江戸城(皇居)東御苑 二の丸庭園のハナショウブ(花菖蒲)が本格的に咲き始めた。
下は、5月31日の状況。
6月5日の状況はコチラ。
▼この日、ランチタイム・コンサート
写真を撮ったときは「美空ひばりメドレー」を演奏中
2012年5月31日木曜日
生活保護の扶養義務 運用厳格化を危惧 申請抑制、餓死・孤立死招く(「東京新聞」)
東京新聞
生活保護の扶養義務 運用厳格化を危惧 申請抑制、餓死・孤立死招く
2012年5月31日
高所得のお笑いタレントが民法の扶養義務を果たさず、母親が生活保護を受給していると指摘された問題を受け、厚生労働省は、扶養が困難な理由を証明する義務を親族に課すなど、運用を厳格化する方針を打ち出した。
当事者や支援者らからは「生活保護から住民を遠ざけ、餓死や孤立死を増やしかねない」と懸念の声が上がっている。 (稲田雅文)
「悪いイメージで報道されるたびに、受給者への差別や偏見が広がらないかと不安を感じます」。
精神疾患があって働けず、生活保護を受給する千葉県の三十代女性は、制度への逆風に眉をひそめる。
病気の悪化で仕事を辞めた。次の仕事が見つからないまま貯金が尽き、自治体の福祉事務所に駆け込んだ。職員は状況を詳しく聞いた後「若いから仕事はある。頑張って」と言うだけで、申請手続きをしてくれなかった。支援団体に相談し、後日、同行してもらうとすんなり申請できた。
扶養できる親族がいる場合、生活保護よりも扶養が優先される。申請時に親族のことを詳しく聞かれた女性は、親族との関係が悪いことを説明した上で生活保護を認められた。女性は「いろいろな家族のかたちがある。連絡を取りたくない人もいる」と訴える。
「生活保護を申請しようとしても女性のように断られるケースは多い。反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんは「扶養義務の運用が強化されると、申請を抑制する動きが強くなる恐れがある」と懸念する。
湯浅さんは、暴力団関係者による生活保護の不正受給事件が表面化し、旧厚生省から支給を適正に決定するよう求める通知が出た一九八一年と、今の状況が「非常に似ている」と指摘。「行政が申請を受け付けなくなり、八七年には、札幌市白石区で生活保護の相談をしていた母子家庭の母親が餓死した事件が起きている」と警鐘を鳴らす。
市民団体の笹島診療所(名古屋市)で生活保護申請の支援をしている藤井克彦さんは「現在でも、生活保護の申請時に扶養できる親族がいないか十分照会をしているはず」と厚労省の方針に疑問を投げかけ、「必要なのはケースワーカーの増員ではないか」と語る。
受給者に家庭訪問などをして生活状況をチェックする自治体のケースワーカーは一人で八十世帯を担当するのが適正。実際には受給者増で、政令指定都市を中心に百世帯以上を担当するところも多く、収入の確認や就労支援などきめ細かな対応ができていない。
弁護士らでつくる生活保護問題対策全国会議は緊急声明を発表。厚労省による厳格化の方針は、DV被害者や虐待経験者も少なくない生活困窮者に申請の抑制を招くとし「生活保護制度が置かれている客観的な状況、受給者の実態に目を向け、冷静に議論すべきだ」と呼び掛けた。
岐阜県 恵那市議会、大飯原発の再稼働に関して「慎重な対応」を求める意見書を全会一致で可決
福井・大飯原発:再稼働問題 恵那市議会、意見書を可決 /岐阜
毎日新聞 5月31日(木)11時19分配信
恵那市議会は30日、関西電力・大飯原発の再稼働に関して国に「慎重な対応」を求める意見書を全会一致で可決した。
意見書は議員提案された。政府が同原発3、4号機の再稼働に関して地元自治体に要請していることについて、「安全基準は、専門知識も持ち合わせていない4大臣の会合で決定されたもので、なんの法的根拠もない」と指摘。「福島原発事故の検証も十分されていない状況で基準が策定されたことに大きな疑問を抱く」と厳しく批判している。また、再稼働の際に「安全基準や再稼働の必要性などの丁寧な説明を行い、地元はじめ周辺自治体や関係者の理解を得るなど、慎重な対応を強く求める」としている。【小林哲夫】
福井県おおい町のリーダー(町長、町会議長)はこんな人
わが日録の過去記事で福井県おおい町のリーダーについて復習した。
①原発利権 おおい町長が役員の会社が原発関連工事を大量受注
よくニュースでは、原発が止って困っている民宿のおばさんがインタビューに出てくるが、本当に困っているのは、こういう利権屋。
②福井県おおい町 町議会 大飯原発再稼動容認の舞台裏
おおい町 町議会議長の真骨頂・・・
テレビ記者:議長、一言(ご感想を)!
議長:「あッ」
*
町のリーダーなのか「ツラ汚しなのか」
*
①原発利権 おおい町長が役員の会社が原発関連工事を大量受注
よくニュースでは、原発が止って困っている民宿のおばさんがインタビューに出てくるが、本当に困っているのは、こういう利権屋。
②福井県おおい町 町議会 大飯原発再稼動容認の舞台裏
おおい町 町議会議長の真骨頂・・・
テレビ記者:議長、一言(ご感想を)!
議長:「あッ」
*
町のリーダーなのか「ツラ汚しなのか」
*
房総半島沖でM8クラスの大地震の可能性
房総半島で大地震との報道
NHKニュース
房総半島沖で大地震の可能性
5月31日 6時19分
関東地方の沖合で起きる地震について、国土地理院は、地殻変動のデータを分析した結果、関東大震災を引き起こした震源域とは別に、千葉県の房総半島沖で大地震が起きる可能性があるとする研究成果をまとめ、今後、地震の規模などさらに詳しく調べることにしています。
これは、30日開かれた地震予知連絡会の定例会合で報告されました。それによりますと、国土地理院がGPSのデータを解析した結果、房総半島の先端付近の地点が観測を始めた平成9年から14年間、毎年3センチ程度北寄りに移動し続けていることが分かったということです。
房総半島沖では、陸側の岩盤の下に南からフィリピン海プレートと呼ばれる岩盤が潜り込んでいることから、国土地理院は、岩盤が押されて地震を引き起こすひずみがたまり続けているとみています。神奈川県の三浦半島付近も、同じようにひずみがたまり続けていますが、大正12年にマグニチュード7.9の関東大震災が起きてひずみはいったん解放され、一方、房総半島沖では、少なくとも300年間は大地震が起きていません。
このため、国土地理院では、関東大震災を引き起こした震源域とは別に、千葉県の房総半島沖を震源域とする大地震が起きる可能性があるとみて、今後、地震の規模や繰り返し間隔などを詳しく調べることにしています。
西村卓也主任研究官は「この地域で地震が起きた場合、マグニチュード8クラスの地震になる可能性がある。観測の精度を高めて地震想定の見直しに役立てるようにしたい」と話しています。
MSN産経ニュース
房総半島南東沖で「M8」級の可能性 予知連で報告
2012.5.31 07:55
関東大震災などの大地震が起きる相模トラフ沿いで、房総半島南東沖のプレート(岩板)境界が単独で滑り、数百年間隔でマグニチュード(M)8級の地震を起こす可能性のあることが産業技術総合研究所の調査で分かった。30日の地震予知連絡会で報告された。
相模トラフはフィリピン海プレートが陸側プレートの下に沈み込む場所で、M8級の関東地震が起きる。震源域は相模湾と房総半島南東沖に大別され、前者は関東大震災の震源域で、両者が連動すると大規模な元禄型関東地震が発生。房総半島南東沖が単独で地震を起こすことは想定されていなかった。
元禄型関東地震の発生間隔は約2300年とされるが、プレートの沈み込み速度や房総半島の隆起年代と矛盾する点があり、南東沖だけが頻繁に動くとうまく説明できるという。過去の活動歴は分かっていない。
*
(6月8日追記)
東京新聞
房総沖M8 数百年間隔か 産総研 2300年想定から大幅短縮
2012年6月8日 朝刊
首都圏に被害をもたらす巨大地震が懸念されている相模トラフ沿いで、千葉県の房総沖を震源としたマグニチュード(M)8級の地震が、従来の想定よりも短い数百年間隔で起こる可能性があるとの分析結果を、産業技術総合研究所(茨城県つくば市)などのチームが七日までにまとめた。
相模トラフ沿いのM8級地震は「関東地震」と呼ばれ、従来は房総沖のプレート(岩板)境界周辺は他の部分と連動して滑り、地震を起こす間隔は二千三百年ほどとされてきた。だが房総沖のプレートが単独で地震を起こす可能性を考慮すると周期は数百年間隔とより短くなり得るという。
チームは相模トラフ沿いにたまったひずみの量を分析。房総沖ではプレートの動きで年間約三センチ分のひずみがたまるが、二千三百年もの間ひずみが蓄積し続けると、想定される地震が、通常考えにくい大きさになることが分かった。房総沖のプレートはもっと短い間隔で単独で滑っている可能性も十分あると考えた。
政府の地震調査委員会は関東地震について、相模湾を中心とした一九二三年の関東大震災型と、房総沖まで連動した一七〇三年の元禄地震型の二種類を想定。房総沖だけが活動するパターンは考慮していない。
NHKニュース
房総半島沖で大地震の可能性
5月31日 6時19分
関東地方の沖合で起きる地震について、国土地理院は、地殻変動のデータを分析した結果、関東大震災を引き起こした震源域とは別に、千葉県の房総半島沖で大地震が起きる可能性があるとする研究成果をまとめ、今後、地震の規模などさらに詳しく調べることにしています。
これは、30日開かれた地震予知連絡会の定例会合で報告されました。それによりますと、国土地理院がGPSのデータを解析した結果、房総半島の先端付近の地点が観測を始めた平成9年から14年間、毎年3センチ程度北寄りに移動し続けていることが分かったということです。
房総半島沖では、陸側の岩盤の下に南からフィリピン海プレートと呼ばれる岩盤が潜り込んでいることから、国土地理院は、岩盤が押されて地震を引き起こすひずみがたまり続けているとみています。神奈川県の三浦半島付近も、同じようにひずみがたまり続けていますが、大正12年にマグニチュード7.9の関東大震災が起きてひずみはいったん解放され、一方、房総半島沖では、少なくとも300年間は大地震が起きていません。
