東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-07-18
*ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(20)
「序章 ブランク・イズ・ビューティフル - 三〇年にわたる消去作業と世界の改変 -」(その9)
現代の自由市場主義(コーポラティズム)の台頭とショック
本書は、こうした表向きの物語の中心をなし、もっとも重視されてきた考え方 - 規制なき資本主義の成功の源泉は自由にあり、歯止めのない自由市場主義と民主主義とは矛盾なく両立する - に真っ向から異を唱える。
そして資本原理主義とも言うべきこの形態がいかに残忍な弾圧によって育まれてきたか、それが政治団体および幾万の人間の身体を痛めつけてきたかを明らかにしていく。
現代の自由市場主義 - より適切にはコーポラティズムの台頭 - の歴史は、数々の「ショック」という文字で書かれているのだ。
莫大な利益を狙うコーポラティズム同盟は、今まさに最後に残された未開拓地を征服しつつある。ひとつはアラブ世界がかたくなに守ってきた石油経済、もうひとつはこれまで西側諸国では営利から切り離されてきた災害関連事業や兵力供給といった分野である。
国内であれ、国外であれ、こうした重要な事業を民営化するにあたっては、たとえうわべだけでも国民の同意を得ようという考えはない。
したがって目標到達のために暴力のレベルはますますエスカレートし、さらなる大惨事さえ求められている。
しかしショックと危機が果たしてきた決定的役割は、自由市場の隆盛の公式記録からは巧妙に排除されてきたため、イラクやニューオーリンズで取られた強硬手段にしても、ブッシュ政権の無能力や縁故主義のせいにする誤った解釈がしばしばなされてきた。
だがじつのところブッシュの行動は、完全な企業自由化を目指す過去半世紀にわたる運動の暴力性と創造性が、頂点に達した姿にほかならない。
・・・企業優遇の政治体制を導入し、維持するためにクーデターや戦争や虐殺が行なわれても、それが資本主義の犯罪として弾劾されたことはいまだかつて一度もない。
そうした犯罪的行為は独裁者の行き過ぎた熱意のなせるわざか、「冷戦」や今日の「テロとの戦い」の熱き前線での勇み足だと片づけられてきた。
七〇年代のアルゼンチン、あるいは今日のイラクで、コーポラティズム経済モデルに徹底して反対する者が組織的に排除されたとしても、そうした弾圧は共産主義やテロリズムとの断固たる戦いの一端だと説明され、純粋資本主義を推し進める戦いのためだと言われることはまずない。
このような暴力やイデオロギー的純粋性を持ち込まなくとも、市場経済は十分に成り立つはずである。
消費財の自由市場は、公的医療制度や公教育制度とも共存できるし、経済の大きな部分(国営の石油会社のように)を政府の手に委ねたとしても十分に共存できる。
同様に、民間企業に対して従業員に相応の賃金を支払い、労働者が組合を結成する権利を尊重するよう求めることも可能だし、政府が徴収した税を再分配してコーポラティズムが引き起こした格差の拡大に歯止めをかけることも可能である。
市場は原理主義的なものになる必要はないのだ。
ケインズが大恐慌後に提唱したのがまさにこうした混合経済であり、管理経済だった。
この公共政策における革命はニューディール政策へと結実し、世界各地で同様の政策転換が進められていった。
フリードマンの反革命的経済政策が世界各国で次々と組織的に解体していったのが、まさにこの折衷的な抑制と均衡のシステムだった。
その観点から見れば、シカゴ学派の説く資本主義には他の危険思想との共通点 - 極端なまでの純粋性と、理想社会を構築するための白紙状態への希求 - が認められる。
世界をゼロから創造する神のごとき力をわがものにしたいというこの欲望こそ、自由市場イデオロギーが危機や災害に心惹かれる理由にはかならない。
終末的規模の大災厄が起きないことは、彼らにとって不都合なのだ。
この三五年間、フリードマンの反革命運動を活気づけてきたのは、大変動が起きたときしか手にできない自由と可能性の持つ誘引力だった。
大変動が起きれば、うるさい要求を突きつける頑迷な国民が一掃され、民主主義を遂行するのはほとんど不可能になるからである。
ショック・ドクトリンの信奉者たちは、社会が破壊されるほどの大惨事 - 洪水、戦争、テロリストの攻撃など ー が発生したときにのみ、真っ白で巨大なキャンバスが手に入ると信じている。
人々が精神的なよりどころも物理的な居場所も失って無防備な状態にあるそのときこそ、彼らにとっては世界改変の作業に着手するチャンスなのである。
(序章おわり)
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