2012年4月30日月曜日

「芭蕉さま今の五月雨毒まじり」(久喜市 三餘正孝) 「朝日俳壇」4月30日より

横浜市戸塚区 2012-04-29
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「朝日俳壇」4月30日より

さびしさの果てなむ国の春田かな   (名古屋市)阿部 瑠我

芭蕉さま今の五月雨毒まじり      (久喜市)三餘 正孝

本年も東北の山笑はざり         (藤井寺市)岡田 章

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「朝日歌壇」4月30日より

草の芽も木の芽も去年(こぞ)の悲しみを抱きて芽吹く生きよ、生きよと 
(福島市)美原 凍子

フキノトウツクシタラノメウドヨモギワラビゼンマイ摘めぬ春は来     
(白河市)金沢 美香

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鎌倉 天園ハイキングコースを歩く

連休初日の4月28日、
北鎌倉の建長寺の裏山から瑞泉寺までの所謂「天園ハイキングコース」を歩いた。

具体的には、
JR北鎌倉駅~建長寺~ハイキングコース~瑞泉寺~JR鎌倉駅のフルコースを歩いたことになる。
自宅発:午前9時30分頃
自宅着:午後4時頃

▼建長寺の塔頭のひとつ
▼地元ではあまり歓迎されていないリス
▼???
▼半僧坊までは建長寺の寺域
途中にある「寒山拾得」の碑
右側に詩文の碑もある。
中国の寒山寺から贈られたという説明があった。
▼直進して登りきったところが半僧坊

▼半僧坊の手前で、いくつかの天狗がお出迎え
▼ここが半僧坊
ハイキングコースは正式にはここから始まる。
▼残念ながらこの季節、富士山は見えない。
鎌倉市街の眺めもこの程度
あとは、延々と山道。
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「朝日新聞」4月26日 高橋源一郎「論壇時評」 入学式で考えた ぼくには「常識」がない?

東京 北の丸公園 2012-04-20
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「朝日新聞」4月26日「論壇時評」 高橋源一郎
入学式で考えた ぼくには「常識」がない?

取り上げられた論考
①尾木直樹「子どもたちの新しい人権のために」(「現代思想」4月号)
②尾木直樹・土肥信雄の対談「学校を死なせないために」(「世界」5月号)
③桜井智恵子『子どもの声を社会へ』(岩波新書、2月刊)
④国連子どもの権利委員会の「最終見解:日本」(外務省のホームページから、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/pdfs/1006_kj03_kenkai.pdf)
⑤村田奈々子「ギリシャはどれほど『ヨーロッパ』か?」(「中央公論」5月号)


入学式で考えた ぼくには「常識がない?
1年前、長男のれんちゃんが小学生になった時の入学式のことだ。
最初に、校長先生が、舞台中央の演壇に向かって深くお辞儀をした。でも、演壇にはなにもない。
「はて?」と思って、よく見ると、左奥に日の丸の旗がある。
誰に向かって、何のためにお辞儀をしているんだろう。
まるでわからない。
ぼくに常識がないからなのかな。
しばらくして、「国歌斉唱」の番になった。
そしたら、ぼくは、なんだか憂鬱になった。
誰がこんなやり方を決めたんだろう。
半月前の保育園の卒園式には、あんなに感動したのに。

で、突然気ついたんだ。
卒園式では、子どもたちがたくさんの歌を歌った。
みんな、子どもたちのための歌だった。
でも、小学校の入学式で歌うのは、子どもたちのための歌じゃない。
これは、子どもたちのための式じゃなかったんだ!
だから、こう思ったよ。「小学校の入学式は、たぶん、キョウイクイインカイとかそれを指導しているエラい人のための式なんだ。だから、イヤになっちゃうんだ。現場の先生に任せたら、もっと嬉しいものになったのになあ」って。
(略)
今月、「教育」について論じだものが多かったのは、「教育」に、たいへんなことが起こっているからなんだろうか。
大治躍しているのは尾木ママこと尾木直樹さん。二つも雑誌に登場している(①②)

尾木さんがいっているのは、(日本の)みんなが「常識」だと思っていることが、実はそうじゃないってことだ。
この国の外では、教育はどうなっているのか。世界を飛び回って、尾木ママは調べる。

たとえば、「世界で大学入試試験をやっている国はほとんどない」とか、日本のパパやママは、世界の平均の2倍から3倍も教育にお金を払わされているとか。
知らないことばかりだよ。
オランダでは、「朝学校に行って一時間目から五、六時間目までの時間割を決定するのは子どもたち自身」で、先生はそれを支援する役目。そして子どもたちは「自分が決めたことだから自分で責任を持とう」とするっていうんだ。宿題だってまったくないってさ(①)
それでも、160カ国からも移民が集まるこの国で、日本と学力が変わらないのは、「子どもたちの人権」こそ最優先だ、という考え方があるからなのかもしれないね。

あなたの国では子どもたちが悲惨な状態のまま放置されている、っていわれたら誰だって驚くよ。しかも、その場所が「学校」だっていうんだから。
桜井智恵子さんの『子どもの声を社会へ』(③)の最初の方に書いてあるのはこのことだ。

国連・子どもの権利委員会が、厳しい競争環境が子どもたちをイジメや精神障害といった不幸な状態に陥らせていると日本に勧告した(④)
へえ、そんな風に見られていたのか。ぼくは「世界の常識」を知らなかったんだ。
日本で初めて「子どもの人権オンブズパーソン」制度を作ったのは兵庫県川西市で、横井さんはそのオンブズパーソン。
競争社会は、弱い者に負担を強いる社会だ。
そして、もっとも弱い者とは子どものことだ
桜井さんは、疲れ傷ついた彼らの声に耳をかたむけ、立ち上がる手助けをする。その過程で、桜井さんは気づく。子どもたちが、悲鳴のように、この社会の構造を変えてほしいって訴えてることに。
桜井さんは、こういう。
「私たちの社会は子どもたちが引き継いでくれる。だから大人は、子どもに失礼のないように、思考停止をしてはいけない」
その通りだ。この社会は、やがて子どもたちに引き継がれる。なのに、ぼくたちの「常識」には「子どもに失礼のないように」ということばがないんだ。

常識」があてにならないのは、それだけじゃない。
ぼくたちは、ギリシャをヨーロッパの一部だと思ってる。
でも、村田奈々子さんは、確かに古代ギリシャ文明はヨーロッパ文明を産んだけど、中世以降、正教会に属するキリスト教の地だったギリシャはヨーロッパではなかったと書いている(⑤)
だから、ヨーロッパはギリシャに冷たいんだってさ!

