2016年10月31日月曜日

(ネコ動画) 電動歯ブラシの新しい使い方

久しぶりの家族ウチ呑み 2016-10-29、30

10月28日(金)から長男が泊まりに来たので、
29日(土)は次男抜きで、
30日(日)は久しぶりに家族全員で、
ウチ呑みとなった。
(土曜日は、またまた次男は出勤、帰宅は深夜のパターン)

仕方ないので、普段はやらない日曜日の呑み会となった。

いえね、実は長男の家族が一人増えたので、そのお祝いをやろうということで、
あまり間をおくのもおかしいので、日曜日の呑み会になったんですよ。

▼土曜日は、いいアジがあったので、お刺身と南蛮漬け、などなど

▼日曜日は、手巻き寿司
ウチは、ハム、生ハム、オニオンスライス、ピーマン、セロリなんかも、マヨネーズをつけて巻いちゃいます。子どもが小さい頃は、ウインナなんかも巻いたかな。



ラピュタは本当にあったんだ。雲海に浮かぶ竹田城 に思わずため息(画像集) — ハフィントンポスト日本版 ; 兵庫県朝来市の竹田城跡が雲海に包まれた姿が、10月に入ってネット上に次々と投稿されている。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《オワーズ川の岸辺、オーヴェールにて》1890 デトロイト美術館展 2016-10-24 日本初上陸 この絵をかいて暫くした7月29日、ゴッホはピストル自殺を図り、37歳の生涯を終える

フィンセント・ファン・ゴッホ
《オワーズ川の岸辺、オーヴェールにて》1890 日本初上陸

オワーズ川の岸辺の夏の風景である。
左奥から手前にかけて色鮮やかなボートが並び、奥には白い帆も見える。
中央付近には、釣り竿を持つ白服の女性と、青服の男性、その左下にはボートに座る白服の女性が描かれている。
岸辺を覆い尽くさんばかりの木の葉は、とげとげしく力強いタッチで描かれ、観る者の不安をあおる。

この絵をかいて暫くした7月29日、ゴッホはピストル自殺を図り、37歳の生涯を終える。





【?】日経新聞「日銀の物価2%目標が達成できないのは『ゆとり世代』が悪い」 | BUZZAP!(バザップ!) ;  日銀のインフレ目標が達成できない責任は若年層にあると日経が盛大に誤爆しています。・・・筆者は「若者がお金をためるのは魅力的な『モノ』がない裏返しではないか」と推測しますが、まったくもって的外れ。単純にお金がないのです。・・・


日銀のインフレ目標が達成できない責任は若年層にあると日経が盛大に誤爆しています。詳細は以下から。

(略)

23歳を自称するこの記事の筆者は「若者がお金をためるのは魅力的な『モノ』がない裏返しではないか」と推測しますが、まったくもって的外れ。単純にお金がないのです。・・・

(略)


「ガリガリ君リッチ メロンパン味」発表! ガリガリ君3億円損失に学んだ 「ナポリタン味、取り返しつかない失敗」 ;  ガリガリ君リッチ衝撃三部作とは、2012年に発売した“コーンポタージュ味”に続く、2013年の“シチュー味”、2014年の“ナポリタン味”と衝撃のテイストをうたったガリガリ君シリーズで、その中でも特に話題になったのは「ガリガリ君リッチ ナポリタン味」。味があまりにも不評で売れなかったため、同じ轍を踏まないとして「おいしいガリガリ君」をコンセプトにつくったというのが今回の新作です。・・・


 赤城乳業は“ガリガリ君リッチ衝撃三部作”に続く新作となる「ガリガリ君リッチ メロンパン味」を発表しました。前代未聞であろうメロンパンをかき氷で表現したアイスキャンディーで、価格は140円。11月15日の発売です。

 ガリガリ君リッチ衝撃三部作とは、2012年に発売した“コーンポタージュ味”に続く、2013年の“シチュー味”、2014年の“ナポリタン味”と衝撃のテイストをうたったガリガリ君シリーズで、その中でも特に話題になったのは「ガリガリ君リッチ ナポリタン味」。味があまりにも不評で売れなかったため、同じ轍を踏まないとして「おいしいガリガリ君」をコンセプトにつくったというのが今回の新作です。

 (略)

TPPをめぐる主な論点 (東京新聞) ; 食の安全は?(企業の利益優先?)  輸入食品の安全性 成長ホルモン剤などを使った牛肉や遺伝子組み換え食品などの流入が増え、なんの表示もないまま 店頭に並ぶこと... / 東京新聞:TPP「慎重審議」66% PKO 新任務付与57%反対


東川町の大雪山系旭岳山麓にある旭岳温泉のクロスカントリースキーコースは積雪が約60センチになり、全長7・5キロのうち約2・5キロで滑走可能になっています。 — 北海道新聞 / 札幌の午後8時の気温は3.4度。・・・札幌駅前通を北3条広場まで来ると、イチョウ並木がライトアップされていました。 — 北海道新聞



日本の人口の長期変動図(決定版)。確かに今後,人口減少のスピードが速くなる。

どうなってんの?アメリカ大統領選 ; トランプ氏1ポイント差に猛追 女性蔑視発言から回復 / トランプ氏がクリントン氏に肉薄 フロリダでは逆転 / 民主党、メール問題でFBI長官非難 支持率の差狭まる / クリントン氏再捜査、FBI内部対立が表面化 / 538ではヒラリーの勝率は79% / 米国大統領選挙は、選挙人の多い州で効率よく勝てば世論でいくら負けていても勝ちなので、ヒラリーが逮捕でもされない限り大統領選に影響はほとんど無いと思われる。 / もう隠すのは止めよう。ヒラリーが嫌われる理由はただ一つ、女性だからだ。







▼でも、538では ↓ 



▼ということで、やっぱり ↓



▼ヒラリー不人気とか言われるが、こういう意見も ↓


TPPに反対した自民党のバカげた言い訳(墓穴掘り) ; 衆院TPP特別委。赤沢「自民党がTPPに反対していたのは支持率の低い政権であった民主党政権が交渉しようとしていたからだ。拙速になる。支持率の高い安倍政権の交渉なら安心なんだ」 / アベはアベで論理錯乱 「TPPは日本が世界に率先して進め、米国内に"乗り遅れるな"という気運を高めていく必要がある」 ← 結局、TPPムリ筋の証明にしかならない


2016年10月30日日曜日

(youtube) 【ピコ太郎】 バラード、インド風、世界のPPAPがスゴイw PIKOTARO ← インド版、ドイツ版、インドネシア版の紹介 ← 実は、さっぱりワケ、わからん / 「ピコ太郎」外国特派員協会でスベりっぱなしの爆笑会見!PPAP通訳できん ; PPAPロングバージョン公開!すでに再生730万回


