2012年10月15日月曜日

昭和17年(1942)10月25日 「十月廿五日 日曜日 快晴。夜金兵衛に飯す。月明晝の如し。」(永井荷風「断腸亭日乗」)

東京 江戸城(皇居)東御苑
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昭和17年(1942)
10月15日
・十月十五日。晴。晩にくもる。招魂社の祭にて市中電車の乗客難沓すること甚し。晩食後淺草を歩む。三四日頃の月を見る
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10月16日
十月十六日。秋陰夢の如し。夜金兵衛の店にて相磯氏より平賀源内作狐や 安永六年 と題する寫本を借る。
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10月17日
十月十七日。風雨瀟々。始めて火鉢に火を置く。夜ふけて雨歇む時再び残蛩の鳴くを聞く。
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10月18日
十月十八日 日曜日 晴また陰。庭の黄楊を刈込む。夜金兵衛に飯す。五叟に逢ふ。
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10月19日
十月十九日。快晴。終日讀書。夜片月あきらかなり。十三夜も近きが如し。
Francois Porche : fransais depuis Verlaine. 1929 N.R.C.(ママ)
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10月20日
十月二十日。快晴。夜金兵衛にて清潭相磯歌川の諸子と談笑して刻を移す。霜露甚冷なり。
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10月21日
・十月念一。快晴。午後丸ノ内土州橋徃訪。黄昏金兵衛に飯す。歸途月よし。虫の聲全く絶えたり。
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10月22日
十月念二。快晴。石蕗花ひらく。ブリキ屋の職人來り雨樋の修繕をなす。夜月明なり
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10月23日
十月念三。古暦十三夜もいつか過ぎて月は既にかけ初めたり。金兵衛に夜をふかしでかへる。
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10月24日
十月廿四日。正午大工岩瀬來る。偏奇館修繕費参百五拾圓餘を支拂う。晡下雨ふる。人より句を請はれて
倚り馴れし窓の柱や秋のくれ
よせかけし竹の箒に時雨哉
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10月25日
十月廿五日 日曜日 快晴。夜金兵衛に飯す。月明晝の如し。
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10月26日
十月廿六日。晴れわたりて雲翳なし。赤蜻蛉の飛ぶを見る。月明昨夜の如し。
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10月27日
・十月廿七日。今日もよく晴れて暖なり。菊は石蕗と共に花さきそめたり。夕餉の後物買はむとて淺草に徃く。下弦の月言問橋の上に出るを見る。星影少し。歸途新橋の金兵衛に立寄るに川尻歌川の二子在り。薄茶を喫し夜半にかへる。
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10月28日
十月廿八日。快晴。晡時土州橋より再び淺草公園に至る。仲店の菓子屋大方玩具屋となり角の紅梅焼は半戸をしめゐたり。オペラ館楽屋に少憩してかへる。
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10月29日
十月廿九日。晴れて風なし。フアゲエの十九世紀仏蘭西文豪評傳を讀む。
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10月30日
十月三十日。快晴の天気旬餘に及び日々温暖春の如し。夜金兵衛の店にて銀座の相磯子に逢ふ。淺野梅堂の書幅文章精采生花とかけるを恵贈せらる。子は幕末名士の書画を多く蔵すと云。
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10月31日
十月卅一日。晴後に陰。夜淺草を歩す。
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「十月廿五日 日曜日 快晴。夜金兵衛に飯す。月明晝の如し。」
いい文章。惚れ惚れする。

さて、
元来、荷風は月が好きである。
日記にも、「月よし」「月佳し」は頻出する。

この頃、「晴の天気旬餘に及び」とあり、晴天が続いていることもあり、月の出る回数が多い。
中秋の名月を過ぎた余韻もあるだろう。
60過ぎの独り身のやる瀬なさも、多分あるだろう。
浅草への帰り道、一人天を仰ぐ・・・みたいな画かな?

更に、食料品、日用品にも事欠くようになってきたし。
侘しさも、さぞやひとしお・・・。

しかし、この方に限って、同情する必要はないのである。
この半月の間に、日記の日付けの前の「・」は三回も出てくる。
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