それから、北朝鮮の「ミサイル」発射の件もなんか変な気がするんだよ。
海外のメディアは、「ロケット」と呼んでいるみたいだけど、日本にいると、目に飛び込んでくるのは「ミサイル」ということばだ。
弾頭を装着すれば「ミサイル」で、宇宙開発が目的ならロケットというらしいんだけど、そんな違い、なんか意味があるのかな。
っていうか、その「ミサイル」より、アメリカ軍が持ち込んでいるかもしれない核兵器や福島第一原発4号機の燃料プールの方がずっと怖いと思っちゃうのは、ぼくに「常識」がないからなんだろうか


入学式は誰のものか?という問いは、
「生徒のものである卒業式」と言う赤川次郎と基本的なところでは通じるところがある。↓

「生徒のためのものであるはずの卒業式で、管理職が教師の口元を監視する。何と醜悪な光景だろう!」(赤川次郎)という意見もあった(コチラ)

4月30日「朝日歌壇より
口先を監視する目は若者にいかに映らむ旅立ちの日に  (松山市)宇和上 正
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高橋源一郎「論壇時評」の過去分







昭和17年(1942)4月17日 「八重櫻の散り残りたるに狂風の枝も折れよと吹きすさむさまいかにも戦乱の世らしき心地なり。」(永井荷風「断腸亭日乗」)

東京 北の丸公園 2012-04-25
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昭和17年(1942)
4月16日
・四月十六日、晡下雨俄に濺来る。夜に入るも歇まず。
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4月17日
四月十七日。陰晴定らず風寒し。
八重櫻の散り残りたるに狂風の枝も折れよと吹きすさむさまいかにも戦乱の世らしき心地なり。
岩波書店に平井程一の悪事を警告す。晩間飯倉一丁目紙問屋万屋にて和本表紙の紙を購ひ芝口の金兵衛に飯す。
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4月18日
四月十八日。日頃書きつゞりしものを整理し表紙をつけて冊子となす。これが為に半日を費したり。
晡下芝口の金兵衛に至り初めてこの日午後敵國の飛行機来り弾丸を投下せし事を知りぬ。火災の起りしところ早相田下目黒三河嶋淺草田中町邊なりと云。歌舞伎座晝間より休業、淺草興行物は夕方六時頃にて打出し夜は休業したりと云。新聞号外は出ず。
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4月19日
四月十九日 日曜日 晴。やゝ曖なり。今日も世間物騒がしき様子なり。午睡半日。晡下金兵衛に至り人の語るところを聞くに大井町鐡道沿線の工場爆弾にて焼亡、男女職工二三百人死したる由。淺草今戸邊の人家に高射砲の弾丸の破片落來り怪我せし者あり、小松川邊の工場にも敵弾命中して火災にかゝりし所ありと云。新聞紙は例の如く沈黙せるを以て風説徒に紛々たるのみ。
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4月20日
・四月二十日。細雨烟の如し。
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4月21日
四月廿一日。天気好晴。土州橋の歸途榛原にて自扇二十本短冊等を購ふ。佐藤観次郎満洲吉林より書を寄す。
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4月22日
四月廿二日。晴。晩間金兵衛に飯す、偶然市川三升に逢ふ、
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4月23日
四月廿三日、晴、七八日頃の月冴えわたりて風寒し、
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4月24日
・四月廿四日。晴、
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4月25日
四月廿五日。晴。淺草オペラ館楽屋を訪ふ、半月おぼろなり、
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4月26日
四月廿六日 日曜日 晴、庭の杜鵑花(つゝじ)胡蝶花(しやが)満開、木苺の白き花郁子の花と共に散ち(ママ)そめたり。

巷の噂
昭和十一年二月廿六日朝麻布聯隊叛軍の士官に引率せられ政府の重臣を殺したる兵卒は其後戦地に逸られ大半は戦死せしやの噂ありしが事實は然らず、戦地にても優遇せられ今は皆家に在りと云。
余の知りたる人はもと慶應義塾の卒業生にて叛軍士官に従ひたる者。過日偶然銀座街上にて邂逅し重臣虐殺の顚末及び出征中のはなしを聞きたり。南京攻撃の軍に従ひ二年半彼地に在りしと云。南京は一度に落ちしにはあらず。二回敵軍に奪回せられ三度目に至り初て占領するを得たりしなりと云ふ。
この人は高橋是清の機関銃に打たれて興る斃るゝさまを目のあたりに見、また中華人の数知れず殺さるゝを目撃しながら今日に及びては戦争の何たるかについては一向に考ふるところ無きが如し。
戦争の話も競馬のはなしも更に差別をなさぬらしく見ゆ
今日の世には此くの如き無神経の歸還兵士甚多し。過去の時代にはトルストイなど云ふ理想家の在りしこと夢にも知らぬなるぺし。
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4月27日
・四月廿七日。南風吹きすさみて暑し。晡下士州橋より向嶋に行く。
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4月28日
四月廿八日。午後うさぎ屋の主人怙寂子來話。菓子及び餅を恵贈せらる。先年余が外妾お歌の家に懸置きたる額を請はるゝがまゝ怙寂子におくりぬ。壷中庵の記をしるせしものなり。刻驟雨。金兵衛に飯す。
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4月29日
四月廿九日。晴。午後杵屋五叟來話。夜ユーゴーの詩集恐怖の年を誦す。
(略)
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4月30日
四月三十日。半陰半晴。終日睡魔に襲はる。怙寂子來書。夜いつもの如く金兵衛に飯す。
京橋区内カフェー洋食店等に雇用せらるゝ者の中凡弐百人ばかり徴用令にて二年間沖電気工業會社工場の職工にせられ合宿所に入れられたりと云ふ。金春新道喫茶店キユベルの息子もその中に在りと云ふ。
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4月18、19日の記述はドゥーリットル隊による日本初空襲のこと。
以下、「黙翁年表」より

昭和17年(1942)4月18日
・日本初空襲
午前6時30分、釧路に帰投中の監視艇第23日東丸(90t)が敵飛行機発見の第1報。
続いて6時50分、敵空母3隻見ゆ(実際は2隻)との米機動部隊接近を報告。
8時45分、空母ホーネットとエンタープライズ、攻撃時間を10時間早め、日本本土から670マイル(1200km)の地点でB25中型陸上爆撃(ドゥーリットル隊)機16機を発艦。


7時30分(東京時間午前3時30分)、東経152度線に沿って南下中の第2哨戒隊17隻のうち哨戒艇「第23日東丸」(中村盛作兵曹長)から、「敵空母三隻見ユ、ワガ地点犬吠岬ノ東六〇〇マイル」の緊急電があり、軍令部・連合艦隊は、第26、21航空戦隊に攻撃命令を発し、第1航空艦隊・第3潜水戦隊に現場急行を命じる。
第1航空艦隊は、4~9日セイロン島コロンボ、トリンコマリを襲い、台湾海峡を北上して帰途にあり、第3潜水戦隊3隻は、米機動部隊出現位置の西約200マイルにある。
水上部隊は間にあわず、航空部隊も、敵の攻撃は翌日と考え、陸攻39・戦闘機24の攻撃部隊が発進したのは、東京空襲が終ったあと(午後零時45分)。


7時55分、ハルゼー中将は、重巡「ナッシュビル」に「第13日東丸」を撃沈させ、「エンタープライズ」艦載機に他の漁船攻撃を命じるが、発見されたのは確実と判断、8時、計画を変更してドーリットル隊発進を命じる。東経153度27分、北緯35度28分、東京まで668マイル、中国到着まで燃料がもつかどうか、危ぶまれる地点。
8時25分、ドーリットル中佐機を先頭に発艦を開始。西部劇監督ジョン・フォード中佐指揮で、発艦の模様が撮影される
9時19分、最後の1機が「ホーネット」を発艦し、全16機は無事発艦。ハルゼー部隊は25ノットで避退。


12時15分、海面すれすれの低空飛行で本土に侵入。
12時30分頃、1番機が東京上空に達し高度を400mまで上昇させ東京初空襲第1弾を投下。全16機中13機が東京・川崎・横浜・横須賀、2機が名古屋(内1機は四日市)、1機が神戸を爆撃。荒川区尾久町、川崎の日本鋼管、昭和電工のガスタンクなどが被害を受ける。
爆撃機は本土を横断して中支方面に向かう。