【ピコ太郎】 バラード、インド風、世界のPPAPがスゴイw PIKOTARO




若冲「花卉図天井画」 (京都、信行寺) 報道ステーション10月28日 牡丹 向日葵 野花菖蒲 鶏頭 百合 

10月28日放送の報道ステーションで
3日間だけ公開される京都、信行寺の若冲「天井画」の特集があった。

国内外の167の花を花弁の数まで正確に描いているということだ。








若冲の花
若冲の花

(紅葉画像) 札幌は30日、午後になっても気温は3度台で、時折、雪が舞って冬の訪れを感じさせます。冬型の気圧配置は約1週間続く見通しです。 — 北海道新聞 / 見頃を迎えた鳴子峡の紅葉 まさに絶景です! JR東日本 陸羽東線 鳴子温泉ー中山平温泉 / 鳴子峡やばい / 紅葉の雲場池~2016.10.30長野県軽井沢町





「東京五輪は反対・・・。石原さん(当時の都知事)が五輪をやる、と言った時から反対ですよ。・・・費用は最大3兆円ですか。ほかに使うところがあるでしょ。福島の人はまだ、10万人規模が自宅に帰れない。「福島の人たちに勇気を与える」って言うけれど、そんなダシに使うなよ、と思う。 最後の一人になっても反対します。」 (久米宏)

--東京五輪は反対ですね。
 石原さん(当時の都知事)が五輪をやる、と言った時から反対ですよ。・・・

 ・・・費用は最大3兆円ですか。ほかに使うところがあるでしょ。福島の人はまだ、10万人規模が自宅に帰れない。

 「福島の人たちに勇気を与える」って言うけれど、そんなダシに使うなよ、と思う。
最後の一人になっても反対します。

久米宏

『朝日新聞』2016-10-28




(画像) 反ハロウィン店舗

ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863) 《馬を連れたシリアのアラブ人》1829 《墓に運ばれるキリスト》1859 国立西洋美術館常設展示2016-10-20

ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)
《馬を連れたシリアのアラブ人》1829

ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)
《墓に運ばれるキリスト》1859


ファイト!~中島みゆき流の応援歌を読み解けば、理不尽だらけの世の中や歪(いびつ)な村社会が見えてくる~ (TAPthePOP) ; ファイト! 闘う君の歌を 闘わない奴等が笑うだろう



カラオケは滅多にやらないんですが、歌わなければならない時は「アカシアの雨がやむとき」「みんな夢の中」「逢いたくて逢いたくて」「冷たい雨」「喝采」「難破船」「灰色の季節」「ジュリアに傷心」「ろくなもんじゃねえ」「うらみます」「ファイト」などを歌います。キーを一番下まで下げて…… — 柳美里

中島みゆきの「ファイト」を聴いている。闘う君の唄を闘わないやつらが笑うだろう……! — 有田芳生

中島みゆきさんの「ファイト」という歌を初めて聴きました。良い歌ですね。私たちの運動に対する応援歌のように聴こえました。 — 宇都宮けんじ / Youtubeで聞く

これステマにはまってるかな? 好きなCM : プレミアムボス 微糖『プレミアム京都』篇 60秒 / カロリーメイト CM 「見せてやれ、底力。」篇 → カロリーメイトといえば、これ → 満島ひかり CM カロリーメイト ファイト 「とどけ、熱量。」篇 → で、「ファイト」と言えば、これ → ファイト!by吉田拓郎




安倍政権に激震 日ロ首脳会談は北方領土“ゼロ回答”確実に (日刊ゲンダイ) ; 「有害だ」――27日、ロシアのプーチン大統領は、いつまでに日本との平和条約を締結するか、期限を設けることについてこう発言した。・・・「強い信頼関係にある中国との国境画定交渉ですら40年を要した。残念ながら、日本とはその水準に達していない」



 菅官房長官は「簡単にすぐ(締結)できるものではない」と冷静を装っているが、安倍政権に激震が走っている。

 12月15日の地元山口での日ロ首脳会談で、北方領土問題での進展を目指していた安倍首相。しかし、島の返還どころか、スケジュールすら立てられない空っぽの外交交渉になりそうだ




「連合」内部から異論!「『野党共闘進めていくべきだ』と連合に臆せず言うつもりだ」~安倍政権への「歯止め」が必要だと訴える「自治労」にIWJが直撃取材!明らかになる連合内の「温度差」!


 
 (略)

 連合の正式名称は、「日本労働組合総連合会」。1989年に結成され、現在、51の産業別組織が加盟しており、加盟組合員は公称で686万人にものぼる。うち85万人の組合員を抱える自治労は、160万人のUAゼンセン(全国繊維化学食品流通サービス一般労働組合同盟)に次ぐ2番目の規模を誇り、連合内での影響力は決して小さくないとみられている。

 IWJは今回、野党共闘に前向きな姿勢を示す自治労に取材を申し込み、自治労会館本館で企画局長・高柳英喜氏に話をうかがった。

 高柳氏はIWJのインタビューで、衆参両議院で改憲勢力が「3分の2」を占めたことで「政治状況は新しいステージに入った」と指摘。安倍政権に対する「歯止め」が必要だとし、「『野党共闘を進めていくべきだ』という自治労の意見は、連合に臆せず言っていくつもりだ」と明言した。

記事目次

・連合と自治労で「温度差はある」!自治労は「野党共闘すべきという考え方」

・衆参3分の2で政治状況は「新しいステージに入った」〜自治労が考える「野党共闘すべき理由」

・「目先の1勝1敗にこだわっていかないと、民進党は10年後に政党として存在しているかどうかが危ぶまれる状況」

・連合は「脱原発候補」を応援できる? 「連合が脱原発でまとまるのはなかなか難しい」

・自治労は根強い共産党アレルギーをどう棚上げしたか〜「共産党と安倍政権、どちらが問題かといえば安倍政権」

・「衆院改憲勢力『3分の2』切り崩し」はひとつの目標として「ありうる」

・連合内組織の実情!「少なくない連合の構成組織が政治関係に積極的に取り組まない」

・「連合がいなければ選挙運動さえままならない候補者もいる」〜「連合を切れ!」という市民の思いは民進党に通じる?

