2018年3月31日土曜日

東京 北の丸公園 遅桜たちのラインナップが揃い始めた ヤエムラサキザクラ ヤエベニトラノオ イチヨウ ハタザクラ ウコン ヤエベニシダレ ハナカイドウ 2018-03-30

3月30日
ソメイヨシノの後から咲く遅桜のラインナップが揃い始めた。

残念なのは、これらが見事に咲き誇る公園の一角がフェンスに囲まれ、いま何やら工事中だ。
あれらの桜たち、伐採されたんだろうか?

▼ヤエムラサキザクラ(八重紫桜)


▼ヤエベニトラノオ(八重紅虎の尾)

▼イチヨウ(一葉)

▼ハタザクラ(旗桜)

▼ウコン(鬱金)


▼ヤエベニシダレ(八重紅枝垂)


▼ハナカイドウ(花海棠)


東京 北の丸公園 散り始めたソメイヨシノ 牛ヶ淵、田安門、九段下あたりの名残の桜 2018-03-30

3月30日(金)
いよいよソメイヨシノが散り始めた。
ちょっとはかなげに見える桜もまたいいね。
牛ヶ淵、田安門、九段下あたりの名残の桜(↓)

一番下の二枚は、あまり人の立ち入らない弥生慰霊堂からの桜景色。

北の丸公園内では、八重の一葉などの遅桜が開花し始めた。
(これは別記事にて)
東京 北の丸公園 遅桜たちのラインナップが揃い始めた ヤエムラサキザクラ ヤエベニトラノオ イチヨウ ハタザクラ ウコン ヤエベニシダレ ハナカイドウ 2018-03-30

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どう見てもこれはアホすぎる → 新聞を読まずに、新聞はTPPについて書かないと批判する麻生の馬鹿さ加減は、安倍政治及びこれを必死で応援するネトウヨの特質を物語って余りある。 — 山口二郎 / 「TPP11は日本の指導力で締結された」←締結されてませんでした  「茂木大臣が0泊4日でペルー往復した」←チリでした 「日本の新聞には1行も載ってなかった」←朝日、毎日、読売が報じてました       

























森永卓郎「いろいろな所で試算されてるが 大企業や富裕層の優遇税制を直しただけで38兆円税収増える 大手企業はほとんど税金払ってない 富裕層はいろんな税の専門家を周りにつけて 相続税払わない 所得税払わない 年収1億円で負担率がピークになって それを超えると所得税の負担がどんどん下がってるのが今」














2018年3月29日木曜日

鎌倉 妙本寺のソメイヨシノ散り始める 海棠咲き始め 鶴岡八幡宮段葛の桜は三分咲き 2018-03-29

3月29日、はれ
このところずっとサクラの追っかけやってたので、しかも昨日は千鳥ヶ淵の夜桜で夜更かししたこともあり、またおまけに花粉のせいもあるのかな?、今日は朝から調子が悪い。
こうゆう時は睡眠補給が一番。
で、やっぱり案の定、横になったったらすぐにコトリと寝落ち、10分も寝たかなと時計を見ると1時間半も爆睡してた。

それから久しぶりに鎌倉に出かけた。
大巧寺と本覚寺は定番。
大巧寺のツバキの数が一段と増えていた。
本覚寺のベニシダレは予想した通り、もうかなり遅い。
(写真は割愛)

今日のお目当ては妙本寺のソメイヨシノと海棠。
これは期待通りバッチリのタイミングだった。
それと比企の谷、すっかり新緑の様相だった。これは新鮮だった。
ミツバツツジも咲き始めていた(写真割愛)

風が吹くとソメイヨシノの花弁が舞い、参観者ギャラリーから歓声が上がる。

一日中ここにいても決して飽きない、そんな時間だった。

咲き始めの海棠が堪らない.....









▼鶴岡八幡宮段葛
まだまだ咲き始め、三分咲きくらいかな?


▼かなり遅めのお昼、コメダの小倉トースト
アンコ大好き!