このため、国土地理院では、関東大震災を引き起こした震源域とは別に、千葉県の房総半島沖を震源域とする大地震が起きる可能性があるとみて、今後、地震の規模や繰り返し間隔などを詳しく調べることにしています。
西村卓也主任研究官は「この地域で地震が起きた場合、マグニチュード8クラスの地震になる可能性がある。観測の精度を高めて地震想定の見直しに役立てるようにしたい」と話しています。
MSN産経ニュース
房総半島南東沖で「M8」級の可能性 予知連で報告
2012.5.31 07:55
関東大震災などの大地震が起きる相模トラフ沿いで、房総半島南東沖のプレート(岩板)境界が単独で滑り、数百年間隔でマグニチュード(M)8級の地震を起こす可能性のあることが産業技術総合研究所の調査で分かった。30日の地震予知連絡会で報告された。
相模トラフはフィリピン海プレートが陸側プレートの下に沈み込む場所で、M8級の関東地震が起きる。震源域は相模湾と房総半島南東沖に大別され、前者は関東大震災の震源域で、両者が連動すると大規模な元禄型関東地震が発生。房総半島南東沖が単独で地震を起こすことは想定されていなかった。
元禄型関東地震の発生間隔は約2300年とされるが、プレートの沈み込み速度や房総半島の隆起年代と矛盾する点があり、南東沖だけが頻繁に動くとうまく説明できるという。過去の活動歴は分かっていない。
*
*(6月8日追記)
東京新聞
房総沖M8 数百年間隔か 産総研 2300年想定から大幅短縮
2012年6月8日 朝刊
首都圏に被害をもたらす巨大地震が懸念されている相模トラフ沿いで、千葉県の房総沖を震源としたマグニチュード(M)8級の地震が、従来の想定よりも短い数百年間隔で起こる可能性があるとの分析結果を、産業技術総合研究所(茨城県つくば市)などのチームが七日までにまとめた。
相模トラフ沿いのM8級地震は「関東地震」と呼ばれ、従来は房総沖のプレート(岩板)境界周辺は他の部分と連動して滑り、地震を起こす間隔は二千三百年ほどとされてきた。だが房総沖のプレートが単独で地震を起こす可能性を考慮すると周期は数百年間隔とより短くなり得るという。
チームは相模トラフ沿いにたまったひずみの量を分析。房総沖ではプレートの動きで年間約三センチ分のひずみがたまるが、二千三百年もの間ひずみが蓄積し続けると、想定される地震が、通常考えにくい大きさになることが分かった。房総沖のプレートはもっと短い間隔で単独で滑っている可能性も十分あると考えた。
政府の地震調査委員会は関東地震について、相模湾を中心とした一九二三年の関東大震災型と、房総沖まで連動した一七〇三年の元禄地震型の二種類を想定。房総沖だけが活動するパターンは考慮していない。
宗教者、宗派超えて「原発再稼動反対」を福井県に要望
中日新聞
宗教、宗派超え「原発再稼働反対」 県に要望書
2012年5月31日
全国の僧侶・牧師ら約八十人が三十日、県庁を訪れ、関西電力大飯原発3、4号機(おおい町)の再稼働に反対する要望書を提出した。
原子力行政を問い直す宗教者の会(事務局・兵庫県)の呼び掛けで、浄土真宗、浄土宗、曹洞宗、キリスト教など宗教、宗派を超えて参加。要望書は同会県世話人の中島哲演さん(70)=小浜市、明通寺住職=が、岩永幹夫県原子力安全対策課長に手渡した。
福島県南相馬市から、永平寺町に家族で避難中の僧侶田中徳雲さん(37)は「福島で何が起きたのか知ってほしい」と語った。
岩永課長は「原発の怖さをイメージしながら(事故発生の可能性を)抑え込もうとしてきた。怖さがあるから止めるのではない」と、福井県の安全確保の考え方を説明。
宗教者側は「自然災害は人間の想像を超える」「“綱渡り”の安全対策は国民を危険にさらす」と訴えていた。
(尾嶋隆宏)
宗教、宗派超え「原発再稼働反対」 県に要望書
2012年5月31日
全国の僧侶・牧師ら約八十人が三十日、県庁を訪れ、関西電力大飯原発3、4号機(おおい町)の再稼働に反対する要望書を提出した。
原子力行政を問い直す宗教者の会(事務局・兵庫県)の呼び掛けで、浄土真宗、浄土宗、曹洞宗、キリスト教など宗教、宗派を超えて参加。要望書は同会県世話人の中島哲演さん(70)=小浜市、明通寺住職=が、岩永幹夫県原子力安全対策課長に手渡した。
福島県南相馬市から、永平寺町に家族で避難中の僧侶田中徳雲さん(37)は「福島で何が起きたのか知ってほしい」と語った。
岩永課長は「原発の怖さをイメージしながら(事故発生の可能性を)抑え込もうとしてきた。怖さがあるから止めるのではない」と、福井県の安全確保の考え方を説明。
宗教者側は「自然災害は人間の想像を超える」「“綱渡り”の安全対策は国民を危険にさらす」と訴えていた。
(尾嶋隆宏)
放射能汚染 箱根 芦ノ湖のオオクチバスからセシウム
NHKニュース
芦ノ湖 オオクチバスからセシウム
5月31日 8時31分
神奈川県箱根町の芦ノ湖で採取されたオオクチバスから、1キログラム当たり100ベクレルの放射性セシウムが検出され、神奈川県は、国の基準は超えていないものの値が高いとして、周辺の漁協に出荷の自粛を要請しました。
神奈川県によりますと、今月26日に行った検査で、箱根町の芦ノ湖で採取されたオオクチバスから、1キログラム当たり100ベクレルの放射性セシウムが検出されたということです。
これは国の基準と同じ値で、基準は超えてはいないものの高かったことから、周辺の漁協にオオクチバスの出荷を自粛するよう要請しました。
県では、餌として食べた魚を通じて、オオクチバスに放射性物質が蓄積したのではないかとみています。
県は、今後、オオクチバスの検査を毎週行うとともに、漁協を通じて、芦ノ湖を訪れる釣り人などにも、釣ったオオクチバスを食べないよう呼びかけることにしています。
2012年5月30日水曜日
東京 江戸城(皇居)東御苑 ネジキ(ツツジ科)が咲いていた
▼今日(5月30日)の江戸城(皇居)東御苑
昼休みに、例によって散歩していたら、珍しいツツジを発見。
「ネジキ(ツツジ科)」というらしい。
花はドウダンツツジにそっくり。
しかし、ドウダンツツジはもうとっくに終っているし、
更に、この木はドウダンツツジよりはるかに背が高い。
▼イザヨイバラ
バラ園もだいぶ終わりに近づいてきた
▼日光は少な目、ひやりとする風に吹かれて、
芝生に寝そべる人たち
昼休みに、例によって散歩していたら、珍しいツツジを発見。
「ネジキ(ツツジ科)」というらしい。
花はドウダンツツジにそっくり。
しかし、ドウダンツツジはもうとっくに終っているし、
更に、この木はドウダンツツジよりはるかに背が高い。
▼イザヨイバラ
バラ園もだいぶ終わりに近づいてきた
▼日光は少な目、ひやりとする風に吹かれて、
芝生に寝そべる人たち
ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(8) 「第14章 米国内版ショック療法 - バブル景気に沸くセキュリティー産業 -」(その四)
東京 北の丸公園 2012-05-24
*ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(8)
「第14章 米国内版ショック療法 - バブル景気に沸くセキュリティー産業 -」(その四)
9・11と公務員の復権
「9.11がすべてを変えてしまった」
9・11によってブッシュの政府空洞化プロジェクトは窮地に陥る。
「恐怖に陥った国民の間には頼りになる強い政府に守ってほしいという願望が高まり、緒に就いたばかりの政府空洞化プロジェクトの先行きには暗雲が立ち込めた。」
「9・11でさらけ出されたセキュリティー上の失態とは、過去二〇年以上にわたり、政府業務や公共部門を切り刻んでは営利目的の民間企業に受け渡してきた結果にはかならない。
ニューオーリンズが水害に見舞われた際、公共インフラ設備の悲惨な実態が暴露されたように、9・11でも危険なまでに弱体化した国家の実態が次々とあらわになった。
ニューヨーク市警察と消防署の無線連絡は救出作業の真っ最中に不通になり、航空管制官は旅客機が飛行コースを外れたことに気がつかず、テロ実行犯は契約社員が担当する空港のセキュリティー・チェックを難なく通り抜けた(こうした契約社員のなかには、空港内の飲食カウンターの契約社員よりも賃金が低い者もいる)。」
「レーガン政権が航空管制官組合を非難し、航空事業の規制撤廃を実施」して以降の「二〇年間で、すべての航空交通網が民営化され、規制が廃止され、人員が大幅に削減された結果、空港のセキュリティー・チェックを担当するのはほとんどが十分な訓練も受けず、労組に属さない低賃金の契約社員となった。
運輸省の監査長官は、ブッシュが設立した9・11委員会の席で、航空会社は飛行の安全に責任を持つ立場にありながら経費を抑えるために安全対策をすっかり怠ってきたと報告し、「その代償としてセキュリティーは深刻な脆弱さを露呈している」と述べた。
連邦航空局で長年セキュリティー対策に携わる当局者も、航空会社の安全対策は「軽視され、否定れ、後回しにされている」と同委員会で証言した。」
空港のセキュリティーを時給六ドルの契約社員に任せるなどもってのほか
「九月一二日には一転、空港のセキュリティーを時給六ドルの契約社員に任せるなどもってのほか、という空気になった。
続く一〇月には白い粉末入りの封筒が議員やジャーナリストに送りつけられ、炭疽菌パニックが拡がった。
事態が変化した今、九〇年代に推進された民営化はまったく違う様相を呈してきた。
なぜ民間の一研究所が炭疽菌ワクチン製造の独占権を持っているのか?
連邦政府は公共衛生上の緊急事態から国民を守る責任を放棄したのか?
・・・もし炭疽菌や天然痘などの危険な病原菌を郵便物や食品流通、水道を通してばらまけるのなら、プッシュが掲げる郵政民営化を推進するのは正しいことなのか?