 (略)

2016年10月29日土曜日

栃木県日光市街と奥日光を結ぶ「いろは坂」(国道120号)で、紅葉が見ごろを迎え、モミジやミズナラが色映えを競い、錦秋の山肌を織りなしています。写真特集をご覧ください。— 毎日新聞写真部

正長元(1428)年9月~10月 正長の徳政一揆(最初の徳政一揆。土一揆の時代の幕明け) 「日本開闢以来土民蜂起これ初めなり」(『大乗院日記目録』) ソールズベリー伯トマス・モンタギューのオルレアン包囲 足利持氏の陰謀の報 持氏に将軍宣下の風聞 上皇の出家騒動 熱田大宮司の家来なる吉川某の陰謀が発覚    

東京 上野公園 2016-10-24
*
正長元(1428)年
9月
・大和国宇陀郡の秋山氏・沢氏が北畠満雅に協力しているとの報で、幕府は大乗院坊人らを向わせる。
*
・仏、王太子シャルル(後の7世、25)、シノン城に本営を置く。
15日、三部会を召集、戦費支弁を求める。
*
9月5日
・ソールズベリー伯トマ・ド・モンタギュ、ロンドン市民にジャンヴィル占領の戦果報告、ここを作戦本部とする。ここをベースに、マンの町と城、ボージャンシーを占領(25日)。
ロワール川左岸のクレリーの聖母教会を略奪、建物破壊。
*
9月18日
・京都で正長の徳政一揆発生。最初の徳政一揆。土一揆の時代の幕明けを告げる事件。
附近の通路を塞いでいた郷民は、幕府軍の出兵・警戒によりその日の内に退散。
10日程後、京都市中に徳政一揆が起きた後しばらく静まるが、11月、京都・奈良を襲撃する土一揆が20日間程続く。
11月中旬、播磨まで波及し、畿内近国各地で徳政を求める一揆が蜂起。

この日、「日本開闢以来土民蜂起これ初めなり」(『大乗院日記目録』)とのちに回想される大一揆が勃発。
奈良では馬借や土民の勢いに押されて、興福寺が大和一国内に適用される徳政令を敷いたが、京都では、山城守護畠山満家の軍勢や、侍所赤松満祐の動きが俊敏でいち早く土民の蜂起を押さえ込み、大きな騒擾とはならず、徳政令も発布されなかった。

11月、奈良・宇陀、播磨(17日矢野、19日伊和神社付近)、12月、太良(若狭)、2月、大山(丹波)、7月、山田(伊勢)。

この年春から全国的な飢饉。
7月末~9月初旬、山門が幕府に嗷訴、8月末から西京の北野社神人が社内に籠って嗷訴。京都は物情騒然。
こういう中で、8月、近江の大津・坂本の地下人が徳政を要求した局地的騒動、鎮静。この日、醍醐・山科辺り地下人が徳政を要求して蜂起。大乗院の日記が「天下の土民蜂起」と嘆じ、「春日若宮神社記録」が、「伊賀・伊勢・宇田・吉野・紀国・・・」と記し、土一揆は畿内一帯に拡大したとみられる。

「一、天下の土民蜂起す。徳政と号し、酒屋、土倉、寺院等を破却せしめ、雑物等恣にこれを取り、借銭等悉くこれを破る。管領これを成敗す。凡そ亡国の基、これに過ぐべからず。日本開白以来、土民蜂起是れ初めなり」(「大乗院日記目録」同月日条)。
京都の東南郊、「醍醐の地下人が徳政と号して蜂起し、方々の借書等を悉く責出してこれを焼」く(「満済准后日記」)。

土一揆は馬借が先頭に立って突破口を切り開いたという見方が多いが、近江の馬借が京都の一揆に登場した明確な徴証はない。
9月の醍醐の蜂起が8月の近江の土一揆に触発されたものであることは疑えない。
即日三宝院門跡満済の要請で細川持之配下の数百騎の軍勢が醍醐寺内に警固に入り、管領畠山満家の遣わした侍所の200騎は、一揆の近江方面との連絡を恐れ北隣の山科に陣取る。しかしその後の経過の中で、近江の馬借が京都の一揆に合流した形跡はない。

正長の土一揆には、組織性の高さ、広域的な波及性、政治危機に乗ずる情勢判断の的確さ、それと関連する反中央的な国人眉の動きとの連絡など、その後の一連の一揆の典型的な性格を備えている。
幕府政治の危機を突くだけでなく、幕府が山門等諸権門と争い経済基盤に組みこんだばかりの土倉・酒屋を襲ったことは、支配権カに対する最も有効な闘い方であったといえる。

京都。
東寺を占拠した一隊が市中に出撃を繰返す。かなりの人数が市中を席巻し、土倉に押入り借書・質物を取返す「私徳政」が行われる。
その他、空也上人堂が放火炎上、在京武士が一揆に加わるおそれが出てきた為、幕府は諸家に命じて夫々の被官人から請文を呈出させる、東寺膝下の寺領内に一揆の張本人が摘発され、寺家が同心しているとの疑いがかけられ、法勝寺では執行が一揆与同の故に斬首、在京の武家・寺家にもかなりの動揺をもたらす。
幕府軍の出動はあるが、一揆はくり返し襲い、幕府が禁制を出した22日頃、私徳政の目的を達して下火になる。醍醐の地下人の蜂起に対し、山城守護畠山満蒙の軍勢が山科に進駐(「満済准后日記」)。

奈良。
土一揆は、市中に侵入できないが、徳政令をかちとる。
北の般若寺に集結した一揆は数千人ともいわれる大軍で、木津庄を本拠とする馬借と看做されていたが、衆徒筒井氏軍に追い散らされた際の死者30人程は加茂の東北の「和束の者共」であった。
西方の西大寺・法華寺等を占拠して襲った一隊は、鳥見・生駒の馬借であったという。般若寺・西大寺で集会を催し、北・西口同時に奈良侵入を計など、組織性がうかがわれる。
北・西の一揆が討伐されて退いた頃、南方では宇多(陀)郡の一揆が長谷寺その他の諸山寺に乱入、「徳政と号して質以下借書等を無理に乞返す」私徳政が起きる。
南の一揆が「山城ノ悪党ノ無念ヲ散ス」為に北上するとの噂が立ち、南からの攻撃は防ぎにくいと恐れ、興福寺の衆徒の決定と11月25日、南都の徳政令が出される。この徳政令は、質物・借銭は元金の3分の1を払えば請戻し破棄できる、5年経過した借銭・頼母子は無償で破棄、未進年貢は催促をさしおく、質物請戻しの期限も細かに定められる。幕府の徳政令は出されなかいが、この大和の例をはじめ各地で各様の徳政が行われる。。大和の徳政令は、守護権を持つ興福寺が出し、一国中の諸社寺領にこれを及ぼしたことは、衆徒の決定後、東大寺にも牒送し、東大寺は「その旨に任せて徳政を成し」たこと(「転害会施行日記」)などによってわかる。

「此程わうみの国より、土一揆の衆等、御得政と云事を仕出て、所々の倉々をやぶる。其より下京上も、少し馬借せめ入て得政をなす。これをはじめて、伊賀・伊勢・宇田・吉野・紀国・泉国・河内さかい、惣て日本国のこりなく御得政、当国(大和)にも里別に得政をかるなり」(「春日若宮社日記」同月日条)。

