なかなか読ませる内容だ。
題して、
「奪われた人々」が標的探し 漂流する悪意
①卯月妙子『人間仮免中』(5月刊)
「たぶん、朝日新聞の読者のみなさんは知らないと思うけど、卯月妙子さんの新刊『人間仮免中』が出たので、読んでいた(①)。
卯月さんは、統合失調症を患っている漫画家で、元アダルトビデオの女優。どんなビデオに出ていたのか、とてもここには書けません。彼女の出たAVを見たら、たぶん3日はご飯を食べられないから。オー・マイ・ガッ……。
自らの怒涛の人生を描き続けてきた彼女の10年ぶりのこの漫画も同じ。衝動的に歩道橋から飛び降り、顔面の複雑粉砕骨折(……)、それ以降のリハビリの日々が描かれる。
顔はすっかり変わってしまった。経済的にも厳しい。そんな状況の下でも、彼女は前向きに、ひたむきに、遥か年上の恋人との愛に生きることを決意する。すべてを失ってなお、「生きてるって最高だ!!!」と叫ぶのである。"
☆ ☆ ☆
この本を読んでいた、ちょうどその頃、テレビでは、連日、「河本準一母・生活保護不正受給問題」がとりあげられ、ネットでは、熱狂的に「河本とその母」が叩かれて小た。
ぼくは、なんだかすごくイヤな感じがしたのだった。
なんというか、卯月さんの本の底に流れているものとは正反対ななにかが、この「事件」の周りには漂っているような気がした。
要するに、それは「悪意」ということなんだけど。」
②安田浩一『ネットと愛国』(4月刊)
「安田浩一の『ネットと愛国』は、「在特会」(正式には「在日特権を許さない市民の会」)の謎を追いかけた渾身のリポート(②)。「在特会」とは、インターネットの世界から生まれたネオ保守運動で、「弱者のふりをした在日朝鮮人が数々の特権を享受し、日本人を苦しめている」といった主張を掲げ、全国でデモや集会をやっている人たちだ。時にはその場で、聞くに堪えない差別意識丸出しの雑言を吐く。従来の右翼・保守運動から「あんな連中とは一緒にやれない」とあきれられることも多い。だが、著者が直に会った彼らの大半は、頼りなげでおとなしい、ふつうの今時の青年だったのだ。安田はこういう。
彼らは「奪われた」という感覚を共有している。仕事や未来や財産をだ。誰が奪ったのか。それは特権を持っている(らしい)「在日」や、なぜか優遇されている(らしい)「外国人」や、権力を雇っている(らしい)メディアや公務員や労働組合だ。彼らは「奪われた」ものを取り返すための「レジスタンス」をしている、と信じている。
挑発的な”本音”を吐く者がヒーローになるインターネットこそ、彼らが自由感じられる場所だったのだ。
そして、安田は、「在特会」の闇をみすえて、こう結論づける。
「『うまくいかない人たち』による『守られている側』への攻撃は、一般社会でも広がっているのである」
その例の一つとして、安田は「大阪における『橋下人気』」をとりあげているのだが、ほんとうにそうなのだろうか。」
③モブ・ノリオ「≪エンタメ系の北朝鮮≫みたいな国の絶望都市・大阪では、夜中に音楽をかけて踊っているだけで警察が取り締まりに来る」(現代思想5月号)
④橋下徹『図説 心理戦で絶対負けない交渉術』(2005年刊)
「「現代思想」の特集は「大阪」。なんといってもモブ・ノリオの「≪エンタメ系の北朝鮮≫みたいな国の絶望都市(ディストピア)・大阪では、夜中に音楽をかけて踊っているだけで警察が取り締まりに来る」がタイトルだけで爆笑させる(③)。でも中身はすごく暗い。著者は、(関西出身の)某お笑い芸人と某有名女優の結婚式をテレビで楽しそうに観賞していた「大阪のおばちゃんらの無数の同類たち」が「一見好青年風」の「あのタレント弁護士」を政治家に押し上げたのではないかと考える。でも、問題はそこではない。
なぜか、いま大阪では「ダンスクラブが次から次へと、風営法違反を口実に」摘発され、潰されまくっていることなのだ。なぜ? わからへん。責任者と思われる元タレント弁護士の市長は、摘発問題について訊ねられると「そうなんですか」と、とぼけたみたい。「知らない」はずはないのだが、と著者はいう。ぼくもそう思う。
だって、市長はかつて自著で「正直な謝罪より『知らない』『聞いていない』のほうが方便となる」と書いてるから(④)。でも、不思議だね。どうして、特に大阪で、クラブが取り締まられるんだろう。
もしかして、大阪では、クラブは「守られている側」に属していると思われていて、「うまくいかない人たち」による怨嗟の的になっているからなのだろうか。」
⑤木村政雄「大阪はなぜ橋下徹を選んだか」(現代思想5月号)
⑥篠原章「補助金要求の名人たちが作る『公務員の帝国』」(新潮45・6月号)
「確かに、大阪は東京に経済的地位を奪われた。だが、もっと不幸なことは、木村政雄のいうように、いまや若者にチャンスを与えられなくなったことなのだろう(⑤)。
別の雑誌で、沖縄について論じた篠原章は、沖縄が失業率もジニ係数(所得格差の度合い)も全国一であると指摘し、その実態は一部の特権層(篠原によれば公務員)と多数の貧困者からなる世界であるという(⑥)。
沖縄は、もう一つのギリシャなのだと。だが、大阪がジニ係数で沖縄と1位を争っていることは意外に知られていない。」