そして、すでに解雇されてしまった食品検査員や水道検査員を復職させることはできるのか?」
フリードマンの嘆き:
「ビジネスマンが二流市民のように見られている」
「企業寄りの政策に対する世の反発は、エンロンの企業スキャンダルが発覚するに及んでいっそう高まった。
巨大エネルギー企業エンロンは不正取引と不正会計が明るみに出た結果、9・1 1の三カ月後に倒産に追い込まれ、それによって数万人の社員が退職貯蓄を失ったが、内部事情に通じていた役員だけは事前に現金を引き出していたのだ。
エンロンの破綻は民間企業が公益事業に携わることへの不信感を増大させたが、その数カ月前に起きたカリフォルニア州の大停電がエンロンのエネルギー価格操作によってて引き起こされたことが判明すると、不信感はさらに募った。
このとき九〇歳のミルトン・フリードマンは、世の流れがケインズ主義に引き戻されていることを憂い、「ビジネスマンが二流市民のように見られている」と不満をもらした。」
「あなたたち(公務員)は新たなヒーローだ」(ブッシュ)
「企業のCEOが次々と失脚する一方、公共部門の組合労働者 - フリードマンの反革命にとっての敵である悪人たち - の評価は一挙に高まった。・・・
アメリカ国民は突如として制服姿の公僕男女に熱い眼差しを向け、政治家も世の流れに遅れをとるまいと、あわててNYPD(ニューヨーク警察)やFDNY(ニューヨーク消防署)のロゴが入った野球帽をかぶり始めた。」
「九月一四日、プッシュは消防隊員やレスキュー隊員とともにグラウンド・ゼロに立ち(ブッシュの側近たちはこれを”メガホンの瞬間”と呼んだ)、これまで保守層がなんとか叩き潰そうとしてきた組合に所属する公務員を抱擁した。」
「公共予算削減の請は急に沙汰やみとなり、スピーチのたびにプッシュは新しい意欲的な公共政策を発表した。」
フランクリン・D・ローズヴェルトの後継者に近い存在
「事件から一一日後、『ワシントン・ポスト』紙のジョン・ハリスとダナ・ミルバンクは「経済の停滞と緊急課題であるテロとの戦い、この二つがブッシュ大統領の政策の柱となる考え方を一変した」と言い切った。
記事はこう続く。「ロナルド・レーガンのイデオロギーの継承者として大統領に就任した人物が、その九カ月後にはフランクリン・D・ローズヴェルトの後継者に近い存在となった。
(中略)景気後退に歯止めをかけようと、大統領は大規模な経済刺激対策に取り組んでいる。
ブッシュは弱体化した経済は政府が大量の資金を投入して活性化させる必要があると言ったが、この考えはまさにローズヴェルトのニューディール政策の中核をなすケインズ経済にはかならない」」
*
*
岩手県一関市・奥州市のセリ、宮城県・仙台湾のヒラメ、栃木県・荒井川のウグイ、基準値超のセシウム検出、出荷停止指示
MSN産経ニュース
政府、仙台湾のヒラメなど出荷停止に 100ベクレル超えるセシウム検出
2012.5.30 19:28
政府は30日、岩手県一関市と奥州市で採れたセリ、宮城県・仙台湾のヒラメ、栃木県・荒井川のウグイから国の新基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を超える放射性セシウムが検出されたとして3県に出荷停止を指示した。
一方、茨城県の石岡市、那珂市、城里町の茶は飲む状態で検査したところ、国の新基準値(1キログラム当たり10ベクレル)を下回ったため出荷停止を解除した。昨年6月2日、出荷停止が指示されていた。
2012年5月29日火曜日
東京 北の丸公園 清水門前のせんだん(栴檀)が満開
昨日、北の丸公園内で立派に咲いた栴檀を見付けたので(コチラ)、
清水門前の栴檀もさぞや立派に・・・と思って、今朝、出勤前に立ち寄った。
やはり想定の通りであった。
▼遠景
後ろは九段会館の帝冠様式の屋根
▼バックは清水門
清水門前の栴檀もさぞや立派に・・・と思って、今朝、出勤前に立ち寄った。
やはり想定の通りであった。
▼遠景
後ろは九段会館の帝冠様式の屋根
▼バックは清水門
天慶2年(939)12月15日 平将門、上野国に侵攻し国府を占領。 ここで新皇に即位する。
東京 北の丸公園 2012-05-24
*天慶2年(939)
12月15日
・平将門、上野国へ侵攻
上野介藤原尚範(ひさのり)は、印鎰を奪われ、使者に伴われて都へ追い払われた。
上野国は、常陸・上総国とともに、親王任国なので、実質的な長官(受領)は、介が務めていた。尚範は藤原純友の伯父に当たる。
その後、将門は、国府を占領し、国府にある四つの門を固めて、坂東諸国司の除目を行った。
将門が、下野・上野国府を占領し、国司たちを追い出した点は、国家側の史料からも確認できる。信濃国から都に届いた飛駅(ひえき、早馬による報告)によれば、将門が上野介藤原尚範・下野前司大中臣定(完ヵ)行・新司藤原弘雅の館を囲んで印鎰を奪い取り、彼らを追放したこと、実際、尚範が信濃国へ東山道を越えてきたことが報告されている(『本朝世紀』『日本紀略』12月29日条)。
この時の「除目」は以下の通り。
下野守 平将頼 将門の弟
上野守 多治経明 常羽御厩(いくわのみまや)の別当
常陸介 藤原玄茂(はるもち) 常陸掾
上総介 興世王 武蔵権守
安房守 文屋好立 将門の上兵
相模守 平将文 将門の弟
伊豆守 平将武 将門の弟
下総守 平将為 将門の弟
除目を行えるのは、天皇のみである。天皇の「官制大権」といい、天皇の専権事項である。
従って、将門が除目を行ったとすれば、そのこと自体、天皇の権限を侵した重大犯罪(死罪相当)である。
信頼できる史料から、将門に占領されたことが判明する国は、常陸国(『日本紀略』12月2日条)、上野・下野国(『本朝世紀』『日本紀略』12月29日条)、上総国(『日本紀略』天慶3年3月25日条)、伊豆国(伊豆守に任命された弟の平将武は、天慶元年11月に伊豆国で争乱を起こしている(『本朝世紀』)である。
将門が常陸国府を占領したとの飛駅が、12月2日に常陸国から都にもたらされてから、翌年3月に将門が敗死したとの報告が届くまでの情報は、坂東諸国から発信されず、駿河・甲斐・信濃国など、坂東に接する隣国からのみ発せられていた。
これは、坂東諸国の国衙機能が麻痺し、直接坂東から使者を出すことができず、口頭などの簡便な方法により、いったん坂東の隣接国である駿河・甲斐・信濃国などに情報が伝えられ、これらの国々が正式に都へ情報を伝えたのではないかと考えられる。
このように考えると、間接的ながら、坂東諸国の国衙機能が麻痺していたことを裏付けることができる。将門が坂東諸国を掌握していたのは、おそらく事実であろう。
新皇将門、即位の真相
その時、一人の巫女が現れ、神懸かり状態になり、次のように口走った。
「私は八幡大菩薩の使者である。朕(天皇)の位を平将門に授けよう。その位記(いき、位階を記した証明書)は、左大臣正二位菅原道真の霊魂が捧げるところである。右の八幡大菩薩が、多くの軍勢を起こして、朕の位を授けよう。今、三十二相の音楽(仏教音楽)を演奏して、はやくお迎えなさい」
将門は、頭の上に捧げ持って再拝した。国府の四つの門を守っていた兵士たちも慶び、伏し拝んだ。その場に居合わせた興世王と常陸掾藤原玄茂も、その時の威勢のある人としてたいそう慶んだ。
そして、将門は自ら新皇(新しい天皇)と名乗った。
「武蔵権守並に常陸掾藤原玄茂等、その時の宰人(さいじん)として、喜悦すること、譬(たとえ)ば貧人の富を得たるがごとし。美咲(びしよう)すること、宛(さなが)ら蓮花(れんが)の開き敷くがごとし。」
何故、菅原道真の霊魂が登場するのか
延喜元年(901)正月、道真は突然、右大臣から大宰権帥へ左遷された(『日本紀略』)。
理由は、道真が皇位を狙ったということであったが、実際には、宇多朝に急速に昇進した文人貴族道真への藤原氏の反撃とみるのが通説的である。道真は、大宰府で失意の人生を送り、2年後その地で没した。
ところが、藤原時平をはじめ、道真を窮地に追いやったとされた人々が次々亡くなり、次第に道真の怨霊の仕業と噂されるようになった。
その早い例は、延長元年(923)3月、醍醐天皇の子、保明親王(21歳)が早死にした時(『日本紀略』)。この日、皇太子が病で臥せっているので、天下に大赦を下した。そして子刻(午前零時頃)、皇太子保明親王は没した。世の中の人々がこぞって、菅原道真の霊魂の崇りの仕業であると言う。
次に、延長8年6月、清涼殿に落雷して多くの官人が死傷し、その結果、醍醐天皇も病気となり、9月に没した(『日本紀略』)。
午の3刻(午後1時少し前)、愛宕山の上から黒雲が起こり、急に雨が降った。俄に雷が大いに鳴り、清涼殿の坤(南西)の第一の柱の上に堕ち、火事が起こった。殿上に伺候していた者の内、大納言正三位兼行民部卿藤原朝臣清貫(64歳)は、衣が焼け胸が裂け俄に没した。従四位下行右中弁兼内蔵頭平朝臣希世は、顔が焼けて倒れた。紫展殿に登っていた者の内、兵衛佐美努忠包は、髪が焼け没し、紀蔭連(かげつら)は、腹が焼け悶絶した。安曇宗仁(あずみのむねひと)は、膝が焼けて倒れた。清貫は半蔀(はじとみ)に載せ、陽明門の外で牛車に載せ、希世は半蔀に載せ、修明門の外で牛車に載せた。両家の人々は、皆悉く侍所に乱入し、泣きわめく声は、禁止したにもかかわらず止むことがなかった。これから醍醐天皇は病気になった。
道真の息子たちは、東国の国司に任命されている。
景行は常陸介、旧風(もとかげ)は武蔵介、兼茂は常陸介とある(『尊卑分脈』)。
景行は、時期不明だが、常陸介であったことが確認でき(『公卿補任』正暦3年(992)菅原輔正条)、下総国で起こった争乱の責任を取ったこともみえる(『日本紀略』延喜9年(909)7月11日条)。
菅原兼茂は、延喜元年、父と共に右衛門尉から飛騨権掾(ひだごんのじよう)に左遷された(『政事要略』巻22)。そして、天慶元年(938)をそれほど遡らない時期に、常陸介であったことも確認できる。
『政事要略』巻27(11世紀初め明法博士令宗允亮(これむねのただすけ)によって編纂された法制書)には、天慶元年、常陸介菅原兼茂が任国の官物に損害を与え、同任の国司・郡司とともに補填を命じられた判定を勘解由使が下したことがみえる(勘解由使勘判)。当時の勘判は、任期が終わってから数年の内に下されることが多かったから、承平年間(931~38)の後半頃、彼は常陸介として赴任していたと考えられる。
つまり、将門が、平氏一族、源護(みなもとのまもる)と戦っていた頃の常陸介が兼茂であった。
兼茂についての噂(『扶桑略記』延長5年10月是月条)。
ある人がいうには「故大宰帥菅原道真の霊が、夜、旧宅を訪れ、息子の大和守菅原兼茂に雑事を語っていうには、『朝廷に大事件が起こるだろう。その事は大和国から起こるだろう。お前は慎んでその事を行わねばならない』と。その他のことについてもとても多くを語ったということである。ただし、他の人はこの話を聞くことができなかった。兼茂はこのことを秘密にして他人に話さなかった」と。(以上は、式部卿の『重明親王記』から引用したもの)
『扶桑略記』は、鎌倉時代初期に僧皇円(こうえん)によって編纂されたといわれ、末尾に『重明親王記』からの引用であるとしている。