東寺領矢野庄(播磨)。
16日以前に土一揆の蜂起があり、守護方軍勢が進駐、一揆を理由に同庄を押え置くう事態。東寺は在京の守護赤松氏や幕府要路に奔走、12月、ようやく返還。矢野庄と殆ど同時に播磨各地で土一揆蜂起があったらしく、16日付で、守護家の在京奉行上原対馬守性智が在国の守護代小河氏へ、「当国徳政事」について急ぎ照会を求めている。
伊和神社附近のことと思われるが、19日に押寄せた土一揆により買得地の証文を焼かれた人物が、本主から売却後21ヶ年内の土地は取返すと申懸けられ、翌年坂本の守護所の裁許を得た事件があり、河内で行われたという21ヶ年紀の内容と同様の徳政令が播磨でも出された可能性がある。

矢野庄では東寺の支配回復後しばらく鳴りを潜めていたが、翌年2月3日頃、地下人が「土一揆国中成敗」を恐れて山野に隠れ忍び、19日、守護方が庄内に張本人が居るとの理由で兵糧・人夫等を責め課す。11月中旬以降も土一揆の行動が続いていたことが窺える。
尚、一揆鎮静後の7月、今度の「徳政」に際し目立った悪行をした彦六一派が地下代官・地下人等によって討ち取られる。代官は一揆与党の糾明に血眼になっている。この頃の代官は、守護方から徳銭をかけられる有徳の請負代官である。

「或る人いわく、播磨国の土民、旧冬京辺の如く蜂起し、国中之侍悉攻之間、諸庄園代、加之、守護方の軍兵、彼等のために或いは命を失い、或いは追い落さる。一国の騒動、希代の法也云々。凡そ土民の所、侍をして国中に在らしむぺからず云々。乱世の至り也。仍て赤松入道発向し了ぬ。」(中山定親「薩戒記目録」1429(正長2)年1月29日条)。
土民は、庄官の代官だけでなく守護方軍兵まで、およそ国中の侍を悉く攻める。

若狭でも徳政を訴える「土一揆」蜂起。
徳政一揆が起ると、太良荘では朝賢(15年前に代官職を罷免され名田を没収された)が公文職と名田回復を荘園領主に訴え認められる。
また、荘民の右近大夫と右馬大夫は、泉大夫の持つ真村名と道性の持つ勧心名の返却を求める。荘民や代官乾嘉らは、朝賢を排斥し、泉大夫と道性は名田返却を拒み、「地下さくらん(錯乱)」状態となり、翌年4月頃迄続く。
朝賢は、代官乾嘉に不満を持つ荘民を味方にして乾嘉罷免に成功、また、右近大夫らと泉大夫らとの間にも名田引渡しの妥協が成立したと考えられる。
荘園領主東寺はこの機会を利用して検注を実施、右近大夫らの名田回復を認め、地頭方については南北朝期貞治2年(1363)以前の支配に戻す。
このように荘民・代官・荘園領主は夫々の由緒により徳政を主張、その結果行なわれた検注はこの後の太良荘の枠組みを規定することとなる。

正長の土一揆後、
①高野山では学侶支配に対する行人方の抵抗・訴訟が強まり、1433年の「高野動乱」に突入するし、
②山門では山徒間の経済利権を巡る争いが激化し同年の「山門騒動」を招くし、
③大和の国人達は29年から筒井・越智に連なる諸氏が二派に分れて「大和永享の乱」に入るし、
④関東府・幕府内部でも夫々永享の乱、嘉吉の乱に向って対立が激化するなど、権力内部の矛盾を誘発し、次の嘉吉の大一揆の条件をつくり出す。
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9月22日
・管領畠山満家が招集して宿老寄合(重臣会議)。
メンバーは畠山・細川・斯波の3管領、山名・一色・赤松の侍所家、細川讃岐入道、畠山満則の両近習、それに在京していた駿河守護今川範政が加わっていた。
議題は北畠満雅の討伐と、関東への対策。
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10月
・義教、三宝院満済への御内書に「惣別して感悦極まりなく侯」と申送り、大内氏へのそれには「殊に喜び思し給り候、八幡大菩薩も照覧侯へ、弥憑入り候」と申送る。
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10月2日
・情勢を探るため関東へ二人の使僧(祖室・等懋とうぼう)が派遣される。
両人には、陸奥笹川にいて笹川御所と称された足利満貞および、京都御扶持衆(前代以来幕府寄りの東国有力武士)らに、持氏の動きに備えるよう幕府の指示が托される。"
*
10月12日
・英軍のオルレアン包囲
ソールズベリー伯トマス・モンタギュー指揮イギリス軍、ロワール川辺に着。
19日(日)より包囲開始。南仏・英領ギュイエンヌとの連絡路確保のためロワール川中流オルレアン侯領オルレアンの町包囲開始。

オルレアン:
ロワール川中流にあり、町自体がロワール川南岸地域への橋頭堡となす戦略上の要地。

オルレアン占領:
①全ロワール川支配。
②王太子シャルルをブールジュに閉じ込め、イギリス・ブルゴーニュ連合の北フランスとイギリス王家最大の所領ギュイエンヌとの結合を可能にする。
③捕虜にした領主の領地は攻撃しない戦闘上の慣習を破る。オルレアン公シャルルはアザンクールの戦いで捕虜となり、また身代金を払えない多数の捕虜が殺害されており、オルレアン包囲は騎士道の掟を破り、神を冒涜する行為の象徴と化しつつある。

オルレアンは、ロワール川下流方面で孤立。
オルレアン市民は、ロワール川左岸の市外地区の建物(オーギュスタン派修道会の教会・修道院、ポルトローと呼ぶ町並み)を破壊しイギリス軍根拠となることを防ぐ。サン・テニヤン教会も破壊。

19日
・日曜日。オルレアンに対する包囲作戦開始。
包囲初日からトゥーレルの城塞(ロワール川に架かる橋の入口にある2つの高い塔)から砲撃。
オルレアンの家屋・建造物に被害が出るが、ロワール川辺の粉挽き用水車12台が破壊され、市民の食糧供給に支障をきたす。市民は、町の内部に馬力粉挽き機11台を設置。