被害:監視艇2隻沈没、戦死33、戦傷23。
空襲被害:死者45、重傷153、家屋全焼160戸、全壊21戸。


B25B、1機がウラジオストックへ、15機は大陸まで飛行。隊員80中墜死・溺死5、日本軍捕虜8(処刑3、獄死1)


首都防衛にあたる東部軍司令部は、空襲直後、「敵9機を撃墜、我方の損害は軽微なる模様」と発表。
19日付「朝日新聞」朝刊は、「初空襲に一億沸る闘魂 敵機は燃え、墜ち退散”必消”の民防空に凱歌」「バケツ、火叩きの殊勲 我家をまもる女手 街々に健気な隣組群」「鬼畜の敵、校庭を掃射 避難中の学童1名は死亡」の見出しで、同日付同紙夕刊は、「きょう帝都に敵機来襲 9機を撃墜、わが損害軽微」との見出しで報道。


奇襲は成功。効果はむしろ心理的なもので、山本五十六連合艦隊司令長官はこの奇襲にショックを受け、持論のアリユーシャン~ミッドウェーの線上で敵機動部隊を撃滅する作戦を主張、結局これが他の作戦に優先して行なわれる。

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延長7年(929)~延長8年2月 豪雨を伴う台風が襲来 「夜中に洪水氾濫し、東西京七条以下車馬通ぜず、皇城以南の田畝海のごとし、穀種流漂し溺死者多し」

東京 北の丸公園 2012-04-23
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延長7年(929)
この年
・新羅の使者と称する後百済の使者が対馬に来航し、「朝貢」を求める(『扶桑略記』)。
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2月16日
・高明親王、元服。
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5月20日
・下野国衙は藤原秀郷らの濫行を政府に訴え、政府は下野と隣国5ヶ国に追捕官符を下すが、坂東諸国が秀郷を追捕した形跡はない。(『扶桑略記)
秀郷は一貫して受領に対して自立的態度をとり続け、諸国受領も延喜勲功者秀郷に遠慮していたと思われる。

延喜15年(915)2月、上野国で介(受領)藤原厚蔵(あつのり)が上毛野基宗(かみつけのもとむね)・貞並(さだなみ)らに射殺される事件があった。大掾藤原連江(つらえ)らも加わった広範な反受領闘争だった。
隣国下野国住人の秀郷もこの事件に関与したのか、政府は下野国に秀郷とその党18人の配流を命じたが、秀郷らは配所に行くことを拒絶した。
翌年8月、困った国衙は政府に指示を仰ぐと、政府は配流の指令を繰り返すだけで、秀郷らは受領の命令を無視し続けていた。
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7月
・台閣首班、左大臣藤原忠平の五十の賀。
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豪雨を伴う台風が襲来
夜中に洪水氾濫し、東西京(左右京)七条以下車馬通ぜず、皇城(平安京)以南の田畝海のごとし、穀種流漂し溺死者多し
という惨状を呈す。
政府は調と徭を免ずるという措置をとり、天皇は、公卿たちに対し時務策についての意見を提出させる。
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延長8年(930)
この年
・渤海の後裔を自称する一団が丹後国に来航、契丹の専横をまくし立て、日本政府から礼を失しているとして咎められる(『扶桑略記』)。
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2月13日
・京中病者救済のため「左右京職」官人が「坊令」等を率いて京中毎条の巡検を行い、「検非違使」らの病者収容を容認する。
また収容者の食法に関しては、成人の男女に米1升・塩1勺・滓醤1合を、小児男女に米6合・塩5撮・滓醤5勺を与えること、
但し米は「義倉料」を、塩・滓醤は「大膳職」より配給。
鋪設は「掃部寮」が行い、衣服・古幔は「大蔵省」より配給することが決定される。(『政事要略』)
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2月14日
・疫病が流行により路頭に愁苦している病人が多数発生。
「検非違使」及び「左右」京職は、病人を「施薬院」・「悲田院」・「曲殿」・「有便宜所」に収容する。(『扶桑略記』)
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2012年4月29日日曜日

自宅のすぐ近くで、早くもアヤメ(菖蒲)を見つけた

今日(4月29日)、
自宅のすぐ近くで
アヤメ(菖蒲)を見つけた。

早くも、アヤメ、カキツバタ、ハナショウブと続く季節になったんだ。


鎌倉 北鎌倉古民家ミュージアム 猫展を開催中

連休初日の4月28日、連休中に晴れ間のでる日が少ないとの予報もあり、鎌倉の建長寺から瑞泉寺までの、所謂「天園ハイキングコース」を歩いた。

でもその前に・・・、
JR北鎌倉駅近くの「北鎌倉古民家ミュージアム」へ。
今の期間は「猫展」を開催中。

この古民家は、福井県の古民家3軒を一旦バラバラに解体した後、ほぼ2軒半分くらいの材料を使ってこの地に博物館として建築し直したものらしい。
館内にある、アール・デコというのか、そういった調子の調度品は、古民家とは関係なく収集したものだという。
ステンドグラスや天井灯などヨーロッパ風のクラシカルなものも多い。

▼入口を入ってすぐに庭がある。
建物への入口は、「不老門」という額が掛かったところ。

▼建物内部の様子

▼尾形奈美「楽人の妻」(昭和4年、帝展入選作)
奈美さんは、6世尾形乾山の娘。平成9年、98歳で亡くなられたとか。
▼建物裏のフジ
そろそろ季節だ。
▼たいつり草
▼猫展の案内

延長2年(924)~延長6年(928) 藤原忠平(45歳)が左大臣となり忠平政権が確立する

東京 北の丸公園 2012-04-20
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延長2年(924)
1月
藤原忠平(45)が左大臣となる。忠平政権の確立
1月7日、正二位の昇叙、22日、左大臣。

藤原忠平:
元慶4年(880)、藤原基経の四男として生まれる。
兄に時平・仲平(延喜の治では時平が左大臣として権勢を誇り、醍醐天皇と統治)。
藤原道長の曾祖父。
昌泰3年(900)21歳で参議になるが、すぐに辞して叔父清経に譲り、自身は、右大弁兼侍従(太政官の事務方トップ)として出仕。
延喜8年(908)29歳、時平没の前年、参議に戻る(時平は29歳で左大臣)。
時平没と同時に権中納言、延喜11年に大納言、13年には太政官のトップ、翌14年に右大臣となる。
約10年後の延長2年(924)、ようやく左大臣となり忠平政権が確立。

昇進のテンポが鈍いことについては、醍醐天皇との関係に問題があった。
醍醐天皇は兄時平と親密であったのに対して、忠平は一貫して宇多上皇に仕え、また菅原道真とも親しかった(ある意味で敵の側にいた)。
醍醐の後宮で絶大な力をもった皇后穏子(おんし)は妹ではあるが時平に近く、時平没後はその息子たちに目をかけた。
承平6年(936)に時平長男の保忠が大納言で没したことは、忠平とその子孫にとって幸いした。

忠平は、醍醐没後、朱雀天皇が即位すると、左大臣にして万機摂行、すなわち摂政の詔を蒙ったが、醍醐の遣詔にあった太政大臣への任命はすぐには行なわれず、即位6年目の承平6年(936)になってようやく実現した。

