2018年4月30日月曜日

(YouTube)キム・ヨンジャ イムジン河~フルバージョン~


キム・ヨンジャ イムジン河~フルバージョン~ 임진강
視聴回数 1,282,830 回

岡田光世「トランプのアメリカ」で暮らす人たち バーバラ夫人葬儀の「写真」が反響を呼んだわけ;「一般の人たちの間でも、トランプ支持者と反トランプ派で断絶が起きている今、この写真は政治理念を超えて、アメリカがひとつになった姿のように見えます」


もし私が10歳の日本人なら…世界的投資家の「驚愕の問いと答え」; 人口減少のスピードが急加速していく。借金はさらに膨張し、その返済のために増税が度々断行される。それでも借金は返済しきれないので、次には年金などの社会保障が取り崩されていく。......最終的には見たくもない破産劇が待っている、と



 (略)

「人口動態を大きく変えるには、日本人に子どもをたくさん作ってもらうか、日本が移民を受け入れるかの2つしか方法はありません。しかし、なぜだかわかりませんか、日本政府は移民を受け入れようとしません。

結局、いま10歳の日本人が人生を通して経験していくのは、次のような『惨事』になるのでしょう。

これからの日本では生まれてくる子どもの数がますます少なくなり、移民も入ってこないため、人口減少のスピードが急加速していく。

借金はさらに膨張し、その返済のために増税が度々断行される。それでも借金は返済しきれないので、次には年金などの社会保障が取り崩されていく。

日本人の生活水準はそうして徐々に悪化し、生活苦にあえぐ日本人が増え、いよいよ打つ手がなくなる。最終的には見たくもない破産劇が待っている、と」

 (略)




中印首脳が会談 関係改善と協力推進を確認(NHK) ; インド首相: 「今回の会談は歴史的な意義を持つ」 / 日本はインドと組んで中国に対抗するんじゃなかったのか.......... / 一方では、 → 韓露首脳が電話会談、経済・安保の協力で一致  プーチン氏「鉄道やガス、電力が朝鮮半島を経由してシベリアにつながれば、朝鮮半島の安全と繁栄に寄与する」、文氏「南北露3者の協力事業について共同研究を始められたらよい」 : 読売新聞











「空気を操縦する政権」に、ふざけるなと言い続けることの意味 主導権を握られないためにも(武田 砂鉄);「政権を揺さぶる諸問題についても、彼らは解明する気などなく、私たちが忘却してくれるのを待っている。いつまでやってんの、の声がデカくなるのを待っている。彼らが管理する空気や気配に安直にからめとられてはいけない。」







2018年4月29日日曜日

鎌倉 大巧寺の白花ヒメシラン、紅花車輪梅 本覚寺のアヤメ 妙本寺の新緑モミジ 2018-04-29

4月29日、はれ
今日は昼前から鎌倉へ散歩。
GW中につき混雑はもとより覚悟のうえ、とはいえ、まあスゴイ人であった。

大巧寺~本覚寺~妙本寺を廻って、海岸に出た。
妙本寺の新緑もみじが鮮やか。
海岸では、もう水着で海に入っている女子もいた。








安倍首相、「日米電話首脳『会談』」の捏造&水増しをトランプ大統領に大曝露されてしまう | BUZZAP!(バザップ!) / 安倍・トランプの電話会談、2~3分で終わったんじゃないか ; 首相動静では30分話したことになってるが、開始から12分後には、トランプは「過去形」でツイートを投げている / 安倍首相とトランプ大統領の電話会談の終了時間がなんか不思議で謎な件 - NAVER まとめ ← せこいカッコつけ!



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自分の延命のためなら恥も外聞もない(これを聞いて感動するコアなネトウヨ向けのムリ筋自賛) → 【安倍晋三首相インタビュー】詳報 「日本は蚊帳の外ではない」「日米の絆が北朝鮮を動かした」(サンケイ 田北真樹子、阿比留瑠比) この程度です→先日訪米し、トランプ米大統領と2日間にわたり11時間以上、時をともにすることができました。いかに日米の絆が強固なものであるかを示せたのではないでしょうか / 安倍首相は「南北首脳会談はわれわれが決めていたラインにのっとって行われたことが確認できた」と記者団に述べた(共同)   
















「『草枕』の那美と辛亥革命」(安住恭子 白水社)編年体ノート19 (明治38年)