22日
・オルレアンの防衛責任者、住民全員に武器を取るよう呼び掛け、自らロワール川に架かる橋桁の一部を破壊して進入路を拒む。

23日
オルレアン側、トゥーレル砦放棄。イギリス側は町の西側出口に城壁に向かい合うように砦3つを構築。食料不足など持久戦の疲労出る。

24日
・英側指揮官ソールズベリー伯トマス・モンタギュー、砲弾の破片を受け戦死。

25日
・包囲のオルレアンに増援部隊入る。
オルレアンの私生児ジャン(バタール・ドルレアン、後のデュノア伯及びロングヴィル伯、オルレアン家を代表する唯一の人間)、サント・セヴェール、ビュエイユの貴族、歴戦の勇士ラ・イール(エティエンヌ・ド・ヴィニョール)、テオドール・ヴァルベルグ、ポトン・ド・サントライユ(ロンヴァルディア出身野武士)。町の司令官はウラール・ド・ゴークール。
この時期、町の西側は包囲体制がとられるが、東側のブルゴーニュ門方面はまだ出入り自由の状況。東側にも、町の対岸にサン・ジャン・ル・ブラン保塁、町の上流にサン・ルー砦が存在。
*
10月15日
・この日、憲実の越後守護代長尾邦景から急報。
持氏が越後の国人や長尾氏に「御方(みかた)に参り忠節を致すべき」旨の檄をめぐらしていることが判明。
管領からこの旨を聞いた満済は、「陰謀、全く已必定か」と驚き、醍醐寺へ戻る予定をとりやめ、京都の里坊法身院に逗留することになった。

16日早朝、幕府に出仕した満済は昨日管領から得た越後の情報を、詳しく義教に伝えた。
幕府としてはこうなった以上、即座に越後国人中へ宛てて、持氏に味方せぬよう御教書を発すること。関東への抑えとして、信濃守護小笠原政康、駿河守護今川範政に下国して持氏の進撃に備えるよう命じた(『満済准后日記』10月16日条)。

・持氏に将軍宣下の風聞
「仙洞(後小松)より関東へ征夷将軍院宣、成し遣はさるゝの由風聞これあり。この事凡そこの四五月以来の浮説なり。以ての外の重事、信用に及ばざる事歟。」(『満済准后日記』10月16日条)
義教が室町殿を継承して9ヶ月が経つのに、末だ将軍宣下が行なわれていない(4月14日にに従四
位下の昇叙があったのみ)。後小松上皇は関東の持氏を将軍に任ずるつもりではないかとの噂が、4、5月頃から流布していたという。
満済は「信用に及ばず」と打ち消すものの、上皇周辺ではこの数日来、気になる事が起っている。"

・上皇の出家騒動
10月中旬、上皇は「御落髪」(出家)しようと摂政二条持基に相談し、「大略内々の儀、御必定なり」と、出家が決定していた(『満済准后日記』10月14日条)。
ところが14日、院使右大弁親光が義教に伝えたところ、義教は、「当御代未だ御院参なし。仍(よつ)て未だ竜顔(りゆうがん)を拝せられざるの間」(上皇にまだ対面していない)との理由で、「平に御延引、畏(かしこ)み申すべき由」と返答し、強引に上皇の出家を諌止した。
上皇出家の決意と、持氏への将軍宣下の噂は関連あるかどうか不明だが、上皇がなんらかの事実の露顕、あるいは上皇への処罰を恐れて出家を決意したのではないか、との疑いも否定しきれない。

・熱田大宮司の家来なる吉川某の陰謀が発覚
「熱田大宮司の野田は当参(幕府)奉公の者なり。親に於ては関東奉公なり。この大宮司内者(うちのもの)吉川と云ふ者、方々へ料簡せしめ、この院宣(持氏将軍宣下)の事申し出づるの由、蜷川中務方より伊勢守方へ去月比(こと)申し了んぬ。爰(ここ)に又、吉川主人大宮司、伊勢方へ罷り打で申す様、召し仕ひ候吉川、都(京都)鄙(鎌倉)雑説について、不儀の事共候の間、打ち進(まいら)すべき由、代官方へ申し付くるの処、その身に於ては逐電し了んぬ。内者一人これを打ち候。然るべきの様、披露すべしと云々。(『満済准后日記』10月16日条)
熱田社の大宮司は親が鎌倉府の奉公衆(御家人)、子の野田が幕府の奉公衆で、尾張という土地柄からも、東西(都鄙)の情報が集まりやすい立場にあった。野田の家臣吉川某は(持氏側の働きかけもあったと思われるが)陰謀をたくらみ、上皇に持氏を将軍になす院宣の申請を、9月頃に京都で行なった。窓口は政所執事伊勢氏の代官、蜷川中務を通じてであった。蜷川中務はこれを幕府に報告し、義教・満済らもこの情報は得ていたが、あまりに荒唐無稽と感じたのか、騒ぎ立てずに様子をみていた。
一方、大宮司野田氏もこの動きを察知し、吉川を手討ちにせんと命じたが、すでに吉川は逃亡し、吉川の家来一人を殺しただけであった。ともかく野田は、この顛末を幕府に急報した。それが京都に届いたのは10月16日のこと。
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10月22日
・詳細は不明であるが、持氏将軍宣下に関して、ある僧が秘密を白状する。
「入夜三宝院に向ふ。妙法院賢長僧正の部屋、僧正に謁見し密談の事あり。夜前一侍者川原に於て礼問す。小兵局伝達の由、白状すと云々。准后を以て仙洞に尋ね申さるべきの由、管領等意見ありと云々。希代の事なり。猶ほ以て不審の事なり。慥(たしか)ならざるの間、口外に及ばざるものなり。(『建内記』10月22日条)

「今暁寅の末、大館、伊勢両人、御使として来る。一ヶ条重事なり。一侍者と号する僧、究問の事これあり。彼の白状持ち来る。一見を加へ了んぬ。希代の事なり。注し置くに及ばず。(『満済准后日記』10月22日条)
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ボブ・ディラン、ノーベル賞はもちろん受ける!授賞式は「行けたら行く」 - シネマトゥデイ ; 「ノーベル文学賞受賞のニュースに言葉を失っていた。この栄誉をとてもありがたく思います」 / ボブ・ディランになぜか「失望」する人たち ノーベル賞「受諾」は「名誉に弱い」から? — J-CASTニュース



“強行採決”暴言の山本農相 なんとTPP反対に署名していた (日刊ゲンダイ) ; 「(TPP法案)を強行採決するかどうかは、(議運委員長の)佐藤勉さんが決める」と発言し、陳謝させられた。反対署名をした1年前とは、別人かと思うような“変節”である。




【報ステ】経産省・東電委の“ウラ会合”が発覚(2016/10/28 23:30) ; 経済産業省の東電改革委員会が『原則公開』の方針に反し、開催自体を公表しない非公式な『ウラ会合』で原発の廃炉費用など重要案件を議論していたことがわかった。・・・公式会合の翌日の午前7時から東京都内のホテルで行われ、経産省幹部や東京電力の広瀬社長、伊藤邦雄委員長など主要メンバーが・・・