忠平の時代(摂関体制成立期)
①摂政と関白が制度的に定着
忠平は、醍醐天皇の譲位の詔で、幼主を保輔(ほふ)して政事を摂行せよと命ぜられ、まず天皇幼少の間は摂政をおく制と、任命が先帝の譲位の詔で述べられる方式が定式化される。
さらに天慶4年(941)、朱雀天皇が元服すると、摂政を固辞し関白に任ぜられ、しかも摂政在任中行なわれなかった官奏文書の奏覧(そうらん)を復活する。
天皇大権を代行する摂政と、天皇の補佐である関白の差が制度化され、天皇幼少の間は摂政をおき、成年後は改めて関白になすパターン成立

②儀式・故実の成立
宇多朝~村上朝の間、特に忠平の時代に、朝廷での儀式の具体的な作法故実が成立し、朝廷儀礼の標準型が形成される。
儀礼が整備されるなかで、官撰儀式書のみでは規範としては不十分になり、実践のなかで細部に及ぶ行動の規範を形成し、洗練してゆく。
忠平は、本康(もとやす)・貞保(さだやす)両親王を通じて伝えられた父基経の儀礼と兄時平の説をうけ、さらに醍醐の勅命や国史・外記日記(げきにつき、太政官の外記が職務として作成した日記)などを故実とし、合理的な儀礼を定め、忠平流の儀礼体系を作りあげる。
忠平の子の実頼と師輔を祖とする小野宮流と九条流という摂関家の二つの儀礼の流派が成立していくが、いずれも、実頼と師輔に与えられた忠平の口伝と教命(きようめい)という一種の教訓を中核とした。

③摂関政治を支える貴族連合体制の成立
醍醐朝では、天皇主導のもと、氏長者忠平を擁する藤原宗家・天皇の外戚家(右大臣藤原定方)、皇親の協調体制がみられ、その後も実頼や、村上天皇の皇后安子(あんし)と結ぶ師輔へ連合体制は継承される。
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延長3年(925)
6月
・皇太子慶頼(やすより、5歳、亡くなった保明親王の子)王、没。
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10月
・寛明親王(保明の弟、のちの朱雀天皇)が立太子。
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延長4年(926)
この年
・契丹が渤海を滅ぼし、937年に遼と称する。
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・穏子が、天皇の第十四皇子成明親王(後の村上天皇)を生む。
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延長5年(927)
この年
・興福寺僧寛建、五台山巡礼許可を朝廷から得て、この年、出航して福州に到着するが建州の浴堂で没す。
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12月
・藤原忠平ら『延喜式』全50巻を撰進。

『延喜式』編纂・施行の複雑な背景
延喜5年、編纂に着手、延長5年に完成したが、施行は廉保4年(967)で完成以来40年が経過している。
その理由は、『弘仁式』『貞観式』に取捨選択を加え、式の集大成を図ったために、完成後も編纂が続けられ、また天徳4年(960)に内裏が全焼し、編纂事業に大きな打撃となったためと推測される。
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延長6年(928)
6月9日
・小野好古、大蔵少輔に就任。
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海の放射能汚染 川の沖合では遠くほど高濃度 海のホットスポットの可能性



海の放射能汚染について、川の沖合いでは遠くほど高濃度の放射性物質が検出され、「海のホットスポット」ができている可能性もあるとのことである。
海の汚染濃度が低くなったとしても、単純に稀釈によるものではなく、特定の条件にある場所への集中による可能性も出てきたということだ。

NHK NEWSWEB
川の沖合離れるほど高濃度セシウム
4月29日 4時49分

東京電力が福島第一原子力発電所の周辺の海底の土に含まれる放射性物質の濃度を調べた結果、大熊町の川の沖合で、沖に離れるほどセシウムの濃度が高くなる傾向がみられました

東京電力は、福島第一原発の周辺の海底、40か所余りで、去年7月から月に1、2度、土を採取し、中に含まれる放射性物質の濃度を調べています。
26日の調査の結果、原発の地元、大熊町を流れる熊川の沖合では、セシウム137の濃度が土1キログラム当たりで、10キロで21ベクレル、15キロで67ベクレル、20キロで120ベクレルと、沖に離れるほど濃度が高くなる傾向がみられました。
熊川の沖合では、先月下旬から調査が行われていて、先月も同じ傾向がみられたということです。
またほかの調査地点で、川の流れの影響を受けにくいと思われる場所では、沖に離れるほど濃度は低くなっているということです。
さらに熊川の沖合では、場所によって、セシウムの濃度が先月より26日のほうが高くなっている場所もあり、東京電力が原因を調べています。
東京電力は「熊川の流れが放射性物質を沖合いまで運び、その結果、『海のホットスポット』のようなものを作っている可能性がある」と説明しています。

橋下豹変準備中。「厳しいライフスタイル」+「増税」か、「原発再稼動」の二者択一を迫る。

東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-04-24
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橋下大阪市長が、弁護士話法を駆使して、豹変、或いは豹変準備中らしい。
一つ目は、節電がガマンできないなら原発再稼動しかない。
二つ目は、原発再稼動なければ増税もありうる。

毎日JPの記事
大飯再稼働:「原発か節電か」橋下市長が住民に選択訴え
毎日新聞 2012年04月26日 15時52分(最終更新 04月27日 07時21分)

大阪市の橋下徹市長は26日、関西電力大飯原発3、4号機を再稼働しない場合の夏の電力需給について、「(需要の)ピーク時にみんなで我慢できるかどうか。府県民に厳しいライフスタイルの変更をお願いする。それが無理なら原発を再稼働するしかない」と述べ、「原発か節電か」の二者択一を住民に訴える考えを示した。


 政府は今夏、猛暑で原発再稼働がない場合、関西電力で最大約19%電力が不足するとの見通しを示している。
橋下市長は「産業には影響を与えず、家庭に冷房の温度設定など負担をお願いすることになる。安全はそこそこでも快適な生活を望むのか、不便な生活を受け入れるか、二つに一つだ」と話した。


 橋下市長はこれまで安全性を確認する手続きが不十分なことを理由に原発再稼働に反対してきたが、「理想論ばかり掲げてはだめ。生活に負担があることをしっかり示して府県民に判断してもらう」と強調した。【津久井達】

それから、二つ目。
読売新聞YOMIURI ONLINEの記事
橋下市長「大飯原発の再稼働なければ増税も」

大阪市の橋下徹市長は26日、関西電力大飯原子力発電所3、4号機の再稼働が認められない場合、代替エネルギー促進などにかかる行政コストの確保のため、「増税も検討しなければいけない」と述べた。
 橋下氏は関西広域連合の7府県2政令市の首長による委員会で発言し、「もし再稼働を認めなければ(府県民に)応分の負担がある」とし、新たに発生する住民負担分を明示することを提案した。
(2012年4月27日07時13分  読売新聞)


上の二つの記事だけでは、なんとも言えないが、なにせ弁護士話法なもんで、読むほうはあらゆる可能性を見ておかねばならない。

結局、二者択一というのは、
①「激しいライフスタイル」と「増税」の組み合わせ、か
②原発再稼動
ということで、
電力会社や野田松下政経塾・官僚いいなり内閣と余り変らぬ「恫喝」みたいなものに帰結するように見える。

底、浅いね。

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「橋下支持の中心は大阪の富裕層」という記事はコチラ
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敦賀原発の直下に活断層がある可能性が大きい。保安院・専門家が指摘。

東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-04-24
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日本列島は、地球をニワトリの卵とすると、白身にあたるマントルに浮かぶ巨大なイカダである複数のプレートの縁にできたシワらしい。
(ここで言う、日本列島に関わる複数のプレートというのは、北米プレート、太平洋プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレートの四つのこと)

