったら年金で生きていけると思って働いてきた。それを65、75歳と定年を引き上げてくれという事ではない。話が違うだろ」
老後、働なくても過ごせる体で年金制度が始まった。
それがいつの間にか死ぬまで働けって事に話がすり変わってるって話。 pic.twitter.com/FBMIvFkd8D
2019年9月26日木曜日
恥ずかしげもなく....あ....誰も聞いてないのか(自身のインスタ写真でさえ会場スカスカ) → 第74回国連総会における一般討論 安倍晋三「私の国では、長く続いた経済の不調が国民の関心を内に向かせた時期は、過去のものとなりました」
— Hiromi1961 (@Hiromi19611) September 26, 2019
第74回国連総会における一般討論— SHIN∞🌏 (@shin919infinity) September 25, 2019
アベ「私の国では、長く続いた経済の不調が国民の関心を内に向かせた時期は、過去のものとなりました」
えっ?・・・えっ?
まだまだ不調は続くと思うけど…😒 pic.twitter.com/BqCCX1md9H
会場の皆さん、トイレ休憩か何かですか??笑 https://t.co/a5PXOP7Are— ココナッツ (@Sk49Summerdream) September 25, 2019
国連演説で張り切って「スゴイ首相」をアピールしていた安倍首相ですが、演説の様子などをわざわざ自身のインスタグラムやツイッターに投稿するも、聴衆はスカスカ、握手を求める首脳陣はゼロと、すべて裏目に出るという有様。“インスタ映え”どころか“インスタ自爆”に…。記事は本日の3面に掲載 pic.twitter.com/Lymduc4ICT— 日刊ゲンダイ (@nikkan_gendai) September 27, 2019
2019年9月25日水曜日
ニンジンの皮もおいしく! 増税に勝つ食べ切り術(日経) / 7月の実質賃金、確報値1.7%減 速報値の0.9%減から下振れ(日経) / 消費増税に節約で勝つ 日常生活品にこそ削る余地あり(日経) / ニンジンの皮食べて増税に勝て”?/「日経」記事が炎上/「アベノミクスの正体バラした」「今は戦時中?」 / 日経「ニンジンの皮もおいしく! 増税に勝つ食べ切り術」(togetter) / 【共産党を怒らせた】日経電子版「ニンジンの皮食べて増税に勝つ」騒動 気分は国民精神総動員で大炎上 まるで日経は「安倍政権の広報紙」と言わんばかり 増税賛成で国民に我慢を強いるとは、この国を代表する経済専門紙は消費不況を容認する気なのか(日刊ゲンダイ)
企業の内部留保500兆円で史上最大なのに法人税は上げずに消費税上げて国民はニンジンの皮で飢えをしのげって。 https://t.co/ZXTD9Ih75l— 町山智浩 (@TomoMachi) September 21, 2019
これで消費税増税なんて狂気の沙汰。ニンジンの皮食べて凌げるレベルじゃない。— たつみコータロー 前参議院議員 日本共産党 (@kotarotatsumi) September 22, 2019
7月の実質賃金、確報値1.7%減 速報値の0.9%減から下振れ: 日本経済新聞 https://t.co/AbHaHTBtnk
日経新聞が増税対策に「人参の皮も食せ」と。食生活も戦争前夜のようになってきました。https://t.co/3S7WupnEdX— 渡辺てる子 れいわ新選組 (@teruchanhaken) September 22, 2019
なんか、どっかの国と戦争でもしてるんだっけ? この前のニンジンの皮まで食べろもそうだけど、これで個人消費が伸びないとか言ってるんだから、どうしようもない。消費税上げるのは、恐い物見たさなのか? https://t.co/ZW49GgkaML— 平野啓一郎 (@hiranok) September 24, 2019
ニンジンの皮食べて増税に勝て”?/「日経」記事が炎上/「アベノミクスの正体バラした」「今は戦時中?」 #ldnews https://t.co/XsgSnHJWsm— 木津 繁 (@KizuShigeru) September 25, 2019
もともとニンジンを皮ごと食べている私たちは、どうすればよろしいのでしょうか日経さん?