 東京電力の経営改革などを検討する経済産業省の東電改革委員会が『原則公開』の方針に反し、開催自体を公表しない非公式な『ウラ会合』で原発の廃炉費用など重要案件を議論していたことがわかった。

ウラ会合は、公式会合の翌日の午前7時から東京都内のホテルで行われ、経産省幹部や東京電力の広瀬社長、伊藤邦雄委員長など主要メンバーが福島第一原発の廃炉費用や廃炉の方法について話し合ったという。

「26日にメンバーで集まったのか?」の問いかけに伊藤邦雄委員長は「ノーコメント」としている。世耕経済産業大臣は「非公式な会合は存在しない。私はまったく聞いていない」と話した。

現在、廃炉と賠償費用で11兆円が予定されているが、さらに、7兆円かかるという内部試算も出ている。

経産省内部では電気料金に上乗せする案が検討されているため、議論は公開の場で行われる必要がある。


肝心部分は必ず伏せてハナから国民の理解を求めない政権 (高橋乗宣 日刊ゲンダイ) ; 駆けつけ警護、TPP、生前退位。「何でもカンでもベールに包みながら、歯向かう国民には容赦しない。…閉塞的で排他的な政権のせいで、まことに嫌な風潮が蔓延している。 」 / 肝心な部分は必ず伏せる






2016年10月28日金曜日

安倍首相、ブランド化で輸出拡大=農水相「関税守りきれず」-TPP(時事) ;  コメ、牛・豚肉など農産物重要5項目について、民進党の玉木雄一郎氏は「(関税維持を求めた)国会決議上の義務を果たしたものはゼロだ」と批判。山本有二農林水産相は「完全に関税を維持し、守りきったものはない」と認めた。


 コメ、牛・豚肉など農産物重要5項目について、民進党の玉木雄一郎氏は「(関税維持を求めた)国会決議上の義務を果たしたものはゼロだ」と批判。山本有二農林水産相は「完全に関税を維持し、守りきったものはない」と認めた。







見事なサケです。65センチもあるそうです。福知山市の牧川で今年初めてサケが捕獲されました。遡上(そじょう)が確認されたのは例年並みだそうです。 — 朝日新聞京都総局

(ネコ動画) 取り合い・・・? と、思いきや・・・(笑)

衆院TPP特別委、松本消費者・食品安全担当相には男女のペア黒子がつく。隣席の山本農水相もびっくり。 — 冨永 格

秩父市と小鹿野町にまたがる公園「秩父ミューズパーク」でイチョウが黄色く色づき、見ごろを迎えました。— 東京新聞写真部

改憲隠し 首相答弁に透ける欺瞞 (神奈川新聞) ; おかしいだろ!記事を書きました。「改憲隠し 首相答弁に透ける欺瞞」 今臨時国会、安倍首相は突如として憲法改正について「答弁する義務はないわけですよ」などと言い出しました。 これまで再三、熱烈に口にしてきたのに。選挙前だからですか? — 田崎 基(神奈川新聞 記者)



核兵器禁止条約 決議案が国連の委員会で採択 日本は反対 — NHK ; 核兵器を法的に禁じる初条約を目指す国連決議に、米国など核保有国とともに反対した日本。唯一の被爆国の恥ずべき態度が内外から非難されるのは当然です。広島の被爆者団体は「123カ国もの賛成は新たな時代への一歩。それについていけない日本は何なんだと」画面はNHK昼ニュース














「TPPは和牛の輸出を増やすチャンスだ」という声に対し、「はっきり言って、上っ面のすすめですよ」~宮崎県にあるJA高千穂地区畜産部生産課長にIWJがインタビュー!



記事目次

・宮崎県の高千穂地区では、年間で母牛4500頭、子牛3500頭を生産、和牛繁殖農家は804戸

・TPPにより牛肉の関税が38.5%から9%に下げられることについて「あってないようなもの。厳しいのは間違いない」

・TPPによって804戸の繁殖農家はどうなるか?「枝肉の価格が安くなれば、子牛の値段も安くなる。あとは自然と答えが出てくるでしょう」

・和牛はすでに「差別化」されている。TPPによって「今度は、格差の問題になってくる」

・「TPPは和牛の輸出を増やすチャンスだ」という声について「はっきり言って、上っ面のすすめですよ」



【TPP医療! 米国政府の意向の受け入れ約束ではないと安倍】 安倍「医薬品等に関する付属書<協議する用意> 米国政府の意向を受け入れる事を約束するものではない 笠井亮「アメリカ側から違うと言われますよ!国民皆保険が危ない!」

2016年10月27日木曜日

鎌倉 鎌倉散歩 鶴岡八幡宮の紅葉ポイントの様子(紅葉まであと1ヶ月)など 2016-10-27

10月27日、晴れのち曇り
今日は午前中すごくいいお天気で、お昼ころ、鎌倉に出かけた。
(午後からは曇りがちの天気になった)

この時期は、小中学生がやたら多く、地図とかノートを持って、小集団で歩き回っている。
彼らはノロノロ歩きやら、駆け足やら、予測のできない行動パターンで歩き回る。
近くにいると結構面倒なので、今日は、住宅街の小道を選んで歩いた。

▼鶴岡八幡宮の紅葉ポイント
まだまだ紅葉まではあと1ヶ月もあるので、ま、こんな感じ ↓。


▼旧の県立美術館辺り、なにやら工事が始まってる。

▼お昼は、鎌倉駅前にある創業昭和11年とあるお店で、またもサンマーメン。
他にもグッとくるメニューがあったので、また行くかも。


「秋風やひとさし指は誰の墓」 「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」 (寺山修司) ; 寺山の作品を読み解くキーワードは、「コラージュ」と「虚構」である (寺山の鮮やかな手並み 松村由利子(『朝日新聞』2016-10-24短歌時評))

 秋風やひとさし指は誰の墓 寺山修司
 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 寺山の作品を読み解くキーワードは、「コラージュ」と「虚構」である。
「マッチ擦る・・・」は先行する富澤赤黄男(あきお)の2句をコラージュしたような歌であり、寺山には自分の俳句を歌に仕立てた作品もある。
その世界はあくまでもくっきりと描かれ、作中主体が寺山自身でないことなど何の意味も持たなかった。

 歌壇では今なお「われ」の重みが評され、虚構の是非が論じられている。
鮮やかな手並みで言葉を操り、「われ」を見せなかった寺山は、種村の言う通り「現代短歌史上最大のトリックスヌー」であり、それゆえジャンルも時代も超えて愛され続ける存在なのだ。
(歌人)

寺山の鮮やかな手並み 松村由利子(『朝日新聞』2016-10-24短歌時評)