このシワである日本列島には、プレートに押され圧縮された傷という活断層が無数にあるという。

その活断層が、敦賀原発2号機の直下にある可能性が高いらしい。

4月25日「朝日新聞」の一面トップ

(見出し)
敦賀原発直下 活断層か 保安院調査 廃炉の可能性
(記事)
日本原子力発電の敦賀原発2号機(福井県敦賀市、定期検査で停止中)の直下を走る断層が活断層である可能性があることが24日、経済産業省原子力安全・保安院の現地調査でわかった。
日本原電側は断層は動かないと主張してきた。
国のルールは地震で動く断層の真上に原子炉を建ててはならないと定めている。
敦賀原発2号機は廃炉となる可能性が出てきた。   ▼3面=従来と逆の指摘


日本原電によると、敦賀原発の敷地内には判明分だけで約160の断層(破砕帯)が見つかっている。
この日は、保安院の意見聴取会のメンバーである産業技術総合研究所と京大、福井大の専門家4人が調査を実施。1、2号機と3、4号機の建設予定地、日本原子力研究開発機構の新型転換炉「ふげん」=廃炉作業中=付近の6地点の斜面などを調べた。
その結果、2号機の原子炉の直下にほぼ南北に走る断層について「地震が起きた場合、ずれる可能性が否定できない」などの意見が相次いだ


敦賀原発の敷地内では活断層の「浦底断層」が確認されており、4人は、浦底断層が地震を引き起こした場合、原子炉直下の断層も同時に動く可能性が高いとの見方で一致した。
保安院の小林勝・耐震安全審査室長は、過去に断層が動いた可能性を指摘し、「比較的新しい時代に浦底断層に引きずられたのではないか」と話した。


一方、日本原電は、原子炉直下の断層は自ら動いて地震を起こしたことはない▽計算上は浦底断層が動いたとしても断層が動かない - などと説明。
「耐震設計上、考慮すべき断層ではない」として、断層が動く可能性を否定してきた。
しかし昨年の東日本大震災の後、福島県内でこれまで動かないとされた断層が動き、見直し議論が起きていた。


保安院は日本原電に改めて活断層の調査を指示した。
小林室長は「新たな調査結果が示されない限り、今回の調査で判断する。調査した断層は浦底断層に引きずられて動く可能性が高い」と述べた
(小堀龍之、室矢英樹)


そして、同日の三面

(見出し)
原電主張と逆の指摘 敦賀原発直下 専門家「活断層では」
(記事)
日本原子力発電敦賀原発をめぐっては、これまで周囲の活断層が議論になってきた。
原発は直下の地盤に活断層がないことが大前提。
ずれ動いた場合の対策はなく、建崖や機器が壊れたり、傾いたりする恐れがある。
今回の調査で、複数の専門家が直下の断層が動く可能性を指摘したことで、1、2号機とも運転停止が長期化し、廃炉を迫られる可能性もある。      ▼1面参照


今回、経済産業省原子力安全・保安院が調査したのは、敦賀原発の原子炉建屋直下などに複数ある断層だ。
これまでは、現在は動かない古い断層として扱われてきた。
これが、原子炉の200㍍東を通る活断層「浦底断層」が動いた場合に一緒に動く可能性があると指摘された。


日本原電は2008年、浦底断層が活断層だと認め、敦賀原発の耐震性を再評価。
この活断層が動いて地震を起こしたとしても、揺れによる安全性への影響はないとしてきた。
一方で、真下の断層が動いた場合は施設を直撃するため、浦底断層と一緒に動かないかが保安院の審議で焦点になり、直接観察する追加調査をすることになった。
日本原電は、新旧の地層と断層との位置関係などから最近は動いていない、と主張してきた。
しかし、この日視察した専門家4人からは、こうした判断をするだけの情報が読み取れないとの指摘が相次いだ。
「この手法で議論するのは危うい」(遠田晋次京都大准教授)、「(断層が動いた)年代を決めるのが難しい」(山本博文福井大数援)と異論が続出。
動く可能性は否定できないとの見方を全員が示した
今回観察していないほかの断層も同様に扱う可能性がある。


原発は活断層の真上に造らない方針で建設が進められてきた。
06年に改定された国の耐震指針では12万~13万年前以降に動いた活断層が対象。指針の細則の手引(10年策定)は、活断層や一緒に動く小さな活断層(副断層)の直上に原子炉などの重要施設を設置することを認めていない。
今回の調査は、震災前から続いていた新指針による見直しの一環。
敷地内に古くて動かないとされる断層がある原発はほかにもあるが、敦賀原発は敷地内に活断層があるため、一緒に動く可能性が指摘されていた。
日本原電はさらに調査する方針だが調査手法の限界が指摘されており、いくら調査しても、動かないとする明確な証拠を示せない可能性もある。


敦賀原発は1号機が1970年に運転開始した古い立地の原発。
その後の研究で敷地内の浦底断層が活断層だと指摘されるようになったが日本原電は否定し続けてきた。結果的に旧指針も対象にしていた5万年前以降に動いた活断層であることを認めた経緯がある。
浦底断層自体もさらに長く、延長線上にある活断層と連動して地震を起こす可能性が指摘されている。このため、地震の揺れの想定も見直しを迫られている。
(西川迅、佐々木英輔)

(見出し)
「判断できぬ」  敦賀市長
(記事)
敦賀原発がある福井県敦賀市の河瀬一治市長は出張先の中国で朝日新聞の電話取材に答え、「国と日本原電の説明を聞かない限り、判断できない」と話した。
河瀬市長は、全国原子力発電所所在市町村協議会の会長を務め、「国が安全を確認した原発は再稼働させるべきだ」としており、原発推進の立場を表明している。






NHK「かぶん」ブログが、分かりやすい解説を掲載している。
2012年04月25日 (水)
解説:原発の活断層問題とは

福井県にある敦賀原子力発電所の地下を走る亀裂が活断層の可能性があると専門家が指摘し、日本原子力発電は、改めて現地調査を行うなどして対応を検討することになりました。
こうした原発周辺の活断層に関する評価の見直しは全国8つの原発で進められていて、専門家は「安全か危険かが分からないときは、「危険だ」と思って調査や評価をするべきだ」と提言しています。 


■原発の近くに活断層?
(略)
日本原子力発電の敦賀原発ではきのう、活断層の専門家や原子力安全・保安院の担当者らが敷地内の地層が露出している地点を調査し、地中にある「破砕帯」と呼ばれる亀裂の状態を調べました。
その結果、原発の地下を走る亀裂のひとつが活断層の可能性があることが明らかになりました。
それが2号機から西に150メートルほど離れた地中を走る亀裂です。
専門家は「亀裂は活断層の可能性があり、敷地内を走る浦底(うらそこ)断層という活断層と連動して地震の揺れが想定より大きくなる可能性がある」と指摘しました
原子力安全・保安院の専門家会議のメンバーで、敦賀原発の敷地を調査した京都大学地震予知研究センターの遠田晋次准教授は、「浦底断層の動きに伴って、誘発されてずれるという可能性があるということです。それをもう少し詳しくじっくり検討する必要があるのではないか」と指摘しています。
保安院はさらに、2号機の真下を走る別の亀裂についても「活断層の可能性があるかどうか調べる必要がある」として、日本原電に再調査を指示しました。