北の丸公園
*
明治38年
前田卓と漱石にとって大きな転機の年
漱石は1月に『吾輩は猫である』初回分を発表し、作家としての道を歩き始めた。
卓は秋口までには上京して、中国同盟会で働くことになった。
どちらも長年自分のうちに潜めていた、本質的な願望にそった生き方を始めた。

そしてこの年、その転機を迎えた2人が再会したかもしれない可能性がある。

『婦人倶楽部』(昭和3年2月号)の中に、「私が東京に移ってからもわざわざお訪ね下さいましたが、その後もずっと懇意にして頂いておりました」という卓の言葉がある。
大正5年には利鎌ともども再会し「懇意にして頂いて」いた事実があるが、上京直後に再会した、それも漱石の方から訪ねて来たと語っている。
卓がそのことを語っているのはこのインタビューだけで、それ以外ではいっさい口にしていない。この発言は、漱石との恋を書きたてた記事の中で、カギカッコ付きで引用された卓の唯一の言葉にふくまれている。この言葉は、「小説はどこまでも小説で、草枕のお那美さんはやっぱり那美さん、私は私です。そんな古い話を持ち出されては困ります」という、いかにも記者の質問を遮るような、卓の強い口調で始まっている。
卓と那美をかさね、漱石が当時、彼女を恋慕していたと書きたてようと、あれこれしつこく質問する記者に対し、今なお懇意にして頂いている状況こそ、小説と現実はちがう証しではないかと、卓はぴしゃりと語った。そしてその中で思わず、「私が東京に移ってからもわざわざお訪ね下さいました」と言ってしまった。

では、なぜ他のインタビューではそのことを語らなかったのか。
卓の直接の発言を伝えるのは、この昭利3年の『婦人倶楽部』(2月号)と、同7年の『婦人世界』(9月号)、同10年10月発売の岩波版『漱石全集』第4巻「月報」の三つだけである。それらの中で、峠の茶屋のことなど『草枕』に関する卓の証言はほとんど同じで、違っているのは、この上京直後の再会のことだけ。『婦人倶楽部』でつい語ってしまったことについて、その後は口を閉ざしてしまった。
その理由は、「月報」のインタビュアーが森田草平であり、『婦人世界』の「草枕のヒロイン - 那美さんを訪ふの記」という記事は松岡譲の熊本訪問についてのエッセーに付属するものであるという、どちらも漱石関係者の中での談話であることだろうと推測できる。上京直後の再会は漱石関係者に対し秘すべきこと、と卓は思った。「月報」では、わざわざ「わたくしは上京して、山川さん(信次郎氏)にはお手紙を差し上げましたが、先生の方へは御遠慮申して、まだ御通知もいたしませんでした」とまで断っている。

明治38年に漱石が卓を訪ねたかもしれないと考える理由(1)
『一夜』(38年7月26日脱稿、9月1日刊、髯のある男、丸顔の男、黒髪の女が織りなす濃密な一夜を描いた短編)の中での当時作った漢詩の引用や、描かれた部屋のたたずまいなどに熊本時代の思い出が漂っている。
一方、卓は6月16日に離婚し、7月中旬か下旬には東京にいた可能性がある。
卓は、山川信次郎に上京のことを知らせた。漱石は山川からそのことを聞いて、小天でのことを思い出す。『一夜』には、その思いの中で一気に書き上げた勢いがある。
「一体小説でも新体詩でもいやにしつこい、あぶらこい奴が流行するのは時節柄胃嚢へ納りきれません」(明治38年7月17日付、若杉三郎宛)と書くように、俳句的な小説を書きたいという願いもあった。そして、書き上げたあと、会ってみたいという思いがつのったということはあり得るのではないか。卓が「わざわざ訪ねて下さいました」と語る再会は7月下旬から8月初めごろ。そして、相変わらずしゃきしゃきした卓に出会い、漱石は『草枕』へと構想を深めていく。

理由(2)
漱石にとって卓は懐かしい思い出の人というだけでなく、精神的に共通するものを感じていたと思える。
那美は生きがたい世の中で闘う人として登場し、画工はそこに惹かれる。
『猫』で始まったこの年の漱石はその闘う人であった。漱石はその闘いの最中にあって、同じような気性をもつ卓が身近にいることを知る。会いたくなるのは、さほど不自然ではない。2人は一種の似たもの同士だ。

彼はまっすぐな気性の持ち主であった(『漱石全集』別巻にある漱石についての談話など)。

「若い時から数学が良く出来、英語も頗る堪能で頭が緻密であった。其頃から正しい事一点張りで、理に合わぬ事は少しも受け付けないという性質で、友人からも尊敬されていた〔略〕一体が世の中に阿(おもね)らぬ性格で、今頃の文学者には珍しい。〔略〕意地っ張りで、親切で、義理堅くて、手軽に約束をしない代わりには一旦引き受けたらば聞違えぬという美点もあった。」(予備門以来の友人、中村是公)