『重明親王記』は、『吏部王記』ともいい、醍醐天皇の息子重明親王の日記である。現在完全には残っていないが、諸書に引用されており、史料の信憑性は高い。重明は、父醍醐が道真の怨霊に崇られて没したと考えられていたことから、道真について気にかけており、そのために書き留めたと考えられる。
兼茂は、父道真の霊魂と会話をしたという風聞があった。この時点では、道真の霊魂はまだ怨霊になっていないが、それに近づいた性格として記されている。そして、この事件から10年も経ないで、兼茂は常陸国へ赴任した。兼茂が常陸国府で父道真について語った可能性は高い。
道真の伝記の内で、もっとも信頼性の高い『北野天神御伝并御託宣等』には、
「景行・兼茂・淑茂、爵五品と為す。官二千石、皆踵を継ぎて早世す、」
とあり、兼茂を含む3人の子が五位で、国司に任命され(官二千石とは国司の中国的表現)、皆早死にしたと記されている。
『北野天神御伝并御託宣等』は、天慶年間(938~47)頃に、道真の孫菅原在躬(ありみ)が、『新国史』(『日本三代実録』に続く国史。未完成)の編纂材料として国史所(国史の編纂に当たる機関)に提出した道真の伝記である。
しかし、兼茂は「早世」とはいえない。延喜元年(901)、父と共に左遷された時の年齢を20歳と仮定しても、天慶元年には60歳近くになっていたはずだ。
兼茂は将門の乱に関係したと考えられたため、菅原一族から排除されたのかもしれない。
常陸掾藤原玄茂、武蔵権守興世王、大私営田領主藤原玄明、足立郡司武蔵武芝らは、9世紀末~10世紀初頭の国家政策(院宮王臣家と在地の家人の関係を断ち切り、受領国司に権力を集中させて、受領に官物徴収の請負をさせようとした)への不満が、その根本にあったと考えられる。
彼らは、新しい時代の趨勢に反発した古いタイプの人物であった。
9世紀、中国の影響もあって、菅原道真など、身分が比較的低い文人たちが重用され、議政官に登用されることもあった。
その典型例が、伊勢国員弁(いなべ)郡司の出身でありながら参議まで上り詰めた春澄善縄(はるずみのよしただ)といえるだろう。たとえ幻想に過ぎないとしても、中・下級の貴族たちにとっては、一抹の光明であったに違いない。
しかし、藤原基経たち藤原北家は、道真を左遷し、同時に受領に権力を集中する国政改革を断行した。
玄茂たち守旧派の人たちは追い詰められ、次第に苦況に立たされるようになった。
菅原道真の霊魂を持ち出したのは、常陸介菅原兼茂(かねもち)の存在があったにしても、むしろ当然だった。
彼らは、政府、そしてその手先である受領国司への不満を将門に託しながら、公然と国家に反旗を翻した。
一方、「将門書状」が、官物を厳しく取り立てた酷吏として描いた常陸介藤原維幾は、彼の個人的な性格を考慮するとしても、その行いを彼の個性だけのせいにしてはならないだろう。維幾の行為こそは、当時の国家が期待した理想的な受領国司像に他ならなかった。
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岩手県 奥州市の野生セリ 基準値超過 出荷・採取自粛要請
岩手県
山菜類の放射性物質検査の結果について
2012年05月29日
○奥州市の野生セリ、野生タケノコの検査を実施した結果、野生セリで国の定める一般食品の基準値100Bq/㎏を超過しましたので、5月28日付けで、奥州市に対して野生セリの出荷及び採取の自粛を要請しました。
○また、産地直売所等流通関係者に対し、奥州市産の野生セリの取扱を自粛するよう要請しました。
○なお、野生の山菜類については、林野庁から「山菜採取にあたっての留意点」が公表されているほか、本県においても、基準値を超過した事例があることから、流通関係者はもとより一般県民の皆様も、採取・取扱にあたっては、公表されている放射性物質検査の結果を参考とするなど、十分注意願います。
茨城県 那珂久慈の焼却灰 セシウム3,300ベクレル
茨城新聞
2012年5月28日(月)
焼却灰セシウム 那珂久慈3300ベクレル
県内の下水処理施設の汚泥などから放射性物質が検出されている問題で、県は28日、県と市町村の20施設の最新(7〜17日採取分)の検査結果を発表した。焼却灰の放射性セシウム濃度は、那珂久慈浄化センター(ひたちなか市)が1キログラム当たり3300ベクレルと最も高く、霞ケ浦浄化センター(土浦市)は同2800ベクレルだった。
焼却灰の測定値はほかに、利根浄化センター(利根町)が同1590ベクレル、深芝処理場(神栖市)が同159ベクレル。脱水汚泥の放射性セシウム濃度は同440ベクレル〜不検出で、水戸市浄化センターが最も高かった。
群馬県 四万川のイワナ 基準値超セシウム 釣りの自粛要請(「東京新聞」)
東京新聞
四万川のイワナ 基準値超セシウム
2012年5月29日
県は二十八日、中之条町の四万川で二十日に採捕したイワナから放射性セシウムを一キログラム当たり一九〇ベクレル検出したと発表した。基準値の同一〇〇ベクレルを超えたため、地元の吾妻漁協への釣りの自粛要請を続ける。
一方、玉村町の利根川で二十四日に採捕したアユは同七ベクレルと基準値を下回った。同地区のアユ漁は六月一日に解禁となる予定。
東吾妻町の金井川(採捕十六日)と今川(同十七日)のヤマメは、各同六一ベクレル、同一六ベクレル、同町の温川(同十九日)のイワナは同三九ベクレル。県は要請を「釣り自粛」から「釣った場合は再放流」に変更した。 (伊藤弘喜)
2012年5月28日月曜日
東京 北の丸公園 センダン(栴檀)の花が満開
北の丸公園のセンダン(栴檀)の花が満開。
非常に珍しい景色だと思う。
写真は今日(5月28日)
先週金曜日に見つけたが、あいにくの曇り空だったので、晴天の今日、楽しみに見に行った。
先着の方がおられ、その方は、つくづくとじっくり眺めて、ぽつりと、「貴重な木です」と。
この木は、遠くで眺めるのがいいようだ。
栴檀は二葉(双葉)より芳し、というのは「白檀」のことで、この栴檀のことではないらしい。
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翌日、確認した清水門前の栴檀、コチラも満開
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非常に珍しい景色だと思う。
写真は今日(5月28日)
先週金曜日に見つけたが、あいにくの曇り空だったので、晴天の今日、楽しみに見に行った。
先着の方がおられ、その方は、つくづくとじっくり眺めて、ぽつりと、「貴重な木です」と。
この木は、遠くで眺めるのがいいようだ。
栴檀は二葉(双葉)より芳し、というのは「白檀」のことで、この栴檀のことではないらしい。
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翌日、確認した清水門前の栴檀、コチラも満開
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「原子炉の全て止りぬこどもの日」(東京都 吉竹純) 「朝日俳壇」5月28日より
東京 北の丸公園 2012-05-28
*「朝日俳壇」5月28日より
原子炉の全て止りぬこどもの日 (東京都)吉竹 純
フクシマの蝶がモスラになる悪夢 (八王子市)樋口 雄二
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「朝日歌壇」5月28日より
原発の世に千の御手差し延べて立木観音の深きまなざし (福島市)美原 凍子
いわきの海前のすがたとちがう海海鮮丼の店もなかった (郡山市)平栗 萌愛
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「浮き足立ち社会」「タイムリミット症候群」(加藤典洋・内田樹対談)と、前原の恫喝「大飯原発タイムリミット近い」
現代ビジネス
加藤典洋×内田樹
「この国の未来原発と橋下を語ろう」
徹底討論 迷えるニッポンはどこへ行くのか
の冒頭は、こうだ・・・。
「時間がない」という脅迫
加藤
今の日本社会を一言で言うと、「浮き足立ち社会」になるでしょう。たとえば原発の再稼働。原発全停止が実現すると「夏に電気が足りなくなるぞ」とまずタイムリミットを置き、人を急き立て、浮き足立つ形で国論を二分する大問題が提起されています。これが最近の特徴ですよね。
内田
「原発がなければ生きていけない」と言っていますね。冷静に考えれば、そんなわけないのに。
(略)
内田
「待ったなし」という誰が決めたかわからないタイムリミットだけあって、「もう時間がない、残された選択肢はこれしかない」と迫る。時間がないことを言い訳にして、考える義務を自己免責している。
加藤
これは原発再稼働に限った話でなく、普天間問題でもそうでした。アメリカの議会から「タイムリミットだ」と責められていると言って、その間はメディアも大騒ぎをした。でもアメリカが「普天間問題とグアム移転を分けて考える」と決めると、あっさりタイムリミットが外れ、憑きが落ちたようにもうメディアも扱わなくなる。沖縄の状況は変わらないのですが。
こうした「タイムリミット症候群」の背景に、・・・・(略)
・・・と、ここまで、読んで、気がついた前原氏の恫喝。
MSN産経ニュース
前原氏、大飯原発再稼働「タイムリミット近い」
2012.5.27 20:55
民主党の前原誠司政調会長は27日のNHK番組で、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働問題について「7月が猛暑になる前提に立てば、そろそろタイムリミットだ。再稼働を決めても動きだすまで約6週間かかる」と述べ、近く最終判断する必要性を強調した。だが再稼働をめぐっては、政府と関電の筆頭株主である大阪市の橋下徹市長らとの足並みがそろわず、実際夏に間に合うかは不透明だ。
前原氏は、政府が今夏の関電管内の節電目標を15%に設定したことについて、「大飯原発が再稼働しなかったという前提だが、再稼働する準備をしておきながら、しなかった場合は節電というのは矛盾を感じる」と指摘した。その一方で「コロコロ変わる数字に不信感を持たれており、ぶれないことが大事だ」とも述べ、あくまで再稼働を前提に対策を講じる考えを示した。
最終判断の時期に関しては、6月27日に開かれる関電の株主総会を踏まえ、「そこまで先とは思っていない」と述べた。
これに対し、自民党の茂木敏充政調会長は「政府の姿勢は安全より需給対策が前に出過ぎている」と批判した。公明党の石井啓一政調会長も「国民に理解を求めるプロセスが欠けている」と語った。
再稼働をめぐっては、野田佳彦首相が24日の国会答弁で、「真夏になってからの判断では、企業もいろいろ準備がある」と述べ、近く関係4閣僚会合で最終判断する方針を示している。
橋下氏は夏の電力需要のピーク時に限る「臨時稼働」を提案したが、藤村修官房長官は「需給の厳しさだけを踏まえた稼働を念頭に置いていない」と拒否するなど、事態打開の糸口はみえていない。
薄っぺらな政治家だ。
この人、何かやり遂げたことあるのか?