【共産党を怒らせた】日経電子版「ニンジンの皮食べて増税に勝つ」騒動 気分は国民精神総動員で大炎上 まるで日経は「安倍政権の広報紙」と言わんばかり 増税賛成で国民に我慢を強いるとは、この国を代表する経済専門紙は消費不況を容認する気なのか(日刊ゲンダイ) pic.twitter.com/wM1Hfgtqrz— KK (@Trapelus) September 26, 2019
【増補改訂Ⅲ】大正12年(1923)9月3日(その1)「朝鮮人の来襲の話はデマだということが分かったが、横浜方面から避難してきた朝鮮人は容赦なく自警団の手で殺された。この事変で重傷を負い、あるいは無残にも殺された朝鮮人が続々と品川警察署へ担架で引き取られ、あるいは引張られて行くのを見て、私は悲壮の感に打たれた。.....途中で人が黒山になって騒いでいるのに出あった。何かと見ると、朝鮮人が2人電柱に縛りつけられているのであった。」
【増補改訂Ⅱ】大正12年(1923)9月3日(その4) 江東区/亀戸/亀戸警察署/深川/丸八橋・新開橋の証言 「亀井戸警察署の練武場.....。このとき指揮者は、銃声がきこえると附近の人に恐怖感を与えるから、銃の代りに刀で殺せと命令した。そこで軍人たちはいっせいに刀を抜いて83名を一時に殺した.....」
から続く
大正12年(1923)9月3日
〈1100の証言;品川区/荏原・戸越〉
米川実男〔当時21歳〕
〔3日〕朝鮮人の来襲の話はデマだということが分かったが、横浜方面から避難してきた朝鮮人は容赦なく自警団の手で殺された。この事変で重傷を負い、あるいは無残にも殺された朝鮮人が続々と品川警察署へ担架で引き取られ、あるいは引張られて行くのを見て、私は悲壮の感に打たれた。
食うものは全くなくなった。隣の人に頼まれて、若者ばかり数人連れで、平塚村戸越のとある米屋へ2俵の玄米をとりに行くことになった。途中で人が黒山になって騒いでいるのに出あった。何かと見ると、朝鮮人が2人電柱に縛りつけられているのであった。(1924年8月稿)
(「避難民の一人として」関東大震災を記録する会編、清水幾太郎監修『手記・関東大震災』新評論、1975年)
〈1100の証言;品川区/大井町・蛇窪〉
竹内重雄〔画家。当時13歳。大井町1105で被災〕
その翌日〔3日〕は余震も少なくなり、みんな線路より家に戻ったが、夕方になって川崎方面より朝鮮人が2千人攻めて来て、井戸には毒薬を投入しているという。その情報に住民は恐怖におののき、戸を閉め、男はみんな鉢巻をし、家伝の太刀や薙刀、トビ口、ピストル等を持って警戒した。私は13歳でも男、サイダー壜を投げるつもりで用意して待った。しかしその日は夜になっても何も起こらなかった。翌日、血みどろになって、民衆に縄でしばられた鮮人が捕って交番(旧国道北浜川)に引き立てられて行く。何も知らない、言葉の疎通の善良な鮮人であろうが、殺気立った民衆の犠牲であった。
(品川区環境開発部防災課『大地震に生きる - 関東大震災体験記録集』品川区、1978年)
〈1100の証言;品川区/品川・北品川・大崎〉
山岡芳子〔当時6歳。北品川6丁目で被災〕
〔3日、半鐘が鳴る〕表の通りから夥しい人の駆ける音がしてきた。私達は、直ちに表に出た。果して大勢の人の群が、我家の塀すれすれに走って行く。大方、火事の現場から避難してきた人達であろうか。しかし、余りにも人数が多すぎる。半鐘は更に烈しく鳴り続けている。〔略〕「奥さまッ」勝手口から、慌しくねえやが駆け込んできた。顔が真っ青で息を切らしている。「大変ですッ、朝鮮人が大勢してここに攻めてくるそうですッ」「何んだってッ」〔略〕泣声をたてながら至急逃げる支度に取りかかった。武装した朝鮮人の大軍が、たった今、品川沖から上陸し、大挙してまっしぐらに、こちら目指して、攻撃しにやってくるとの事。〔略〕「裸足のままでッ」母の叱咤する声が背後を突いた。一同は家の戸締りもせずに表の通りに出ると、怒涛のような人の渦の中に素早く割り込んだ。群衆は皆、心身を凍結させたまま石のように無言で走り続けている。それはさながら死の行進そのものであった。「さっさっさっ」足音だけが、無気味な沈黙の中で、地鳴りのようにひびかせている。
