1901(明治34)年
4月11日
大阪市立商業学校、市立大阪高等商業学校になる。大阪市立大学の前身。
4月11日
「虚子(きょし)曰(いわく)、今まで久しく写生の話も聞くし、配合といふ事も耳にせぬではなかつたが、この頃話を聴いてゐる内に始めて配合といふ事に気が附いて、写生の味を解したやうに思はれる。規(き)曰、僕は何年か茶漬を廃してゐるので茶漬に香の物といふ配合を忘れてゐた。
(四月十一日)」(子規「墨汁一滴」)
4月12日
ロンドンの漱石
「四月十二日(金)、 Elephant & Castle (エレファント・エンド・カスル)に行く。 William Cowper (クーパー 1731-1800)の作品集(一七八九年版)を買う。」(荒正人、前掲書)
4月12日 この日付け漱石の妻鏡子の漱石宛ての手紙。
1901年2月20日付の漱石の「段々日が立つと国の事を思ふおれの様な不人情なものでも頻りに御前が恋しい 是丈は奇特と云つて褒めて貰はなければならぬ」への返事。
「あなたの帰り度なつたの淋しいの女房の恋しいなぞとは今迄にないめつらしい事と驚いて居ります しかし私もあなたの事を恋しいと思ひつゝけている事はまけないつもりです 御わかれした初の内は夜も目がさめるとねられぬ位かんかへ出してこまりました けれ共之も日か立てはしぜんと薄くなるだらうと思ひていました処中々日か立てもわすれる処かよけい思ひ出します これもきつと一人思でつまらないと思つても何も云はずに居ましたがあなたも思ひ出して下さればこんな嬉しい事はございません 私の心か通わしたのですよ(中略)」
「筆は不相替あばれています 御送りした写真を御覧遊はしたでしやう 此手紙は御覧遊はしたら破いて下さい 四月十二日夜 鏡 金之助様御許」
4月13日
漁業法公布。水産動植物の採捕・養殖を業とするものに対し、漁業免許は20年間とすることなどを規定。1902年7月1日施行。
4月13日
~17日。大杉栄(16)、奈良・吉野への修学旅行に参加。12日、笠置泊。13日、奈良泊。14日、八木泊。15日、吉野泊。この時、第4期生の寝室に押しかけたところ、軍曹・曹長に捕まる。16日、桜井泊。17日、奈良に戻る。三輪神社裏の森で校長山本悌三郎少佐より禁足30日の処分を下され、奈良から汽車で帰途につく。
4月13日
「 美しき花もその名を知らずして文にも書きがたきはいと口惜し。甘くもあらぬ駄菓子の類にも名物めきたる名のつきたらむは味のまさる心地こそすれ。
(四月十三日)」(子規「墨汁一滴」)
4月13日
4月13日~15日 ロンドンの漱石
「四月十三日(土)、雨。 Elephant & Castle (エレファント・エンド・カスル)に行き、 W. Smith の ""A Dictionary of the Bible"" 3vols, London, 1860-63 及び E. Spenser の作品集(一六七九年版)その他を貰う。(三十三円) 田中孝太郎は Kensington (ケンジントン)に引越す。
四月十四日(日)、街路や公園を散歩する。ごろつきなどに逢っても悪口を云わぬのに感心する。(下宿から歩いたとすれば、周囲の街路の他に、 Primrose Hill (プリムローズ・ヒル)や Regent's Park (リージェント公園)などにも行ったかも知れぬ)
四月十五日(月)、「To give the lie ハ大變ナ失敬ナリ此上ナキ耻辱ヲ與フルナリ(G. Meredich ノ Rhoda Fleming 及ビ Catriona 参照)、 Gentleman ノ 信用茲ニ存スルナリ日本人ハ如何」(「日記」) 日本の礼儀と西洋の etiquette を比較する。」(荒正人、前掲書)