■運転再開「不可」の可能性も
国の耐震設計の指針では活断層の真上に原発の重要な設備を設置することは認めていません。このため、真下を走る亀裂が活断層だった場合、2号機は運転が再開できなくなる可能性が出てきます。
 活断層の問題を指摘してきた地形学が専門の東洋大学の渡辺満久教授は「地下にある小さな亀裂が敦賀原発の近くの浦底断層という大きな活断層と連動する可能性については我々が4年前から指摘してきたことで、保安院や日本原電の対応は遅い」と批判しました。
その上で、破砕帯と呼ばれる亀裂があって岩石が脆くなっている場所に原発が建設されていることについて、渡辺教授は「活動が無ければ周辺の土は固いが、粘土が多く指が土にめり込むほどやわらかい。
数万年以内の間に活動を繰り返してきた活断層であることを裏付ける証拠で、地震の振動による危険よりも土地そのものが変形したりずれが生じたりして、原発の施設や設備が壊れる危険性がある」と指摘し、さらに「これまでの原発周辺の活断層の評価は、あまりにもずさんだと言わざるを得ず、敦賀原発以外にも周辺の活断層が正しく評価されていないところは数多くある
東日本大震災以来、地震が各地で頻発していることもあり、いつ地震が起こってもおかしくないという前提で、活断層を正しく評価すべきだ」と話しています。


■「ない」とされた活断層
敦賀原発の1号機の東、250メートルには浦底断層という活断層があります。
実は昭和45年の運転開始当初は国の審査で原発の敷地内に活断層はないと評価されていました。
ところがその後の調査で4年前に活断層であることが確認されました。
さらに、このとき専門家からこの活断層とこちらにある敷地内の亀裂の一部が連動することで原発の施設に影響する可能性が指摘されました。
しかし日本原子力発電は2年前、「亀裂と活断層が連動することはなく原発の安全性にも影響しない」という評価結果をまとめました。
そうした中で東日本大震災をきっかけに、断層の活動が活発になったことから評価の見直しが進められました。
そして2号機の近くにある亀裂については専門家が「活断層の可能性がある」と指摘。
2号機の真下を通る亀裂は保安院が活断層の可能性があるかどうか調べる必要があるとしました。
日本原電では改めて地層の調査などを行って今後の対応を検討することにしています。


 ■ほかの原発は大丈夫か
今回の調査を行った保安院の専門家会議では、ほかの原発でも原発周辺の活断層が連動した場合に想定される最大の地震の揺れを見直す必要があるかどうか、議論を行っています。
きょうは石川県の志賀原発と新潟県の柏崎刈羽原発について議論しましたが、対象となっているのは敦賀原発を含め、全国8つの原発に上ります。専門家会議のメンバーで京都大学の遠田晋次准教授は、「学問的にも進歩しているので、新たに『断層』と認めざるを得ないものも出てきている。安全か危険かが分からないときは、『危険だ』と思って調査や評価をするべきだ」と指摘しています。


2012年4月28日土曜日

全国の64市区町村長が「脱原発をめざす首長会議」を結成

東京 北の丸公園 2012-04-20
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全国の64市区町村長が「脱原発をめざす首長会議」を結成し設立総会を開催。

毎日JPの記事
脱原発:64市区町村長の「首長会議」が設立総会
毎日新聞 2012年04月28日 20時50分(最終更新 04月28日 21時04分)

全国の64市区町村長が「脱原発をめざす首長会議」を結成、28日に東京都品川区の城南信用金庫本店で設立総会が開かれた。
64人のほか6人の元職も参加を表明し、総会には21人が出席。今夏に決まる国のエネルギー基本計画に「原発ゼロ」を盛り込むよう求めることなどを決議した。会場は脱原発を訴える同信金の吉原毅理事長が提供した。
今後は、原発ゼロへの行程を明確にする▽再生可能エネルギー推進の具体策を作る▽政府や国会議員に政策提案する−−ことなどを目指して勉強会を開き、欧州の視察などもする予定。代表世話人には桜井勝延・福島県南相馬市長村上達也・茨城県東海村長三上元・静岡県湖西市長の3人が選出された。
福島県の現職首長として唯一参加した桜井氏は記者会見で「被災者は心が折れかかっている。全国の首長と連携して再建に向け頑張りたい」と話した。
東海第2原発を村内に抱え、JCO臨界事故も経験した村上氏は「国への絶対的な不信感がある」と話した。「人口が多くて避難計画も立てられず、地震の多いこの国で、本当に安全を守れるのか。自治体から声を上げて政策を転換する時だ

JIJIComでも報道
「原発ゼロ実現を」=全国首長会議が結成-東京

(略)
記者会見で、桜井市長は「住民の命を預かる者として、事故からの回復にどのような政策が必要か政府に提言したい」と述べ、村上村長は「世界にも影響がある会議だ。自信を持って脱原発を進めたい」と語った。
総会では、新たな原発はつくらず、できるだけ早期に原発をなくすことを活動目標に設定。関西電力大飯原発の再稼働については、「拙速にならず、地元自治体・住民の合意形成を求める」ことを決議した。(2012/04/28-20:02)

尚、東京新聞TokyoWEBには村上村長にインタビュー記事。
脱原発 「国に任せられぬ」 首長会議きょう発足 村上・東海村村長
2012年4月28日 07時02分

原発再稼働へと政府が大きくかじを切る中、原発ゼロを訴え、「脱原発をめざす首長会議」が二十八日、東京都内で発足する。原発立地自治体の中で唯一の会員で、全国の首長に参加を呼び掛けてきた茨城県東海村の村上達也村長(69)は、本紙のインタビューに「住民の命と財産に及ぶ政策を国だけに任せておくわけにはいかない。首長会議は、政治にインパクトを与えるはず」と意欲を語った。 (林容史)


(略) 
「これだけの首長が顔をそろえ、国にものを言えば大きな影響力を持つ。新しい地方主権、民主主義の動きだ」と村上氏は力説する


◆政府は世論を読めていない
 東海村は東海第二原発(日本原子力発電)を抱え、東日本大震災では、自身もあわやの危険を感じた。いまの国の動きは、なし崩し的に原発を再稼働しようとしているようにしか見えない。「政府は一年以上たっても脱原発の世論が読めていない」といら立ちを隠せない。
 設立総会では、自らの思いも発表するつもりだ。「福島の原発事故の被害の実態を見てください。なぜ脱原発にならないのか、私は不思議に思う」。故郷に戻れない被災者のこと、魚や野菜など農産物を出荷できず死活問題に直面している人が多数いること。放射能被害の天文学的数字と底なしの不安。「人口が密集するこの狭い国土に、原発を持つということについて真剣に考える必要がある。これは目先の利益ではなく、われわれ日本人の品格にかかわる問題だ」と訴える。
 東海村では一九九九年、核燃料加工工場ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所で国内初の臨界事故が発生。村上氏は村長として国や県の対応を待たず、いち早く住民を避難させるため陣頭指揮を執った経験がある。
 目に見えない放射能の恐怖を身をもって知ったが、それでも「国策」である原子力政策に異を唱えることはできなかった。それは国に真っ向から歯向かうことを意味したからだ。まして、原子力の恩恵でうるおってきた自治体の長が唱えれば、異端として排除されかねなかった。
 しかし、東京電力福島第一原発事故がすべてを一変させた。
 昨年十二月、首長会議の設立を準備していた静岡県湖西市の三上元市長が訪ねてきた。「一緒にやろう」との誘いを快諾した。「原発が立地する市町村の住民の中には、いろいろな利害関係はあるが、福島原発事故を経験し、たじろいでいる場合ではなかった」と振り返る。
 これからは「脱原発依存」を言いながら、具体的な道筋を示せない政府を、首長会議として脱原発へと後押ししていく考えだ。


