風邪気味なので10時前には寝てしまった。
美輪明宏の出番は10時30頃とは知ってはいたけれど。
やはり凄かったみたいだ。
何かの折りに観て、じっくり聴きたい素晴らしいステージ。保存版。☞ヨイトマケの唄 美輪明宏 紅白歌合戦 2012/12/31: youtu.be/OygSI8_-jcw @youtubeさんから
— 長薗安浩さん (@nagazono) 12月 31, 2012
紅白でよいとまけの唄を聴いた。涙が滂沱として流れるというのはこういうことかと実感。
— Shumpei Kumonさん (@kshumpei) 12月 31, 2012
わかる気もしますが、貧しさの中で生きてきた人間にはまだあの心性は残ってます。間違いなく。RT @hahaguma: ヨイトマケ。貧困の中で次世代の階層上昇を願う母。戦後日本の、いや戦前から続く近代日本の、原心性。だが今の私はそれに恐怖のようなものを感じる。
— Yumiko Yamaguchiさん (@clione) 12月 31, 2012
うわっ、美輪さんがイッセイミヤケの服を着て歌うことの僕なりの解釈が、1900RT超えてる。。三宅一生氏は僕の多摩美GD学科(当時は図案科)の先輩にあたる。イサム・ノグチの平和大橋に感銘を受けてデザインの道に進んだエピソードは有名。姉はいつもそのエピソードを語ってた。
— 山川冬樹さん (@yamakawafuyuki) 12月 31, 2012
ついでにもう一つ。長崎の遊郭で生まれ育った美輪様は原爆体験者でもあるのです。今現役でメディアに出てる被爆者の方って貴重な気がする。そう考えると、その口から語られる“平和”の言葉のなんという重みよ。
— カワグチ ユーキさん (@youkik444) 12月 31, 2012
おお!RT @hideoharada: いいねえ。 RT @pamyurin: 美輪明宏さんと私。神様でした twitter.com/pamyurin/statu…
— Yumiko Yamaguchiさん (@clione) 12月 31, 2012
眠れぬ患者達が紅白を観ている。普段なら外泊する患者で静かな病棟も満床で落ち着かない。患者達は美輪明宏の「ヨイトマケの唄」に涙を流している。「色々と思い涙が出てくる」と呟く。私の携帯にはチビからメールが来ていた。「おとーちゃん、しんだママおもいだしたよー」。歌には大きな力がある。
— TAI:二重生活中の福島市民さん (@taisei36) 12月 31, 2012
何かを伝えたいという思いが希薄な歌の中、よけいに突き刺さってきましたねRT @ssap0806: @ikeda_kayoko 「ヨイトマケの歌」痺れました。何時もの「黄色髪」でない登場といい,一番に思い入れのある歌を選曲されてドラマチックに語られたことに感涙。あゝ「銀巴里」の星よ
— 池田香代子さん (@ikeda_kayoko) 12月 31, 2012
ヨイトマケへの「恐怖」について補足。親の「わが子には」という宿願を背負って子供が教育達成・地位達成に邁進するという図式がはらむエゴと強迫性が、おそろしい。むろん世代間で貧困を受け継げというのではない。親が必死にならなくとも、子は子の自由な人生を歩めるように社会制度を整備したい。
— 本田由紀さん (@hahaguma) 12月 31, 2012
美輪さん、やっぱりヨイトマケの歌でしたね。この時代を生きてきた人間にとって、大切なものは大地、そして親子の愛、人間同士の信頼関係ですよね。それさえあれば、生きていける。夢が見れる。改めてそう思う美輪さんの歌でした。お疲れさまでした。
— 湯川れい子さん (@yukawareiko) 12月 31, 2012
美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」と、斉藤和義さんの"NUKES IS OVER" が観られただけでも、本当に良い年明けになりました。NHKも現場は捨てたもんじゃないな…と思います。みんな本当は捨てたもんじゃない。多くの人たちが、心の中ではきっと繋がっているんだ、と信じています。
— 湯川れい子さん (@yukawareiko) 12月 31, 2012
お、美輪明宏!このために紅白を見ていました!