「夏目君は幼時より嘘言を吐いたことがなかった。〔略〕若(もし)、余儀なき事故ありで約束を違えることなど起こりし時は、平素の剛情に似ず、自ら非情に恥じて、後日幾回となく弁訴をなし、相手の満足するまで気に掛けて止まなかった。」(小学時代からの幼なじみ、篠本二郎)

「君なあ、僕の親友に夏目という才物があるが、どうも本人に野心がないのに困るんだ。執着心が頓とないのでなあ。今熊本の学校から英国へ留学ささ(ママ)れているが、英文学では日本に二人とあるまい、俳句を作っても超然として他の群と趣を異にしている。〔略〕確かに一方の雄であるが、惜しいことには本人に野心というものがないんで困る。」 (正岡子規の言葉を、その弟子赤木格堂が書いた)

義弟の中根倫は、明治36、7年に神経衰弱がひどくなったときのことなどを紹介し、「そんな中にあって、僕は二度程義兄さんに感服したことがある」、どんなに神経症を昂進させていても欲得はなく誠意の人であったとして、できることとできないことを判断する理性的な漱石に、感服している。

卓は理性的というよりは感情的だったし、やや粘液質な漱石に対し、あっさり、さっぱり型だったが、その根に流れる、正義感、一途な純粋さ、世間体や野心から遠かったことなど、似たもの同士だった。そうした正義感が、卓の場合は自由や平等への強い憧れとなり、漱石のい場合は自由と平等と友愛を歌ったホイットマンなどへの共感となっていた。2人は相寄る魂だった。

再会は一度きりだったのか?
上村希美雄「『草枕』の歴史的背景」で述べている気になるエピソード(九二四郎の息子の妻花枝の母ツルが語ったとされる)。
「東京が大雪の日、卓子がお握りを作ってよそから帰る漱石を東京駅に迎えに行き、帝国ホテルで一夜を明かした」というものだ。「雪のため鎌倉の方へ行く汽車が不通」だったためらしい。「こんな嬉しいことはなかったと、あの気丈な人〔卓〕が泣いて喜んどったもんね」とツルは花枝に話したという。もしこれが事実なら、2人は上京直後に再会しただけでなく、その後、幾分か親密な交際をしたことになる。

しかし、この「大雪の日」を特定する材料はない。列車が止まるほどの大雪の記録はなく、当時、漱石が鎌倉方面へ帰らなければならないという状況はなく、本郷区駒込町千駄木に自宅へは東京駅から歩けない距離でもない。

では、ツルか花枝の作り話、あるいは卓の妄想だろうか。
そうともいえないように思える。ツルは、小天時代に卓の下働きをした人で、身内とはまたちがった気安さから、誰にも語らなかったことをー度だけもらした話のようにも考えられる。けれども、伝聞の伝聞で花枝の記憶ちがいや勘違いもふくまれているだろう。雪の日ではなかったのかもしれないし、おにぎりも帝国ホテルでの一夜もなかったかもしれない。
ただ、明治38年8月17日、東京は降雨量が「一〇六・八mm」とされる豪雨にみまわれている。「大雪」ではなく「大雨」のこの日、卓と漱石は会ったのかもしれない。
その7日前の8月10日付の野間眞綱宛のはがきに、漱石は小唄のような詩を書いている。「これは下手だ。君の方がうまい。あれを仕舞までお書きなさい」と添え書きしたその「下手な」詩・・・。

雨になろかと 君待つ宵は
雨ともならで ほととぎす
君しまさずば 寝たものを
あの暁の ほととぎす

そして、もし「大雨の日」があったとしても、2人の逢瀬はこの日かぎりになった。中国同盟会がその直後に発足し、卓は革命家たちとともに多忙の日を送ることになる。大正5年に再び再会したとき、「それでは一つ『草枕』も書き直さなければならぬかな」と漱石が語ったのは、それらの日々を詳しくは知らなかったことを示している。漱石もこの頃から旺盛に創作に邁進する。

(つづく)