「『草枕』の那美と辛亥革命」(安住恭子 白水社)編年体ノート10 (明治30年ー2終)

鎌倉 妙本寺 2018-03-29
*
明治30年-2
漱石の小天訪問
漱石は、熊本県玉名郡小天(おあま)村湯之浦(現玉名市天水町小天)にある、前田卓の父案山子の別邸に、熊本第五高等学校英語教師の同僚、山川信次郎に誘われて初めて訪れ、その年末から正月3、4日頃まで滞在した。
小天は、熊本市から二つの峠を越えた北西約14km(熊本市中心からは約20km強)に位置し、その峠から有明海になだれこむ、丘陵から海辺の平地にいたる村で、古くから蜜柑の産地として知られていた。

漱石らが小天を去る際の揉め事
夏目鏡子、松岡譲筆録『漱石の思い出』に次のような記述がある。
「その帰る時のこと、二人(漱石・山川)の茶代が五円、女中の気付が一円、姉さん(卓のこと。鏡子夫人は当時、卓をこう呼んでいた)には袖口代にとあって三円包んであったそうですが、姉さんはまだそんなものを客からもらったことがないので、顔を赤らめてかえしますと、せっかくやったものをかえすものもないだろうという剣幕だったということです」。
二人は、特に卓に世話になったことを思い、感謝として「袖口代」という名目でチップをはずんだが、当然卓は受け取れないと言い、癇癪持ちの漱石がすごい剣幕で押しつけた。
卓は旅館業という意識は持ってなかった。峠の茶屋のおばあさんも、「村のものもちで、湯治場だか、隠居所だかわかりません」と言っている。
前田案山子は隠居してこの別邸に住んでおり、離婚して実家にもどってきた卓もまた、本邸ではなくこの家に暮らしていた。

漱石が旅行した理由
お正月だというのに漱石が前年6月(明治29年6月9日)に結婚したばかりの妻を熊本に残して小天に出かけたのにはわけがあった。結婚して2人が初めて迎えた前年のお正月、まだ20歳の鏡子夫人が料理を整えたが、手慣れないこともあり、客に出す料理が足りなくなってしまった。同居していた長谷川が「交際家」で、教え子らの来客が多かったせいである。お正月とあって仕出し屋も休み。漱石は体裁が悪いと怒りだしたことがあった。
これに懲りて、「正月には家にいないに限るとあって、次の年から正月へかけて、たいてい大晦日あたりに旅行に出ることになりました」(『漱石の思い出』)という。

前田卓と那美
この時期、卓としては、植田耕太郎と永塩亥太郎との二度の離婚によって、少女時代からの夢が無惨に破れ、「婦人の地位人生の味気なき」思いを深くかみしめた時期である。長男だけが全財産を受け継ぐという家制度への反撥から、長男下学と財産分与問題で争ってもいた。

さらにもう一つ、父案山子の妾の問題があった。
卓が小天に戻った時、別邸には、卓とさほど年齢の違わない父親の愛人(林はな)が同居していた。「父上妾を置きなさるるなどの事」に言及している滔天の手紙が明治26年なので、同居はその頃からで、政治活動から身を引いた案山子は、はなを小天に連れ帰っていた。
2人の間には、明治28年に利子(翌年死去)、30年に寛之助、31年1月22日に利鎌が生まれる(漱石らが年末年始に訪れた直後のこと)。
卓たちの母親は存命中で、彼女は本邸にいたが、同じ村の中であり、妻妾同居同然の振る舞いである。
永塩の女性問題に失望して戻ってきた実家でもまた、同じこと起こっていた。尊敬していた父、民権家の指導者であった父親の、その姿を見る無念。それは時として、気が狂うほどのことであったにちがいない。滔天の手紙にあるように、感情的な卓が奇矯な振る舞いをすることもあったかもしれない。

けれども卓は、「お卓おばさんが来ると、部屋の中がパッと明るくなった」(下学の孫、前田伸子)というように、生来の溌剌とした精神を抑えられない人でもある。従って、辛い思いは胸にひめて、前田家長女として家事を取り仕切っていた。新しく生まれた異母弟たちの面倒をみて、荒尾の滔天の家で妹槌らを助けた。