「西洋の etiquette(エチケット) はいやに六つかしきなり 日本はこれに反して丸で礼儀なきなり 窮屈にするは我儘を防ぐなり 但し artificiality(人為的なこと、不自然さ、わざとらしさ)を免れず 日本は礼儀なし 而も artificiality あり 且無作法に伴ふ vulgarity(下品、俗悪、やぼったさ)あり 礼なくして spontaneity(自発性,自然さ)あればまだしもなり 其利なく其害あるのみならず礼の害をも兼有せり馬鹿馬鹿敷」(1901年4月15日『日記』)
4月14日
島田三郎(48)、横浜・横浜会館での愛国婦人会の演説会で演説。
4月15日
「 ガラス玉に金魚を十ばかり入れて机の上に置いてある。余は痛(いたみ)をこらへながら病床からつくづくと見て居る。痛い事も痛いが綺麗(きれい)な事も綺麗ぢや。
(四月十五日)」(子規「墨汁一滴」)
4月16日
大阪の第七十九銀行・難波銀行支払停止。大阪の銀行界の混乱、各地へ波及。
4月16日
大分県、米穀検査規則制定。
4月16日
「筋(すじ)の痛を怺(こら)へて臥し居れば昼静かなる根岸の日の永さ
パン売の太鼓も鳴らず日の永き
上野は花盛(はなざかり)学校の運動会は日ごと絶えざるこの頃の庵(いお)の眺(ながめ)
松杉や花の上野の後側
把栗(はりつ)鼠骨(そこつ)が一昨年我病を慰めたる牡丹(ぼたん)去年(こぞ)は咲かずて
三年目に蕾(つぼみ)たのもし牡丹の芽
窓前の大鳥籠には中に木を栽(う)ゑて枝々に藁(わら)の巣を掛く
追込の鳥早く寐る日永かな
毎日の発熱毎日の蜜柑(みかん)この頃の蜜柑はやや腐りたるが旨(うま)き
春深く腐りし蜜柑好みけり
隣医瓢(ひさご)を花活(はないけ)に造り椿(つばき)を活けて贈り来る滑稽の人なり
ひねくり者ありふくべ屋椿とぞ呼べる
焚(た)かねば邪魔になる煖炉(だんろ)取除(とりの)けさせたる次の朝の寒さ
煖炉取りて六畳の間の広さかな
歯の痛三処に起りて柔かき物さへ噛みがてにする昨今
筍(たけのこ)に虫歯痛みて暮の春
或人苔(こけ)を封じ来るこは奈良春日神社(かすがじんじゃ)石燈籠(いしどうろう)の苔なりと
苔を包む紙のしめりや春の雨
(四月十六日)」(子規「墨汁一滴」)
4月16日
4月16日~17日 ロンドンの漱石
「四月十六日(火)、 Dr. Craig の許に行く。一ポンド払う。 Tennyson (テニスン)と William Wordsworth (ワーズワース)の比較をする。正金銀行(推定)で、為替を受け取る。 Bumpus (不評)で書籍六十円余り買う。
四月十七日(水)、再び Edghill (エッジヒル)から招待されて、午後三時に West Dulwich (ウエスト・ダリッジ)に赴く。(これは普通午後四時に開くお茶の会かと思われる) Miss. Nott (ノット嬢)と Mrs. Edghill (エッジヒル夫人)からキリスト教について教えられる。 Mrs. Edghill は祈りの喜びを説き、あなたのために祈るという。 New Testament の ""Four Gospels"" を読むことを約束する。日本銀行と文部省へ受取を出す。 ""The Standard"" の広告欄で下宿を探す。(一つだけ手紙で照会する)」(荒正人、前掲書)
4月17日 漱石、再び Mrs.Edghill の茶会に招待される。フロック・コートにシルクハットという格好で歩いていると、職工風の2人がすれちかいざまに ""a handsome Jap"" と言った。漱石は、「難有いんだか失敬なんだか分らない」と記す。
つづく
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