〔略〕北白川宮邸(現在の高輪プリンスホテル)の正面の鉄の大きな扉が、この日大きく開かれていた。その両脇のところに、ここも又、武装を凝らした兵隊達が、剣付鉄砲の鉾先を向けたまま、門内に入る群集の一人一人に、厳しい目を当てながら検閲している。〔略〕「只今、門の扉をしめ終りました。後の事は自分達にまかせて、一応安心して居て下さい」兵隊の中の主だった一人が、メガホンを口に当てて、大声で知らせた。〔略〕「震災で折角命拾いをしたのに、朝鮮人に殺されるなんて何と因果を事であろう」 母は、更にくどくどと言い続けている。
〔酪〕長剣を腰に下げた将校の一人が一段と高い所に立ち、「皆さん」 メガホンを口に当てて、全員に呼びかけた。「今日のところは、安心して家に帰って下さい。ただし、今晩からは家の戸締りを一層厳しくし、夜が明けても鍵を外してはいけません。なお、女や子供の外出は一切固く禁じます」〔略〕(朝鮮人は、至る所にひそみ、女や子供にまでも、危害を加えようとしています)あの時の将校の言葉が、幼い私にも忘れられず、母の袂をしっかりと握りながら、只、ひたすらに群衆と共に、家路に急いでいた。
我家に着いた時、父は私達の事を気遣いながら、待っていた。直ちに雨戸、板戸、格子等に鍵をかけ、更に釘づけにする。重要書類や日用品等を荷造りし、又、家族が何時でも逃げ出せるよう、各自が物々しい服装に身を固め、足袋をはいて寝る事にした。〔略〕父は、武家時代の家宝として秘蔵していた日本刀を、枕の下に置いて寝ていた。
(「流言蜚語に惑わされて」『東京に生きる 第12回』東京いきいきらいふ推進センター、1996年)
から続く
大正12年(1923)9月3日
〈1100の証言;品川区/荏原・戸越〉
米川実男〔当時21歳〕
〔3日〕朝鮮人の来襲の話はデマだということが分かったが、横浜方面から避難してきた朝鮮人は容赦なく自警団の手で殺された。この事変で重傷を負い、あるいは無残にも殺された朝鮮人が続々と品川警察署へ担架で引き取られ、あるいは引張られて行くのを見て、私は悲壮の感に打たれた。
食うものは全くなくなった。隣の人に頼まれて、若者ばかり数人連れで、平塚村戸越のとある米屋へ2俵の玄米をとりに行くことになった。途中で人が黒山になって騒いでいるのに出あった。何かと見ると、朝鮮人が2人電柱に縛りつけられているのであった。(1924年8月稿)
(「避難民の一人として」関東大震災を記録する会編、清水幾太郎監修『手記・関東大震災』新評論、1975年)
〈1100の証言;品川区/大井町・蛇窪〉
竹内重雄〔画家。当時13歳。大井町1105で被災〕
その翌日〔3日〕は余震も少なくなり、みんな線路より家に戻ったが、夕方になって川崎方面より朝鮮人が2千人攻めて来て、井戸には毒薬を投入しているという。その情報に住民は恐怖におののき、戸を閉め、男はみんな鉢巻をし、家伝の太刀や薙刀、トビ口、ピストル等を持って警戒した。私は13歳でも男、サイダー壜を投げるつもりで用意して待った。しかしその日は夜になっても何も起こらなかった。翌日、血みどろになって、民衆に縄でしばられた鮮人が捕って交番(旧国道北浜川)に引き立てられて行く。何も知らない、言葉の疎通の善良な鮮人であろうが、殺気立った民衆の犠牲であった。
(品川区環境開発部防災課『大地震に生きる - 関東大震災体験記録集』品川区、1978年)
〈1100の証言;品川区/品川・北品川・大崎〉
山岡芳子〔当時6歳。北品川6丁目で被災〕
〔3日、半鐘が鳴る〕表の通りから夥しい人の駆ける音がしてきた。私達は、直ちに表に出た。果して大勢の人の群が、我家の塀すれすれに走って行く。大方、火事の現場から避難してきた人達であろうか。しかし、余りにも人数が多すぎる。半鐘は更に烈しく鳴り続けている。〔略〕「奥さまッ」勝手口から、慌しくねえやが駆け込んできた。顔が真っ青で息を切らしている。「大変ですッ、朝鮮人が大勢してここに攻めてくるそうですッ」「何んだってッ」〔略〕泣声をたてながら至急逃げる支度に取りかかった。武装した朝鮮人の大軍が、たった今、品川沖から上陸し、大挙してまっしぐらに、こちら目指して、攻撃しにやってくるとの事。〔略〕「裸足のままでッ」母の叱咤する声が背後を突いた。一同は家の戸締りもせずに表の通りに出ると、怒涛のような人の渦の中に素早く割り込んだ。群衆は皆、心身を凍結させたまま石のように無言で走り続けている。それはさながら死の行進そのものであった。「さっさっさっ」足音だけが、無気味な沈黙の中で、地鳴りのようにひびかせている。