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2018年4月28日土曜日

東京 東品川公園と屋上庭園の花々 2018-04-28

4月28日、はれ(快晴)
今日からGWなんだね。5/1,2に休むと9連休になるらしい。
いろんな事情があってこの連休は出勤しなきゃと覚悟してたけど、今日(4/28)と4/30に長男家族が遊びに来ることになった。
なんだかんだ言っても、そらやっぱり仕事とか付き合いよりマゴでしょ。
というわけで、連休前半はお休みさせて貰うことにした。

昨日、そんな打ち合わせしてたら、女子スタッフは、私(たち)は出ます、それも連休3日全部出ます、と。
女子の迫力おそるべし。
ホント、頼もしい限り。
顧れば、3年前にも今とまるで同じようなピンチの状況が、同じ時期にあったけど、その時も女子のガンバリでピンチを打開できた。

ま、女子というククリよりはやる気のある人というククリの方が正確なんだけど、どういう訳か大事な局面では、女子=やる気のある人となったんだね。

で、今日のこと。
朝、マゴちゃんと母親に熱があり、今日は出かけられないとライン連絡がきた。
保育園で風邪を貰って来たらしい。
ややこしいナントカ菌は検出されなかったらしいが。

ええッ!となって、結局、当方は、準備した食事・食料を持って長男宅に出かけることになった。
巻きずし、ギョーザ、サラダ、フルーツなど、全て手作りの食糧を2食分運び込んだ。

何とかお昼直前に長男宅(品川)に着いて、唯一ダウンしてない長男とお昼を食べた。
マゴちゃんは大好物のイチゴもダメの状況で、そのまま寝入ってしまった。
(夕方、ライン連絡あり、一旦目が覚めてイチゴなどフルーツを多めに食べて、また寝入ったとのこと)

マゴちゃん不調なら我々も早々に帰ります、ということで長男宅を辞した。
(真相は、ビールの切れ目が縁の切れ目でもあった)

いいお天気なので、私は、東品川公園から天王洲アイルまで、途中草野球を見ながら散歩して、モノレール~JRを乗り継いで帰った。
東品川公園と屋上庭園(水道局だったかな?)の花壇、いいね!










▼我が家の紫蘭満開

「物価上昇2%」、達成時期の文言を削除 日銀決定会合(朝日); 日本病とは、失敗しているのに、それを認めない 失敗を認めてやり直すということをせずに ずるずると続けるためますます泥沼にはまる 誰も責任を取らない / 弾切れ回避へ政策転換 長期戦覚悟の日銀(日経); 日経も「日本病」をアシスト / 「大失敗」と総括すべきなのに見出しは「日銀、長期戦に転換」。例の「転進」ですね。 — 内田樹    











中国、南北会談に臨んだ両首脳の「勇気」を称賛 漢詩の一節引用— AFPBB / 「荒波を渡り尽くせば兄弟あり、互いに会って笑えば恩讐も滅びる」(1932年の上海事変後、日中が再び歩み寄れることを祈願して日本人の生物学者が描いた鳩の絵に魯迅が題三義塔と題して揮毫した詩の末節。この日本人生物学者は西村真琴。俳優・西村晃の父であり、「帝都物語」にも出てくる東洋初のロボット「學天則」を作った人。上海事変後は日中友好と、中国の戦災孤児救済にも尽力した)










西村真琴と魯迅


南北首脳会談の成功と「日本の蚊帳の外」は、オリンピックのこの時点ですでに象徴的に示されていた。→写真右下の石の地蔵が拉致問題解決の司令塔を自称する男 / 「首相は文氏の速やかな電話連絡に期待している。」 /  「東アジア地域の重要課題が米中韓北の4カ国によって改善される『実績』ができてしまった」「日本が流れに乗れなかったツケは小さくない」「米国と話をしていれば大丈夫という発想がいかに危険か。それが今回の教訓」 / 安倍晋三「今回の会談の実現に至るまでの、韓国政府の努力をしょうしゃんしたい」(国難が去ってしまったので浮かぬ顔で) / Japan “informed.” They’re completely out of the picture in these negotiations. — ian bremmer   







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2018年4月26日木曜日

道南の松前町は25日、ソメイヨシノの開花を宣言し、北海道に桜前線が上陸しました。 — 北海道新聞 / 平年より5日早く開花したソメイヨシノ=25日午前、北海道松前町の松前公園(松前町提供)





「『草枕』の那美と辛亥革命」(安住恭子 白水社)編年体ノート18 (明治38年)