漱石と出会った当時の卓(29歳)はこのような状況にあった。生来の強さと、養われてきた女権意識と、それらを押しつぶす男たちや世間との葛藤の最中にあった。「心に統一がない」(『草枕』三)姿である。

漱石が描く那美も、孤独や虚無を抱えつつ、しおれるのでも悟りきるのでもなく、強い反撥心を持つ女だ。この「不幸に圧しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔」をもつ那美の光と影は、卓の光と影に重なる。

「ささだ男もささべ男も、男妾にするばかりですわ」と那美は言う
「ささだ男もささべ男も、男妾にするばかりですわ」(四)という那美のセリフは、はすっぱだけの物言いではなく、痛切な反語だった。男たちが平気で妾を持ち、それを当たり前のことにするなら、女も同じことをして何が悪いという、苦い思いの裏返しだ。
このセリフの後、画工と那美はこう続ける。
「両方ともですか」
「ええ」
「えらいな」
「えらかあない、当り前ですわ」(四)

この「当り前ですわ」の皮肉な響きに、冷え冷えとした思いを抱えながら、強がって生きる卓が見える。
また、鏡が池に近々身を投げるかもしれないというくだり。
「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが・・・」
「行って御覧なさい」
「画にかくに好い所ですか」
「身を投げるに好い所です」
「身はまだ中々扱げない積りです」
「私は近々投げるかも知れません」

「男妾」のくだりでは、「淵川へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」といっていた那美が、ぽつりとそういう。
そしてこう続く。
「私が身を投げて浮いている所を - 苦しんで浮いてる所じゃないんです - やすやすと往生して浮いている所を - 綺麗な画にかいて下さい」
「え?」
「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでしょう」(九)
こう笑って立ち去る那美の姿もまた、漱石と出会った頃の卓が見える。

このような会話が実際にあったということではなく、当時の卓の姿の内実を、漱石が敏感に受け止め見抜いたことが、小説に反映していると思われる。漱石の想像力を刺激するような、黒々とした影に縁取られた強い光が、その頃の卓にはあった。

(つづく)

ささだ男に靡こうか、ささべ男に靡こうか・・・・・」の『ささだ男』『ささべ男』の意味については、

ブログ「万葉集遊楽」の「万葉集その二十四(漱石の草枕)」

に詳しい説明がある。

東京 北の丸公園 清水門周辺 牛ヶ淵の桜 中の池の桜  皇居東御苑 本丸広場のコシノヒガン、ソメイヨシノ、エドヒガン 2018-03-28

3月28日(水)
北の丸公園 清水門周辺 牛ヶ淵の桜 中の池の桜


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皇居東御苑 本丸広場のコシノヒガン、ソメイヨシノ、エドヒガン


小池晃の質問 ; 安倍晋三しどろもどろ答弁でインチキがバレる 『昭恵夫人の小学校の名誉校長はあまたあるが行政に影響及ぼしたことはない』 → 『名誉職に訂正する。校長や園長は他にない』 → 『2つあったがすでに辞めている。御影インターナショナルと瑞穂の国小学院』 → 結局、「あまたある」が「モリカケ2件」だった!




















今週は文春、新潮とも「昭恵夫人」 安倍「暗黒支配」と昭恵夫人の嘘を暴く(文春) 散り際の「安倍昭恵」(新潮) / ついに別れのときが来た(週刊現代) / 昭恵さんと没交渉の安倍首相「もう顔も見たくないよ…」(NEWSポストセブン) / 女性セブン 「昭恵さん、私は弱くない、夫婦離婚の時」





















安倍昭恵付き谷査恵子の任命文書が真っ黒塗り あべともこ「こんなことまで隠さなくてはやれない政府はおかしい」; 菅義偉官房長官も審議官も答弁できず / 谷のFAXの謎 日付が不明 2枚同日なのか 別日なのか 

