〔略〕北白川宮邸(現在の高輪プリンスホテル)の正面の鉄の大きな扉が、この日大きく開かれていた。その両脇のところに、ここも又、武装を凝らした兵隊達が、剣付鉄砲の鉾先を向けたまま、門内に入る群集の一人一人に、厳しい目を当てながら検閲している。〔略〕「只今、門の扉をしめ終りました。後の事は自分達にまかせて、一応安心して居て下さい」兵隊の中の主だった一人が、メガホンを口に当てて、大声で知らせた。〔略〕「震災で折角命拾いをしたのに、朝鮮人に殺されるなんて何と因果を事であろう」 母は、更にくどくどと言い続けている。
〔酪〕長剣を腰に下げた将校の一人が一段と高い所に立ち、「皆さん」 メガホンを口に当てて、全員に呼びかけた。「今日のところは、安心して家に帰って下さい。ただし、今晩からは家の戸締りを一層厳しくし、夜が明けても鍵を外してはいけません。なお、女や子供の外出は一切固く禁じます」〔略〕(朝鮮人は、至る所にひそみ、女や子供にまでも、危害を加えようとしています)あの時の将校の言葉が、幼い私にも忘れられず、母の袂をしっかりと握りながら、只、ひたすらに群衆と共に、家路に急いでいた。
我家に着いた時、父は私達の事を気遣いながら、待っていた。直ちに雨戸、板戸、格子等に鍵をかけ、更に釘づけにする。重要書類や日用品等を荷造りし、又、家族が何時でも逃げ出せるよう、各自が物々しい服装に身を固め、足袋をはいて寝る事にした。〔略〕父は、武家時代の家宝として秘蔵していた日本刀を、枕の下に置いて寝ていた。
(「流言蜚語に惑わされて」『東京に生きる 第12回』東京いきいきらいふ推進センター、1996年)
〈1100の証言;渋谷区〉
江馬修〔作家〕
〔3日、自宅のある初台で〕提灯をぶらさげて、ものものしい様子で絶えずそこらを警邏している在郷軍人によって、さっきの警鐘の意味も程なく伝えられてきた。
「富ヶ谷の方で朝鮮人が12、3人暴れたんです。〔略〕何でも初めパン屋の店先へ行ってパンを盗もうとしたところを見つけられて、それから格闘が起こったんです。10人ほどはすぐみんなして、ふん縛ったんですが、2、3人は猛烈に抵抗して暴れるので、とうとうぶっ斬ってしまったのです。この奥の渡辺栄太郎という騎兵軍曹は、 - 私もよく知っている人ですが、- 馬上から1人の朝鮮人を肩から腰の所へかけて見事袈裟斬りにやっつけたといいますよ。随分腕のきく人ですね」
この話は直ちに一般の人々に伝えられ、そして深い衝撃を与えた。ここに説明しておく必要があるが、少なくとも自分と話し合った限りの人々は、前夜来の朝鮮人の暴動を少しも疑っていなかった。それどころか、前夜東京での朝鮮人の騒ぎが想像以上に凄惨なものだったことを知って、ゆうべよりも皆が緊張していたくらいだった。郊外とても暴動1件で脅かされた事は市内と少しも変わらなかったが、以上の理由でその殺気立った警戒ぶりは前夜よりも真剣であり、酷烈であった。
(江馬修『羊の怒る時』聚芳閣、1925年→影書房、1989年。実体験をもとにした小説)
鈴木茂三郎〔政治家。当時『東京日日新聞』記者。代々木幡ヶ谷在住〕
9月3日戒厳令が布かれた。その頃から、朝鮮人問題に関する流言がまことしやかに、計画的であるかのように伝えられるようになった。多摩川の川を隔てて川向うまで押寄せて来た朝鮮軍と、それを防戦する日本側の土手に散兵した軍隊の間に激戦が行なわれているとか、荒川の囲みが破れて朝鮮人がなだれこんだとかいうように。
