ごくごく普通の主張である。
けれど、怒っている。
ごくごく普通のことが置き去りにされているから。
<記録のために全文コピーさせて戴いた。>
信濃毎日新聞 信毎Web
原発再稼働 これが法治国家なのか
06月15日(金)
関西電力大飯原発の再稼働が秒読みに入った。このままだと安全性をめぐる抜本対策は先送りしたままの暫定的な運転となる。
野田佳彦首相は「国民の生活を守るため」と強調するが、福島第1原発事故をどこまで深く受け止めているのだろうか。
野田政権に欠けているのは、ものごとの手順だ。事故の総括を行い、それを踏まえて論議を深め、新たな安全基準をつくる。こうした過程を欠いた再稼働では国民の信頼は得られない。
<福島の被害を原点に>
昨年の原発事故は、チェルノブイリと同じ最悪の「レベル7」だった。人類史に記録されるべき大事故は、日本社会を根底から揺さぶりつづけている。
野田政権が新しいエネルギー政策を打ち立てるに当たっては、事故がもたらした衝撃にまず目を向けなければならない。
第一は、福島県が受けた傷の深さである。
原発に近い自治体など11市町村が避難指示区域とされ、基本的に人が住めない状況にある。区域内の人口は8万6千人に上る。
天災であれば直ちに復興に取り組むことができるが、原発事故は除染を徹底しなければならない。元通りの暮らしに戻るまで何年かかるか分からない地域もある。広範囲に及ぶ故郷喪失の影響は計り知れず、産業だけでなく人々の心にも暗い影を落としている。
被災自治体の首長らが大飯原発の再稼働に疑問を呈するのは当然だろう。野田政権は、県民が被った傷の深さに思いをはせ、将来のエネルギー政策を検討しなければならないはずだ。
<根拠を欠いた手続き>
首相は8日、大飯原発再稼働を決断した理由を国民に語りかけた。被災者の気持ちは「よく、よく理解できる」としながらも、「国政を預かる者として人々の暮らしを守るという責務を放棄するわけにはいかない」と述べている。
人々の暮らしを台無しにしたのは、政府と東京電力である。それなのに「暮らしを守る責務」を強調するのはふに落ちない。
福島の被害はひとまず置き、大飯原発を動かして関西圏の暮らしを守る―。首相は、こう言っているに等しい。これが「責務」なのか、首をかしげざるを得ない。
事故の第二の衝撃は、政府の原子力行政と危機管理能力に対する信頼が根もとから崩れさったことである。
首相が原発を再稼働させるというのであれば、信頼の土台を再構築しなければならない。
なぜ事故が起きたのか、政府はなぜ住民を十分に守ることができなかったのか、丁寧に検証する。それを踏まえ、再発防止に向けた抜本対策を講じ、新たなエネルギー政策を国民参加のもとでつくっていくことである。
現実はどうか。事故の検証は、民間、東電、国会、政府による事故調査委員会が、それぞれ取り組んできた。民間と東電の事故調は報告をまとめているが、残りはこれからである。
一方で政府は、(1)大飯原発再稼働(2)原子力の安全規制をめぐる新たな仕組みづくり(3)中長期のエネルギー政策の策定―の作業に取り組んでいる。
このうち最も急いだのが、(1)大飯原発再稼働である。ストレステストの1次評価や政府が急きょ示した安全基準をクリアし、関西圏の理解や立地自治体の合意も得た―と政府は説明するだろう。
だが、地震のときに必要な免震重要棟やフィルター付きベント装置の設置などは済んでいない。政府は関西電力に工程表を提出させ、その審査でよしとしている。
そもそも、(2)の新たな安全規制の仕組みづくりは、民主、自民、公明の3党が基本合意した段階である。再稼働までの政府の手続きが、事故を踏まえた新たな法的根拠を欠いていることは明らかだ。
<国民的議論とは何か>
首相は「政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していく」と述べている。首相自身が、とりあえずの見切り発車であることを認めたといえる。
大事故が起きたというのに、政府の判断で原発を動かすというのは信じ難い。これで法治国家といえるのだろうか。
(3)の中長期のエネルギー政策の決め方にも注意が要る。
首相は「国民的な議論を行いながら、8月をめどに国民が安心できるエネルギーの構成、ベストミックスというものを打ち出していきたい」と述べている。
首相の言う「国民的議論」は欠かせないプロセスだが、どんな形で国民の声を聞くつもりなのだろうか。(2)の安全規制のように、3党協議で進めるようなことになれば、国民的議論どころか国会軽視と言わざるを得ない。
「脱原発」とか「脱原発依存」といった言葉が先行している。中身を煮つめるには、国民参加の場が必要だ。首相には有権者に信を問う覚悟で臨んでもらいたい。
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