京都は選挙区なのにね。
栃木県さくら市の原木生シイタケ基準超 出荷自粛・回収を要請
下野新聞
さくら市の原木生シイタケ基準超 県、出荷自粛、回収要請
(5月28日 20:08)
県環境森林部は28日、さくら市で採取した施設栽培の原木生シイタケから国の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を超える140ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。採取日は25日。
県は同市に対し、施設栽培の原木生シイタケの出荷自粛と流通した生シイタケの自主回収を要請した。施設栽培の原木生シイタケの出荷自粛は県内で7市町目。
2012年5月27日日曜日
天慶2年(939)11月21日 平将門、常陸国衙と戦い勝利、続いて下野国に侵攻、これも占領
東京 北の丸公園 2012-05-25
*天慶2年(939)
東京 北の丸公園 2012-05-25
*11月21日
・平将門、常陸国衙と戦いこれを占領
この日、将門は、武器や兵士を集め、常陸国国境を越えた。
常陸国側も、将門を待ち受けていた。
将門は、藤原玄明らを常陸国にこれまでどおり住むことを許し、追捕の取りやめを要求する牒を、常陸国衙に向けて発した。
しかし、国衙側は承諾せず、合戦を行うとの返事を寄せた。
そこで戦いがはじまり、常陸国衙の兵士3千人程が討ち取られた。
将門の随兵1千人が、常陸国府を包囲した。
常陸介藤原維幾は、監禁され過状(かじよう、自分の誤りを認める書き付け)を提出し、国府に留まっていた検交替使(けんこうたいし、前任国司が任期中に亡くなった場合などに都から派遣され、新任国司との間で、国司交替の手続きを行う使者)も維幾と同様の処遇を受けた。
検交替使は、詔使(しようし、天皇の詔により任命・派遣される使者)であったから、このこともまた、謀反とみなされる原因となった。
『将門記』によれば、国衙にあった高級な絹織物や見事な珍しい財宝も散乱し、絹も奪われた。
また、300余の家が焼かれた。(常陸国府は焼き討ちされたと解釈されてきたが、「家」とあるので、国衙周辺の家かもしれず、国庁が完全に焼失したかどうかは確定できない。)
常陸国府は、茨城県石岡市の石岡小学校付近と推定される。付近に惣社や国分寺などもある。また、最近、小学校敷地内から、正殿・東脇殿・西脇殿などが検出されはじめた。現在のところ、焼土層もなく焼けた形跡はみられないという。
また、
「犀風の西施(せいし)は、急(たちまち)に形を裸(あらわ)にするの媿(はじ)を取る。府中の道俗も、酷(から)く害せらるるの危(あやぶ)みに当たる。(中略)定額(じようがく)の僧尼は、頓命(とんめい)を夫兵に請い、僅かに遺(のこ)れる士女は酷き媿を生前に見る。」
屏風とは深窓をイメージさせ、西施とは、中国の春秋時代に呉王夫差(ふさ)が愛した美女(宿敵の越王勾践が夫差を陥れるために嫁がせた女性)のこと。
国司などの妻が無理やり引き出され、僅かに残された身分のある女性がひどい恥をさらしたという。彼女たちは、将門側の兵士に「戦利品」として処理され性暴力を受けたことを表している。
維幾は将門の前にひれ伏して、印鎰(いんやく)を将門に捧げたという。
印鎰は、国印と国府に付属した正倉の鍵を意味し、国印は、政府への上申文書に捺した印のことである。常陸国の場合、「常陸国印」と陽刻された2寸(約6cm)四方の印である。
正倉は、国衙の主たる倉庫のことで、国衙にとって必要かつ重要な物品が収納してあった。したがって、その鍵は国衙行政のシンボルとして重視された。
印鎰を奪われることは、国衙行政そのものが奪取されたことを意味した。
将門はこの後、坂東諸国を手中に収めるが、翌天慶3年には上総介藤原滋茂(しげもち)は、「印鎰を奪われた」罪により、官職を追われて(『日本紀略』3月25日条)、平忠常の乱の際も、安房守藤原光業(みつなり)は、「印鎰を棄てて上洛」している(『日本紀略』長元3年(1030)3月27日条)。
*
11月29日
・維幾と検交替使は、豊田郡鎌輪(かまわ)の営所に監禁された。
(彼らは殺されず、丁重な扱いを受けている。この点から、将門が中央政府と全面的な戦争を企てていたわけではないということが推測できる)
*
12月2日
・平将門と興世(おきよ)王が常陸国に損害を与えたとの知らせが都へもたらされる(『日本紀略』)。
*
12月11日
・将門、下野国へ侵攻
作者の想像と考えられる『将門記』の記述によれば、武蔵権守興世王は将門に対し、
「今までの前例を考えますに、一つの国(ここでは常陸国)を討ち取ったといいましても、公儀の責任の追求は軽くはありますまい。それならばいっそ、坂東全部を手中に収め、しばらくようすをみてはいかがでしょうか。」
と述べた。
将門は、中国の故事を引き合いに出して、
「自分は天皇の子孫である。坂東八カ国からはじめて、王城(京の都)を占領したいと思う。今、坂東諸国の印鎰を奪い、すべての受領を都へ追い出してしまおう。一方では坂東八カ国を手に入れ、一方では人民を掌握しよう。」
と答えた。
この日、将門は下野国との国境を越え、下野国府に入った。
新任国司の藤原公雅(弘雅の誤り)と前任国司大中臣全行(またゆき、完行とも書く)は、将門が下野国を奪おうとしている気配を察知し、将門を再拝して、印鎰を捧げて地に跪き差し出した。
続いて将門は、国司の住む館や国府を手中に収め、使者を付けて、公雅・全行らを都へ追放した。国司たちの妻子は、徒歩で旅を続け、国司に付き従う従類たちも徒歩で碓氷坂に向かった。
国司は、国務に欠かせない四度公文(よどのくもん、正税帳・計会帳・調帳・計帳)を捨てて、東山道を上っていった。
*
*
小宮山厚労相が生活保護費の減額を検討中。 芸人家族の不正受給事件に悪乗り? 河本擁護派/片山支持派
東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-05-23
*小宮山厚労相が生活保護費の減額を検討中とのこと。
芸人さんの家族の不正受給事件に悪乗り?
この小宮山大臣、70歳~74歳の医療費負担2割化(コチラ)の問題の際にも、今年は実現できずに残念、是非来年は実現したいとの意向を表明している。
税と社会保障の一体改革とか(?)うたっているが、
税(消費税)は「公平に」負担させ、保障レベル(セーフティネット)は下げるということになっている。
生活保護について言えば、確かに「不正受給」もあるが、
生活保護受け(られ)ずに餓死する人もいることを忘れてはならない。
これからは、「扶養」の定義や確認が厳格・厳密になり、
受給開始の遅れや、親子共倒れの増加が危ぶまれる。
小宮山さんや片山さんには、これら貧乏人の現状は理解できないだろう。
自分の生活で精一杯で、親をみたくてもみれない人たち、
一方では、子どもには迷惑をかけられないと子どもを思いやる親たち。
こういう親子関係が一般的なんではないか?
*
生活保護不正受給者への憎悪が、生活保護受給者への憎悪に変ることを非常に危惧する。
*
ところで
2CH COPIPE HOZONというサイトに、
「犯罪者河本擁護派と片山さつき支持派」という記事がある(コチラ)。
「河本」の前に「犯罪者」とあるところから、記事の主旨はわかると思う。
(貧乏人同士がいがみ合うのは悲しい。誰かが、蔭でほくそ笑んでいるゾ)
記事の冒頭にある色分けがよく出来ているので拝借する。
■犯罪者河本擁護派
・城繁幸「河本は所得税だけで1500万円ほどは払っているはず、母親が200万生保受給なら
1500-200=1300万円ほど社会に貢献している。素晴らしい! 自民党は芸人叩きショーやめろ」(BLOGOS)
・宮根誠司「福祉事務所と相談されていたので、僕らの感覚からすれば不正にはあたらない」(ミヤネ屋)
・森永卓郎「すごく真面目で誠実で芸能界一いい人なんですよ。 叩かれすぎてかわいそう」(ミヤネ屋)
・ガダルカナルタカ「もし本当であれば、と仮定でものをいう片山さつきは議員にふさわしくない」(ミヤネ屋)
・松尾貴史「藝人をいじめて愉しセレブ議員」「義憤や正義感ではなく、選挙の実績作りだと思います」(twitter)
・麻木久仁子「あの議員さんたちは、恵まれた環境に生まれ高い教育を受けさせてもらい、親や親族、縁に恵まれたことへの感謝の気持ちはないのかな。謙虚さこそが“伝統的日本人の美徳”ってえやつじゃないのかな」(twitter)
・千原せいじ「片山の旦那、大きな会社つぶしたんやろ」(読売テレビ・関西ローカル情報ten)
・フジテレビ豊田社長「うっかりしていたというコメントを信じるとすれば、影響は出ないと思う」(定例会見)
・大谷昭宏「お母さんは一般市民。議員が名前を上げてまで批判するのは私は行き過ぎだと思う」(ドデスカ!)
他 ハマカーン、大竹まこと、室井佑月、荒川強啓、宮台真司、中野英雄
■片山さつき支持派
・トミーズ雅「河本は月500万くらいもらってるねんから50万は仕送りせな」(せやねん)
・宮崎哲弥「毎年見直しがされている、ということは収入が不安定だからという抗弁は通用しない」(昼おび)
・ふかわりょう「河本君の考えの甘さは、芸としてはいいけど社会のルールを踏んでしまった」(昼おび)
・三田寛子「芸人としても人としてもペナルティ、マイナスが大きい」(昼おび)
・江口ともみ「私自身も保証の無い仕事なので、不安定は言い訳にはならない」(ワイドスクランブル)
・デーブ・スペクター「河本が個人攻撃されてるように見えるかもしれないけど、イギリスでもアメリカでも名前つき写真つき、隠し撮り全部ニュースで非常に厳しくやる。 国の負担が大きいから」(ワイド)
・つんく 「『現物支給』を原則にするというのはどうでしょうか?」(twitter)
・ロンブー淳「モラルに当てはめれば、認識が甘かったということになると思う」(知りたがり)
・テリー伊藤「この発言は応援に対する感謝の思いがないことの裏返しだ。生活保護の制度に甘えていた」 ←掌返し
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意外と「河本擁護派」が多いのに安心した。
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意外と「河本擁護派」が多いのに安心した。
この事件で、
得をした人(もしくは、勝った人)は片山と小宮山
損をした人(もしくは、負けた人)は河本と多くの貧乏人。
さて、どちらのカタを持つか?