— Jun SHIMOKAWAさん (@jshimok) 12月 31, 2012
ヨイトマケの唄、大晦日に生放送で異国に響く。「これどういう意味?」と子供。親とは誰もが子供のために働くヨイトマケだ。「よいと巻け!」と掛け声をかけ仕事に向かうのだ。何時、その真理が子供にわかるのか?しかし、これを60年代、作詞、作曲した丸山明宏の偉大さよ。
— 水道橋博士さん (@s_hakase) 12月 31, 2012
私、子供の時から(丸山の時から)大ファンだったの。初めて聴いた時、鳥肌たった。30年前、初めてお会いした時も、鳥肌立った。。RT @gallonero1716: @_wakwak_ 凄いょ美輪さん
— 湧さん (@_wakwak_) 12月 31, 2012
田舎出身で、国費留学生として来日し学者になった両親が一旗あげてエジプトにやっと帰国したのが私が小学2年の頃。ヨイトマケの唄を聞くと熱いモノがこみ上げてきます。長い間封印されていた感のあるこの名曲をこの大晦日にきける感動…受験生の皆さん、勉強頑張って、きっと日本の力になって下さい。
— フィフィさん (@FIFI_Egypt) 12月 31, 2012
@kazuhirosoda こちらこそよろしくお願いします。美輪さんは歌唱といい、表情といい、衣装といい、本当に素晴らしかった。「こうこ(高校)も出たし、大学も出た 今は機械の世の中で おまけに僕はエンジニア」。ここで決壊。
— 松井孝治さん (@matsuikoji) 1月 1, 2013
@kazuhirosoda 昨年の紅白、10時過ぎからしか見られなかったが、マイベストはこのヨイトマケの唄。プリプリの再結成ラストステージにも涙が出ました。
— 松井孝治さん (@matsuikoji) 1月 1, 2013
紅白で「ヨイトマケの唄」を歌う美輪明宏を観ながら、絶滅危惧種という言葉がふと思い浮かんだ。『死刑弁護人』の安田弁護士にも感じたことだが、美輪明宏は、薄氷の上をわたる美しきシロクマのような存在だと思う。
— 想田和弘さん (@KazuhiroSoda) 12月 31, 2012
くるりと1度舞台上でゆっくり回るだけで、時の移り変わりを感じさせてしまうんですね。シンプルでパワフルな演劇的演出ですね。 @lotsofcat: 美輪さんのヨイトマケって、あれから何年たったことだろ〜♪でほんとに何年も時が経っちゃったみたいに感じさせるから凄いなあと思う。
— 想田和弘さん (@KazuhiroSoda) 12月 31, 2012
「ヨイトマケ」とは、かつて建設機械が普及していなかった時代に、地固めをする際に、重量のある槌を数人掛かりで滑車で上下する時の掛け声であり、美輪によれば、滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声を語源とする。 Wikipedia bit.ly/YFEQ6L
— 中山和弘さん (@nakayamakazhiro) 12月 31, 2012
貧困は家族でまず支える「ほかはない」んじゃないですかね。多くの場合。 RT @magazine_posse 「ヨイトマケの唄」は圧倒的にいい歌だと思うけれど、貧しいなかでも頑張って働く母親の「美しさ」が、貧困は家族でまず支えるべきだというロジックに使われてはいけない…
— KATSUYA TAMAIさん (@tamai1961) 1月 1, 2013
『紅白歌合戦』。帰り道の一杯飲み屋。美輪明宏。「ヨイトマケの唄」。店のおやじが、テレビの音を最大にする。会話が止まる。息を飲む。溜め息。歓声。拍手。ホッピーで乾杯。お客全員に、おやじのおごり。となりの革ジャンの下に、パジャマのおじさんの涙が止まらなかった。有り難い体験だった。
— 笛地静恵 Fueti Sizueさん (@mundburg) 12月 31, 2012
これまで紅白をかなり意識的に観てきた身から言いますが、今回の美輪明宏のパフォーマンスは紅白史上最高だと思います。紅組、白組というより、紫組=美輪組の優勝です。これで日本の音楽界が正しい方向にぐぐっと動く、そんな確信を得ました。最高の年末です。では、よいお年を。
— スージー鈴木さん (@suziegroove) 12月 31, 2012
「ヨイトマケの唄」は戦争未亡人の歌だってことを知らないと戦前、戦中、戦後の家族の絆って意味もそんなに通じないと思うんだかけど、どうだろう?