三笠宮(100歳)逝去 ; 神武天皇の即位は神話であり史実ではないとして強く批判し、積極的に紀元節復活反対の論陣 / 「兵隊の胆力を養成するには、生きた捕虜を銃剣で突きささせるに限ると聞きました」 / 「中国の人民にたいして犯したいまわしい暴挙の数かずは、いまさらここにあげるまでもない」 / 「略奪暴行を行いながら何の皇軍か。現地の一般民衆を苦しめながら聖戦とは何事か。」 / 「聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであった」 / 南京虐殺について「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係はありません」 / 週刊新潮の「三笠宮殿下」特集がすごい件~「罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かず」 - NAVER まとめ













 44年1月、三笠宮さまが陸軍を批判した文書は50年後の94年7月に見つかった。自身の「お印(しるし)」にちなんだ秘匿名「若杉参謀」の名で書かれ、「支那事変に対する日本人としての内省」と題し、「現在日本人、特に軍人に欠如しているものは『内省』と『謙譲』」と述べ、軍部に猛省を迫った。
 日本軍の残虐行為をテーマにした映画を日本に持ち帰り、昭和天皇に見せたこともあった。「聖戦という大義名分が、事実とはおよそ懸け離れたものであった」「聖戦に対する信念を完全に喪失した私としては、求めるものはただ和平のみとなった」。著書に付した「わが思い出の記」で当時の苦悩を吐露している。

憲法9条について「戦争放棄は大変いいと思いました」と述べ、紀元節復活の動きには「歴史学的、考古学的な裏付けがない」と反対。時に踏み込んだ見解を示し、保守派勢力から「赤い宮さま」とやゆされたこともあった。












衆院TPP特別委では山本農水相が矢面に。いつもの朗読劇から脱し、たまに顔を上げて自分の言葉で答えようとするも、答弁書を離れると意味不明になる場面が多い。たまらずいつもの黒子役人に、さらに黒子2人がつく。 — 冨永 格 / 民進宮崎が山本農水がSBS米の件に関して調査対象であった商社から献金(政治資金パーティ含む)を受け取っていた事を暴露。当初、山本は事前通告があったにも関わらず、通告に無い、と白ばっくれるが渋々認める。  / 「TPP強行採決」発言の山本有二農水相が輸入米の業者からカネ! TPP推進のために輸入米不正取引を見逃しか











TPP地方公聴会 ; 参考人からは 「国会の議論が深まらないままTPP協定承認案の強行採決は決してあってはならない」 「農家が経営困難になり地方の崩壊につながる」 などの意見が出された (HTBニュース画像)

日本シリーズ 第4戦、9回、日本ハムの岡選手がみせたファインプレーです。— 読売新聞写真部 (画像)

三代目JSB 1億円でレコード大賞買収の「決定的証拠」(週刊文春) ; 芸能プロダクション「バーニングプロダクション」が、三代目が所属する「株式会社LDH」に対して1億円を請求・・・10月21日、週刊文春はバーニング、LDH、三代目のレコード会社であるエイベックスに事実確認を求めたが、ともに期限までに回答はなかった。そのわずか2日後、LDH代表取締役のHIRO(47)が突如、今年限りでの社長退任を発表した。 / HIROが「レコ大1億円買収」隠しのために妻・上戸彩を利用したヤラセ写真公開! EXILEリーダーの「男らしさ」の正体





衆院TPP特別委。内田聖子「このTPPが異様なのは異常な秘密主義ということ」「保秘契約書の中身自体が秘密で、何が秘密なのかすら秘密になっている」「再協議が一方的に課されている日本だが、今の国会ではそれについての議論は皆無だ」「その度に批准し直すのか。法的な問題が残っている」「そうした議論抜きで拙速な批准は無謀だ」 / 山浦参考人「日本は世界で一番遺伝子組み換え食品を消費している国になっている。世界のモルモットにされている」「日本の和牛肉の評価が高いのは肥育ホルモンなどを使わず、安心なものだからだ。米国の研究者は米国産の牛肉は食べない」  




















2016年10月26日水曜日

(ネコ画像) 「恐れていた事態」

塩崎は必死で「年金カット法案」を「将来年金確保法案」に言い換えようとしてるけど。でも、「将来の年金が確保される」というのは、制度上当たり前のはずで。それがもう出来ない、年金制度は破綻した、と自ら宣言してるようなものだよなぁ。 / 今日の厚労委員会①10年加入で年金資格得るのは約42万人。なお26万人が無年金。10年は満額4分の一の16000円。プラス年金生活者支援金も4分の一の1250円だ。なぜ年金法の外の福祉的給付なのに納付期間とリンクさせる?大臣「納付意欲をそがないために」低所得者対策に値しないっ! — 高橋千鶴子


堀田善衛『ゴヤ』(110)「アトリエにて」(3) ; 民衆の飢えと苦しみがいやましにまして行き、マドリードがゲリラとフランス軍の海に溺れかけているとき、一八一二年に入って四万のウェリントン軍が再びポルトガルから侵入を開始した

ゴヤ『戦争の惨禍』55
「物乞いをしなければならぬとは最悪だ」1808-14

ゴヤ『戦争の惨禍』62
「死者の床」1808-14

しかしここでもゴヤが描いているものは、当然のことながら、結果であって原因ではない。ただでさえ収穫量の少いスペインにあって、戦争は農民を流民とし盗賊兼ゲリラにしてしまった。しかもナポレオンは「戦争は戦争を養う」(軍隊の現地自活)という方針であり、英国の代理人は穀物の値段を釣り上げてあらゆるところで買い占めをやった。

そうして最悪なのは、カディスの中央評議会が、収穫を燃やせ、という命令を下したことであった。燃やしたものには褒賞金が出た。ゲリラはマドリードへと送られる食料輸送隊を襲い、護衛のフランス兵を殺した。

これでは首都が飢えるのも当然である。首都そのものが「物乞いをしなければならぬとは最悪だ」(五五番)ということになる。「死者の床」(六二番) - 集中もっとも迫力があり、かつもっとも凄惨なものである - それがマドリードを象徴していた。一八一一年一〇月から翌一二年二月までに、二万人の市民が飢えと病いで死なねはならなかった。

この惨憺たる時に、王であるホセ一世は何をしていたか。
・・・
・・・彼は自分の内幣金(ないだきん)をさいて麦を買い集めさせ、王宮に製パン工場を作らせた。かくてこのパンを巷で食を乞うている人々に分配させたのである。しかもそのパンがどこから来たものであるかを人々に告げることを禁じた。また彼自身もがその黒くて粗末なパンを王宮の食事に使わせた。一八一一年の一二月と明けての一月には、自ら巷へ出掛けて行って人々の苦情と嘆きに耳をかたむけた。・・・
・・・
・・・彼は皇帝から派過されて来ている副官の一人に、一八一一年の暮頃に次のように告げている。
「私がここ(スペイン)にいても何の役にも立たない。はっきり言って、それは不可能なんだ。だから、もう長くつづいているこの国民の悲惨な光景と、それが不可避的にもたらすにきまっている結果が、私をして暴力的に追い出すことになる以前に、私はマドリードとスペインから立ち去りたいと思う」
正直な告白である。
またこのあと数カ月して彼は弟に明白なことばで桂冠したい旨を書き送ったが、返事がなかった。当のナポレオンもスペインどころではなかったのである。