片瀬西浜海岸
*
明治38年
漱石『一夜』
『草枕』の1年前、明治38年7月に書かれ、9月1日発行の『中央公論』に発表された短編。

ある6月の梅雨の夜、一つの座敷に3人の男女がいる。1人は「髯のある男」、1人は「髯貯えぬ丸顔の男」、もう1人は「女」。「髯のある男」は床柱にもたれ、「美しき多くの人の、美しき多くの夢を…」と詩句をひねり、つづきを思案している。「丸顔の男」は縁側で「描けども成らず、描けども成らず」などと笑いながら彼をからかう。白地の浴衣の「女」は、「画家ならば絵にもしましょ。女ならば絹を枠に張って、縫いにとりましょ」とつぶやく。再び「髯の男」が、「美しき多くの人の、美しき多くの夢を…」と吟ずると、「女」は「縫いにやとらん。縫いとらば誰に贈らん。贈らん誰に」といい、「丸顔の男」が「我に贈れ」とまた笑う。そんな始まりで、「髯のある男」と「女」とのあいだに、なにやら曰く言いがたい空気が流れ、「丸顔の男」はそれを知ってか知らずか、茶々を入れて喜んでいる。
「髯のある男」と「女」は、男の詩と夢の話題によりつつ、互いの心をのぞこうとするような、きわどい会話を続ける。けれどもそのつど、「丸顔の男」がらちもないことを言ったりして話はそれていく。2人の会話は何も実らないまま、「寝ましょか」となって、「夢の話しはつい中途で流れた。三人は思い思いに臥所に入る」。
あっけにとられるような幕切れ。

岩波文庫『倫敦塔 薤露行 他五編』の解説者江藤淳は『一夜』を「判じもの」という。
短編『一夜』が『草枕』の先行的作品であることは、早くから指摘されている。これを書いたのち、漱石の中で『草枕』の構想がふくらんだ。
芸術作品を創ろうとする男が、それに打ち込もうとするが、女にも心惹かれている。女とのやりとりは、作品への思考を深めたり、乱したりする。また、世間の俗事や俗情、虫などあれこれ入り込み、芸術はなかなか成就できない。そうして時は過ぎ、人生は終わっていく。
人との出会い、自然との出会い、人生において人は何事かを為し得るのか、など生と死を凝縮した小説で、3人の男女のある一夜で、そのことを象徴しようとした。

寝入ったあと、3人は、夢のことも詩のことも忘れ、自分が「髯のある男」であることも「髯のない男」であることも、「うつくしき眼と、うつくしき髪の主」であることも忘れた。

この小説の最後・・・・。

また思う百年は一年の如く、一年は一刻の如し。一刻を知れば正に人生を知る。〔略〕八畳の座敷に髯のある人と、髯のない人と、涼しき眼の女が会して、かくの如く一夜を過ごした。彼らの一夜を描いたのは彼らの生涯を描いたのである。
何故三人が落ち合った? それは知らぬ。三人は如何なる身分と素性と性格を有する? それも分からぬ。三人の言語動作を通じて一貫した事件が発展せぬ? 人生を書いたので小説をかいたのでないから仕方がない。なぜ三人とも一時に寝た? 三人とも一時に眠くなったからである。

漱石は、人生のある本質を凝縮する一刻をとらえようとして、この作品を書いた。
これは、「私の『草枕』は、この世間普通にいう小説とは全く反対の意味で書いたのである。唯一種の感じ - 美しい感じが読者の頭に残りさえすればよい。それ以外に何も特別な目的があるのではない。さればこそ、プロットも無なければ、事件の発展もない」(「余が『草枕』」)と同じである。

『吾輩は猫である』(「六」)で、漱石は『一夜』について触れている。
迷亭、寒月、東風らのたわいのないおしゃべり。寒月が新機軸の「俳劇」の脚本を披露したり、東風が奇妙な自作の詩を見せる。「これは少々僕には解しかねる」と主人が言うと、東風はすまして、「作った本人ですら質問を受けると返答に窮する事がよくあります。全くインスピレーションで書くので詩人はその他には何等の責任もないのです」と答え、自分の友人の「送籍」という男が書いた『一夜』の話題を出す。
「誰が読んでも朦朧として取り留めがつかないので、当人に逢って篤と主意のある所を糾して見たのですが、当人もそんな事は知らないよと云って取り合わないのです。全くその辺が詩人の特色かと思います」と、けむに巻く。
ここでは、俳句的非人情の芸術論をパロディとして展開しているが、明治38年夏頃の漱石がその主題を考えていたことを示している。

