鎌倉に行くとき必ず立ち寄るところ、
東勝寺橋
だいたいは滑川の一つ上流にある宝戒寺橋からこの東勝寺橋を眺めるケースが多い。
▼この日、5月3日もそうしたのではあるが、川の両側の新緑がジャマをして、眺めは良好ではなかった。
▼この日は、「高時腹切りやぐら」からのハイキングコースを歩く計画だったので、東勝寺橋まで行って宝戒寺橋を眺めた。これも同様、以下の如く、眺めは良好ではなかった。
▼東勝寺橋のたもとに青砥藤綱旧蹟の碑
「太平記に拠(よ)れば 藤綱は北条時宗 貞時の二代に仕へて 引付衆(裁判官)に列りし人なるが 嘗(かって)て夜に入り出仕の際 誤って銭十文を滑川に堕(落)し 五十文の続松(松明)を購(買)ひ 水中を照らして銭を捜し 竟(遂)に之を得たり 時に人々 小利大損哉と之を嘲(笑)る 藤綱は 十文は小なりと雖(いえども) 之を失へば天下の貨を損ぜん 五十文は我に損なりと雖(いえども) 亦(また)人に益す 旨を訓せしといふ 即ち其の物語は 此辺に於て 演ぜられしものならんと伝へらる」
ご参考 ← コチラ
この辺り、
宝戒寺が北条執権家の総本山
東勝寺が北条鎌倉幕府の最後の砦
ということで、多分、新田軍との激闘が行われた場所である。
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