この不幸な時期に、・・・ゴヤは何をしているか。
一八一一年、ゴヤはすでに六五歳である。・・・
ゴヤは妻のホセーファとともに公証人事務所へ出頭して遺言を作成した。これによれば、二人の遺骸はフランシスコ会の修道服で包んで欲しいこと、夫婦一人一人のために二〇回のミサをあげて欲しいこと、教会、罪人の救済、病院に寄付をすること、両者のうち、後に残った者及び息子ハピエールを遺言執行人とすること等である。
彼ら夫婦は、要するにブルジョアであって、世間に如何に飢えと病いで死んで行く人が多くても、彼ら自身はとにもかくにもしのいで行くことが出来る。けれども彼らをとり囲んでいる飢えと死は、彼らに老い先の短さを思わせたに違いない。・・・
・・・
・・・ひそやかに生きた女性が、一八一二年の六月二〇日に、ひっそりと息を引きとって行った。・・・
二人で共同の遺言を作成してから、ちょうど一年後であった。
・・・

民衆の飢えと苦しみがいやましにまして行き、マドリードがゲリラとフランス軍の海に溺れかけているとき、一八一二年に入って四万のウェリントン軍が再びポルトガルから侵入を開始した。・・・このときはまだ、ただのアーサー・ウェルズレイであるにすぎない。アイルランドはダブリンの貴族階級出身で、インドの植民地軍できたえて来た将軍である。

まず国境に接したシュウダード・ロドリーゴ地方の首都を包囲し一月二〇日、陥落。この戦果によって将軍は、カディス摂政会議 - と中央評議会は改称していた - によって、スペイン大貴族シュウダード・ロドリーゴ公爵に叙せられ、英国側もこれに応じウェリントン卿(Lord)として上院議員に任じた。・・・
軍はポルトガルとの国境沿いに南下して三月にはエストレマドゥラ地方のバダホスを包囲、例によって掠奪。
この軍は進撃する毎にその数を増して行った。・・・

その頃、ナポレオンはと言えば、大軍を率い、自信に満ちてロシア戦線にあった。スモーレンスク前方のヴィテブスクを攻めたてていた。来るべき一大破局へ、まさに突入しようとしていたわけである。
そうして兄のジョセフは、これも相当な軍を率いてサラマンカ付近のロス・アラビレス高原に進出し、英軍を迎え討とうとしていた。これも一大破局への突入であった。数週間の血戦の後に、ここでフランス軍は九〇〇〇の死傷者を出した。祖国の運命は外国人同士の戦いに依存していた。英軍の損害は五〇〇〇。

ジョセフはあわててマドリードに戻り、またまた逃げ出さなければならぬ。総計二万のフランス軍が今度はアランホエースめがけて南下した。撤退作戦の指揮者は、ユーゴー将軍、ヴィクトル・ユーゴーの父である。”フランス派”の”協力者”たちもまた逃げ出さなければならぬ。ゴヤの友人のモラティンはバレンシアからパルセローナへと、半殺しの目に通わされながら彷徨をしなければならなかった・・・

ウェリントンの軍と、これに付随していたゲリラの集合部隊が、八月一二日、炎熱のマドリードに、文字通り熱狂的な歓迎をうけて入城した。祖国の恒久的解放である。
・・・

・・・この頃に、母とともに父に会いにスペインへ来ていた幼いヴィクトル・ユーゴーは、後に次のように回想をしている。

生れの土地を征服者から奪いかえそうとして戦い、ついに成功をしたゲリラの剛勇なる首領たちのなかに、一人として広く知られた名の人はいないのだ。名前などはどうでもよかったのだ。なぜかといえば、彼らは栄誉のために戦ったわけでもなければ、まして名を知られようなどとは考えたこともなかったのだ。一番有名な連中も、みな綽名だけだ。松ヤニ屋、山羊番、司祭、親分、医者、片手、チョッキ、半ズボン等々。

英軍は現在はプラド美術館となっている、未完成の宮殿を兵舎とした。もっとも、補給の乏しかったフランス軍は、この宮殿の銅葺きの屋根板をひっペがして銃弾にしていたのであり、半ば廃墟となっていたものであった。長くこの宮殿の外壁に、”Royal British Artilley, 1 Sept. 1812 A. Ramsey” という落書がのこっていたということであるが、この落書は、この首都の蒙った甚しい運命を物語るものであった(ついでに言えば、先の市民戦争のときには、プラド美術館の主要作品は共和国政府の手でジュネーヴヘ疎開されたものであった)。
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石原氏側近で元副知事の浜渦氏 豊洲の地下空間「石原氏は知っていたと思う」〈週刊朝日〉 ; 浜渦氏はその真相をこう証言する。 「実を言うと、舛添(要一)さんが都知事になる前、石原さんは小池さんに『やる気ないか』と尋ねたというようなことも言っていたね。当時、小池さんは『石原さんに(都知事)どうかと言われたけど、結局、田母神(俊雄)さんを応援したのよ、あの人は』と言ってました」 ← みんな同じ穴のムジナ?


 (略)

 思えば、その豊洲移転の命運を決定づけたのは、都知事選最中に飛び出した石原氏の暴言だった。

「あの人(小池氏)はウソつきだと思います。私が今度の選挙に出たらいいなんて言ったという。そんなこと毛頭ありませんから」「大年増の厚化粧」(7月26日)

 しかし、浜渦氏はその真相をこう証言する。

実を言うと、舛添(要一)さんが都知事になる前、石原さんは小池さんに『やる気ないか』と尋ねたというようなことも言っていたね。当時、小池さんは『石原さんに(都知事)どうかと言われたけど、結局、田母神(俊雄)さんを応援したのよ、あの人は』と言ってました」



「死ぬくらいなら辞めれば」ができない理由 1/2 むかーしの体験談と、そのとき思ったこと。よければ拡散してください。 / 「死ぬくらいなら辞めれば」ができない理由 2/2 イジメで自殺するような子も同じような状況に陥ってると思います。 洗脳前に動くのが大事だ!洗脳されかかってたらとにかく寝るのが大事だ! — しおしおしいしおしお / 過労で心の病、30代が3割 労災認定で目立つ若者 (日経新聞)