『一夜』の幾つかの文言、エピソードが、『草枕』にも登場する。
①髯のある男が語り出した詩句を、「縫いにやとらん」と女が語り、男は「どんな色で」と聞く。女、「絹買えば白き絹、糸買えば銀の糸、金の糸、消えなんとする虹の糸、夜と昼との界なる夕暮の糸、恋の色、恨みの色は無論ありましょ」と答える。この「虹の糸」は、『草枕』の「鋭い視線」のところに出てくる。視線を受けた画工が、自分とこの女との関係を「因果の細い糸」だと思ったときの、糸を修飾する言葉の一つである。

②「蚤も蚊も居ない国に行ったら、いいでしょう」と画工が言うのに対して、那美が、「そんな国があるなら、ここへ出して御覧なさい。さあ出して頂戴」という『草枕』でのやりとりは、『一夜』での詩と夢の話から、女が「せめて夢にでも美しき国へ行かねば」といい、「古き世に酔えるものなら嬉しかろ」とすねる会話の発展形ではないか。

③髯のある男が、詩と夢のイメージを拡げる。「百二十間の廻廊があって、百二十個の灯籠をつける。百二十間の廻廊に春の潮が寄せて・・・」と、海に沈む廻廊の話。「百二十間の廻廊に二百三十五枚の額が懸って、その二百三十二枚目の額に画いてある美人の・・・」と画中の美人をイメージし、「波さえ音もなき朧月夜に、ふと影がさしたと思えばいつの間にか動き出す。長く連なる廻廊を飛ぶにもあらず、踏むにもあらず、ただ影のままにて動く」と続く。海底で絵の中の美人が動く。
これは『草枕』で、那美が花嫁衣装を着て廊下を逍遥するシーンの、バリエーションだろう。『草枕』ではそれをリアルな現実でありながら、花曇りの夕暮れの中に現れた不思議な幻影のように描写していた。海の底ではないが、今しも雨が降るという夕暮れの「紫深き空の底」である。幽玄な空間の中を美しい女が静かに動くイメージは同じ。この『一夜』の水底の美女も、例のオフィーリアと重なる。

④『草枕』で画工がひねった漢詩「青春二三月」の最後の二句「蠨蛸掛不動、篆煙遶竹梁」を、『一夜』では髯のある男が、天井から糸を引いて降りてきた一匹の蜘蛛を見てつぶやく。

⑤『一夜』の座敷の床の間には、『草枕』の画工が泊まった部屋同様、若冲の軸が掛けられている。

⑥最後の「三人は思い思いに臥所に入る」という言葉は、画工が山道を歩きながら考える言葉を思わせる。東洋の詩歌は浮世から離れ、「別乾坤の功徳を建立している」として、陶淵明や王維の詩を引用する。「この乾坤の功徳は、『不如帰』や『金色夜叉』の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼儀で疲れ果てた後、凡てを忘却してぐっすりと寝込むような功徳である」(一)。
『一夜』は、『草枕』の画工がめざした境地で終わっている。

『一夜』では、まだ髯のある男は見る人に徹していない。彼もまた女と同じように心をさまよわせている。詩を作りたいと思いつつ、女へと心が動く。しかも、そのような詩と心を、絵画的に表現にしようとしている。絵にすることで、その二つを美として昇華しようとしている。
『一夜』を書き上げて、漱石はそれを徹底させる方策として、画工という存在を作りだしたのではないか。

小天での漱石と山川と卓
著者は推測する。
『一夜』は、小天での漱石と山川と卓のひとときを核にして象徴的世界を膨らませた作品ではないか。「髯のある男」と「女」と「丸顔の、髯のない男」は、漱石と卓と山川の関係から生み出したイメージである。漱石は、3人のひとときをモチーフにすることで、俳句的小説を創る創り上げた。

最後の「三人は思い思いに臥所に入」ったというのは死の象徴でもあるだろう。男と女が出会い、秘かに思い合う。男はそこから芸術を生み出したいと考える。傍らには親しい友人がいる。男と女の心はふと触れあったり離れたりする。気持ちがすれちがったり、さまざまな障害が間に入る。そして芸術もなかなか成就しない。そして何事も遂げられないまま人生は終わる。

江藤淳は、この作品を「判じもの」といい、「文字通り謎のような作品で、作者が何をいおうとしているのかかならずしも判然としない」としながら、それを解く手がかりは、1人の女を囲む2人の男という構図から、漱石の「一連の姦通小説の中にあるはずだと思われる」という。『薤露行』『それから』『門』『行人』『明暗』に連なる「姦通小説」だという。
もしこの作品が姦通小説であるなら、「丸顔の男」と女が結婚しているとか、公然の恋人であるといい前提がなければならないが、この小説にはそれがない。女が「縫いとらば誰に贈らん」とつぶやくと、丸顔が「我に贈れ」と言う。女のつぶやきは髯の男に向かたものなのに、丸顔はそれを知りつつ知らぬふりで冗談を飛ばす。丸顔の男はピエロ的存在であり、1人の女を挟んで2人の男が対立する構図はない。