一目瞭然である。
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上の色分けに名前だけが入っている宮台真司さんの片山批判
お笑いコンビ、次長課長の河本準一さんが、母親の生活保護受給を謝罪したことについて社会学者の宮台真司さんがコメントした。河本さんを追及していた片山さつき自民党衆院議員を批判する内容で、話題を呼んでいる。
河本さんの謝罪会見が行われた2012年5月25日放送のラジオ番組「荒川強啓 デイ・キャッチ!」(TBSラジオ)にゲスト出演した。
河本批判で「本質的な議論がなされなくなる」
河本さんの母親は河本さんがお笑い芸人になったものの、仕事がなく収入もわずかだった15年前から生活保護を受給。4月に週刊誌が「年収5千万円の人気芸人の母親が生活保護を受給」などと報じたことを受け取りやめた。河本さんは自分の年収が増え始めた5~6年前からの分を返還するとしている。
謝罪会見後もネットでは、河本さんを批判する声が大々的に挙がっている。宮台さんは「今はネット社会なので、こういう道徳的なフレームに触れるような問題があると炎上する」とし、今回の騒ぎも予測できたとする。
最初の週刊誌報道では河本さんの名前は伏せられていたが、その後、一部ネットメディアが実名で報道した。片山議員も河本さんの名前を出して、ブログやツイッターで追及していたが、これが「非常に大きな問題だ」だとする。片山議員の行動は「人気取りであると同時に不用意な、というか不必要な問題の拡大」だとし「本質的な議論がなされないで倫理的な批判ばかりが出てくるということになってしまう」と懸念する。
福祉事務所にも問題がある
宮台さんは、今回の件は河本さんと福祉事務所のやりとりによって「当局が許容していたこと」だとし、本来なら批判についても河本さんと福祉事務所に半々か、4:6で、6の方が福祉事務所にいかないとおかしいとする。
役所には税金を使って、税金の使い方を最適化した上で福祉を行う責務がある。そのため、役所が最適化の責務を怠っていたことになるとし、
「役所がそれでいいというのなら、『じゃあ母親は生活保護のままでいいや』って思う人が出てくるというのは、もちろん道義的に責めていいけれど、いくらでもあり得ること。行政の適切性という観点で考えれば、そういう人間が必ず出てくるということを想定した上で、枠組みを適正化するべき。それが本質なのに、実名を挙げて特定の個人に批判を集中させた片山さつきという自民党の議員の資質には大きな疑念がある」
と語った。自民党に対しては「問題の本質を見失わせるようなスキャンダラスティックな意見表明をするなと(片山議員に)警告するべきだ」としている。
片山議員擁護の声も多い
宮台さんのコメントはネットでも話題になり、多くの書き込みが寄せられた。「全くそのとおり 役所の怠慢と制度を放置してきた官僚政治家が一番悪い」「片山もマスコミも、スキャンダリズムの中で己の利益を追ってるだけだから、 問題の本質はスルーされてる」と同意するものもツイッターなどに相当あるようだが、
「片山が頑張ったから、改めてナマぽ問題が表面化したんだろ? 国会議員として良い仕事しただろ」
「ナマポに触れたらこの有様か 今後一切不正受給に触れる議員は現れないな」
「河本はテレビにあれだけでてるから公人と同じなんだよ 民主党が何もやらないから片山がやってるだけだろ」
といった片山議員擁護も多い。
河本さんの謝罪会見のあった25日、片山議員がスポーツ報知の取材に応えている。今後は生活保護制度の改正に動き出す方針で「これをきっかけに、受給の膨張が事前防止できるのは大きい。全国の方々に『もらい得』はない、というのを伝えられたので」。河本さんについては「個人(攻撃)が目的じゃない」とする一方で「新事実が出てくれば別ですよ。いろんな情報提供がありますので」と語っていたという。
河本さんは26日未明、10日ぶりにツイッターを更新した。「この度はファンの皆様、関係者の皆様に大変ご迷惑とご心配をおかけしまして本当にごめんなさい。 応援してくださるファンの皆様には舞台やテレビなどで、一日も早く恩返しが出来たらと思います。 これからも次長課長を宜しくお願いします」と書いている。
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もう一つの意見。
同じ年の河本さんの謝罪会見。
鬼の首取ったかのようにマスコミは繰り返し朝から晩まで会見時の映像を流しているが、いちタレントの事を国会でまで取り上げることか
アホかつーの。
国会では議論すべき問題がその他に沢山あるでしょうが。
ていうか議員さん達なんて今回の件の額なんて笑い飛ばせるような利権をむさぼり食ってきたんでしょうが。それを今更なにを平然と・・・・。まぁ、それが政治家か。
政治も人気獲りのマスコミのまねごとをしてきているのだとしたらこの国は本当に末期ですね。
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永禄13年/元亀元年(1570)6月28日 姉川の戦い 信長、浅井・朝倉連合軍を破る [信長37歳]
東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-02-24
*永禄13年/元亀元年(1570)
6月21日
・長比城を出た信長、浅井長政本拠小谷まで攻め寄せる。
地理に精通する苅安城将樋口三郎兵衛を先導案内として、小谷城下の町屋から山谷隅々まで焼払い、田畑を薙ぐ。
森可成・坂井政尚・斎藤新五・市橋長利・佐藤六左衛門・塚本小大膳・不破光治・丸毛長照は雲雀山(湖北町内、小谷城南)へのぼり、山麓の町を焼き払う。
信長は虎御前山(湖北町虎姫山)に陣を据え、柴田勝家・佐久間信盛・蜂屋頼隆・木下藤吉郎・丹羽長秀・江州衆が近在諸所へ火を放つ。
長政は動かず。
「たけくらべに一両日御逗留なされ、六月廿一日、浅井居城大谷(小谷)へ取寄り、森三左衛門、坂井右近、斎藤新五、市橋九郎衛門、佐藤六左衛門、塚本小大膳、不破河内、丸毛兵庫頭、雲雀山へ取上り、町を焼払ふ。
信長公は諸勢を召列れられ、虎御前山へ御上がりなされ、一夜御陣を居ゑさせられ、柴田修理、佐久間右衛門、蜂屋兵庫頭、木下藤吉郎、丹羽五郎左衛門、江州衆、仰付けられ、在々所々谷々迄放火候なり」(「信長公記」)。
*
6月22日
・朝倉軍が木之本まで進出との情報により、信長、八島(東浅井郡浅井町、小谷城南東3km)へ本陣を後退。標高200m超える小谷城強襲は得策ではないため。
小谷城から出撃の浅井兵を簗田広正・中条家忠・佐々成政の殿軍が八相山で引きつける。
「六月廿二日、御馬を納められ、…其日はやたか(八嶋)の下に野陣を懸けさせられ、よこ山の城、高坂・三田村・野村肥後(浅井の属将)楯篭り相拘へ候。廿四日に四方より取詰め、信長公はたつがはなに御陣取。家康公も御出陣候て、同龍が鼻に御陣取」(「信長公記」)。
殿軍の部隊編成。
6月22日の撤退のとき、
「殿に諸手(各部将)の鉄砲五百挺、並に御弓の衆三十ばかり相加へられ、簗田左衛門太郎、中条将監、佐々内蔵介三人御奉行として相添へられ候」(「信長公記」)。
各部将の鉄砲(銃手つき)を何十挺(何十人)かずつ取り上げて、臨時に一部隊を編成。また、鉄砲の補助として弓を加えた。
敵の足軽近々と引付け、簗田左衛門太郎は中筋より少し左へ付いてのかれ候。乱れ懸って引付き候を、帰し合せ帰し合せ散々に暫く戦ひ、太田孫左衛門頸をとりまかり退かれ、御褒美斜めならず。
二番に佐々内蔵介手へ引付け、八相山宮の後にて取合ひ、爰(ここ)にても蔵介(ママ)高名を致し罷退く。三番八相山の下橋の上にて取合ひ、中条将監疵つけらる。中条又兵衛橋の上にてたゝき合ひ、双方橋より落ちて、中条又兵衛堀底にて頸をとり、高名比類なき働きなり。御弓の衆として相支へ、異儀なく罷退く。
兵力の圧倒的に劣る浅井軍が、果敢に追撃している。
*
6月23日
・信長、長政をおびき寄せる為、龍ヶ鼻(長浜市)に後退。ここは小谷方面を一望でき、その裾を西流する姉川を小谷城方面に対する防御線として利用できる。
24日、浅井方の支城横山城(大野木茂俊、長浜市石田町、小谷南9km、比高150m)包囲。
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6月23日
・家康5千、信長からの参陣要請あり小谷城下進出。近江龍ヶ鼻砦に着陣、信長自ら率いる織田軍と合流。
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6月26日
・信長、久徳左近兵衛へ、近江多賀庄・石灰庄・敏満寺領の3ヶ所都合3千石を安堵(「集古文書」)。
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6月26日
・朝倉勢(義景の従兄弟朝倉景健)1万、小谷城南方大寄山(浅井町)に着陣。
浅井勢8千、小谷山より合流し姉川北岸に布陣。龍ヶ鼻の信長まで5km。
*
6月27日
・織田勢、姉川南岸へ陣替え(迎撃態勢)。本多平八郎忠勝、織田軍に合流。
この日夜、浅井・朝倉軍は姉川の手前まで進出し、野村・三田村(東浅井郡浅井町)の二手に分かれて布陣。
織田・徳川軍は、徳川軍3~4千が西方で三田村の朝倉軍8千と、織田軍1万余が東方で野村の浅井軍5千と対峙。信長主力の東側に美濃三人衆。織田軍は十三段の陣(甫庵「信長記」)。
*
6月28日
・姉川の戦い
浅井・朝倉、姉川北岸出現。
両軍対峙。
本多平八郎忠勝、単騎駆け、真柄直隆と一騎打ち。
浅井・朝倉敗北、退去。
横山城降伏、木下秀吉を置く。
佐和山城は丹羽長秀が包囲(篭城7ヶ月、元亀2年(1571)2月開城。城将磯野員昌は赦され高島郡新庄に送られるが、天正6年2月逐電)信長と浅井・朝倉両氏との戦いは、以降年間続く。
戦国大名同士が、主力部隊を率いて広々とした場所で向かい合い、正面から突撃を掛けて押し合う大規模な正面衝突。戦国大名にとってはきわめて異例の出来事であり、信長の長い戦歴の中にも、類例が見当たらない。
「然処(しかるところ)、朝倉孫三郎(景健)後巻(うしろまき)として八千ばかりにて罷立ち、大谷(小谷)の東をより山(大寄山)と申候て、東西へ長き山あり。彼山に陣取るなり。同浅井備前(長政)人数五千ばかり相加り、都合一万三千の人数、六月廿七日の暁陣払ひ仕り、罷退き候と存候の処、廿八日未明に三十町ばかりかかり来たり、あね川を前にあて、野村の郷・三田村両郷へ移り、二手に備へ候。」(「信長公記」)
(「罷退き候と存候の処」、兵力の劣る浅井・朝倉軍のほうから進撃してきた。浅井・朝倉軍としては、このまま対陣が長引けば、横山城を失う恐れがあり、横山城を失えば、北国脇往還道の通行が遮断される。また、小谷城のすぐ近くの横山城を救援できなかったなら、士気に深刻な影響を与えると判断したと思える)
「西は三田村口、一番合戦、家康公むかはせられ、東は野村の郷そなへの手へ信長御馬廻、又東は美濃三人衆、諸手一度に諸合(もみあい)、六月廿八日卯刻(午前6時頃)、丑寅(北東)へむかつて御一戦に及ばる。
