2012年7月4日水曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(15) 「序章 ブランク・イズ・ビューティフル  - 三〇年にわたる消去作業と世界の改変 -」(その4)

東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-06-07
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(15) 
「序章 ブランク・イズ・ビューティフル
 - 三〇年にわたる消去作業と世界の改変 -」(その4)

「骨抜き」目的のトラウマ的大事件は、必ずしも暴力を伴うわけではない:
1980年代のラテンアメリカ、アフリカ諸国、1997年~98年のアジアの新興諸国
一九八〇年代、ラテンアメリカ諸国とアフリカ諸国は累積債務危機を理由に、あるIMF高官の言葉を借りれば「民営化か、死か」の選択を突きつけられた。
超インフレの危機に見舞われ巨額の債務を抱えていたこの両地域の諸国は、外貨融資と抱き合わせの要求を拒むこともできず、これ以上の惨事を食い止めるためと言い含められて「ショック療法」を受け入れざるをえなかった

一方、アジアでは一九九七年から九八年にかけて大恐慌レベルの壊滅的な金融危機が襲い、「アジアの虎」と呼ばれていた新興諸国もついに自国の市場を開放することになる。
この事態を『ニューヨーク・タイムズ』紙は「世界でもっとも大規模な店じまいセール」と表現した。

これらの多くは民主主義国家ではあったが、自由市場への急激な移行が民主的に推し進められたとは言えず、実際、民主的とはほど遠い手口が用いられた。
フリードマンの予測どおり、大規模な危機に見舞われた状況下では当の国民の要望を無視して経済「専門家(テクノクラート)」に国家の舵取りを任せるためのお膳立てが整ったのだ。

民主的手続きを経て自由市場政策が導入されるケース:レーガン、サルコジのケース
もちろん、自由化路線を掲げた政治家が選挙で選ばれるという民主的手続きを経て、自由市場政策が導入されたケースもある。
その筆頭に挙げられるのは、ロナルド・レーガン政権時代のアメリカだろう。最近ではフランスのニコラ・サルコジ大統領の登場もある。
だが、彼ら自由市場推進派も、世論の圧力から急進的政策案の調整や修正を迫られ、けっきょく部分的変革に甘んじるしかなかった。

全面展開するには独裁主義的状況が必要
要するに、フリードマンの経済モデルは民主主義政権下でもある程度は強行できるが、そのビジョンを全面展開するには独裁主義的状況が必要なのだ。
七〇年代のチリ、八〇年代末の中国、九〇年代のロシア、そして二〇〇一年九月一一日以後のアメリカのように、経済的ショック療法を強引に導入するにはなんらかの大きな精神的打撃を国民に与え、それによって民主的手続きを一時的あるいは全面的に停止する必要があった。
自由市場イデオロギーによる改革運動(クルセード)は南米諸国の独裁政権下で生まれ、その後新たに征服された広大な領地 - ロシアと中国 - において、非情な政権との共存をもっとも快適に、もっとも高い収益を上げつつ、今日に至るまで続けている
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