◆全基の廃炉へ 国有化要請も
 村上氏は「全国原子力発電所所在市町村協議会」(全原協)の副会長を十四年以上務めてきたが、五月に都内で開かれる総会で、職を辞すという。「全原協は、電源交付金を要求しながら、経済産業省と一体となって原発を推進してきた。福島原発事故を防げなかったことに副会長として責任を感じる」と打ち明ける。
 全原協の総会の場では、枝野幸男経済産業相に、持論をまとめた「脱原発依存のための制度設計」を突き付け、電力業界にメスを入れて、国内の全原発を将来的な廃炉に向けて国有化するよう迫るつもりだ。
(東京新聞)



働く障害者の56%が年収100万円以下

東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-04-24
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働く障害者の56%が年収100万円以下という。

「朝日新聞」4月27日付けの記事
(見出し)
働く障害者の56% 年収「100万円以下」 作業所などで就業
(記事)
作業所などで働く障害者の5割余りが年収100万円以下にとどまっていることが、障害者団体が昨年末に行った調査でわかった。
障害の種類を問わず広く障害者の収入を調べたデータはこれまでほとんどなかったが、多くの人が低収入で厳しい生活を余儀なくされている実態が浮かび上がった。


障害者が働く小規模作業所などが加盟する「きょうされん」が、障害福祉サービスを利用して働く身体、精神、知的などの障害者を対象に調査。
障害者本人や親ら約1万人が回答した。


障害年金や賃金などを合わせた年収が
「100万円以下」の人は全体の56%
「100万円超.200万円以下」は43%。
「200万円超」は1%にすぎなかった。
障害年金などだけでは暮らせず、生活保護を受ける人も10%いた。


一般の労働者を対象にした国の民間給与実態統計(2010年)では、「100万円以下」の割合が7.9%、「100万円超~200万円以下」は15%。障害者の収入は日本の平均的な水準を大幅に下回る。


また、親や兄弟らと暮らす障害者は75%にのぼり、一人暮らしは8%にとどまった。
収入が少なく、家族らに頼らざるを得ない人が多いとみられる。


調査結果について、日本障害者協議会の藤井克徳常務理事は
「障害者基本法は『他の者との平等を目指す』とうたうが、生活の土台となる収入は、政策論議でもほとんど取り上げられていない。
平等な社会をめざすなら、障害年金の水準や就労のあり方を議論する必要がある」
と話す。    (有地隆史)

NHK NewsWEBでは
障害者の6割 年収100万円以下
4月23日 6時23分

(略)
「きょうされん」によりますと、福祉施設での平均の工賃は、1か月1万3000円ほどにとどまっていて、ほとんどの障害者が、親に頼って生活せざるをえないということです。
調査を担当した「きょうされん」の小野浩さんは、「1人暮らしをしている障害者は1割ほどしかいなかった。年金と働く場があっても自立につながっていないのが現状で、就労支援と所得補償をして状況を変えていく必要がある」と話しています。

野田松下政経塾・財務省言いなり内閣は、税と社会保障の一体改革をいうが、片側の社会保障の具体像がまったく見えず、「増税」だけが前のめりで進行。

「障害の種類を問わず広く障害者の収入を調べたデータはこれまでほとんどなかった」と「朝日」の報道が言う事実が、この内閣の弱者切捨て・置き去りの姿勢を何よりも証明している。


2012年4月27日金曜日

東京 北の丸公園 最後の桜 バイゴジジュズカケザクラ(梅護寺数珠掛桜)

ゆく春や逡巡として遅ざくら   蕪村

北の丸公園の最後の桜
バイゴジジュズカケザクラ(梅護寺数珠掛桜)という

遅桜の雄、カンザン(関山)やイチヨウ(一葉)などが今日の雨で殆ど全滅

そして最後に残ったのが、この長い名の桜

▼4月25日時点
▼今日(4月27日)

▼4月25日には、手前にショウゲツ(松月)、後ろにカンザン(関山)という景色もあったが・・・。

東京 北の丸公園 もみじの若葉が眩しい

北の丸公園のモミジ林
若葉が眩しい

写真は4月25日時点



佐賀県議会が、大飯原発の早期再稼働に反対する意見書を全会一致で可決

東京 北の丸公園 2012-04-25
*
佐賀県、
玄海原発を抱え、町長は土建屋さん家系の原発推進派、
知事の古川氏は、「やらせ」で名を売り、九電からは物心両面で支援を受けてきた。

そんな佐賀県の議会が、福井県の大飯原発の早期再稼働に反対する意見書を全会一致で可決した、という。

佐賀新聞の記事
大飯原発の早期再稼働反対 佐賀県議会が意見書可決

佐賀県議会は26日の臨時議会で、大飯原発3、4号機(福井県)の早期再稼働に反対する意見書を全会一致で可決した。
福島第1原発事故の検証も終わらないまま、安全性について政治判断した政府の姿勢を拙速すぎると厳しく批判した。
原発立地道県で早期再稼働に反対する意見書を可決したのは初めて


 意見書は、国が福島の事故の検証や総括をせずに、短期間で作った新たな安全基準で大飯原発3、4号機を安全と判断したことに、「住民が求めている安全性の議論としては拙速すぎて、結論も甚だ疑問を抱かざるを得ない」と批判。
さらに、原子力規制庁の未設置も問題視し、同原発の早期再稼働に反対している。
野田佳彦首相ら関係閣僚や原子力安全委員会委員長、衆参両院議長などに送った。


 本会議で、宮崎泰茂議員(市民リベラル)が緊急動議で意見書案を提出。
最大会派自民、民主と社民でつくる県民ネットワークの代表も共同提出者となり、全議員が賛成した。


 議会後、古川康知事は「重みがあり、現時点で大飯原発の再稼働は拙速だと示された。
政府には一本の筋が見えていない」と述べ、議会の判断に理解を示した
玄海原発への影響については
玄海は今じゃなく、まだ時間がかかる。各地の様子や議論を見ながら、その反省の上に立って判断していくべきと思っている。現時点での議会の意思と受け止めている
と述べた。


 全国都道府県議会議長会によると、滋賀県、京都府の両議会も国民の理解が得られていないことなどを理由に慎重な対応を求める意見書を可決している。
2012年04月27日更新


これはお見事なことだ。
是非、玄海原発に対してもお見事な見識を示して貰いたいものだ。

朝日新聞は各会派の内情なども報道している。
大飯再稼働反対 県議会、異例の全会一致
2012年04月27日

県議会は26日、関西電力大飯原発(福井県)の早期再稼働に反対する意見書を全会一致で可決した。
原発立地道県の議会で初めての反対表明は、1人会派の提案に、最大会派の自民と政権与党の民主党の県議が賛同するという、異例の道筋をたどった。
 「否決されて当然だと思っていた。まさか全会一致とは」。
午前の議会運営委員会で、意見書を緊急提案した宮崎泰茂県議(市民リベラルの会)は、驚いていた。
 意見書では、東京電力福島第一原発事故の検証や安全対策が不十分で、原子力規制庁が未設置であることなどを理由に早期の再稼働に反対した。
「大飯原発の再稼働をベースに、他の原発も『右へならえ』にしたいはずの政府に、それではダメだと釘を刺した」と、可決の意義を強調した。