私の同じ隣組の人が新宿から息も絶え絶えに駆け込んできて「朝鮮人が今、淀橋のガスタンクに火をつけた。爆発するからすぐ逃げよう」とわめくように言った。夜警台の私たちは2、3間走り出した。そこで私は足を止めた。「淀橋のガスタンクに火をつけたというのに、そこからここへ走って来るまでに爆発しなかったのだから、これも流言だ」というと、皆一斉に緊張した顔をほころばせて笑いながら夜警台に帰った。
(『中央公論』1964年9月号、中央公論社)
竹久夢二〔画家。淡谷区宇田川で被災〕
3日の夜あたりから本当に自然の暴威と天災の怖ろしさをやっと感じ出したように思う。誰が宣伝したのか、宣伝の目的が何であったか私は知らないが、また実際そんな事実があったことも、私は見ないから知らなかったが、3日の夜の如きは、私もやはり空地へ出て、まだテント生活をしている人と同じ心持で、何か知らない敵を仮想していた。川崎の方から✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖、✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖。✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖✖、新宿のタンクへ向っているというのだ。2、3町先の駅の近くでは、群集のただならぬ騒ぎや叫び声が、はっきり聞える。軍隊の自動車が幾台か坂の上の方からまっしぐらに走って下りる地響きがする。その中にピストルの音がした。それにつれて悲鳴があがる。
「おい、灯を消せ」誰かが言った。テントの中でも、立っている人も提灯の灯を消した。息をこらして、本能的にみな地の上に伏した。後できくと大地に穴を掘って、妻子を埋めた人もあったそうだ。
私は何の武器も持っていないから、敵を殺す気もなかった。だから殺されもすまいときめて、垣根の所へ腰かけて、遠くの叫喚を聞いていた。それは、幾百人の群集が入り乱れて戦っているかと思われるのだった。
だが何事もなくその夜は過ぎた。
流言蜚語の第一報が人から人へ伝わった時間が、西は、浜松あたりから、東は川崎、目黒、駒込、千葉あたりまで、ほとんど同時間であったことも、その地方から来た人にきいて、いまでも不思議に思っている。
(「荒都記 - 赤い地図第二章」『女性改造』1923年10月号、改造社)
つづく
核兵器製造会社への投融資 「日本の金融8社 実施」;「日本では、三菱UFJフィナンシャル、みずほフィナンシャル、SMBCグループなど8社、計256億ドル(約2.8兆円)。18年版より1社、金額も約70億ドル増えた。」
東京新聞:核兵器製造会社への投融資 「日本の金融8社 実施」https://t.co/jekSpsBKO6「日本では、三菱UFJフィナンシャル、みずほフィナンシャル、SMBCグループなど8社、計256億ドル(約2.8兆円)。18年版より1社、金額も約70億ドル増えた。」 pic.twitter.com/jYp0j00JSb— rima (@rima_risamama) September 24, 2019
“薄味の水っぽいスープ……「佐野らーめん」が失墜した日《佐野SAスト39日間の軌跡》 / 《佐野SA再出発へ》“解雇部長”も現場復帰、自費1500万円も協議へ / 【佐野SAスト終結!】39日目の逆転劇で全従業員が復帰、社長は退陣、”解雇部長”は……(文春オンライン) / 佐野サービスエリアのストライキが終了 元部長「長く苦しい戦いでした」 / 佐野SAストライキの「深層」…39日間の闘争が明らかにしたこと
タダでいいのかと思うくらい、読み応えのあるルポ。ドラマのようだ。 / “薄味の水っぽいスープ……「佐野らーめん」が失墜した日《佐野SAスト39日間の軌跡》 | 文春オンライン” https://t.co/QTPbRbDCrV— 深町秋生・新刊「PO守護神の槍」 (@ash0966) September 28, 2019
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— 弁護士 上瀧浩子 (@sanngatuusagino) September 28, 2019