御敵もあね川へ懸り合ひ、推(おし)つ返しつ散々に入りみだれ、黒煙立て、しのぎをけづり、鍔(つば)をわり、爰(ここ)かしこにて思ひ思ひの働きあり。終に追崩し、手前において討捕る頸の注文、真柄十郎左衛門、此頸青木所右衛門是を討とる。前波新八・前波新太郎・小林端周軒・魚住龍文寺・黒坂備中・弓削六郎左衛門・今村掃部助・遠藤喜右衛門、此頸竹中久作是を討とる。兼而(かねて)此首を取るべしと高言あり。浅井雅楽助・浅井斎・狩野次郎左衛門・狩野三郎兵衛・細江左馬助・早崎富兵衛、
此外宗徒者(むねとおもの)千百余討捕。」
竹中久作:
秀吉の軍師として知られる竹中半兵衛重治の弟。本能寺の変の際、美濃で明智方の一揆と戦って戦死。
青木所右衛門(一重):
この時、家康の家臣。のちに秀吉に仕え摂津麻田一万石の大名になり、晩年は幕府に仕えた。
6月28日付け細川藤孝(義昭側近、のち信長に臣従)宛て信長書状
「今日巳時(午前10時頃)、越前衆並に浅井備前守(長政)、横山後詰のために、野村と申す所まで執(と)り出す。両所の備の人数越前衆壱万五千ばかり、浅井衆五、六千もこれあるべく候歟。同刻、此方より切り懸け、両口一統(りようくちいつとう)に戦を遂げ、大利をえ候。首の事は更に校量(きようりよう)を知らず候の間、注するに及ばす候。野も田畠も死骸ばかりに候。誠に天下のために大慶これに過ぎず候。」
追而書(おつてがき)
「今度、岡崎の家康出陣、我等手廻りの者共、一番合戦の儀を論ずるの間、家康に申し付けられ候。池田勝三郎(恒興)・丹羽五郎左衛門(長秀)相加へ、越前衆に懸り候て、切り崩し候。浅井衆には手廻りの者共に、其外相加はり、相果し候。」
午前6時頃、三田村方面で徳川軍と朝倉軍との間で戦い開始。
朝倉軍、家康本陣に迫る程の猛攻。
野村方面でも磯野員昌と坂井政尚の間で戦闘。
浅井軍の攻勢激しく坂井政尚は後退、池田恒興と合流。
柴田勝家・木下秀吉・森可成・佐久間信盛ら全主要部将が応戦。
激戦の末、浅井・朝倉軍が総崩れ、敗走。
織田・徳川軍、小谷城まで50町(約5.4km)を追撃。この追撃戦で多くの兵が討たれる(8~9千という文書あり)。
磯野員昌は残兵300で佐和山城に帰還し籠城。
「大谷(小谷)迄五十町追討ち、麓を御放火。然りといへども、大谷は高山節所の地に候間、一旦に攻め上り候事なり難く思食され、横山へ御人数打返し、勿論、横山の城降参致し退出。」(「信長公記」)。
(主戦場で勝利した信長は、退却する敵を小谷城下まで追撃。しかし、小谷城攻略は避け、再び横山城を包囲し無血開城させる)
「江州北郡、軍これ有り。浅井討死、其の外七、八千ばかり討死すと云々(「昨日巳刻」と註あり)。磯野丹波守同じ。
昨日江州北郡合戦、北郡衆・越前衆以下九千六百人打ち死すと云々。首四千八百これありと云々。徳川衆・織田衆も多く死すと云々。越前衆五千余討ち死す、前波以下と云々」(「言継卿記」6月28日条)。
戦死者の数には誇張あり。
織田軍が敗走する浅井軍を追討中、浅井長政の側近遠藤喜右衛門が浅井の将の首を下げ信長本陣に向かう。郎党富田才八・弓削六郎左衛門・今村掃部助も従う。喜右衛門は「御大将は何処に御座すぞ」と叫び信長面前10間に迫る。信長側の馬廻竹中久作(竹中半兵衛重治弟)は、これを見破り、喜右衛門の頸をあげる。(「甫庵信長記」)。
浅井氏重臣安養寺経世は捕縛されるが、長政と信長妹お市との縁談仲介役を務めたと云われ、信長は首をはねず小谷城に帰す。この時の経世の報告で、遠藤喜右衛門ら多くの諸将の最期が伝えられ、長政・家臣一同奮い立ち、天正元年の落城迄3年間、徹底抗戦を続ける。
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6月29日
・幕府「奉公衆」、摂津国へ出陣(「言継卿記」4)。翌30日にも。
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6月29日
・フランス、ユグノー、サン・マルタン修道院を掠奪・放火。
*
*
東京 北の丸公園 ロウバイの実
北の丸公園でも東御苑でも
お正月が明けるとすぐに咲くのがロウバイ
まさに春を告げる花だ
花は蠟を塗ったようにツルツル(テカテカ?)に見えるので
ロウバイ(蠟梅)と名付けられたらしい。
ウメの一種ということでやはり、この季節に実がなる。
写真の上は今年1月10日に咲き始めた頃のロウバイの花。
下は、現在なっている実。
(江戸城梅林坂のウメの実はコチラ)
お正月が明けるとすぐに咲くのがロウバイ
まさに春を告げる花だ
花は蠟を塗ったようにツルツル(テカテカ?)に見えるので
ロウバイ(蠟梅)と名付けられたらしい。
ウメの一種ということでやはり、この季節に実がなる。
写真の上は今年1月10日に咲き始めた頃のロウバイの花。
下は、現在なっている実。
(江戸城梅林坂のウメの実はコチラ)
ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(7) 「第14章 米国内版ショック療法 - バブル景気に沸くセキュリティー産業 -」(その三)
東京 北の丸公園 2012-05-25
*ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(7)
「第14章 米国内版ショック療法 - バブル景気に沸くセキュリティー産業 -」(その三)
チェイニーとハリバートン
「フォード政権時代、ラムズフェルドの”子分”だったディック・チェイニーもまた、不吉な未来を想定して財を成してきた。
チェイニーが当てにしたのは病気ではなく戦争だった。
ブッシュ〈父)政権下で国防長官を務めたチェイニーは、現役部隊の規模を縮小する一方で、民間委託契約を大幅に増やした。
チェイニーはヒューストンに本社を置く多国籍企業ハリバートンのエンジニアリング部門、ブラウン&ルートと契約し、民間企業に委託可能な米軍の業務を調査させた。
当然ながら多種多様な業務が委託可能だとの報告が出され、これに基づいてペンタゴンは「兵站民間補強計画(LOGCAP)」という大胆な外部委託契約プログラムを導入する。
ペンタゴンが兵器メーカーと数十億ドル規模の契約を結んでいることにはもとより悪評があったが、今回は装備の供給ではなく、軍の運営のマネジメントを民間に委託しようというのだ。」
「米軍の軍事活動に無制限の「後方支援」を提供するというこの契約の入札には、有力企業数十社が参加した。・・・
経費をペンタゴンが負担するだけでなく、利益まで保証される「原価加算(コストプラス)方式」の契約だった。
ブッシュ(父)政権の任期切れ直前の一九九二年、契約を勝ち取ったのはほかでもないハリバートンだった。『ロサンゼルス・タイムズ』紙のT・クリスチャン・ミラーが書いたように、ハリバートンが「他の三六社をしのいで五年契約を獲得したのも、この契約業務を立案した張本人であれば当然と言えよう」」
軍隊のマクドナルド化
「クリントン政権に替わって三年目の一九九五年、チェイニーはハリバートンの新たなCEOに就任する。
すでに国防総省には子会社のブラウン&ルートが食い込んでいたが、ハリバートンはチェイニーの采配のもと、近代戦の様相を一変させるほどの劇的な拡大を目論んでいた。
国防長官時代のチェイニーと結んだ契約文書を巧妙にぼかしておいたおかげで、「後方支援」という言葉はいかようにも拡大解釈でき、海外の軍事行動に伴うすべてのインフラ建設をハリバートンが請け負うことも可能だった。
軍の役目は兵士と武器の確保だけでいい - 言ってみれば国防総省はコンテンツ・プロバイダーで、取り仕切るのはハリバートンというわけだった。」
「その結果がバルカン紛争のときにお目見えした「軍隊のマクドナルド化」とでも言うべきもので、米軍の海外派遣はさながら重装備された危険いっぱいのパッケージツアーといった趣を呈した。
「兵士がバルカンに到着した際にはわが社のスタッフが最初に出迎えをし、最後に見送るのもわが社のスタッフです」というハリバートンの広報担当者の説明は、軍の後方支援担当者と言うよりまるでクルーズツアーのガイドのように聞こえる。
だが、それこそがハリバートンのセールスポイントだった。
戦争を収益性の高いサービス経済の一部にしてもいいではないか、にっこり笑って軍事侵略を ー というわけである。」
「一万九〇〇〇人の兵力が送り込まれたバルカン半島で、現地の米軍基地の建設と運営を一手に引き受けたハリバートンは、ゲートに囲まれた小ざれいな”ミニ・ハリバートン・シティー”を出現させた。
アメリカ国内にいるような居心地の良さを提供しようと、基地内にはファストフードの店舗からスーパーマーケット、映画館、ハイテク設備のジムまでが整備された。
・・・ハリバートンにしても、顧客を満足させることがいちばんだった。そうすればこの先の契約も保証されるし、利益はかかったコストのパーセンテージ計算なので、コストをかければかけるほど儲けが出る。
イラク戦争の際に連合国暫定当局が置かれたバグダッドのグリーンゾーンでも、「大丈夫、原価加算方式だから」という言葉が盛んに飛び交ったが、こうした戦争支出のデラックス化はクリントン政権時代に始まったことだった。
チェイニーがハリバートンのCEOの座にあったわずか五年の間に、財務省から同社への支払い額は一二億ドルから二三億ドルへとほぼ倍増し、連邦政府からの融資と融資保証の合計額は一五倍に膨らんだ。
もちろん、こうした貢献に対してはたっぷり報酬が与えられた。副大統領就任前、チェイニーは「自分の純資産を一八〇〇万ドルから八一九〇万ドルの間だと算出したが、ここには六〇〇万ドルから三〇〇〇万ドルに相当するハリバートンの株が含まれており・・・」という状態にあった。」
妻のリンはロッキード社で活躍
「九〇年代後半、彼の妻リンは世界最大の軍需企業ロッキード・マーティンの役員の座にあり、・・・。
リンが役員を務めた一九九五年から二〇〇一年は、ロッキードのような軍需企業が重要な転換期を迎えた時代である。冷戦終結で国防費が減少するなか、収入のほぼすべてを国防総省への兵器納入契約に頼っていた企業は新たなビジネスモデルを必要としていた。
こうしてロッキードをはじめとする兵器メーカーは、新たな事業に積極的に乗り出す - 政府業務を肩代わりして儲けようという戦略だ。」
「九〇年代半ば、ロッキードはアメリカ政府内のIT業務を手中に収め、コンピューター・システムの運営と膨大なデータ管理を担当するようになる。」
「ロッキード・マーティン社がアメリカ合衆国を運営しているとまでは言えないにせよ、同社は驚くほど多岐の事業に手を貸している。(中略)郵便の仕分けから、税金の計算、社会保障小切手の支払い、国勢調査の統計、さらには宇宙飛行事業の運営や航空管制まで。これらすべてを行なうために同社が作成するコンピューター・プログラムの数はマイクロソフトを上回る。」(2004年の『ニューヨーク・タイムズ』紙)"