田中真紀子氏、小泉進次郎議員の発言を痛烈批判「本気で取り組むなら自分が質問しないと」(スポーツ報知):「これおかしいって言えばいいものを、ぎりぎり評論家みたいなことを言っていて」  「若い子なのに、汚いと思う。もっと本気で取り組むんだったら、自分が質問しなければいけない。あの人は30年前の安倍さん、30年経ったら今の安倍さんになる子ね」


2018年3月28日水曜日

東京 千鳥ヶ淵の夜桜 2018-03-28    

3月28日、はれ
通勤にコートをやめたのは今週だった気がする。
なのに、今日のお昼散歩では、コートどころか上着も無用、半そでシャツでいいくらいだった。

今日は、夜、たまたま遅くなったので千鳥ヶ淵の夜桜を観に行った。
何年もこの近くに棲息していたのに、本格的な夜桜見物は今日が初めて。

昔の見物ポイント(公衆トイレの裏)は立ち入り禁止になってたハズだが、誰かがそれをどけたのか?、ご自由にお入りくださいモードになっていた。
それもそのハズ、新たな見物ポイントは入場制限中で、その列の混雑ぶりは待ち時間30分はゆうにかかると思われるほど。

与謝野晶子の京都の夜桜を詠った歌は「今宵あうひとみなうつくしき」だけど、
千鳥ヶ淵の夜桜は、「今宵あうひとみな酒の匂い」だった。
ま、「みな」はおおげさだけど.....
ちなみに私は.....シ、ラ、フ!!








2018年3月27日火曜日

横浜 大岡川の桜 弘明寺から黄金町までを歩く 2018-03-27

3月27日、はれ
今日は2年ぶりに横浜、大岡川に行った。
2年前は確か弘明寺から蒔田まで歩いて、それから戸塚の柏尾川へ移動するというダブルヘッダだった。
横浜 大岡川の桜 五分から七分咲き 2016-03-31

今年は弘明寺から黄金町まで、つまり京浜急行の3駅分を歩いて、上大岡でお昼を食べてオシマイにした。

2年前は3/31で五分から七分咲きだったようだが、今年は今日3/27で満開となった。

大岡川の桜は弘明寺周辺と黄金町周辺に集中していると理解するのがいいようだ。







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共産小池氏激怒「これでは進められない!」質疑中断(日刊スポーツ); 例えばコレ→ 小池:昭恵夫人の名前が決裁文書に出てくる。いつ見たか? 佐川:決裁前、書き換え後の文書をいつ見たかはお答えできない 小池:安倍昭恵さんの名前が何度も出てくる。見た時どう思ったか? 佐川:いつ見たかになるので答えられない。 





今井首相秘書官の関与を佐川氏否定「虚偽答弁ではないか」森ゆうこ議員 / 佐川・前理財局長が証人喚問で明かさなかった今井首相秘書官の秘密 |AERA dot. (アエラドット)




自民・丸川珠代「少なくとも総理、総理夫人、官邸の関与はなかったという証言が得られました。ありがとうございました」…議場に嘲笑を交えたどよめき 誘導尋問(Q「ありませんでしたね」 A「はい、ありません」) 2分余らせる 茶番劇バレバレ / 丸川、「そのような趣旨で聞いたのではないと」反論するも、コレ全然反論になってない / 自民・石田真敏、午前の問答をまとめたうえで、改ざん前の文書を長々と読み上げるなどで時間を浪費        








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佐川氏、証言拒否は約50回。それでもはっきり答えたことは…? (BuzzFeed); 安倍晋三首相や官邸、昭恵夫人、麻生大臣らの改ざんへの指示、関与、さらには影響について、はっきりと否定 / 〈3分でわかる〉佐川宣寿氏の証人喚問が終わったので、気になるポイントをまとめました(ハフポスト); 疑問9:証人喚問で真相は明らかになった?⇒ 「ご満足できていないだろうと...」 / 佐川証人喚問は“出来レース”! 補佐人は甘利明や小渕優子の弁護担当、用意された送迎車、不自然すぎる丸川珠代の質問