— 中沢けいさん (@kei_nakazawa) 1月 2, 2013
美和明宏の歌にもびっくりするわけだが、なによりびっくりなのは、NHK最大のショー・紅白に、「貧しい土方」「ヨイトマケの子供 汚い子供」と字幕アリで放映した点。これがどれだけ難しかったか想像もつかない。スタッフ陣の頑張りとかたい意志がなければ、これはけっして実現しなかっただろう。
— 深町秋生さん (@ash0966) 1月 2, 2013
『ヨイトマケの歌』 ぼくは趙博さんの歌うこの曲も大好きだけど、先日の紅白の美輪明宏さんの歌唱も語り継がれる名演だと思う。ケレンはあるけど、とにかくボーンと持っていかれて、ポロポロ泣いた。>youtube.com/watch?v=RIvCFM…
— 館野公一さん (@mandolinbum) 1月 3, 2013
デーリースポーツ
美輪明宏、紅白初出場への思いを激白
2012年12月26日
俳優でシンガー・ソングライターの美輪明宏(77)が史上最高齢で初出場する大みそかの「NHK紅白歌合戦」に向け、デイリースポーツに思いを激白した。約半世紀前に出場を辞退した「ヨイトマケの唄」を携える美輪は注目される衣装について「ものを言わない衣装で臨む」と白黒を基調にした“シンプル路線”を宣言した。
‐初出場の反響は。
「大変な騒ぎで。離島やへき地の方からお手紙は頂くし、会う人会う人におめでとうございますと言われるし、エッ、紅白ってこんなにすごいものなの。初めて分かりましたよ。ビックリ!」
‐約50年前に出演オファーを断っています。
「『ヨイトマケの唄』に差別用語があると倫理委員会で問題になって、一切(民放)で歌いませんという時期、NHKから紅白出場の打診はあったんです。ただし条件がある。2分半から3分以内で納めてくれと。『私はそういう中途半端な仕事はしたことがありません。6分ある歌を半分にすると物語ではなくなる』とお断りしました」
‐今回の経緯を。
「私、NHKの音楽番組『SONGS』のスタッフに『皆さんが紅白に携わるようになったらお祝いで出さしていただきます』と言ってたんです。いい番組を作られていましたから。それを聞いたプロデューサーが『本意を知りたい』と事務所にみえられた。ギリギリ押し迫ってからでした」
‐衣装に注目です。
「ヨイトマケの衣装は白か黒の無彩色。モノトーンですね。(歌の語り部が)成人した今、子どものころ、母親の3通りに瞬間で変わらなきゃいけないので、洋服の色合いで人格が決められちゃうとつらいんですよ。性別、国籍、年齢とか、目で見えるものは帳消しにして“黒子”にしておくべきなんですね。衣装がものを言うとまずい。シンプルにして、色は白か黒になると思います」
‐近年は黄色のイメージが定着しているだけに、もし黒に戻されるのであれば逆に新鮮です。
「前後の方との衣装のバランスもあるでしょうし、はっきり決まってはいませんが、なるべく『ものを言わない衣装』にしたいと思っています。歌で勝負ですから」
‐『ヨイトマケの唄』を作るキッカケは。
「炭坑町の興行で悲惨な街を見たからです。壊れ掛けた劇場で歌うんですけど、皆さん、あす食べる物も、あす住むところがなくなるかもしれないというのに、なけなしのお金をはたいて来て下さってね。イスなんかなくてむしろの上に座ってね。シワの間や手先、指先に炭じんが入って真っ黒でした。“元祖ビジュアル系”でヒラヒラした衣装でシャンソンなんか歌って、穴があったら入りたい気分でした。なぜ日本は流行歌ばかりで庶民に必要な歌がないのか。だったら、私がその元祖になってやろうと」