小宮豊隆は『漱石全集』(第2巻)解説で、『一夜』に描かれているのは、「漱石を貰ぬいて流れている、恋愛の神秘・心霊の感応の可能に対する信仰であった」という。
『一夜』の「髯のある男」と「女」とのやりとりは濃密である。恋に陥る寸前の、そしてそれを思い止まろうとする男と女の息づまるようななまなましさは類をみない。
縫いとりの色を男に聞かれて、「虹の糸」などと並べたあと、「『恋の色、恨みの色は無論いりましょ』と女は眼をあげて床柱の方を見る」。床柱には男が寄りかかっている。その時の女の目は、「愁いを溶いて練り上げし珠の、烈しき火には堪えぬほどに涼しい。愁いの色は昔から黒である」。
世の中は汚れているといったやりとりのあと、ふいにほととぎすの声が聞こえる。男がそれを喜んで、「一声でほととぎすだと覚る。二声で好い声だと思うた」と言うと、「ひと目見てすぐ惚れるのも、そんな事でしょか」と女が、「別に恥ずかしという気色も見えぬ」風情で問う。それに対し男は、「多年の努力もわずかなことで失敗する」ということわざを引いて、「思う人には逢わぬがましだろ」とかわす。女は追求する。「しかし鉄片が磁石に逢うたら?」とさらに問う。男は、「見た事も聞いた事もないに、これだなと認識するのが不思議だ」と答える。ひと目惚れってあるよね、と女が聞いたことに対し、ある、と彼は答えた。
互いに一目で好きになったことを、女は確認したがっている。男はかわそうとしつつ、かわしきれない。ほととぎすをはさんだそのやりとりに、丸顔の男も何かと口をはさむが、2人は彼の言葉など聞いていない。

著者は、女の直情な「別に恥ずかしという気色も見えぬ」姿に卓を見、それに思わず答える男に漱石を見る。

(つづく)

夏目漱石『一夜』(青空文庫)






ドイツ軍はナチスの教訓から、「議会の軍隊」と言われるほど議会によるシビリアンコントロールと情報公開を重視している。防衛監察を行う機関も日本のように防衛省内に置くのではなく、議会に設置し強い権限を与えている。(20150905報道ステーション)





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日報「緊迫の9日分」は迷宮入り 防衛省のズルすぎる幕引き|日刊ゲンダイDIGITAL / 日報はまだ49%しか公開されてない 空白の日々に一体何が起きたのか? / 日報の「戦闘」、法的な「戦闘行為」でない 政府答弁書:朝日新聞 / 南スーダン証言、政府説明と落差 「部隊全滅 死を覚悟」 宿営地近くで銃撃戦 巻き込まれる恐れ 「国民に真実知って欲しい」 (北海道新聞) / 武器携行命令 16年にも 「戦争だった。部隊が全滅すると思った」「死ぬかもしれない」(京都新聞)



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スポーツ界のスターたちが吐く、大阪弁のブンガク性(江弘毅 みんなのミシマガジン); 福本豊 西本幸雄 鈴木啓示 江夏豊 清原和博 井村雅代 / 藤浪晋太郎(阪神)に投げかけられる言葉の貧しさについて   




「A Higher Loyalty」の著者、元FBI長官のコーミー氏はトランプ大統領を痛烈に批判。対して大統領は「コーミーは歴史上最低のFBI長官だ」とツイートし、強烈なバトルに / BBCニュース - <動画>「あの人は周りに染みをつける」 コーミー前FBI長官、BBCに語る / 「トランプは危険な男で道徳的にも大統領に不適切。それどころかとてつもなく国益を損ねている」   














生命科学分野での世界の都市ランキング。 雇用創出順位:アジアの都市が上位にもあるが日本ゼロ。 金額:中国など上位だが日本ゼロ。 プロジェクト数:東京が下位に有った







マクロン仏大統領、トランプ大統領より英語が流暢。 "フランクリン・ルーズベルトが言ったように『恐れるべきものは何もない。私たちはただ恐れを恐れているだけ』""国粋主義が恐れを紛らわすのはほんの一瞬" "世界へのドアを閉じても、世界は前に進む事をやめません" / 追随とゴルフだけの安倍シンゾーとの違い (画像)握手だってこの違い      