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【佐野SA ストライキ終了宣言】— 加藤正樹(佐野SAストライキ終了!)やっと戻れました!! (@katosanosacojp1) September 23, 2019
私たち佐野サービスエリア労働組合は、9月22日午前6時をもって、職場に復帰しました。
9/24(火)11時をもって、通常営業に戻ります。
従業員一同、皆様のお越しを、心からお待ちしております。
詳細はこちらです。https://t.co/7JIXFpMVbS#佐野SA#ストライキ終了
<佐野SA ストライキ終了宣言>
私たち佐野サービスエリア労働組合は、2019年9月22日午前6時、職場に復帰しました!
大変急な話だったので、口頭による合意のみによる復帰です。
両者の認識が合致しているかどうか、最終的な合意内容のすり合わせは、これからということになります。
(略)
私も戻ることができました!— 加藤正樹(佐野SAストライキ終了!)やっと戻れました!! (@katosanosacojp1) September 23, 2019
今、佐野SA事務所でこれを書いています。
【佐野SAスト終結!】39日目の逆転劇で全従業員が復帰、社長は退陣、”解雇部長”は…… #佐野SAhttps://t.co/EoHAuuCIjr
【コメント公表】佐野SAストライキ終了宣言「本当に長く、辛い戦いでした」https://t.co/IXZjJQfd2q— ライブドアニュース (@livedoornews) September 23, 2019
労組のメンバーたちは24日午前11時から通常営業に戻るという。現時点では口頭のみでの合意による復帰で、最終的な合意内容は今後詰めるとした。 pic.twitter.com/0fRnwhbyQp
団結し続け、職場復帰を勝ち取った労働者の皆さんに大きな拍手を送りたい。 https://t.co/9PohKeg79G— 大椿ゆうこ ⭐︎労働者の使い捨てを許さない! (@ohtsubakiyuko) September 23, 2019
佐野SAスト勝利、社長退陣— dorosien (@douroutiba) September 24, 2019
39日目の逆転劇で全従業員が復帰
従業員9割50人がストライキ
労働組合によるストライキは、憲法28条が認めた労働基本権。たとえストライキで仕事がストップして損
害が生じても、会社は、その損害賠償を労働者に請求することはできません。 pic.twitter.com/cYpTfwQYEE
42日間の長期スト終了 佐野SA、従業員が笑顔の復帰 https://t.co/H8Aeis0c67— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) September 24, 2019
— 現代ビジネス (@gendai_biz) September 26, 2019
2019年9月24日火曜日
急に思い立って伊豆熱川温泉に行ってきた 24日早朝の日の出バッチリでしたよ 2019-09-23、24
9月23、24日、はれ
急に思い立って伊豆熱川温泉に行ってきた。
23日は台風17号の影響で天候は良くないと諦めていたが、なんだか予報は大外れ、やや不安定ではあったが総じて晴れのお天気。
熱川は温泉街としては小さい方で、ま、ただただ温泉に入っているだけの小旅行であった。
宿はオーシャンビューだったので、24日は朝5時前からずっと日の出を眺めていた。
温泉と海の眺め、それで大満足であった。
急に思い立って伊豆熱川温泉に行ってきた。
23日は台風17号の影響で天候は良くないと諦めていたが、なんだか予報は大外れ、やや不安定ではあったが総じて晴れのお天気。
熱川は温泉街としては小さい方で、ま、ただただ温泉に入っているだけの小旅行であった。
宿はオーシャンビューだったので、24日は朝5時前からずっと日の出を眺めていた。
温泉と海の眺め、それで大満足であった。
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