「こうしてチェイニー夫妻は強力なチーム体制を築き上げた。夫ディックが米軍の海外インフラ事業をハリバートンが独占できるように仕向ける一方、妻リンはアメリカ政府の日常業務をロッキードが肩代わりするよう立ち回ったのである。」
・・・そして、ブッシュ
「(テキサス)州知事としては凡庸な仕事しかしなかったジョージ・W・ブッシュだが、抜きん出た分野がひとつだけある。
それは州を統治する知事に選出されながら、州政府の多岐にわたる業務、なかでもセキュリティー関連業務を民間企業に委託したことだ。
これは数年後に彼が始めることになる「テロとの戦い」の民営化を予兆させるものだった。
ブッシュ知事のもとで同州の民営刑務所は二六から四二カ所へと増加し、『アメリカン・プロスペクト』誌は、ブッシュが統治するテキサス州を「世界における民営刑務所業界の首都」と呼んだほどだった。」
ブッシュ、ラムズフェルド、チェイニーの三人で創り上げる米政府の完全空洞化
「将来大統領になる人物が州政府を積極的に競売にかけ、チエイニーが軍のアウトソーシング化に指導力を発揮し、ラムズフェルドが伝染病の治療薬の特許を取る - ここから、この三人が一緒になったときにどんな国家を創り上げるかが明確に浮かび上がってくる。
それは米政府の完全空洞化だった。」
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「実はこんなに高い あなたの町の「本当」の放射線量 公式発表は「低く出る」よう細工をしていた」(「週刊現代」)
現代ビジネス
実はこんなに高い あなたの町の「本当」の放射線量
公式発表は「低く出る」よう細工をしていた
2011年05月24日(火) 週刊現代
公表されていた東京・新宿の放射線量データは、地上18mの高さで計測されたものだった。
地面から離れれば離れるほど、数値は低く出る。実際に人間が行動している、地表1m地点の数値は---。
(国土交通省政務官の小泉俊明代議士が、自ら購入したガイガーカウンターで測定した結果・・・。)
2倍から5倍の数値が
(略)
地元に帰る直前の5月2日、試しに溜池交差点付近で測ったのですが、この『0・128』という数値を年間の被曝量に換算すると、1・12mSv(ミリシーベルト)となります。これは、国際放射線防護委員会の定める一般公衆の年間被曝許容限度(1mSv)を超えるものです。
ちなみに、首都高速の『霞が関』入り口付近でも測ったのですが、やはり0・11と高かった。福島第一原発から220km以上離れた東京で、これほど高い数値が出るとは予想していませんでした」
後日、驚きの事実が判明する。
溜池交差点で計測した「0・128」という数値が、実は文部科学省の公表している「都道府県別環境放射能水準調査結果」(以下、「調査結果」)の東京都の数値の、2倍近くも高かったのだ。
(略)
そこで、5月2日の「調査結果」をチェックしてみると、東京(新宿区)の数値は0・067~0・068。
小泉氏の計測結果と比較すると、2分の1程度にしか過ぎない。
(略)
両者の測り方には、大きな違いがある。
文科省の「調査結果」は、地表から数mから十数mのところで測ったものなのだ。
たとえば、東京都の場合、新宿区百人町にある「東京都健康安全研究センター」の屋上に設置されたモニタリングポストによって計測している。地表からの距離はおよそ18m。
千葉県は市原市岩崎西にある「千葉県環境研究センター」の地上7mの地点にモニタリングポストを設置している。
「測定基準について、文科省から全国一律の指示が出ていないので、各自治体でバラバラの基準で観測しているのが実態です」(千葉県環境生活部大気保全課)
一方、小泉氏は地表から100cmのところで測っている。
「多くの方たちが普段、おもに生活しているのは、地上18mよりも低いところです。ですから、そんな高いところで計測するのはどうかと思い、100cmと決めて測ったのです」(小泉氏)
同氏はその後、同じ方法で、茨城県南部の9市町村の放射線量を測ってみた。結果は、取手市=0・484、守谷市=0・503、龍ケ崎市=0・326、牛久市=0・315だった。文科省の「調査結果」によれば、地上3・45mのところで測られている茨城県(水戸市)の放射線量(5月2日)は0・104~0・110だから、同じ茨城県内でも文科省の「調査結果」の3~5倍の高い数値が出たということになる。
人間ではなく鳥の被曝量
(略)
だからこそ、人間の身体への影響という観点を考慮するなら、地上18mの放射線量を計測するのではなく、「もっと低いところで測るべき」と指摘するのは、群馬県立県民健康科学大学診療放射線学部准教授の倉石政彦氏だ。
「いったい誰が、地上18mの屋外で生活しているのか。鳥ぐらいのもので、鳥の被曝量を調査しても仕方がないでしょう。
人体への影響を測るというのであれば、人間の身長は高くても2m弱ですから、その半分の1mくらいのところで測りましょうというのが、専門家の間での共通認識となっています」
測定地点を変えるつもりはないのか。東京都健康安全研究センターの企画管理部に取材すると、
「あくまでも文科省からの委託を受けて、ウチは測定した数値を文科省に上げているだけです。(測定方法を)変えるつもりはありません」
というばかり。
ちなみに、文科省の「調査結果」に反映されている群馬県(前橋市)のモニタリングポストは、ビルの屋上(地上約20m)に設置されている。
倉石氏が勤務する大学はそのビルの隣にあり、大学のグラウンドの地上1mで同時に測ると、
「ひどいときにはグラウンドのほうが3倍も高い数値が出る」(倉石氏)
という。
実は、文科省のホームページを確認すると、「調査結果」以外に、「全国大学等の協力による空間放射線量測定結果」というデータも掲載されている。どのような方法で測定されたのか詳しい説明や、データの意味は書かれておらず、「非常に分かりにくい」(前出の小泉氏)ナゾのシロモノだ。そこで文科省原子力災害対策支援本部広報官に尋ねると、「地上1~1・5mの地表に近い場所で観測した結果です」と説明した。
つまり、文科省は「調査結果」よりも高い放射線量を示すデータを把握しておきながら、どういうわけか声を大にして国民に対して注意を喚起していないのである。
実際、放射線量の1週間の推移がひと目でわかるグラフは、低い放射線量がまとめられた「調査結果」を基に作成されている。新聞やテレビも連日、「調査結果」の数値を報じている。「調査結果」こそ文科省の「公式発表」であるかのような印象を受けてしまうのが実態だ。
事実は事実
これに対し、放射線の研究者らが独自に野外の地表1mのところで計測した、「本当」の放射線量を確認できるホームページがある。放射線計測学を専門とする近畿大学原子力研究所講師の若林源一郎氏が中心となって開設した、「放射線・原子力教育関係者有志による全国環境放射線モニタリング」がそれだ。
(略)
研究者などの有志が地上1mのところで計測したデータと比較して、上空で測っている文科省の「調査結果」の数値がいかに低いかがわかる
上のマップをご覧いただきたい。5月10日、文科省の「調査結果」で東京(新宿区)の放射線量は0・068だった。ところが、若林氏の集計によれば、同じ都内でも、浄水場のある葛飾区金町では0・359と「調査結果」の5倍以上の数値が計測されている。文京区本郷も0・140とやはり2倍の高い結果となっている。
福島原発からの距離もあまり過信しないほうがいい。放射性物質は、必ずしも同心円状に拡散するわけではない。「風向きなどの気象条件や、平地・山間地といった地形によって、高いレベルで汚染される『ホットスポット』が生まれる」(長崎大学先導生命科学研究支援センター教授の松田尚樹氏)からだ。
たとえば、茨城県ひたちなか市より、福島原発からの距離が約70km遠い守谷市や、千葉県我孫子市、柏市や流山市のほうが、放射線量の数値は高い。若林氏が解説する。
「水素爆発で多量の放射性物質が空気中に飛散した後、たまたま風向きの影響を受けて葛飾区や柏市などの数値が高めになったのだと推測しています。しかし、風向きの影響だけなら、すでに風は通り過ぎて数値が下がっているはずなのですが、それが下がっていない点を考えますと、おそらく降雨の影響があって土壌に染み込んでいるからでしょう」
前出の倉石氏によると、高い数値が出るエリアには、いくつかの特徴があるという。
「まずひとつは、緑の多い山間地などは高い数値が出る傾向があります。草に付着した放射性物質は、表面の細かな毛につかまって、風が吹いてもなかなか飛んでいかない。
また、学校のグラウンドでも、水をまいて整備するかしないかによって、数値に差が出ています。私の子どもが通っている高校へ測定に行ったところ、野球部とサッカー部のグラウンドでは、数値が違った。練習が終わるたびに水をまいて整備をしている野球部のグラウンドのほうが低かったのです」
足立区は「管理区域」寸前
高い建物に囲まれたエリアは、吹き溜まりができやすく、東京で言えばビルの谷間にある公園や小学校などでも高い数値が出る可能性がある。倉石氏が続ける。
「高いビルが建つ地域にはビル風が吹きます。これは、ビルの間だけを舞ってまたビルの間に戻ってくる風なので、外には飛んで行きにくい。渋谷のような都心でも、大震災の前より数値は上がっていて、もし私に小さな子どもがいたら、都心にある砂場では遊ばせたくありません。いくら少ないといっても、以前より多いのは確かだからです。
だからこそ上空ではなくて、小学校の校庭なら地上50cmくらい、幼稚園の園庭なら地上30cmくらいのところで放射線量を測定すべきだと考えるのです」
(略)
「実は、東京でも管理区域のレベルに近い、放射能汚染が確認されている地域があるんです」
と指摘するのは、自民党代議士の村上誠一郎氏だ。
「GEの原子力事業部に所属し、プラントの設計などの業務に従事していた経歴のあるコンサルタントの調査によりますと、4月中旬の時点で、足立区内の東綾瀬公園にある雨で濡れた木製のベンチ上で測定をしたところ、1平方センチメートルあたり3Bqの汚染が確認されています」
現地で調査した、インターナショナル・アクセス・コーポレーションの上級原子力コンサルタントの佐藤暁氏が補足する。
「3Bqという数値は、その後、減っておらず、今後2~3年は同程度で推移すると思います。今回調査したのは足立区内の公園だけでしたが、場所によっては4Bqを超える公園があっても不思議ではありません」
(略)
これまでは大陸の高気圧の影響で陸から海に吹く風のほうが強く、放射性物質が内陸に飛んでくる量は少なかった。しかし、
「これが夏になって風向きが逆になると、東京都は今後さらに高濃度の放射性物質に汚染されることになる」(前出・村上氏)
というのだから、事態は深刻だ。これまで以上に多くの地域において、地表から近いところでの放射線量の測定と測定データの周知を徹底すべきではないか。
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2012年5月26日土曜日
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