⑦ギュンタ一・グラス「言わねばならぬ」(訳・解説=三島憲一、世界6月号)
「戦後ドイツを代表する作家ギュンター・グラスは「遺言」ともいえる詩「言わねばならぬ」を発表し、ドイツを騒然とさせた(⑦)。
「核」をめぐって、イスラエルへ公然とした批判ができない自国への厳しい叱責だった。公平と公正を求めながら孤立したグラスを応援したのはネットの住人たちだといわれている。
だが、彼を支援したのは、彼の希望に反して、単にユダヤ人という「守られている(らしい)側」への「悪意」をつのらせる者たちだったのではないだろうか。」
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大阪でのクラブ摘発の状況について、「朝日」5月30日の記事の一部
「昨年、アメリカ村のクラブで主催したイベントの最中、警察に踏み込まれた男性(34)は、ライブハウスなどクラブ以外の業態はどうなのかと捜査員に尋ねた。
その時の答えが忘れられない。
「ライブハウスは社会的に認知されてるからええねん」
(略)」
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論壇委員が選ぶ今月の3点
小熊英二=思想・歴史
・井戸川克隆(編集・奥村岳志)「双葉郡民を国民と思っているのですか」(情況5・6月合併号)
・前泊博盛「四〇年にわたる政府の沖縄振興は何をもたらしたか」(世界6月号)
・下村健一「官邸から見た震災・原発事故・メディア」(世界6月号)
酒井啓子=外交
・ギュンタ一・グラス、訳・解説三島憲一「言わねばならぬ」(世界6月号)
・トマス・J・ポリキー「グローバル化する非感染性疾患」(フォーリン・ア
フェアーズ・リポート5月号)
・ロブ・バージャー「臓器密売大国イスラエルの改心」(ニューズウィーク5月16日号)
菅原琢=政治
・特集「大阪」(現代思想5月号)
・スティーブン・フィリップ・クレーマー「ベビー・ギャップ 出生率を向上させる方法はあるのか」(フォーリン・アフェアーズ・リポート5月号)
・竹信三恵子「『女性支援』不在の被災者支援」(世界6月号)
濱野智史=メディア
・ユーリ・タクテエフほか「意外にローカルなツイッター」(フォーリン・ア
フェアーズ・リポート5月号)
・ヨハイ・ベンクラー「アノニマスの活動は手口か抗議行動か」(フォーリン
・アフェアーズ・リポート5月号)
・フェリックス・サーモン「さらば愛しき『IPO』」(WIRED vol.4)
平川秀幸=科学
・外岡秀俊「大規模災害と科学 原発と科学者の社会的責任」(神奈川大学評論71号)
・影浦峡「信頼をめぐる状況と語りの配置」(科学5月号)
・高岡滋「環境汚染による健康影響評価の検討」(科学5月号)
森達也=社会
・安田浩一「ネチズム(ネット・ファシズム)は拡散する」(g2 vol.10)
・斎藤美奈子「価格破壊の犠牲になっているのは誰?」(DAYS JAPAN 6月号)
・シンポジウム「浅間山荘から40年 当事者が語る連合赤軍」(5月13日、東京都で開催)
※敬称略、委員50音順
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担当記者が選ぶ注目の論点
復帰40年の沖縄読み解く
"橋下徹市長の動向ばかりが、注目されがちの大阪。「現代思想」が、都市としての姿や課題を特集した。
生田武志「釜ケ崎と『西成特区』構想」(現代思想5月号)は、特区構想が検討されている西成区の釜ケ崎の現状と、今後の日本を重ね合わせる。
前泊博盛「四〇年にわたる政府の沖縄振興は何をもたらしたか」(世界6月号)は本土復帰40年を迎えた沖縄の今を読み解いた。県経済の米軍基地への依存度や大学進学率の低さなど、具体的なデータが目を引く。
東京電力福島第一原発事故を巡っては、双葉町長井戸川克隆「双葉郡民を国民と思っているのですか」(情況5・6月合併号)、内閣審議官の下村健一「官邸から見た震災・原発事故・メディア」(世界6月号)が、立地町の町長と政府の広報担当として、事故に直面した行政側の肉声を伝える。事故後の今を、終わった人生の「延長戦」と呼ぶ井戸川。原発を立地した街の悲しさを語る言葉に迫力を感じる。
ユーリ・タクテエフほか「意外にローカルなツイッター」(フォーリン・アフェアーズ・リポート5月号)は、ソーシャルメディア・ツイッターの「つながり」が、実は居住する都市圏内部にとどまる傾向が強いことを指摘。新たな関係を築くより、既存の関係を強化することを明らかにした。
核問題で緊張が続くイラン情勢は「Z・ブレジンスキーとの対話 イラン抑止、ロシアの欧米化、アジア外交の非軍事化を」(同)などが取り上げた。
シャンタル・ムフ「『民主主義の終り』と右翼ポピュリズムの挑戦」(現代思想5月号)は、オーストリア自由党を題材に、右翼ポピュリズムの台頭への対応を論じる。政府内に取り込んでしまえば、勢いはなくなるとの明解な主張は考えさせられる。
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