原発裁判 東電元社員が旧経営陣の「時間稼ぎ」証言(テレ朝); 元社員は「震災前に津波を試算していたので、自分としては事故は想定外とは言い難い」と話しました / 東電強制起訴:津波対策先送りに「合理性」元社員が証言 - 毎日新聞 ; 一方で、原発事故時に到来した実際の津波については「15.7メートルという数値を知っていたので、『想定外』とは考えづらかった」と語った







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皇居東御苑 雨に濡れたいちはつ 2018-04-25

4月25日、雨のちはれ
朝から予報通りの大荒れの天候
こういう日に限って東海道線が車両ドア故障とかでしばし運休、そのため横須賀線は超満員。

昼過ぎ、皇居へ散歩に出るときは霧雨だったが、すぐに雨は止んだ。
昨日の皇居散歩で”いちはつ”を見なかったので、今日はそれを見に行った。
皇宮警察のお巡りさんも今日はヒマそう。

雨に濡れたいちはつ、予想通りなかなかいいね。


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▼昨日のカキツバタ
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2018年4月23日月曜日

爆死案件が続々「クールジャパン」はこんなにひどいことになっていた(現代ビジネス); 投資事業で44億円の損失 中身の薄い官製”クール” 低空飛行の海外放送事業 アグリージャパンとならぬように    


長尾・自民衆院議員:女性議員らに「セクハラ縁遠い」 投稿炎上(毎日新聞) / 長尾敬氏が謝罪。女性議員について「セクハラとは縁遠い方々」とブログに書き込む(ハフポスト日本版)









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拉致被害者集会で異変 安倍首相に「もう帰るのか」とヤジ(日刊ゲンダイ);「政務」のため先に退席したはずの安倍首相は、私邸に直行。訪問客もなかった










桜を見る会 テレビ東京だけ昭恵夫人に突撃インタビュー 記者「昭恵さん、森友問題について国民に説明する考えは? 財務省の改ざんは? 籠池さんに言いたいことは?」 昭恵「…」(聞こえないふり)        






麻生財務相「5年前より悪いのは運ない」→賃金も消費も最低、富裕層40人が全世帯の資産の半分を独占 アベノミクスで自民献金が激増(BLOGOS)


安倍内閣支持率は第2次以降最低に ANN世論調査 ; 支持率29% 不支持率55% 安倍政権「今年9月の自民党総裁選まで」38% 「すぐに辞めてほしい」23%(約6割が早期退陣) 麻生財務大臣「大臣を辞める必要がある」51%





下村元文科相がセクハラ告発したテレ朝女性社員を「ある意味で犯罪」と批判 音声公開(AERA dot.編集部) / 下村氏「メディアは日本国家つぶす」と発言(共同) ← 下村、例の200万円の説明もまだだよね / 【セクハラ被害者を「犯罪者」呼ばわりの仰天】加計疑惑で真っ黒 下村元文科相こそ〝犯罪者〟じゃないか 200万円の闇献金疑惑もウヤムヤ




















2018年4月21日土曜日

鎌倉 片瀬東浜の夕景 シルエット富士山 2018-04-21

4月21日、はれ
昨日、同期のSさんから久々呑みに行こうとお誘い。
このところやや予定不安定なので、明日(つまり今日)にしませんかと提案したら、
そうしようということになって、今日、大船で昼呑み。

いつもなら暗くなるまでグダグダと呑むんだけど、早々に切り上げてモノレールに乗って江ノ島にでかけた。
大橋を渡って海辺に出たり、東浜で一休みして、そのあと西浜で突堤の先端まで行ったり.....とかしているうちにいい感じの夕景になってきた。








麻生太郎(記者に囲まれて)「(セクハラの話よりも)先にG7の話を」 ← G20にいるんじゃないの? ← ホント、もうオシマイ! (動画) ヘタなイヤミだけはしっかり言ってる







激動の東アジア情勢 日本はこんな事に ; ポンペオCIA長官が数週間前に北朝鮮を極秘訪問し、金正恩朝鮮労働党委員長と会談していた。 文大統領も習主席もトランプ大統領も金正恩委員長と会談し、プーチン大統領は太いパイプで結ばれてる。 国費を無駄にばら蒔きながら、地球クルクル回ったあげく、日本はこんな事に。



▼どんどん動いてるのに、相変わらず「最大限の圧力」ばっかり