‐そして『ヨイトマケ‐』がヒットします。
「65年にテレビ朝日(当時NET)の『木島則夫モーニングショー』に出て歌ったんですね。直後から日本全国からハガキがワッーと来て。ほとんどが労働者の方とか母子家庭の方で、局が大騒ぎになって、もう1週間後に異例のアンコール。次は5万通来ましてね。今までそっぽを向いていたレコード会社やプロダクションが来ました」
‐そもそも『ヨイトマケ』の意味とは。
「地面に打つ重しを上げる滑車に縄をグルグル巻きつける時に『ヨイトマケ、ヨイトマケ』というんです。引っ張り上げる時があんまり苦しいもんだから、愛する人の名前を叫んだ。『◯◯のためなら』と…。この思いやりがステキですね」
‐全く古びない歌。
「坂本九さん、桑田佳祐さん、米良美一さん、槙原敬之さん、泉谷しげるさん、なぎら健壱さんらが歌ってくださった。シャンソン歌手のエディット・ピアフは『時代を超えた歌を歌いたい』がポリシーで、私も大賛成。日本には琵琶歌のように平安時代から連綿と続く歌がある。でも最近の歌は『ツイッター』なんですよ。『気が利いた言い回しだろ、どうだ!』みたいなミエミエのこざかしい表現の仕方のね。だから私はあえて時代遅れで結構ですよと」
‐意気込みを。
「こういう時代だからこそ、子どものためならエンヤコラ、お父ちゃんのためならエンヤコラと、愛する誰かを思いやる心が一番必要だと思う。それを届けたいです」
◇ ◇
美輪明宏(みわ・あきひろ)1935年5月15日、長崎市出身。歌手、俳優、演出家、作家。16歳で本名・丸山明宏で歌手デビュー。“神武以来の美少年”と称され、57年に「メケメケ」が大ヒット。第1次ブーム後の雌伏期にシンガー・ソングライターの元祖として作詞作曲を本格化し「ヨイトマケの唄」「ボタ山の星」など傑作を生む。71年、「美輪」に改名。「黒蜥蜴」「毛皮のマリー」「椿姫」などの舞台に加え、近年は宮崎駿監督のアニメ映画声優、テレビ朝日系「オーラの泉」(05‐09年)などの番組、CMで幅広い層の知名度を獲得した。
MSN産経
圧巻の美輪明宏 静まり返った「ヨイトマケの唄」
2012.12.31 23:07
注目の美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」。戦前、戦中、戦後の激動の時代を、貧しく苦しくとも互いにかばい合い、生き抜いた親子の絆を描いた歌だ。SMAPの木村拓哉さんが「親が子を思い、子が親を思う、無償の愛の歌をお届けします」と紹介した。
暗転したステージに「父ちゃんのためならエンヤーコーラー」と、振り絞るような声が響く。民族音楽を思わせる太鼓が続く。
明かりがともると、シンプルなスーツに身を包んだ美輪さんが浮かび上がった。美輪さんは身ぶり手ぶりで「貧しい土方」の親子の物語を繰り広げる。演出はスポットライトのみ。歌というより、一つの舞台のようで、水をうったように会場は静まりかえった。圧巻の歌唱は、6分にわたってお茶の間に届けられた。
終演後、美輪さんは「私のコンサートと同じで、一人一人の観客の人生に、歌がしみこんでいくのが分かった」と語った。さらに「親御さんのいない子供はいない。今、親が子を殺し、子が親を殺すことがよく起きている。一人でも、そういう人がいなくなるように、起こらなくなるようにという曲です」と、目に涙を浮かべながら語った。
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