 2009年に九電玄海原発3号機で始まったプルサーマルなどの原子力政策を推進してきた自民党内には当初、来るべき玄海原発の再稼働の議論を控え、「立地県として、とやかく言うべきではない」と、意見書可決に慎重な幹部もいた。
 しかし、意見書の内容が「大飯原発」に限定した点に注目。
ある議員は「『すべての原発』というなら反対に回っただろう」という。
議員団の石丸博会長ら複数の幹部は、玄海原発の再稼働議論とは「まったく別物だ」と口をそろえる。
 大飯原発の再稼働を進めている、政権与党・民主党の4人も賛成に回った。
 党県連幹事長の内川修治県議は「国民生活を確保することも考えないといけないが、政府がエネルギー政策や電力需給の説明責任を果たすことが絶対必要。
それがないなかで、再稼働を推進するのは誰が見ても疑問だと思う」と指摘。
「いくら与党でも、原発立地県として慎重な対応を訴えないといけない。忸怩(じくじ)たる思いはある」と、もらした。
(岩田正洋) 

野田松下政経塾「前のめり」内閣への不信は全国津々浦々に広がっている。

群馬県のイノシシ、山形県のツキノワグマからも基準超のセシウム

東京 江戸城(皇居) 二の丸雑木林
*
群馬県のイノシシ、山形県のツキノワグマからも基準超のセシウム検出

読売新聞 YOMIURI ONLINEの記事
四万温泉のイノシシ鍋、来年から中止

東京電力福島第一原発事故により群馬県内の獣肉や山菜などから放射性セシウムが検出されている問題で、四万温泉協会(中之条町)が、冬の名物として各旅館で提供してきたイノシシ料理「あがしし鍋」を、来年から中止する方針を固めたことが24日、わかった。

 「あがしし」は、農作物に被害を及ぼすとして駆除された吾妻郡内のイノシシ肉をJAあがつま(本店・東吾妻町)が加工して売り出しているもの。
同温泉協会は2010年から、約20軒の旅館でこの肉を使った鍋料理を提供。ボタン、しゃぶしゃぶ、ちゃんこなど旅館独自の味付けで人気を集めてきた。

 しかし昨年3月の原発事故後、県の調査によると、中之条町内で同6月に捕獲されたイノシシから1キロ・グラムあたり272ベクレルの放射性セシウムを検出。
今年に入っても、同郡内のイノシシから32~308ベクレルが出ている

 このため、同温泉協会は、あがしし鍋3シーズン目となった今年1~3月は慎重を期して、原発事故前に捕獲、食肉加工して冷凍保存していたイノシシ肉のみを鍋の食材に使用してきた。

 しかし、同JAは昨年12月末でイノシシの食肉加工を休止しており、国は4月から食品中に含まれる放射性セシウムの新規制値(1キロ・グラムあたり100ベクレル)を導入した。
同JAが事故前にストックしていた肉もウインナーやサラミなどに加工すれば、今夏に無くなる見通しで、来年の鍋に使えるめどが立っていないという。

 同温泉協会の柏原益夫会長は「来年も続けたいが無理だろう。名物になっていただけに残念。新しい名物を開発したい」と話している。
(2012年4月25日  読売新聞)

同じく
読売新聞 YOMIURI ONLINEの記事
ツキノワグマから規制値超セシウム

県は23日、上山市で捕獲されたツキノワグマから国の食品の新規制値(1キロ・グラム当たり100ベクレル)を超える1キロ・グラム当たり110ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。
4月に規制値が定められて以降、県内で行われた検査で規制値を超えたのは初めて。
県は、県内の猟友会などに対し、ツキノワグマを食べることを自粛するように通知した。

 県みどり自然課によると、ツキノワグマは18日、宮城県境付近の上山市で捕獲され、県が放射性物質検査を実施した。
同課では、「クマは移動範囲が広く、宮城県側から移動してきた可能性がある」としている。
(2012年4月24日  読売新聞)



東京 北の丸公園 ハナミズキが見ごろ

北の丸公園のハナミズキが見ごろを迎えた。

今日(4月27日)はあいにくの雨。

5月2日時点のハナミズキはコチラ

▼今日の昼休み時間の頃のハナミズキ

▼蕾
▼開いた花は雨のためペチャンコなので、
4月25日に撮ったものをご紹介

▼4月25日時点では、八重桜・イチヨウ(一葉)の向こうにハナミズキという構図で鑑賞できた。
残念ながら、イチヨウは今日の雨でほぼ全滅

延喜15年(915)~延喜23年/延長元年(923) 十和田火山大噴火。 受領功過定開始。

静岡 伊豆 富戸港 2012-04-16
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延喜15年(915)
この年
・赤斑瘡(あかもがき、麻疹)が流行。
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・青森県十和田火山が大噴火
火山灰による泥流によって埋没した家屋が胡桃館(くるみだて)遺跡(秋田県北秋田市)から検出されている。
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2月
・この月、上野国で介(受領)藤原厚蔵(あつのり)が上毛野基宗(かみつけのもとむね)・貞並(さだなみ)らに射殺される。これは、大掾藤原連江(つらえ)らも加わった広範な反受領闘争であった。
隣国下野国住人の秀郷もこの事件に関与したのらしく、政府は下野国に秀郷とその党18人の配流を命じるが、秀郷らは配所に行くことを拒絶。

翌年8月、国衙は政府に指示を仰ぐと、政府は配流の指令を繰り返すだけで、秀郷らは受領の命令を無視し続ける。
延長7年(929)5月、下野国衙は秀郷らの濫行を政府に訴え、政府は下野と隣国5ヶ国に追捕官符を下すが、坂東諸国が秀郷を追捕した形跡はない。
秀郷は一貫して受領に対して自立的態度をとり続け、諸国受領も延喜勲功者秀郷に遠慮していたと思われる。
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11月
・武蔵介高向利春(たかむこのとしはる)、宇多法皇に面会(『北山抄』)。
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12月
受領功過定が開始される
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延喜16年(916)
この年
・耶律阿保機が契丹を建国。
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延喜17年(917)
1月
・三善清行(71)、参議となる。翌年末、死没。
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延喜18年(918)
この年
・王建が高麗を建国。
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8月15日
・京で暴風雨、淀川氾濫
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12月7日
・三好清行(73)、没
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延喜20年(920)
この年
・宇多法皇、前年藤原褒子(ほうし)に生ませた皇子雅明(まさあきら)を醍醐天皇の皇子にする。
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・渤海使が入京(最後の遣使)。
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12月
・高明親王らに源姓を与える。
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延喜21年(921)
1月
・「延喜交替式」を奏進。
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10月
・空海に弘法大師の諡号を与える。
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延喜23年/延長元年(923)
この年
・後梁が滅び、後唐の建国。
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3月21日
皇太子保明親王(醍醐と隠子の間、21歳)、没。その死は怨霊の仕業とされる。
世の人々は、「菅帥(かんのそち、菅原道真)の霊魂の宿怨(蓄積した恨み)のなす所なり」と噂したという。
右大臣忠平は、保明の子の慶頼(よしより、3歳)を後継とする。
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4月
・故菅原道真を右大臣に復し、正二位を追贈する。
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・慶頼王が立太子する。
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閏4月11日
・「延長」に改元。
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2012年4月26日木曜日

東京 江戸城(皇居) 若葉に包まれた二の丸雑木林 ヤマツツジ コバノガマズミ

今日(4月26日)は朝から雨のうっとうしい一日であった。
たまたま昼休みには雨がやんだので、江戸城(皇居)にでかけた。

若葉に包まれた二の丸雑木林の中を散歩した。

▼ヤマツツジ
目立たない、素朴なツツジである。
▼コバノガマズミ
▼二の丸雑木林